かのやばら園の魔法使い ~弊社の魔女見習いは契約社員採用となります~

 ヒカリがROSEに入社してから一ヶ月ほど経ったある日。ヒカリが会社に出社すると、シホはすでに受付の席に座っていた。

「おはようごさいます!」
「おはよう!」

 ヒカリはシホと朝の挨拶を交わして、更衣室で着替えを済ませた後、受付の席に座った。

「どう? この生活には慣れてきた?」

 シホは優しい表情を浮かべながら聞いてきた。

「そうですね。ある程度は慣れてきたと思います。……でも、毎日お客さんと会話する時に、すごく気を遣うのが慣れない感じです。学校じゃ気を遣わなかったので」

 ヒカリは後頭部に手を当て、少し苦笑いしながらそう言った。

「まぁ、それは社会人の大変なところの一つでもあるからね」

 シホも少しだけ苦笑いしているようだ。それからヒカリは仕事の準備を始めた。すると、事務所の方で誰かが話している声が聞こえてきた。ヒカリは何を話しているのかが少し気になって、こっそり耳を澄ませる。

「なぁ、今日焼肉食いに行かねえか? 近くに美味い店ができたらしいぞ!」

 この声はケンタだ。朝から焼肉の話をするなんて、よっぽど焼肉が好きなのだろう。

「行きたいところだが金がないから無理だ……」

 今度はライアンの声。ライアンは焼肉を食べに行きたくてもお金がなくて行けない状態らしい。

「何言ってんだよ! 今日給料日じゃねえか!」
「あ。給料日か! それならたまには行くか!」

 ケンタとライアンは焼肉を食べに行くことが決まったようだ。ただ、ヒカリが気になったのは、ケンタとライアンの予定よりも、今日が給料日だということ。

「シホさん、もしかして、今日って給料日なんですか?」

 ヒカリはシホに問いかける。

「あ、そっか、給料日か。すっかり忘れてたよー!」

 シホはうっかりしていたような口調でそう言った。

「私ももらえるんですか?」

 ヒカリはシホに近づき期待しながら質問した。

「うん。もちろん!」

 シホはニッコリと笑みを浮かべてうなずいた。

「やったー! 人生で初の給料だー! 楽しみー!」

 ヒカリは給料がもらえることがわかり、すごく嬉しくなった。

「ふふ。嬉しいよね」

 シホはヒカリの喜んでいる様子を見て嬉しそうに笑っていた。

「シホさんは、何か使う予定あるんですか?」

 ヒカリはもっとシホに近づいて問いかける。

「え、私?……私は、貯金かな」

 シホは急な質問だったからか、少し戸惑った様子で答えた。

「そうですねー。貯金もたしかに大事ですもんね! 私は何に使おうかなー!」

 ヒカリは人生初の給料に心を弾ませていた。




 
 仕事を終えたヒカリはシホと一緒に原付バイクで寮に向かっていた。赤信号で止まると、ヒカリは給料がいくら入ったのかを確認したくなって、慌ててシホに声をかける。

「シホさん! ちょっと、コンビニ寄っていいですか?」

 ヒカリはシホに聞こえるように大きな声で言った。

「うん、いいよ!」

 シホも後ろを振り返り大きな声で返事をした。その後、信号が青に変わり、最寄りのコンビニに向かって走り出す。



 しばらくすると、コンビニに到着した。

「ちょっと待っててください! すぐ戻ってきます!」

 ヒカリはシホを長い時間待たせてはいけないと思い、ひと声かけた後、すぐにコンビニに入った。それから急いでATMに駆け寄り、給料がいくら入ったのかを確認する。給料に対する期待の気持ちが高まり興奮する。

 だが、給料の金額を見た途端、言葉が出なくなった。それは、ヒカリが思っていたよりも給料が少なかったからだ。これだけしかもらえないのかとガッカリする。そのままATMを離れ、コンビニを出てシホのもとへ向かう。

「どうしたの? 急に元気なくなって!」

 シホは心配してくれている様子だった。しかし、まだヒカリは給料が少なかった事実を受け入れられなかったので、言葉が出なかった。

「ちょっと! ちょっと! どうしたのよー!」

 シホはすごく心配したのか、ヒカリの肩を軽く揺らしながら焦った様子で話しかける。

「きゅっ……」

 ヒカリはシホに話そうと頑張った。

「キュッ?」

 シホは首をかしげながら聞き返す。

「……給料が三万円しか貰えなかったんですけどー!」

 ヒカリは給料が少なくて悲しくなった気持ちをシホにぶつけた。

「はぁー。なんだそんなこと」

 シホはほっとしたのか安心した様子だった。

「そんなことって言わないでくださいよー。私にとっては大事なことなんですよー」

 ヒカリはうじうじしながら言う。

「朝と夜の食事代と寮費その他諸々引かれたら、使えるものはそんなものよー」

 シホは落ち着いた様子で伝える。それでもヒカリはうじうじしたままだった。

「あのねー! 私だって、ヒカリちゃんとあんまり変わらないんだからね!」

 シホはうじうじしたヒカリにしびれを切らしたのか、腰に手を当て力強く言った。

「……そうなんですか?」

 ヒカリは弱々しい声で言う。

「そうよ! そんなもんよ!」

 シホは力強く言った。ヒカリはシホの話を聞き少し心が落ち着いたが、まだ元気にはなれず黙ってしまった。

「ヒカリちゃん」

 シホがヒカリの目を見て話しかける。

「……はい」

 シホがすごく真剣な表情だったので、ヒカリは黙るのをやめてひと言返事をした。

「あなたが欲しいものはお金なの?」

 シホはヒカリに問いかける。

「それは……」

 ヒカリは考えたこともない質問だったので、即答できなかった。

「ヒカリちゃんも、私も、ROSEの皆も、それぞれがやりたいことをやるために、この会社に入ったんだから。……やりたいことをやれるなら会社なら、お金は自分のご褒美に十分なだけあれば、それでいいんじゃない?」

 シホは優しい顔でそう言った。ヒカリはそのシホの言葉を聞いて大事なことに気がつく。

「……そうですね。私どうかしてました。……魔女になるための環境が私にはある! それだけで十分贅沢ですよね!」

 ヒカリは首に付けている魔女玉を握りながら力強く言った。

「そうそう!」

 シホは笑顔でうなずいた。

「それに、お金が無くても楽しむ方法なんて、いくらでもあるじゃない!」

 シホはそう言ってスマートフォンの画面を見せてきた。そこには、『今日の夜、寮の食堂で卓球大会をやろう! ヒカリも誘ってぜひ参加してくれ!』というリンからのメッセージが表示されていた。

「ね!」

 シホはヒカリの顔を見ながら笑顔で言った。

「ふふふ。大事なのはお金だけじゃありませんね!」

 ヒカリも笑顔でそう言う。

「そういうこと! さぁ、帰るよー!」
「はーい!」

 ヒカリはシホと一緒に原付バイクで寮に向けて走り出した。
 初めての給料日から数週間経ったある日の朝、ヒカリは始業時間前に仕事の準備をしていた。そこへマリーがやってきた。

「ヒカリ! ちょっといいかしら?」

 マリーが声をかけてきた。

「あ、はい!」

 ヒカリは立ち上がりマリーの正面に立った。

「今日は、ばら園の方の手伝いをしてきてちょうだい。急に従業員が休んじゃって困ってるから」

 マリーはそう言った。

「そうなんですね。わかりました!」

 ヒカリは元気よく返事をした。

「ということでシホ! ヒカリは、ばら園に回すからね!」

 マリーはシホに声をかけた。

「はい! わかりました!」

 シホはマリーに返事をする。

 ヒカリはシホと受付の仕事の引継ぎを済ませた後、ばら園へ向かった。しばらく歩いて、ばら園に着いたものの、誰に話をしたらいいのかわからなくて困ってしまった。あたふたしながら周りを見渡していると、奥の方にばら園のスタッフがいたので、近づいて話しかけた。

「おはようございます! マリーさんに言われてお手伝いにきました!」

 ヒカリが話しかけたのは、かのやばら園と書かれた緑のメッシュキャップとポロシャツ、ベージュのズボンに白い軍手と黒の長靴を身につけた若い女性だった。こんがり日焼けしていて元気な笑顔が特徴的な人だ。

「あら、新人さんね! えっと、名前はたしか…………」

 その女性はヒカリの名前を思い出そうとしていたが、なかなか思い出せない様子だ。

「ヒカリです!」

 ヒカリは自分の名前を伝えた。

「そうそう、ヒカリちゃん! ごめんねー! 花の名前は覚えられるんだけど、人の名前はどうも覚えるのが苦手で! ははは!」

 その女性は元気に明るくはきはきと言った。きっとこの人は、とんでもなく花が大好きな人なのだろう。

「私の名前はカスミ! 今日は急に来れなくなった従業員さんがいて困ってたんだ! すごく助かるよ!」

 カスミはとにかく元気に話す。

「でも、私、薔薇の手入れとかしたことないんですけど、大丈夫ですか?」

 ヒカリは心配になってカスミに質問した。

「まぁ、ベテランのハナさんと一緒だから、指示に従って作業してもらえれば問題ないよ!」

 カスミはそう言った。

「ハナさん?」

 ヒカリはもちろん誰がハナさんなのかもわかっていないので、気になってつぶやく。

「あっ、ちょうど来た! ハナさーん!」

 カスミがヒカリの後ろの方を見て手を振る。

「なんよー」

 その声が聞こえて、ヒカリが後ろを振り向くと、一人のお婆さんがキャリーカートを押しながら、ゆっくりと近づいてきていた。頭に白い手拭いをかぶり、花柄の割烹着とズボンを身につけ、腕にはアームカバーをし、黒い長靴を履いている。おそらくこの方がハナさんなのだろう。

