「私、実は魔法使いなのよ」
ふふふ、と可憐に笑う彼女はどこか誇らしげだ。
肩まである、ふんわりパーマが彼女が動く度に揺れる。
揺れる度に、その髪から香る彼女の匂いにドキドキさせられていた。
「杖でも使って?」
「ちちんぷいぷい」
僕が話に乗っかると、人差し指を杖に見立てて呪文を唱える。
なるほど、その姿はどことなく様になっている気がする。
「今年のハロウィーンパーティーは、魔女のカッコで行こう」
うんうん、と頷きくるりと反転して僕のもとから走り去る。
後ろ姿の足取りは軽やかだ。
その姿、言動は、複雑で繊細な彼女の心の中とは真逆のようだ。
あのとき溢した『もぅ、嫌だ……』という言葉ひとつ。
ただそれだけが、僕に曝した本心だったのだと思う。
彼女は、僕の好きだった、人。
「桜、この魔女が僕の先輩。香澄先輩、僕の彼女の桜」
「はじめましてぇ!あなたが!噂の海ちゃんの彼女!」
きゃっきゃとはしゃぐ香澄先輩が、僕を肘でグリグリとして、可愛いじゃない、なんて言う。
先輩のこんな姿を見るのは久しぶりだ。
桜は照れているのかほんのり頬を桜色に染めて、それでも香澄先輩と目線をあわせて、こんばんは、と挨拶をする。
……うん、可愛い。
「……可愛いー!」
そう叫んで、桜をぎゅっと抱きしめたのは、僕ではなく香澄先輩。
髪がふわりと揺れる。
真顔で、海ちゃんなんてやめて私にしない?なんて聞くもんだから、桜は困惑したように目を泳がせては、えぇ?!と本気で驚いている。
べりっ、と桜から香澄先輩を剥がして、ブスッと小さくにらむと、香澄先輩は、えへっと笑う。
その間で桜は僕と先輩をキョロキョロと見ている。
桜が、僕の服の裾をちょんと引っ張ったことに、気づいた。
「やめてくださいよ、先輩が言うとシャレに聞こえません。桜が困ってる」
僕がそう言うと、香澄先輩はその唇を尖らせて、チェッと言った。
その姿は、とても女性らしく魅力的で、胸がきゅっとうずいた気がした。
それは、過去の傷。
気をとり直したように香澄先輩は桜と向き合い、何を言い出すのかと思ったら……
「私、女の子が好きなのよ」
と、桜の手をそっと握るものだから当の桜はまたしても困惑ぎみに固まる。
「桜、違うから。先輩ちゃんと彼氏いたから」
この言葉は先輩には酷だったかも、と気づいても桜を放置するわけにはいかない。
僕がフォローすると、あからさまにほっとする桜。
その様子がなんだか微笑ましい。
心が柔らかく、暖かくなる。
この気持ちは、桜が初めて僕にくれたものだ。
「先輩。だから、あからさまにすぐわかる嘘を言うのはやめてください」
もう一度たしなめると、はーい、と笑った。
ドラキュラの格好をした僕と、猫耳の桜、そしてワインレッドの魔女の格好をした香澄先輩。
他にも、仮面をつけたドレス姿の人に海賊、骸骨に……なぜか混じってる、メイド姿。
今日は大学のハロウィーンパーティーだった。
うちの学校は中学から大学までが隣接していて、学祭や体育祭に及ぶまで中学から大学まですべて合同で一斉に行われる。
いったい何に金をかけてるのか、というくらいお祭り好きで、それはもう参加人数も手伝ってド派手に。
そのために大学の大広間を造ったとまで聞く。
あくまでも、噂だけれど。
病気、怪我、冠婚葬祭以外、基本的に参加が義務というのは、どれだけ好きなんだ、という話だが。
人々の山を潜り抜けれは立食型のパーティーらしく、料理の数々が並ぶ。
唯一禁止されている仮装『黒い魔女』は、スタッフの衣装だ。
その中でも、ごく数人の『篭を持った黒い魔女』に「トリック・オア・トリート!」と合言葉を言えばお菓子をもらえる。
それも、コンビニなんかのものではなくて、ちょっと有名店のものだったりするから、さりげなく女性陣が目を光らせている。
