【依頼】
メルに連れられて訪れたのは、海辺の崖際に立つ立派な建物だった。白壁の大きな邸宅で、周囲にはいくつか蔵のような付属施設が隣接している。門に入ると、使用人らしき人々がこちらを出迎えるが、皆メルの顔を見るや否や駆け寄ってきて、心配そうに声をかける。
「メルお嬢様、大丈夫でしたか!?」「どちらに行かれたのかと思えば、こんな大雨の中……」
彼らの口ぶりから察するに、メルはこの家の“お嬢様”らしい。使用人の一人が目を剥いて陽一を睨みつけたが、メルが間に入って説明したおかげで、どうにか危険人物扱いは免れた。
やがて屋敷の奥へと通されると、そこには恰幅のいい中年の男が立っていた。分厚いヒゲと、威厳を漂わせるスーツ姿――メルの父であり、この町の町長だという。名をウェルナー・ドゥラトーレ。町長は陽一の顔をしげしげと見つめ、「ふむ」と低い声をあげる。
「ヨウイチ殿、貴方がメルを助けてくれたそうだな。心から感謝する。ありがとう」
「あ、いえ、たまたま通りかかっただけです」
陽一としては礼を言われるよりも、今後どうすればいいのかが気がかりだった。ところが町長は、さらに厳粛な顔つきになり、陽一を真っ直ぐに見据えてくる。
「ところで、ヨウイチ殿は冒険者だな?」
「え、ええと、まぁ……」
真っ向から否定するのもどうかと思い、曖昧に濁す。すると、これがいけなかった。町長は勝手に勘違いしてしまったのだろう。
「それは都合がいい。実は我が町の港に、どうにも手がつけられない怪物が出てきて困っているんだ。名を“クラーケン”と言って、荒れ狂う海をさらに脅かす巨大なイカかタコのような魔物でな……」
聞けば、そのクラーケンは数週間前に嵐と共に突然港に現れ、船をいくつも破壊し、人々に甚大な被害をもたらしたという。攻撃力だけでなく、海中深く潜む能力と高い知能を持ち、陸からはまったく手が出せない。さらに悪いことに、船団を出して大々的に討伐しようとすると、海流を操るのか突風を呼ぶのか、謎の嵐が発生して船は転覆する。そんな脅威を前に、次々と犠牲が増え、討伐を試みた冒険者もいたが、全員行方不明になったらしい。
そして今回、クラーケンは暴れるだけでは飽き足らず、若い娘を生贄として差し出すよう要求してきたというのだ。
「私だってそんな要求は飲みたくはなかった。しかしあの化け物を刺激すれば、本当にこの町は全滅しかねない。なので――ーやむを得ず、我が娘メルを生贄にすることにしたのだ」
その話を聞いて、陽一は心底震え上がった。
人身御供なんて、まるで古代の儀式のようだ。しかし、町長は諦めきったような嘆息をもらし、沈痛な面持ちで言葉を続ける。
「私が町長として決断せざるを得なかった。クラーケンとの約束の日は……明日だ。もし我々が差し出さなかった場合、クラーケンは怒り狂って港のみならず、町全体を襲うだろう……」
その言葉を聞きながら陽一は、メルの横顔を盗み見る。
彼女は唇を噛みしめながら、抗うこともなくうつむいていた。助けてくれたお礼云々と言っていたが、実のところ、この家に戻るのが怖かったのではないだろうか。あまりにもかわいそうな話だ。
「だが、もし……ヨウイチ殿であれば、奴を退治できるかもしれん。……どうだ、頼まれてくれないか?」
町長の問いかけに、陽一は一瞬言葉を失う。
とてもじゃないが、クラーケンなどという凶悪な怪物と戦えるはずがない。そもそもスキルも武器もない。ただの“外れ召喚者”に何ができるというのか。
「す、すみません。僕には到底無理です……」
そう言おうとした瞬間、メルがこちらを見つめて、表情に一縷の希望を浮かべたように見えた。
彼女は信じたいのだ。陽一が自分を救えるヒーローであると。――だが、それは大きな誤解だ。彼はあくまで偶然盗賊を撃退(というか盗賊から逃走)できただけのただの素人に過ぎない。
そのことを説明しようとした矢先、町長は一方的に言葉を重ねる。
「よし、では早速、報酬の話を――。このクラーケンを倒してくれれば、かなりの額をお支払いする。いや、それだけじゃない。町が誇る宝物だって提供を惜しまん。どうか力を貸してくれ!」
「ちょ、ちょっと待って……!」
言葉を挟もうとするが、町長は完全に興奮状態で、聞く耳を持たない。メルの表情も切実そのものだ。こんな重責を背負わされても困る。そもそも自分はまともに剣すら振れないのだ。
しかし、あまりに必死な二人を前にして、陽一は“いや、無理です”と言い切れない。その瞬間、状況は完全に彼にとって不利になった。かくして、彼は半ば強引にクラーケン退治を請け負う羽目になったのである。
その後、町長からは“明日まで英気を養ってくれ”と言われ、邸宅の一室を与えられた。
町の騎士たちからも“協力する”などと言われたが、彼らも内心は「どうせ無理だろう」という諦念があるように感じられる。
そんな中、メルだけは健気に「ご迷惑でしょうけれど、どうかよろしくお願いします」と頭を下げてきたのがやるせなかった。