「この子がお手伝いのヒカリちゃん!」

 カスミがハナにヒカリのことを紹介する。やはり、ハナさんはこのお婆さんだった。

「よろしくお願いします!」

 ヒカリはハナに頭を下げて挨拶をした。

「えぇ」

 ハナは少し微笑んでそう言った。

「それじゃ、今日も一日頑張っていきましょう!」

 カスミは拳を突き上げながら元気よく言った。

「あっ。……おー!」

 ヒカリもカスミに合わせて慌てて同じポーズをとった。

「おう!」

 ハナも同じように拳を突き上げようとしているのだろうが、あまり腕が上がらない感じだった。それでも少し笑っていたようだ。



 それから、ヒカリもカスミと同じ服装に着替えた後、ばら園の手入れ作業を始めた。

「まずは、水やりをすっど」

 ハナがホースの付いている水道を指差しながら、ヒカリに声をかける。やはり、ハナは鹿児島の生活が長いのだろう、基本的に鹿児島弁を話すようだ。

「はい!」

 ヒカリは元気よく返事をしてホースを手に取る。

「婆ちゃんが言ったところだけ、かけていって」

 ハナはそう言って水をかける場所を細かく指示した。それに合わせてヒカリは水をかけていく。

「どこでも水をあげていいわけではないんですね!」

 ヒカリはハナに話しかける。

「そりゃそうよ! 水を欲しがってるところにはたくさん。そうじゃないところにはそれなりよ」

 ハナはそう言った。

「へぇー。でも、それをどうやって見分けるんですか?」

 ヒカリは気になって質問した。

「ふふふ」

 ハナは含み笑いをした。

「あー! ハナさん! 意地悪しないでくださいよー!」

ヒカリは急にハナがお茶目な行動をとったので、それが面白く感じた。

「ほっほっほっ」

 ハナもなんとなく楽しそうに見えた。

「ふふ……。もう!」

 ヒカリは笑いながら言った。それから、しばらく作業をした後、ハナがヒカリに話しかける。

「お嬢ちゃん。疲れんかよ? いったん休憩すっど」

 ハナはヒカリにいったん休憩だと伝え、木陰のベンチに向かって歩いていく。

「……はい!」

 ヒカリは頬をつたう汗を、首にかけてあるタオルで拭きながら返事をした。ハナの後をついていき、木陰のベンチに座る。ハナがキャリーカートから水筒とコップ、さらにはお菓子をいくつか取り出した。

「はぁ。すっごく汗かきました」

 ヒカリは全身汗だくになっていた。タオルで顔の汗を拭きながら、メッシュキャップを外す。

「麦茶でよかけ? まぁ、麦茶しか持ってきとらんけどね。ふふ」

 ハナは麦茶をコップに入れてヒカリに渡した。

「ありがとうございます! ……いただきます!」 

 ヒカリはそう言って麦茶を飲んだ。氷で冷たくなっている麦茶がとても気持ちよく、乾いた喉を潤してくれた。

「お菓子もあるから、適当につままんか」

 ハナはお菓子も好きに食べてよいと言った。

「えー! 嬉しい! ありがとうございます!」

 ヒカリはお菓子まで貰えたので嬉しかった。

「こげん天気のよか日は、麦茶とお菓子でピクニックよ! ふふふ」

 ハナは楽しそうにそう言った。

「なんかいいですね。薔薇に囲まれてお茶ができるなんて」

 ヒカリは目の前に広がる薔薇の景色を見ながらそう言った。よく考えてみれば、こんなにも素敵な環境でお茶ができるというのは、すごく幸せなことだと思う。

「あんたの髪留めを見ると、昔のことを思い出すがよ」

 ハナはヒカリの薔薇を模した髪留めを見ながら言う。

「このマリーさんから貰った髪留めですか?」

 ヒカリは髪をほどいて髪留めを手に取り、ハナに見せる。

「……せっかくだから、ちょっとだけ婆ちゃんが昔話をしてあげるが」

 ハナはヒカリの手の上にある髪留めを見て、少しだけ何かを考えているような表情を見せた後、そう言った。

「昔話?」

 ヒカリは少し首を傾げた。その後、少しだけ沈黙が流れた。その間、ハナは遠くの薔薇を見ているようだった。

「……あるところに、一人の魔女がおったとよ。その魔女は、魔法使いの世界で、最強の魔女と呼ばれるほどの魔力の持主だったそうだ」

 ハナは昔話を始めたようだ。

「最強の魔女? マリーさんのことですか?」

 ヒカリはすごく気になり質問した。

「そうよ。……当時十七歳のマリーちゃんは、すでに最強の魔女と呼ばれるほどの魔女になっていてね。でも、マリーちゃんは自分のやりたいこともわからなくて、人生がすごくつまらないものだと感じていたのよ。だから、それをどうにか変えたいと思って、本当に自分がやりたいことを探すための旅に出たわけよ。それから――」

 ハナはどこか遠くを見つめながら話し続ける。
 ――マリーは日本を旅していた時、空から一際輝く美しいばら園を見つけた。マリーは自分でも気づかない内にばら園に降りていたので、すごく不思議だった。

「なんて素敵な場所……」

 マリーは美しいばら園に心を奪われ、そうつぶやいた。

「すごく綺麗な薔薇でしょ? 君もそう思うかい?」

 近くにいた男性が話しかけてきた。ふんわりして柔らかそうなベージュの髪、白いシャツと黒いズボンに黒い長靴、ズボンはベージュのサスペンダーで留めているようだ。おそらく、年齢は三十歳くらいなのだろう。

「薔薇にはね、いろんな花言葉があるんだ。……愛情、情熱、絆、奇跡。……僕はね、このばら園のように、『各々の違いはあっても大きな愛で満たされている』そんな世の中になって欲しいと、常々願っていまして」

 その男性はマリーの近くの薔薇にいくつか触れながらそう言うと、マリーの正面に立った。

「なんだか、君には薔薇がお似合いのようだね。すごく綺麗だ」

 その男性は優しい笑顔を浮かべながらそう言った。マリーはその言葉で胸がときめき固まってしまう。自分の中で何が起きているのかわからなかった。只々、目の前の男性が気になり胸が熱くなってしまう。そうして、二人は恋に落ちた。

 男性の名前はケンジ、ばら園の経営者だった。その後、ケンジと一緒にばら園で働くことになった。



 初めてばら園で働く日、マリーはケンジと一緒にばら園にいた。

「さぁ、今日から君もばら園で働くことになるね。よろしく頼むよー。……ぐがー!」

 ケンジは言い終わると、立ったまま急に眠りだしてしまった。

「えー! いきなり?」

 マリーは慌ててケンジに駆け寄る。

「おっと、すまない。突然の睡魔がやってきたようだ」

 ケンジは目を覚ましてそう言った。

「あなたが寝ることよりも、仕事の方が好きなのはわかっているけど。知らない人が見たら、本当にびっくりするわよ! どうにかならないの?」

 マリーは心配しながら言う。

「眠くなったら眠ればいいのさ。無理に夜だから眠る必要はない。体が欲しいものを与えてあげるのが一番なんだよ」

 ケンジは落ち着いた様子で言う。

「……やりたいことって、気持ちいいことでしょ? だから、僕は自分の気持ちに任せて生きてみたいんだよ」

 ケンジは優しい笑顔を浮かべながらそう言った。

「……やりたいことは気持ちがいいことなの?」

 マリーはケンジに問いかけた。

「そうだよ。ウンチが出たら気持ちがいいだろう」

 ケンジはニコっと笑いながらそう言った。

「例えが汚い! けど、わかる!」

 ケンジの汚い例えにツッコミを入れずにはいられなかった。ただ、ケンジの例えは少し汚かったが、やりたいことは気持ちがいいことの証明としては、すごくわかりやすかった。やりたいことは気持ちがいいこと、それを考えるたびに、自分の中で少しずつその言葉が重みを増していく。

「……そうなのか。やりたいことを探すより、自分が気持ちがいいと思うことを探した方が、見つかりやすいのかもね」

 マリーはそうつぶやく。

「さて、仕事を始めるよ。あまり話が多すぎると、従業員さんに怒られてしまうからね」

 ケンジはそう言うと少し先の薔薇の前に立った。マリーも初仕事だったので、軽く頬を叩いて気合いを入れた後、ケンジの隣に駆け寄った。

「マリー。まずはこの辺りの薔薇の手入れをしていく――」
「――わかったわ!」

 ケンジがこの辺りの薔薇の手入れをすると言ったので、マリーは自分が役に立つ人間だということを見せたくて自慢の魔法を使い、辺り一面の薔薇に付いている砂埃を一瞬で落とした。砂埃の取れた薔薇は鮮やかな色を取り戻し、美しく輝いて見えた。

「どう? ピカピカになってバッチリでしょ? こういうのなら任せてちょうだい!」

 マリーは自分が魔女で良かったと思った。

 すると、ケンジはマリーが魔法をかけた薔薇に近寄り、薔薇に顔を近づけてじっと見つめ始めた。

「……んー」

 ケンジはなぜか悲しい表情をしていた。

「どうしたの?」

 マリーはケンジに問いかける。

「……もう、この薔薇達は死んでしまう。僕にはわかるんだ」

 ケンジは悲しそうにそう言った。

「そ、そんな……。なんで」

 マリーは戸惑いながら言った。

「君は、この薔薇を愛しているかい?」

 ケンジはマリーに問いかけた。

「えっ。そりゃ、美しくて……。すごく大好きよ!」

 マリーは真剣に伝えた。

「愛しているのなら、薔薇を傷つけないように手入れするべきなんだ。……あの魔法には、薔薇を手入れする時に必要な『薔薇を傷つけないようにする工夫』は、含まれていたのかい?」

 ケンジは真剣な表情でマリーに質問する。

「それは…………」

 マリーは言葉が詰まる。

「……そっか。私、何も考えずに綺麗にするだけでいい、汚れさえ取れればいいって思ってた。…………。……無知の私が、ケンジの一生懸命育てた薔薇を枯らしてしまうなんて」

 マリーは取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちで、いっぱいになった。大切な人の大切なものを壊す、そんな行為をしてしまったのだから。本当はケンジに褒めて欲しかっただけなのに。涙が出てきて止まらない。泣きたいのはケンジの方なのに。

「うっ……。っぐ…………。本当に、ごめんなざい……」

 マリーはケンジに謝った。

「マリー。たしかに魔法は素晴らしいものだよ。だけど、魔法だけじゃどうにもならないこともあると思うんだ」

 ケンジはマリーに近づいて真剣な表情で言う。

「それに、君が謝る相手は僕じゃない。そこの薔薇達だよ」

 ケンジは薔薇を指差しながらそう言った。

「うぐっ……。ごめんなざい!」

 マリーは自分が魔法をかけた薔薇に向かって、頭を下げ大きな声で泣きながら謝った。涙で前が見えない。手で拭っても次から次に出てくる。

「私、魔法しかやってこなくて。……魔法さえあれば何でもできると思ってた。……でも、魔法なんか全然役に立たないんだわ! だから私、何も役に立てない……」

 マリーは両手で涙で濡れた顔を抑えながら、魔法の無力さを歯がゆく思い嘆いた。

「そうじゃないよ」

 ケンジはそう言うとマリーの頭に優しく手を置いた。

「魔法はね、素晴らしいものだと思う。それは君の大事な特技なんだ。だから、君は魔法を使ってこのばら園を良くしていって欲しい。その為には、薔薇を手入れする知識が必要なんだよ」