僕と桜と香澄先輩は皿にいくつか料理を乗せて壁際に用意された椅子に座って、食事をとっていた。
スッと動いた人影からのぞいた黒い魔女が持つかぼちゃの篭。
ひょい、と体を傾けて確認すると、間違いない。
話に夢中になっている桜と香澄先輩はその魔女に気づく様子が全くない。
「…トリック・オア・トリート?」
僕が呟くと、香澄先輩がさっと顔を上げる。
ふわりと、その髪が揺れる。
続いて、桜も顔をあげて僕を見る。
その瞳が期待で満ちている。
僕は無言でスッと指差した。
「桜ちゃん、行こう!」
いつの間にか、仲良くなっていた二人は僕に料理を預けて、魔女のもとへと駆けていった。
香澄先輩が、魔女に向かって合言葉を言うと、魔女から返事がありお菓子が手渡される。
桜も同様に、手にしたお菓子に顔をほころばせている。
戻ってきた二人が、僕にそのお菓子を見せびらかす。
いや、正確には見せびらかしたのは香澄先輩だけで、桜は僕に見せてくれて「後で一緒に食べよう」と言ってくれたのだけれど。
「じゃじゃーん!ねぇねぇこれ、有名店のチョコだよ!ホントうちの学校は変なところにお金掛けるよねぇ」
先輩はしみじみと呟いて、そのチョコをカバンの中へとしまった。
お皿の料理もなくなったころ、僕は桜の手をとり立ち上がった。
「先輩、じゃぁ僕たちはそろそろ」
そう言った僕を一瞬、見つめて。
にこりと笑った。
「桜ちゃん、送り狼されないように気をつけるのよ~!」
香澄先輩のその言葉に、顔を赤くする桜はやっぱり……
「可愛い~~!」
香澄先輩に、抱きつかれていた。
先輩に先手を打たれた僕が葛藤を覚えたのは言うまでもない。
そして、本当に送り狼になったのかどうかは、ご想像にお任せすることにする。
パーティーから、数日たったある日のこと。
桜との待ち合わせに、大学構内のベンチに座って本を読んでいた。
人の気配がして、本に影が落ちる。
顔を上げると、ふんわりパーマの香澄先輩。
「なーにしてるの?」
にこっと笑顔で、しゃべりかけられる。
僕は本にしおりをはさんで閉じると先輩の顔をじっと見つめた。
「先輩。大丈夫。……僕たちは、ちゃんと幸せになれるよ」
ほんのちょっぴり、香澄先輩の顔がこわばる。
「海ちゃんて、意地悪よね。あと、ずるい」
先輩の言葉に苦笑する。
あなたの不器用さが、とても好きで。
繊細な心を愛しいと思っていた。
けれど先輩が僕を選ぶことがないことも知っていたし、何より、僕は桜と出会った。
だから僕は、先輩とずっと友達でいつづけることを選んだ。
「先輩、僕たちは、あの頃の先輩たちじゃないんだよ」
段々と強ばるその表情は、ぐっと、溢れそうになる物をきっとこらえているんだろう。
「先輩が、僕の近くにいても、いなくても。僕の気持ちは、今は、ちゃんと桜に向いてるから」
好き“だった”人に……先輩に、傾いたりは、しないから。
「僕の気持ちを試そうとしなくても、大丈夫だよ」
三角関係の末に、友達に彼氏を奪われてしまった先輩は、きっと桜と自分を重ねていたんだろう。
先輩は、とても優しいから。
僕の気持ちを、知っていたから。
「ちゃんと……。ちゃんと、幸せにしてあげてよね」
キュッと手を握り締めって、小さく言った言葉は。
それでも僕の耳にしっかりと響いた。
「うん、幸せに」
僕のその言葉に満足したのか、先輩はくるりと向きを変えて、歩き出した。
数十メートル離れた先で、またくるりとこちらを向いて、香澄先輩は大きな声で、叫んだ。
「海ちゃんなんか、不幸になっちゃえ!」
ニッと笑って、再び向きを変えて歩き出した香澄先輩はその後一度も振り返ることなく、まっすぐに帰って行った。
彼女は、嘘つきだ。
僕はその後ろ姿を、しばらく眺めていた。
彼女の最後の嘘は、まるで優しい魔法のようだった。
『海ちゃん、好きよ。ありがとう』
