受験勉強は、リタリンの効果が持続する二、三時間に集中して実施されていた。夜の八時半にリタリンと三環系抗うつ剤のトフラニールを二錠ずつスポーツドリンクで経口服用し、気持ちが持ち上がってくる夜九時くらいから深夜零時くらいまでの間に強烈な集中力とモチベーションの高さで、私の脳みそに様々な知識が鮮明に刻み込まれていった。勉強が終わると、覚醒した脳を鎮めるために、デパスと言う薬が母から、毎晩二錠処方された。
 それでも、眠れない時は、追加でもう一錠飲む事が許されていた。もう何年もこの夜の営みを繰り返していた私と、母の「ドーピング」は、ひっそりと、しかし確実に私の人生そのものを大きく変えてくれていた。もはや、私は、以前の劣等生では無く、将来を嘱望される優秀な青年であり、その事に何も疑念や罪悪感を抱くことなく、全てが順調で、言うなれば、母の計画通りに事は進んでいた。

 受験当日、私は、ペットボトルのスポーツドリンク一本とピルケースに入れられたリタリンとトフラニールを二錠ずつ鞄の中に入れて、母に見送られながら自宅を出た。
「受験時間の三十分前に必ず飲みなさい。それまで、何も食べてはダメ!」
 私は、母の言葉に頷きながら、笑顔で母の顔を見つめた。母も笑顔で私を見送った。

 母と私の計画は、寸分の狂いも無く成功した。受験を完璧に制した私とその原動力となったクスリの力を借りて。私の有名私立大学の法学部への合格を知った母以外の家族である父と兄は、全く勉強はおろか何をやらせてもダメだった私の劇的な変化に喜ぶと言うよりは、天変地異のようなものが、日本に起こる前触れではないか?とあり得ない事実を受け入れるのに苦労しているように見てとれた。

 
 施設での生活が、三カ月を超えた頃、私は、施設長に呼び出されて面談を行った。
「そろそろ、退院に向けての心の準備をしておいてください。経過観察の限り、もう社会へ戻してあげて良いという判断が、職員会議で決定しました」
 私は、その話を聞いたとたんに、これまでの自らの薬物依存と言うよりは、人生の要所要所でドーピング的な手段を使って成り上がってきた生き様を、ようやく許されたような感覚に包まれて、目を潤ませていた。
「もう、二度と薬物には、手を染めません!」
 私の言葉を聞いた施設長は、静かに微笑みながら頷いてクリアフォルダーに入った書類を私に手渡した。