貯金500万円の使い方



 あおい君と同じ高校に入るまでは、舞花は調子がいいときは毎日のようにあおい君に会いに行った。

 しかし、体調が悪化したり、通院だけでなく入院することも度々あって、そんなときは、あおい君が毎日のように舞花のもとを訪れた。

 僕たちが渡した定期を使って。 

 初めて定期を買った日以来、僕たちはその更新日が来るたびに、二人分の定期代を舞花に渡した。

 高校に入ってからは、あおい君の分の定期を買うことはなかったけど、舞花の体調が優れず入院を余儀なくされた時は、その期間に合わせて定期券や回数券を買ってあおい君に渡していた。

 引っ越しはできても、病院だけは変えられなかった。

 医療が発展している大きな病院は、都市開発が進んでいる大きな町にしかない。

 もちろんあおい君は遠慮していたけど、僕は強引に彼に渡した。

 あおい君に気を遣っていたわけじゃない。

 ただ僕は、舞花の笑顔が見たかった。

 あの笑顔を引き出せるのは、悔しいけど、あおい君だけだったから。





 定期入れは、恐らく二人で買ったものだろう。

 高校生になって、同じ区間の定期をその定期入れに入れて電車で通うほほえましい二人の姿を想像した。

 だけど、その定期入れを強く握りしめた痕跡に、電車に乗って舞花のもとに向かうあおい君の姿とその胸の内を想像して苦しくなった。

 僕だってこう見えて、人を慰めたり、その人の心に寄り添ったりできるほど、気持ちに余裕があるわけではなかった。

 だけど、僕はあおい君のそばから離れられなかった。

 誰かにそばにいてほしかったのかもしれない。

 誰かのそばにいたかったのかもしれない。
 
 それが、あおい君だったから……。


 舞花の好きになった人。

 舞花を好きになった人。


 そんなあおい君のそばに、僕はいたかったのかもしれない。

 あおい君のそばにいると、舞花を感じられるような、そんな不思議な気持ちがしたから。

 だから僕は、いつまでも、あおい君のそばにいた。




 あおい君を家まで送り届けて、僕も帰宅したのは夜9時過ぎだった。

 キッチンまで行って冷蔵庫からビールを出した。

 そのビールをもって、舞花の部屋にやってきた。

 ぱちんと明かりをつけると、そのまぶしさに目がくらむ。

 そこは、舞花の好きなものであふれている舞花の部屋だからだったかもしれない。

 舞花の好きなものたちが輝いていたからかもしれない。

 舞花の人生、そのもの。

 舞花自身。

 舞花の勉強机の椅子に腰かけて、舞花の好きなものたちを見渡した。

 舞花がいなくなっても、こうして舞花の世界を見ることができる。

 舞花はいないのに、舞花の世界だけが残る。

 あの500万円も、まだ残っている。


__どうしたものかな……


 僕は舞花の部屋でしばらくぼーっとしてから立ち上がった。

 その時ふと、椅子に掛けてあった舞花の鞄に目が留まった。

 肩掛け部分にぶら下がった赤色の定期入れ。

 それをそっと手に取った。

 定期入れなのに、薄い定期券だけとは思えない厚みを感じた。

 僕は息を一つ飲んでから、狭い隙間からその中身を確認した。

 中には写真と、何回か折りたたんだ紙が入っている。

 僕はそれをそっと取り出した。
 
 写真はあおい君の写真と、僕たち夫婦の写真だった。

 いつの間に撮られたのか、とても自然体で、僕も歩美も笑い合っている写真だ。

 あおい君の写真は、優しさと舞花への愛おしさがあふれ出るような、穏やかな写真だった。
 
 その写真を横に置いて、僕は何回か折りたたまれた紙を開いた。

 その中身に、一瞬はっとした。


 それは、婚姻届けだった。


 男の子らしいちょっと雑なあおい君の字と、見慣れたきれいな舞花の字が並ぶ。

 僕はその文字を順に追っていった。

 名前、住所、生年月日……。
 
 じっくりと見てからもう一度折りたたもうとして、ふと目をやったのは、入籍日だった。
 
 それは、4日後の日付だった。

 

