彼女が目の前で倒れたあの瞬間、ぼくはとんでもなくか弱い生きものを目の前にして、抱きあげて救出する以外の選択肢はそこにはなかった。

 ぼく自身が、彼女から強烈な平手打ちをくらったすぐあとであったにもかかわらず、である。

 ベッドで目を閉じたままの彼女。保健室のLEDライトに照らされて、ぼうっと白い光を放つ彼女の肌。

 このまま眠って起きないんじゃないだろうかとぼくは少し不安に思ったが、先生が落ち着いているところを見るときっと大丈夫なのだろう。

 子どもの頃、母親から絵本で眠り姫とか白雪姫といった物語を読み聞かせられていたとき、ぼくが一番不思議に思ったのは、王子様が眠っているお姫様を一目見て、恋をしてしまうというくだりだった。

 目を開けて動いている、美しいお姫様に一目惚れするならともかく、目を閉じて、眠っているお姫様に(しかも白雪姫に至っては仮死状態のお姫様だ)恋をして、いきなりキスをするなんてあり得るだろうか。
いやあり得ないだろうと、子どもながらにぼくはずっと思っていた。

保健室のベッドに横たわる彼女を眺めながら、眠っていてもその美しさがまったく損なわれないのが本物のお姫様なのだとしたら、最音さんほどお姫様にふさわしい人はいないかもしれないとぼくは思った。

 普段の彼女と倒れて眠っている彼女。陰口を言われた相手を睨みつける彼女や、女子数人に囲まれてもまったくひるまない彼女。

庇ったぼくに平手打ちをする彼女。強さと弱さの共存。

「今回は偶然、菊川くんが倒れたところに居合わせてくれたからよかったけど、誰もいないときにこうなるとすごく危険なの。本当なら、誰かがいつもそばについててくれれば一番いいんだけど、彼女はそういうのを嫌がっていてね」

 先生の表情は真剣だった。はい、とぼくは頷く。

「わざとらしくなく、いつも偶然、誰かがそこにいてくれるといいんだけど」

 先生はぼくを見てはいなかった。