春の夜の公園では、あちこちでお花見が行われていた。
見事にライトアップされている桜を、一体どれだけの人が見ているのだろう?
花より団子とはよく言ったものだとビールを片手に内心思う。
目の前で繰り広げられる喧騒と熱気に、酔いを覚まそうと一人立ち上がりそっと抜け出した。
街灯を頼りに、缶ビールを片手に遊歩道を歩くと、花見会場から少し外れにベンチを見つけた。
同じ公園内なのに、まるで別世界のようにそこには静寂が広がっていた。
腰を掛け、目を瞑ると、遠くで先程の喧騒が聞こえる。
夜風に体を冷ましていると、肩をトントンと叩かれた。
「…大丈夫?」
目を開き、声のした方へと顔を向けると、普段、明るくて地べたに咲くタンポポみたいに笑う君が、今日は少し萎れてうつむいたような心配そうな顔で尋ねて来た。
僕の胸の鼓動が高まっているのは、きっとアルコールのせい。
……だけじゃ、ない。
「大丈夫だよ。ちょっと静かに一休みしてただけ」
僕が平静を装い、手にしていた缶ビールを持ち上げると、君の顔にはいつものタンポポみたいに心が温まる笑顔が戻る。
小さい君が、タタタッと小走りでベンチを廻り、僕の隣りにちょこんと座った。
指先が、触れるか触れないかの距離に、君がいる。
あぁ、遠く向こうではお花見で盛り上がっている。
指先に微かに感じる君の熱に、意識が集中しているのが分かる。
冷静になれ、平然を装えと頭の中で繰り返した。
ふと見上げると、頭上には綺麗に咲き誇っている桜の木があった。
その桜は、ライトアップされている桜の群れからはぐれて、一株だけ寂しく、それでいて真っ直ぐに自分を失わず凛と咲き誇る。
『お前とは違うよ』そう、言われてるような気がした。
普通の人なら、満開に咲いている桜を見て感嘆の声を上げるんだろう。
僕には溜め息しかでてこないけれど。
「…桜、嫌い?」
僕はよほど顔をしかめていたのだろう。
隣りにいた君が僕の顔を覗きこんで聞いた。
「…あんまりね。」
ライトアップもされていない、街灯がなければ夜の闇に紛れてしまうのではないかと思える桜を見上げて苦笑する。
闇夜に紛れても桜は桜。
私は綺麗だ、と、誇示しているかのように揺るぎなくそびえ立つ。
……僕とはやっぱり、どこか違う。
「学生時代にね、桜の木の前で告白してフられたことがある。そのとき余りにも桜が綺麗に咲いていたものだから、まるで桜にまで馬鹿にされたような気分になって」
あれは、僕の初恋。
あれからいくつも恋をして、実ることもあれば破れることもあった。
思えばあの時だけかもしれない。
臆せず、真正面から気持ちをぶつけられたのは。
いつだって桜を見る度に思い出すのは、淡くて苦い、あの恋。
告白するときに、緊張のあまり下を向いて見つけたタンポポに、どれだけ勇気をもらっただろう?
「……僕は、地べたで一生懸命に咲いているタンポポの方がずっと好きだ」
一生懸命に花を咲かせようと、桜の前では霞んでしまう、タンポポの方が。
こんな話を真面目にしてしまった照れから、僕はビールを飲み干す。
ましてちょっと気になっている人に、こんな話をしてしまったことを少し悔やむ。
君から見れば僕は、ただの同僚、なんだけれど。
目に付いたゴミ箱目掛けてポーンと空き缶を投げ入れる。
缶は綺麗な弧を描き、カランッと良い音を響かせて、ゴミ箱に入った。
両腕を延ばし「うーん」と伸びをする。
僕は足を組み替えて夜風に気持ちを落ち着かせる。
ヒラヒラと、無数の花びらが空を舞う。
誘われるように、再び桜を見上げた。
昔は、桜に憧れてたよな……。
高みから見下ろす、決して欠点を見せようとしないあの桜に。
だけど僕は今、桜よりもずっと大好きな花がある。
憧れなんかじゃなくて。
ただ、大好きな。
隣りにいる君との距離は、相変わらず、その手が触れるか触れないか。
その距離は少し僕を切なくさせる。
大人になった僕は、傷つくことを恐れて、真っ直ぐにぶつかることを避けるようになった。
駆け引きなんて言ってはみるけど、本当は傷ついたことに気付きたくなくて、言い訳にただ逃げているだけかもしれない。
後悔や溜め息に埋もれる毎日に、うんざりしながらもそこから抜け出せずもがく僕の手は、一体何を掴めるというのだろう。
指先に君を意識しながら、そんなことを思った。
ヒラリヒラリと目の前を一枚の花びらが舞って行く。
僕はなんとなしに、その花びらが地面に着地するまで眺めていた。
そっと指先が暖かくなって、横を向くと君の顔。
重なった君の手が微かに震えているような気がするのは、僕の気のせいなんだろうか――…?
「……桜が好きになるおまじない、かけてあげる」
君はそう言うと、タンポポの笑顔の中に、凛とした桜の花を薫らせて、僕のほっぺにキスをした。
一際大きな風が吹いて、花びらたちが舞い踊る。
まっかなほっぺで、ヘヘッとはにかんで笑う君の笑顔は、やっぱり桜に負けないくらい綺麗で可愛いタンポポの笑顔だった。
スクッと立ち上がり、タタタッと駈けて花見会場に戻って行く君の後ろ姿を、僕はほっぺをおさえてただ呆然と見送っていた。
見事にライトアップされている桜を、一体どれだけの人が見ているのだろう?
