久し振りに会った母は、七十歳になったばかりで昔に比べると当然年老いた感は、否めなかったが、顔色も良く、元気そうだった。私の顔を見た瞬間、自分の息子に対するものではないように申し訳なさそうに深々と頭を垂れて、施設長が、止めに入るまで頭を上げようとはしなかった。

 私が、ようやく母から毎日渡されていた薬の正体を暴いたのは、中学三年の秋頃で、その現実を知った時に私は、大好きだった母の事を初めて嫌悪に満ちた敵意の様な特異な感情を抱かざるを得なかった。その頃私は、その薬無しでは、勉強が出来なくなっていたので、その薬の怖さを認識しながらも、再び劣等生になる恐怖の方が上回ってしまい、母への不信感は、驚くほど簡単に消え去り、自分が社会的成功を収めるためには、この薬の力が絶対に必要だと頭の中で、負の感情をリセットして服用を今まで通り続ける事に決めた。


 面会室は、空調が壊れていて、かなり古い型の扇風機が無機質な動作を繰り返しながら、蒸し暑い部屋の空気を循環させていた。母と机越しに対峙した私は、しばらく何も口を開かずに机の上をこの部屋の中で唯一元気に動いていた小さな黒色の蜘蛛の様子を眺める事で母と視線を合わせない為の理由を作っていた様な気がした。
「元気にしているの?」
 ようやく、母の方から沈黙を破る声が聞こえたが、私は、何も答えずに蜘蛛の様子を眺めているだけだった。母は、そんな私の様子を気にもせずに話しかけてきた。
「ここを退所したら、実家に戻って来なさい。一人では、色々大変だろうし……」
 母の言葉は、一々私の感情を逆撫でしたが、もうそんな事すらどうでもよくなっていた。
「あなたが、私の母親であることは間違いない。でも、私は、あなたによって飼育されたペットの様な存在に過ぎなかった。あなたの望み通り、私は、高い学歴と弁護士という高尚な類の職業に就く事が出来ました。だけど、所詮それは、スポーツ選手のドーピングと変わらない虚構に塗れた結果です。そのために今現在、私は、こんな施設の中に強制入院させられて、長年に渡る薬物使用の影響で、脳に機能障害が出てきている。もう、私は、あなたを信じないし、会いたくも無い。ただ、それだけです」
 母は、私の言葉を聞きながら何度も小さく頷いていた。顔を見ると厚めの化粧が崩れるくらいの大粒の涙を流していた。