ピッピッピッピッピッ。
一定のリズムを刻みながら無機質な電子音が響き渡る。
『いけません! まだ意識が戻っていないんです!』
『そんなもの知るか!』
怒号を放っているのだろうが、その声もはっきりと聞き取れないほど耳と脳が機能を果たしていない。
『おい! 起きろ!』
目の前にスーツ姿の男が現れ、激しい剣幕で詰め寄る。
『起きろ! コムロハジメ!』
夢から急に覚めるようにエースは目を開けた。煤だらけの天井で見覚えはない。
重い身体で身体を起こすと、そこが『Crystal Magic』の二階だと分かる。こうして一度もベッドで寝たことがなかったからこれほど天井が汚れているとは知らなかった。
窓から差し込む太陽の光で朝だと言うことは分かる。
「ようやく起きたのね」
一階から毛布をもって上がってきたフェレスが上体を起こしていたエースに気づいた。
「フェレス……」
「まったく……。二日もずっと眠ったままで心配掛けないでよ。トルバとクリスタに感謝することね」
フェレスは呆れたように言った。
「……どうしてその二人の名前が出るんだ?」
「トルバが道路で眠る貴方を見つけて運んできたのよ。それで、この二日間ずっとクリスタがあなたを看病してくれていたわ」
フェレスはベッドの横で眠るクリスタを指さした。クリスタの両手は赤切れを起こしており、足元には水の入った桶にタオルがかけられている。
フェレスはクリスタに毛布をそっと掛ける。
「クリスタもアンタもずっとお互い避けるように過ごしているけど、クリスタはこうしてアンタのピンチに寄り添ってくれたのよ。アンタもちゃんと見合った行動を取りなさい」
「ああ。悪かったよ」
「悪かったって思ってるなら、まずはクリスタが起きるまで待つこと。事件が気になるのは分かるけど、私がことの顛末を教えてあげる」
「教えてあげるって……知っているのか?」
「ストレインやトルバに大まかなことを聞いてきたわ。詳しいことは明日にでも直接聞きなさい」
クリスタは椅子に座り、足を組む。
「まずはフィールドのことだけど、バウンティセントラルの路地裏で黒焦げになって殺されていたわ」
「それは知っている。僕はフィールドを見つけて、現場を立ち去ろうとしていた犯人を追いかけたんだ」
「なんだ。じゃあやっぱりアンタとフィールドは組んでいたのね」
「フィールドの合図で僕も現場に向かう予定だった。轟音とともに火事が起こっていたから見つけやすかったよ」
「火事? 路地裏にあったごみが燃えていたそうだからそれのことね。轟音は一つだけ?」
「そうだ」
「じゃあ犯人の魔法でしょうね。火属性か、雷属性だってあり得るわ」
エースは顎に手を当てて考える。
「あの轟音が落雷だとしたら雷を操る犯人の可能性が高い。それよりも気になるのはどうしてフィールドが何もできずに死んでしまったかということだ。ストレインはフィールドについて何か言っていなかったか?」
「フィールドはソロでの活動が多かったみたいだから魔法とか経歴については不明なのよ。また資料を集めるとは言っていたわ」
エースは頭を抱える。
「失敗したな。こんなことならフィールドを虫眼鏡で見ておけばよかった」
そのとき、「ううん……」という声とともにクリスタが起き上がった。
「あれ……毛布……」
寝ぼけながらもクリスタは毛布を取ると、目をこすりながらエースを見上げた。
「起きたか」
「え……」
クリスタは毛布を持ったま立ち上がり、後ずさりをする。そして毛布の裾を足で踏んでしまい、バランスを崩して後ろから倒れ込む。
「ちょっと、クリスタ大丈夫?!」
フェレスはクリスタに近寄る。
「え、え、エースさん……起きたんですか……?」
しかしクリスタはエースが目覚めたことに驚いていた。
「さっきな」
そういうと、エースはベッドから起き上がった。
