「お父さん! お母さん!」

 パジャマ姿の少女・ヒカリは、燃え盛る炎の中、部屋の入口に向かって大声で叫んだ。しかし、返事は返ってこない。改めて炎に包まれている自分の部屋を見て、恐怖のあまり体が震えてしまう。

「……嫌だよ。死にたくないよ」

 ヒカリは怯えながら言った。できることなら早く一階の部屋に降りて、両親に会いたいのだが、炎が怖くて座り込んだまま動けない。それでも、ほんの少しだけあった勇気を振り絞り、立ち上がろうとした。

「…………でも、やっぱり怖いよ!」

 しかし、恐怖に打ち勝てず、床の上でうずくまってしまった。

 その時、炎で燃え上がったタンスが、ヒカリに向かって倒れてきた。ヒカリは条件反射的に逃げようと思ったのだが、体が言うことを聞かなかったため、その場から動くことができない。

「キャー!」

 ヒカリはうずくまりながら叫んだ。ヒカリにとっては、もう何もかも終わりだ、と完全に諦めた瞬間だった。

 しかし、タンスは倒れてこない。

「……えっ?」

 ヒカリは驚きながらゆっくり視線をタンスに向けると、見たこともないローブ姿の女性が、タンスを受け止めて立っていた。表が黒で裏が濃い赤の帽子とローブに、ファーの付いた白いケープ。帽子とケープには、薔薇のマークが描かれているようだ。腰まである長い金髪と、明らかに異国の顔立ち。その女性は、体中にいくつか真新しい火傷を負っていた。

「怪我はないか?」

 ローブ姿の女性はヒカリに問いかけた。

「……うん」

 ヒカリはうずくまった状態のまま、ローブ姿の女性に返答する。

「それなら急いで外に逃げるよ!」

 ローブ姿の女性は焦りながら言った。

「待って! お父さんとお母さんは無事なの?」

 ヒカリはローブ姿の女性に問いかけた。

「今はあんたを助けるだけで精一杯なんだ。……ごめん」

 ローブ姿の女性はそう言うと、急いでヒカリを抱きかかえた。

「嫌だ! お父さん達と一緒じゃなきゃ嫌!」

 ヒカリがバタバタと抵抗をするが、ローブ姿の女性は離してくれない。すると、ローブ姿の女性が部屋の窓を開けたので、何をするのかと思った次の瞬間、ヒカリを抱えたまま、勢いよく窓の外へ飛び出したのだった。

「いやーー! お父さん! お母さん!」

 ヒカリは大声で叫んだ。その後、ほうきに乗って夜空を飛んでいることに気付いたが、そんなことよりも、両親を置いて一人だけ救出された事実を受け入れられず、大粒の涙が出てきた。

「お前たち! まだ火を消せないのか?」
「全然魔力が足んないです! ちくしょう!」
「くそっ! なんとかならないのか!」

 ローブ姿の女性は、家の周りにいる同じローブを着た人と、焦った様子で会話をしていた。

「私達の力不足で申し訳ないね。先日力を使い過ぎてしまって、今は少ししか使えないんだよ」

 ローブ姿の女性がヒカリを抱きしめながらそう言うと、ヒカリとローブ姿の女性は、ゆっくりと地上に降りていった。

 しばらくすると、消防車が到着して消火活動を始めた。ヒカリは燃え盛る家の近くで、泣きながら両親の救助を待っていた。ただ明らかに火の勢いが衰えることが無かったので、ヒカリの気持ちは、少しずつ不安から絶望へと切り替わっていった。



 そして、数時間経過した時、少し離れたところで、ヒカリをチラチラ見ながら気まずそうに、消防士が話をしていた。その様子を見たヒカリは、両親が亡くなってしまったことを、消防士から言われなくてもなんとなくわかってしまった。只々、両親を失った悲しみと、何もできなかった己の弱さを嘆き、涙が止まらなかった。

 ヒカリが泣いていると、先ほどのローブ姿の女性が近寄ってきて、ヒカリと同じくらいの目線の高さまでしゃがんできた。すると、ローブ姿の女性は、髪に付けていた薔薇を模した髪留めを、ヒカリの髪に付け始めた。

「この髪留めはね、私の魔力が込められているの。これ以上の不幸が訪れないように、ずっと身につけておきなさい」

 ローブ姿の女性の仲間が、その髪留めを渡しても大丈夫なのかと、ものすごく心配していたが、ローブ姿の女性はあっさり『構わない』と返事をしていた。ローブ姿の女性がヒカリに髪留めを付け終えた後、ヒカリは涙を流しながら、じっとローブ姿の女性を見つめた。

「……お父さんも……お母さんも……いなくて……私これからどうしたらいいの?」

 ヒカリはローブ姿の女性に尋ねた。すると、ローブ姿の女性は、一瞬何かを考えたようにも見えたが、すぐにキリっとした真剣な眼差しでヒカリを見た。

「生きろ!」

 それから少しの間、お互い何も言わず見つめ合う。

「……それだけだよ。じゃ、元気に生きていくんだよ」

 ローブ姿の女性は、立ち上がりながらそう言って去っていった。

 その後、ヒカリは無言で立ち尽くすだけだった。





「ヒカリ! ヒカリ!」

 ヒカリを呼んでいる声が聞こえてきた。

「はいっ!」

 ヒカリは授業中に居眠りをしていたのが、先生にバレてしまったのだと思い、慌てて椅子から立ち上がり元気よく返事をした。

「なにやってるの! もう帰る時間だよ!」

 授業中の居眠りがバレたわけではないようなので安心したが、結局は誰が呼んでいたのだろうか。ヒカリは寝ぼけながら目の前にいた人物を確認した。黒の短髪に、学校指定のブラウスとスカートを身につけた女の子。いかにも学級委員のようなしっかりとした雰囲気。それは紛れもなく、親友のフミだった。