メルに連れられて訪れたのは、海辺の崖際に立つ立派な建物だった。白壁の大きな邸宅で、周囲にはいくつか蔵のような付属施設が隣接している。門に入ると、使用人らしき人々がこちらを出迎えるが、皆メルの顔を見るや否や駆け寄ってきて、心配そうに声をかける。
「メルお嬢様、大丈夫でしたか!?」「どちらに行かれたのかと思えば、こんな大雨の中……」
彼らの口ぶりから察するに、メルはこの家の“お嬢様”らしい。使用人の一人が目を剥いて陽一を睨みつけたが、メルが間に入って説明したおかげで、どうにか危険人物扱いは免れた。
やがて屋敷の奥へと通されると、そこには恰幅のいい中年の男が立っていた。分厚いヒゲと、威厳を漂わせるスーツ姿――メルの父であり、この町の町長だという。名をウェルナー・ドゥラトーレ。町長は陽一の顔をしげしげと見つめ、「ふむ」と低い声をあげる。
「ヨウイチ殿、貴方がメルを助けてくれたそうだな。心から感謝する。ありがとう」
「あ、いえ、たまたま通りかかっただけです」
陽一としては礼を言われるよりも、今後どうすればいいのかが気がかりだった。ところが町長は、さらに厳粛な顔つきになり、陽一を真っ直ぐに見据えてくる。
「ところで、ヨウイチ殿は冒険者だな?」
「え、ええと、まぁ……」
真っ向から否定するのもどうかと思い、曖昧に濁す。すると、これがいけなかった。町長は勝手に勘違いしてしまったのだろう。
「それは都合がいい。実は我が町の港に、どうにも手がつけられない怪物が出てきて困っているんだ。名を“クラーケン”と言って、荒れ狂う海をさらに脅かす巨大なイカかタコのような魔物でな……」
聞けば、そのクラーケンは数週間前に嵐と共に突然港に現れ、船をいくつも破壊し、人々に甚大な被害をもたらしたという。攻撃力だけでなく、海中深く潜む能力と高い知能を持ち、陸からはまったく手が出せない。さらに悪いことに、船団を出して大々的に討伐しようとすると、海流を操るのか突風を呼ぶのか、謎の嵐が発生して船は転覆する。そんな脅威を前に、次々と犠牲が増え、討伐を試みた冒険者もいたが、全員行方不明になったらしい。
そして今回、クラーケンは暴れるだけでは飽き足らず、若い娘を生贄として差し出すよう要求してきたというのだ。
「私だってそんな要求は飲みたくはなかった。しかしあの化け物を刺激すれば、本当にこの町は全滅しかねない。なので――ーやむを得ず、我が娘メルを生贄にすることにしたのだ」
その話を聞いて、陽一は心底震え上がった。
人身御供なんて、まるで古代の儀式のようだ。しかし、町長は諦めきったような嘆息をもらし、沈痛な面持ちで言葉を続ける。
「私が町長として決断せざるを得なかった。クラーケンとの約束の日は……明日だ。もし我々が差し出さなかった場合、クラーケンは怒り狂って港のみならず、町全体を襲うだろう……」
その言葉を聞きながら陽一は、メルの横顔を盗み見る。
彼女は唇を噛みしめながら、抗うこともなくうつむいていた。助けてくれたお礼云々と言っていたが、実のところ、この家に戻るのが怖かったのではないだろうか。あまりにもかわいそうな話だ。
「だが、もし……ヨウイチ殿であれば、奴を退治できるかもしれん。……どうだ、頼まれてくれないか?」
町長の問いかけに、陽一は一瞬言葉を失う。
とてもじゃないが、クラーケンなどという凶悪な怪物と戦えるはずがない。そもそもスキルも武器もない。ただの“外れ召喚者”に何ができるというのか。
「す、すみません。僕には到底無理です……」
そう言おうとした瞬間、メルがこちらを見つめて、表情に一縷の希望を浮かべたように見えた。
彼女は信じたいのだ。陽一が自分を救えるヒーローであると。――だが、それは大きな誤解だ。彼はあくまで偶然盗賊を撃退(というか盗賊から逃走)できただけのただの素人に過ぎない。
そのことを説明しようとした矢先、町長は一方的に言葉を重ねる。
「よし、では早速、報酬の話を――。このクラーケンを倒してくれれば、かなりの額をお支払いする。いや、それだけじゃない。町が誇る宝物だって提供を惜しまん。どうか力を貸してくれ!」
「ちょ、ちょっと待って……!」
言葉を挟もうとするが、町長は完全に興奮状態で、聞く耳を持たない。メルの表情も切実そのものだ。こんな重責を背負わされても困る。そもそも自分はまともに剣すら振れないのだ。
しかし、あまりに必死な二人を前にして、陽一は“いや、無理です”と言い切れない。その瞬間、状況は完全に彼にとって不利になった。かくして、彼は半ば強引にクラーケン退治を請け負う羽目になったのである。
その後、町長からは“明日まで英気を養ってくれ”と言われ、邸宅の一室を与えられた。
町の騎士たちからも“協力する”などと言われたが、彼らも内心は「どうせ無理だろう」という諦念があるように感じられる。
そんな中、メルだけは健気に「ご迷惑でしょうけれど、どうかよろしくお願いします」と頭を下げてきたのがやるせなかった。