「フェレス。僕の服はどこにある?」
「クローゼットに閉まったけど……。っていうかもう出かけるつもりなの?」
エースはクローゼットから服をつかむと、階段へと向かった。
「ちょっとエース!」
「クリスタが起きるまでは待つと約束したが、これ以上待つわけにはいかない。この数日で勇者が二人も殺されているんだぞ。事態は一刻を争う」
そしてエースは階段を降り、あっという間に二人の視界から消えていった。
「……やっぱり、私って嫌われているんですね」
クリスタは哀しげに呟いた。
「そんなことないわよ。アイツはただ誰に対してもああいう感じなのよ」
「そうなんですかね……」
フェレスの慰めに苦笑いで答える。
「……でも私、後悔はしていないんです」
「後悔?」
「エースさんにこうして宿を貸していることです。最初は強引に居候をしようとしたエースさんのことが大嫌いだったんですけど……」
「大嫌いだったんだ……」
しかしエースの態度を考えれば嫌われるのも仕方が無い。
「宿を貸したのもエースさんがテストに合格したからです。でもそのお陰でフェレスさんとこうしてお喋りできるようになって、私はとても嬉しいんです」
クリスタは満面の笑みをフェレスに向けた。
「そ、それは私だって……」
ゴニョゴニョと言葉を逃がすが、朱く染まった頬は嬉しさを隠し切れていなかった。
「それに、エースさんが寝ている間に気づいたんです。私はエースさんが鳴らすあの鈴の音が好きなんですよ」
「鈴の音?」
「扉に備え付けた鈴です。この二日間あの鈴が鳴らないだけで、なんだかとても不安になりました」
フェレスはそこで階段の方を一瞬チラリと見た。
「……でも不思議ね。エースの鳴らす鈴の音が好きなんだ」
「はい。なんて言うんですかね。やっぱり……エースさんと祖父が似ているからかもしれません」
「あのメガネのお祖父さん?」
クリスタは頷いた。
「無愛想で自分勝手なところとか……それでもやっぱり尊敬しちゃうところも」
クリスタの上体は揺れはじめ、瞼も重そうになっている。
「大丈夫?」
「はい……それより今の話、エースさんには内緒ですよ……?」
「ええ、約束するわ」
フェレスは大きな欠伸をしたクリスタに肩を貸し、さっきまでエースが寝ていたベッドで横に寝させた。
心なしか、フェレスの顔は満足げに笑っていた。
「さて……」
フェレスはゆっくりと階段へと向かって歩き出す。
「事態は一刻を争うんじゃなかったんですか、探偵さん」
そう階段に座っているエースに尋ねた。
「……いつから気づいていたんだ?」
「鈴の音の話になった時よ。そういえば階段を降りていったのに鈴の音は聞えなかったからね」
「中々やるじゃないか」
エースは立ち上がり、今度こそ鈴の音を鳴らしながら店から出た。そのあとをフェレスが続く。
「それより身体は大丈夫なの?」
「大丈夫だ。一度倒れたなら次に僕が倒れるのはおよそ2週間後だ」
意味が分からないようで、フェレスは首をかしげる。
「どうしてそんなことがわかるのよ」
「僕の脳は最大で300時間ほど連続で起きていられることができるんだ。というか、逆に自発的に寝ることができない。その反動で僕はさっきみたいに二日ほど寝たきりになるんだよ」
「じゃあここ最近ずっとソファで寝ていたのは……」
「あれは寝ていない。そんなことも知らずに君は僕を監視していたのか?」
核心を突かれてフェレスは苦虫を嚙み潰したような顔になる。ハサルシャムに命令されてエースの監視をしているにもかかわらず、監視も忘れてクリスタの店の手伝いをしてあまつさえその時間でエースは倒れてしまった。そもそもこの二週間ほどでクリスタはハサルシャムに伝えられるほどの情報を得ていないのだ。
「悪かったわね、職務怠慢で。とりあえずアンタの行動は危なっかしいから今度から外を歩くときは絶対私も一緒について行くわ。魔法も使えないアンタを一人にするのは危険だもの」
