受付で場所を聞き、入院病棟に向かって院内を歩く。
 小さい頃から病院は苦手だった。
 消毒液やなにかわからない薬品の匂いだけじゃなく、排泄物や食事の匂い。人間が生きて暮らして死んでいく、その全てが一か所に凝縮された独特な匂いが一気に押し寄せて、押しつぶされそうな恐怖を感じるからだった。

 彼女が入院しているらしい病棟につくと、部屋の番号に沿って入り口に貼り付けられた患者名を見ながら進んだ。
 いかにもおばあちゃんな名前、かと思えばきらきらネーム。

ずらっと並んだ名前はどれも単なる記号のようにしか感じないけれど、それを見つけた瞬間にぼくの胸は一気に高鳴る。

 ようやくたどり着いた奥の個室、最音莉愛の名前だ。ぼくは抱きかかえた花をしっかりと持ち直し、部屋のドアをノックする。

 中から、とても明るいはきはきとした声で「どうぞ」と聞こえた。
 重い引き戸を開けると、彼女の姿や景色よりも早く、閉じ込められていた濃密な香りがぼくに襲いかかってきた。
 むせかえるような濃くて甘い、生花の香り。

 部屋中に満ちていた、彼女自身から発せられる香りだ。その証拠に、部屋には一切、花は飾られていなかった。

 この部屋に漂う彼女の香りで体が満たされた瞬間に、ぼくはさっきまでの不快感や恐怖心を全て忘れる。
 大きな窓から差し込む光が、ベッドに横になる彼女を照らしていた。

 淡いグリーンのパジャマに、素顔の、陶器みたいに真っ白な肌。まるで女神様みたいだ。部屋は寒いくらいに冷房が効いている。

「来てくれたんだ。菊川くん」

 彼女の声が、病室の入り口で立ち止まるぼくに届いた。