それは雨の日の、土曜日の昼のことです。
図書館に行っていたはずのビビが、
青色の傘をさし、歩いて家に帰ってきました。
「どうしたの?」
母のティナに呼びかけられたビビは
着物姿の彼女を見て驚きましたが、
ひと息ついて平静を装います。
「…スーちゃん、急用だって。」
クラスメイトで長身のスーと、
予定していた図書館で一緒に本を読む、
いつもの地味な集まりは解散になりました。
「そう…。
これからお母さん出かけるけど、
お留守番よろしくね。」
そういってティナは車で出かけました。
薄暗い家でひとり、水を飲み、
部屋に戻って、ベッドに横になります。
家の中には誰もいないので、
とても静かな時間が流れます。
以前、アンと大きな川に行ったとき、
姉のエリカが家を出ることを
ビビは聞かされました。
『将来を考えなさい。』
と、エリカに言われ、ビビは考えます。
ビビにはこれまで、ちゃんと
将来を考えたことがありません。
本を読んで、物語に没入し、自分に重ね、
感情移入しては夢想することはありますが、
物語の主人公のように生きるのは到底叶いません。
それにはビビの背の低さに大きな関係があります。
ビビは物覚えついて間もないころに、
大きな病気にかかり入退院を繰り返していました。
そのために発育は遅れに遅れ、
身長は平均よりもとても低いのです。
それから人見知りで引っ込み思案になり、
本を読んでは空想にふける癖がつきました。
だれかがビビの名前を呼んでも
返事をしないこともあり、
学校では先生を何度も悩ませていました。
癖というのは病気と同じで、すぐには治りません。
そんな将来の考えは脱線して、
母、ティナのことを思い出します。
――お母さんはどこへ行ったのかな。
――おめかしをしていたのはなんでだろう。
――エーちゃんが家を出る理由は本当に仕事だけ?
――それを知らされたお父さんは、
いまごろどこで、なにをしているかな。
――あの格好、ひょっとしたら、
お母さんは再婚するのかもしれない。
――エーちゃんがいなくなったら。
――学校を卒業したら。
――もし、黒曜が死んでしまったら。
ビビはひとりぼっちになったことを考えて、
自然と涙がこぼれました。
将来のこともわからないままでは、
家に居場所を失い、路頭に迷う
自分の将来を想像します。
それからアンのこと。
――アンは本当にいるの?
赤い毛につつまれた居候。
土曜日の朝に突然、目の前に現れた宇宙人。
ひょっとすると、ビビが自分で作り出した
想像上の存在なのかもしれないと思うのでした。
ビビはゆっくり起き上がって、
アンの部屋に向かう階段をあがります。
もうオバケは出てきません。
それでも扉を恐る恐る開けて、
屋根裏部屋を見ました。
部屋にアンはいませんでした。
アンが大事にしていた、
拾った石も見当たりません。
普段は部屋の片隅の床に
散らばっていたはずです。
想像していたことが現実味を帯びて、
ビビは血の気を失い階段を降り、
玄関を飛び出しました。
「川ならいるよね? 雨なのに?」
ビビは自問自答します。
自転車を取りにガレージに入ると、
姉のエリカが驚いた顔を見せました。
「どしたの? 血相変えて。」
「あれ、ビビ。
図書館行ったんじゃないのか?」
アンが振り向いてビビを見ました。
「ビビ、そこ開けといて。
ずっと磨いてたら、暑くなってきた。」
「アイス食べるか。」
「食べません。晩ごはん食べたらね。」
「食べないのか…。」
アンはエリカと一緒に
ガレージで石を磨いていたのです。
「え? …と、お母さん。
お母さん、出ていったけど。」
「お母さんならデートだよ。お父さんと。」
「お父さんと? なんで?」
「なんでって、夫婦なんだし。
結婚してもデートぐらいするでしょ。
どう? これ、綺麗になったでしょ。」
エリカがやすりで丸く磨いた石をビビに見せます。
「え?」
「お父さん、ぜんぜん子離れできないからね。
過保護なもんだから、わたしが家出るの
凄く心配してるからって、お母さんが説得中。
別居してても子離れできないの、大変だよ。」
「ふんふん。」
屋根裏部屋にあった大量の石は
プラスチックコンテナに入れられ、
うなずくアンは水とやすりで研磨して、
黙々と石の表面を滑らかにしています。
「そうそう。
退院して小学校入ったばっかのビビと、
自転車の練習してたときなんて
そりゃもう呆れるぐらいだったからね。
ビビは泣きじゃくって擦り傷だらけなのに、
ひとりで自転車乗って帰ってきたの。
覚えてない?」
記憶にない恥ずかしい話で、
懸命に首を横に振ります。
「それで公園に置いてかれたお父さんが、
警察やら救急車呼んだせいで
お母さんにめちゃくちゃ怒られて。」
エリカが思い出しながら笑いがこみ上げてきます。
「いつまでたっても子離れできないからって、
お母さん、お父さんを家から追い出したの。」
「ママさん怖いな。」
「冗談。ホントは単身赴任。
あれで家にいたころより仲いいのよ。
今日だってビビが家にいないから、
ふたりで春画を観に行ってんの。」
「春画…。」
着物を着て出かけて行った理由が、
大昔のポルノの鑑賞でした。
ビビは自分の思い過ごしに、