 ケンジはマリーの頭をなでながら優しく話した。

「……うん。そうだね」

 マリーは泣きながらうなずいた。

「うーん。実はね……僕も魔法が使えるんだよ」

 ケンジは少し張り切ってそう言った。

「えっ? もしかして、魔法使いだったの?」

 マリーはケンジの発言に驚いた。すると、ケンジがマリーを優しく抱きしめた。

「ほら。心が落ち着くだろう。たぶん、これ魔法だと思うんだけど……違うかな?」

 ケンジは優しく語りかける。マリーの中で自分はダメな人間だと嘆いていた感情が、だんだんと落ち着いてくる。

「違わないよ。すっごく温かい魔法」

 マリーは目を閉じて言う。

「それなら、よかった。……ぐがー!」

 ケンジはまた急に睡魔に襲われたようだ。

「寝るな!」

 マリーはケンジにツッコミを入れ、少しだけ笑った。





 それから数週間経ったある日の夜中、マリーは眠っていたがふと目を覚ました。ケンジが寝室にいなかったのでリビングに行くと、ケンジは何かの書類に目を通しているようだ。

「ケンジ、何してるの?」

 マリーはケンジに話しかける。

「あぁ、これかい? 依頼書の整理をしているんだ」

 ケンジはそう答える。

「依頼書?」

 マリーは何の依頼書なのかがわからず首を傾げた。

「そうか。まだ話してなかったか。僕はね、ばら園を経営しながら、実は相談所も経営しているんだよ」

 ケンジはそう言った。

「相談所?」

 マリーは相談所というのも初耳だったので、再び首を傾げる。

「ばら園は僕が思う愛に溢れた世界を形にしたようなもので、相談所は世界を愛に溢れたものにするためのものなんだよ。……具体的には、困っている人から依頼を受けて解決に導く仕事なんだ。でもまぁこっちの方は、僕一人で細々とやっているんだけどね」

 ケンジは真剣な表情で言った。

「そんなことやっていたのね! 全然気づかなかったわ!」

 マリーはケンジがばら園を経営しながら、他にも仕事をしていることに驚いた。

「たまにしか依頼がないからね。でも、こうやっていろんな事業を持つって、すごく面白いことだと思うから、自分がやりたいと思ったことは、何でも挑戦していきたいんだよ。……たとえ、『他人からバカだのアホだの言われても、自分がやりたいことはやりたいんだよ』僕は」

 ケンジは真剣でいつになく力強い表情で語った。きっと、その言葉がケンジの生き方そのものなんだと思う。純粋にかっこいい人だと思い、そんな人に出会えた幸せが胸の中から溢れ出してくる。

「ふふ。……やっぱり、ケンジはかっこいいね!」

 マリーはケンジの背中に後ろから抱きついて笑顔で言った。

「ありがとう」

 ケンジも笑顔で応えてくれる。

「私も相談所の仕事やりたいわ!」

 マリーはケンジに抱きついたまま言う。

「えっ? 本当に?」

 ケンジは少し驚いていた。

「うん! 私もケンジの話聞いていたらやりたくなったわ! 挑戦したいの!」

 マリーはケンジに抱きついたまま元気よく言う。

「そっかー。……よし、一緒にやろう」

 ケンジは嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言った。

「うん!」

 マリーはケンジが一人でやっていた相談所の仕事もすることになった。
 マリーが働き始めてから数か月経ったある日。マリーはばら園で手入れ作業をしていた。そこへケンジが現れる。

「マリー、どうだい? だいぶ仕事を覚えてきたようだね」

 ケンジはマリーに話しかける。

「うん! ケンジのおかげよ、ありがとう! 今まで何をするのも魔法を使ってばかりだったから、物を手で運んだり、土や砂を触ったりとか全然してこなくて、毎日いろんなことが初体験で面白いわ!」

 マリーは感謝の気持ちをケンジに伝えた。

「そうかい。それは充実していて、素晴らしい日々を過ごしているね」

 ケンジは優しい表情でそう言った。

「うん! 毎日楽しい! いろんなことを教えてくれるケンジがいて、私は幸せよ!」

 マリーは笑顔でそう言った。

「僕も君の笑顔を傍で見られて、とっても幸せだよ」

 ケンジはマリーの頭をなでながらそう言った。

 それから、マリーもだんだんと仕事を覚えていき、リーダーの立場を任されるようになった。ばら園の管理業務の難しさに、何度も失敗し何度もくじけながらも、その度にケンジと協力して苦難を乗り越えていった。マリーにとって、ばら園での生活がいつの間にか当たり前のものになっていた。





 マリーが働き始めて三年ほど経ったある日。マリーはいつも通り薔薇の手入れをしていた。すると、従業員の一人が大きな声でマリーを呼ぶ。

「マリーさん! 早く来てください!」

 マリーは急いでその従業員に駆け寄った。

「ど、どうしたの?」

 マリーは慌てながら言った。

「ケンジさんが外出先で急に倒れて、救急車で運ばれたそうです!」

 従業員が慌ててそう言うと、マリーは一瞬でマントを身につけ、ほうきに乗って猛スピードでケンジが運ばれた病院に向かった。



 病院に到着したマリーは、ケンジのいる病室を見つけてすぐに中へ入った。

 しかし、ケンジはすでに亡くなっている状態だった。

「う、嘘よね……。な、なんで……。なんで、こんなことにー!」

 マリーは泣きながらケンジに抱きついた。

「この方は、生まれつき体が弱く病気がちでして、主治医の私からも無理に働かない方が良いと言っていましたが、彼はそれでも働くことをやめませんでした。……きっと、彼にとっては働くことが人生そのものだったんでしょう」

 病院の医師がマリーにそう語った。

「……っぐ。……うわぁああああーん!」

 マリーはケンジを抱きしめながら大声で泣き続けた。





 それから数日経ったある日、ケンジの机の引き出しから遺書が見つかった。

 『最愛なるマリーへ。マリー、元気かい? 薔薇達も元気にしてるかい? 実は、僕は体が弱くてね。いつどうなるかもわからないから、こうやって手紙に残そうと思う。

 君と初めて会った日、君を見て薔薇の中から妖精が現れたのかと思って、すごく驚いたよ。

 あれから、たくさん遊んだし、いろんなところにも行ったね。真冬に君のほうきの後ろに乗って、空を飛んだ時のことをよく思い出すよ。まさか、あんな高さから滑り落ちてしまって、よく生きていたなーっていつも思う。いやー、なかなか死なないもんだなと思ったよ。でもこの手紙に書くような内容ではないね。あはは。

 ばら園で一生懸命働く君はとても美しく、皆からも愛されて、たまにドジもするけど、僕にとっては本当に自慢の妻だよ。恥ずかしい話だけど、そんな大切な妻に残せる財産をそんなに持っていないのが、本当に申し訳ない。

 だけど、それでもあるとしたら、このばら園を君の好きなようにしていい。売ってお金にしてもいいし、本当に自由にしていい。相談所も君の好きにしていい、魔法で困ってる人を助ける仕事もいいなって君は言っていたから、それを実現してみてもいいと思う。何より君らしく生きていってほしい。

 最後に、僕の人生の中でマリーと過ごした日々が一番幸せでした。ありがとう。ケンジより』

 マリーは遺書を読みながら再び涙が溢れ出した。



 それから、マリーは決心する。

「私、この会社を継ぐわ! ケンジが一生懸命作ってきた会社を私が一生かけて守るわ! だって、この会社が、私のやりたいことそのものだから!」

 このばら園に来るまでは、自分のやりたいことがわからなかった。でも、今では心の底からやりたいと思えるものがある。人生つまらないと嘆いていた自分を救ってくれたのは、他の誰でもなくケンジだったんだと気づいた。だから、とにかくやりたいことをやる、ケンジの分までやる。それが今の自分なのだと――





 ヒカリはハナを見つめていた。ハナはずっと同じ遠くの薔薇を見ているようだ。

「そして、ROSE株式会社、二代目社長・マリーが誕生したという話さ」

 ハナはそう言った。

「そんなことがあったんですか……」

 ヒカリはしんみりと言う。

「それで、お嬢ちゃんの付けている髪留めは、ケンジさんがマリーちゃんにあげたものだったんだよ」

 ハナはヒカリを見て、髪留めを指差しながら言った。

「えっ! そんな大切なものだったんですか!」

 ヒカリはものすごく驚いた。

「マリーちゃんは、ずっと大事そうに身につけていたから、急に付けなくなったのを見て、すごく驚いたがよ」

 ハナは髪留めを見ながらそう言った。

「そうなんだ。そんな大切なものを私が持ってていいのかな……」

 ヒカリはそうつぶやく。

「きっと、マリーちゃんがお嬢ちゃんをそれだけ大事に思っているからなのかと、婆ちゃんは思うよ」

 ハナは少し笑みを浮かべながら言ったが、ヒカリはまだ納得できていなかった。

「さてと、あんまり休んでいたらカスミちゃんに怒られちゃうから、続きをとっととやっていこうかね」

 ハナは立ち上がり歩き出す。

「は、はい!」

 ヒカリは慌てて帽子をかぶり、髪留めを付けながらハナに駆け寄った。その後、引き続きばら園の手伝いをしたのだった。
 季節も夏となり、毎日暑い日が続いていた。そんなある日の夕方、退勤時間が迫った時だった。マリーがケンタ・エド・リンをマリーの机の前に呼び出した。ヒカリはマリーが何を話すのかが気になったので耳を澄ませる。

「明日の話だけど、あんたらは、さつま芋の収穫の手伝いをやってきてもらうよ」

 マリーは三人に向けて言った。

「いやいや! きつ過ぎるって! 俺はもういいだろ!」

 エドは納得いかない様子だ。

「はぁ? 何言ってんのよ? 依頼があるんだから当然でしょ」

 マリーはそう言った。

「違う! 俺はもう二週間もほぼ毎日農作業してんだぞ! このままじゃ俺はガチの農家になってしまうだろ! いい加減さ、肉体労働以外の仕事を回してくれよ!」

 エドは農作業以外の仕事を求めているようだ。

「うるさいわね! あんたは肉体労働以外できないでしょ!」

 マリーは少し怒りながら言う。

「は? 俺も事務仕事とかできるわ! そりゃ、小難しいことはできねえけど。書類運んだりとか、荷物運んだりとか……。……あれ? でもそれって結局、肉体労働じゃね? えっ、肉体労働しかできねえのか俺は? マジかよ? 嘘だろ?」

