晴天率100パーセントの「晴れ男」、ビーチ無双から伝説へ

【泥酔】

そんな日々が続き、ディアナがマイヨルカに滞在してから約二週間が過ぎたある晩。
ビーチカフェ「さんきんぐ」は昼間の営業を終えて夜営業に切り替えていた。昼より客足は減るが、それでも夕暮れ時には人が集まり、ささやかな酒場のような雰囲気になる。

ディアナはその日も店に現れ、大量の料理とアルコールを注文していた。南国のフルーツを使ったカクテルや、ヨウイチ特製のスパイシーチキン、海鮮グリルなどを次々と平らげ、やがてカウンターでゆったりと酒を飲み始める。すると珍しく、ディアナのほうからヨウイチに話しかけてきた。

「なあ、ヨウイチ。お前、ここでカフェをやってるが……その、強いのか?」

「え? 強いって、何がですか?」

「戦闘のことだ。クラーケンを倒したっていう噂があるだろう。なぜ普段はそんなに戦いの気配がないんだ?」

「えっと……まあ、いろいろ事情があって、今はのんびり暮らしたいだけなんですよ」と、ヨウイチは曖昧に笑って誤魔化す。

彼には“晴れ男”のスキルとテリーという強力なパートナーがいるが、それを開示すればまた王都やら何やらが騒ぎ出しかねない。
何より、平穏を求めてこの町に来たという経緯もあり、必要以上に目立ちたくないのだ。
ディアナは酒を煽り、「ふうん」と興味なさげに返す。しかし、その声にはわずかな寂しさが混じっていた。


やがてディアナは、かなり酔いが回ってきたのか、頬を赤らめて口が滑らかになり始めた。

「おい、ヨウイチ……悪いが、ここの“特製チキン”をもう一皿と、あと酒を……」

「はいはい、ディアナさん。飲みすぎ注意ですよ~」

普段はクールな女性が酒に酔うとこんなにも表情が変わるのか、とヨウイチも少し驚きながら見守っていた。やがて、ディアナは火照った頬でカウンターに肘をつき、低い声で話し始めた。

「……私の家族は……昔、魔物に殺されたの。私がまだ幼い頃……確か、ゴブリンの大群が村を襲って……母も父も妹も……みんな目の前で死んでいった」

「……そ、そうだったんですね…」

ヨウイチも動揺してかける言葉も出てこない。

「そのとき、偶然通りかかった旅の武芸者が私を拾ってくれた。……その人は“魔物を狩る”ことだけを生きがいにしていて、私に剣術と魔力の使い方を教えてくれた」

ディアナの瞳は酒のせいで潤んでいるが、その奥底に沈殿する悲しみが覗いていた。

「氷の力なんて、エルフには珍しい。だからこそ私には才能があると、その人は言っていたよ。――でも、その人もまた、上位の魔物との戦いで死んだ。結局、私の周りからは大事なものがどんどん消えていくの……だから、私は強さを求める。強い相手と戦い、魔物を倒し続けるしかないんだ」

 ディアナはゴクゴクと残りの酒を飲み干し、「ああ、もう一杯」とヨウイチに注文する。ヨウイチは慎重に言葉を選びながら、新しいグラスに酒を注いで出した。

「……強い相手と戦うことで、失ったものを取り戻すわけじゃないかもしれませんが……それでも、ディアナさんには目指すものがあるんですね」

「うるさい。……お前に何がわかる」

ディアナの反応は冷たいが、その表情はどこか迷いを含んでいた。
これ以上、踏み込んだ言葉は控えた方がいいだろう――ヨウイチがそう思っているうちに、ディアナは再び大きなジョッキを傾け、ゴクゴクと飲み続ける。かなりペースが早い。さすがの大食いでも、これは酔い潰れるのではないか……。

「……もうやめといた方がいいんじゃ?」

「うるさい。私は……もっと飲める……」

そのままディアナは、何度か意識が遠のきそうになりながらも酒を追加で注文し、最終的にはヨウイチの目の前でテーブルに突っ伏した。

「……まったく、やれやれ」

店内の他の客もそろそろ引き上げた時間帯。ヨウイチは仕方なくディアナを起こそうとするが、微動だにしない。
氷の重装剣士も、アルコールには勝てないらしい。

「うちの店は宿泊施設じゃないんだけどなあ……」

そうぼやきながらも、このまま放置しては危ないし、外へ出してなにかあっても困る。
ヨウイチは悩んだ末、結局ディアナを店の二階にある自分の部屋へ運ぶことにした。ベッドに寝かせ、少しでも休ませようというわけだ。

