このお寺には遠岸楽が納骨された。ネットで見る限り、バッシングは相当激しいものだった。もしかしたら、彼を狙ったものかもしれない。

 彼のお墓は、どこにあるのだろう。あたりを見回しても数十、数百とお墓が並んで、すぐにはわからない。私はこのことを縁川天晴に報告しようと決め、その場を後にした。


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「えー! こわい! 絶対熊じゃないですか!? 完全に饅頭の匂い嗅ぎ付けて人間ごと食べて走ってどっか行ったんですよ! こわい! あかりちゃん絶対外出たらだめですよ!」

 私は部屋に戻って、さっそく起きたての縁川天晴に朝のことを報告した。染めたばかりのの髪は、薄いレースカーテンを通してさしこむ朝日に反射してきらきら輝いている。

「熊……じゃないと思うんだよね。状況的に」

「どういうことですか?」

 縁川天晴は、朝に強いらしい。起きてすぐ目を爛々とさせ、パジャマ姿でベッドを整えている。

「嫌がらせの可能性も、あるんじゃないかって」

 私の想像に、ぴくりと彼が反応を示した。

「もしかして……あかりちゃんを現在独り占めしている俺に、嫌がらせを……」

「違う」

 まだ三日しか一緒にいないけれど、縁川家の血の濃さを強く感じている。なんていうか、もしもの予測が比較的突拍子もなくて、それはそれで害はあれど平和的に感じるところが。

「私とか、貴方じゃなくて。昨日の人への」

 墓を突き止めてまで、嫌がらせする人の気持ちはわからない。

 けれどあのネットのバッシングはひどいものだった。そして死んでなお嫌がらせをするのであれば、もはや終わりも救いもない。

 もしかしたら自分の墓も同じようにされて、死んでなお他人に迷惑をかけ続けるのかと思うと苦しい。

「……思ったんだけど、私お墓で見張って、調べてみようと思うんだよね、夜。暇だし」

 私には眠りが必要ないし、傷付けられる身体もない。失うものはもうない。暑さは感じるといえど部屋にいても外にいても、変わらない。

「駄目ですよ! 危ないですよ!」

 なのに、縁川天晴は真っ青な顔で首を横に振った。

「駄目です! 絶対駄目! 昨日怖い目にあったばかりですよ? あの白い服の女だっていつ襲い掛かってくるか分からないんです。あの女のせいかもしれないしやっぱり熊が──」

 縁川天晴は、私を止めるように腕を掴みながら、ハッとした顔をした。

「そういえば、あの人塩を掴めてましたよね……? それで僕らを助けた……」

「あ……」

 遠岸楽は、塩を掴めて投げることが出来た。

 つまり物理的な行動を起こせるということだ。

 昨日みたいに、何かと戦った形跡かもしれない。、

「僕、さっそくあいつのこと探してきます! あいつじゃなかったら熊かもしれないので! 猟師さん呼んでこなきゃですし!」

 縁川天晴は、パジャマ姿のまま部屋を飛び出していった。追いかけようとすれば、目の前にものすごい形相をした遠岸楽がいた。

 驚きのあまり、声が出ない。思わずしりもちをつけば、遠岸楽は一歩一歩じりじりと近づいてくる。

「……とか」

「え?」

 地を這うような声はかすれ気味で聞こえない。

 聞き返すと彼は咳ばらいをして、「寺が荒らされたって本当か?」と、私をにらみつけてくる。

「お、お饅頭とか花が通路でぐちゃぐちゃになってて……熊かもしれないけど……」

 遠岸楽の様子を見るに、彼がなにかと戦った形跡という線は消えた。だからこそ、本人に、墓荒らしの可能性があるとは言えない。ごまかすと彼は視線をそらした。

「間違いなく俺に向けてだろ」

 遠岸楽は舌打ちをして、頭をがりがりとかく。

「見張りは俺がするから」

 思ってもない言葉に、私は目を見開いた。

「な、なんで」

「悪くねえから」

 その声色は、心からの後悔を帯びているように聞こえた。

「俺は悪いけど、俺の骨を受け入れた寺は悪くねえ。馬鹿捕まえて殺す……っとその前に」

 どん、と足音でも響きそうなほど、力強く遠岸楽は私に向けて一歩踏み出す。

「俺の事件の被害者について、知ってること全部教えろ」

「……あの、よく知らないので、ネットで調べることをおすすめします」

 全部教えろというけれど、私はよく知らない。問われてもニュースで報じられた被害状況しか知らない。私は知り合いじゃないし、 だってよくわかっているはずなのに。

「無理だった。スマホにもパソコンにも触れねえ」

「え……電子機器が駄目なんですか?」

 遠岸楽は、塩を掴めていた。物質の重さ的には比較にならないほど塩のほうが軽い。なのに触れないなんて。

「塩は、バケモンがいるって……何とかしねえとって、掴めた。他は全部無理。あいつのスマホのパスワードは見たし、こりゃいけるなと思ったけど、普通に透けた」

 知らない間に、そんなことを……。

「それより被害者について教えろよ」

 遠岸楽は、何度目か分からない質問をしてくる。

「知ってることも何も、ニュース以外の情報は知りません。本当……知らないんです」

「俺の担当弁護士は? 名前も顔も知らないか?」

「全然知らないです。もしかして、事件の記憶がないんですか……?」

 わざわざ自分の殺した被害者について問いかける姿勢に、ただただ猟奇性を感じていた。けれど自分の担当弁護士についてまで聞いてくるのは、もしかしたら記憶を失っているからじゃないだろうか。

