「……それにしても、どうしてこんな辺境の地まで来たんです?」
「別にいいでしょう」
「それは何ともつれないことで。僕はもっと貴女と親しくなりたいのですよ? 惚れていると言っても過言ではないです」
「……」

 シスターはぷい、と視線を逸らした。しかし、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべ、「じゃあ、どこに惚れているのか言ってみなさいよ」と冗談を返す。そういう退屈しない彼女に、悪魔の機嫌は一瞬で治った。

「よくぞ聞いてくださいました。まず豪胆さがいいですね。思い切りがよい人は見ていて気持ちがいい。次に金の靡く髪、冷ややかなサファイアの瞳、蠱惑的な唇に華奢ですがゴリラみたいな」
「こら」
「メスゴリラのような逞しさが好印象! ……と、まあいろいろ挙げてみましたが最終的には僕と会話をしてくれることでしょうか」

 悪魔は満面の笑みで言葉を返す。先程のセリフはともかく、笑顔を見せれば今までの女性ならあっけなく恋に落ちた。今回はそこまでいかなくとも、少しぐらい胸をときめかせたかと思ったのだが──シスターは「胡散臭っ」と言わんばかりの顔だ。好意の欠片もない。

「舌に油でも塗っているのかしら。だから悪魔は口が達者だっていわれるのね」
「うん、君のそういうドライな所もいい。僕は君が好きだ。愛している」
「はいはい」

 彼女は悪魔を嫌悪するが、ついてくる悪魔との会話を別段嫌ってはいなかった。
 彼女自身、修道服を着ているのは武装と同じなのだろう。「自分はまだ大丈夫だと」言い聞かせるため、薄く脆い自尊心だと悪魔は分析する。

「うんうん、いいですね。本当に素晴らしい」

 ちろり、と悪魔は舌なめずりをする。
 美しく尊い魂ほど、あっさりと砕けてその色を変えるのだ。
 堕落する瞬間が愛おしくて──それが見たくて人と仲良くしようと、言葉巧みに取り入る。そして悪魔がつかず離れずシスターの傍に居れば、周囲の人間はどう思うか。人の心理とは一見複雑に見えて、簡単に操作し誘導することができる。

 たとえば立ち寄った町々で「彼女がこの状況の元凶」だと、噂を広めるとか。
《バビロンの大淫婦》のように、責任を独りに押し付けるやり方は遥か昔から存在する。これは天使たちだって似たようなことを行っているのだ。例をあげるなら《七つの目の小羊》だろうか。持ち上げて、祀り上げて、仕立て上げる。
「今回も楽しませてもらおう」と悪魔はそう考えていた。
 だが、あらゆることにおいて彼女は規格外だった。

「出ていけ」「魔女」とシスターを罵りながら石を投げる人間がいれば、彼女は容赦なく閃光弾を投げて制圧したのち、聖母とは程遠い烈火の説教を垂れる。
 疑う者が居れば催涙弾を投げて──やっぱり制圧すると、「そんな暇があるなら、今の暮らしを少しでもいいものにしなさい」とジャガイモの種を手渡す。

 そんな世直しの旅──シスター本人は「行き掛けの駄賃」と一蹴していたが、何だかんだで東の国に来るまで悪魔の予想がすべて外れたのだ。その上、肌が合わないとかで《必要悪(ネセサリー・イーヴル )》の任務も途中でほっぽってしまう始末。定期連絡はだいぶ前から断っていた。
 悪魔の彼ですら彼女が何を考えているのか全く分からない。

 気づけば彼女とのやりとりが日常茶飯事になっていた。
 しかし悪魔にはどうしても気になることがあった。

 なぜ地球をぐるりと回ってこの東の国に来たのか。
 もっとも元々当てもなく旅をしているような彼女に、壮大な計画性があるとは思えない。本部の作戦でもないとしたら何のために?
 その疑問ばかりが実り、禁断の果実の如く甘い香りを放っていた。