「待ってください! そんなことをしたらうちの会社自体が危なくなってしまいます」

「それはあなた方が悪いんでしょ、これが嫌なら初めからこんな事しなければいい。コストカットの方法なんていくらでもあるでしょ! 別にすぐに全額とは言いません、これが原因でこの会社が倒産なんてことになってしまったら本末転倒ですからね。ですからこの先五年をめどに支払ってください。もしその間に彼らが退職してしまっても未払い分は最後まで払いきってください」

「分かりました、善処します」

「ありがとうございます。では誓約書を持ってきましたのでこちらにサインをお願いします」

伊藤はカバンから一枚の紙を取り出した。

「分かりました、随分と用意がいいですね」

ペンを取り出した佐々木はその誓約書にサインをすると印鑑を押した。

「これで良いですか?」

「良いでしょう、では今後ずっと守ってくださいね、新たに外国人従業員が入社した場合も同様です。もしこれが破られた場合は法的措置をとらせていただきますのでお忘れなく」
その後伊藤が会社を後にすると、伊藤が去った後社長室では佐々木が一人悔しさをにじませていた。

「あいつらいつの間に弁護士なんかに頼んだんだ。そもそもそんな金どこにあった! とにかくあの弁護士に従うしかなさそうだな」

佐々木は金庫から外国人従業員全員分のパスポートを取り出すと彼らのいる工場へと向かった。

工場に着いた佐々木は工場長の小林と共に会議室に向かう。

「社長どうしたんですか突然」

「悪いがまた外国人従業員を全員ここに呼び出してくれないか」

「それは良いですが、話は先日付いたんじゃないですか?」

小首を傾げながら疑問の表情で尋ねる小林に対し、佐々木は俯きながら悔しそうに理由を語る。

「それがそうじゃないんだよ、さっき本社に彼らの弁護士が押し掛けてきた。あいつらこの前のここでの会話を録音していたんだ! その音声を証拠に彼らの給料水準を日本人社員と同レベルにすることや、過去二年にさかのぼって未払い分の給料を払う様約束されたよ! それと同時に彼らにパスポートを返すよう言われてそれで今回来たんだ」
「そんなの素直に聞く事ないですよ、パスポートだって返したという事にしておけばいいじゃないですか」

「それがそうでもないんだ。誓約書を書かされた挙句守られなかったら法的手段に訴えると言ってきたからな?」

「そうでしたか、それでは仕方ないですね。まったくあいつらとんでもねぇことやらかしてくれたな?」

(面倒な事になったな?)

この時小林はそんな風に思ってしまった。

「もう少しごねてもいいかもしれないと思ったけど裁判になったら負けるのは目に見えているし、あまり面倒な事になっても嫌だから従うことにした。それに裁判になって慰謝料を取られるより今のうちに従っておいた方がましだと思ったんだ」

「確かにそうですね」

「そう言う事だから彼らをここに呼んでくれないか?」

「分かりました」

小林は会議室を後にすると社内放送により外国人社員たちを会議室に呼び出す。

放送によって会議室にぞろぞろと集まった外国人従業員たち。

「なんですか、またみんなを集めて」

代表してマイクがそう尋ねるものの、何となく予想は付いていた彼ら。
「君たちもよくやってくれたよな、さっき本社に君たちの弁護士がやって来たよ。今月分の給料から君たちの給料も日本人社員と同じくらいの水準にする。それと過去二年にさかのぼって今までの未払いの給料も少しずつ払っていくから、これで良いだろ!」

