貯金500万円の使い方



 舞花との出会いは、保育園だった。

 僕も舞花も、0歳児クラスからの始まりだった。

 だから物心ついたときには、いつも舞花が近くにいた。

 年少に上がるまでは1クラスしかないし人数も少なかったから、自ずと舞花と一緒にいる時間が多くなった。

 年少に上がって一気にクラスの人数が増え、同時にクラス数も増えた。

 僕や舞花のように0歳から保育園にいる子供にとっては、年少になるなんて教室の場所や先生が変わる程度で、大した変化ではなかった。

 だけど世の中の子どもにとって、この年少という歳が人生の大きな壁になることを、僕はこの時知った。

 みんな泣いているからだ。

 はじめは何で泣いているのかわからなかった。

 だけど次第にわかってきた。

 親と離れるのが嫌なんだ。

 「お母さーん」と泣きながら先生に引き裂かれる子。

 「行きたくないー」と言って、親の腕を引っ張って門に戻っていく子。

 園庭も、教室の中も、泣きわめく声であふれかえっていた。

 僕はその光景を冷めた目で見ていた。

 僕は1歳になる前から保育園に預けられているし、通常保育の舞花と違って早朝保育も延長保育も利用していたから、母親と一緒にいる時間より園にいて先生たちと過ごす時間の方が長いくらいだった。

