桜がふわりと舞う4月。
目指した大学で、オリエンテーションを受けていた。
合格した、入学できた!という喜びや実感は、忙しさに流されていく。
梓も小泉くんもいない、この場所で。
私は新たな時間を過ごす。

“友達できるかな?”なんて心境は、この先何年も生まれるものじゃない。
楽しもう。
切なくて苦しくて、甘かった、あの恋はもう胸にしまって。
前を向いて歩き出そう。
少ししかなかった春休みの間、ほんのちょっぴり、前向きになれた自分に気が付いた。



大学に入ってから2ヶ月。
私は早々に誕生日を迎えて19歳になった。
友達できるかな?なんて心配は、この年頃の大半の子達には関係もないのか、同じような行動をとっている子達とわりとすんなりと馴染めた。
けれど、梓のような存在は中々なくて。
やっぱりあのインスピレーションは特別だったんだな、と改めて思う。

苦い想いも苦しい想いも確かにあったけれど、それは私の問題で。
そしてかけがえのない時間だったことも事実。
そういう関係を、これからここでも見つけられるのかな?
そんなことを頭の片隅に、そして同時に、小泉くんを忘れられる日が来るのかな?なんて想いながら日々をこなしていた。

そして、そうやって、よく一緒になるグループの中にいたのが名嘉山海斗という存在だった。


海斗とは話し出してすぐに仲良くなれた。
それは不思議な感覚。
梓とも違う、小泉くんとも違う。
親友?そう呼ぶには一緒に過ごした時間が短すぎる。
でも。
男の子、女の子、そんな枠を越えて仲良くなれる気がしていた。

きっかけは些細な会話。
もしかしたら海斗は覚えてないかもしれないくらい、些細な。
それでも私には目から鱗が落ちてしまうくらいの発想で。
すごいなって、素直に感じた。


大学に入ってから周りの子達がキラキラ輝いて見えていた。
そんな中でいつまでも梓や小泉くんのことでくすぶっている自分が不毛に思えてきて。
でもそれはもう、どうしようもなくて。
同性の友達には何も言えなくて。
それはきっと返ってくる答えがわかっていたからかもしれないけれど。
けど、海斗には何故か、バカみたいだよね?て、自然に相談できてた。

「でもさ、みんなそんなもんじゃない?だし、悩んでる時間が不毛なんてことはないよ」

悩んでいた私にそういってくれた。
とても優しい顔で、遠い目をして。
その脳裏に浮かんでいるのは、他の誰かなのかもしれないけれど。
私の抱える悩みに付き合ってくれる。



自分を肯定してくれる言葉が返ってくるなんて予想していなかった私は、ビックリして思わず自分自身の否定の言葉をこぼす。
それは、きっと、女友達が答えてくれただろう答え。

「え、でもさ、ほら。やっぱり悩んでる時間があるなら、女磨きとかそういうのに時間回した方が絶対綺麗になれそうじゃない?」

考えを巡らすように一拍置くと、海斗は言った。

「んー、そりゃ、スパッと切り変えてそうできるならその方がいいのかもしれないけど。でも、実際できないわけじゃない?つまり、悩んじゃうのが自分自身ってことだ。幸せってさ、気付いた瞬間から幸せになれるんだよ。悩みがなかったらそういうことにすら気付かずに通り過ぎちゃうかもしれないでしょ。俺は良いと思うけど?そういうの」



女の子ならきっと言ってくれないし、他の男の子も言ってくれるかわからない。
そんな言葉を、海斗はくれた。

その言葉は胸にストンと落ちてきたし、ビックリするくらい素直に涙が溢れてきた。
自暴自棄になっていた時間もある。
こんな自分には、なんて卑屈になってしまった時間もある。
もう恋なんてできなくて、梓のような親友にも会えないのかも、そんなことを思った時間もある。

けれど、その時間のどれも、ずっと燻り続けて、泣くことができずにいた。
それが今、本当に驚くほど素直に涙が出てくる。
欠けていた心を埋めるみたいに。
泣いてしまった私を責めるでもなく、ただそっと見守ってくれてた。

「泣かせちゃった?」

涙を拭って、顔を上げると、少しだけ困った顔。
クスッと笑って首を振る。

「泣かせてもらったんだよ。ずっと……泣けなかったから」

そう言うと、それは自分を大事にしてないね?ちゃんと泣きなさい。と、怒られた。
涙には浄化の作用があるって言うけど、それは本当なのかもしれない。
前よりも、もっとずっと、前向きになれたから。


