氷川(ひかわ)は、人間のアレテーは何だと思う?」

どんな分野に対しても「なぜ」と噛み付く北見が、殊更気に入ったのが倫理の授業だった。
私にはよく分からない。暗記科目に近くて、入試に便利だから選択したし、そもそもうちの学校には「倫理」という授業はない。「倫理・政治経済」。

「私にはよく分からないよ」

別に生きることや知ることや徳に、そんなに深い意味はないのだと、個人的には思う。死にたくないから生きているし、ご飯を食べたり、好きな芸能人を見たり、友達と遊んだり、そういうことがしたいから生きている。知りたいと思ったから調べるし、何も考えないでした小さな行動が、所謂徳になる。そもそも生きるって、そんなに頭で考えることじゃないんじゃないだろうか。

「氷川はいつもそう」
「北見が考えすぎなんだよ」
「僕も、そう思うけど」

カリカリと、再びシャーペンの芯が削れる音がする。ハサミのアレテーがよく切れることなら、シャーペンのアレテーはよく書けることかもしれない。

派手な生徒が多いうちの学校で、北見は結構珍しく教師に反抗もせずに真面目に授業を受ける、大人しくていい生徒だ。
だらしなくつけられた私のリボンに相反して、ぴっちりボタンが止められた北見の首元は、なんだかいつも窮屈そう。
ノートに並んだ文字は肩を縮こめているように見えるし、授業中に指名されて答えを読み上げる声は、堂々としているように聞こえてもなんだか怯えの色を含んでいるような気さえしてくる。

生きづらそうな北見が、私は愛おしい。