「もう帰れんの?」

「いや、あと課題提出が……」

「課題?」

聞き返されて、私は“しまった”と思う。 余計なことを言った。

「あれ?」

垣根はノートとファイルが積み上がった机を指差す。

「いや、あれじゃない」

「どう見てもあれだろ。 あんなの一人で持っていけないじゃん」

「全っ然余裕だから」

「無理だろ」

そう言うと、垣根は立ち上がってノートとファイルが置かれている机の方へと向かう。

「ほら、行くぞ」

「いや、本当大丈夫だってば。 ていうか、垣根はなんか用事があるんじゃないの?」

「ないよ」

え……ないの? じゃあ、ほんとに何しに来たの?

もしかして、私が昼に階段で転んだことと関係あるのだろうか。 あのとき、私は自分が思ってたよりも派手な転び方してたのかな。

それとも、痛そうな顔とか、変な歩き方とか……。

聞こうと思っても、垣根はファイル全部とノートも持てるだけを抱えてさっさと教室から出る。

「ちょっと……」

私は残りのノートを抱えて、職員室側の階段へ歩き出している垣根を呼び止める。 

「垣根、そっちじゃないよ」

「あ? 職員室じゃねえの」

「今日、職員会議なんだって。 だから、進路指導の資料室」

「ああ」

なんだかあんまりピンと来ていないような返事をして、垣根はこちらに引き返してくる。

並んで歩くのもな……と思い、私は少し早く歩き出す。

今ここに蒼もいたら、きっと蒼は喜んだだろうな。

そう思いながら、でも蒼が今ここにいなくて安心している自分もいる。

ああ、嫌だ。 どうして、こんな意地の悪いことしか考えられないんだろう。

もっと、蒼みたいに優しくなれたら。 蒼みたいに、ただひっそりと誰かを想えるような優しさがあったなら。

蒼の隣にいる為には、私だって優しくならなきゃダメなのに。



資料室に到着して、垣根は戸の僅かな隙間に器用に足を引っかけて開ける。 

「暗っ」

薄暗い室内に目を凝らす。 カーテンも閉め切られていて、室内を照らすのは廊下から注がれる光だけ。 

「足元、気を付けろよ」

「うん」

電気のスイッチを探すのも面倒に思ったのは垣根も同じようで、部屋を暗くしたままノートを置けそうな場所を探す。

隣の進路指導室は綺麗に整頓されているのに、この資料室は異常に物で溢れかえっている。

多分だけど、資料だけじゃなくて熊井の私物も大量に混ざっているんじゃないか……。

「ここら辺でいいだろ」

「そうだね」

垣根はちょうど光で照らされていたテーブルの空いたスペースにノートを置く。 私も同じ場所にノートを置いて手を離した時、微かに垣根の手に触れてしまった。

「あ、ごめ、っわ!」

反射的に手を勢いよくノートから離してしまったせいで、積み上がっていたノートが床に落ちる。

「……ごめん」

足元は一層暗くて、しゃがんでもノートがどこに落ちてしまったのかよく見えない。

垣根は近くのカーテンを開けてくれて、私の辺りが照らされる。 垣根もしゃがんで、床に落ちたノートを拾い始める。

「いいよ、後は私が」

「二人でやった方が早いだろ」

そう言われて、それもそうだとも思いながら、自分があまりにも情けなく感じて私は黙ってノートを拾う。

今日は、垣根の目の前でドジを踏んでばかりだ。

いや、私がドジした所にたまたま垣根が居合わせただけと言うか……どちらにしても、やっぱり情けない。

ちょうど私と垣根の間に落ちていたノートを拾おうと手を伸ばすと、それは蒼の名前が書かれたノートで、私は思わず手を止める。

それに垣根も気が付いたようで、ほんの数秒だけ沈黙が揺れる。



「……宮下ってさ」

「なに」

「蒼とは、付き合ってんの?」

私は顔を上げない。 けれど、垣根も蒼のノートに視線を落としているのがなんとなく分かる。

「違うけど」

私は蒼のノートを拾い上げて埃を払い、膝の上に乗せた。

「じゃあ、宮下は蒼のこと好きだったりすんの」

「そんなの、何でもいいでしょ」