「君は僕の保護者なのか」
「ただの監視対象よ」
そんないつもの会話をしていると、大通りの方からストレインの声が届いた。
「あれ? 今の声って……」
フェレスも気づいたようで、二人は衛兵署へと向かう道から外れて大通りの方へと向かった。
「おい! この金はなんだ!」
「さっき賭博で稼いだ金だよ! 嘘じゃない!」
ちょうど若者にストレインが調査しているところだった。若者は壁に両手をつき、ストレインが後ろからポケットや持ち物など身体検査をしている。
いつもと違う威圧感のある雰囲気にエースもフェレスも喋りかけられずにいると、ストレインのほうから二人に気づいた。手に持っていたお金を若者に返すと、穏やかな表情でエースのもとへと寄ってきた。
「やっとお目覚めか、名探偵」
肩をバンバンと叩いて再会を喜ぶ。
「迷惑かけてすまなかったな。それより今のは新手のカツアゲか?」
エースの冗談をストレインは豪快に笑い飛ばした。
「それはいいな。給料日前の小遣い稼ぎにはうってつけかもしれん……なんてな。なに、今のはただの職務質問のようなものさ。今の男はどうもソワソワした挙動をしていたから怪しいと思ったんだ」
「ただ大金をもって落ち着かなかっただけなのに強面の衛兵に絡まれるなんて、さっきの人も可哀そうね」
「お嬢ちゃんも相変わらずだな」
ストレインは大きな手でフェレスの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわす。フェレスは嫌そうに暴れるが、ストレインは笑ったまままったく取り合わない。
「随分とご機嫌だな、ストレイン」
「そうなんだよ、トルバがようやく犯人逮捕までこぎつけてな。もう事件は解決したも同然だ。これもお前が協力してくれたおかげだよ」
エースとフェレスはお互いの顔を見合わせた。
「おい、待て……事件って何の事件だ?」
「何って……勇者連続殺人事件に決まっているだろ。パレスとフィールドを殺した犯人をトルバが見つけたんだ」
エースが自分が寝ている間にまた別の世界に来たのかと思うほど脈絡のない展開だった。
「それで、その犯人っていうのは誰なんだ?」
「元バウンティセントラルで加入していたスピンという男だ。トルバはこれまでバウンティセントラルで受注された依頼をすべて調べて火属性の魔法を得意とする剣士を見つけたんだよ。スピンは勇者の称号は持っていないものの、実力は勇者に匹敵するらしい」
「火属性? なんで火属性なんだ?」
「なんでって……フィールドは身体を丸焦げにされて死んでいたんだ。周りの物も燃えていたらしいから火属性の魔法を使ったんだろ」
「違うわ!」
そこにフェレスが割って入る。
「エースは落雷の轟音を聞いたのよ! 犯人は火属性じゃなくて雷属性よ!」
ストレインは狼狽してエースを見る。
「本当なのか?」
エースは頷いた。
「まずいな……トルバはもうスピンを捕まえに行ったぞ」
「場所は?」
「スピンの自宅だ。ここからだとかなり遠いぞ」
言うが早いかエースは側を通った馬車を捕まえた。そのあとにストレインとフェレスが続く。
「料金は経費で頼んだ」
「……まったく。経費だって限りがあるんだぞ」
ストレインはお札を馬車の運転手に渡し、行き先を告げる。三人が乗った馬車はスピンの自宅に向かって走り出す。
「トルバはこの事件に人一倍熱意をかけている……。行き急いでるとは思ったが、やっぱり止めるべきだったか」
現場へ向かう車中でストレインは悔しそうに膝を打った。
「そういえばトルバは最近スカル支部に来たそうだけど、左遷されたわけじゃないの?」
フェレスが尋ねる。
「ここに来る衛兵はほとんどが左遷だが、トルバは自分から志願して移ったんだ。