しかし、問題はここからだった。
【対決】

ディアナを抱きかかえ、二階へ続く階段をヨロヨロと上がるヨウイチ。さすがに剣士だけあって筋肉質で、女性にしては重い……。
それでもなんとか部屋に入れ、ベッドへ寝かせようとしたそのとき、ディアナの腕がヨウイチの首をつかんだ。

「……ん、ふ……どこへ行く、もうちょっと……飲むんだ……」

「え? ちょ……ちょっと!?」

ディアナはヨウイチの首を腕で絡め取り、そのままベッドに引き倒してしまった。押し倒された形のヨウイチは、彼女の豊かな胸元やしなやかな腰の感触に面食らいながら、必死に体勢を立て直そうとする。

「あ、あの、ディアナさん!? ちょっと落ち着いて……!」

「うるさい……あたしを……ばかにするな……ん……」

褐色の肌がうっすらと汗ばんで光り、顔を朱に染めたディアナの潤んだ瞳が至近距離に迫る。普段は無愛想な彼女の艶っぽい表情に、さすがにヨウイチもドキリとしてしまった。
意外にも女性らしい部分があるのだ、と妙に感心しながらも、押し倒されたままではどうにもできない。

(こ、これはヤバいんじゃ……?)

さらにディアナの腕がヨウイチの背中に回され、彼女の体重がのしかかってくる。二人の顔が徐々に近づき、唇さえ触れそうな距離に……その瞬間、部屋の窓からすーっと小さな光の玉が入ってきた。――テリーだ。

「ヨウイチ、ただいまー。今日はメルと一緒に……って、あれ? 何してんの?」

妖精の姿は、一般人には見えない。
しかしディアナは魔力資質を持つため、視覚が働けばテリーの存在が見えるはずだ。だが、今は酔いつぶれている。
テリーは、「寝てるの?」と呑気に言いながら、ふわふわとディアナの周囲を飛び回る。

「(テ、テリー!早くあっちに行って……!)」

テリーが見られたらまずいことになる―――ヨウイチは小声で必死に指示するが、テリーには伝わらない。

そのときディアナの瞳がはっと見開かれた。テリーを捉えた瞬間、彼女の戦闘本能が呼び起こされる。

「な…なに!……魔物だな……っ!」

「テリー!早く逃げろ!」

ディアナは酔っているとはいえ、身体が冒険者としての反応を示す。
瞬く間に腰の剣を抜き、薄青いオーラを放出させた。その刃には氷結の魔力が凝縮され、まるで部屋の空気が一瞬にして凍り付くかのような冷気が漂う。

「ちょっと! ディアナさん、やめろ! テリーは魔物じゃない!」

なんとかなだめようと、ディアナとテリーの間に割って入る。

「う、うるさい!私の目の前でうろちょろするモンスターは、全部斬る!」

半ば錯乱状態だ。ディアナは大上段から一気に剣を振り下ろす。その剣先から発せられる氷の力は、周囲の空気を凍てつかせながら鋭い一閃としてヨウイチとテリーに襲いかかる。まるで氷刃が幾本も伸びるような凶悪な必殺剣だ――。

しかし、その瞬間、ヨウイチとテリーは急激に光を帯び、一体化した。

「くっ……!」

テリーがヨウイチの身体に溶け込むように融合し、白い光のオーラが身体を包む。
ヨウイチのスキル“晴れ男”は、魔力を無効化する「理力」によって支えられている。いわゆる魔法に属する攻撃であるディアナの氷結は、ヨウイチに対して効果を発揮できない。

氷の必殺剣は、まるで空気を裂くだけの無力な斬撃として弾かれ、ヨウイチの身体には全く届かない。
吹き飛ばされるようにディアナは後退し、そのまま床に倒れ込んだ。

「な……なに……? 私の……攻撃が効かない……?」

「ディアナさん、落ち着いてってば!」

さらにヨウイチは、ほんの少しだけ強化された身体能力を使い、ディアナの腕を掴んで力を込める。
攻撃はしないが、その威圧感は凄まじい。ディアナは半ば酔いのままで動けなくなり、悔しげに瞳を揺らす。

