ー10年前ー2012年ー
やがて年が明け2月になっていた。
涼介も美月も忙しい毎日を送っていた。
涼介は営業職として日々書店を回る日々を過ごし、美月もまた間近に迫った洋菓子専門学校の卒業に向けて最後の追い込みにかかっていた。
涼介は書店に頭を下げ続ける日々、美月は実習で習ったことの復習に追われていた。
次第に二人は連絡を取り合うことも少なくなっていた。
そんなある日涼介はいつものように上司の杉崎に言われて神保町の古書店「たにがわ」を訪れていた。
いつものように仕事の資料となる本を探してレジに持って行った。
詩織は笑顔で涼介を迎えた。
「お仕事順調ですか?」
詩織はニコニコとして涼介に聞いてきた。
「はい。入社して一年が経ったんですけど全然慣れなくて、、ははは」
「頑張ってくださいね」
「それと、、」
詩織は話を切り出しかけてやめた。
「それと?」
涼介が不思議そうに詩織を見ると詩織は少し考えて意を決して涼介に伝えた。
「あの、、お話したいことがあるので少しお時間頂けますか?」
詩織はすごく気まずそうに視線を逸らした。
「お話?」
「あ、いや、この前お勧めした本の感想がどうしても聞きたくて、、もうすぐ私のバイト終わるので、、」
「良いですよ。すぐそこの喫茶店で待ってますね。ちょうど僕も本の感想お伝えしたかったので、、」
そう言うと買った本を受け取り会釈をして店を出た。
涼介が喫茶店で待っていると詩織はものの10分もしないうちに店に入ってきた。
涼介は詩織にもコーヒーを注文して詩織に勧めてもらった本の感想を伝えた。詩織は本当に嬉しそうで時折、深く頷いて聞いていた。
「嬉しい、、」
「私、今まであまり誰とも大好きな本や小説のこと話せる人いなかったんです」
詩織は少し涙ぐんだ。その姿に涼介も感銘を受けていた。
今まで当たり前のように美月と好きな本の話をしていた涼介は今までの詩織の不憫な環境を思った。
「きっと、この人はこんなにも本が好きなのに誰とも話せなかったんだろう。」
そう思うと涼介の胸も熱くなった。
「それと、、これもしよかったら、、」
詩織は顔を真っ赤にしてラッピングされた小さなプレゼントを涼介に渡した。
「あの、もうすぐバレンタインなんで、、」詩織は目を逸らして言った。
「迷惑だったら捨ててもらっても構いません、、」
沈黙が流れたー
「どうしても、、どうしてもそれだけ伝えたくて、、」
「詩織さん、ありがとう。本当に嬉しいです。
でも、僕には好きな人が居ます。
詩織さんのお気持ちは一生忘れません、、」
涼介はそれだけ伝えるとテーブルの上の領収書を取り店を後にした。
その日の夜、涼介は詩織からのプレゼントを開けた。そこには赤い包装紙で丁寧に包まれ緑のリボンがかけられた。チョコレートが入っていた。
それと同時に詩織からのメッセージが入っていた。そこには涼介への想いが綴られていた。それを読む涼介の目から涙が溢れた。
「詩織さん、ありがとう、、」
涼介はそのプレゼントをそっと机にしまった。
美月との約束の春はすぐそこまで来ていた。
やがて春が来て桜が舞い散る季節になった。
涼介は詩織のことを時折思い出していた。
詩織の勇気と愛を思うと胸が張り裂けそうになった。涼介の頭の中にはあの日の詩織の姿が何度も思い出された。
ただ、願い出ていた地元福岡への転勤は叶わないままだった。涼介の心は揺れていた。
このままずっと東京から帰れないのではないかとも思った。そのことを考えると眠れない夜が続いた。
その日、涼介が仕事から戻ると美月が部屋の前に立っていた。
「涼ちゃん、、」
「美月、、」
「えへへ。東京まで来ちゃった、、」
「やっぱり、東京は遠いね、、」
「途中、何度も迷っちゃった、、」
「入って」
涼介は鍵を開けて美月を中に招き入れた。
二人ともしばらく無言だった。
「私。涼ちゃんが東京に行ってから寂しかったなぁ、、」
「何だか遠い昔のことのように感じるね、、」
「楽しかったね、、」
「涼ちゃん、ずっと待ってるよ、、」
涼介は美月の胸に顔を埋めた。
「美月。ありがとう。本当にありがとう、、」
美月は涼介を抱きしめ、その胸に顔を埋める涼介の髪を優しく撫でていた。
「よく頑張ったね、、」
美月の瞳から涙がこぼれた。
「必ず帰って来てね、、待ってるよ、、」
東京の片隅で部屋の明かりが美月の顔を照らしていた。静かな帳の中でお互い何も話せなかった。窓の外にはいつの間にか雪が降り始めていて二人は愛する人の温もりを感じていた。美月と涼介の最後の夜だった。
◇◇◇◇
春が訪れていた。
美月は無事に洋菓子専門学校を卒業することが出来た。真新しいコックコートに身を包んで仲間と共に卒業写真をとった。誰一人かけることなく皆卒業を迎えた。心配していた三木裕哉も美月に励まされたあの日を境に見違えるようになり、無事卒業出来た。
美月は安堵の気持ちだった。ただスイーツが好きという理由だけで飛び込んだ世界だったがこの日を迎える頃には少しだけ自分に自信が持てた。
このまま、彩のお店でパティシェとしての修行を積み、涼介の帰りを待つだけだった。
美月は先生たちにお礼を言い、同級生たちとの別れを惜しんで晴々とした気持ちで専門学校を出た。
美月にはこの一年がなぜかとても長く感じられ通いなれた校舎を懐かしく思った。
もう一度校舎を振り返り美月が前を向くとそこには三木裕哉が立っていた。
裕哉は何処か緊張した面持ちで立っていた。すると何も言わず美月に紙袋を渡した。
「あの、卒業おめでとう。今までありがとう、、それと、これ。自分で作ったんだ。矢野さんに食べて欲しい。今日ホワイトデーだから、、」
美月は思わぬ裕哉の告白に驚きを隠せなかった。
「三木くん、、」
「それだけ伝えたかったんだ、、」
そう言って美月を見つめると振り返り駆け出していった。
美月はしばらくその場から動けなかった。
帰宅した美月は裕哉の贈ったプレゼントを開けた。
苺のタルトと裕哉の手紙が入っていた。
そこには、初めて会った時から好きだったということと今までありがとう。ということが丁寧に綴られていた。
美月の目から涙が溢れた。涼介と裕哉が重なり美月の心は張り裂けそうだった。
「裕哉くん、ありがとう、、」
美月はそう呟いて手紙を大切にしまった。
涙目のまま窓の外を見ると桜の花びらが風に舞っていた。
ー2012年の春のことだったー