いつも通り家に帰ると、お姉ちゃんが正座して私の部屋にいた。意味がわからない。


「えーと、お姉ちゃん。急にどうしたの?」

「……実はですね、桃に相談がありまして」

「はい、なんでしょう」


 お姉ちゃんがこんなに改まって相談にくるなんて滅多にない。余程真剣なことなのだろうか。

 私が荷物をおろしてお姉ちゃんの向かい側に座ると、お姉ちゃんが言いづらそうに口を開いた。


「…………えーと。桃のクラスに、田中くんっているじゃない?」

「……田中くん? 田中(しゅん)くんのこと??」


 同じクラスの田中俊は、1年生にしてサッカー部のエースで顔もよく、人気がある。いつも女子に騒がれている彼ならお姉ちゃんが知っていてもおかしくないなぁ、と思ったのだが、お姉ちゃんは横に首を振った。


「いや、田中亮介(りょうすけ)くんのことなんだけど……」

「えっ!? 亮介の方!? あの図書委員の?」

「そうそう、私と同じ日が担当なんだけどね?」


 びっくりして、頭が上手く回らない。

 だって田中亮介は、私と同じクラスなのにも関わらず、知っている情報がほとんどないような地味なクラスメイトだ。しかも、図書委員なんて名前だけで、ほとんど誰も真面目に仕事しないような委員会だったはず。

 どうして学年も違うお姉ちゃんが彼を好きになるというのだろう。

 教室でもいつも本を読んでいるような、まさに教室片隅系の男子だから、うちのクラスで『田中』といえばほぼ全員が田中俊の方をイメージするだろうに。


「そっか、お姉ちゃんも図書委員なんだっけ。……ごめん、何の役にも立てなくて本当に申し訳ないんだけどね? 私も田中亮介くんについてはあんまり詳しくないかも……」


 と、泣く泣くお姉ちゃんに言ったところ、お姉ちゃんはあからさまに残念そうな顔をした。


「そ、そっか、そうだよね。桃は、その、学校でも派手だもんね。じゃあごめんね!!」


 と、顔を真っ赤にして言ったきり、慌てて部屋を出て行こうとするので、抱きついて捕まえて無理やり話を聞く。

 すると、無駄に長い話をされたので、その話の内容を整理して一言で言うと、どうやらお姉ちゃんは田中亮介に恋をしてしまったらしい。

 真面目同士、毎週決まった曜日にちゃんと図書委員として仕事をしたり、帰りが一緒になって、一緒に下校したりしているうちに、彼の優しさに気づいて好きになってしまったそうだ。まるで、少女漫画みたいな話じゃないか。

 しかも、今週末に遊園地デートをするというのだから、展開が早すぎて意味がわからない。前言撤回。流石の少女漫画でもここまで上手くいかない。

 そんなことになっているならば、もっと早く相談してくれたらよかったのに、とも思ったが、それを言ったところで今更どうしようもない。時間は待ってはくれないのだ。

 そこまで話を聞いて、私の頭に浮かんだのは先輩のことだった。

 昼休みのたびにお姉ちゃんを見ている先輩。目を合わせることでさえ出来ないぐらい、お姉ちゃんを好きな先輩。ずっとお姉ちゃんを想い続けている先輩。

 そうだ。先輩のことは、どうなるのだろう。どうしよう。

 先輩はあんなにお姉ちゃんのことが好きなのに。私は、先輩がお姉ちゃんとくっついてくれないと、困るのに。












 お姉ちゃんに話を聞いた次の日から、私は早速田中亮介の素行調査を始めた。何せ、初デートは1週間後。残された時間は少ない。

 しかし、幸にも同じクラスだということもあり、情報はすぐに集まった。適当に話しかけるだけで情報が集まるのだから、『かわいい人気者』の称号はすごい。

 私の期待に反して、調べれば調べるほど、田中亮介はいい人だという証拠がボロボロと出てくる。

 曰く、困っていたときに委員会を代わってもらったとか。とにかく真面目で課題を忘れているところを見たことが無いだとか。

 そしてさらに、今までに付き合った彼女もいないとか。これならお姉ちゃんを元カノ問題に巻き込むことはないし、彼の友達にさりげなく私の印象を聞いてもらったら、『かわいいとは思うけれど世界が違いすぎて怖い』とのことなので安心出来る。