海斗と過ごす時間は楽しくて、本当に男女の垣根を越えた友達になれたな、と思ってた。
自分の気持ちの変化に気づいたのは、それからまもなく。
誕生日の話題になったときだった。

「桜は春生まれ?」

私の名前から、そう思う人は少なくない。
けれど、実際はそうじゃなくて。

「残念。6月生まれ」

両親の馴れ初めに桜が関係していることから名前がついただけだった。
6月9日、誕生日。
その日を告げると、海斗の瞳が揺れたのが分かった。

「香澄先輩と同じ……」

“香澄先輩”その名前は何度か聞いたことがあった。
こう言うときの勘は、大抵当たる。
そして、ツキンと胸に痛みが走る。
そこで初めて自覚した。

どうしてまた、繰り返してしまうかなぁ……



私の中では、消化不良の気持ちが膨らむ。
気づいてしまった瞬間から、その気持ちは大きくなっていくのだから、しかたがない。
仕方がないから、やっぱり、好きなままでいるしかない。
そう思ったら、なんだか、諦めがついてきた。
私はきっと、こういう巡り合わせなんだろう、と。

「最近元気なくない?」

と、その原因の当の本人に言われた日には、笑ってしまう。
だからいっそのこと、と、名前を伏せて悩み相談。
バカみたいなことしてるなって、泣きたくなった。


「また同じ。好きな人には、やっぱり、好きな人がいたみたい」

泣きそうになりながら話す私に、見守るだけじゃなくて手を差し伸べてくれたのは海斗だった。
好きな人の胸の中、幸せなはずなのに、切なくて苦しくて。

「ねぇ、俺と付き合ってみる気はない?」

その言葉には同情と優しさだけがあったんだと思う。
けれど、それにすがってしまった。
好きな人から、付き合わないか?と問われて断れるだけの強さを、私は到底持ち合わせていない。
それが例え、誰かの身代わりだとしても。

「面倒くさい女だよ?」
「うん、知ってる。でも俺もしつこい男だよ?」
「海斗?」
「何?」
「私、幸せになれるかなぁ?」
「それは難しい質問だな?前も言ったろ?幸せは自分で見つけるもんだ、って」
「そっか」
「そうだよ」

そうして私たちは、付き合い始めた。



一緒に過ごす時間が増えると、今まで見えなかった海斗が見える。
優し、いだけじゃなくて、ちょっと面倒くさがりで。
本を読むのが好きなこと。
ジャンルは色々。
言葉の端々に香澄先輩がちらつくこともあった。
その度に胸はチリッと痛みを覚えたけれど、それを選んだのは私だ。

生まれて初めて、彼氏ができた。
それも、私が好きな人。
彼氏ができれば、嬉しい気持ちになれると思ってた。
だけど。
こんな気持ちにもなるんだね。


当たり前か。
だって、私は私のままなんだから。
自分が変わらない限り、次の日から変身できるわけじゃないんだから。



香澄先輩に紹介する、と言われたのは大学のハロウィーンパーティー。
不安なような、何とも言えない気持ちがめぐる。
それはたぶん、彼なりのけじめであり、誠実さを表してくれてるんだろう。
でも、彼女である私への彼の誠実さに、苛立ちを覚えてしまう。
知らない方が幸せってこともきっとあって。

もやもやや、ぐるぐるは胸の中に溜まっていく。
けれど、時間は抗いようもなく過ぎていく。
ハロウィーンパーティーで会った香澄先輩は、とても可愛い人だった。
彼女、と人に紹介されたのは初めてで、とても照れ臭くなった。
たったそれだけのことだけど、少しだけ海斗の彼女である自分に自信が持てた気がする。
香澄先輩は姿形が可愛いだけじゃなくて、“海斗の彼女”の私のことを可愛がってくれた。
でも、楽しい時間ばかりじゃなくて。
ねぇ海斗。
海斗にとって香澄先輩はまだ、大切な人ですか?
聞けないままの質問が、私の心を締め付ける。


ハロウィーンパーティーからしばらく経ったある日の午後。

「桜ちゃん!」

食堂で呼び掛けられて振り向くと、そこには香澄先輩がいた。
相変わらず可愛らしい姿で、ふんわりパーマが揺れる。
海斗の好きな人。
でも私は、この人を嫌いになれない。
何故だろう?
この人から私に向けられるのは、紛れもない好意でしかないからかもしれない。

