【海辺の町へ】
王都での扱いに嫌気が差した陽一は、そこから逃げるようにして旅立つことを決めた。行くあてもなく、少ない所持金をやりくりして、とにかく遠くへ。
出来るだけ穏やかな場所で、ひっそりと暮らすしかない――そう考えた末に辿り着いたのが、南方の海辺の町“マイヨルカ”だった。
地図によれば、港町としてそれなりに発展しており、魚介類の貿易などで生計を立てる人々が集まる地域らしい。ただ、この長雨のせいで海運もままならず、町は活気を失いつつあるという噂もあった。
王都からマイヨルカへ向かう馬車は、ぼろぼろの木造車両に数人の乗客がいるだけだった。狭い車内は湿気に満ち、床には雨水が溜まり、座っていても衣服がじっとりと濡れて気持ち悪い。そんな状態で半日以上揺られるのはかなり苦痛だったが、他に選択肢はない。
陽一の隣に座った初老の男性が、揺れる馬車の中で話しかけてきた。
「随分と気の滅入る天気だろう? だが、もうこの世界ではずっとこんなもんだ」
「……やっぱり、そうなんですか。十年も雨続きって、信じられないですね」
「まったくだ。わしも若い頃は、夏の浜辺で泳いだもんだよ。今は雨と嵐で海は荒れる一方。この先どうなることやら……」
ぎこちなく会話を続ける中で、その男性はふと口をつぐんだ後、陽一の方に顔を寄せるように声を潜めてきた。
「ところで、あんた……ただの旅人ってわけでもなさそうだ。ひょっとして冒険者か?」
「え? いや、まあ、そんなところ……」
陽一は少し言葉に詰まる。王都では冒険者として正式な認定をもらっていないので、本来は“冒険者”ではない。
しかし、似たような状況の者だと誤解されても無理はない。男性は陽一の戸惑いを感じ取ったのか、一人で得心したように頷いた。
「噂じゃ、王国は“太陽王”を探して別世界から人を召喚してるそうじゃないか。まさかあんたも……いや、まさかな」
「……“太陽王”っていうのはどんな人だったんですか?」
「あんたが知らないとは……いや、そうか。外国から来たのか。太陽王っていうのは千年前の伝説の勇者だよ。世界を覆った『魔人』を倒し、大陸に光を取り戻した偉大なる英雄だ。そりゃもう、神話みたいなもんさ」
ここで話を止めればいいものを、陽一は何気なく興味を惹かれてしまった。せっかく教えてくれるならばと続きの言葉を促してしまう。
「でも、なんで今になって太陽王なんです?」
「その伝説によれば、太陽王は“雨を払う光の力”を持っていたと言われてるんだ。もしかしたら、その力を再び得られれば、この世界を救えるんじゃないかって期待もあるんだろうよ。もちろん伝説だがな」
もし本当に“太陽を操る”ような力が自分に備わっていたら、こんな悲惨な思いはしていないだろう―――だが、剣や槍を手にしても何のスキルも発現しなかったのだから、それ以前の問題……陽一は改めて暗い気分になった。
それでも気になったのは、その伝説の名――“太陽王”――が、彼自身のあだ名「晴れ男」とどこか重なって聞こえたからだろうか。
馬車の旅は砂利道を抜け、さらにぬかるんだ道を進み、やがて高低差のある地帯を越えていく。道中で行き交う旅人の姿はまばらだったが、武装した集団もちらほら見かけた。彼らはきっと本物の冒険者なのだろう。胸当てを光らせ、腰には剣や斧を帯び、見るからに屈強そうだ。その姿は王都で見た冒険者候補たちと被り、陽一は劣等感を感じながらその姿を見つめた。
―――そうして数日間の道中を経て、ようやくマイヨルカの町へ到着したのは、生憎の大雨が降りしきる朝だった。
馬車から降りると、粘度の高い雨水が町の通りを流れている。建物の屋根もレンガ造りの壁も、長雨に苛まれた傷跡で暗く湿っていた。
「ここが……マイヨルカ、か」
港町という言葉から想像していたのは、海辺の開放感と活気ある市場だった。
しかし、現実は殺風景で、空気がよどんだ小さな町だった。早朝とはいえ、外にいる人影はほとんどなく、港に向かう坂道の奥に波止場らしき施設が朧気に見えるだけ。そこからは磯の香りというより、海藻や魚の腐ったような臭いが漂ってくる。きっと、漁がまともにできず、流通も麻痺して廃棄される魚介ばかりが増えているのだろう。
観光地どころか、想像以上に荒んだ雰囲気が漂うマイヨルカの町。その雨の町並みを見つめながら、陽一は思わず深いため息をついた。
