貯金500万円の使い方




 ゴーン、ゴーンと雲ひとつない青空に鳴り響く鐘の音。

 爽やかな風がひと吹きすると、無数の花びらが舞い上がる。

 その中に、ぽっ、ぽっと、色とりどりの花が姿を現す。

 僕はその花吹雪を目で追いかけた。

 花びら一枚一枚、花のひとつひとつに視線を送る。

 頭にふわりと落ちる柔らかな感触。

 目の前に落ちてきた花びらをそっと手に乗せると、何とも儚げだった。

 はらはらと舞う花びらたち。

 風と戯れる花びらたちは、まるで僕たちの手を優しく引いてくれているようだった。




 僕はあの日見た光景を、絶対に忘れない。





 僕と歩美は大学で知り合った。

 才色兼備で何でもそつなくこなせる歩美は、キャンパス内のマドンナだった。

 明るくて面倒見がいいから、歩美の周りには人が集まったし、友達もたくさんいた。

 僕の方もそれなりに頭も良かったし、がたいはよくないけど背は高い方だった。
 
 顔だって悪くない。

 実際、よくモテた方だと思っている。
 
 人付き合いもいい方だから、それなりに仲間にも恵まれていた。

 そんな僕たちがひかれあうのは時間の問題だった。

 話も合う、趣味も合う、性格も合う。

 だから僕たちは、大学一年生の夏休みには付き合い始めていた。

 大学を卒業すると、僕は銀行に、歩美は大手家具メーカーに就職した。

 そして就職して三年たった頃、仕事にも慣れて社会人としての生活が軌道に乗ってきた僕たちは、結婚した。

 100人を超えるゲストを呼んで、華やかで盛大な結婚式を挙げた。

 僕たちの人生は、まさに順風満帆だった。
 
 面白いように計画的に、順調に、そして幸せに進んでいく。

 歩美と紡ぐ人生設計は完璧で、一点の曇りも狂いもないように思えた。
 
 結婚式を挙げてから一年は、二人だけの生活を楽しんだ。

 子どもはそれからでも遅くないと思った。

 そして結婚式から一年後、歩美の妊娠がわかった。

 それから僕たちは出産に向けて念入りに準備をした。

 胎教に良いと言われている音楽を聞かせ、英語のCDを流した。

 毎日よく話しかけたし、お腹をさすった。

 そのおかげか、お腹からの反応も良くて、それが嬉しかった。

 もちろんこれからかかるお金のことも考えた。

 保険相談の窓口に足繁く通って、いろんなパンフレットを読み込んだ。

 生命保険、医療保険、がん保険、介護保険……。

 必要と思われる保険はすべて入ったつもりだ。

 今後かかるであろう学費のことも調べて学資保険にも入った。
 



 子育てにはお金がかかる。

 今の時代、大学まで行くのが普通だ。

 少なくとも、それなりに有名大学に進んだ僕たち夫婦にとって、それは普通だった。

 国立にしろ私立にしろ、文系にしろ理系にしろ、お金がかかる。

 芸大や医大に行けばそれ以上。

 一人暮らしをしようものなら、さらに。

 留学の可能性だって。


__子育てには一体いくらお金が必要なのだろう。


 本には参考金額が明示されているけれど、これで済まないのは明白だった。
 
 僕たちは自分たちなりに計算をした。
 
 人生のありとあらゆる出来事を想定して。

 とりあえず大学までは安心して出してやりたい。

 私立、医大、芸大……どんな大学に行ってもいいように。

 将来の可能性を広げるために、習い事も必要だ。

 小さいうちから塾に通っている子もいるんだから、差がついて勉強嫌いにならないようにしないと。