膝をついてガッカリしました。
図書館に行っていたはずのビビが、
青色の傘をさし、歩いて家に帰ってきました。
「どうしたの?」
母のティナに呼びかけられたビビは
着物姿の彼女を見て驚きましたが、
ひと息ついて平静を装います。
「…スーちゃん、急用だって。」
クラスメイトで長身のスーと、
予定していた図書館で一緒に本を読む、
いつもの地味な集まりは解散になりました。
「そう…。
これからお母さん出かけるけど、
お留守番よろしくね。」
そういってティナは車で出かけました。
薄暗い家でひとり、水を飲み、
部屋に戻って、ベッドに横になります。
家の中には誰もいないので、
とても静かな時間が流れます。
以前、アンと大きな川に行ったとき、
姉のエリカが家を出ることを
ビビは聞かされました。
『将来を考えなさい。』
と、エリカに言われ、ビビは考えます。
ビビにはこれまで、ちゃんと
将来を考えたことがありません。
本を読んで、物語に没入し、自分に重ね、
感情移入しては夢想することはありますが、
物語の主人公のように生きるのは到底叶いません。
それにはビビの背の低さに大きな関係があります。
ビビは物覚えついて間もないころに、
大きな病気にかかり入退院を繰り返していました。
そのために発育は遅れに遅れ、
身長は平均よりもとても低いのです。
それから人見知りで引っ込み思案になり、
本を読んでは空想にふける癖がつきました。
だれかがビビの名前を呼んでも
返事をしないこともあり、
学校では先生を何度も悩ませていました。
癖というのは病気と同じで、すぐには治りません。
そんな将来の考えは脱線して、
母、ティナのことを思い出します。
――お母さんはどこへ行ったのかな。
――おめかしをしていたのはなんでだろう。
――エーちゃんが家を出る理由は本当に仕事だけ?
――それを知らされたお父さんは、
いまごろどこで、なにをしているかな。
――あの格好、ひょっとしたら、
お母さんは再婚するのかもしれない。
――エーちゃんがいなくなったら。
――学校を卒業したら。
――もし、黒曜が死んでしまったら。
ビビはひとりぼっちになったことを考えて、
自然と涙がこぼれました。
将来のこともわからないままでは、
家に居場所を失い、路頭に迷う
自分の将来を想像します。
それからアンのこと。
――アンは本当にいるの?
赤い毛につつまれた居候。
土曜日の朝に突然、目の前に現れた宇宙人。
ひょっとすると、ビビが自分で作り出した
想像上の存在なのかもしれないと思うのでした。
ビビはゆっくり起き上がって、
アンの部屋に向かう階段をあがります。
もうオバケは出てきません。
それでも扉を恐る恐る開けて、
屋根裏部屋を見ました。
部屋にアンはいませんでした。
アンが大事にしていた、
拾った石も見当たりません。
普段は部屋の片隅の床に
散らばっていたはずです。
想像していたことが現実味を帯びて、
ビビは血の気を失い階段を降り、
玄関を飛び出しました。
「川ならいるよね? 雨なのに?」
ビビは自問自答します。
自転車を取りにガレージに入ると、
姉のエリカが驚いた顔を見せました。
「どしたの? 血相変えて。」
「あれ、ビビ。
図書館行ったんじゃないのか?」
アンが振り向いてビビを見ました。
「ビビ、そこ開けといて。
ずっと磨いてたら、暑くなってきた。」
「アイス食べるか。」
「食べません。晩ごはん食べたらね。」
「食べないのか…。」
アンはエリカと一緒に
ガレージで石を磨いていたのです。
「え? …と、お母さん。
お母さん、出ていったけど。」
「お母さんならデートだよ。お父さんと。」
「お父さんと? なんで?」
「なんでって、夫婦なんだし。
結婚してもデートぐらいするでしょ。
どう? これ、綺麗になったでしょ。」
エリカがやすりで丸く磨いた石をビビに見せます。
「え?」
「お父さん、ぜんぜん子離れできないからね。
過保護なもんだから、わたしが家出るの
凄く心配してるからって、お母さんが説得中。
別居してても子離れできないの、大変だよ。」
「ふんふん。」
屋根裏部屋にあった大量の石は
プラスチックコンテナに入れられ、
うなずくアンは水とやすりで研磨して、
黙々と石の表面を滑らかにしています。
「そうそう。
退院して小学校入ったばっかのビビと、
自転車の練習してたときなんて
そりゃもう呆れるぐらいだったからね。
ビビは泣きじゃくって擦り傷だらけなのに、
ひとりで自転車乗って帰ってきたの。
覚えてない?」
記憶にない恥ずかしい話で、
懸命に首を横に振ります。
「それで公園に置いてかれたお父さんが、
警察やら救急車呼んだせいで
お母さんにめちゃくちゃ怒られて。」
エリカが思い出しながら笑いがこみ上げてきます。
「いつまでたっても子離れできないからって、
お母さん、お父さんを家から追い出したの。」
「ママさん怖いな。」
「冗談。ホントは単身赴任。
あれで家にいたころより仲いいのよ。
今日だってビビが家にいないから、
ふたりで春画を観に行ってんの。」
「春画…。」
着物を着て出かけて行った理由が、
大昔のポルノの鑑賞でした。
ビビは自分の思い過ごしに、
膝をついてガッカリしました。