 エドは頭を抱えて自問自答し始めた。

「シホ! ヒカリ! ちょっとおいで!」

 マリーが少し大きな声でそう言ったので、席を立ちマリーのところへ向かう。

「せっかくだから、シホとヒカリも明日一緒にさつま芋の収穫に行ってきなさい」

 マリーはさつま芋の収穫を指示した。

「えっ。でも、受付の仕事はどうします?」

 シホはマリーに問いかける。

「大丈夫。代わりは誰かにやってもらうわよ」

 マリーはそう言った。

「それならいいですけど」

 シホは少し心配そうな表情でそう言った。

「魔女になるためには、こういう仕事もやっていなかなきゃね」

 マリーは真剣な表情でそう言った。





 次の日の朝、ヒカリはエド・リン・シホと一緒に寮の駐車場にいた。そこへ迎えに来たケンタの車に乗って依頼主のさつま芋畑に向かう。三十分後、依頼主のさつま芋畑に到着し、さつま芋畑の奥の民家に行くと、家の縁側にお爺さんが座っていた。

「こんにちは。さつま芋の収穫のお手伝いにきました」

 ケンタが代表してお爺さんに話しかける。

「いやー、すごく助かるよ。先日のグランドゴルフで腰をやっちゃってね……」

 さつま芋畑のお爺さんは腰を押さえながらそう言った。

「それは大変ですね! まぁ、今は無理しないで休んでいてください」

 ケンタはお爺さんに対して優しく気づかっていた。

「おー。助かるわ」

 さつま芋畑のお爺さんもほっとした様子だ。その後、ケンタがお爺さんから詳しい作業内容を確認し、収穫作業を開始した。

「それじゃ、やってくぞ。エドとリンはそっちの畑をお願いな」

 ケンタがエドとリンに隣の畑を指差しながら指示を出す。

「リン! どっちがたくさん収穫できるか勝負だ!」

 エドが片方の手でリンを指差し、もう片方の手を腰に当てながら宣戦布告した。

「望むところだ!」

 リンがそう答えると二人とも瞬時に収穫作業を始め、ものすごい勢いでさつま芋を収穫していく。

「……そんじゃ、俺とシホとヒカリはこっちの畑をやるか」

 ケンタはエドとリンのやり取りに対して、特にリアクションも取らず、何事も無かったかのようにそう言った。

「はい!」

 ヒカリはシホと一緒に元気よく返事をした。

「でも実は私、さつま芋の収穫ってやったことないので、どうしたらいいのかわからないです」
「私もです!」

 シホがさつま芋収穫作業が未経験だと言ったので、ヒカリも便乗して伝えた。すると、ケンタはさつま芋の埋まっている土の傍にしゃがみ込んだ。

「じゃ、やってみせるからよく見ててな。こうやって、さつま芋の近くの土を軽く掘ってあげて……。さつま芋がいい感じに見えてきたら……。抜く! こんな感じだ」

 ケンタはそう言って土に埋まっているさつま芋を抜いた。

「おー!」

 ヒカリはシホと一緒にケンタがさつま芋を抜いた光景を見て、思わず拍手してしまった。ヒカリもさつま芋の埋まっている土の前にしゃがみ込む。

「おーし! やるぞ! えーっと、周りの土を掘って……。抜く!」

 ヒカリが思いっきりさつま芋を引き抜こうとしたところ、茎が切れてしまい、肝心のさつま芋が出てこなかった。

「もう少し、土を掘ってあげた方が良かったな」

 ケンタはそう言った。

「ヒカリちゃーん! 見て見てー!」

 シホの声が聞こえたので、シホの方を見てみると、なんと大物のさつま芋を収穫していた。

「すごーい! めちゃくちゃ大物じゃないですか!」

 ヒカリは大物のさつま芋に興奮した。

「すごい気持ち良かった!」

 シホはさつま芋が抜けたのが嬉しかったのだろう、満面の笑顔でそう言った。

「シホ、その調子だ!」

 ケンタもシホが上手にさつま芋を抜くことができて嬉しそうだ。ヒカリももう一度挑戦してみる。

「……おりゃー!」

 ヒカリが茎を持って思いっきり引っ張った。すると、今度は茎が切れずにさつま芋を抜くことができた。

「抜けた! ……気持ちいい。楽しいかも」

 さつま芋が上手に抜けるとものすごく気持ちが良かった。

「それそれ!」

 ケンタとシホが笑顔で言った。

「それじゃ、ボチボチやっていくよ!」

 ヒカリとシホがさつま芋の収穫方法を分かったところで、本格的に作業が始まった。



 それからは、とにかく黙々とさつま芋を収穫する。だが、一時間以上作業しても広い畑のほんの少しだけしか収穫が終わっていないので、気の遠くなるような作業だと気づいた。だんだん体力的にも辛くなってくる。ケンタとシホを見てみると、二人とも息を切らしながら辛そうな表情だった。

 ヒカリはふと気になった。ケンタもエドもリンも魔法使いなのだから、魔法を使えば楽に収穫できるのになぜ使っていないのかと。辛い思いなんかしなくてもいいのなら、しない方がきっといいはず。だから、ケンタに魔法を使わない理由を聞いてみようと思った。

「ケンタさーん!」

 ヒカリはケンタを呼ぶ。

「んっ? なんだ?」

 ケンタは汗を拭いながらそう言った。

「どうして、皆魔法――」

 その瞬間、以前ばら園で手入れをした時にハナが話してくれた、マリーが魔法で薔薇を枯らしてしまった話を思い出す。ケンタもエドもリンも魔法は使えるけど、さつま芋を傷つけないように、あえて使わないようにしているのではないか。ものすごい勢いで作業しているエドとリンも、一見乱暴に扱っているようにも見えるのだが、よく見ると、実はしっかりと丁寧に作業しているのがわかる。魔法だけじゃできないことがある、そういうことなのかと気づいた。

「どうした?」

 ケンタはヒカリに問いかける。

「……やっぱり、なんでもないです!」

 ヒカリは自分の中で疑問点が解決できたので、スッキリした表情でそう言った。

「そっか。……シホ! ヒカリ! もう少ししたら休憩にしよう!」

 ケンタは汗を拭いながら元気よく言う。ヒカリとシホはうなずいた。



 それから、こまめに休憩を入れつつ黙々と作業して、なんとか日没までに収穫作業を終えることができた。リンとエドは収穫勝負の判定で揉めているようだったが、リンの方が多い気がするというシホのざっくりした判定でリンが勝者となった。そして、全員で報告と挨拶をするために、依頼主のお爺さんのもとへ向かった。

「本当に助かったよ。ありがとう。……お嬢ちゃん達もすごい大変だったでしょ? ありがとうね」

 依頼主のお爺さんは、家の縁側に座りながら笑顔でそう言った。ヒカリは今まで仕事をしていて、こんなにも心のこもったお礼をされたことがなかったので、すごく嬉しかった。シホの顔を見ても同じように嬉しそうな表情だ。自分の中にある収穫作業の疲れが、気持ちの良いものに変わっていくのがわかった。

「それと、一人一つずつ持って帰りなさい」

 依頼主のお爺さんはそう言って、たっぷりさつま芋の入った袋を人数分渡してきた。

「いやいや、依頼料はもう頂いていますので申し訳……」

 ケンタは途中で言葉を止めた。何かあったのかとケンタと依頼主のお爺さんを見ると、依頼主のお爺さんがすごく嬉しそうな表情で、ケンタを見ていたのだった。

「……いえ、お言葉に甘えて」

 ケンタは依頼主のお爺さんに笑顔で言った。ケンタがエド・リン・シホ・ヒカリの顔を見た。

「せーの!……ありがとうございます!」

 ケンタに合わせて全員で感謝の言葉を伝えた。

「また、貰いにおいで」

 依頼主のお爺さんは、満足そうな笑みを浮かべながらそう言った。依頼主のお爺さんとお別れの挨拶をして、ケンタの車に乗り込みさつま芋畑を離れる。助手席に乗ったヒカリは、エアコンの風を顔に当てて至福の時間を過ごした。それから少し時間が経ち、エアコンの風がうっとおしくなってきたので、当たらないように向きを変える。

「ケンタさん。……働いて人に感謝されるって、すごく嬉しいことなんですね」

 ヒカリは自分の横を流れていく木々を見ながら、落ち着いて言った。

「そりゃそうだ! ただ、いつも感謝されるわけじゃないけどな!」

 ケンタはそう言った。

「正直言うと、働くのってめっちゃ疲れるし、辛いだけかと思っていました」

 ヒカリは少しだけ目線を下げて言った。

「それはな、『自分が働くことで何が生まれるのかが分からないだけ』だと思うぞ!」

 ケンタは少しアクセントを加えながらそう言った。

「……自分が働くことで生まれるもの?」

 ヒカリはケンタの言葉が引っかかったので、ケンタの方を見ながら言う。

「そう! それが分かれば、どんな仕事でもきっと好きになれる!」

 ケンタは笑顔でそう言った。

「…………。そうなんですねー。でも、まだよくわからないです」

 ヒカリはケンタの言葉が理解できなかったので、首を傾げながらそう言った。

「まだまだ若いからそのうち分かってくるよ! 焦らんでも大丈夫!」

 ケンタは変わらず笑顔でそう言った。

「……はい! 頑張ります!」

 ヒカリはケンタに元気よく返事をした。ケンタの言っていることは、今はまだ理解できない。でも、きっと今だから理解できないだけなんだと思う。だから、もっと本当の大人になった頃に、もう一度確認してみよう。ROSEの人達と一緒に働いていけば、きっとわかるようになるはずだから。
 そろそろ秋が近づいてきたある日の夕方。ヒカリは仕事を終えて会社を出た。

「おーい! ヒカリ!」

 会社の方からエドの声が聞こえたので、振り返るとエドがこちらに向かって歩いてきていた。ひとまずエドのもとへ向かった。

「どこか行くのか?」

 エドはヒカリに質問した。

「ちょっと本屋に行くつもり! ……というのも、この前、外国人のお客さんが来たんだけど、自分が全然英語話せないからすっごく困っちゃってさ! やっぱり、受付の仕事をするなら、少しくらい英語を話せるようになった方がいいでしょ? だから、参考書を買いに行こうと思って!」