 僕にとっては親と一緒にいないことの方が日常で、そんなことに慣れていたからか、寂しさなんて感じなかった。


 どうして泣くんだろう。

 どうして寂しいなんて思うんだろう。

 僕がおかしいのだろうか。


 僕は園でも友達と仲良く遊ぶタイプではなかった。

 一人で遊ぶ方が楽だった。

 だって周りの子はすぐ泣くし、すぐ人のものを取っていくし、すぐ叩く。

 一緒にいても、自分が損することが多い。

 先生の言うことも聞かないし、困らせてばかりだし。

 そんな子どもに追われる先生は、僕のことはほったらかしだった。

 「あおい君は聞き分けが良くて本当に助かる」、なんて先生が母親と話しているのを聞いてた。

 そんなお世辞を真に受けて、僕自身もそんな自分を良しとして、聞き分けの良い、また物分かりの良い園児に努めた。
 
 親がいなくたって、友達がいなくたって、寂しくなんかない。

 泣いたりしない。

 僕は他の子とは違うんだから。
 

 だけど僕にも、1日の中で寂しい瞬間があった。

 それはみんなと同じように、朝、親と離れる瞬間じゃない。

 帰りのお迎えの時間だ。
 
 通常保育の子どもが帰る時間になると、僕を含めた延長保育組は先生たちと教室に残る。

 鞄を背負って帽子をかぶった友達が次々と教室からいなくなるのを見るのが、僕は嫌だった。

 胸の奥が、ツンと冷たくなるから。

 親と手を繋いで帰る子たちを見送るのは、1日の中で一番寂しさを感じる時間だった。

 特に、舞花が帰っていくのを見送るのは。

 それは年長になっても、慣れなかった。




 年長の夏のことだ。

 その日は朝から風が不気味に吹き荒れていて、灰色の雲が空一面を覆っていた。

 給食を終えた頃にはすでに激しい雨が降り出していて、風も朝よりも激しく、ごうごううなりを上げていた。

 台風が近づいていた。

 だからその日は降園時間を大幅に繰り上げて、全員帰ることになった。

 連絡を受けた保護者がぞくぞくと迎えに来て、次々と友達が帰っていく。

 残ったのは、舞花と僕だけだった。

 僕は何となくわかっていた。


 きっと最後まで残るのは僕だ。

 そして母さんは、迎えに来れないんだ。

 僕だけ、先生とこの寂しい教室に残るんだ。

 そう思った。


 うちの父さんは転勤が多かった。

 母さんも仕事を持っているし、生活環境がころころ変わるのは子供にとっても母親にとってもストレスになるからという理由で、父さんは単身赴任している。

 母さんは駅三つ向こうの総合病院で働く看護師だ。

 だから僕はいつも早朝保育を利用しているし、だいたいいつも延長保育を利用している。

 時にはさらに延長することもある。

 母さんがいつ迎えに来るかなんて、誰にもわからなかった。

 今日、こんな日でも、母さんはきっと来れない。

 僕は一人ぼっち。

 そんなことわかっているのに、慣れっ子なのに、その日の僕は、窓から離れることができなかった。

 雨水が窓を滝のように流れていって、園庭の向こうの方にある門を隠している。
 
 それでも僕は目を凝らして、迎えが来るのを待っていた。

 早く迎えに来てほしいと思った。

 一人ぼっちにしてほしくないと思った。

 僕のそばでニンジンを切る舞花は、相変わらずご機嫌だった。

 親が迎えに来るって、無条件に信じている。

 そんな舞花の手を、僕は無意識に握っていた。


「……何?」


 舞花はきょとんとした顔で言った。


「別に」


 僕はそう言いながら慌てて手を離した。


「……あおい君、台風怖いの?」
 

 舞花はそう聞いた。