私は立ち上がって、ノートを元の場所に戻す。 隣に置かれたノートにふと視線を向けると、私が運んできたノートより少しだけ高く積み上がっていた。

「何でも、よくないんだけど」

垣根も立ち上がる。 私は、そのまま垣根に視線を移した。

それなのに、私からはちょうどカーテンからの逆光で垣根の顔がよく見えない。

垣根が私を見下ろす。 けれど、やはり表情は読み取れず、垣根の言葉の意味も分からない。

「宮下は――」

その時、突然資料室の明かりがついて目の前の垣根と目が合う。 でも、それもほんの一瞬のことで、後ろから「す、すみません!」と声が聞こえて私は振り返った。

そこには、さっきまでの私たちと同じようにノートを抱えている女の子が二人立っている。

「あっ、ここ置けますよ」

私は咄嗟にそう言って、さっと垣根と距離を取る。 女の子二人はどこか緊張しているような様子で「すみません」とまた言って中へと入る。

垣根の方へ視線を向けると、垣根はなんてことないような顔をして首を搔いていた。

そしてまた、ぱちっと目が合う。 けれど、今度は垣根はすぐに視線を逸らした。

「行くぞ」

私はその垣根の一言に押し出されるようにして資料室を出た。 垣根は特に何も言わずに昇降口へと向かうので、私はその少し後ろをついて行く。

けれど、垣根の背中を見て私は「あっ」と声を上げた。 垣根は立ち止まってこちらに振り返る。

「なんだよ」

「鞄、教室に忘れてきた。 ……今日は、ありがとう」

「おう」

「……じゃあ、また」

私は昇降口とは反対の方向を向いて教室へと足を進める。 廊下の曲がり角まで行って、向こうの廊下を見ると垣根の姿はもう無かった。

……さっき、資料室の中で垣根に言われた言葉を思い出す。 私が蒼のことをどう思おうと、垣根には関係のないことじゃないか。

それに、よりによってどうして垣根がそんなことを聞いてくるんだ。 蒼が好きなのは、あいつなのに。

考えているうちに、ふつふつと腹が立ってきた。 垣根に、ではない。 私自身に、腹が立つ。

あの時、蒼のことを好きじゃないと言わなかったら、それは垣根の質問を肯定したと受け取られても仕方がない。

それでも、好きじゃない、なんて言いたくない。 この気持ちに、嘘はつきたくない。

そう思うのに、私はずっと中途半端だ。

私は大きくため息を吐いて、教室へと戻った。








その日の夜、私はなんだか気持ちが落ち着かなくて眠れないんじゃないかと不安に思ったのに、いつの間にかちゃんと寝落ちして、寝坊をした。

いつもなら急ぐのが嫌でちゃんと1時間前には起きて準備をするのに、目を覚ました時には家を出るまであと15分だった。 

「姉ちゃん、蒼くんもう待ってるよ」

私の部屋の半開きになった扉の隙間から弟の将が顔を覗かせる。 私は寝ぐせのついた髪にストレートアイロンを通しながら、鏡越しに映る将を見る。

「えっ、今日早くない!?」

「姉ちゃんが遅いんだよ。 俺行くね」

「もうそんな時間!?」

将は既にランドセルを背負っていて、私を置き去りにして母親に「行ってきまーす」と呑気に声を掛けている。

時計を見ると、あと5分しかない。 髪はもう諦めて手櫛で誤魔化し、制服に着替える。

「伊都〜、朝ごはんどうするの~」

「今日は大丈夫ー!」

母親に返事をしながら転びそうになりつつスカートを履いて、靴下の交互を間違えていないか確認してダーッと階段を降りて玄関の扉を開けた。

「蒼! おはよう!」

「伊都っ、おはよう」

蒼はこちらに振り返ると、どこか焦ったような不安そうな表情で言う。



「昨日、階段から落ちたって、ほんと?」

「ん? ……え、なんで知ってるの?」

「昨日帰る時に、垣根が教えてくれたんだ」

「えっ」

私は驚いて、次に続く言葉が咄嗟に出ない。 寝坊したせいでまだ頭が起きてないのかもしれない。

「大丈夫? 足、捻ったの?」

そう言って蒼は、屈んで私の足元を見る。 私は、「平気平気、全然歩けるよ」と言いながら昨日と同じように足首を回して見せると、蒼はほっとしたようで「良かった」と表情を綻ばせた。 

