ブラウスの襟元をぱたぱたと仰ぎながら教室の入口扉を開け、それから数秒、私はそこで固まった。

窓際の後ろから2番目――の、隣。

扇風機の風に揺られる金髪は、窓から差し込む太陽の光で透き通っていた。そこで寝ているのが誰かなんて、顔を見なくても分かる。


───相馬くんだ。


「起きれたら、明日も早く来る」昨日言っていたそれは社交辞令のように思っていた。行けたら行くねとか、できたらやるねとか、それと同じ枠の言葉だろうなって脳内で思っていたから、そこに相馬くんが居たことにとても動揺してしまった。


起きれたんだ、今日も。暑くて寝苦しかったから早く目が覚めちゃったのかも。

そんなことを考えながら、足音を最小限に抑えて自分の席に向かう。扇風機の温い風が、私の黒髪をも揺らした。長袖のワイシャツを2、3回捲った腕に浮かぶ血管。どくん、と心臓が鳴った。


私が椅子に座ってから数分静寂が流れたあと、不意にもぞ、と相馬くんの身体が動いた。


「んー…あ、ほづみ、だ」
「…おはよう相馬くん」
「はよ…」


朝かつ寝起きだからか、私が知る相馬くんより舌足らずで、それがちょっとだけかわいいと思ってしまった。相馬くんが「ぅん”ん」と唸り、身体を起こしてぐーっと伸びをする。ごしごしと目を擦った後、目を合わせてもう一度さっきよりはっきりとした音で「はよ」と紡いだ。うん と頷くと、うん と返ってくる。


なにか、会話。せっかくのふたりきり。もう少し有意義なものにしたい。コミュニケーションが上手い人はこういう時すらすらと会話文が浮かんでくるのかと思ったら羨ましくてしょうがない。


「あ、暑いね今日も」
「だなー…」
「サイダーとか効きそう」
「だなー」
「海とか、いいよね」
「うんわかる」
「涼しいこと……かん、考えよ」
「……ぶはっ」


絞りだした会話は10秒で終わってしまって落ちこむ私に、「八月朔日」と丁寧な声が落ちる。呼ばれるままに視線を合わせると、相馬くんは目を細め、悪戯っぽく笑っていた。それが、どうしてかとてもドキドキした。

理由について考える暇はなく、相馬くんの次の音が、朝の静寂に包まれた教室に、確かに鮮明に、落ちたのだ。



「今日、サボる?」



17年生きてきて、そんな提案をされたのは生まれて初めてだった。漫画や小説でよくあるそれだ。授業サボって屋上でお昼寝するとか、学校サボって自転車チャリ二人乗りして旅に出るとか、なさそうでありそうで、だけどやっぱりなさそうな現実の話かと思っていた。私とは無縁の、ちょっとだけ夢が詰まった言葉。


「なんか今日眠いしやる気ないし。涼しいとこ行きてーなぁ俺」
「サボる…と、いうのは、」
「夏ってさぁ、気づいたら終わってるしな。高校の夏休み、補習1日くらいサボっても怒らんねーよ。頭ん中空っぽにして夏感じたっていいだろ」
「そ……」

「どうする、八月朔日」


選択を迫られた。時刻は8時過ぎ。他の生徒が来る気配はまだまだなくて、一度学校に来た私たちが教室を出ても、きっと誰にも見つからない。木下先生には不審に思われるかもしれないけれど……木下先生なら、笑って許してくれそうな気がしなくなくも、無い。



「…怒られたら、相馬くんのせいにしても、いい?」
「ふはっ。いいぜ、上等」


夏の朝は、やっぱり良い。