今思うと、よくそんな事が言えたもんだと母を、軽蔑したくなるが、結果的にリタリンの鼻吸引は、あそこで止めておいて正解だった。母の言う通りだったろう。と言うよりは、リタリンを使った事自体正解だったのか?その答えは、今のこの現状を見る限り正解寄りの不正解だっただろう。母は、少しでもリタリンの効果を上げるために相乗効果の有る三環系の抗うつ剤を併用させたり、リタリンの裸錠をオブラートに包んだり、市販の空のカプセルの中に入れたりして、なるべく胃では無く小腸で溶けて吸収させるような工夫をしたり、服用時には、必ず空腹状態で体液に近いスポーツドリンクを使って飲ませる事で薬の吸収を良くするための指導を、私に繰り返した。私も、素直に母に従って、若干リタリンの作用は、良くなる日が増えていったような気がする。一回二錠の時も有れば、一錠の時も有り、一度に三錠は、危険性が高いので数回試して中止された。

 施設内でのケンカが、きっかけとなって私は、施設の奥の方の個室に入れられた。毎日二時間のパソコンを使用しての手記の執筆は、施設長の配慮で、ノートパソコンを使って個室の中で、インターネット無しならば、時間無制限に使う事が許された。怪我の功名とは、正にこういうことを言うのだと思った。食事やトイレ、入浴などは、別に用意されていた場所で問題なく行う事が出来て、むしろ、相部屋の時よりも快適な環境にシフトされた事は、あのチンピラ達に感謝すべきだろうと思った。時間に制限が無くなった事で、私の手記は、ほぼ半日くらい毎日のように書く余裕が生まれた。それは、過去の記憶を紐解いていくには、申し分ない状況だった。

 大学受験の日が迫っていた。将来への夢として私は、どうしても弁護士になりたかったので、母と相談して国立大学では無く、東京の私立の名門大学の法学部に狙いを定めた。          
 リタリンを使用しての勉強の成果は、良い状態をキープしていた。母の管理の元、限られたタイミングでのみ使用していた事も有り、乱用に繋がらずにあくまでも一時的なエネルギー補充と言う目的のみで使用していた。