 それに、実は家柄もいいらしい。なんと甲斐性まである。姉の交際相手にするなら、まさに完璧じゃないか。

 この調査結果を、私の報告を毎日ビクビクしながら待っていたお姉ちゃんに伝えると、


「ね、亮介くんって本当にいい人だったでしょ? そんなに心配することないってば。そうだ! ねぇ、明日のデートの服選んでくれない? めいっぱいオシャレして行きたいんだ……!!」


 と、嬉しそうな顔で笑っていた。


「あ、うん、そうだね……」


 対照的に、私は曖昧に笑うことしか出来なかった。

 だって、本当は田中亮介が悪い人で、お姉ちゃんの交際相手に相応しく無い人物であることを望んでいただなんて、口が裂けても言えないし。

 目の前で笑うお姉ちゃんは幸せそうだ。田中亮介もいい人みたいだし、2人に問題はない。

 でも、それなら先輩のことはどうしよう。先輩はこのことを知らないはずだ。

 どうする、伝える? 誰に、何を?

 お姉ちゃんに、あなたのことをずっと好きな人がいるから、明日は行かないでって? 

 先輩に、明日お姉ちゃんがデートしちゃうから、邪魔しに行かないとって?

 そんなのおかしくて、もう手遅れだってことに気がついてるのに、私は必死で頭を働かせて先輩とお姉ちゃんの未来を探した。


 だってきっと、先輩の方がお姉ちゃんのことを好きだよ。お姉ちゃんは少しも気付いてなくても、ずっとずっと先輩はお姉ちゃんのことを見てたんだよ?

 そういや今日も、先輩は屋上からお姉ちゃんを見てたな。お姉ちゃんの、笑ったときにできる笑窪が好きだとか、気持ち悪いこと言ってたな。


 そんなことを思い出すと、まるで走馬灯のように、先輩がお姉ちゃんのことを眺めている時の優しげな横顔が頭によぎる。先輩の、お姉ちゃんのことを語る、優しい声が頭に響く。

 そもそも、地味で真面目な田中亮介がありなら、先輩だってありじゃんか。どうして、ずっと身近でお姉ちゃんを見てたはずの先輩じゃないの。

 ほら。余計に、先輩だっていいじゃん。先輩だって負けてないぐらい良いところがあるって、私はちゃんと知ってるのに。

 知ってるから、だから、私は。


 私は、喉まできていた言葉を飲み込んで。

 先輩に連絡しようと手に持ったスマホを机の上に裏返しに置いて、お姉ちゃんに笑いかけて口を開いた。


「分かった。私が、世界一かわいくしてあげる。デートが上手くいくように、私も超祈ってるから!」


 …………だって、お姉ちゃんは先輩の気持ちなんて知らないはずなんだから、わざわざ今伝えて混乱させることもないよね。

 第一、お姉ちゃんが人を好きだと言ったのは初めてだし、そのお姉ちゃんの意思を尊重すべきだ。先輩は、私に協力しなくていいって言ってたし。私、先輩よりもお姉ちゃんの方が大事だし?

 だから、私がこのことをお姉ちゃんと先輩に伝えなかったのに他意はない。

 他の理由は一切無いから、純粋にお姉ちゃんを応援出来る。


「桃ってばめっちゃ頼りになる! 本当にありがとう。私、頑張るね!!」

「っ、ん。頑張って!」


 私は、嬉しそうに笑うお姉ちゃんから目を背けたくて、服を選ぶ振りをして後ろを向いた。心臓が、ドクドクと音を立てて鳴っている。

 もしお姉ちゃんの恋が上手くいったら、先輩はどうするんだろう。私達の仲はどうなるんだろう。

 もしかして先輩は、私のものになっちゃったりするのかな。


 それって、すっごく。
 すっごく、ゾクゾクする。