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「彼女、平井風香(ひらいふうか)さん。今日から店を手伝ってもらうことになったんだ」

 中学三年の夏。
 『cafe NINA』で初めて顔を合わせた。
 このカフェのオーナーで、俺の父親でもある笠原巧(かさはらたくみ)の横で少し照れた表情をしている人。
 年はニ十代前半といったところだろうか。栗色の髪を後ろでひとつに縛り、胸元に小さく店名が刺繍された真新しいエプロンをつけた平井さんが深々と頭を下げた。
「平井風香です。よろしくお願いします」
「……ど、も」
 開店前の店内にはまだ音楽は流されておらず、狭い空間には緊張のあまり震えてしまった俺の声が大げさに響いた。
「なに緊張してんだよ」
 父親はフッと目尻を下げると、俺の髪の毛をクシャクシャと散らす。
「ちょっ…、やめろ、クソ親父!」
 ワックスでボリュームを出した後頭部が見事につぶれてしまった。
「色気づいてんなよ、クソガキが」
 乱れた髪を直す俺にはお構いなしで、釣り銭用の小銭をレジに入れていく父親。その横で、真剣な表情をして父親の手元をじっと見つめる平井さん。
「……ったく。ふざけんなよ」
 わざわざ店に呼び出したのは、新しいスタッフを紹介するためだったのか。
 そう思ったすぐあとで気づいた。気づいた、というか感じ取ったというべきか。
 ふたりの間に漂う空気、みたいなもの。

 訊かなくてもなんとなくわかる。
 もう、子どもじゃないし。