「うぅ……こんな……こんな状態で、私は……負けるわけには……!」

「負けとか勝ちとかじゃない! テリーは魔物じゃないんだ。それに、あなた……完全に酔っぱらってるでしょ?」

酔いと混乱の末、ディアナは力尽きるように再び床に崩れ落ちた。そのまま意識が朦朧とする彼女は、悔しさで涙目になりながら何か呟く。

「私は……強い相手に勝たなきゃいけないのに……ここまで来て……魔物を斬れなかった……もう……死ぬしか……」

「はあ!? 何言ってんの?」

ディアナはあろうことか、護身用の短剣を取り出し、自分の喉元に当てようとする。――自害。名高い戦士の中には、敗北を認めたときに切腹や自害を選ぶ風習を持つ者もいる。
ディアナの場合、その心情を根っこに持っていてもおかしくない。ヨウイチは焦って短剣を叩き落とす。

「こんな酔った勢いのまま、人の家で死なれても困るよ!」

「うるさい……私は、私の誇りを……」

「誇りとか命とか、どっちが大事なんだよ!」

ヨウイチはディアナの肩をつかんで激しく揺さぶる。彼女は目を覚ましかけ、だがまだ朦朧とした声で呟く。
ここで適切な言葉をかけなければ、また短剣を手にしてしまうかもしれない――ヨウイチは咄嗟に考えを巡らせ、あるアイデアを口にした。

「じゃ、じゃあ……うちの店で働いてくれ! ホールスタッフとして!」

「はあ……? 何を……言ってるんだ……?」

「ディアナさんの気持ちは分かった! だけど、俺の店は今スタッフが足りないんだ。力仕事だってあるし……それに、氷のスキルがあれば、ドリンクを冷やすのに便利じゃないか」

「ドリンクを冷やす……?」

「ああ、そうだ。いずれは店で"かき氷"を出そうと思ってたんだ! ほら、他にもディアナさんの能力を使って、何か面白いことができそうだろう? 俺はそう思うんだ!」

荒唐無稽な提案だが、ヨウイチは必死だった。
ディアナを止めるには、生きる理由を提示するのが最も効果的だと直感的に感じたのだ。――すると、ディアナは呆然とした表情を浮かべ、眉間に皺を寄せながらしばらく黙り込んだ。

「……私の力が、ドリンクを冷やすだけに使われるのか?」

「それだけじゃないさ。新しい生き方ができるかもって話だ。納得いくまで、ここで働いてみるのはどう? その後、どうしても戦いたいって言うなら……まあ、考えてあげるから。ね?」

「…………」

ディアナは明らかに混乱している。冒険者としては誇りを懸けて戦ってきた自分が、店のスタッフなどという一般的な仕事をするなど想像もしていなかったのだろう。しかし、そのまま自害されるわけにはいかない。
しばらくして、ヨウイチの真剣な表情に押される形で、彼女は何とか頷いた。

「わ……わかった……わけが……ないだろ……でも、わかった……ここで働いてやる……」

「そ、そうか。とりあえず、今日はゆっくり寝て! まずはお酒を抜かなきゃだめだ」

「わかった…むにゃ…」

こうしてディアナは、半ば投げやりながらもヨウイチの提案を受け入れる形となり、そのまま深い眠りへと落ちていった。
ヨウイチは心底ホッとしつつ、テリーにも「ごめんな、変なことに巻き込んで」と謝罪する。テリーは「ま、別いいけど……ところで、この人、誰?」とのんきに笑っていた。
こうして、危険極まりない一夜は終わりを迎えた。
【新ホールスタッフ】

 翌朝。ディアナは頭痛と倦怠感に苛まれながら目を覚ました。
思い返せば、昨日は随分と酒を飲んだ。そして、自分がヨウイチに押し倒され――いや、押し倒したうえに魔物と勘違いして切りかかり、挙句の果てに自害しようとしたことなどを、徐々に思い出してきた。まさに悪酔いの極み。
散々な行動を取ってしまった自分に、ディアナは顔を覆いたくなる。