「そんなわけないじゃん」

「じゃあ、寂しいの?」

「だからそんなんじゃないって。舞花はどうなんだよ。怖いんだろ、台風。

 親がなかなか来なくて寂しいんだろ」


 僕の強がった言葉に、舞花はツンとしたすまし顔で言った。


「怖くもないし、寂しくもないよ」


 その理由に、僕ははっとなった。


「だって、ここにはあおい君がいるもん」


 そして舞花は、僕の手をそっと迎えに来た。


「あおい君がいれば、寂しくなんかないよ。

 だって、あおい君はいつも舞花のそばにいてくれるでしょ?

 だから、舞花もあおい君のそばにいる。

 あおい君は、違うの? 舞花がいても寂しいの? 怖いの?」


「え?」


 怖くなんかなかった。

 寂しくなんかなかった。

 だけどそれは、親と離れてる時間に慣れたからでも、物分かりの良い大人びた保育園児だからでもなかった。

 その理由に、僕はその時初めて気づいた。

 
 舞花がいるからなんだ。


__「あおい君」


 そう言って毎朝僕のそばに駆け寄る足音を聞く安心感。

 早くそれを感じたくて、窓の外をチラチラと見ながら舞花の姿を探してた。

 その弾む声を待っていた。

 肩に乗せられる重みを期待してた。


__「舞花」


 そう呼べば、いつでも僕に向けられる笑顔があった。

 だから僕は、寂しさを感じなかったんだ。

 涙なんて、必要なかったんだ。


「舞花ちゃん、お父さん来たよ」

「はーい」


 元気に返事をしながら、舞花は鞄を背負う。

 僕の手から、温もりがするりと抜けていく。


「あおい君、また明日ね」


 そう、また明日、舞花に会える。

 それだけで、その笑顔を見るだけで、僕はその背中に手を振ることができたんだ。

 手を振るその手には、まだ温もりが残っていた。

 いつまでも、いつまでも。

 その温もりが消えないように、僕はぎゅっと手を握り締めていた。





 きっと僕は、この頃にはすでに舞花のことが好きだったんだ。

 舞花に抱くこの気持ちが、「恋」だとか「好き」だとかいうことに気づくのはもっと先のことだけど。






 午前5時50分。

 僕は昨日舞花に言った時間より少し早めに到着した。

 だけど、舞花はもうそこにいた。

 ベンチに座って目を閉じて、もうすでに起きだしている太陽の光を浴びていた。
 
 僕が来たことに気づくと、顔をパッと明るくして立ち上がった。


「おはよう」


 静かな空気の中に、その小さな声はよく響いた。

 今日の舞花は半袖の白いTシャツに、丈が短めのベージュのオーバーオールを着ていた。

 足元はピンクのラインの入ったスニーカーを履いている。

 髪は上の方でポニーテールをしている。

 まぶしすぎるその姿に、僕は荷物を置くふりをして「おはよ」と不愛想に返しながら視線を誤魔化した。


「まだ6時前だよ」

「柏原君だって、6時前に来てるじゃん」


 正直眠れなかったし、いつもより早く目が覚めた。

 だから早く来たわけじゃない。

 舞花に、早く会いたかったんだ。
 



 舞花はベンチに座って僕が練習にとりかかる準備をじっくりと見ていた。

 それがなんだか、気恥ずかしかった。

 いつものドリブル練習やシュートの練習に気合が入る。

 かっこいいところを見せたくなる。

 何がかっこいいのか、よくわからないけど。
 
 何も言わず、ベンチに座ってこちらを見つめる舞花の視線が気になった。

 顔には柔らかな笑みをたたえているのに、どこか寂しそうだった。
 
 そんな表情を、僕は前にも見たことがある。

 



