「あっ 先生に返す楽譜があったわ」
 待ってて下さい、と彼女は立ち上がり音楽室から出て行く。


健気だと思う。いじらしく、純粋で少女は美しい。


「痛ッ」


少女を思って楽譜を探していた時だった。
梯子から足を踏み外した僕は、ゆっくりゆっくり落ちていく。
その時に、左手首を梯子から出ていた釘で深く切ってしまった。

「嗚呼……」

何故、何故、左手首なんだろうか。


血が流れ出て行く。
その血が、赤い花びらになって舞いながら僕は涙を流していた。
涙が止まらなかった。
彼女を一目見た時から美しいと思っていた。

美しい。強く凛々しい。

けれど儚げで、目が離せない。
彼女が来るのをずっと待っていた。
待ち望んでいた。



僕は。僕は、彼女に恋していた。

それは、『僕』の意志で。
『僕』が望んで、だと。



なのに、怪我した左手首から血は止まり美しい桜模様の痣ができた。

桜の痣が。

僕が自覚したから現れたのか。
彼女が、愛しい。
堪らなく、愛しい。
愛しくて、涙が出た。
涙が、止まらなかった。


「――先、生?」

我に返ると、目の前に彼女がいた。
この腕に抱きしめたい、彼女が。


「桜の花びら、風に乗って来たのかしら?」
花びらを掬って彼女は、慈愛に満ち溢れた美しい笑顔だった。


「綺麗な花びら―……」

涙が、止まらない。
彼女に気がつかれないように、慌てて、左手首に時計をつける。

「窓、閉めて。目に入った……」

慌てて窓を閉める君を目で追う。
この惹かれる気持ちは僕だけのものだ。
前世、来世なんか関係ない。
けれどー……。

「副部長が待ってますので、帰りますね」


君はソレから解放されたいんだ。解放されてから、本当に自分で好きになってみたいんだ。
決められた楽譜をなぞるのを止めて、更に美しいメロディになると信じて。

「うん。副部長は君を本当に大切にしてくれるよ。――受け入れてあげて下さいね」


彼女は哀しげに顔を歪ませ、淋しげに下を向いた。
けれど、ごめん。

君が欲しい言葉は僕には言えない。
『僕』が『運命の人』じゃなかったら言えるのに。
僕は言えないんだ。