アイツの母親がもともとこのスカル街に住んでいたんだが、とある貴族に見初められて妾になってな。そして生まれたのがトルバだ。母親はずっと前に病で命を落としてしまったが、トルバは母親が生まれ育ったこの街をより良く作り変えようとしている。だから城内にいる恋人と別れてまでこっちに異動したんだよ」
「……そうだったんだ」
「人一倍事件解決に挑んでいたのもそういうことか」
「そうだな。アイツはこっちに異動する前から何度かこの街には訪れていた。いわばアイツにとっては故郷も同然だ。そんなトルバにとって、こんな殺人が起こることは見逃せないんだろう」
ストレインは歯ぎしりをする。
「分かっていたなら、俺はあいつの暴走をもっとはやく止めておくべきだった」
後悔するストレインをよそに、エースは腕を組んで遠くを眺めた。城内からは時計塔の音が鳴り響く。
(……いや、まさかな)
頭の中に嫌な予感がよぎるが、エースは頭を振ってくだらない考えを振り払う。
(今はただ、トルバの暴走を止めるだけだ)
エースは激しく揺れる車体の中でガラにもなくトルバがスピンに対して早まった行動をしていないことを願っていた。
スピンの家は大通りに面した比較的大きな一軒家だった。ポストには大量の郵便物が入ったままになっており、家全体も汚れが目立っているなど手入れはされていないようだ。
「スピンは賞金首をやめてからずっとこの家に引きこもるようになったらしい」
ストレインが説明をしながら扉にノックをしようと拳を作る。その手をエースがつかんだ。
「待て」
エースはストレインの手を掴んだまま目の前の扉を指さした。正確にはわずかに開いた扉の隙間だ。
ストレインはエースの意図を察して静かに扉の隙間に手をかけた。家の奥からは誰かの話し声が聞こえるが、遠すぎて何を言っているのかが分からない。
「……トルバか?」
ちゃんと声を聴くためにストレインは玄関の扉を開いた。本人はゆっくりと開けたつもりだったが、建付けが悪かったのか扉は酷い金属音を鳴らした。
「誰だ!」
家の奥から大声で叫ぶ。その声は間違いなくトルバのものだ。
「俺だ、トルバ!」
ストレインが声のする方へと歩きながら答える。そのあとにエースとフェレスも続いた。廊下をまっすぐ進んだ両開きの扉の奥にトルバはいた。
「ストレインさん……! それにエースとフェレスも……」
三人を見て驚くトルバの右手には剣が握られていた。
「ひぃっ!」
怯えきった情けない声で三人は第三者の存在に気づいた。
その男はボサボサの髪の毛で服も薄汚れている。年は三十代ほどに見えるが、両目には涙を浮かべておりどうも頼りがいがない。
男を観察したのもつかの間、男はトルバが気を取られている隙にいきなり右の手のひらを突き出し、『エコムス』と唱えた。
手のひらから黒煙を魔法で作り出す。その場にいる全員が咳き込みながら口を覆った。視界も悪く、何が起きているのかもわからない。
真っ暗な中で建付けの悪い窓の開閉音とドタバタという慌ただしい足音だけが響き渡る。煙は窓が開くと同時に外へと排気されていった。
黒煙が消え視界が良好になると、さっきまでいたはずの男の姿はそこにはなかった。
「スピン!」
トルバは窓枠から身を乗り出して男の名を呼ぶが、返事は当然ない。
「俺、追います!」
ストレインにそう告げると、トルバも窓から外へと出た。
「待て、トルバ!」
ストレインの制止には耳も傾けていない。
「俺がトルバを止める‼ お前たちはここにいるんだ!」
エースとフェレスに指示をすると、ストレインも窓から出て行った。残された二人は呆然と立ち尽くしていた。
「……私たちは追わなくても良いの?」
フェレスは隣のエースを見上げる。
「ここはストレインに任せて大丈夫だろう。それよりもこの家を調べるべきだ」