「全部あるよ。お前ネット見ないほう?」

 なら何故わざわざ聞く……?

 戸惑いながらも、私は目先の質問に答えることにした。。

「仕事で使ってたので……話題のニュースもネットの情勢も、見るほうだと……」

 エゴサーチはなるべくするようにしていた。ファンの人の意見を取り入れて、次に生かしたかった。ほかにも最近話題になってることは調べたし、自分の発信することが今起きているなにかに接触してしまわないように、予防の意味も込めてネットを見ていた。

「でも隅々まで事件について調べたわけじゃなく、本当にさっと浅く……その、貴方が暴れた時は必ずニュースになってたので……」

「そっか。ならいーや」

 遠岸楽はそっぽを向いた。態度のわりに声色は満足そうで、疑問が浮かぶ。

 どうして、被害者や自分の担当弁護士がネットに出ていないかを気にするんだろう。どうしてそんなことを聞くのか。

 訊ねようとした私の気配を察知したのか、遠岸楽が振り返る。

「お前、なんで死んだんだよ」

「え」

「あいつ変なこと言ってただろ。まだ生きてるとか。どんな死に方すればそうなるわけ?」

「自殺」

 私の即答に、遠岸楽が戸惑ったり狼狽えることはなかった。「なんで」と、ただ短く返すだけだ。

「炎上した。これ以上燃えて、事務所の人やほかの人に迷惑かけられなかった」

「大変だなぁ芸能人も、てっきりニコニコ楽しくやってバカみたいに儲けられるもんだとばっかり思ってたわ」

 バカみたいに儲けられるは、否定する。でもニコニコ楽しくやっては、そう見られるようにこちらがしていることだ。ファンに心配させるなんてもってのほか。ファンに悲しい思いをさせるくらいなら、跡形もなく記憶から消えるほうがいい。 

「死刑みてえだな」

 遠岸楽は、どこまでも広がる入道雲を見つめている。 

「なぜ」

「死ななきゃ許されねえみたいな世界なんだろ? 人殺したわけでもねえのに」

 たしかに、そうかもしれない。でも、私は違う。

 もう、燃えた時点で私は死んだに等しい。

 自分が生きていたつもりになっていただけで。

「まぁ、いい選択なんじゃねえの?」

 遠岸楽は身体を伸ばし、あくび交じりに空を見上げる。

「そうかな」

「間に合ったわけだろ? 周りの奴らやほかのやつらに何かする前に、早くて何よりって感じだろ」

 間に合った。果たして間に合ったのだろうか。まだ身体は、あの病院にある。こういった墓所に埋葬されてるわけじゃない。

 遠岸楽は、「ほかの奴ら」と言うとき、だれかを想像しているみたいだった。私はもういちど自分の中の記憶を探って、何か伝えられることはないか絞り出す。

「弁護士さん、同情されてましたよ」

「なんて」

 窺う視線に、一瞬、相手の機嫌を損ねたらどうしようかと不安になった。

「せっかくたくさん勉強して弁護士になれたのに、よりにもよって殺人鬼の弁護させられるなんて可哀想、とか」

 どうして、話そうと思ったかいまいちわからない。

 でもこの答えこそ、彼が求めているものに思えた。

「だろうなぁ。俺の担当になるやつがいないから、国であみだくじしたわけだし」

 遠岸楽は、口角を上げる。映画や小説で笑って人を殺す殺人鬼が出てくるけれど、そういった異端の笑みではない。マラソンでゴールした人が浮かべるみたいな笑顔で、どうしていいか分からなくなる。

「本当に……人、殺したんですか?」

 私はおそるおそる問いかけた。彼は、怯えた顔でこちらを見る。

「はぁ……?」

「私たちのことを……助けたり、お寺の見張りをしようとしたり……人を殺したようには思えないので」

 ニュースで見ていた彼の人物像と、今の遠岸楽はかけ離れている。記憶が失われ暴力や狂気の衝動がなりを潜めているなら、まだ理解できる。でも、そうじゃない。

「下らねえこと聞いてんじゃねえ、殺すぞ」

 柔らかだった声色が一瞬にして凍てついた。

 視線は鋭いものへと変わり、先ほどの質問が彼にとって何らかの作用があったのだと理解する。

「いいか、俺がお前たちのことを助けたのは、お前らに利用価値があったからだ。事件のことを聞くためにな。寺の見張りは、馬鹿痛めつけられる格好のチャンスだからだ。舐めた口聞いてたら幽霊だろうが容赦しねえぞ」

