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「平井じゃなくて、笠原だ」
 一本目の缶ビールもまだ飲み干していないというのに、もう酔ったのか、と言いたくなる。
 父親の口調が少々荒いことが気になりつつも、リビングのソファーに座りスマホの画面に視線を置いていた。
「やめようよ、」
 平井さんの声は、カチャカチャと皿のぶつかり合う音にかき消されそうなほど小さい。
「さすがにこの先も、ねぇ、とか、あの、ってのもないだろ。平井さんなんて問題外。こういうことは早いほうがいい」
「わたしは、べつに。職場では旧姓で呼んでもらってる人もいるって聞くし」
「ここは会社じゃないだろ」
「それは、そうだけど」
 会話を聞きながらテーブルの上のリモコンに手を伸ばした。
 メグが、面白いから見て、と薦めてきた番組があまりにもくだらなくて電源を切った。

 原因を作ったのは俺だ。

「お義母さんからいただいたの」
 仕事を終えて帰宅した父親の晩酌用に出された枝豆に手を伸ばし、口に放り込んだ。
 あ、うまい。
 ばあちゃんが茹でるよりも少々かためで、塩加減も俺好みだった。だから、「これ茹でたの平井さん?」と。父親の前でうっかり口を滑らせてしまったのだ。
 俺も平井さんも、マズい、と。思わず顔を見合わせる。
 面倒なことになる前にここから逃げ出したい。でもそれができなかった俺は、ちょうど始まったドラマに助けを求めた。
 自室に戻らないだけマシだろう。父親もそう思ったに違いない。