一瞬意味が分からず、有毅は眉を寄せた。


「祭ったって、神様みたいに?」

「神様みたいにっていうか、神様にしたんだ。依代(よろしろ)を作って神格化して祭った」


 有毅の持つ和紙を示して、隼は言った。


「神様を祭る一番大きな目的は、祟りや災いを鎮めてご利益に転じさせることだけど、特定の人物を神格化して祭れば名前と影響力を現世(うつしよ)に残すこともできる。有名なのだと、徳川家康の東照大権現とか。さすがに大権現は無茶だけど、なんらかの形で神格化できれば有毅が消えずにすむんじゃないかと思ったんだ。というか、他に方法が思いつかなかった」

「それで、吉野有毅比古命(よしのゆうきひこのみこと)?」


 有毅が和紙の文字を読み上げると、言葉を詰まらせて隼は目をそらした。


「神号のセンスがないのは認める。でも仕方ないだろう。咄嗟のことだったんだから」

「ふーん」


 得心がいって、有毅は改めて自分の顔の前に右手の平をかざして見た。数度、手を開閉して動きと感触を確かめる。

 有毅の様子を窺うように、隼は少しだけ首を前に伸ばした。


「嫌だったか?」


 有毅が気のない声を出したからか、隼の眉尻が不安げに下がる。有毅は苦笑して首を横に振り、かざしていた右手を下ろした。


「嫌とか、そういうことじゃない。ただ、やっぱり隼はすごいなって思っただけ。本当に隼はいっつも、信じられないことをやってのける。将来有望な後継者に恵まれて、月乃浦(つきのうら)神社は安泰だね」


 本心から有毅が言えば、隼は面食らった顔をした。若干照れたのか気まずそうに頬をかき、とり繕おうとするように咳払いして表情を改める。


「まともな道具も場所もなかったから、本当にできるか自信はなかったし、信者もおれしかいない状態だけど、有毅が消えてないってことは多分うまくいったんだよな。有毅は、なんか違う感じがしたりするか?」

「確かに、ちょっと違うかも。多分、できることが増えてる」


 有毅が感覚で答えると、隼は意外そうにまばたきをした。


「例えば?」

「うーん、そうだなあ」


 有毅は考えながら、名前の書かれた和紙を両手の平で挟むようにして、軽く皺を伸ばした。それを半分に折って中央を確かめ、両端を合わせ三角形にしていく。和紙をどんどん小さく折っていく有毅の手元を、隼は奇妙なものを見るように覗き込んだ。和紙はやがて、手の平に乗る大きさの、白いウサギになった。


「できた」


 有毅が満足して宣言すれば、隼は呆れたように目をすがめた。


「こんな時に折り紙かよ」


 げんなりする隼に向かって、有毅はつまみ上げた和紙のウサギを小さく揺すった。


「こんな時だからだよ。ぼくが折り紙をできる、っていうのがすごいんだ。ものに(さわ)れても、持ったりつかんだりするのはあまり得意じゃなかったから。でも、今は普通に持ててる。あとは――」


 つまんでいた折り紙ウサギを、有毅は手の平に置き直した。それを隼の顔の高さまで持ち上げてやる。思わずといった目つきで凝視する隼の鼻先で、ウサギが跳ねた。


「うわっ」


 ひっくり返りそうになって後ろ手をついた隼に、有毅は笑い声をたてた。その間にも折り紙ウサギは数度跳ねて隼の頭へと飛び移り、紙製の耳をそよがせた。


「どうなってるんだ」


 目を白黒させる隼に有毅はさらに笑って、折り紙ウサギを手の上に呼び戻した。


「これはぼくだ。隼が作ってくれた。お札のままじゃあ難しかったけど、これなら動ける」

「動けるったって……そういうつもりじゃなかったんだけどな」

「なかなかいい体だよ。身軽で便利だ」


 有毅が上機嫌で言えば、隼は呆れ顔で体勢を起こして、膝に頬杖をついた。


「それならいいけど、さすがにここでウサギは冗談きつくないか」

「そうかな」


 折り紙ウサギがまたぴょんと高く跳ねて地面に着地し、隼の周りを一周して有毅の手へと戻った。はしゃぐようにせわしなく跳ねまわる白い紙のウサギを、隼はしばらく黙って眺めた。


「なあ、有毅」

「ん?」

「ウサギと言えばなんだけど」


 声色の変化を察して、有毅は目線を折り紙ウサギから隼へと戻した。隼は変わらず、折り紙ウサギを見詰めていた。


「ツクヨミのところにいた白ウサギ。あれは……有理沙だったのか?」


 隼の瞳に戸惑いが映るのを見て、有毅は手元に戻った折り紙ウサギを撫でた。


「うん。有理沙は月の国のものを食べたんだろうね。でも、隼のことが分かった。人だった時の記憶はまだ消えてないんだ。だからきっと、とり戻せる」

「そうか……」


 低く呟いて、隼は沈黙した。しかしその瞳はまだ震えていて、彼がなにか迷っていることが見てとれる。有毅には、その迷いの正体に察しがついていた。


「隼が蹴飛ばした、もう一羽の白ウサギはぼくだ」


 有毅の方から言えば、隼がはっと目を上げた。隼が動揺を現したので、有毅はかえって冷静になって淡々と続けられた。


「有理沙にもツクヨミにもユウキって呼ばれてただろう? ぼくなんだ、あれは」


 隼は口を引き結んでいたが、有毅の発言に背を押される形で躊躇を振り払った。


「あれが本当に有毅なら、あの時どうしてあんなに怯えたんだ。消えそうになった原因っぽかったし、あの白ウサギも有毅を消したがってた」


 記憶を辿るように言った隼に、有毅は首肯した。


「会うのはまずかったんだ。ぼくは――ドッペルゲンガーだから」