貯金500万円の使い方



 時にはうちに友達が来ることもあった。

 一度見ただけで、「舞花の友達」というのがよく伝わる子ばかりだった。

 舞花と服装や髪型だけでなく、雰囲気もどことなく似ている。

 気の合う友達ということが、はっきりとわかる。

 ファッション誌の影響か、それとも友達の影響か、服装もまた少しずつ変化していった。

 子どもっぽいキャラクターの付いた服は着なくなった。

 少し大人びて、大人のこちらもどきっとしてしまうようなデザインや素材の服を選んで着るようになった。

 休日限定でアクセサリーをつけたりマニキュアを塗ったりもする。

 少しだけリップをつけたりして本格的にオシャレを楽しんでいた。

 使っている化粧品は歩美が使うような本格的なものではないにしろ、おもちゃのようなアクセサリーや、すぐにはがせるマニキュアとは比べ物にならないくらい、デザインも機能も本物に近かった。

 化粧の仕方なんかも、動画や雑誌で熱心に研究していた。

 いつもふたつ結びにしていた髪も、自分で髪形を工夫していた。

 難しい髪形なら歩美に手伝ってもらっていた。

 舞花の髪に触れる歩美の手も表情も柔らかく、楽しそうだった。

 背中まで伸びた髪はさらさらで艶があって、それを大切そうに櫛でといた。

 家族全員同じシャンプーを使っていたのに、いつの間にか舞花のお気に入りのシャンプーが風呂場に増えていた。

 そして少し前までは風呂上がりでも髪を濡らしっぱなしでテレビを優先していたのが、何分もかけてドライヤーでふんわりと仕上げるようになった。

 そして良い匂いをさせながら、テレビを見る僕のそばを通りすぎていく。

 その姿はまるで自分の子どもではないような気がしてくる。

 テレビの中から出てきた、手の届かない可憐な女の子のように思えた。



 今日もうちには舞花の友達が来ている。

 目を閉じて、耳を澄まして、友達の声に溶け込む舞花の声を探す。

 舞花は、どんなことで笑っているんだろう。

 今何をして笑っているんだろう。

 何を見ているんだろう。

 どんな音を聞いているんだろう。


 二階にいる舞花の姿を想像していると、自然と笑みがこぼれた。


 舞花は今、幸せそうだ。

 以前よりもずっと。


 僕たちが舞花の幸せのためにと思って選んで与えてきたものをすべて手放した今の方が、明らかに楽しそうで、幸せそうだった。

 僕たちから押し付けられた幸せを背負いながら歩く舞花はどこにもいない。

 手放したその手に、自ら選んだ新しいものを手にしたのだから。


 大好きなもの、気の合う友達との時間、やりたいことができる自由。


 そんな舞花の姿に頬を緩ませながらも、僕にはなぜか、虚無感しかなかった。



__僕たちが舞花のために与えてきたものは、何だったんだろう。



 舞花の幸せを肌で感じるたびに、そう思わずにはいられなかったからだ。

 僕たちは彼女に必要だと思うあらゆるものを与えているつもりだった。

 自分たちが良しとするものが舞花にとっても良いものだと思って。

 それが舞花の幸せと思い込んで。

 それが正しいと思っていた。

 だから、僕たちにしか舞花を幸せにできないと思っていた。


 それなのに……


 僕たちが与えてきたものでは、舞花は幸せにはなれなかったのだろうか。

 僕たちには、舞花を幸せにすることはできないのだろうか。

 だったら僕たち親は、何のためにいるんだろう。

 もしかしたら、僕たち親が子どもに教えられることは実はほんのわずかで、教えられる期間は、驚くほど短いのかもしれない。

 いや、もともとそんなものも、なかったのかもしれない。

 僕たちが何かを用意することも、何かを教えることも、先回りをすることも、それはただの親としての自己満足で、親になった気になっていただけなのかもしれない。

 そうしないと、親でいられないと思ったのかもしれない。

 そんなことしなくても、舞花ははじめから大丈夫だったんだ。

 きっと。


 この500万円も、良い親でいたい僕たちの自己満足を貯めこんだもの。



 こんなことなら、もっと早く使ってしまえばよかった。

 貯金なんてしなきゃよかった。

 はじめから舞花の好きなことに使ってやればよかった。




 舞花の交友関係で僕たちがお金を使ったことと言えば、スマホ代と、友達と遊びに行くためのお小遣い、友達への誕生日やクリスマスのプレゼント、それぐらいだった。

 あとは主におしゃれ代だ。
 
 スマホに関して言えば、今では無料通話アプリなんてものが開発されているおかげで、電話代はほとんどかからず、月々の基本料金や通信料だけで済んでいる。