そう言ってエースは虫眼鏡を取り出した。窓際に残った煙をのぞき込むと赤色のマナが残滓として残っている。
「火属性か。やはりさっきの男がフィールド殺しの疑いをかけられているスピンだな」
「フィールドだけじゃなくてパレスもでしょ」
「これは僕の疑いだ。落雷の轟音を聞いたといったが、可燃性の気体を圧縮してガス爆発を起こした音だったかもしれない。だが、少なくともスピンはパレスを殺した犯人ではない」
フェレスは眉を八の字にして疑問符を浮かべる。
「どうしてそんなことが分かるのよ」
「スピンが魔法を使った時の右の手のひらを見たか? 皮膚は薄く、タコも出来ていない。あれは剣を握っている手じゃないよ」
「でも、もう片方の手は見てないんでしょ?」
「パレスを殺した犯人は右手に剣を握っていた。遺体の状況がそれを物語っていたんだ」
あっけらかんと言うエースにフェレスは頬を膨らませて睨みつける。
「そのこと、私聞いていないんだけど……」
「言ってないからな」
フェレスのことなどまったく気にせずエースは部屋の中を歩き回る。フェレスは不満げに後をついていく。
「そりゃあ私はアンタの監視を任されているけど、私だってこの事件を解決したいと思っているの。情報を共有するくらいしなさいよ」
エースは足を止め、グルりと180度回転してフェレスを見る。
「なら早速、君には頼みたいことがある」
フェレスはエースにとって都合の良い助手にされていることに気づかないまま頷いた。
闇雲に走り回ったストレインは手あたり次第市民に聞き込みをしているトルバを見つけた。ストレインは息切れを起こしながらトルバのもとへと駆け寄る。
「おい……トルバ!」
トルバはストレインに気づき、話を聞いていた老人にお礼だけを言った。
「ストレインさん、スピンはセマト川方面に行ったようです」
「ちょっと……はぁ、落ち着けよ……」
「俺は上流を見るのでストレインさんは下流をお願いします」
「だから……トルバ……」
「このままスピンを野放しにしたらまた犠牲者が出てしまいます。ここで絶対に奴を捕まえましょう!」
「落ち着け……! トルバ!」
早口でまくし立てるトルバの腕をストレインが掴んだ。そしてようやくトルバもストレインの様子がおかしいことに気づいた。
「どうしたんですか、ストレインさん」
ストレインは背筋をただし、まずは深呼吸をした。30代には厳しい動悸・息切れをひとまず落ち着ける。
「いいか、トルバ。冷静になって聞いてくれ。スピンのことだが、アイツは連続殺人犯ではないかもしれない」
トルバはストレインの正気を疑うような目線を向ける。
「どうしてですか? だってさっきまでは俺の考えが正しいって……」
そこまで言い、トルバは何かに気づいたように目を見開いた。
「まさか、エースが言ったんですか……?」
「……そうだ。エースはフィールドを殺したのは雷属性の魔法を使う人間だと言った。落雷の轟音を聞いたとも言っていたよ」
「そんなの、あいつの聞き間違いかもしれないじゃないですか! ストレインさんはエースに肩入れしすぎです。エースの言うことを全部信じるんですか? あいつだって神様じゃないんですよ」
トルバに詰められてストレインは思わず口ごもる。ストレインがエースに肩入れしていることは明らかで、それはストレイン自身も自覚していた。
エースは戸籍を偽っており、ストレインはそれを知っていながら黙認している。二人は一種の共犯関係があるといってもいい。しかしストレインはそのことをエースに言うわけにはいかなかった。
「……確たる証拠がなければ捕まえることはできない。これは衛兵としての規則だ。俺はエースに言いくるめられたわけではない」
ストレインはトルバの腕を掴んだまま歩き出した。
「どこに行くつもりですか」
「スピンの家だ。そこでエースも待っている」