*卒業。『最後の嘘』/完
ふふふ、と可憐に笑う彼女はどこか誇らしげだ。
肩まである、ふんわりパーマが彼女が動く度に揺れる。
揺れる度に、その髪から香る彼女の匂いにドキドキさせられていた。
「杖でも使って?」
「ちちんぷいぷい」
僕が話に乗っかると、人差し指を杖に見立てて呪文を唱える。
なるほど、その姿はどことなく様になっている気がする。
「今年のハロウィーンパーティーは、魔女のカッコで行こう」
うんうん、と頷きくるりと反転して僕のもとから走り去る。
後ろ姿の足取りは軽やかだ。
その姿、言動は、複雑で繊細な彼女の心の中とは真逆のようだ。
あのとき溢した『もぅ、嫌だ……』という言葉ひとつ。
ただそれだけが、僕に曝した本心だったのだと思う。
彼女は、僕の好きだった、人。
「桜、この魔女が僕の先輩。香澄先輩、僕の彼女の桜」
「はじめましてぇ!あなたが!噂の海ちゃんの彼女!」
きゃっきゃとはしゃぐ香澄先輩が、僕を肘でグリグリとして、可愛いじゃない、なんて言う。
先輩のこんな姿を見るのは久しぶりだ。
桜は照れているのかほんのり頬を桜色に染めて、それでも香澄先輩と目線をあわせて、こんばんは、と挨拶をする。
……うん、可愛い。
「……可愛いー!」
そう叫んで、桜をぎゅっと抱きしめたのは、僕ではなく香澄先輩。
髪がふわりと揺れる。
真顔で、海ちゃんなんてやめて私にしない?なんて聞くもんだから、桜は困惑したように目を泳がせては、えぇ?!と本気で驚いている。
べりっ、と桜から香澄先輩を剥がして、ブスッと小さくにらむと、香澄先輩は、えへっと笑う。
その間で桜は僕と先輩をキョロキョロと見ている。
桜が、僕の服の裾をちょんと引っ張ったことに、気づいた。
「やめてくださいよ、先輩が言うとシャレに聞こえません。桜が困ってる」
僕がそう言うと、香澄先輩はその唇を尖らせて、チェッと言った。
その姿は、とても女性らしく魅力的で、胸がきゅっとうずいた気がした。
それは、過去の傷。
気をとり直したように香澄先輩は桜と向き合い、何を言い出すのかと思ったら……
「私、女の子が好きなのよ」
と、桜の手をそっと握るものだから当の桜はまたしても困惑ぎみに固まる。
「桜、違うから。先輩ちゃんと彼氏いたから」
この言葉は先輩には酷だったかも、と気づいても桜を放置するわけにはいかない。
僕がフォローすると、あからさまにほっとする桜。
その様子がなんだか微笑ましい。
心が柔らかく、暖かくなる。
この気持ちは、桜が初めて僕にくれたものだ。
「先輩。だから、あからさまにすぐわかる嘘を言うのはやめてください」
もう一度たしなめると、はーい、と笑った。
ドラキュラの格好をした僕と、猫耳の桜、そしてワインレッドの魔女の格好をした香澄先輩。
他にも、仮面をつけたドレス姿の人に海賊、骸骨に……なぜか混じってる、メイド姿。
今日は大学のハロウィーンパーティーだった。
うちの学校は中学から大学までが隣接していて、学祭や体育祭に及ぶまで中学から大学まですべて合同で一斉に行われる。
いったい何に金をかけてるのか、というくらいお祭り好きで、それはもう参加人数も手伝ってド派手に。
そのために大学の大広間を造ったとまで聞く。
あくまでも、噂だけれど。
病気、怪我、冠婚葬祭以外、基本的に参加が義務というのは、どれだけ好きなんだ、という話だが。
人々の山を潜り抜けれは立食型のパーティーらしく、料理の数々が並ぶ。
唯一禁止されている仮装『黒い魔女』は、スタッフの衣装だ。
その中でも、ごく数人の『篭を持った黒い魔女』に「トリック・オア・トリート!」と合言葉を言えばお菓子をもらえる。
それも、コンビニなんかのものではなくて、ちょっと有名店のものだったりするから、さりげなく女性陣が目を光らせている。