 ヒカリは苦笑いしながら言った。

「なるほど、それは偉いな!」

 エドは腕を組みながら言った。

「それじゃ、行ってくるね!」

 ヒカリはそう言って駐輪場に向かおうとした。

「いやいや、ヒカリ。大事なことを忘れてねえか?」

 エドの声が聞こえたので、ヒカリは再びエドの方を振り返った。

「大事なこと? 私はここの受付員なんだから、どんなお客さんでも対応できるように、日々努力するのが当たり前。そんな私に、大事なことが他にあるわけ…………」

 ヒカリは話の途中で急に固まる。

「あーーーーー!」

 ヒカリは急に叫ぶ。

「そうだよ! 私、魔女になるためにここに来たんだよ! そりゃ、魔女になるためには、仕事も大事なことで……。って、仕事しかしてきてないじゃん! このままじゃ、魔女試験に受かりっこないよ…………」

 ヒカリはいつの間にか、仕事ばかりの日々を過ごしていたことに気づき、嘆いたあげく落ち込んでしまう。

「おいおい。仕事も魔法も一緒にやってしまったら、どっちも中途半端になってしまうだろ? だから、まずは仕事を覚えてもらいたくて、あえて魔法は教えてこなかった」

 エドは真剣な表情でそう言った。

「そうだったの?」

 ヒカリはエドの発言に食いつくように言う。

「……まぁ。そう考えたのも途中からで、最初の頃は普通に仕事が忙しすぎて、魔法を教える余裕がなかったんだけどな……」

 エドは苦笑いを浮かべながらそう言った。たしかに思い返せば、エドも最初は魔法を教えるつもりだったはず。でも、その後エドなりにいろいろ考えて仕事を優先にしたのだろう。『あえて魔法は教えてこなかった』という発言の信ぴょう性が少しだけ下がったが、きっと、エドにとっても手探りでやっている部分もあると思うので、ヒカリは納得することができた。

「そんで、そろそろ仕事も覚えてきたかなって思ったから、これから本格的な魔女修行を始めていこうと思う! いいよな?」

 エドは再び真剣な表情でそう言った。

「うん!」

 ヒカリもやっと魔女修行できると思って嬉しくなった。

「まず、魔女修行を始める前に渡すものがある」

 エドはそう言うと、一瞬でROSEの社員が持っているローブ姿になった。その後、魔法で同じローブと帽子を取り出し、ヒカリに手渡した。

「うわー! これ、みんな持ってるやつだ! ROSEのマークも入ってる! 私も貰えるの?」

 ヒカリは興奮しながら質問した。

「そりゃ、社員だからな」

 エドは落ち着いた様子で答えた。

「着てみていい?」

 ヒカリの嬉しい気持ちのパラメータがどんどん上がっていく。

「おう。ってか、むしろ着て欲しいんだけどな」

 エドはそう言った。

「ふふふ! 嬉しいな! 嬉しいな! みんなと一緒で嬉しいな!」

 ヒカリは嬉しくてリズミカルに歌いながらローブを着る。

「なんだよ、その歌!」

 エドはヒカリの歌が面白かったのか笑っていた。

「どう? 似合ってる?」

 ヒカリは帽子とローブ姿に着替え終わり、エドの顔を見ながら、自分のローブ姿が似合ってるかどうかを質問する。

「まぁ、……に、似合ってるんじゃねえか」

 エドは視線をそらしながらもそう言った。

「よかったー! ふふふ!」

 ヒカリはまだ嬉しさの余韻に浸っていた。

「ゴホン! とりあえず話をしていくと、そのローブはただのローブじゃない。とにかく丈夫にできていて、様々な魔法や物理攻撃を防いでくれる優れものだ。……そして、そのローブを着ていると、普通の人間には見えなくなる」

 エドは咳払いをした後、説明を始めた。

「そうなんだ!」

 ヒカリはその話に驚いてローブを見るが、見ても意味がないことに気づき、周りを見渡したが誰もいなかったので、本当に普通の人間から見えないのかを確認できなかった。

「普通の人間には、魔法を使っているところは見せないように! 魔法を使う時は、このローブを着ること! それが魔法界の基本ルールだ!」

 エドは腕を組んだままそう言った。

「わかった!」

 ヒカリはそう言った後、一つ気になったことがあった。

「…………あのさ! 魔法使いがいるってことも内緒なの? 私、友達には、魔法使いのこと言っちゃってるんだけどさ!」

 魔法使いがいることや魔法使いになるということは、親友のフミに話していたので、すごく心配になった。

「魔法使いの存在は、別に普通の人間に話しても構わない。どうせ、なかなか信じてもらえないだろうから、魔法使いは気にもしていないんだ。例えば、人間が魔法使いを目撃したとして、その人が他人に話しても信じる人はごくわずかだろ?」

 エドはそう言った。

「たしかに……」

 ひとまず、魔法使いの話をしても問題ないことがわかり安心した。

「とはいっても、むやみやたらに目撃されるのくらいは防ごうってことで、魔法を使う姿は隠しているんだ。……ただ、緊急事態の時は、ローブを着ていても人間に見えるように可視化したりもするし。命がかかってる時に、魔法使いだのなんだの言ってられないしな」

 エドは真剣な表情でそう言う。

「だから、火事の時にはマリーさんが見えたんだ」

 ヒカリは今まで魔法使いを見た時というのが、たしかに緊急事態だったと思い出し納得する。

「ちなみに、普通の人間のヒカリとシホが、ローブを着た魔法使いが見える条件というのも、説明しとかないといけないな。……その条件は、『魔女玉を身につけていること』もしくは、『ローブを着ていること』の二つだ。大事なことだから、よく覚えておけよ」

 エドはそう言った。

「そうなんだ」

 ヒカリはすごく大事なことだったので、しっかり覚えておこうと思った。

「それじゃ、魔女修行を始めていくぞ!」

 エドが元気にそう言った。

「うん!」

 ヒカリも元気に返事をする。

「まずは、空を飛ぶ魔法だな!」

 エドはそう言った。

「えっ? いきなり空を飛ぶ魔法なの?」

 ヒカリは、空を飛ぶ魔法の難易度が高いのではないかと思って驚いた。

「ん? そんなに驚くことか?」

 エドは首を傾げていた。

「なんとなく空を飛ぶのは難易度高そうだから、最初はもっと簡単そうな魔法からかと……」

 ヒカリはもちろん自分の発言に自信があるわけではなく、なんとなくそういうものではないかと思って伝える。

「空を飛ぶ魔法は、直に触れているものに魔法をかけるわけだから、どちらかというと簡単な魔法なんだ」

 エドは冷静にそう言った。

「へぇー、そうなんだ!」

 ヒカリは空を飛ぶ魔法の方が簡単だという理由を聞いて、意外と納得できるものだったので、すぐに受け入れられた。

「ということで、空を飛ぶ魔法の修行を始めるぞ! まずは、俺がやってみせる」

 エドはそう言うと、ポンっと魔法でほうきを取り出しまたがった。

「どんな魔法でも手順は同じだ。まずは、胸の中心に精神を集中する。まぁ、魔女見習いだと、首に付けている魔女玉に自分の精神を集中すればいい。そして、使いたい魔法のイメージを思い浮かべる。そしたら、魔法が発動する。こんなもんだ」

 エドが精神を集中すると胸のあたりがうっすら光っていた。そして、魔法のイメージを思い浮かべると言った後、エドの体がゆっくりと宙に浮き上がった。

「すごーい!」

 ヒカリはエドの魔法に感動した。

「やってみろ!」

 エドは空を飛ぶのをやめ、地面に着地しながら言った。

「よーし! ……でも、ほうき持ってないからどうしよう」

 ヒカリはエドに問いかけた。

「別に、ほうきじゃなくてもいいよ。ぶっちゃけ、なんでもいいわけだから……。そうだな……原付バイクでもいいんじゃねえか?」

 エドは悩んだ末に閃いたように言った。

「……えっ! 原付バイクでも空を飛べるの?」

 ヒカリはまさかの原付バイクだったので驚いてしまう。

「なんでも飛べるよ。魔法だし」

 エドは冷静に言った。

「世の中の人間の常識が崩れていくよー!」

 ヒカリは頭を抱えながらそう言った。

「ん? まぁ、たしかに大抵の魔法使いは、ほうきに乗って空を飛んでるし、軽くて飛びやすいからというのもある。……そうだな! ほうきにするか! ほらよ!」

 エドはそう言うと、持っていたほうきをヒカリに渡した。

「使っていいの?」

 ヒカリはエドに問いかける。

「それやるよ! 俺はもう一本持ってるから! そのほうきはすごく飛びやすいし、かなり速度も出るからいいぞ!」

 エドは笑顔でそう言った。

「そうなの? ありがとう!」

 ヒカリはエドからいいほうきを貰えたので嬉しかった。

「じゃ、とにかく実践だな! やってみろ!」

 エドは真剣な表情になりそう言った。

「よーし! やるぞー!」

 ヒカリはほうきにまたがりながら元気よく言った。

「えっと……。魔女玉に精神を集中して……。空を飛ぶイメージを思い浮かべる……。ぐぐぐぐぐ…………。むむむむむ…………。」

 ヒカリはエドの説明通りにやってみたが、全く体が浮き上がらない。

「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐ……。……はぁーー! あっ! 今ちょっと浮いてたかも!」
「浮いてねえよ!」

 なんとなく一瞬浮き上がったような気もしたが、全く浮き上がっていなかったようだ。

「ふぅー。……そりゃ、簡単には使えるようにならないか」

 ヒカリは呼吸を整えながらそう言った。自分のぼやきに対して、エドから何も反応がないので見てみると、真剣な表情を浮かべながら見守ってくれていた。エドの期待にも応えたいから、とにかく何度でも挑戦しようと思った。

「…………。くっ! …………。はっ! …………。はぁーっ! …………」

 だが宙に浮かばない。それから、何度も挑戦し続けた。せめて魔法が少しでも使えたと思えるくらいの成果が欲しい。今のままでは何も得られていないから。とにかく繰り返そう。



 空を飛ぶ魔法の修行を始めてから二時間ほど経ったが、まだ一度も宙に浮かぶことはなかった。それでもまだ諦めたくない。本気で魔女になりたいからこそ、余力が残っているうちは簡単に引き下がれない。

 そして、再び空を飛ぶ魔法に挑戦しようとした時、ずっと何も言わずに見守ってくれていたエドの存在にヒカリは気づいた。

「長い時間ごめんね。でも私、もう少しやりたいからさ、先に帰ってても大丈夫だよ!」

 ヒカリは申し訳ない気持ちだった。しかし、エドから返事は返ってこなかった。

「エド……?」

 ヒカリはエドが心配になった。
「……ヒカリ、魔法を信じてないだろ?」

 ずっと黙っていたエドが口を開いた。ヒカリはエドの急な質問に対して、今まで考えたこともないような内容だったので焦った。

「えっ? ……そ、そんなことないよ! マリーさんの魔法も見たことあるし、エドにも空を飛ぶ魔法を見せてもらったし!」

 ヒカリは魔法を信じていないわけがないと思った。

「実は、魔法を発動させるのには、そんなにテクニックはいらないんだ。というのも魔女修行自体、魔法を発動してからの、維持・増幅・変化などの様々な魔力コントロールを身につけることが、メインだからさ。だから、そもそも魔法が発動しないっていうのは、ヒカリに何かが足りていないだけなんだ。……まぁ、それだけとはいえ、それが難しいことでもあるんだけどな」

