僕の名前は飯島弘、先日会社をリストラされた二十九歳のアラサーだ。
そして今、脳裏を流れているのは走馬灯。
いきなりだけど現状……僕は死にかけているわけだ。
思い返せば、改めて僕の人生は不幸だったなと思う。
――運命の歯車が狂い始めたのは十七歳の時だろうか。
公立の進学校に通っていた僕は、父さんの「お前は学をつけろ」との言葉の通りに我武者羅に勉強をしていた。
中卒で社会に出た父さんは、それはそれは苦労をしたようで、子供には同じ思いをさせたくなかったということらしい。
で、進学校には通っていたけれど、僕は別に頭が良い方ではなかった。
自分と違って地頭が良い人種の集まりの中に入れられてしまって、そりゃあ最初は絶望したもんだ。
まあ、頭の良い人たちが一時間勉強して理解するところ、二時間くらいで同じ結果を出せるくらいのレベルの僕だったわけだね。
でも、努力に勝る天才無しとの言葉が、僕の心のよりどころだった。
つまりは一日十二時間勉強すれば負けはしない。その信念のおかげさまで、成績は順調だった。
模擬試験でも国立大学のA判定が出て、僕の人生はそれなり程度に推移する……はずだった。
しかし、高校三年生のある日、母さんがガンで倒れたんだ。
お世辞にも裕福な家庭とは言えない僕の家は、母さんのパートという収入を失ってすぐにカツカツになった。
僕自身もアルバイトをしようと思ったのだけど「大学に合格してからにしろ」と父親に一喝され、その希望が認められることは無かった。
その結果として父さんは昼間の仕事の他に、夜の交通整理の仕事を始めることになった。
そして訪れたのが、忘れもしないあの日だ。
交通誘導中の父さんは泥酔したトラック運転手に撥ねられ、即死だったそうだ。
昼夜問わずに働いて、フラフラの状態だったのも撥ねられた原因の一つだった。
そして母さんも後を追うように、ガンに命を刈り取られた。
更に言えば、トラック運転手は借金漬けの男だった。
賠償金を取る権利はあるけれど、支払い能力が皆無という話だ。
本人も「金を取れるものなら取ってみろ」と開き直っている様子で、最早……どうしようもない状態だった。
そして残されたのが、高校三年生の僕と中学二年の妹だった。
そして今、脳裏を流れているのは走馬灯。
いきなりだけど現状……僕は死にかけているわけだ。
思い返せば、改めて僕の人生は不幸だったなと思う。
――運命の歯車が狂い始めたのは十七歳の時だろうか。
公立の進学校に通っていた僕は、父さんの「お前は学をつけろ」との言葉の通りに我武者羅に勉強をしていた。
中卒で社会に出た父さんは、それはそれは苦労をしたようで、子供には同じ思いをさせたくなかったということらしい。
で、進学校には通っていたけれど、僕は別に頭が良い方ではなかった。
自分と違って地頭が良い人種の集まりの中に入れられてしまって、そりゃあ最初は絶望したもんだ。
まあ、頭の良い人たちが一時間勉強して理解するところ、二時間くらいで同じ結果を出せるくらいのレベルの僕だったわけだね。
でも、努力に勝る天才無しとの言葉が、僕の心のよりどころだった。
つまりは一日十二時間勉強すれば負けはしない。その信念のおかげさまで、成績は順調だった。
模擬試験でも国立大学のA判定が出て、僕の人生はそれなり程度に推移する……はずだった。
しかし、高校三年生のある日、母さんがガンで倒れたんだ。
お世辞にも裕福な家庭とは言えない僕の家は、母さんのパートという収入を失ってすぐにカツカツになった。
僕自身もアルバイトをしようと思ったのだけど「大学に合格してからにしろ」と父親に一喝され、その希望が認められることは無かった。
その結果として父さんは昼間の仕事の他に、夜の交通整理の仕事を始めることになった。
そして訪れたのが、忘れもしないあの日だ。
交通誘導中の父さんは泥酔したトラック運転手に撥ねられ、即死だったそうだ。
昼夜問わずに働いて、フラフラの状態だったのも撥ねられた原因の一つだった。
そして母さんも後を追うように、ガンに命を刈り取られた。
更に言えば、トラック運転手は借金漬けの男だった。
賠償金を取る権利はあるけれど、支払い能力が皆無という話だ。
本人も「金を取れるものなら取ってみろ」と開き直っている様子で、最早……どうしようもない状態だった。
そして残されたのが、高校三年生の僕と中学二年の妹だった。