施設を出てから、兄の運転する車で数十分、千葉市の稲毛にある私の実家に到着したのは、午前十一時ちょっと前くらいだった。私は、ここでしばらくの間のんびりと過ごして徐々に社会復帰への道筋を模索していく予定だった。自分をいろんな意味で高めてくれるクスリの存在が、無くなった事で弁護士の様な難しい仕事は、多分もう無理だろうと自分で判断していた。簡単な仕事でもいいので、とにかく社会へ復帰する必要が世間体も含めて今の私には、大事な事だった。父と母は、静かに私を迎え入れてくれた。父は、私が、今までやってきたことを、否定も肯定もしようとはしなかった。かなりの時間が流れていった中で、乱用や、社会問題化していた合法ドラッグ問題などで薬物への規制は、ようやく厳しく取り締まられるようになり、リタリンの処方は、以前のように簡単には、出来なくなっていた。これは、今の私にとっては、好都合で、仮に魔が差したとしても以前のように精神科でリタリンの処方は、してもらえない現状が数年前から通例となっていた。

 ユキエと私のリタリン乱用は、余りにも度を超えていて、次第に二人とも勉強が手につかなくなる程の状態だった。それでも二人は、リタリンを止められずに日々、快楽とクスリが切れた時のバッドトリップに翻弄されながら生きていた。ユキエの体は、元々痩せていた上にリタリン乱用で食欲が無くなり、裸になるとまるで女性らしさのかけらも無い貧相な身体で、私は私で、薄っぺらい骨と皮だけの地獄絵図に出てくる餓鬼の様な身体で、体力も急激に衰えていき、二人でアパートの部屋の中で裸のまま横たわって生気の無い表情を浮かべながら水分だけを、辛うじて補給してカーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、生息していた。

 母が、突然私のアパートにやって来たのは、そんな瀕死の状態の真っ只中で、部屋の中の状態や、裸で痩せこけたまま横たわっていたユキエの姿を見た母は、久しぶりに再会した息子が、全裸で出迎えた事も含めて呆気にとられた様子だった。
「あなた、やっぱりお母さんが居ないとダメなのね……」
 母は、部屋の中に入り込んで背を向けたまま裸で横たわっているユキエの事など無視して部屋のカーテンと窓を全開して、床に転がっていたクスリを整理し始めた。私は、全裸のまま母の手伝いをしようとしたが、いきなり平手打ちを食らって、ヨロヨロと床に倒れ込んだ。