__この日付は何だろう。

  どうしてこの日にしたのだろう。

  二人の記念日か何かだろうか。
 

 僕はその日付をじっと見ていた。

 別にずっと「何だろう……」と考えていたわけではない。

 ただ、この日付に見覚えがあったのだ。

 本当に、つい最近、いや、今さっきどこかで見たような……。

 そして聞いたことがある気がした。

 愛おしい、幼い声で。
 

 そこまで考えて、僕はもう一度はじめから婚姻届けを見返した。
 




 500万円の残りを、僕たちは舞花の葬式費用として使った。


 祭壇にはたくさんの花が供えられ、その中央に舞花のかわいらしい笑顔の写真が飾られている。

 棺の中の舞花は、もうあんなふうには笑わない。

 もう、写真でしか見られない。

 祭壇の中央に用意された焼香台になる予定のパイプ机に突っ伏して、歩美が泣いている。

 僕はまた、何と声をかけていいのかわからなかった。

 舞花が目を閉じたまま動かなくなった、あの日と同じように。


__君は、よくやったよ。

  良いお母さんだったよ。
 
  いつだって頑張っていた。


 舞花の手提げかばんや上靴袋、給食袋はいつだって歩美の手作りだった。

 イベントにもいつも力を入れていた。

 凝った料理や衣装、部屋の飾りつけ。

 舞花はそのすべてを楽しんでいたし、喜んでいた。


__決して、SNSに載せるためじゃないだろう?

  すべて、舞花のためだったんだよな?


 数メートル先の小さくなった背中に、そう心の中で声をかけた。

 僕の代わりに、義両親がその背中をなでる。



__僕は、良いお父さんだったかな?



 そう問いかけるけど、誰も返事をしてくれない。

 祭壇の写真を見ても、舞花はただ、笑っているだけだ。



「おとうさん」



 そう呼ばれて、はっとなった。

 思わず勢いよく、声の方に振り返った。

 そこにいたのは、あおい君だった。


「ああ……あおい君、来てくれてありがとう」


「いえ。あの……、先日はすみませんでした。

 家まで送ってもらったのに、お礼も言えなくて」


「いいんだよ。あっ、それより……」


 僕は思い出して、ポケットから舞花の赤い定期入れを取り出した。


「これを君に渡そうと思って」


 それを見て、あおい君ははっとなった。


「これって、舞花の……」

「君に持っててほしいと思ったんだ」

「……でも……」

「誕生日プレゼントだと思って、受け取ってくれないか」

「え?」

「誕生日だろ? 今日」


 僕の言葉に、あおい君が驚いた顔を向ける。


「どうして、今日が誕生日だって……」


 あおい君の質問に、僕は舞花の定期入れの中からあの婚姻届けを出してあおい君に差し出した。

 受け取って開いたあおい君は、それを見て「ああ」と納得したように肩をなでおろした。


「すみません。勝手にこんなことして」

「いや、いいんだよ。それより、すまなかったね。

 誕生日に葬式なんて。こちらの都合というか……」
 

 日柄的に、今日しかなかった。

 ただそれだけの都合だ。
 
 あおい君は「いえ」と言って、舞花の婚姻届けを元の大きさに折りたたんだ。

 そして、自分の定期入れの中を漁り始めた。

 舞花の婚姻届けと同じサイズに折りたたまれた紙が、あおい君の青色の定期入れの中から出てきた。

 広げると、それはやはり婚姻届けだった。

 握りしめられた定期入れの中で、その婚姻届けにもしわがくっきりと刻み込まれている。


「お守り、というか……」


 あおい君の顔に、にわかに笑みがこぼれた。

 どこかの思い出を、頭の引き出しからそっと取り出したような、そんな幸せそうな笑みだった。

 その笑顔に、僕は少し安心してしまったんだ。

 あおい君は、大丈夫そうだ……なんて。


「それがあったから、舞花は宣告された余命より十日も長く生きられたんだ。

 君には感謝しているよ」


 良かれと思って言ったはずの言葉なのに、あおい君の顔に浮かんだ穏やかな笑みは、ろうそくが消されるように、ふっと消えた。


「僕も、やっと18になったんですね」


 喜ばしいことなのに、祝福されるべきなのに、あおい君はその言葉を悲し気に言った。


「どうして18なんですかね?

