500万円の残りを、僕たちは舞花の葬式費用として使った。


 祭壇にはたくさんの花が供えられ、その中央に舞花のかわいらしい笑顔の写真が飾られている。

 棺の中の舞花は、もうあんなふうには笑わない。

 もう、写真でしか見られない。

 祭壇の中央に用意された焼香台になる予定のパイプ机に突っ伏して、歩美が泣いている。

 僕はまた、何と声をかけていいのかわからなかった。

 舞花が目を閉じたまま動かなくなった、あの日と同じように。


__君は、よくやったよ。

  良いお母さんだったよ。
 
  いつだって頑張っていた。


 舞花の手提げかばんや上靴袋、給食袋はいつだって歩美の手作りだった。

 イベントにもいつも力を入れていた。

 凝った料理や衣装、部屋の飾りつけ。

 舞花はそのすべてを楽しんでいたし、喜んでいた。


__決して、SNSに載せるためじゃないだろう?

  すべて、舞花のためだったんだよな?


 数メートル先の小さくなった背中に、そう心の中で声をかけた。

 僕の代わりに、義両親がその背中をなでる。



__僕は、良いお父さんだったかな?



 そう問いかけるけど、誰も返事をしてくれない。

 祭壇の写真を見ても、舞花はただ、笑っているだけだ。



「おとうさん」



 そう呼ばれて、はっとなった。

 思わず勢いよく、声の方に振り返った。

 そこにいたのは、あおい君だった。


「ああ……あおい君、来てくれてありがとう」


「いえ。あの……、先日はすみませんでした。

 家まで送ってもらったのに、お礼も言えなくて」


「いいんだよ。あっ、それより……」


 僕は思い出して、ポケットから舞花の赤い定期入れを取り出した。


「これを君に渡そうと思って」


 それを見て、あおい君ははっとなった。


「これって、舞花の……」

「君に持っててほしいと思ったんだ」

「……でも……」

「誕生日プレゼントだと思って、受け取ってくれないか」

「え?」

「誕生日だろ? 今日」


 僕の言葉に、あおい君が驚いた顔を向ける。


「どうして、今日が誕生日だって……」


 あおい君の質問に、僕は舞花の定期入れの中からあの婚姻届けを出してあおい君に差し出した。

 受け取って開いたあおい君は、それを見て「ああ」と納得したように肩をなでおろした。


「すみません。勝手にこんなことして」

「いや、いいんだよ。それより、すまなかったね。

 誕生日に葬式なんて。こちらの都合というか……」
 

 日柄的に、今日しかなかった。

 ただそれだけの都合だ。
 
 あおい君は「いえ」と言って、舞花の婚姻届けを元の大きさに折りたたんだ。

 そして、自分の定期入れの中を漁り始めた。

 舞花の婚姻届けと同じサイズに折りたたまれた紙が、あおい君の青色の定期入れの中から出てきた。

 広げると、それはやはり婚姻届けだった。

 握りしめられた定期入れの中で、その婚姻届けにもしわがくっきりと刻み込まれている。


「お守り、というか……」


 あおい君の顔に、にわかに笑みがこぼれた。

 どこかの思い出を、頭の引き出しからそっと取り出したような、そんな幸せそうな笑みだった。

 その笑顔に、僕は少し安心してしまったんだ。

 あおい君は、大丈夫そうだ……なんて。


「それがあったから、舞花は宣告された余命より十日も長く生きられたんだ。

 君には感謝しているよ」


 良かれと思って言ったはずの言葉なのに、あおい君の顔に浮かんだ穏やかな笑みは、ろうそくが消されるように、ふっと消えた。


「僕も、やっと18になったんですね」


 喜ばしいことなのに、祝福されるべきなのに、あおい君はその言葉を悲し気に言った。


「どうして18なんですかね?

 大人になるって、こんなにも時間がかかるなんて知らなかった。

 こんなに待たないといけないなんて」


 あおい君は両手で持った自分の婚姻届けに、少しだけ力を込めた。

 紙の端が少しだけクシャっとなった。