その言葉に対しアインが確認するように尋ねる。

「あのっそれっていままで払ってもらえなかった給料も払ってもらえるという事ですか?」

「そうだな、本来支払うべき給料を払っていく。ただすぐに全額と言う訳にはいかない、今後五年以内に未払い分全額払いきれるようにする」

「分かりました、ありがとうございます」

そこへエリックが声をかける。

「待てアイン、礼なんか言う必要ないんだ。これは僕たちが本来もらえるべきだった給料を払ってもらうだけなんだから」

エリックの言葉に佐々木はぽつりと呟くと、すぐにみんなに聞こえるような声で更に続ける。

「確かにそうだな、今まで済まなかった。それとこれから君たちのパスポートを返す。名前を呼ばれた者は前に出てきてくれ!」

その後佐々木の手により一人ひとり名前を呼ばれると、その場の全員にパスポートを返していく。
すべてのパスポートを返し終わった佐々木は再びみんなに対して語り掛ける。

「全員渡ったな? 君たちへの差別がないように明日の朝礼で他の社員たちにもしっかりと言っておく、これで勘弁してくれ!」

これに返事をしたのはリーダー的働きをしたマイクであった。

「分かりました、この件はこれで終わりにしましょう。ただしこのあとまた同じような事があればもう一度弁護士の先生に相談します。その時にはどうなるか分かりませんよ!」

「分かっているよ、その場合は伊藤弁護士からも法的手段に訴えると言われているんでね」

その後仕事が終わり寮へと戻ったマイクたちはすぐにマイクたちの部屋へと集まり抑えていた喜びを爆発させた。

「やったぞマイク、僕たち勝ったんだよな?」

エリックの声に同様に喜びの声で返すマイク。

「ああそうだ! 勝ったんだよ僕たちは、それも予想以上の結果だ。これで仕送りの額ももっと増やせるぞ! この狭い部屋は変わらないみたいだけどこのくらい我慢しよう、他に部屋もないんだから仕方ない」
その二日後、日本語学校に行ったマイクは授業が終わると真っ先に伊藤弁護士を紹介してくれた講師の森宮のもとへ駆け寄り、今回の結果と紹介してくれたことの礼を言う。

「ひなた先生」

「何マイクさん? うれしそうね、何かいいことでもあった?」

「ありましたよ、これもひなた先生のおかげです」

「もしかしてあの事?」

「はい、ひなた先生伊藤先生を紹介してくれてありがとうございました、無事解決しました。それも予想していた以上の結果です! これからは僕たちの給料も他の日本人と同じくらいもらえるようになりました。それと過去二年にさかのぼって未払い分の給料を払ってくれるそうです」

「そう良かったわね、でも早かったじゃない、普通もっと長引くみたいわよ」

「そうなんですか? じゃあ僕たちはラッキーだったんでしょうか?」

「そうかもしれないんじゃない? それより伊藤先生の所にはもう行ったの?」

「まだこれからです。明日にでも行こうと思っていたんですが」

「そう、あたしも一緒に付いて行こうか?」

「大丈夫です、僕たちだけで行けますから」

「それなら良いけど」
翌日仕事を終えたマイクとエリックはその足で伊藤弁護士事務所へと向かった。

「先生今回はいろいろとありがとうございました」

礼を言うマイクに対し伊藤が控えめな声で返事をする。

「いいえどういたしまして、今回の相手は意外と素直で助かりました。ほとんどの場合もっと手こずるんですがね」

「そうなんですか?」

驚きの声で言ったのはエリックであり、その声にこたえる伊藤。

「それと言うのもあの音声が証拠となってくれたおかげですがね、そこでごねても良いですがこちらが法的措置をちらつかせたので面倒な事になるのを避けたんでしょう」

「そうだったんですか、とにかくありがとうございました。僕たちはこれで帰らせていただきます」

マイクが再び礼を言うとエリックと共に事務所を後にした。
ところがそれから二週間ほどたった給料日のこの日、仕事が終わるとマイクとエリックの二人は本田に呼び止められそのまま工場の裏手に連れて行かれた。

そこには数名の若い日本人社員が待ち構えており周りを囲まれてしまった二人。

身の危険を感じながらもマイクは突然こんな所に連れてこられた理由を問いただす。

「なんですかこんな所に」

その声に本田がぶっきらぼうな言い方で口を開く。

「この前社長があんなことを言った理由が分かったよ」

「どういう事ですか?」

「お前ら弁護士を雇ったんだってな、それで法的措置をちらつかせて会社を脅したそうじゃないか?」

思わぬ言いがかりをつけられて憤慨するエリック。

「脅したなんてとんでもない、ただ僕たちへの外国人差別をなくすようお願いしただけです。それのどこがいけないんですか」

「うるせえよ、お前ら二人が中心になってやったんだってな」

本田が責め立てるような声で言うとエリックが怒りの声で尋ねる。
「それがどうしたんです?」

「お前らの給料が増えたせいで俺たちの給料が減らされたんだよ! 減らされた分お前らが出せよな」

「お断りします。どうしてそんな事をしなきゃならないんですか」

「良いから出せば良いんだよ! お前ら外国人は日本で働かせてやっているんだから少ない給料で働いていればいいんだ、いいからつべこべ言わずに出せ」

「嫌です! 給料をもらうのは働いた人の正当な権利です。どうして外国人だからといって少ない給料で働かなければならないんですか」

「まだ言うか、いいから出せばいいんだよ!」

本田が激しい口調で怒鳴るように言うと、本田を含めた日本人社員たちが殴るけるの暴行を始めたがそれでもマイクたちは手を出すことはなかった。

「エリック手を出すなよ、一度でも手を出したらこっちが先に手を出したことになってしまう。分かったな」

この様子を彼ら以外の数名の日本人社員が目撃していたが、かかわりたくないために見て見ぬふりをしていた。

そのまま殴られ続けたマイクたちだが、ようやく暴行が終わったのもつかの間後ろから羽交い絞めにされた二人の荷物から給料が奪い去られてしまった。

「待て、それだけはとらないでくれ! 仕送りが出来なくなる」

マイクが叫ぶのも虚しく給料を奪った本田達はその場を立ち去っていった。