「……なんてことだ。私はなんと愚かなんだ……」

ベッドから起き上がるとと、部屋の片隅にあるソファに横になるヨウイチの姿が目に入った。ディアナの声で彼も目を覚まし、気まずそうに苦笑しながら声をかける。

「おはよう。……大丈夫? 昨日はひどい酔い方してたけど」

「す、すまない……とても恥ずかしくて死にたい……」

ディアナはそう呟きながらも、自害する気力はさすがにもうないらしく、昨夜の自分の暴走を後悔している様子だ。ヨウイチはこれ幸いと、昨夜の約束を改めて確認する。

「それで……店で働くって話、どうする? 忘れてるかもしれないけど、酔った勢いとはいえ、確かにそう言ってたけど」

「……うぐ。覚えてる。まさか本当に雇うつもりなのか? 私のような戦士を……」

「もちろん。大歓迎だ。俺もスタッフを探してたところだし。合わないと思ったら、そこでやめりゃいいさ」

ディアナは唸るように黙り込み、しばらく考え込んだ。
彼女は本来、戦うことを生業としてきたが、クラーケンも既に倒されていて、現在のマイヨルカ周辺には凶悪なモンスターはの情報もない。
次の目的地を探すにしても、この土地をそう簡単に離れるのは惜しいと思っている自分がいる。加えて、さんきんぐの料理は絶品だし、好きなだけ食べられるならそれも魅力的だ。
悩み抜いた末、ディアナは渋々と頷いた。

「わかった。しばらくやってみる……」

「よし、決まり! よろしく頼む」

ヨウイチは満面の笑みを見せる。かくして、氷の重装剣士・ディアナが、ビーチカフェ「さんきんぐ」でホールスタッフとして働くことになった。


さっそく試しに昼営業から手伝ってもらうことにしたが、最初は戸惑いだらけだった。
ディアナは接客業どころかキッチンに立ったことすらないし、客の前で笑顔を作るのも苦手だった。
だが、彼女には「氷結」のスキルがあった――たとえばドリンクを瞬時に冷やしたり、グラスに氷を作り出すことができたりと、店の運営には想像以上の利便性とスピードをもたらしてくれる。

「カウンターの奥でサーバーの水を冷やしておいてくれたら助かるんだけど」

「ふむ……こうか? ――《フロスト・タッチ》……」

ディアナが指先で魔力を注ぐと、水が一瞬にして冷気を帯び、涼しい飲料水として利用できるようになる。これまでヨウイチが魔石の氷や魔道具で何とか補っていたのが、ディアナの力によって格段に効率的になった。

また、彼女の意外な才能として、料理の下ごしらえのスピードが速いという面があった。
剣術で鍛えた手捌きと氷結による時短テクニックを駆使して、野菜や肉を瞬時に冷やしたり、カットしたりできる。さらに、大量の氷水を用意することで、海鮮を鮮度良く保ち、スープのアク取りなんかもスムーズにこなす。
その作業ぶりを見たヨウイチは目を丸くしながらも大喜びだった。

「ディアナさん、すげえ助かるわ。本当にキッチンに立ったことなかったの?」

「初めてだ。だが……こういう仕事も、意外と奥が深いのだな」


そのまま数日働いてみて、ディアナは内心、戦いに明け暮れるだけが人生ではないということを、少しずつ実感し始めていた。
接客にはまだ馴染めず、客の前ではツンとした態度を取ってしまうが、一方で店の裏方作業では持ち前の器用さを発揮している。時折、メルが訪れてフロアを手伝うときもあるが、そのたびにディアナは妙に張り合ってしまい、さらに仕事に熱が入るという展開になる。

「ディアナさん、ドリンクを三番テーブルにお願いできますか?」

「ちっ……わかった。はいはい、ただいま持っていくぞ……」

まさかの“剣士口調”で、ディアナがグラスを運ぶ光景は、店の常連客にとっても名物となりつつある。
ある者は「すごいクールな美人スタッフが入った!」と喜び、ある者は「なんか怖そうだけど、氷ドリンクが最高だ」と評する。ディアナ自身は照れくささや抵抗感があるらしく、客の前でほとんど笑顔を見せないが、だんだんと「不器用な姐さんスタッフ」として受け入れられ始めていた。


だが、ただ一人、複雑な表情を浮かべる人物がいた。それがメルだ。
メルは町長の仕事を手伝いながらも、「さんきんぐ」には日中や夕方に時々顔を出している。明るく元気な彼女は町の看板娘としても人気が高く、ヨウイチの店にとっても貴重な“客寄せ”だった。

だが、新たにディアナが加わったことで、どうにも落ち着かない。
ディアナがホールやカウンターの奥でヨウイチと二人きりで作業しているところを見ると、メルはあからさまに不機嫌そうな視線を向ける。そのたびに「何をやってるんだろう私……」と自己嫌悪に陥りつつも、結局はモヤモヤとしながら二人のことを凝視してしまうのだ。

