「ビビ、大変だっ!」

「なぁに?」

ビビが部屋のベッドで横になって
本を読んでいると、アンが騒がしく
扉を開けました。もちろんノックをしてから。

「黒曜は食べ物だった。」

赤い毛のモップの脇に黒色と茶色の毛玉、黒曜が
名前を呼ばれたと勘違いしてクゥーと鳴きます。

この毛玉のタヌキはアンによって
黒き闇の契約者、黒曜号と名付けられましたが、
呼びやすさを優先して黒曜と改名されました。

アンの言葉の真意を、ビビはしばらく考えました。

「…タヌキは食べ物じゃないよ。」

「ちがうのか?」

「タヌキは食べない。たぶん。」

「ちがうのか。」

ビビにはタヌキを食べた経験はありません。

「タヌキの名前のついた料理はあるけど。」

「あるのか?」

「ちがうって。
 とにかくペットは食べないよ。
 イヌとかネコとかウサギとか。」

「ウサギは食べるぞ? 月でも火星でも。」

「え? 月で?」

「おいしいぞ。ウサギ。」

「そうなんだ…。」

月の暗い部分、海と呼ばれる部分から
ウサギを連想する地域もありますが、
ビビの想像を超えて月でウサギを獲って
食べている事実を知って驚きました。

「とにかく、ここじゃペットは食べないよ。」

「ギニーピッグも?」

「なにそれ? 知らない。」

「知ってるはずだぞ。学校で見た。
 このくらいのネズミ。」

黒曜を床に置いて空中でおにぎりを作ります。

「ハムスター?」

「違う。もっとこう、大きい。」

「あ…、モルモット?
 えっ? 食べないよ…。」

「食べないか。」

「食べるの?」

「すぐ増えて、場所取らない。
 揚げたり、焼いたり、スープにして食べる。」

「えぇー。黒曜、おいで。」

名前を呼ばれて手招きされた黒曜が
ビビの足元に近づきまんまと捕獲されました。

「学校のはオスだけだから増えないよ。」

「そうなのか。」

中庭にある飼育小屋には
ウサギやモルモットが飼われていますが、
食用にするわけではありません。

「黒曜、お手。あ、お手できた! えらい!」

「ビビ、甘やかしちゃダメだぞ。
 いまはしつけの最中だから。」

「タヌキなのに?」

「タヌキはイヌの仲間だぞ。」

「へぇ…。それあってるの?」

「わがはいが立派な忠犬に育てる。」

「まだ子供なんだから、ほどほどにね。」

拾われたばかりの黒曜はやせ細っていて、
病院の老医が言うには生後5ヶ月ほどでした。

「太らせて大きくなったら食べるのか。」

「だから食べないよ。」

「食べないのか。
 黒曜!」

その呼びかけに黒曜は甲高い鳴き声を発し、
アンの元へと駆け寄ります。

右手を目の前に差し出せば左前足を、
左手を目の前に差し出せば右前足を。

頭の上に手を差し出せば両の前足を上にし、
後ろ足だけで立ち上がりました。

ご褒美にドッグフードをひと粒をあげれば、
鼻息荒く手に鼻先を押し当てます。

「ホントにイヌみたい…。」

「黒曜もそろそろ地球調査に出かけられるぞ。」

「散歩? 室内飼いにしないの?」

タヌキの扱いというものが、
ビビにはいまだに分かっていません。

「黒曜はイヌだからな。」

「タヌキだよ。
 散歩に出るならリードとかも
 買わないといけないのか。」

「お金かかるな、黒曜…。」

アンは黒曜の顔をのぞいて元気をなくします。

「大丈夫。アンが気にすることじゃないよ。
 あっ、芸仕込んだら大もうけできるかもだよ?」

「イヌでもできるのにか?」

「それ言われるとそうかも…。
 自信なくなってきた。」

ふたりの間で黒曜は、
自分のしっぽを元気に追って走り回ります。

「ただいまー。
 おー黒曜ー、お利口さんしてた?」

部屋の扉を開けた姉のエリカに、
黒曜が反応して鳴きます。

「どうしたの、ふたりして暗い顔で。」

「エーちゃん、ペットってお金かかるんだね。」

「そんなの当然じゃないの。
 お金がないからって無責任に、
 捨てるひとだっているくらいだし。」

「黒曜…。
 これから自分のごはんは自分で稼ぐんだぞ。」

「黒曜の毛皮売ればいいんじゃない?」

エリカの無責任な皮算用に、
まんまと騙されたアンの顔が明るくなります。

「それじゃ黒曜、死んじゃってるじゃん。」

それから気を落としました。

「お金かかるなら、散歩やめるか…。」

「冗談よ。黒曜の飼育費用ぐらい、
 なんならわたしが出してあげるし。」

「ホント?」

「バイトのお金なくなっちゃうよ。」

「わたしが将来、仕事に失敗して
 路頭に迷うことがあったら、
 ふたりがわたしの分まで
 稼いでくれればいいから…。」

「黒曜のお金なら、
 お母さんが全部出してるじゃん。」

「バレたか。」

「いまの話、ママさんに伝えてくる。」

「あー待って! お願い! 取り消し!」

黒曜を担いだアンを追って、
エリカもビビの部屋を出ていきました。

「扉閉めてってよ。もう。」

ビビの部屋に、今日もこうして
ひとつの嵐が過ぎ去ったのでした。