◇◇◇
『cafe NINA』は、駅から徒歩五分ほどのところにある古びた五階建てのマンションの一階部分にある。
オーナーである父親が二十歳になったばかりの頃、実父、つまり俺のじいちゃんから譲り受けた店だ。
死んだじいちゃんが経営していた当時のことを、俺は当然のことながら知るわけもなく。店の内装なんかは、ばあちゃんが大事にとっている写真で見たおぼえがあるくらいだ。
こげ茶色の扉、真っ白い壁と、そこに掛けられたブラックボード。アンティーク調の家具と照明器具。
譲り受けたのは店という箱だけで、外観や内装、店名まで、じいちゃんの店とは雰囲気をガラリと変えていた。
「私のほうが緊張してるかも」
客が帰ったあとに残された空っぽのグラスに手を伸ばしたときだった。隣のテーブルの片付けを済ませた平井さんがやってきて、手にしていたダスターでテーブルを拭きはじめた。
「緊張?なんで?」
チラリと見た平井さんは目を細めている。
「だって。汐音くんが働いてるんだよ?緊張しないほうがおかしいでしょ?」
答えになっていない。とは言えなかった。
平井さんのその意味不明な言葉に対して、ふうん、とだけ反応した俺は、トレイを持ち上げカウンターを目指す。
狭いカウンター内でコーヒーを注ぐ父親の目尻が下がっていることに気づいた。
視線はカップに落としたまま、「嬉しいんだよ」と。
父親の吐き出した言葉は、湯気にのって天井へと向かっていくみたいにやわらかく響いた。
『cafe NINA』は、駅から徒歩五分ほどのところにある古びた五階建てのマンションの一階部分にある。
オーナーである父親が二十歳になったばかりの頃、実父、つまり俺のじいちゃんから譲り受けた店だ。
死んだじいちゃんが経営していた当時のことを、俺は当然のことながら知るわけもなく。店の内装なんかは、ばあちゃんが大事にとっている写真で見たおぼえがあるくらいだ。
こげ茶色の扉、真っ白い壁と、そこに掛けられたブラックボード。アンティーク調の家具と照明器具。
譲り受けたのは店という箱だけで、外観や内装、店名まで、じいちゃんの店とは雰囲気をガラリと変えていた。
「私のほうが緊張してるかも」
客が帰ったあとに残された空っぽのグラスに手を伸ばしたときだった。隣のテーブルの片付けを済ませた平井さんがやってきて、手にしていたダスターでテーブルを拭きはじめた。
「緊張?なんで?」
チラリと見た平井さんは目を細めている。
「だって。汐音くんが働いてるんだよ?緊張しないほうがおかしいでしょ?」
答えになっていない。とは言えなかった。
平井さんのその意味不明な言葉に対して、ふうん、とだけ反応した俺は、トレイを持ち上げカウンターを目指す。
狭いカウンター内でコーヒーを注ぐ父親の目尻が下がっていることに気づいた。
視線はカップに落としたまま、「嬉しいんだよ」と。
父親の吐き出した言葉は、湯気にのって天井へと向かっていくみたいにやわらかく響いた。