 それは小学校一年生の時だ。

 僕はバスケットボールチームに入った。

 理由は単純だった。

 学校の昼休みに体育館でバスケをしていた六年生を見て、舞花が言ったからだ。



__「かっこいい……」


 
 ……なんて。


 バスケをしている六年生は、背も高くて動きも機敏で、何より楽しそうだった。

 その笑顔がまぶしかった。

 それだけだ。

 僕も見てほしかった、舞花に。
 
 「かっこいい」って、言われたかった。

 それに、純粋に面白そうだと思ったからだ。

 僕がバスケットボールチームに入ったことを伝えると、舞花も入りたいと言っていた。

 結局両親に反対されて、舞花は入れなかったんだけど。


__「ダメだって」


 そう言った時の、舞花の表情と同じだった。

 諦めが滲む笑顔と、寂しい目。



 僕はゴールネットを潜り抜けてそのまま転がっていったボールを拾い上げると、舞花に声をかけた。


「桜井さんも、やる?」

「え?」

「暇でしょ」

「そんなことないよ」


 そう言う舞花の足元に、僕はころころとボールを転がした。


「ほら、パスして」


 舞花は恥ずかしそうにボールを手にして、僕の開いた掌に向けてボールを投げた。


「お、上手いじゃん」

「パスしただけだよ」

「シュートしてみる?」


 そう言って僕はもう一度舞花にボールを投げ返す。

 舞花はボールを受け取ると、ゴールと向かい合った。

 そして、腕に力を込めて投げた。

 にもかかわらず、舞花のボールはゴールネットにも届かず、途中で失速して落ちていく。


「全然届いてない。バスケットボールってこんなに重かったっけ?」


 不服そうなその姿がかわいらしかった。

 舞花のふくれっ面を、久しぶりに見た。


「もっと前行ってもいいよ」


 何度か距離を調整したけど、リングやバックボードにぶつかることはあっても、ボールがネットを通過することはなかった。


「なんで入んないの?」

「まずさあ……」


 僕はそう言いながら、シュートの時のフォームについて説明した。

 腕の使い方、力加減、指先、どこを狙うか。

 それでも舞花のシュートは外れた。


「なんか違うんだよね。腕が……」


 そう言いながら、僕は舞花の後ろに回った。

 昔はそれほど身長差なんてなかったけど、いつの間にか僕たちの身長差は10センチほどになっていた。

 近づけば近づくほど、舞花の頭頂部がはっきりと見えた。

 舞花の細くて白い腕にためらいながらもそっと触れると、柔らかくて滑らかな感触が指先に伝わってくる。

 ポニーテールの毛先が、僕の胸の辺りでさらさらと揺れる。

 そこから上昇してくる、舞花の匂い。

 体同士が今にも触れ合いそうになると、舞花の背中越しに僕の胸の鼓動が伝わってしまいそうで、それが余計心臓をどくどくと動かせた。

 それを誤魔化そうと少し距離を置こうと意識するんだけど、体の方は正直で、磁石で引き寄せられるように、僕の体は舞花から離れるどころか接近していった。

 自分でも、どうにもできないでいた。


__もっと近づきたい。

__後ろから、抱きしめてしまいたい。


「手の位置はここで……」


 腕の方から滑らかな皮膚を伝ってすーっと指先の方に移動すると、僕の手がボールを構える舞花の手をそっと包み込む。

 舞花の小さな手、細い指。
 
 保育園の頃は、よくこの手を握って散歩をしていた。

 あの頃は、何も考えずに触れられていたはずなのに。
 
 昔とは何もかもが違う舞花の感触に、離れていた時間の長さを思い知る。
 
 そして自分との違いにも。
 

 僕は男になっていき、舞花は、女になっていく。

 
 迫りくる胸の苦しさに眉間にしわを寄せたときだった。

 ぐーっという鈍い音が足元の方から聞こえてきた。


「あ、ごめん」


 何も言っていないのに、舞花は気まずそうに僕に謝った。


「朝ご飯、食べてきてなくて」


 ちらりと僕に視線を向ける彼女がおかしくてたまらなかった。

 なんだか、舞花らしかった。

 僕は笑いをこらえて、すたすたと鞄の置いてあるベンチに向かった。


「食べる?」


 僕が鞄から取り出したのは、ラップにくるんだおにぎりだ。


「え? いいの?」

「うん。部活始まる前に食べるつもりだったし、2個あるから。

 梅干しと鮭だけど、どっちがいい?」


「じゃあ、鮭」


 僕が鮭の方を指しだすと、舞花は申し訳なさそうに受け取った。

 そしてベンチに座って、二人で食べた。


「うーん、おいしい。おにぎりってこんなおいしかったっけ?

 柏原君のお母さん、おにぎり上手だね」


「それ、俺が握ったんだよ」

「えっ、すごい。おにぎり握れるの?」

「誰だってできるでしょ」

「そ、そうかなあ……。でも、すごくおいしい」

「動いた後だから、余計おいしく感じるんだよ。

 人も動き出してない静かな時間だから、空気も澄んでるし、特別感の中で食べてる感じっていうか。

 だから、朝ここで練習しておにぎり食べる時間が、俺はすごい好きなんだよね」


 ほめられた気恥しさを紛らわせようと、ついついしゃべりすぎてしまった。

 そんな僕を、舞花は静かな微笑みで見つめる。

 だけどそれからは特に会話もなく、僕たちは黙々とおにぎりを食べた。

 大きめに作っているけど、いつもはめちゃめちゃお腹が空いているからすぐに食べ終わる。

 だけど今日は、思うように進まなかった。
 
 二人の間の沈黙の中に、僕は次の話題を探した。
 
 話したいことや聞きたいことは山ほどあった。
 

 どうしてここにいるの?
 
 転校先はどう?
 
 友達はできた?
 
 好きな人はいるの? 
 
