午後の仕事もひと段落し、ヒカリはシホと更衣室で少しだけ休憩時間を取ることになった。そこで、昼休みからずっと気になっている、自分が思いやりのある人なのかどうかをシホに聞いてみた。

「えっ? ヒカリちゃんに思いやりがあるかって?」

 シホは驚きながら言った。

「はい」

 ヒカリはシホからどんな回答がもらえるかわからず、緊張しながら返事する。

「どうしたの急に?」

 シホは心配そうな表情を浮かべた。

「えっと、自分のことをもっと知りたくて……」

 ヒカリは少し視線を下げながら言った。

「……なるほど。……そうね。ヒカリちゃんは思いやりがあると思う」

 シホは口に手を軽く当てて、考えているようなそぶりを見せながら、落ち着いた口調でそう言った。

「本当ですか!」

 ヒカリは自分が思いやりのある人だと言われて緊張が解け、その反動ですごく嬉しくなった。

「でも、『見えているところには』かもしれないけどね」

 シホは考えているようなそぶりをやめ、真剣な表情で言った。だが、ヒカリはシホの言葉の意味がよくわからなかった。

「見えているところには思いやりがあって、見えていないところには思いやりがない……」

 ヒカリは必死に理解しようと考える。

「まぁ、見えていないところにも、思いやりがあるかもしれないけど、それは、私にはわからないところだし。……もし、ヒカリちゃんが両方ともに思いやりがあったら、もっとイキイキと仕事ができるかもしれないね」

 シホは落ち着いた口調でそう言った。ヒカリはやはりシホが何を言っているのかが、全く分からなかった。

「ふふ。さて、休憩終わり! 仕事再開するよ!」

 シホは元気よくそう言いながら更衣室を出ていく。

「は、はい!」

 ヒカリは焦りながらシホの後を追い更衣室を出た。





 その日の夜、ヒカリは寮の部屋で布団の上に寝転がりながら考えていた。

「自分の真の役割を理解して仕事をすれば、思いやりのある人になれる。……見えていないところにも思いやりがあれば、もっとイキイキと仕事ができる。…………んー」

 ヒカリは昼間に聞いたシェリーとシホの言葉を思い出しながら、その言葉の本当の意味を理解しようと考える。昼間と違って静かな部屋で落ち着いて考えているのにも関わらず、それでも理解できずに何もわからないままの自分に嫌気がさす。それでも、魔女になるためには、わかっていないといけないことだと思うので諦めたくないし、これ以上は後回しにしたくない。時計の秒針の音がうるさく感じ始めたのは、きっと一時間以上も考えていて、もう集中が切れているからなのだろう。

「そうだ。ジュースを買いに行こう」

 ヒカリはそう言って食堂にある自販機に向かった。食堂に入って自販機を見ると、誰かが自販機の前に立っていた。頭にお団子状にまとめた髪が二つ、黄色いパジャマ姿の女の子、間違いなくベルだ。

「ベルちゃん。こんばんは」

 ヒカリは自販機をじっと見ているベルに声をかけた。

「あ。ヒカリさん。こんばんは」

 ベルはヒカリに気づくとヒカリの方を向き、頭を下げて丁寧に挨拶をした。ベルはその後すぐに自販機の方を向いて、またじっと飲み物を見つめ始めた。おそらく、ベルは買う飲み物を迷っているのだろう。誰だって迷う時はあると思うので、ヒカリはしばらく待ってみた。だが、待ってはみたものの、ベルは一向に飲み物を買う気配がない。

「あ、なかなか買う飲み物が決まらない時ってあるよね!」

 ヒカリは迷っているのであろうベルに気を遣った。

「そんなことは考えてません」

 ヒカリはベルが自販機を見たまま、きっぱりとそう言ったので、ツッコミを入れたくなるほど驚いた。ベルが自販機を前にしていったい何を考えているのか、何のためにそこにいるのかわからず、只々混乱してしまう。ヒカリがそんなことを考えているとベルは自販機の前を離れた。

「飲み物を買うならどうぞ」

 ベルはそう言って自販機の前をヒカリに譲った。

「あっ、ありがとう」

 ヒカリは自販機の前に移動して、オレンジジュースをすぐに購入した。

「それじゃ、おやすみ」

 ヒカリはオレンジジュースを片手に持ちながら、近くに立っているベルに声をかけ、食堂を出ようとした。

「その飲み物……」

 ベルはそう言った。

「えっ?」

 ヒカリはベルの発言が気になった。

「『その飲み物を作った人は、誰が飲むかもわからないのに作っている』というのは、すごいことではありません?」

 ベルはヒカリを見て、首を傾げながらそう言った。ヒカリはその言葉を聞いて、何かが引っかかり固まってしまう。

「それでは、おやすみなさい」

 ベルは頭を下げて丁寧に挨拶した後、ゆっくりと歩いて食堂を出ていった。

 ヒカリは自然と考え始めてしまう。『その飲み物を作った人は、誰が飲むかもわからないのに作っている』というのは、たしかにすごいことだと思う。そういう仕事だから当たり前。いや違う。こうやって今の自分が欲しいと思うものを作っている、自分の喉を潤すために作っている。ということは、誰が飲むかはわからないけど、誰かがきっと喜んでくれると信じて作っているのか。だから、そこに価値があるのか。ヒカリはそんなことを考えた。

「ははは! なんだ、そういうことか!」

 ヒカリは片手で目のあたりを押さえて笑いだした。それから、ヒカリは下を向いた状態で静かになる。

「私、全然見えてなかった……。受付の仕事、その先に待つ全ての人々。それを考えてみたことなんてなかった……。ただ、相談者の話を聞いて、マニュアル通りに仕事をこなしていればいいのだと思ってた。……でも、そんなの心が通ってないよね。……相談者はもちろん、その家族や友人、その人に関係する全ての人々の笑顔のための仕事だったんだ。……相談者は本気で困っていて悩んでいて、勇気を出して相談してくれていたのに。私の仕事は、ただこなしていただけ。……思いやりなんて無かった」

 ヒカリは片手で目のあたりを押さえた状態で下を向きながらそう言った。その後、ヒカリは押さえていた手を放し、正面を向くと勢いよく涙が流れ始めた。

「今までの相談者の方々に謝りたい……。……うぅ。……んぐっ」

 ヒカリは受付の仕事に関する真の役割がわかり、見えていないところの思いやりが無かったことに気づいた。何もわからずとも仕事はできる。ただ、それだと本当の意味で仕事を好きにはなれない。なぜなら、仕事とは誰かのために価値を創造することだから。きっと、その誰かを思いやる気持ちが仕事の本質なのだと、ヒカリは強く思った。





 次の日の朝、会社に着いたヒカリは、玄関の前で立ち止まっていた。

「……今日から頑張るぞ。…………よし!」

 ヒカリは勢いよく玄関を開けた。

「おはようございまーす!」

 ヒカリは満面の笑みを浮かべながら出社した。只々、やる気に満ち溢れていたから。