 大人になるって、こんなにも時間がかかるなんて知らなかった。

 こんなに待たないといけないなんて」


 あおい君は両手で持った自分の婚姻届けに、少しだけ力を込めた。

 紙の端が少しだけクシャっとなった。




 僕たちは葬儀が始まるまで、会場の端の方のパイプ椅子に座っていた。

 喪主なのに、僕には何もすることがなかった。

 業者の人が、全部やってくれるのだ。

 僕の隣には、あおい君が座っている。

 僕たちは何も話さないまま、業者がせっせと働く姿を見ていた。

 しばらくして、不意にあおい君が言った。


「結婚で思い出したんですけど、「舞花」って名前は、結婚式のフラワーシャワーから来てるんですよね?」

「え?」

「舞花に名前の由来聞いたことがあって。

 両親の結婚式の思い出からお父さんがつけたんだって」


「あ、ああ……」


 それを伝えた日のことを、僕はよく覚えている。

 翌日からの経過観察のための入院準備を手慣れた感じで終えた舞花が、歩美が作ったフォトブックを見ながら僕に尋ねたんだ。

 初めて僕が、舞花の名前の由来を真剣に、丁寧に教えた日。

 そしてその日は舞花の18回目の誕生日で、僕たち三人があの部屋で暮らす最後の日になったのだから。


 舞花に伝えた名前の由来を思い出して、僕は少し恥ずかしくなった。

 そんな僕をよそに、あおい君は話し続ける。


「舞花って、良い名前ですよね」


 今はお世辞でも何でもいい。

 ただ、そう言ってもらえるのは嬉しかった。


「僕、舞花のこと、しばらく桜井さんって呼んでた時期があったんです。

 ほんとは、舞花って呼びたかったけど。

 舞花の名前の由来聞いて、もっと舞花って呼びたかったなって。

 もっと呼んであげたかったなって思ったんです」
 

 そう話すあおい君の横顔には、柔らかさの中にじんわりと後悔が浮かんでいるように見えた。


「舞花は本当に、お父さんとお母さんに愛されていたんですね」


 その言葉に、僕はこらえていた涙が鼻に向かって流れてくるのを、鼻をすすって止めた。

 それを誤魔化すように、あおい君に話を振った。


「今さらだけど、あおい君のご両親は、どんな人なの?」


 本当に今さらだけど、僕はあおい君の両親のことを知らない。

 会ったこともなかった。

 知っているのは、お父さんは単身赴任していて、お母さんは看護師だということ。

 幼い頃の舞花が、教えてくれたことだ。

 僕の質問に、あおい君は困ったような笑顔をこぼしてから答えた。


「そうですねえ……。

 うーん……自分の親のことを話すって、恥ずかしいものですね。

 何か今さらって感じで」


 あおい君は耳元をポリポリと搔きながら、少しずつ言葉を紡いだ。


「両親は、僕のやるとこにあまり口出しをしません。

 うちは、僕が小さい時から父親は単身赴任していて、母親も仕事でいつも忙しくてあまり家にもいなかったから、僕にはあまり構ってられなかっただけだと思うんですけど。

 だから家族の思い出とか特別なものはないし、家族全員が集まれるのって、お盆と年末年始ぐらいで。

 あとは、たまに父が都合がつくときに帰ってくるぐらいで。

 だから、誕生日もだいたいいつも母親と二人きりだし。

 と言っても、お祝いとか、そんな盛大にはしないんですけど」


「そうなんだ……。寂しくなかったの?」


 僕は思わず聞いてはっとした。

 そんなことを聞くのは、あおい君のご両親にも、あおい君にも悪いような気がした。

 だけどあおい君は、僕のそんな問いかけにふふっと軽く笑って答えてくれた。


「物心ついたときにはそれが普通だったんで、もしかしたら寂しさはあったのかもしれないけど、覚えてないし、今はもうないです」


 僕は保育園で見たあおい君の姿を思い出していた。

 幼い彼は、あの時どう思っていたのだろう、と。


「ただ、一緒に過ごす時間は大切にしてくれました。

 その時間を大切にすることも教えられました。

 大切な人や好きな人と同じ時間を過ごせることが、当たり前なことじゃないってことも。

 それは舞花に再会してから身をもって感じました。