 どうやら、授業中どころか帰りのホームルームまで終わっていたようだ。

「えっ、まじで? もうそんな時間? いやー、もうすぐ梅雨だからさ、今のうちに気持ちの良い春の陽気を堪能しておこうと思ったら、いつの間にか寝ちゃってたよ! はははは!」

 ヒカリは薔薇を模した髪留めで、背中の中央まで伸びた髪を、左耳の上あたりにくくりながらそう言った。

「もう! 高三なんだからしっかりしなきゃ! 来年になったら進学するにしろ就職するにしろ、自分で生きていかなきゃいけないんだからね!」

 フミはいつも通りプリプリと怒っていた。

「本当にフミはお母さんみたいだね!」
「うるさい!」

 ヒカリはフミとこういったやり取りの会話をするのが楽しいので、少しばかりフミの言い方がきつくても嫌いになる理由にはならない。

「そういえばさ。……もう進路希望の紙は出しているよね?」

 フミは明らかに疑っている表情を浮かべながら聞いてきた。

「……えっと。それは」

 ヒカリはフミから視線をそらした。

「うわー、ここにいたよ! 先生がさっきのホームルームで、一人だけ出してないって言ってたけど。やっぱりヒカリだったのね!」

 フミは進路希望の紙の未提出者がヒカリだとわかった途端、あきれた口調で言い放った。

「私だけ? みんな早いなー」

 ヒカリは少し驚きながらそう言った。

「明日が期限なの! こんな大事なものギリギリで出さないわよ!」
「明日までなの?」
「はぁ。これだよー」

 フミはあきれ果てている様子だったが、それに対してヒカリは、焦る様子もなく落ち着いていた。



 帰り道はフミと途中まで同じなので、毎日一緒に帰っている。ヒカリは歩きながらも進路のことを考えていた。

「ねぇ。フミは進路希望になんて書いたの?」
「私? ……私は、……実家の居酒屋で働くって書いた」

 意外な答えだった。フミなら有名な大学にも行けるほど成績が優秀だから。ただ、フミの表情を見れば、進路について何か気にしていることがあるのだとすぐにわかった。

「そっか。学年一位の成績だから大学行くのかと思っていたけど、まぁ家庭の事情とかもあるだろうしね」

 ヒカリはフミが大学に進学しない理由をどことなく家庭の事情だと察した。フミはお父さんと二人で暮らしていて、毎日居酒屋の手伝いをしているのもあるから、その辺はいろいろあるのだろう。フミが家を出て、お父さんに寂しい思いをさせたくないと思っているのか、もしくは、お父さんから居酒屋で働いてくれと言われているのか。

「でもね、お父さんは『せっかく成績もいいのに、大学行かないなんてもったいない!』って、言ってるんだけどね」

 フミは少しうつむきながら話した。結果、お父さんの要望ではなく、フミ自身が選んだ道だということがわかった。それなのに、こんなにも元気がないのはなぜだろうか。おそらく、フミは誰からも進路について認めて貰えなくて、未だにその進路で本当に良いのかを、一人で悩んでいる状態なのだろう。ヒカリはそんなフミに対して、自分が何かしてあげなきゃいけないと思った。

「実家でお父さんと働くっていうのは、フミのしたいことなんでしょう?」

 ヒカリは、うつむいたフミの顔をのぞき込むようにして質問をした。

「……うん」

 フミはまだ元気のない表情を浮かべていた。

「それならいいじゃん! フミの人生なんだから、フミのしたいようにするのが一番だよ!」

 ヒカリはそう言うと、まるで双眼鏡を持っているかのような構えをして、それをのぞき込みながらフミを見る。

「実は、私のこの双眼鏡には未来が見えます! むむっ、なるほど! あなたは……たくさん勉強して大学に進学……していない。都会の会社に就職して新しい生活を……始めない。な、な、なんと、宇宙飛行士になって未知の惑星へ……行かない」

 フミはさっきまでの元気のない表情をやめ、優しい眼差しでヒカリを見ていた。

「……ふふ。居酒屋でお父さんと毎日ケンカしながらも協力し合って、二人で笑いお客さんとも笑い、苦しい日々も楽しい日々も、一生懸命過ごしていくあなたが見えます」

 ヒカリは言い終わると、双眼鏡の構えをやめてフミに満面の笑みを見せた。

「……ふふ! その双眼鏡で見えちゃったのならきっとそうなんだろうね! いやー、わざわざ未来を見ていただき誠にありがとうございます!」

 フミがヒカリにわざとらしく深々と頭を下げてお礼を言った後、二人とも笑いだしてしまった。

 二人の帰り道が変わる分岐点に到着する。元気になったフミがヒカリの目の前に立った。

「じゃ、ちゃんとお婆ちゃんと相談して、進路希望決めてくるんだよ!」

 フミは最後の最後まで心配してくれていた。

「わかってるって! じゃ!」

 ヒカリは笑顔で手を振りながらフミと別れた。