 気は早すぎるかもしれないけど、結婚式は盛大にやらせてあげたい。

 仕事と両立しながら安心して子育てできるようにサポートもしてあげたい。

 それからこれはあまり考えたくないけど、万が一僕たちが早く死んでしまったとき、残された彼女のためのフォローも必要だろう。


 結果、お金はいくらあっても安心できない、という結論に達した。

 生まれてくる子どもには、好きなことを思いっきりさせたい。

 何不自由なく育てよう。

 それが、僕たち親の責任だと思った。

 その気持ちは、子どもが生まれる前からどんどん強くなっていった。





 それから数か月後、寒さは厳しくなるばかりなのに、早めのクリスマスムードのおかげでどこか温かみのあふれる12月のはじめに、娘の舞花が生まれた。

 幸せはさらに加速し、夢は膨らむばかりだった。
 
 僕たちは舞花の人生について夜通し語り合った。

 それはすごく楽しい時間だった。

 舞花には、幸せになってほしい。

 僕たちと同じような幸せを、舞花にも味わってほしい。

 好きなことをして、良い大学に行って、良い会社に就職して、良い人と結婚して……。

 収入も生活も安定した中で子どもを育てて、何不自由することなく、楽しく長く生きてほしい。

 舞花のそんな長い人生を思い描きながら、僕たちは話し合った。

 日常の中の何を見ても、何を聞いても、すべてが舞花に繋がった。

「これもやっておいた方が良いかな」「あれも準備した方が良い」「舞花のために……」「舞花が困らないために……」

 真剣に話しつつも、舞花の将来について話したり準備したりするのは楽しかった。

 習い事の体験教室に行ったり、親向けのセミナーに出てみたり。

 子どものために、親として生きるってこんなに楽しいんだと、僕は実感した。

 だけど、考えたり想像するだけじゃダメなんだ。

 それを現実にしていかないと。
 
 それに必要なのは、やっぱりお金だ。

 お金がないと何もできないし、何も始まらない。
 
 もともと共働きだった僕たちは、舞花が生まれてからも変わらず働き続けた。

 歩美は育休を一年弱で切り上げ、仕事に復帰した。

 まだ一歳にもならないうちから保育所に預けるなんて、ちょっとかわいそうかもしれないと思ったけれど、舞花のことを思えば、俄然仕事にも力が入った。

 仕事をすることに喜びを感じたし、やりがいも増した。

 僕の給料のほとんどが生活費に充てられ、歩美の給料は舞花の習い事や学校でかかる費用、つまり、舞花にかかわるすべての費用に充てられ、それでも残った金額が、さらに舞花専用の貯金通帳へと回された。

 子供手当にも一切手を付けず、親戚や舞花の祖父母からもらうお年玉やお小遣いも、「舞花に……」と言われて受け取ったお金は全て舞花のための貯金となった。

 出産前から加入した学資保険の節目にもらえる祝い金にも一切手を付けなかったから、そのまま受け取れば満期時はかなりの額になるだろう。

 それでもまだまだお金は必要に思えた。

 安心できなかった。
 
 だから僕たちは、全ての時間を舞花の将来に注ぐつもりで働いた。




 そして今、僕たちの目の前には500万円がある。

 「舞花の将来のためのお金」をかき集めたものだ。

 100万円の札束が5冊山積みにされているのを前に、僕の喉元がごくりと鳴った。

 銀行で働く僕は毎日のように札束を扱っているけど、いざ目の前に、しかも自宅のダイニングテーブルの上に置かれているのを前にすると、その光景は非現実的で、仕事で扱う時とは感覚が違った。