「垣根も心配してたんだよ。 あの後、教室に垣根行かなかった?」

「えっ……えーっと」

まだ寝ぼけている頭をフル回転させて、ここはどう答えるべきなのかを考える。

「来たけど、すぐ帰ってったよ」

「そうなんだ」

「うん」

寝起きの頭でも、昨日の放課後の全部を蒼に話すことはできないと思った。 

別に、話すようなここでもない。 けれど、蒼に嘘をついてしまった。

「寝坊したの、足が痛いからなのかと思ってさ」

「え、私が寝坊したことも知ってるの?」

「さっき将が言ってたよ。 でも、俺も寝坊したんだって言って、走って行ったけど」

「あいつ……」

「将、久々に見たけど背伸びたね。 伊都もう越されたんじゃない?」

「うそっ、それはない」

「そうかなあ」

そう言って蒼は、私の髪に触れそうなくらい近い位置に手をふわりと翳す。



「これくらいに見えたけど」

その手の陰からこちらを覗く蒼と目が合う。 案の定、私の心臓はうるさく鳴って、耳元がかあっと熱くなる。

「そ、そんなに高くないよ。 蒼の見間違い」

「う~ん、そっかあ」

ぱっと蒼の手が離れ、私は内心ほっとする。 どぎまぎしてしまったけれど、やっぱり蒼は1ミリもそんなこと気付いていない。 
別に、それでいいんだけれど、少しくらい気付いてもいいんじゃないかと思ってしまう。

それにしても、蒼と出会ってから10年以上になるっていうのに、私もいつまで経っても慣れない。 いつまで経ってもドキドキする。

これでは身が持たないと思ったこともあったけれど、こればっかりはどうしようもない。

その時、自分のスマホの通知音が鳴った為見てみると、母親から『お弁当忘れてるよ~』とメッセージが届いていた。

「やばっ、お弁当忘れた!」

「えっ、寝坊したから?」

「……そう」

スマホの画面には、『お母さんが戴いちゃうね👍』と追加メッセージが入っている。 蒼は私のスマホを覗き込んで「伊都のお母さんっぽい」と笑う。

「それなら、田中に購買のパン奢ってもらいな」

「名案、天才じゃん」



お昼の心配はせずに済みそうだけれど、朝の間に何だか疲れてしまった。 けれど、この登校時間は無駄に出来ない。

また蒼と何気ない会話をしながら学校に到着して、今日は昨日のように課題が無いのが救いだと思いながら教室に入ると、田中が待ってましたと言わんばかりに飛びついてきた。

「宮下! これまじ!?」

「な、なにが」

「これ! 小学生のとき捕まえたレア昆虫ランキング!」

「え゛っ」

田中は昨日の日誌のページを私と蒼に見えるように開く。 同時に、私は嫌な汗がじんわりと額に滲む。

「ミヤマクワガタ、ゲンゴロウ、ミズカマキリ……これ、レアなの?」

蒼が聞くと、田中は「やべえレア」と興奮気味に言う。

「ミヤクワガタなんて、全男子小学生の夢だろ。 宮下、まじで捕まえたことあんの?」

「そ、それは……」

「俺はあるよ」

ふいに後ろから声が聞こえて振り向くと、そこには垣根が立っていた。 私は驚きのあまり声も出ないでいると、一瞬だけ垣根と目が合った。

「えっ! カッキーあんの!?」

「ゲンゴロウもある」

「マジかよ。 俺、カッキーのこと初めて尊敬したわ」

「初めてかよ」

垣根が田中の肩を拳で軽く突くと、田中はお得意のオーバーリアクションで痛がって見せる。 その馬鹿でかい声に私はハッとして隣にいる蒼を見ると、蒼は垣根と田中のやり取りをニコニコしながら眺めていた。



「佐藤、いる?」

垣根は教室内を見渡しながら言うと、田中も「どの佐藤だよ」と教室を見る。

「佐藤香乃子」

「香乃子なら、まだ来てないよ」

私は教室を見ずに答える。 そういえば、香乃子と垣根は同じ整備委員だ。

「え、まだ?」

「いつもチャイムと同時だからね」

「まじか。 じゃあ、これ渡しといて」

垣根は私に整備委員のプリントを1枚渡すと「じゃ」と言って隣のクラスに入って行った。

私はやっぱり蒼が気になって、つい見てしまう。 

すると目が合って、蒼は赤くなった耳を手で摩って「びっくりした」と私にしか聞こえないくらいの声で呟いた。 その顔を見て、やはり垣根は私にとっては天敵だと思う。
 
なんて返事をして良いか分からず、私は曖昧に笑顔作る。 私だって心臓が飛び出るかと思うほどびっくりしたし、もし昨日の放課後の話でもされたらとヒヤヒヤしたけれど、蒼が嬉しそうなら……それで良い。

その時、チャイムがなって廊下の奥から階段を駆け上がってくる足跡がいくつか聞こえた。 多分、あの中に香乃子も混ざっているだろう。

私は「昼、パン奢ってね」と言いながら、垣根と同じように田中の肩をグーで突いて教室に入った。

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