「……何、あの人。いつの間にそんな親しげになって……」

メルは口には出さないが、ディアナの褐色肌や鋭い瞳、そしてあの抜群のスタイルを見ると「負けてるような気がする」と落ち込む。
この微妙な関係が、今後の物語にどう影響していくのか――それはまだ誰も知らない。
 【新しい風】

 ――港町マイヨルカはすっかり平穏を取り戻していた。

 町の空は、まるで長かった雨の鬱屈を一掃するかのように、どこまでも澄み渡り、鮮やかな青が広がっている。
 太陽は眩しいほどの光を海面に降り注ぎ、その反射がきらきらと輝く様子はまるで宝石を散りばめたかのようだった。穏やかな波が白い砂浜に打ち寄せ、潮の香りが町全体に漂っている。遠くからはカモメの鳴き声が聞こえ、港に停泊する漁船のマストが風に揺れて軋む音が、夏の訪れを告げていた。

 その中心に位置するのが、「さんきんぐ」だ。
 ヨウイチがオープンさせたこのカフェは、かつては物置だったことが嘘のように賑わいを見せている。
 木造の建物は海風に晒されて年季が入っているが、そこに飾られた色とりどりの貝殻や布の装飾が、店全体に温かみを与えていた。テラス席からは、目の前に広がる海の絶景を一望できる。観光客たちは冷たいドリンクを片手に、波の音に耳を傾けながらくつろいでいる。

 カフェの奥からは、氷の砕ける涼しげな音とともに、クールなエルフの剣士ディアナの姿が現れる。
 彼女は、長い銀髪をポニーテールに結び、淡い青の瞳で静かに周囲を見渡していた。彼女の動きは無駄がなく、一つ一つの所作がまるで剣技のように洗練されている。ディアナは決して表情豊かではないし、愛想を振りまくこともない。しかし、その冷たい美しさと凛とした佇まいが、逆に客たちの心を引きつけてやまないのだ。

 氷結スキルを駆使する彼女の手にかかれば、どんなぬるくなった飲み物も瞬時に冷やされ、果物もシャーベットのように変わる。
 その光景は一種のパフォーマンスのようでもあり、客たちはその度に小さな歓声を上げていた。さらに彼女の滑らかな褐色の肌と女性的なメリハリある体躯は、日差しの下で一層際立ち、男性客のみならず女性客までもがその姿に見惚れてしまう。

 ディアナ自身は、そうした注目に対して無関心を装っている。「やかましい!」と一蹴する彼女の声も、逆に客たちにとっては魅力的に映るらしく、ヨウイチはその人気に感謝しつつも苦笑いを浮かべるばかりだった。
 彼にとって、ディアナの存在はただのスタッフ以上の意味を持ち始めていた。彼女の冷たさの裏に隠された哀しみや優しさ、戦士としての誇りを知る者として、ヨウイチは彼女の成長と変化を静かに見守っている。

 店の外でも、ビーチに遊びにきた近隣の村々の人々や、子供たちの笑い声が絶えない。クラーケン退治以降、晴天が続くこの町は、10年に及んだ長い雨による沈鬱な雰囲気を完全に脱し、瑞々しい活気に満ちていた。


 ヨウイチは、カフェのカウンター越しにそれらを見つめいていた。
 美しく青い海、晴れ渡る空、人々の笑顔……
 しかし、その目に映るザ・ビーチリゾートな平和な風景とは裏腹に、ヨウイチなぜか胸騒ぎを覚えていた。何かが、何かの波乱が、またこの町に訪れるのではないか、と――それを考えると、心の奥底で何かがざわめくのを感じていた。

 そして、ヨウイチの予感どおり、マイヨルカの晴れ渡る青空の下、また新たな物語が動き出そうとしていた。
【ロッソ】

 その日、「さんきんぐ」のカウンター席にはメルがいた。
 店の手伝いではなく客として、夏の日差しに輝くビーチをカフェから眺めているが、どこか落ち着かない面持ちで指を組んだり解いたりしていた。
 ヨウイチが、不思議そうに目を細めて声をかける。