花より団子とはよく言ったものだとビールを片手に内心思う。
目の前で繰り広げられる喧騒と熱気に、酔いを覚まそうと一人立ち上がりそっと抜け出した。
街灯を頼りに、缶ビールを片手に遊歩道を歩くと、花見会場から少し外れにベンチを見つけた。
同じ公園内なのに、まるで別世界のようにそこには静寂が広がっていた。
腰を掛け、目を瞑ると、遠くで先程の喧騒が聞こえる。
夜風に体を冷ましていると、肩をトントンと叩かれた。
「…大丈夫?」
目を開き、声のした方へと顔を向けると、普段、明るくて地べたに咲くタンポポみたいに笑う君が、今日は少し萎れてうつむいたような心配そうな顔で尋ねて来た。
僕の胸の鼓動が高まっているのは、きっとアルコールのせい。
……だけじゃ、ない。
「大丈夫だよ。ちょっと静かに一休みしてただけ」
僕が平静を装い、手にしていた缶ビールを持ち上げると、君の顔にはいつものタンポポみたいに心が温まる笑顔が戻る。
小さい君が、タタタッと小走りでベンチを廻り、僕の隣りにちょこんと座った。
指先が、触れるか触れないかの距離に、君がいる。
あぁ、遠く向こうではお花見で盛り上がっている。
指先に微かに感じる君の熱に、意識が集中しているのが分かる。
冷静になれ、平然を装えと頭の中で繰り返した。
ふと見上げると、頭上には綺麗に咲き誇っている桜の木があった。
その桜は、ライトアップされている桜の群れからはぐれて、一株だけ寂しく、それでいて真っ直ぐに自分を失わず凛と咲き誇る。
『お前とは違うよ』そう、言われてるような気がした。
普通の人なら、満開に咲いている桜を見て感嘆の声を上げるんだろう。
僕には溜め息しかでてこないけれど。
「…桜、嫌い?」
僕はよほど顔をしかめていたのだろう。
隣りにいた君が僕の顔を覗きこんで聞いた。
「…あんまりね。」
ライトアップもされていない、街灯がなければ夜の闇に紛れてしまうのではないかと思える桜を見上げて苦笑する。
闇夜に紛れても桜は桜。
私は綺麗だ、と、誇示しているかのように揺るぎなくそびえ立つ。
……僕とはやっぱり、どこか違う。
「学生時代にね、桜の木の前で告白してフられたことがある。そのとき余りにも桜が綺麗に咲いていたものだから、まるで桜にまで馬鹿にされたような気分になって」
あれは、僕の初恋。
あれからいくつも恋をして、実ることもあれば破れることもあった。
思えばあの時だけかもしれない。
臆せず、真正面から気持ちをぶつけられたのは。
いつだって桜を見る度に思い出すのは、淡くて苦い、あの恋。
告白するときに、緊張のあまり下を向いて見つけたタンポポに、どれだけ勇気をもらっただろう?
「……僕は、地べたで一生懸命に咲いているタンポポの方がずっと好きだ」
一生懸命に花を咲かせようと、桜の前では霞んでしまう、タンポポの方が。
こんな話を真面目にしてしまった照れから、僕はビールを飲み干す。
ましてちょっと気になっている人に、こんな話をしてしまったことを少し悔やむ。
君から見れば僕は、ただの同僚、なんだけれど。
目に付いたゴミ箱目掛けてポーンと空き缶を投げ入れる。
缶は綺麗な弧を描き、カランッと良い音を響かせて、ゴミ箱に入った。
両腕を延ばし「うーん」と伸びをする。
僕は足を組み替えて夜風に気持ちを落ち着かせる。
ヒラヒラと、無数の花びらが空を舞う。
誘われるように、再び桜を見上げた。
昔は、桜に憧れてたよな……。
高みから見下ろす、決して欠点を見せようとしないあの桜に。
だけど僕は今、桜よりもずっと大好きな花がある。
憧れなんかじゃなくて。
ただ、大好きな。
隣りにいる君との距離は、相変わらず、その手が触れるか触れないか。
その距離は少し僕を切なくさせる。
大人になった僕は、傷つくことを恐れて、真っ直ぐにぶつかることを避けるようになった。
駆け引きなんて言ってはみるけど、本当は傷ついたことに気付きたくなくて、言い訳にただ逃げているだけかもしれない。
後悔や溜め息に埋もれる毎日に、うんざりしながらもそこから抜け出せずもがく僕の手は、一体何を掴めるというのだろう。
指先に君を意識しながら、そんなことを思った。
ヒラリヒラリと目の前を一枚の花びらが舞って行く。
僕はなんとなしに、その花びらが地面に着地するまで眺めていた。
そっと指先が暖かくなって、横を向くと君の顔。
重なった君の手が微かに震えているような気がするのは、僕の気のせいなんだろうか――…?
「……桜が好きになるおまじない、かけてあげる」
君はそう言うと、タンポポの笑顔の中に、凛とした桜の花を薫らせて、僕のほっぺにキスをした。
一際大きな風が吹いて、花びらたちが舞い踊る。
まっかなほっぺで、ヘヘッとはにかんで笑う君の笑顔は、やっぱり桜に負けないくらい綺麗で可愛いタンポポの笑顔だった。
スクッと立ち上がり、タタタッと駈けて花見会場に戻って行く君の後ろ姿を、僕はほっぺをおさえてただ呆然と見送っていた。