 エドは少し深刻そうな表情で言った。

「……そうなんだ」

 ヒカリは落ち込んでしまった。

「俺の推測だけど、『魔法を信じること』が足りていないのかもな」

 エドはそう言った。

「私、魔法を信じてないの……?」

 ヒカリは下を向きながら言った。

「わからん。でも、なんとなくそう思う。……ヒカリには、一度自分の気持ちを整理する時間が必要だ。だから、今日の修行はこれで終わりにしよう」

 エドがヒカリの肩に片手を置いて、少しだけ優しそうな口調で言った。ヒカリはうなずき心の整理がつかないまま寮に帰る。





 その日の夜、ヒカリは照明を落とした暗い部屋で布団に入り、魔法が発動しない原因について考えていた。

「魔法を信じることか……。魔法が実在するってことは、実際に見たこともあるし、信じられるはず……。それでも、発動しないのはなぜだろう……。…………うーん」

 魔法が発動しなければ、魔女修行が本格的に始められない。それを考えると焦りが増していく。

「エドも……。あんなに期待して見守ってくれていたのに……。もしかして、私には魔法の才能が無いのかな……。……んー。……そんなの嫌だ。……でも。……そう思ってしまう。……本気でなりたいのに。……ダメなのかな。…………あー」

 頭の中で様々な不安がグルグルと回り続けて、結果的に気持ちの整理はできなかった。





 次の日の午前の仕事が終わりお昼休みになった。ヒカリは更衣室のロッカーからコンビニで買っておいた弁当を取り出し、シホのもとへ向かう。

「シホさーん! ご飯食べましょう!」

 ヒカリは、いつも通りシホと一緒に昼食を食べるために声をかけた。

「ごめん! ちょっとマリーさんからお使いを頼まれてて、お昼は外で食べてくる予定なんだ!」

 シホは申し訳なさそうに言った。

「そうですか……」

 ヒカリはシホと昼食を食べたかったのに、と残念な気持ちになった。

「ごめんね!」

 シホはそう言うと足早に会社を出ていった。



 いつもシホと一緒に昼食を食べる場所は、霧島ヶ丘公園の広場にある錦江湾がよく見える場所。そこの原っぱに座って食べるのが一番気持ちがいい。シホがいない日でも、お気に入りの場所での昼食は欠かせない。ヒカリはいつも通り昼食を食べ始める。

「シホさんに相談しようと思ったのになー」

 ヒカリはぼやいた。

「こんにちは」

 急に後ろから声が聞こえてきたので慌てて振り向くと、そこには長い金髪の女性が笑顔で立っていた。白シャツに黒ズボン、そして黒のハイヒールという清楚な雰囲気をかもしつつ、誰がどう見ても美人としか思えない顔やスタイルだったので、一瞬で魅了されてしまった。

「こ、こんにちは!」

 ヒカリは戸惑いながらも挨拶を返した。

「あなた、魔女見習いでしょ? はじめまして。私の名前は、シェリー。世界を自由気ままに飛び回っている魔女よ。私もこの場所でお昼を食べるのが好きだから、隣でご一緒してもいいかしら?」

 シェリーは笑顔でそう言った。

「こ、こちらこそ、はじめまして! ヒカリといいます! えっと、隣、どうぞ!」

 ヒカリはROSE以外の魔女に初めて会ったので、緊張しながら答えた。すると、シェリーはひと言ありがとうと言って、ヒカリの隣に座る。隣に座ったシェリーを見てみても、ただ座っているだけなのにとにかく色っぽいのが気になる。大人の女性のフェロモンというのは、こういうものなのかと思いつつ、美人という生き物の素晴らしさに只々感動した。

「あら。そんなに美人かしら。褒めてくれてありがとうね」

 シェリーは笑顔でヒカリの顔を覗き込みながらそう言った。

「いえいえ…………」

 ヒカリはとっさにそう答えた。だが、自分がそんな発言をしたわけではなく、心の中で思っていただけだったので、他人の心が読めるシェリーに驚いた。さすがは魔女だと思った。

「風が気持ちいいわね」

 シェリーは長い髪を耳にかけながらそう言った。

「そうですね。ここでご飯食べると、何でもおいしくなっちゃうんですよね」

 ヒカリは笑顔でそう言った。

「そうね……」

 シェリーは静かにそう言った。ヒカリはシェリーが発言しなくなったのが気になり、様子を見てみると、少し離れた遊具で遊んでいる子供たちを、じっと見ていることに気づいた。

「…………私、小さい頃に友達が全然できなくて、悩んでいたことがあったの」

 シェリーは遊具で遊んでいる子供たちを見たまま、落ち着いた様子でそう言った。

「えっ? そうなんですか?」

 ヒカリはなんとなくだが、シェリーが美人だから、友達にも恵まれていそうだと思ったので驚いた。

「その時、ずっと悩んでいて……。悩んでいる間にも、どんどん他人が怖くなってしまって……」

 シェリーは少しだけ悲しそうな表情をし、また少しだけ沈黙する。ヒカリはシェリーの悲しそうな表情を見て、自分が思っていた『美人だから友達にも恵まれていそう』という考え方自体が、とても安易なものだと気づいてしまった。こんなにもシェリーが真剣な話をしているのに、そんなことしか考えられない自分がすごく恥ずかしい。ヒカリは下唇を噛みながらそう思った。

「……でもね。そんなある日、ある人の言葉が気づかせてくれたの」

 シェリーは沈黙を破り悲しそうな表情をやめ、再び話し始めた。

「『相手が自分を信じていないから友達になってくれない』ではなく、『自分が相手を信じていないから友達になってくれない』ってね。……その通りだと思った。自分が相手を信じていないから、本当は友達になってくれる人に対しても、拒絶していたわけで。そんなことしていたら、友達なんか一生できっこないよね」

 シェリーは真剣な表情で最後は苦笑いを浮かべながら言った。

「それで、自分が相手を信じられるようになったら、自然と友達もできていったの」

 シェリーは微笑みながら言った。

「そうだったんですね……」

 ヒカリはシェリーの話を聞いてすごく勉強になった。きっとこの話は誰にとっても大事な考え方だと思うから。

「……だから、『どうせできない』とか、『できないかもしれない』と思っている人に、本当に欲しい物は得られないのよ」

 シェリーは遠くの何かを見つめながらそう言った。ヒカリはその言葉を聞いて急に胸が熱くなる。

「…………それは、魔法も同じよ」

 シェリーはヒカリの顔を見て、真剣な表情でそう言った。ヒカリはその言葉に胸を打たれた。

「ごめんね。ちょっと長話になっちゃって、おばさん臭かったね」

 シェリーは笑顔でそう言った。

「そ、そんなことないです! めちゃくちゃ美人だし! それに、シェリーさんが話してくれたことが、私が今悩んでいることにも同じことが言えると思ったので、すごく助かりました! だからむしろ、ありがとうございます!」

 ヒカリは感謝の気持ちを込めてシェリーに頭を下げた。

「あら。それはよかったわ。……それじゃ、また一緒にご飯しましょう」

 シェリーは立ち上がりながら言う。

「はい! ぜひ、いつでも!」

 ヒカリが元気よく言うとシェリーは去っていった。





 その日の退勤後になり、ヒカリはエドと一緒に霧島ヶ丘公園の広場で、魔女修行を始めた。

「じゃ、昨日の続きをしていくぞ」

 エドはそう言った。

「うん!」

 ヒカリは元気よく言った後、ほうきにまたがった。少しの間、目を閉じて精神を落ち着かせることから始める。そして、しばらくすると周りの音が気にならなくなったので、精神が落ち着いてきたのだと思った。今回はきっと魔法が発動するはず。だから、今の自分を強く信じて挑戦しよう。

「魔女玉に精神を集中……」

 なんだか胸のあたりが少し温かくなってきた気がした。ただ、余計なことに意識を持っていかれないような注意が必要だ。

「自分が空を飛ぶイメージを浮かべる……」

 ヒカリは空を飛ぶイメージを浮かべたが、魔法は発動しない。

「…………それから、最後に。……私は魔法を信じている。……魔女は魔法を使える」

 ヒカリは魔法の発動に必要だと言われた、魔法を信じる気持ちを高めていこうとした。

「そしてーー!」

 ヒカリは目を大きく開き、自分が魔法を発動するのに不足していたものが、『自分自身が魔法を使えると信じること』だと確信し、力強く大声で言った。

「私だって魔女だから! 魔法を使えるんだああああああ!」

 ヒカリは大声で叫んだ。その瞬間、目の前に強い光が放たれた。

「うわっ!」

 エドが驚いているような声で言った。光が眩しくて何も見えない。

「……エド。……私」

 ヒカリは不思議な感覚を感じ、戸惑いながらそう言った。

「もしかして!」

 エドはそう言った。

「浮いてる!」

 ヒカリがそう言うと、ヒカリの周りの強い光が消えていく。

「めちゃくちゃ少しだけど! 浮いてる!」

 エドは元気よく嬉しそうにそう言った。ただ、エドが言うとおり、見える景色もエドの胸の高さほどで、浮いているほうきに逆さになってしがみついているような状態だった。

「えへへ」

 ヒカリは嬉しくて笑った。すると、集中が途切れたせいか魔法が解けた。

「うわっ!」

 ヒカリは地面に落ちると思って驚いたが、エドがお姫様抱っこで抱えてくれたので、地面に叩きつけられずに済んだ。

「おめでとう!」

 エドは嬉しそうな声でそう言った。

「えへへ……。できた……。空……飛べた」

 ヒカリは笑顔で少しだけ涙を流しながら言った。とにかく魔法を使ったからなのか体に力が全く入らない。

「あぁ、すげえな、ヒカリ! よく頑張った!」

 エドは温かくて優しかった。

 そして、そのエドの言葉を最後になんだか急に眠くなった。
 ヒカリは目を覚ます。

「あれ……。ここは……自分の部屋か……」

 周りを確認すると今は寮の部屋にいるようだ。

「たしか、魔法で宙に浮くことができて、すごく嬉しかったような。……えっ? あれは夢だったの?  そんなー。そりゃないよー。……あー、せっかく魔法を発動できたのになー」

