『トイレ入ったと思ったら、2時間以上出てこないんだもの。アルシノエちゃんは勿論、流石にアタシも心配しちゃったわあ』

 聞こえるのは野太い声。だが、女性らしい話し方の通話相手にエルヴィンは食ってかかった。

「好きでトイレに篭ってた訳じゃねぇ!!つうか、トイレにいた訳じゃねえし!!異世界勇者が来たんだよ!!5人も!!そんで何かわかんねえけど、俺まで一緒に召喚されてたんだよ!!」

 キングサイズのふかふかのベッドの上で、エルヴィンは思わず声を荒らげた。時間は既に夜中。元々遅い時間に召喚されたので、簡単なこの世界についての説明を受けただけで終わった。

 異世界召喚――エルヴィンから見たら同じ世界からの召喚だが、御手洗に入っている間に召喚されたのである。

(むしろズボン上げた後に召喚されて良かった……)

 少しでもタイミングがズレていたら、勇者ではなくただの変質者である。

『異世界勇者なんてそんなに召喚出来るものじゃないわあ。目的はなにか分かるの?』
「ああ。どうやら〝魔王を倒して欲しい〟っていう話らしい」

 通話相手はやや沈黙した。あまりにも続くので、通信機器の不具合か、と思って耳につけている通信機器――ピアスを指先で確認した程だ。

『……おかしいわね。〝魔王〟なんて、観測されてないわよ。第一、エルヴィン達が〝第六天災魔王〟を倒してまだ二年……。現れるにしても早すぎるわ』
「そうなんだよなあ。俺も聞いた事なくってさあ……。しかも、異世界勇者は今まで何度も異世界で世界を救ってきたプロだぜ?」
『異世界勇者を派遣しているって事……?』
「どうやらそうらしい」
『……召喚国のヘルフィールド王国が随分と大きい兵器を持ったって事ね……』

 ヘルフィールド王国――、軍事国家という訳では無いが、非常に軍隊に力を入れている国である。先の〝第六天災魔王〟の勇者選考の際にも多数の国民を推薦したが、残念ながらかの国からの勇者は生まれなかったのである。
 相手はしばしの間考えるように沈黙する。そして、やや声をひそめた。

『取り敢えずヘルフィールド王国が何か企んでいる線が濃厚でしょう。すぐに潜入捜査員――かつてのお仲間を派遣するから、それまで怪しまれずに過ごしてちょうだい』

 エルヴィンは頭の中で元勇者パーティーの一人を思い浮かべた。隠密行動に秀でた仲間を。

「助かる。俺には潜入捜査は向いてねぇし、アルシノエちゃんロスになっちまうからな……」

 なんせ脳筋なので。

『いいのよ。悪い企みは潰さないと行けないからねん。アルシノエちゃんに会えないのは我慢しなさい』
「んじゃ、もう通信切るぞ」
『あ、そうそう。言い忘れる所だったわ』
「ん?なんだ?」

 引き留められたエルヴィンは、キョトンとする。

『トイレはちゃんと流すのよ?』
「いつも流してるわ!!流せなかったんだよ!!」




「昨日は眠れなかったのかい?」

 優し気な顔立ちの少年――ハラナカ リョウキに声を掛けられて、エルヴィンはハッと止まっていたスプーンを動かした。

「……そうだな。ちょっと俺は……枕変わると眠れなくてだな」

 真っ赤な嘘である。エルヴィン自身、野宿もよくしているので、どこでも眠れるのだ。
 それよりも、だ。このハラナカ リョウキを含めて、全員がピンピンしている。むしろ寝不足なのはエルヴィンのみという理不尽な状況。とは言っても、エルヴィンはずっと外部に通話出来る隙を伺っていた為に夜更かししてしまっただけである。

「まあ、眠れないのは仕方がないよ」

 ハラナカ リョウキは苦笑いを浮かべる。

「僕達はいつものゲーム仲間だけれど、エルヴィンくんにとっては僕達は初めましてだからね。そんなに緊張しなくても、僕達は協力プレイはプレイヤー同士楽しくやれれば良いってスタンスなんだ。だから、お互い失敗とかするかもしれないけれど、仲良くやれれば嬉しいな」

