「長谷君」
「……」
長谷翔(はせしょう)君」
その人は、何度名前を呼んでも目を覚さない。机の上につっぷしてぐう、といびきまでかいている。三年生になったというのに、なんという態度だ。クスクスと、周りの女子たちが笑うのを視界の端に捉えながら、私は諦めて授業を進めた。
「先生、長谷君また寝てたね」
授業が終わると、去年から引き続き担任をしている子たちが教卓の前に集まってきた。三年二組。今日は自分のクラスで五限目、国語の授業。五限終わりの日なので、そのまま帰りのHRを行うのだ。
「本当に。みんなからも何か言ってあげて。三年生になったんだからって」
「それ、あいつには通用しないと思うけどなあ。だってさ、あたしらと違って進学しないだろうし」
その子、花野凛(はなのりん)は「言うだけ無駄無駄」と手をひらひら振って答えた。タメ口で話してくるのは感心しないが、彼女はうちのクラスでは成績トップ。二年の時から学級委員長も任せていた。
ちなみに、件の問題児——長谷翔は初めて担任を受け持つことになった生徒。周りの先生から彼は勉強ができない、よく居眠りをする、と聞いてはいたが、4月から早速その姿を見られるなんてさすがに思ってなかった。自分が学生の頃、初めて習う先生の前では自然と背筋が伸びたのを覚えている。慣れてきたらだんだんと気を抜くことができた。
それなのに、彼といえば。
「昨日、眠れなかったんです」
私たちが自分のことを話題にしていると聞きつけたのか、彼は寝起きの目を擦りながら輪の中に入ってきた。ぬ、意外と積極的なやつだ。というか、自分のことを注意されているところにずけずけやってくるなんて、どんなメンタルの持ち主なんだ。
「また夜更かししてたからじゃん。どうせ、ゲームしてたんでしょ」
花野さんと仲の良い古田彩(ふるたあや)が長谷君に軽口を叩く。
「違うって。母さんが鬼のように課題を出してきたんだよ」
そういえば、長谷君のところは親御さんが教育熱心だと聞いた。お兄さんだかお姉さんだかどちらか忘れたが、上の子がかなり良い大学に進んだらしく、弟の長谷君にも期待を寄せているんだとか。
「うわ、出た出た。長谷んちの親、なんでこいつにそんな課題できると思ってんだろうね」
さすがにそこまで言うのは長谷君に失礼じゃないか……ということを古田さんに言われてもなお、長谷君は「だよなー」と特に気にするでもなく頷いていた。
初めて三年生を持つことになって、二週間。
想像していた“三年生”とは違い、今までどおり普通に過ごせそうだ。
緊張が続いていた数日間からようやく解き放たれ、ほっと胸を撫で下ろした。