トルバは抵抗する素振りも見せたが、ストレインの握力はそれを絶対に許さなかった。
二人は歩き続け、ようやくスピンの家に戻ってきた。道中でストレインはトルバに衛兵が何たるかを語り続け、スピンの家の扉を開けるまで止めることはなかった。そのため、すっかり空っぽになった郵便受けには気づくこともなくスピンの家に入る。
ストレインは家に入るとまっすぐさっき通った廊下を進む。両開き扉を開くと、椅子にもたれかかり悠々と本を読んでいるエースがいた。
さすがのストレインもこれには呆れかえる。
「おいエース。お前いったい何しているんだ」
ストレインはエースの読んでいる本をひったくる。さっきまでの口論を意識してエースにも厳しく当たっていたのだが、エースは全く気にしていないようだった。
「そこの本棚にあったから読んでいただけだ。それより、トルバは戻ってきたようだな」
トルバはそっぽを向いてエースと目を合わせようとしない。まるで出会ったばかりの頃のように二人には溝ができてしまったようだ。
「それよりもフェレスはどこに行ったんだ?」
ストレインは質問をしながらひったくった本を部屋の角にある本棚に戻した。本の背表紙には『グリム童話』と書かれている。
「おつかいを頼んだ。もう少しで帰ってくるだろう」
エースは背中越しにそう答え、目の前にいるトルバを見つめる。
「まずは感謝をさせてくれ。君が道路で倒れている僕を助けてくれたんだろ?」
「……ああ。今になってお前を助けたことを後悔しているよ」
棘のある言葉にもエースは笑って答える。
「助けなかったら助けなかったで君は後悔しただろうな。過去のしがらみに縛られるような君の幼い正義感では、自分の行動に正当性を持つことはできないさ」
「幼い……? この俺が?」
「未熟だよ。これ以上その未熟さで事件を引っかき回すなら、早く捜査から降りてくれないか」
トルバは一歩踏み出してエースの胸倉につかみかかる。
「事件の解決をお前に任せろって言いたいのか? 犯人を見つけておきながら捕まえられなかったお前が……?」
「僕の仕事は犯人を特定することだ。捕まえるのは衛兵の仕事だろ」
トルバの怒りをエースが煽り、場の雰囲気は一触即発になる。慌ててストレインがトルバをエースから引きはがす。
「やめるんだトルバ!」
ストレインの制止を受けながらもトルバは大声を張り上げる。
「お前の力は借りなくても犯人は特定した! あとはスピンを捕まえるだけで事件は解決する!」
「ならどうやって捕まえるかだけでも教えてくれよ。そのあとでスピンが犯人でないことを教えてやる」
エースはバカにしようとしている。そう思ったトルバはムキになる。
「スピンは何も持たずにこの家を出た。いずれ金や食料が必要になって戻ってくるはずだ。俺たちは帰ったフリをしてのこのこ帰ってきたスピンを捕らえるだけだ」
「あー、それはダメだな」
エースはバカにしたようにあざ笑った。
エースは立ち上がって机の上に置いてある手紙の山から一枚の手紙を取り上げる。
「これはこの家の郵便受けに入っていた。中身はスピンの元・仲間や助けた人々からスピンを心配している内容だ」
手紙をストレインに手渡し、中身を確認させる。
「スピンはまだ指名手配がされていない。変な借金取りに追われているとでもいえば匿ってくれる友人も多くいるはずだ」
「……なら、片っ端からそいつらの家に行けばいい」
「だがこの手紙は直接投函したようだから相手の住所までは書いていない。一から全員の住所を調べるとなると、一週間以上かかるはずだ」
「一週間……」
トルバは顔を曇らせた。エースは追い打ちをかけるように話し続ける。
「君の杜撰なスピンの捕まえ方は聞いた。次は約束通り、スピンの無実を証明しよう」
再び手紙の山を指さす。