 「メルさん、ずいぶん落ち着かないですね。何かあったんですか?」

 ヨウイチが皿を拭きながら尋ねると、メルははっと気づいたように笑顔を作る。しかしその笑みは、どこか浮ついたものだった。

 「あ、ううん、ちょっと……幼馴染のロッソが今日、帰ってくるって聞いたの。久しぶりだから落ち着かなくて……」

 メルはそう言いながらも、そわそわと視線を動かす。幼馴染が帰ってくる。しかも突然の知らせで、どんな顔をして会えばいいのか分からない――そんな戸惑いが見て取れる。

 「ロッソ……さん?」
 「そう。私の幼馴染で、冒険者なの。ずっと前にマイヨルカを出て帰ってこなかったんだけど。今朝、手紙が届いて『今日の馬車で帰る』って……」

 その言葉に、ヨウイチは興味深そうに頷いた。

 「メルさんが嬉しそうなら、きっと大切な人なんですね」

 「そ、そういうわけじゃないけど……でも、楽しみなのは本当。」

 メルは少し頬を染めながら言葉を続ける。まるで、思い出を振り返って温かい気持ちになっているようだ。
 ヨウイチは軽く笑いながら、「じゃあ、帰ってきたらさんきんぐにも連れてきてくださいね」と返す。メルは「うん、そうする!」と嬉しそうに応じた。


 同じ日の正午過ぎ。町の門が開き、一台の馬車が入ってきた。そこから一人の青年が降り立つ。
 赤い髪、背中に大きな荷物、腰にはずしりと重そうな剣。

 「……戻ってきたぜ、この町に。」

 彼をみた門衛が声をかける。

 「おお!ロッソ! おかえり!」

 「おお、おいちゃん!ただいま!」

 ロッソはそういうと、久しぶりの故郷を一瞥した。

 「それにしても、話には聞いていたが、本当に晴れてるんだな…」とつぶやいた彼の心は、10年前――まだこの世界が年中の雨模様になる前の、子供のころに戻っていた。

 そして、彼が向かったのは、自宅でもなく、港でもなく、まずはメルの家だった。
 子どもの頃からいつも遊びにいった場所が、メルの家。

 (メルの家も……変わらねえな)

 古い石造りの壁を見上げると、当時と変わらぬ佇まいで出迎えてくれるように感じる。
 少し改装された箇所もあるが、窓際にはメルの好きな花が飾られ、手入れが行き届いているのが分かる。ドアの前まで来てから少し躊躇したが、「よし」と小さく呟き、ノックをした。

 「はーい」

 扉を開けたメルが、最初は目を見張り、それから感極まった笑みを浮かべる。

 「ロッソ……本当に帰ってきたんだね!」

 その声にロッソも口元をほころばせる。

 「おう、ただいま。……なんだよ、その顔。そんなに俺が帰ってきたのが意外か?」

 「ううん、嬉しいの。すごく」

 メルはまるで涙が出そうなほど笑顔で、ロッソを出迎える。ほんの少し前まで、彼女はカフェでそわそわしていたが、今はまるで安心したように肩の力を抜いている。

 「そっか……ならいいんだ。あとで、いろいろ話聞かせてくれ」

 ロッソはぎこちなく言葉を返す。内心では、メルがこうして笑ってくれるのを見るだけで胸がいっぱいになる。昔からそうだった。いつだって彼女の笑顔が、自分の心を安らかにしてくれるのだ。

 (まったく……やっぱり、メルは可愛いな)

 視線を少し外しながら、心の中でそうつぶやく。
 長い髪を一つにまとめたメルは、すらりとした体のラインをカジュアルな服装で隠しているものの、健康的で柔らかな雰囲気を纏っている。それがロッソの胸を切なくも温かい気持ちにさせる。

 そこへ、「兄ちゃあああん!!」という大きな声が響く。

 「うおっアスル!久しぶりだな」

 「家にもよらずにどこかへ行ったって聞いたから、メル姉ちゃんの家だと思ったらやっぱり!」

 そう言ってロッソの胸に飛び込んできたのは、ロッソの弟のアスルだ。

 「兄ちゃん、久しぶり! 家にもよらずに元気にしてた? どんな冒険してきたの!?」

 矢継ぎ早に質問を浴びせるアスルに、ロッソは苦笑いしながら頭を撫でる。

 「落ち着けって、アスル。まずはちゃんと飯でも食ってから話すから。あ、お前もしっかり飯食ってんだろうな? ほら、顔色だって……うん、まあ健康的じゃねえか」

 その言葉にアスルはと照れ笑う。はしゃぐアスルを、ロッソはまるで我が子のように微笑ましく見つめながら、長旅で多少荒んだ心も、この場所に戻ると和らいでいく気がすると思った。