 ヒカリは落ち込みながらぼやいた後、起き上がろうとしたのだが、体に力が入らないことに気づく。

「あれ、全然力が入らない。……もしかして金縛りってやつ? やばいよ! 金縛りになったら怖い何かが見えたりするんでしょ? どうしよう!」

 ヒカリは焦りながらそう言った。

「あ、言葉が出るから違うか。……んー、全身の力が抜けてる感じ。……なんだろう」

 ヒカリはあっさりと金縛りを否定した後、今まで経験したことの無い脱力感を不思議に思った。すると、ヒカリの部屋をノックする音が聞こえた。

「はい! 今ちょっと動けなくて……」

 ヒカリが少しだけ大きな声で言った次の瞬間、ドアノブが回る音が聞こえて扉が開き始めた。部屋の鍵がかかっていなかったことにすごく驚き、誰が入ってくるのかもわからず怖くなったヒカリは、とっさに目を閉じてしまった。誰かが入ってくる足音は聞こえるが、閉じた目を開けることができない。

「起きたか。体調は大丈夫か?」

 聞き覚えのある声が聞こえて、ゆっくりと目を開けると、そこにはエドがいた。

「……エド。びっくりしたー。不審者かと思ったよ!」

 ヒカリは声の主がエドだとわかり安心した。

「不審者じゃねえよ!」

 エドが少し怒った。

「ごめんごめん!」

 ヒカリは笑ってごまかす。エドは一瞬ヒカリの顔を見てから、カーテンを開けて部屋に日光を入れた。

「体調はどうだ?」

 ヒカリの顔を見ながら言った。

「えっと……。なんか全身の力が入らなくて、動けない――」

 ヒカリは話している最中に言葉が詰まり固まってしまった。それは、エドが急に顔を近づけてきたことが原因だ。急なエドの行動に全く理解が追いつかない。とにかく動揺してしまう。エドの顔が目の前まで迫ってきた時、ヒカリは黙って息を止めた。

「――熱はなさそうだな」

 エドはヒカリのおでこに自分のおでこを当てて、熱が無いかを確認してすぐに離れた。ヒカリは訳も分からず、さらに動揺して顔が熱くなってきた。

「安心したよ」

 エドは優しそうな口調で言った。ヒカリはまだ動揺したままだった。

「ヒカリちゃん。起きたみたいだね」

 シホが安心した様子で部屋に入ってきた。

「シホさん。私、何がどうなって」

 ヒカリはシホに問いかけた。

「昨日の夜、エドがヒカリちゃんを抱えて帰ってきたんだよ」

 シホはそう言った。

「エドが私を?」

 ヒカリは視線をシホからエドに移しながら言う。

「ヒカリが魔法を発動させられたのはいいんだけど、魔力を全部使って倒れたから大変だったんだぞ」

 エドは少しだけ笑みを浮かべながら言った。

「そんなことが……。えっ! 私、魔法を発動できたの?」

 ヒカリは驚いてエドに聞き返した。

「そうさ! こんくらいの高さで少しの間だったけどな!」

 エドは笑顔で言う。

「……夢じゃなかったんだ。……そっか! よかったー!」

 ヒカリは夢ではないことがわかり安心し、嬉しい気持ちがわき上がってきた。

「まぁ、本当によくやったよ」

 エドは嬉しそうにそう言った。

「でも、魔力を使い過ぎると倒れちゃうんだね」

 ヒカリはぼやいた。

「そりゃ、そうだ! たった一回の魔法でも、それにつぎ込む魔力を上手に調整できないと、こんなことにもなってしまうんだ!」

 エドは少し真剣そうに言った。

「そうなんだね」

 ヒカリは魔力調整の大事さを痛感した。

「まぁ、とにかく大丈夫そうでよかった。あとは、三日くらい安静にしていれば、また魔力も戻るよ。それまでは、頭の中で空を飛ぶイメージを作っておくように」

 エドはそう言った。

「わかった。たくさん面倒みてくれてありがとう」

 ヒカリはエドに感謝の気持ちを伝えた。

「そんなの当然だ。……じゃ、また」

 エドはそう言うと部屋を出ていった。

「じゃ、余計なことしないでおとなしく過ごしてね」

 シホは優しく声をかける。

「シホさんもありがとうございました」

 ヒカリがシホに感謝の気持ちを伝えると、シホは笑顔でうなずいた後、部屋を出ていった。

「…………。うふふふふふ。やったー。魔法使えるようになったー」

 ヒカリは部屋で一人になると、小さな声で魔法を発動できた喜びをぼやいた。只々、嬉しかったから。





 それから三日後、ヒカリは魔力が回復し、無事に元気よく動けるようになった。そして、その日の退勤後から、霧島ヶ丘公園の広場にて魔女修行を再開した。

「じゃ、今日からまた魔女修行を再開するぞ!」

 エドがそう言った。

「うん!」

 ヒカリは元気よく返事をした。

「魔女試験まであと二ヶ月しかないから、どんどんやっていくぞ!」

 エドは真剣な表情で言った。

「うん! ……えーーっ! あと二ヶ月後に魔女試験なの?」

 ヒカリは魔女試験が二か月後だということを知らなかったので驚いた。

「おう。そうらしいけど」

 エドは落ち着いた様子だった。

「そんな大事なこと、早く教えてよー!」

 ヒカリはエドを少しだけ責めた。

「いやいや、俺だって聞いたのは今日なんだから。……毎年、魔女試験は何月に開催されるとか決まってるわけじゃなくて、急に通知が届くようになっているらしい。……ちなみに、二ヶ月前の通知も早い方らしいぞ」

 エドは冷静に説明をした。

「そ、そうなんだ……責めたりしてごめん。でも、あと二ヶ月しかないのか……」

 ヒカリはエドの話を理解して謝った後、魔女試験まで二ヶ月しかないことを気にし始めた。

「あと二ヶ月もある! やれるだけのことをやっていこう!」

 エドは真剣な口調でそう言った。

「エド……」

 エドの前向きな発言に、重くなりそうだった気持ちが少しだけ軽くなる。

「もう少しやれたなーって思ってしまう時には、必ず後悔が生まれる。……だから、今の自分が本気で取り組んだとしたら、結果はどうであれ後悔はしない! ……やれるだけのことをやろう!」

 エドが真剣な表情でどこか優しさもあるような口調でそう言った。ヒカリはエドの言葉のおかげで、前向きな気持ちがわき上がってくる。

「うん!」

 ヒカリは元気よく返事をした。

「とはいえ、あと二ヶ月で試験に挑むわけで、これから何をやるかというと。……空を飛ぶ魔法をできるだけ使いこなすことだ!」

 エドはそう言った。

「空を飛ぶ魔法ばかりでいいの? もっと幅広くやった方が良かったりしない?」

 ヒカリはエドに問いかけた。

「もちろん、いろんな魔法が使えた方がいいんだけど、期間が限られている状況だと、幅広くやったら全部中途半端になってしまうだろ? ……たくさん魔法を使えるけど全部しょぼいのと、一つしか魔法を使えないけど、それなりに完成度が高いのだったら、俺は後者の方が良いと思う! やっぱり、魔女試験における魔法スキルの合格基準が明確になってないからこそ、こうやって悩むんだけどな。……まぁ、マリーも空を飛ぶ魔法を優先した方がいいって言ってるし。……だから、空を飛ぶ魔法をできるだけ使いこなすことにしよう!」

 エドはそう言った。

「わかった!」

 ヒカリはエドの考えに納得した。

「それじゃ、空を飛ぶ魔法の修行を始めていくけど、正直二ヶ月でどれだけ使いこなせるようになるかは俺にもわからない。……一つの魔法に絞ったところで、二ヶ月というのは短すぎるからな。……前にも言った通り、魔法を発動させてからの魔力コントロールこそが、魔女修行の主な内容だからこそ簡単なわけがないんだ。とにかく諦めずに頑張っていくぞ! 大切なのは、イメージとテクニックだ! よく覚えておけ!」

 エドは腕を組みながらそう言った。

「うん!」

 ヒカリはうなずく。

「それじゃ、やってみろ! もちろん、この前みたいに、一発で魔力を全部使わないように注意しろよ!」

 エドはそう言った。

「わかった! よーし!」

 ヒカリはほうきにまたがる。

「………………はっ!」

 ヒカリがそう言うと魔法が発動し、宙に浮いたほうきにぶら下がった状態になった。

「できた! うわっ!」

 魔法が発動したのも束の間、すぐに地面に落ちてしまった。

「いててて! 魔法が使えるようになったのは嬉しいけど、こんなんじゃ駄目だ! もっと頑張らないと!」

 ヒカリは地面にぶつけたお尻を痛がりながら言った。

「もう一回言うけど、魔法に大事なのは、イメージとテクニックだ! イメージは、自分が発動させる魔法は、どんなものでどうなっているのか! テクニックは、イメージに合わせて送り込む魔力の配分や質を調整することだ! まず、空を飛ぶ魔法には、魔力の質はあまり関係ないから、とにかく、イメージに合わせて魔力の配分をして浮いてみせろ!」

 エドは真剣な表情でそう言った。

「う、うん! ……えっと、イメージをして。……あまり力み過ぎないで……発動! うわっ!」

 ヒカリは宙に浮かばず、前のめりに倒れてしまった。

「いてて。……魔力が少なすぎた」

 ヒカリは立ち上がりながらそう言う。

「次は、もう少しだけ魔力強めで……。うわーっ!」

 ヒカリは勢いよく数メートル上まで飛び上がっていた。そして、その高さから落下し始めた。

「えっ! やばい! どうしよう!」

 ヒカリは焦った。どんどん速度を上げて落下していくからだ。そして、地面に叩きつけられると思って目を閉じた瞬間、ヒカリの体は空中で止まる。

「……あ」

 ヒカリは驚いて固まってしまった。

「……続けろ」

 エドがそう言うとヒカリは地面にゆっくり降りた。ヒカリはエドが魔法で助けてくれたことがわかった。

「魔力が強すぎても、弱すぎてもダメで。ちょうどいいところを…………」

 ヒカリは今までの経験を活かし、バランスよく魔力を込めようと試みる。

「……はっ! うわっ!」

 今度も魔力が強すぎたのだろう、ほうきにしがみついた状態で先ほどよりも高く飛び上がっていた。

「また、落ちるー!」

 ヒカリは焦って叫んだ。

「だから……すぐ諦めてんじゃねえよ! しっかりイメージしろ!」

 エドが大声でそう言うのが聞こえた。その言葉でヒカリは気づいた。なぜ魔法が途切れてしまうのか。

「……そうか! ここで落ちるイメージを持つから落ちるんだ! まだ、空を飛んでいる途中なんだよ! …………イメージ」

 ヒカリはそう言って目を閉じた。地面に落ちるまでがチャンスなんだ。もし魔法が解けたとしても、また発動し直せば、ずっと浮いていることになるはず。そう信じながら魔力を込める。すると、魔法が発動し宙に浮いた状態になった。

