命が別れるそのときまで

 
 
 
 物語みたいに、親友だった男は突然いなくなった――。




 子どもの頃から、頭も運動神経も顔も、性格までいいという、まるで物語の主人公みたいだった親友は、これもまた物語みたいに、ある日突然交通事故に巻き込まれて死んでしまった。
 ……物語みたいに、最愛の恋人にプロポーズした日の夜のこと。


 五年前の、こと。


 親友の墓の前で、俺は手を合わせる。その隣では、親友の恋人だった女性が花を供え、それから手を合わせていた。
 毎年変わらないこの日の光景は、五年前、独りで訪れる精神を保たない、けど誰にも頼れなかった彼女に付き添い、以降恒例となっているもの。
 親友と彼女は、それぞれと仲の良かった俺を介して知り合ったから、役目としては自然の流れみたいなものだった。


 言葉を声に出すことなく、きっと彼女は親友に何か話をしてるんだろう。それが終わると、今度は三人で会話をする。この一年の報告や、なんでもないような話を。
 彼女が小さく微笑んだりするようになったのは、一昨年からのこと。


「そろそろ帰るか?」


「……もう少しだけ」


 なんなら先に帰っていて、という声は耳に届いていないことにした。


 彼女の横顔は儚い。恋人を亡くしてから急激に細くなってしまった身体は、年を追うごとに僅かに、ごく僅かに肉付いてはくれたけど、まだまだ折れてしまいそうで。ここ半年の間、また下降の一途を辿っている。
 もう少しここに居たいとごねる理由に、その儚さはきっと通じていて。


 彼女の恋人、俺の親友の三回忌を過ぎた頃から、彼女は周囲の人間から、もう先に進めと言われている。すなわち、親友のことはもう忘れろということだ。ついには先日、彼女は両親に泣かれてしまったらしい。


「……」

 ……そんなことを、彼女の両親から相談されても俺にどうしろというんだ。
 親友の代わりになれとでも? 
 ……なれるわけが、ない。


 それに、もうとっくの昔に振られている。


 そんなこと……彼女に関することなら、もうずっと考えていると、少しだけ毒づいた。


 親友の墓の前、ようやく腰を上げた彼女の手をとる。身構えて力の入った細い手首を逃がさないように更に捕まえると、怯えたような彼女の顔がそこにはあった。


「――好きだよ」


「っ」


「俺をもう少し、おまえの心の近いところに居させてくれ」


「ここでそんなこと言わないでっ」


 首を横に振り、俺はそうして親友の墓を見つめる。


「もう一度伝えるなら、今度はこいつの前だと思った」



 ――五年前。
 想いを終わらせるため、彼女に俺の気持ちを告げた。親友がプロポーズをすると知った日、親友がそれを実行する少し前のこと。
 わがままな行動だった。振られて想いを断ち切るために、俺は彼女を利用したんだ……。
 実るものだとは僅かでも思っていなかった告白に、彼女は頭まで下げてくれた。ありがとう、嬉しい、ごめんなさい、と。


「……私だって、いつまでもこんなんじゃいけないって思ってる」


 彼女はいつからか、親友以外と歩むかもしれない未来の可能性を、否定の言葉だけは発しなくなった。
 悲しみなんて少しずつ、昇華されていってしまう部分もあるんだと、笑顔だった瞬間の自分に気づき、あとで涙しながら。
 そんな場面を、俺は幾度も幾度も傍で見てきた。


「ああ。解ってるよ」


 知らない男と一緒に歩く彼女を見かけたこともある。親友と似た男、全く共通点の見当たらない男、普通の優しそうな男。けどその行動は、一日と保たないこともあった。
 そして数多あるその男の中に、俺は決して入らない。意識してなのかそうじゃないのかなんて、それは前者に決まっているだろう。
 除外されるのは自然なことだと理解し苦しくもなりながら、だからこそ立てる彼女の隣に俺は、昔と変わらない立場で寄り添ってきた。


 ――あの日断ち切れたはずの想いは、親友の死という、もしかしたらありふれているかもしれない特異な出来事により、心の中に残留した。
 彼女も、俺に対してそうなのかもしれない。嬉しいと俺に言ってしまったことを、悔いていたりもするんだろう。


「私……っ」


言葉を遮り、懇願する。


「誰でもよくて、誰でも駄目なら、俺にしてくれ」


どうか、どうかと縋りつく。

「……まだ……ひとつも、思い出にもなってくれないの……」


「解ってる。忘れる気も、ないってことも」


「……」


「全てに耐えられるのは、俺くらいだ」


「だから一番いけないのよっ」


「……、俺は、そんなに駄目で嫌われていた?」


「ちが……っ」


「忘れたくないなら、俺が適任だよ。忘れられない消えてくれない失くしたくないなんて、こっちだって葛藤し過ぎで身にしみて痛くて堪んねえよ。後悔だって数えきれない。――否定なんて、しない。進もうと足掻いてるんだ。そのスピードに背中を押すことはあっても、転んでしまうくらいに急かしたりはしない」


「……」


「だから、どうか俺だけを見ないのはやめてくれ。これまでずっと傍に居たんだ――心も、もっと、もう少し、だけそっちに、居たいんだ。そうさせてくれ。手放さないでくれ」


 捕まえた手首を引き、抱き寄せる。包み込んだ細い身体が抵抗されないからといって、こちらが望むものじゃないことなど解ってることが苦しくて。けど大切で離したくない。


 小さな小さな、震える声が、耳と胸に響く。


「あなたとそうなることが一番辛いかもしれない」


「そうかもな」


「今までだって平気だったわけじゃない」


「知ってる」


「私が、駄目な人間なの」


「お互い様」


「きっと、私ばっかりが楽になるのよ。そんなの……」


「たくさん、ずっと考えて、それならいいと思ったんだ。それしか思えなかった」


「……」


「辛くないなんて、言わないけど」


「だったら……っ」


「忘れなくていい。――いつか、少しでも思い出になったら、そのときの今に、俺を入らせてよ。全部思い出になったら、過去はくれてやるし大切にするから、俺にそれからをくれ。他の男になんて渡してたまるか」


「そんなの……三年後五年後、何十年後かもしれない。どうしようもない私は、明日かもしれない。……死ぬときかも、しれない」


「それは、命の別れるそのときまで一緒にいられるっていうことだから」


だからどうかと、赦しを請うた。






――END――

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