王都での扱いに嫌気が差した陽一は、そこから逃げるようにして旅立つことを決めた。行くあてもなく、少ない所持金をやりくりして、とにかく遠くへ。
出来るだけ穏やかな場所で、ひっそりと暮らすしかない――そう考えた末に辿り着いたのが、南方の海辺の町“マイヨルカ”だった。
地図によれば、港町としてそれなりに発展しており、魚介類の貿易などで生計を立てる人々が集まる地域らしい。ただ、この長雨のせいで海運もままならず、町は活気を失いつつあるという噂もあった。
王都からマイヨルカへ向かう馬車は、ぼろぼろの木造車両に数人の乗客がいるだけだった。狭い車内は湿気に満ち、床には雨水が溜まり、座っていても衣服がじっとりと濡れて気持ち悪い。そんな状態で半日以上揺られるのはかなり苦痛だったが、他に選択肢はない。
陽一の隣に座った初老の男性が、揺れる馬車の中で話しかけてきた。
「随分と気の滅入る天気だろう? だが、もうこの世界ではずっとこんなもんだ」
「……やっぱり、そうなんですか。十年も雨続きって、信じられないですね」
「まったくだ。わしも若い頃は、夏の浜辺で泳いだもんだよ。今は雨と嵐で海は荒れる一方。この先どうなることやら……」
ぎこちなく会話を続ける中で、その男性はふと口をつぐんだ後、陽一の方に顔を寄せるように声を潜めてきた。
「ところで、あんた……ただの旅人ってわけでもなさそうだ。ひょっとして冒険者か?」
「え? いや、まあ、そんなところ……」
陽一は少し言葉に詰まる。王都では冒険者として正式な認定をもらっていないので、本来は“冒険者”ではない。
しかし、似たような状況の者だと誤解されても無理はない。男性は陽一の戸惑いを感じ取ったのか、一人で得心したように頷いた。
「噂じゃ、王国は“太陽王”を探して別世界から人を召喚してるそうじゃないか。まさかあんたも……いや、まさかな」
「……“太陽王”っていうのはどんな人だったんですか?」
「あんたが知らないとは……いや、そうか。外国から来たのか。太陽王っていうのは千年前の伝説の勇者だよ。世界を覆った『魔人』を倒し、大陸に光を取り戻した偉大なる英雄だ。そりゃもう、神話みたいなもんさ」
ここで話を止めればいいものを、陽一は何気なく興味を惹かれてしまった。せっかく教えてくれるならばと続きの言葉を促してしまう。
「でも、なんで今になって太陽王なんです?」
「その伝説によれば、太陽王は“雨を払う光の力”を持っていたと言われてるんだ。もしかしたら、その力を再び得られれば、この世界を救えるんじゃないかって期待もあるんだろうよ。もちろん伝説だがな」
もし本当に“太陽を操る”ような力が自分に備わっていたら、こんな悲惨な思いはしていないだろう―――だが、剣や槍を手にしても何のスキルも発現しなかったのだから、それ以前の問題……陽一は改めて暗い気分になった。
それでも気になったのは、その伝説の名――“太陽王”――が、彼自身のあだ名「晴れ男」とどこか重なって聞こえたからだろうか。
馬車の旅は砂利道を抜け、さらにぬかるんだ道を進み、やがて高低差のある地帯を越えていく。道中で行き交う旅人の姿はまばらだったが、武装した集団もちらほら見かけた。彼らはきっと本物の冒険者なのだろう。胸当てを光らせ、腰には剣や斧を帯び、見るからに屈強そうだ。その姿は王都で見た冒険者候補たちと被り、陽一は劣等感を感じながらその姿を見つめた。
―――そうして数日間の道中を経て、ようやくマイヨルカの町へ到着したのは、生憎の大雨が降りしきる朝だった。
馬車から降りると、粘度の高い雨水が町の通りを流れている。建物の屋根もレンガ造りの壁も、長雨に苛まれた傷跡で暗く湿っていた。
「ここが……マイヨルカ、か」
港町という言葉から想像していたのは、海辺の開放感と活気ある市場だった。
しかし、現実は殺風景で、空気がよどんだ小さな町だった。早朝とはいえ、外にいる人影はほとんどなく、港に向かう坂道の奥に波止場らしき施設が朧気に見えるだけ。そこからは磯の香りというより、海藻や魚の腐ったような臭いが漂ってくる。きっと、漁がまともにできず、流通も麻痺して廃棄される魚介ばかりが増えているのだろう。
観光地どころか、想像以上に荒んだ雰囲気が漂うマイヨルカの町。その雨の町並みを見つめながら、陽一は思わず深いため息をついた。