 アズモ キキョウ同様、ハラナカ リョウキもこの世界がバーチャル世界だと勘違いしていた。睡眠も今出されている朝食ですら、すごいリアルに作り込まれているバーチャル世界だと思っているくらいである。味覚も睡眠が取れている現状にも、違和感等抱いていない。なんせ、大手ゲーム会社がお金と時間を掛けて作りこんだ傑作――そう謳われた話題作をゲーム仲間とプレイしようとした時の召喚だった。タイミング的にも誤解を招くには充分。

 だが、そんな背景なんてエルヴィンは知るはずがない。
 ゲームのプレイスタイルを説明されたところで、ここはバーチャルではなく現実。実戦の連携スタイルの事を思い浮かべてしまう。

(ナチュラルに俺が失敗するかも……、なんか言われてるんだが……)

 エルヴィンは元勇者である。
 些細な失敗が命取りになる事は身をもって知っている。だから、失敗は許されない。するはずがなかった。

(……いや、異世界勇者にとっては、俺が失敗するような雑魚みたいな戦闘力だと見られている……って事なのか……?!)

 冷や汗がダラダラと吹き出してくる。エルヴィンは内心激しく動揺しながら、引き攣った笑みを返した。

「あ、ああ……。ギスギスは嫌だもんな……」

 勿論、エルヴィンにとってはプレイ方針の相違ではなく、実戦パーティーの人間関係である。

「ありがとう。君の戦闘スタイルが分からないんだけど、教えてくれるかな?」
「俺は前衛だ。主に拳闘士。拳で全部解決する」

 エルヴィンはまどろっこしいことを考えるよりも、体が先に動くタイプであった。潜入捜査には全く向いていないのである。

「僕も前衛かな。剣士をやることが多いよ。ちなみに――」
「僕は盗賊(シーフ)役が多い」

 眼鏡をクイッと上げて、アズモ キキョウがハラナカ リョウキの言葉を引き継ぐ。エルヴィンはギョッとした。

「盗賊?!」

 一瞬、エルヴィンの声にアズモ キキョウは止まったが、「ああ」と納得したように口を開いた。

「盗賊役はそのまま盗賊という訳では無いぞ。罠解除やダンジョンギミック攻略、不意打ちの役割を持った役職だ」
「な、なんだ……びっくりした……」

 エルヴィンは胸を撫で下ろした。RPG系をやっている人間には伝わる意味だが、異世界勇者でもないエルヴィンが知るはずもない。

「なあ、お前。本当にRPGあんまやんねえのな?」

 金髪のやんちゃそうな少年――、ニシキ イタルが会話の中に入ってくる。

「アール……?まあ、やらない、な」

 エルヴィンは引き攣った笑みを浮かべた。

(まず、あーるぴーじーって何だ……?)

 エルヴィンの怪しすぎる笑みを不思議に思うことなく、ニシキ イタルはケラケラとパンを頬張りながら、ニカッと八重歯を見せる。

「なるほど。格ゲーの方メインだったんだな!」
「かく……?」

 エルヴィンが拳闘士、つまり格闘系だという認識が生まれた。





 ヘルフィールド王国王城。その一角の共用御手洗の個室。エルヴィンはこの世の終わりのような深刻な顔をして、便座に座っていた。

「ま、待て……。も、もう一度言ってくれ……」

『だからごめんねえ。ヘルフィールド王国首都全体に巨大な結界が張られていて、クレムちゃんが入れないって言っているのよ』

 元勇者パーティーの一人。隠密行動に優れたクレムが入れない結界。最強の一角であり、隠密行動の最高峰に位置する人間が突破不可能な状態。つまりそれは、

「待って?!俺もしかして、潜入捜査継続って事?!」

 誰も代わりに派遣出来る人間が居ないという状態であった。