 他人のお金じゃない。

 これは、我が家のお金だからだ。

 いや、違う。

 これは、舞花のお金だ。

 僕たちが舞花のために貯めてきたお金。

 その500万円を、僕は舞花の前にすっと差し出した。


「舞花の好きに使っていいよ」


 そう言う僕に、舞花はきょとんとした目を向けた。

 くりくりとした瞳の中には、「?」マークが浮かんでいる。
 
 当然だろう。

 500万円なんて大金、小学六年生舞花の手には有り余る。

 「好きに使え」と言われても、そりゃあ呆然となる。

 目の前にしている僕ら大人だって、その使い道をすぐには思い浮かばない。

 ただ震えそうになる手を抑えるのが、精一杯なのだから。






「好きなものを買ってもいいの?」


 お金の使い方として、基本中の基本だ。

 小学生らしい思い付きだったと思う。

 僕たちは大きくうなずいた。
 
 ある決意をして。


__どんなものを欲しがっても、決して口を出さないこと。


 それが、僕たち夫婦が決めたルールだった。
 
 舞花の選ぶものが、僕たちにとってどんなにくだらないと思うものであっても、それが無駄遣いだと思っても。

 何を買うかは舞花に決めさせる。




 舞花がまず買ったのは、漫画だった。

 うちにある漫画と言ったら、日本史や世界史、偉人の伝記ものだった。

 舞花に読ませようと、箱でセット買いしたものが舞花の部屋の本棚やリビングの本棚にずらりと並んでいる。

 少女漫画や付録付きの月刊誌を買ったことはなかった。

 そういう本は勉強にならないし、むしろ勉強の邪魔になると思った。

 それに小学生の舞花には、まだ恋愛なんて早いと思ったし、最近の子はませてるから漫画の内容も過激だと聞いている。

 それは舞花にとって悪影響だと思っていた。


 そういう僕は昔から漫画が好きで、今でもお気に入りの週刊誌の連載を読み漁っている。

 漫画を禁止している手前、家には持ち込めないので、会社帰りに点在するコンビニを渡り歩いている。

 罪悪感はコンビニスイーツを手土産にして埋めている。

 
 舞花ははじめ、付録付きの少女漫画を一冊買った。

 ソファに座って、分厚い雑誌を食い入るように眺めていた。

 今時の付録はかわいい袋や文房具など実用的なものが多く、舞花はそれを大いに喜んでいた。
 
 そのうち月刊誌以外にも単行本も少しずつ集め始めた。

 学校で流行っているものや、図書館で人気があっていつも貸し出し中になっているものなどを購入して読んだ。
 
 
 舞花は小説もよく読んだ。

 以前よりも頻繁に。

 舞花が読む小説は、僕たちが普段から読んでほしいと思っている本、いわゆる名作とか小学生へのおすすめ本ではなく、ライトノベルや小中学生向きの恋愛小説だった。
 
 そのうちファッション雑誌も読み漁るようになった。



 
 出かけると本を一冊、それと一緒に、服や靴も買うようになった。
 
 舞花の服はいつも歩美が選んでいた。

 歩美はいつも同じ店で、安いTシャツとハーフパンツの組み合わせを買ってきて着せていた。

 靴はなんの装飾もない黒っぽいスニーカーだった。
 
 どうせすぐに汚す。

 どうせすぐにボロボロになる。

 どうせすぐに小さくなって買い換えないといけない。

 それならこれで十分。

 僕から見ても動きやすそうで、歩美の言うことももっともだと思って納得していた。

 しかも節約にもなっている。

 上下の組み合わせもすでに決まっていて、舞花は教え込まれた組み合わせを忠実に守って着ていた。

 だけど今の舞花が選ぶ服は、歩美が選ぶ服とは全然違っていた。

 透け感があったり、少し露出のある服だ。

 繊細そうな素材やビーズをあしらった短めのスカートやズボン。

 底の高いサンダルや、いろんな装飾の付いたスニーカー。

 僕たちが選んで納得する、「人の目から見て安心感があって、動きやすくて子供らしい服」ではなかった。

 機能性重視ではなく、ファッション性重視だった。


 


 毎日のように増えていく本や服で、舞花の部屋はあっという間に物であふれた。

 もともとぎっしり詰まっていた本棚には本が入りきらず、新しい本棚を買い足したぐらいだ。

 舞花の部屋には机と本棚とベッド、そして赤ん坊の時から使っている小さな洋服ダンスといった基本の家具しか置かれていない。

 大手家具メーカーでインテリアアドバイザーとして働く歩美が選んだ物ばかりだ。

 インテリアアドバイザーの歩美は、舞花の部屋におしゃれな家具を選ばなかった。
 
 勉強の妨げにならない物、集中力を高められる部屋。
 
 それを目指して家具選びをしていた。

 そして配置や方角、色づかい、すべてを考慮した結果、舞花の部屋は自然とシンプルで殺風景な部屋になった。

 ところどころに鎮静効果があるという青系の小物や、グリーンの観葉植物が置かれた。

 歩美が舞花のために、完璧に仕上げた自慢の部屋だった。

 その部屋に、舞花の選んだ本棚がやってきた。

 そしてそこに、舞花の選んだ本が並べられた。

 服が溢れてきたら、新しいタンスやクローゼットも買い足された。

 そこに、舞花が選んだ服が並ぶ。


 新しい家具と古い家具。


 そこに詰め込まれた新しい本や洋服。


 新旧入り混じる部屋を僕と歩美は眺めた。

 家具のデザインも、色味も、形も、歩美の目に選び抜かれたものとは全然違った。

 そこに詰め込まれた本や服も、僕たちが良しとしていたものとは全然性格が違う。

 僕たちが選んだモノはシンプルで、なんの面白みもかわいさもなかった。

 一方の舞花が選んだ物たちは、キラキラして見えた。

 僕たちが「こんなもの……」と思っていたものたちは、こうして集まって並べられると、舞花の部屋に彩りと輝きを与えているように見えた。