「海ちゃんと会うの?」
「はい」
「そっか、デート?楽しみね」
「ありがとうございます」

嫌いにはなれないけれど、先輩の口から発せられる“海ちゃん”という名前には否応なく反応してしまう。

「海ちゃんたら、桜ちゃんに夢中なんだもん。私も彼氏ほしいー」

香澄先輩のその言葉には、流石に胸がグッとつまった。
だから何も言えずに、会釈だけを返して足早にその場を去っていった。

泣きたいのに、一人で泣けないのは、今も同じ。


待ち合わせ場所につくと、突然海斗は私を抱き締めた。
今までそんなこと無かったのに、それも外で、なんて。
動揺が広がる。
それと一緒に感じるのは不安。
海斗にこんな風に影響を与えるのはきっとあの人。
捨てられる、時が来るのかな?
海斗はあの人のもとへ、行っちゃうのかな?
そう思ったら、目頭が熱くなってきた。
どうやら、私の様子に気づいた海斗が私の顔を覗きこむ。

「……桜?何で泣きそうなの?」

その問いかけを合図に、私は、グッと海斗の胸を押し返した。
二人の間にできた隙間を風が吹き抜ける。

「海斗、の、大切な人のとこ、行っていいよ……」

振り絞るようにして、言った。
差し出されたあなたの手を、自分から離す時が来るなんて、信じられなかった。


「桜?」

怪訝そうに海斗は私を窺う。
イヤイヤ、と駄々っ子のように首を振るしかできなくて、これ以上の言葉を紡げない。

「桜、聞いて?」

それでもなお、首を振るしかできない私を、海斗は捕まえる。
付き合おう、と言ったあのときのように、その胸へ私を誘う。

「いるじゃないか。大切な人の、ところに」

その言葉を受け入れていいのか、分からない。
私には、海斗と香澄先輩の間に何があったのかなんて分からないから。
すべてそのまま受け入れていいのか、分からない。

「言ってよ、桜。ちゃんと思ってること。ねぇ、言って?」


「か、香澄先輩の、こと、好きだったんでしょ?」

海斗は意表を突かれたように目を丸くしている。

「なんで?」
「女の、勘はなめちゃダメ」

ははっと笑う。
そこには肯定も否定もない。
ねぇ、否定の言葉がほしいのに。
今付き合っている私は、ねぇ、何?

「……っ、だから、先輩のとこに、」

行っていいよ、って言う、私の嘘っぱちの声は、風に溶けた。
気がつけば、きつくきつく、抱き締められていた。

「先輩のことは、好きだったよ。それは否定しない。過去の自分のことだからね」

その言葉に胸がツキツキ痛みだす。
本人の口から聞くのが、こんなに痛いものだなんて。
かつて小泉くんから聞いたのとはまた違う。
何でこんなに苦しいんだろう?



「桜、分かってる?過去、だよ。……今じゃない。大切なのは今だし、今、付き合っているのは俺たちだろ?」

思いがけない海斗の言葉に、痛んでいた胸は、違う痛みを覚えた。
それは、きゅぅ、と締め付けられるような甘い痛み。
私の言葉より、態度より、この胸の痛みは素直だ。

「ねぇ、それよりさ。俺は自惚れても良いの?桜のそれは、やきもちだ、って」

紛れもない、私のやきもちを捕まえて海斗は嬉しそうに言う。
その笑顔が憎たらしくて、でも、愛しくて、幸せで。
不思議。
幸せって、こんな風にも見つけられるのね。
初めて知った。

「桜、良い機会だからちゃんと言う。桜の心がまだ、他の誰かに支配されていたとしても。……俺の心は、まっすぐ、桜だけに向いてる。だから、桜の気持ちがこっちに向くように頑張るから、一緒に前を向こう。俺と付き合って?」

抱き締められたまま、紡がれた愛の告白は、頑なな私の心を少しずつ溶かしだす。
完全に拭いきれない香澄先輩への劣等感は、憧れの裏返しなのかもしれない。
そして何より、まっすぐ向き合ってくれている海斗に私の心を伝えなくちゃ、いけない。

「私は、海斗が、好き」

まさに一世一代。
生まれて初めての、告白は……



パチパチ
ひゅーひゅー




いつのまにか集まっていたギャラリーに、祝福されて、終わった。
きっと、これからの笑い種にされるんだろう。




*今と未来を繋ぐもの。『桜咲く』/完