僕と桜と香澄先輩は皿にいくつか料理を乗せて壁際に用意された椅子に座って、食事をとっていた。
スッと動いた人影からのぞいた黒い魔女が持つかぼちゃの篭。
ひょい、と体を傾けて確認すると、間違いない。
話に夢中になっている桜と香澄先輩はその魔女に気づく様子が全くない。
「…トリック・オア・トリート?」
僕が呟くと、香澄先輩がさっと顔を上げる。
ふわりと、その髪が揺れる。
続いて、桜も顔をあげて僕を見る。
その瞳が期待で満ちている。
僕は無言でスッと指差した。
「桜ちゃん、行こう!」
いつの間にか、仲良くなっていた二人は僕に料理を預けて、魔女のもとへと駆けていった。
香澄先輩が、魔女に向かって合言葉を言うと、魔女から返事がありお菓子が手渡される。
桜も同様に、手にしたお菓子に顔をほころばせている。
戻ってきた二人が、僕にそのお菓子を見せびらかす。
いや、正確には見せびらかしたのは香澄先輩だけで、桜は僕に見せてくれて「後で一緒に食べよう」と言ってくれたのだけれど。
「じゃじゃーん!ねぇねぇこれ、有名店のチョコだよ!ホントうちの学校は変なところにお金掛けるよねぇ」
先輩はしみじみと呟いて、そのチョコをカバンの中へとしまった。
お皿の料理もなくなったころ、僕は桜の手をとり立ち上がった。
「先輩、じゃぁ僕たちはそろそろ」
そう言った僕を一瞬、見つめて。
にこりと笑った。
「桜ちゃん、送り狼されないように気をつけるのよ~!」
香澄先輩のその言葉に、顔を赤くする桜はやっぱり……
「可愛い~~!」
香澄先輩に、抱きつかれていた。
先輩に先手を打たれた僕が葛藤を覚えたのは言うまでもない。
そして、本当に送り狼になったのかどうかは、ご想像にお任せすることにする。
パーティーから、数日たったある日のこと。
桜との待ち合わせに、大学構内のベンチに座って本を読んでいた。
人の気配がして、本に影が落ちる。
顔を上げると、ふんわりパーマの香澄先輩。
「なーにしてるの?」
にこっと笑顔で、しゃべりかけられる。
僕は本にしおりをはさんで閉じると先輩の顔をじっと見つめた。
「先輩。大丈夫。……僕たちは、ちゃんと幸せになれるよ」
ほんのちょっぴり、香澄先輩の顔がこわばる。
「海ちゃんて、意地悪よね。あと、ずるい」
先輩の言葉に苦笑する。
あなたの不器用さが、とても好きで。
繊細な心を愛しいと思っていた。
けれど先輩が僕を選ぶことがないことも知っていたし、何より、僕は桜と出会った。
だから僕は、先輩とずっと友達でいつづけることを選んだ。
「先輩、僕たちは、あの頃の先輩たちじゃないんだよ」
段々と強ばるその表情は、ぐっと、溢れそうになる物をきっとこらえているんだろう。
「先輩が、僕の近くにいても、いなくても。僕の気持ちは、今は、ちゃんと桜に向いてるから」
好き“だった”人に……先輩に、傾いたりは、しないから。
「僕の気持ちを試そうとしなくても、大丈夫だよ」
三角関係の末に、友達に彼氏を奪われてしまった先輩は、きっと桜と自分を重ねていたんだろう。
先輩は、とても優しいから。
僕の気持ちを、知っていたから。
「ちゃんと……。ちゃんと、幸せにしてあげてよね」
キュッと手を握り締めって、小さく言った言葉は。
それでも僕の耳にしっかりと響いた。
「うん、幸せに」
僕のその言葉に満足したのか、先輩はくるりと向きを変えて、歩き出した。
数十メートル離れた先で、またくるりとこちらを向いて、香澄先輩は大きな声で、叫んだ。
「海ちゃんなんか、不幸になっちゃえ!」
ニッと笑って、再び向きを変えて歩き出した香澄先輩はその後一度も振り返ることなく、まっすぐに帰って行った。
彼女は、嘘つきだ。
僕はその後ろ姿を、しばらく眺めていた。
彼女の最後の嘘は、まるで優しい魔法のようだった。
『海ちゃん、好きよ。ありがとう』
*卒業。『最後の嘘』/完