 スマホ本体も、子ども用のものなので、思ったほど値は張らなかった。
 
 アクセサリーや化粧品は、お子様セットでもらえるようなものではなくなった分金額も上がった。

 洋服も生地が減るほどなぜか高額になる。

 女の子とは、男とは違う部分でお金がかかるんだということを改めて実感した。

 中学生の女の子でも、おしゃれをしっかり意識していれば、大人顔負けの金額がかかるらしい。


 それでも舞花のお金の使い方はかわいいものだった。

 おやつとして買うお菓子は、スーパーのお菓子売り場の駄菓子コーナーに売っているような小さなお菓子を数個だし、500万円のことは伝えてあったとしても、高飛車ぶって友達と豪遊するなんてことはなかった。

 買い物に行くたび何着も服を買ったり化粧品やアクセサリーを買い込むこともなかった。


 常識的で、良心的だった。


 遠慮しているんだろうか。


 もっと、贅沢をしてもいいのに。


 もっとわがままを言ってもいいのに。


 我慢なんて、しなくてもいいのに。


 だってこの500万円は、残しておいたって仕方ないのだから。







「おじいちゃんとおばあちゃんに会いたい」



 中学生になって初めての夏休み、「夏休みは何がしたい?」という僕たちの質問に対しての舞花の答えだった。

 舞花にとっての「おじいちゃんとおばあちゃん」とは、歩美の両親のことだ。

 僕の両親のことは「じぃじとばぁば」と呼んで区別していたからすぐにわかる。

 歩美の両親は、僕たちが住む町から電車で三駅ほど離れた場所に住んでいる。

 そしてそこは、僕たちが三年前まで住んでいた町でもあった。




 舞花が小学校四年生の時に、僕たちは今住んでいるところに引っ越しをした。

 土地開発が進んでいて、新しい家や店も多く、程よい都会感に魅かれた。

 図書館や公園などの施設も充実していたし、駅前には有名進学塾もあって、舞花にとっては知的な刺激が多いと思った。

 電車の主要駅でもあることから交通の便も良く、駅前はかなり発展していた。

 もちろん以前住んでいたところにも公園や図書館はあって、緑や自然も多く、子供を育てるには十分な環境だった。

 電車やバスも走っていた。

 だけど、僕たちには物足りなかった。

 舞花を育てるには、もっといろんな刺激の中で育てたいと思った。

 そしてもう一つ、僕たちにはその町を離れたい理由があった。




 そこには歩美の実家があった。

 僕たちは共働きだったので、保育園の送り迎えをお願いしたり、その後の舞花の世話もしてもらっていた。

 時には習い事の送迎や付き添いをお願いしたりもした。

 そもそもそこに住み始めたのだって、子どもができたときに義両親の援助が受けやすく都合がいいというのがあったからだ。


 義両親はおっとりとして穏やかな人たちだった。

 僕にもいつも良くしてくれたし、気さくで話しやすかった。

 だから覚悟はしていたけど、舞花を甘やかす傾向があった。

 歩美が与えないようにしていたおやつをこっそりあげたり、テレビを見せっぱなしにしたり、夕方ごろから昼寝をさせたり。

 ありがたいとは思いつつ、その行為は歩美にとってス次第にストレスになっていった。


 こんなことが続けば、舞花はダメになる。

 甘やかされて、何もできない子になってしまう。

 わがままな子になる。


 穏やかな両親とは反対に、歩美は子育てに対して厳しかった。

 この義両親の血を受け継いでいるとは思えないほど、考え方も教育方針も全く違っていた。

 歩美の不安や心配が日に日に増して、我慢が頂点に達したのは、お義母さんが何気なく言った一言だった。


「舞花がかわいそうだよ」


 小さな声でぽつりとこぼれた一言を、歩美は聞き逃さなかった。


 舞花にかわいそうな思いをさせたことなんてない。

 むしろ、いつだって舞花のことを考えている。

 舞花のためを思って生きている。

 仕事だって習い事だって、全部舞花のため。

 舞花を何不自由なく育てるために、安心した将来を見つめられるように、自分たちが今頑張らないといけないんだ。

 僕は歩美のそんな熱意を感じ取っていたし、僕も同じ気持ちだった。

 義両親には感謝しているけど、そんなことを言われる筋合いはないと思った。


 賃貸マンションに住んでいた僕たちは、いずれ一軒家を構えるつもりだった。

 目星をつけていた場所で建売物件が見つかって、僕たちは迷いなく引っ越しを決めた。

 舞花は小学四年生になる年だったから、もう留守番だって一人でできるだろうし、習い事も駅前方面の教室に変えれば一人でも行けるだろうし、もう実家の手助けは必要ないと僕たちは判断した。