 だから、これまで何とも思わなかった家族との時間も大切にしようと思えたんです。

 最近は、そういう時間を大切にしようとしている両親の想いが、僕への愛情だったんだなって、何となくですけどわかってきたというか。

 家族で特別なことはしなかったけど、一緒にいられるその時間こそ、実は特別だったんですよね。

 家族みんなでいられる時間が。

 だから僕も、大切な人と過ごす時間は大切にしようって思えたんです」


 照れ笑いを浮かべながら、あおい君は話し続ける。

 その笑顔からにじみ出る、彼の家族愛。

 人を思う優しさ。
  
 誠実さ。

 温かさ。



 ゆっくりとあおい君の方に目をやると、あおい君の目と合った。

 そこにはあの時と変わらない、澄んだビー玉のような瞳があった。


「舞花との時間を、ありがとうございました」

 
 あおい君の言葉に、思わず目を見張った。
 


__この子は、良い子だ。



 舞花の初恋相手があおい君でよかった。

 舞花を好きになってくれた男の子があおい君でよかった。

 そしてこんな子を産み育ててくれたあおい君の両親に、僕は感謝と尊敬の念しかなかった。

 その思いを込めて言ったつもりだった。


「良いご両親だね」


 心の底から湧いて出た思いを、僕はあおい君に伝えた。

 だけどあおい君はそんな僕の言葉を優しく笑い飛ばす。


「いえ、別に。

 どこにでもいる、普通の親ですよ」



 ……なんて。



__「普通の親」……か。





 僕たちだって、舞花を愛していた。

 舞花のことを第一に考えていた。

 舞花のためなら何でもした。

 人並みに、いやそれ以上に、僕たちは子どもに愛情を注いできた。



 だけど、ちゃんと愛せていただろうか。



 僕たちはちゃんとできていたかな、「普通の親」を。







 舞花のために貯めた貯金を使おうと言い出したのは、僕だった。

 それは、「18歳」という、舞花の命の期限を知らされた日の夜のことだった。

 舞花のために貯めた500万円。

 舞花の将来のために貯めたお金。

 それなのに、舞花に残された時間はわずかだった。

 将来を夢見るほど、残っていなかった。

 そんなお金を残したってしょうがないと思った。

 だから僕は、使い切ってしまいたいと思った。

 だって舞花がいないのに、こんな大金だけ残っても、ただ虚しいだけじゃないか。 
 
 使ってほしい人はもういなくなるというのに、そのお金を、どこに回せばいいというんだ。

 自分たちの老後? 

 舞花のいない老後なんて、楽しいのだろか?

 生きている意味はあるのだろうか?

 何に生きがいを感じたらいいのだろうか?

 それならいっそ、500万円なんてなかったことにしてしまった方が良い。


 そう淡々と説明した僕に対して、「何言ってるの?」と歩美の冷たい声がぽつりと放たれた。


「舞花は、これからも生きるのよ」


 震える小さな歩美の声が、少しずつ大きくなっていく。


「舞花は生きるんだから。そのために貯めたお金なんだから。

 あれは舞花の将来のために貯めたお金よ。

 舞花が元気になったら使うんだから。

 舞花はこれからも生きて、中学も高校も大学も卒業して、仕事もして結婚もして、子どもも生んで。

 その時のために、何不自由しないように貯めてきたお金でしょ?

 それにこれから病院にかかる費用だってあるのよ。治療法だって……」


 そこで歩美の言葉が詰まった。


 舞花の病気は進行性のもので、治療法は見つかっていないというのが医者からの説明だった。

 その言葉を振り払うように、歩美は強く言葉をつづけた。


「治療法だって……これから見つかるかもしれない。

 そしたら大きな手術になるかもしれないし、もしかしたら海外に渡らなきゃいけないかもしれない。

 それまでに、舞花の体調を安定させたり、様子を見たり。

 それだけでも通院費や入院費がかかるのよ。

 私はこんなに考えてるのに、あなたはもう諦めてるの?

 舞花の病気が治って、これからも生きてほしいと思わないの?

 どうして何もしてないのに諦められるの?