「……ふぐうううううう!」

 ヒカリはフラフラと上下しながら全神経を集中させて浮かぶ。

「ほら! できたじゃねえか! 顔やばいけど!」

 ヒカリはそんなエドの言葉が一瞬聞こえたが、少し精神が乱れたのですぐに集中し直した。

「んぐぐぐ!」

 宙に浮いた状態を続けるだけで、ものすごく神経を使う。たった一秒でも浮き続けるのは必死だった。

「……もう……ダメー!」

 ヒカリは連続の魔力コントロールの限界に達してしまい、空中で魔法が解けた。すると、地面に落ちずに体がフワッと宙に浮かび、それに合わせてヒカリは体勢を立て直し、地面に座り込んだ。

「よくやったじゃねえか! 一応、空を飛んでられる時間は新記録だな!」

 エドは嬉しそうにそう言った。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 ヒカリは疲れ果てて言葉が出なかった。

「魔力の扱いが慣れていないとそれだけで疲れるんだ。だんだん慣れてくれば、あまり疲れなくなってくるし、魔力も強くなってくるから持久力もついてくる。……少しずつだ」

 エドはそう言ってヒカリの肩を優しく叩く。

「はぁ……はぁ……。……うん」

 ヒカリは少しだけ魔力のコントロールができるようになった。とにかく、魔女試験に向けて、空を飛ぶ魔法をできるだけ使えるようになりたい。残り二ヶ月という短期間での猛特訓が始まった。
 だんだん冬が近づいてきた魔女試験前日の朝。ヒカリはいつも通り会社に出社していた。

「…………」

 ヒカリは受付の席に座り、目の前の書類を折ったり広げたりを、意味もなく繰り返していた。

「こんにちは。お願いしたいことがありまして。ってあれ? お二方とも意識は大丈夫ですかね?」

 ヒカリはそんなお爺さんの声が聞こえたような気もしたが、目の前の書類を折ったり広げたりを、意味もなく繰り返した。

「あー! すいません! 私が受付を担当しますので、ちょっとだけお待ちください!」

 ベルの声が聞こえた。その後、エドに連れられて会議室に移動することになった。すると、シホもリンに連れられて会議室に入ってきたようだ。

「何ボーっとしてんだよ!」

 エドはそう言った。

「おい! シホ!」

 リンもシホに言った。

「…………ふふふ」

 ヒカリとシホは同じタイミングで不気味に笑った。

「あー! もう! なんなんだよ!」

 エドが慌てていた。

「緊張し過ぎて、心配で、全然眠れなかったし……」

 ヒカリはつぶやいた。

「今回で魔女試験最後だからって考えだしたら、緊張がやばくて……」

 シホもつぶやいた。

「……はぁ」

 ヒカリとシホは同時にため息を吐く。

「ヒカリとシホはもう帰りなさい!」

 マリーの声が聞こえた。

「ちょっと待ってください! ただ二人とも緊張してるだけで……」

 リンはマリーにそう言った。

「ここは会社よ。やる気がない人はいらないわ」

 マリーは冷たい口調で言う。

「マリー! そんな言い方ねえだろ!」

 エドは怒っているようだ。

「……有休も余ってるんだし、たまには気分転換しておいで。エドもリンも一緒に」

 マリーは落ち着いた口調で言う。

「お、俺たちも?」

 エドとリンは驚く。その後、エドとリンはヒカリとシホの顔を見て、黙ってしまう。

「……じゃ、今日の俺たち四人は有休な。俺らの仕事の引継ぎをお願いしてくる」

 エドはマリーにそう言って会議室から出ようと扉を開けると、事務所にいた社員一同が流れ込んできた。

「お前ら、何してんだよ?」

 エドが怒った表情を浮かべながら、流れ込んできた社員一同に問いかける。

「別にこれは盗み聞きとかじゃねえ! たまたま、扉の温度を耳で測ってただけだ!」

 ケンタは急な言い訳が下手なのだろう。

「俺は、扉の匂いをかいでただけだ!」

 ライアンに至っては言い訳が少し気持ち悪い。リンはこの状況を見て笑っていた。

「ってことだから、あんたらの仕事の方は大丈夫だ。……はい。欠勤が四人と」

 マリーはそう言いながら会議室を出ていこうとした。

「有休だよ!」

 エドがマリーにツッコミを入れると、社員みんなで大笑いしていた。



 その後、有休扱いになった四人は寮に帰ってきた。

「ごめんなさい。私がボーっとしてたから」

 シホはエドとリンに謝った。

「私もごめんなさい」

 ヒカリもシホに合わせてエドとリンに謝った。

「いいんだ。とにかく気持ちを落ち着かせることも大切だからな!」

 リンはヒカリとシホに優しい口調で言う。

「二人ともやりたいことがあればやってこいよ! せっかくの有休なんだし!」

 エドは笑顔で元気よく言った。

「それなら…………リンさんと一緒にたくさん話がしたいです」

 シホはリンを見つめてそう言った。そのシホの雰囲気を目の当たりにしたヒカリは、シホとリンの関係性が恋人同士に見えてしまい、戸惑ってしまった。エドも同じ気持ちだったのだろう驚いていた。

「わかった。どこで話そうか?」

 リンは落ち着いた口調でシホに問いかける。

「いつもの修行場所でお願いします」

 シホも落ち着いた口調でそう言った。

「そういうことだから、じゃ!」

「ヒカリちゃん、またあとでね」

 リンとシホはそう言うとローブ姿になり、ほうきにまたがって飛んでいった。

「……えっと。…………そう! ヒカリがしたいことをした方がいいと思う! 別に俺と一緒じゃなくてもいいし! 大事なのは、ヒカリが少しでもリラックスできることだと思うからさ!」

 エドは笑顔でそう言った。

「エド。……そしたら、一緒に散歩しよう。なんか、今は特に何かをやりたいわけじゃないからさ。……だから、散歩くらいでいい」

 ヒカリは緊張した状態で一人になりたくなかった。

「そうか。よし! そうしよう!」

 エドは笑顔で言った。



 ヒカリはエドと一緒に海岸沿いを歩き始めた。少し肌寒い潮風を受けながら歩くのも気持ちがいい。こうやって目的もなく過ごす時間というのは、すごく久しぶりな気がする。最近はずっと魔女修行ばかりしていたからなのだろう。すると、心の中にほんの少しだけゆとりが生まれた気がして足取りが軽くなった。後ろを振り返るとエドがいる。心配してわざわざ仕事も休んでくれて、散歩にも付き合ってくれる。本当に優しい人だ。

「そういえばさ、こうやってゆっくり話すことってなかったよね」

 ヒカリは後ろ向きに歩きながら話しかける。

「そうだな」

 エドは少し大きめの石を前に蹴り飛ばしながら歩いていた。

「ねぇ、エドって兄弟とかいるの?」

 ヒカリはエドに問いかける。

「兄弟はいない。……っていうか、親もいねえからな」

 エドは落ち着いた口調でそう言った。

「そうだったんだ。ごめん、嫌な質問しちゃったね」

 ヒカリは申し訳ない気持ちになり足を止めた。エドはそのまま歩いてヒカリを追い越した。

「いやいや、別に実の家族はいなくても、ROSEの奴らが家族だと思ってるし、全く気にしてねえぞ!」

 エドが元気そうな口調でそう言ったので、ヒカリはエドの方を向いた。

「……そっか!」

 ヒカリはエドの笑顔を見てほっと安心した。ヒカリはエドの近くまで急いで駆け寄る。

「それで! なんでROSEに入ったの?」

 ヒカリはエドの傍に来るなり質問をした。

「なんだよ! すっごい聞いてくるじゃねえか!」

 エドは驚いた様子だった。

「せっかくだもん! エドのこと知りたいなーって思うからさ!」

 ヒカリはエドの隣を歩き背伸びをしながら、エドの顔を見てそう言う。

「まぁ、別にいいけど。……なんだっけ? ROSEに入った理由か? ……えっと、元々はずっと一人で生きてきて、まぁ、生きるためなら悪いことも多少やってきた。別に人殺しとかじゃねえぞ! 毎日喰うものすらままならないほど、地獄みたいな場所で生きてきたから、盗みなんて当たり前だった。そりゃ、こんな孤児を養ってくれるほど裕福な人は、あの世界にはいなかったし、俺自身、誰かの助けなんていらないって思ってた。……でもある時、そんな俺を拾ってくれたのがマリーだったんだ。………………まぁ、だから、ROSEに入ったっていうよりも、拾われたって感じかな」

 エドは空を見ながらそう言った。

「そうだったんだ」

 ヒカリは、エドにもROSEに来るまで複雑な事情があったのだと察した。

「でも俺はさ、ROSEは最高の会社だと思ってる! ROSEの社員は、一人一人がやりたいことをやるために会社に来てて、俺も最初はやりたいことなんてなかったけど、今はやりたいことをやるために会社に来てる! やっぱり、本当にやりたいことって、最高に気持ちがいいことなんだよな!」

 エドは幸せそうな笑顔を浮かべながらそう言った。

「そっか。やりたいことは、気持ちがいいこと……」

 ヒカリはエドの話に相づちをうった後、聞き覚えのある言葉が気になっていた。

「そうだ! やりたいことは気持ちがいいこと! まぁ、マリーが教えてくれたんだけどな!」

 エドが笑顔でそう言った後、ヒカリはハナの昔話の中でマリーの亡き夫であるケンジが『やりたいことは気持ちがいいこと』と、マリーに伝えた話を思い出した。マリーもエドも、きっとその言葉に救われたのだろう。ヒカリはいつか自分にもその言葉が必要になる時が来るかもしれないと思い、優しく胸の中にしまった。

「でも、もうこれは俺の言葉でもある!」

 エドは自信満々な表情でそう言った。

「ふふふ! エドはいつだって皆に力をくれるね!」

 ヒカリは笑いながらそう言った。

「だろっ?」

 エドは笑っていた。

「話してくれてありがとう」

 ヒカリは落ち着いた口調でそう言う。

「あぁ、当然だ!」

 エドは元気にそう返した。

「じゃ、次は…………」

 ヒカリはそう言った。