__自分たちの育児を貫く。


 そんな勇ましいことを言って、義両親からの援助を絶った。


 ここに引っ越してきてから、義両親に会うことはめっきり少なくなった。

 正月と舞花の誕生日には顔を出した。

 その時には義両親も舞花が喜びそうなプレゼントを買って用意してくれていた。

 だけど歩美は、それを快く思っていなかった。

 それを察した義両親は、あらかじめ舞花に欲しいものを聞くようになった。

 それでも歩美は気に入らなかった。


__「勉強の妨げになるから」


__「こういうので遊ぶ歳じゃないでしょ?」



 歩美は両親が舞花のためにしてやること、舞花のために与えるもの、全てが気に入らなかったのだ。

 いつしか「好きなものを買うように」と現金を包んで渡されるようになった。

 だけど僕たちがその現金を使うことはなかった。

 すべて貯金に回したからだ。

 お年玉も、誕生日も。

 そしてそれは今、500万円の一部となっている。




 そんなこともあって、祖父母の家に遊びに行きたいという舞花のお願いに歩美が賛成するとは思えなかった。

 舞花が言った直後はやはり怪訝な顔をしたのを僕は見逃さなかった。

 だけど舞花の次の一言で、歩美はさっと表情を変えて同意した。



「会えるうちに、会っておきたいから」






 歩美からの許可が下りると、舞花は一週間泊りがけで行きたいと言いだした。

 それも歩美は許可した。

 義両親の家に泊まるなんて、何年ぶりだろう。

 近くに住んでいたこともあって、泊りがけで行ったことなんてほとんどない。 

 舞花に関しえ言えば、舞花が義両親の家に一人で泊まるのは初めてだった。

 いつも車で行っているにもかかわらず、舞花は電車で行くと言い出した。


「一人旅みたいでしょ?」


 舞花は一週間分の大荷物を持って電車に乗り込んだ。

 僕たちは舞花が乗った電車が見えなくなるまで見送った。


 駅にして、たった三駅。

 電車で十五分の場所。


 それなのに、ものすごく遠くへ行ってしまうような気がした。

 目元がじんわりと熱い液体で満たされていくのが分かった。
 



 一週間はあっという間だった。

 初日と二日目だけはものすごく長く感じて心配も尽きなかった。

 常に胸がそわそわしていて、一日に何回も電話をした。

 三日目あたりからようやく気持ちも落ち着いてきて、電話も夜の一回だけになった。   

 猛烈な台風が直撃した日はさすがに心配したけれど、一週間がたつ頃には、舞花のいない生活に慣れていた。

 帰りも電車で帰りたいと舞花は言い張ったけど、お世話になったんだから、ちゃんとお礼のあいさつをしに顔を出すべきだと僕は歩美に提案した。

 それに、僕も久しぶりに義両親に会わなくてはいけないような気がしていた。



__「会えるうちに、会っておきたい」



 舞花のその言葉が頭の隅に引っかかっていたからだ。


 案の定、歩美は実家に帰ることにあまりいい気はしなかったみたいだけど、舞花を迎えに行く体で渋々同意した。

 久しぶりに会うし、あまり顔を出していないという後ろめたさで道中は緊張したけど、到着すると、義両親は僕たちのことを快く迎え入れてくれた。

 昔と何も変わらず。

 ただ、昔よりもぐっと年老いて見えた。

 最後に会ったのは今年の正月。

 まだ8か月しかたっていないのに、義両親は一気に年を取ったように感じた。

 お義母さんの白髪が増えたからだろうか。

 お義父さんの髪が少し薄くなったからだろうか。

 8か月で、そんなに変わってしまうものだろうか。

 その姿に目頭が熱くなった。

 歩美も同じ気持ちなのか、目や鼻の先が赤い。

 時がたつのは、どうしてこうも早いんだろう。

 子どもは大きくなる。

 親たちは、老いていく。


 僕たちは舞花の様子を聞きながら、そのついでのように、最近の義両親の様子も聞いた。

 他愛ない世間話は、近所の人の噂話とか、歩美の友達の両親に偶然久しぶりに会ったとか。

 どこぞの孫が生まれて、どこかの誰かが亡くなったとか。