 これからも、お金はいくらだって必要になるのよ。

 だって舞花は生きるんだから」
 

 すごい剣幕でまくしたてるように話す歩美を、僕は止めようとも思わなかった。

 ただその言葉と声を、今にも倒れそうな体で受け止めていた。


 僕だって諦めたくなかった。

 舞花を失いたくなかった。

 子どものために、できることをすべてやってやりたいと思うのが親だろう。

 だけど僕は、そこまで強くなかった。

 舞花の余命を告げられた僕は、完全に打ちのめされていた。

 だから、頭でわかっていても、心がついていかなかった。
 
 だから僕は思ってしまったんだ。



__もしそんな日が、来なかったら……?



 目を腫らすまで泣きながらも、今後のことを考えられる歩美の強さを、僕は持っていなかった。

 だから僕は、歩美に言葉で押されたまま、それ以上何も言おうとは思わなかった。

「そうだよな」、なんて心の中で自分の弱さを笑いながら。

 親なら、歩美のように思って当然なのに。

 絶望の中に希望を探してやるのが、親なのに。

 だから、もう何も言わなかった。

 ただただ、いつもと何も変わらない生活をしようと努めた。

 だって舞花は、今までと何も変わらなかったから。

 はた目から見たら、健康そのものの小学六年生だったから。

 そんな舞花の体の中で起こっている目には見えない変化。

 それを思うと、怖くてたまらないから、僕は日常生活に専念し、仕事に没頭した。

 今まで以上に。
 
 だけどそれからほんの数日のうちに、歩美は僕の意見に賛成してきた。
 
 その時の歩美の顔は、僕の知っている才色兼備、良妻賢母なんて言われた女性の顔ではなかった。
 
 美しく整った歩美の顔はやつれ、目は腫れあがっていた。

 髪の艶もすっかりなくなり、自慢の黒髪にはところどころ白髪が混じっていた。

 青白い顔で、生気はどこにも感じられなかった。   



「使っちゃおうか。あのお金」



 虫の音を聞くような声は掠れていて、そこからは、希望なんて感じられなかった。

 だけど、諦めもなかった。
 
 ただ、「無」だった。
 




 定期預金の解約や学資保険の解約など、手続きは書面上で淡々と進められていった。

 解約する理由なんて、当然だけど聞かれない。
 
 そして集まったお金が、500万円だった。
 

 どうせなら、ぱーっと使い切ってしまいたかった。

 ただ、思い出作りとか、舞花が生きた証が残るようなことはしたくなかった。

 ただ散財することだってできたんだけど、僕はふと思った。



__舞花はこの500万円を、どんなことに使うんだろう。


  舞花はこの500万円で、どんな人生を送るんだろう。


  もともとそのためのお金だ。
  
  舞花の好きに使ってほしい。

  舞花が思うままの人生を送ってほしい。

  残り少ない人生を、舞花の好きなように過ごさせてやりたい。
 


 そう思って、僕は舞花の前に札束を指しだした。
 
 また僕の思い付きで、独断だったけど、歩美は何も言わなかった。



「舞花の好きに使っていいよ」



 僕のその言葉に、歩美の青白い唇がそっと引き上げられたのがかすかに見えた。




 それから僕たちは、舞花の願いを聞いて、舞花の欲しいものを買って、舞花のしたいことをした。

 それでも、500万円という大金のほとんどが、僕たちの手元に残った。

 舞花の願いを聞き入れるのに、大金はそれほど必要ではなかったからだ。

 ほんとはもっと、叶えたい夢はあっただろうに。

 部活もやりたかっただろう。
 
 友達ともっと遠くに遊びに行きたかっただろう。

 京都と奈良にも、修学旅行としてクラスのみんなと行きたかっただろう。

 通院なんかせず、毎日あおい君のところに行きたかっただろう。

 バスケだって、やらせてやればよかった。

 もっとわがままを言っても良かったのに。

 もっと愚痴っても良かったのに。

 もっと泣いても良かったのに。

 もっと怒っても良かったのに。

 舞花はいつも笑って、小さな願いを僕たちに教えてくれた。

 僕たちはただそれを、叶えてやることしかできなかった。

 500万円の中から少しずつ金を出してやることしかできなかった。


 でも、それが正しかったのだろうか。