 付き合ってる人は……
 

 おにぎりをちびちびと口に運びながら、僕はそわそわとした胸を抑えようとしていた。

 聞きたいことはたくさんあるのに、それを口にできないのを、おにぎりのせいにした。
 
 そんな微妙な空気の中に、舞花の声がそうっと入り込んできた。


「昔さあ、ここで柏原君にバスケ教えてもらったよね。一週間だけ」


 舞花が懐かしそうに話す声は、緊張で固まった声ではなく、僕の知っている素の舞花の声だった。

 その声がようやく聞けて、僕の緊張も少しほぐれるように、「ああ……」と声が漏れた。


「舞花の習い事ボイコット事件?」

 僕が悪戯っぽく言うと、舞花も「そうそう」とおかしそうに同調した。





 舞花が両親に反対されて、バスケットボールチームに入れなかったときのことだった。

 その日舞花は僕に、「一緒に帰ってくれない?」と頼んできた。

 だけど僕たちの帰り道は反対方向だった。

 通学路だって違う。

 一緒に帰っていたら、他の同級生が怪しむ。

 それに、


「舞花、今日ピアノの日じゃなかった?」


 舞花はいつも習い事を抱えていて、たいていお母さんかおばあちゃんが迎えに来てそのまま習い事に行くことが多かった。

 そして僕の頭には舞花の習い事のスケジュールが完璧に入っていた。

 保育園の頃から毎日のように「今日は○○の日」なんて聞かされているから、自然と覚えた。

 小学校に入学してから増えた習い事もある。

 僕の問いかけに、舞花はあからさまに苦々しい顔をして答えた。


「今日は、休みなの」

「そう、なんだ……」

「ねえ、一緒に帰ろうよ」

 そりゃあ僕だって一緒に帰りたいのはやまやまだった。

 だけど、

 
「通学路違うだろ。先生にバレたら怒られるよ」

「もう……、あおい君は変に真面目なんだから」


 そりゃそうだ。

 僕は保育園の頃から聞き分けの良い子どもをやってきた。

 今さら規則を破るとかそう言うことはできなかったし、第一、先生に怒られたくない。

 だけど、舞花の決定的な一言で、僕の気持ちが揺れ動いた。


「うちの近くに、バスケットコートがあるんだよね」


 僕はその言葉に反応して、ひょいひょいと舞花と帰ることにした。

 校門を出るとき、舞花はこそこそと不審な動きをしていた。

「何してんの?」と僕が聞いても何も言わない。

 そんな舞花の視線の先を追うと、見慣れた車が止まっているのが見えた。

 明らかにその車から隠れようとする舞花に、しょうがなく僕も付き合って学校を後にした。
 
 罪悪感と、歩いたことのない道を歩く緊張感とで心臓はずっとバクバクしていた。

 そんな僕をよそに、舞花はいつもの笑顔で、何も変わらず僕に話しかけていた。
 
 一言も耳には入ってこなかったけど。
 
 僕は結局、舞花が住むマンションの扉の前までついてきた。

 念のためと持ち歩いている鍵をランドセルから引っ張り出して玄関を開けると、舞花はランドセルだけおろしてすぐに出てきた。

 その手には、ドッジボールで使うぐらいの小さなボールを持っていた。


「行こ」


 そう言っていそいそとマンションを後にする舞花に、僕もついて行った。

 連れて行かれたのは、バスケットコートだった。


「おお……」


 と僕は思わず感嘆の声を漏らした。

 そんな僕に、舞花は何も言わずにボールを渡した。

 ボールを受け取った僕は、シュートの練習をしたり、習いたてのドリブルなんかをしてみる。

 バスケットボールじゃないから全然弾まないし、重さも全然違った。

 それでも僕は夢中になって、そのボールをバスケットゴールに向けて投げた。

 それを舞花は、ベンチに座って頬杖をつきながら寂しそうに見ていた。

 そんな舞花を放っておけるはずがなかった。


「なあ、なんでこんなことするんだよ」

「何が?」

「ばあちゃん、迎えに来てただろ?」


 舞花は僕から視線をそらしたまま何も答えない。

 だから僕は、核心を突いた。


「ピアノ、ずる休みだろ」

「だって、バスケやらせてくれないんだもん。

 他の習い事なんて、やりたくない」


 舞花はそう言うと、ぷいと僕から顔をそむけた。

 そんな舞花の態度に、僕はため息と一緒に肩を落とした。

 よっぽどやりたかったんだ。

 だってこんな舞花を、今まで見たことなかったから。
 
 確かに舞花は、帰りの時間になるといつもつまらなそうな顔をする。

 「行きたくないなあ」なんて言いながら。

 だけど、そう言いながらもいつもちゃんと行っている。

 本当に行かなかったのは、今回が初めてだ。


「舞花」


 僕の呼びかけにちらりとこちらに視線をよこしたのを合図に、僕はボールを舞花にそっと投げた。

 それを舞花は上手に両手で受け取った。


「そんな顔するなよ。バスケなら、僕が教えてあげるから」





 それから僕は、毎日学校に自分のバスケットボールを持っていくようになった。

 習い事をずる休みしていることは、両親にすぐばれたらしい。

 だけど舞花は、それからも習い事に行かず、僕と遅くまでバスケットコートで遊んだ。
 
 僕はあの日以来何も言わなかった。

 楽しかったからだ、舞花とバスケをするのが。

 二人でこのコートを駆けまわるのが。

 そこにはいつだって笑い声が響いていた。

 あの時は、体が触れ合っても、そんなこと意識しなくていいほど夢中でボールを追いかけていた。




 舞花が習い事をずる休みするようになって一週間がたった。

 舞花は、元の日常に戻っていった。

 つまり、また習い事に追われる毎日を過ごすようになった。

 「もういいんだあ」なんて言っていたけど、その顔は満足そうだった。

 舞花が元の日常に戻っていっても、僕は毎日バスケットボールを学校に持っていき、放課後、このバスケットコートに通った。

 他にもバスケットゴールのある公園はいくらでもあったけど、ここで練習していたら、舞花に会えるんじゃないか、そしてほんの少しの時間でも、一緒にバスケができるんじゃないか、そんな期待もあったからだ。