 (やっぱり、故郷はいいな…)

 そう思いながら、メルの表情をちらりと見ると、彼女はどこか少し照れくさそう。ロッソが真っ先に家に来てくれたことが、嬉しくて仕方ないのだろう。
 ロッソにとっても、メルは幼い頃からの大切な存在だった。ともに遊び、笑い、時に喧嘩もしたが、いつしか恋心に近い想いが芽生えていた。
 そして、その想いは今も変わらないどころか、メルに久しぶりに会い、ますます強くなった。

 「メル。そういえばクラーケンの話を聞いたぞ。大丈夫だったのか?」

 「大丈夫。もう退治されたから平気よ。それよりも…」と言ってメルは上を指さす。

 「この天気!すごいいでしょう!?」

 「ああ、お前の手紙で読んだときは信じられなかったが、びっくりしたよ。」

 ロッソは、メルの手紙に書かれたことを思い出す。
 マイヨルカに現れたクラーケンの話、メルが生贄になるところだったという話、そして――突如現れたヨウイチという冒険者によってクラーケンが倒され、偶然なのか雨が止んだという話……そして……

 (俺が旅している間に、メルには他に好きな奴ができたかもしれない……)

 一抹の不安が胸をよぎる。メルの手紙から推測するに、ヨウイチはクラーケンを倒し、町の人気者になったらしい。そんな男がメルの周りをうろついている。

 (まずは会って、どんな奴か見極めてやるさ)

 自分に言い聞かせるように、ロッソは拳を握りしめる。熱い感情がじわりと胸に込み上げるのを感じたが、すぐに平静を装ってメルに視線を向ける。

 「そういや、メル……」

 メルが「何?」と首をかしげる。ロッソは眉間に力を込め、まるで立ち向かうべき相手を見据えるように言い放った。

 「ヨウイチってやつに会わせてくれよ」

 一瞬、メルは驚きで目を大きくする。続いて「ああ、さんきんぐの……」と納得しかけるが、なぜそんなに強い口調なのか理解できず、少し戸惑った表情になる。

 「別にいいけど……どうしてそんなに急に?」

 その問いにロッソは僅かに目を逸らし、唇を引き結ぶ。言葉にする理由は単純。メルの手紙に登場した男。彼女の近くにいて、町を救ったという“英雄”。見ておかなければ気が済まない。

 「ま、そいつがどんな奴なのか知りたくてな。クラーケンを倒したんだろ? 俺だって負けてねえはずだが、直接会えば色々分かるだろ」

 ロッソが険のある口調でそう言い放つと、メルは少し戸惑いながらもすぐに笑みを返した。彼女には、ロッソの真意が分かっていない。

 (ロッソは何をそんなに張り合ってるんだろう……?)

 メルは内心でそう思い、軽く首をかしげる。ロッソ帰還しただけでも嬉しくて仕方がない彼女にとって、クラーケンを倒したヨウイチとロッソが出会えば、もしかすると互いに認め合い、親友のような仲になれるのではないか――そんな無邪気な期待すらあった。

 「ふふ、そうね……きっとヨウイチさんとは色んな話ができるんじゃないかな。だって、あの人もモンスターと戦って町を救ったわけだし……二人が出会えば、すごく盛り上がりそう。ね、アスルもそう思わない?」

 メルが振り向くと、アスルは「うん!」と元気よく頷く。アスルにとっても、兄であるロッソと“英雄”ヨウイチが一緒にいる光景は見てみたいもので、ワクワクを抑えられない様子だ。

 ロッソは、そんな二人の様子に対して何とも言えない表情を浮かべる。メルが自分の想いに気づいていないどころか、ヨウイチと自分を“仲良くなれるかもしれない相手”として捉えているのが分かり、胸の奥で熱いものがじくじくと疼いていた。

 (親友? そんなわけないだろ。俺がメルを大切に思う気持ちに土足で踏み込むかもしれないのに……)

 だが、その感情をストレートにメルへぶつけるわけにもいかない。

 「……とにかく、早いとこヨウイチに会わせろ。どんな男か、ちゃんと俺が見極めてやる」

 その言葉はあくまで冷静を装っていたが、その瞳にはどこか揺るぎない炎が燃えていた。
 そして、メルは「分かったよ」と穏やかに笑みを返しながらも、ロッソがなぜここまで意気込んでいるかを1ミリも理解していなかった。

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