 遠岸楽は、そう言い残すと窓へ向かってふっと消えた。

 脅迫を受けた。

 でも、恐怖より違和感のほうが勝っている。

 遠岸楽は一体、なんなのか。疑問がぬぐえないまま、私はハッとして縁川天晴の後を追ったのだった。


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 遠岸楽の裁判が起きるたび、ネットでは「もう死刑でいい」という言葉がトレンドに上がった。彼は元々、強姦殺人を行い無期懲役が求刑され、死刑にならなかった被告の息子だった。家を出て仕事にもつけなかった彼を、被害者の工場社長が雇い、自分の息子のように可愛がった五年後に、惨劇は起きた。

 その凄惨な犯行や衝撃的な出自に対して逮捕時、朝の報道番組のコメンテーターの俳優が、「血は争えない」とコメントし、加害者家族の人権問題を指摘され、出演予定だったドラマを降板するなどその影響は芸能界にも及んだ。

 そんな遠岸楽は、裁判になっても世間を騒がせた。法廷で被害者への言葉を促され、出てきた言葉はほかならぬ侮辱だった。

 被害者の妻──工場長の妻に対しても、「どうでもいい」から始まりひどい言葉を浴びせかけ、挙句の果てに自分を弁護した女性に、「俺のこと無罪にしねえならぶっ殺す」と脅迫まで行った。

 そんな相手とはいえ、なんとなく今までの犯行と、これまでの行動が噛み合っていないように感じる。そう思いながら夜、縁川天晴が寝静まったあたりで墓場を見回りしていたものの、不審な人間も もみなかった。

 それから週が明け、私は縁川天晴と一緒に学校へ行った。彼の変貌にクラスの人間は完全に彼の見方を変えたようで、アドレスやSNSのIDを聞かれていたけど、本人は「スマホ持ってないんです。お寺の跡継ぎなので俗世のことはちょっと……」なんて大嘘をつき、笑いを取っていた。

「もうしばらく学校はいいです。疲れるので。引きこもりに週休二日制は無理があります」

 そうして訪れた放課後、憎々しい土砂降りの中で、縁川天晴はげっそりした様子でため息を吐く。

 心なしか顔色も悪い。

 よほど引きこもり生活が長かったのだろう。「みんなは五日間通ってるんだよ」なんて安直な言葉も、今の彼に発すれば殴りつけたも同義だ。

 私は「家帰ったら休みな」と彼に声をかけた。

「推しに心配されるの嬉しいですけど、ファン失格ですね……もう二度と学校行かない」

 そこは同意しかねる。とはいえ、縁川天晴がどれだけ引きこもり生活を続けているか知らないけれど、この体力のなさは異常だ。二日連続ならまだしも、昨日はずっと家にいた。今日は休みが必須だろうけど、果たしてこのままでいいのか不安を覚える。

「っていうか、私は濡れないから、いいよこっちにまで差さなくて」

 縁川天晴は、私にまで傘をさしている。だからか肩が濡れていた。雨に降られる概念なんて、暫定幽霊にはないのに。

「推しとの貴重な相合傘ですよ」

 縁川天晴はただ真っすぐと私を見た。

「入っててください」

 諭すような声に、私は俯く。「行きましょう」とかけられた声があまりに優しい。

「知ったかぶりオタクムーブをしちゃうんですけど、あかりちゃん、雨、嫌いでしょう」

「え……」

「雨の日のブログやツイッターは言葉が固いですし、そのわりに絵文字が多くなってましたし、雨の日だと、明るくなるから。素の貴女は──すごく静かで、落ち着いている人だってわかってから、確信しました」

 縁川天晴の推理に、私は思わず立ち止まった。地面にはぽつぽつと波紋が出来て、私たちの足元を濡らしていく。

 好き嫌いなんて、自分が伝えない限りは、知られないと思っていた。

 彼はゆっくり私を振り返る。私を傘に入れて、自分の肩を濡らしている。

 その瞳は、ただただ優しいものだった。


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 私がリークしたとされる遥は、梅雨の、旅行ロケで初めて話をした。

 春夏秋冬、季節の折に放送される特別番組で「いつも忙しい芸能人に休暇を!」というコンセプトのもと温泉街など観光地をゆっくり歩いて、そこの名物を食べたりする。

 映画やドラマの撮影と異なり大規模に交通整理はしない。休暇の雰囲気を大切にする番組だった。

 街全体に撮影に協力してもらうぶん宣伝にもなれればと思うし、「アイドルの自然体を!」と道中の発言も制約がないから不用意な発言で街全体のイメージを落とさないよう気を引き締めなきゃいけない。