「なんかめっちゃ距離取られちゃったっぽいんだよね。これって仲間はずれってやつだよね。――……泣いてもいいですか?」

 ヘルフィールド王国立魔法学園の一角。共同御手洗の個室で便器に座りながら、エルヴィンは目頭を抑えた。

『アンタ……早速やらかしてるわね……。まだ3日目よ?1晩も持たなかったわね』
「だって俺、分かんなかったんだもん!!この世界が仮想世界だったなんて!!……ハッ、つまり俺自身が仮想の存在……?!俺は存在していなかった……?」
『んな訳ないでしょ。だもん、とか可愛く言ってるんじゃないわよ。まったく……。まあ、最初から期待なんてしてなかったわよ。安心しなさい』
「全然フォローになってねぇよ……。それに、慰められるなら、アルシノエちゃんに慰められたい。ゴツイ男に慰められるなんてヤダ……」

 ちなみにアルシノエは、元勇者パーティーで回復役を担っていた少女である。エルヴィンと同い年でありながら、回復魔法については現役最高峰であり――、女神と見紛う程のとんでもない美少女であった。
 エルヴィンとは同い年の元勇者という事もあり、大体一緒にいる事が多かったりする。現在はイレギュラーだが。

『アンタねぇ……』

 通話相手の声が一段と低く、野太くなる。これ以上はいけない、と野生の勘で悟ったエルヴィンは口を噤んだ。

『それにしても、異世界勇者達はその、この仮想世界と思っている世界から現実世界に帰れたのかしら?』
「いんや、どうやら口ぶりからするに帰れてないっぽい。随分と慌ててたぜ」
『でしょうねえ』
「更には俺の事、案内役のNPC?とか、実は勇者じゃないのに召喚されちゃった巻き込まれ系主人公?とか言われたんだが、全然意味が分からん。俺は勇者だ。むしろ俺が案内されたい」
『隠密専門のクレムちゃんが行ってたとしても、溶け込むのは難しかったかもしれないわね……。常識?って言うのかしら?全然違いそうだわ』

「だよなあ〜」と息を吐きながら、エルヴィンは便座にズルズルと脱力したように深く腰掛ける。

『そして、学園に編入した感想はどう?』
「召喚からの編入早すぎて追いつけねえ。ちなみに座学も追いつけねえ。何言っているのか全く分かんねえ」
『アナタ勉強全然して来なかったものねえ……。まあ、編入の早さは国立だから可能なのかもしれないわね』
「まあ、拳しか磨いてこなかったしなあ……」

 エルヴィンは自分の拳を見つめ、軽く握って開いた。毎回アルシノエに綺麗に治して貰っているので、傷一つないが、切り傷などはしょっちゅうである。

「つーか、異世界勇者達の方が勉強出来るのおかしいだろ!!むしろ簡単とか言ってて、異世界ハイスペック過ぎる……!!」
『聞けば聞くほど末恐ろしい子達ねえ……異世界勇者は』
「マジで敵に回したくねえ……。距離取られちゃったけど」

 エルヴィンは頭を抱えて項垂れた。

『ほらほら、落ち込まないの。アンタにいいお知らせがあるわ』
「えっ、何?」
『昨日の夜に首都の結界内に入り込めたわ。クレムちゃんとアルシノエちゃんがそっちに――』

 通話相手の声を遮るように、大声でエルヴィンの名前が呼ばれる。そして、バタバタと御手洗の中に入ってきて、個室のドアを叩かれた。

「エルヴィーーン!!またお前トイレ篭っているのか?お腹大丈夫なのか?」
「あ、ああ。大丈夫……大丈夫だ!!ちょっと壊してるだけ!」

『ちょ、アンタまたどこに居んの――』とかいうのが通信機器越しに聞こえたが、ブチ切りした。

「いやー、ごめんごめん。ちょっとお腹壊しただけ!」

 特に利用はしていなかったが、水を流してエルヴィンは慌てて個室の扉を開く。黒髪眼鏡の少年、アズモ キキョウが眼鏡のブリッジを押し上げて、エルヴィンの全身をザッと上から下まで見た。

「汗かいてるけど大丈夫か?痛いのではないのか?」
「大丈夫!大丈夫!」

 元々、痛くも何ともないので。
 ヘラヘラとしたエルヴィンの笑いに、アズモ キキョウはやや俯いた。眼鏡のレンズの反射で、目元が見えなくなる。

「昨日はすまなかったな。NPCだとか、巻き込まれ系主人公とか言って……」
「え……、アレ、悪口だったの……?」






 時は遡り――、昨夜。

「こんなの、こんなのって有り得ない……!」

 印南 琉朱は手に持っていたパンフレットに当たるかのように、荒々しく床に叩き付けた。肩までの茶髪が激しく揺れる。「落ち着け」と東雲 木響は静かに宥めにかかった。
 だが、少女の火に油を注いだのか、印南 琉朱はキッと睨み付けた。

「落ち着ける訳がないじゃない!!――ログアウト出来ないなんて!!」
「だからといって、暴れても意味などないだろう?!」

 東雲 木響は負けじと睨み返す。2人の間に火花が散った。

「2人共、そこまでだよ」

 羽良中 凌黄は臆することなく2人を仲裁した。

「確かにログアウト出来ないのは、非常に問題だよ。だけれと、八つ当たりしていい訳じゃない」

 でも、と彼は続ける。

「これは、β版だ。なんらかの問題で〝インベントリ〟が発動せず、メニュー画面が表示されない。そして、メニュー画面にあるログアウトが出来ないのかもしれない。1人だけじゃなくて、5人全員なんだ。――充分考えられるとは思わないか?」
「……そうね」

 理路整然とした推察に、ひとまず納得したように印南 琉朱は頷いた。

「じゃあさ、このまま〝インベントリ〟が復活するまで俺達はこのままプレイを続けるって事か?」
「そうだね。その方がいいかもしれない。そして、皆、さっきはエルヴィンくんにNPCとか言っていたけれど、この仮想世界はかなりリアルだからね。エルヴィンもプレイヤーにしろ、NPCにしろ、本当に生きているみたいだった。もしかしたら、人間関係もプレイに関わって来る可能性もありそうだ」
「その割には学園編入までの時間は非現実的だよなあ」

 西紀 虎琉は頭の後ろで手を組んだ。

「じゃあ、エルヴィンにも謝っとかねぇといけねぇって事か」