「この手紙によると、スピンは大火力の火炎魔法によってパーティーメンバーを巻き添えにしてしまったらしい。それでロクに魔法を使うことができなくなり、バウンティセントラルを去った。そんなスピンがフィールドを丸焦げにするほどの魔法を打てるとは思えない」
「だがさっきあいつは黒煙の魔法を使っていたぞ」
「簡単な魔法なら使えるみたいだ。さっきキッチンを見たが、マッチ棒といった火をおこす類のものは一切なかった。スピンは自身の魔法で火を起こしていたんだろう」
さらにエースは早口で続ける。
「キッチンといえばさっき食器を確認したが、どれも一人分の食器しかない。そのほかの日用消耗品もすべて一人分だ。彼はずっと一人で過ごしていて、暇なときはそこにある本をずっと読んで過ごしていたんだろう。ほとんどの本の最後に栞が挟んであったよ」
「……それがどうスピンの無実につながるんだよ」
「確実な証拠はもう少しで来るはずだ」
その言葉とともに、ちょうど玄関の扉が軋む音がした。軽快な足音とともにリビングの扉が開き、フェレスが顔を出した。
「あれ、戻ってきてたんだ」
ストレインとトルバを見て反応する。
「それより聞き込みはどうだった?」
エースの催促にフェレスは腰に手を当てて答える。
「アンタの予想通りよ。どうやらスピンは近くの小売店に食料や日用品を定期的にこの家に運ぶよう頼んでいたわ。料金は前払いで、運んできた商品は玄関の前に置くことになっているとも言っていたわ」
「やはりか。外履きの靴は棚の中で埃をかぶっていたし、外に来ていくような服もタンスの奥で眠っている。スピンはバウンティハンターをやめてから全く外に出ていない。そんな奴がいきなり外に出て連日人を殺すなんてどういう心変わりなんだ」
エースはトルバに訴えかける。
「だが、スピンは逃げたんだぞ。誰も殺していないのに衛兵から逃げるのはおかしいだろ」
「一年以上人と会っていない奴だぞ。怖くなって逃げだした可能性だってある」
トルバは歯を食いしばってエースを睨みつける。
「……どうしても、俺の推理を否定するのか」
「君が間違っているなら否定はするさ」
エースの瞳は揺るぎのない確固たる意志を見せつける。トルバはストレインを押しのけると、フェレスが開けた扉へと向かった。
「俺はスピンが犯人だと確信している。その証拠を見つければ、お前も納得しろよ」
振り返ることなくトルバはまっすぐ玄関へと進む。
「おい、待てよトルバ!」
ストレインが追いかける。トルバは振り返ることも無くストレインを拒絶する。
「……ストレインさんはエースと一緒に捜査したらいいじゃないですか。こっちは俺だけで大丈夫です」
そしてトルバは建付けの悪い扉とともに家から出て行った。
「くそっ……あのバカ」
ストレインは悔しそうに壁を叩いた。トルバが単独行動を取っていることに対して責任を感じているのだろう。
「そんなに気を張ることじゃないでしょ。トルバだってトルバなりに考えて行動しているんだから、上司であるアンタはどっしり構えて見守りなさい」
慰めるようにフェレスが言った。
「そうだな……。まさか小さな女の子に諭されるなんて、俺もまだまだだよ」
(本当は300歳の年増だけどな)
エースの毒づいた心の声を読んだかのようにフェレスが睨みつけた。その圧は無関係のストレインにも伝わるほどだが、肝心のエースは我関せずといった様子だ。
エースはストレインに尋ねる。
「僕が眠っている間、トルバはずっとあんな感じなのか?」
「いや、フィールドが殺された直後は休んでいたぞ。そのあとからはあんな感じでずっと捜査している。家にも帰らずにずっとだ」
「家に帰らずにって……衛兵署に泊まってるってこと?」
「そうだ。まあそもそもトルバは寮に泊まっているから衛兵署でも変わらないんだがな」
「……じゃあ、トルバはこれから一週間も家に帰らずに調査するつもりなのか」
ストレインは少し考えたのち、首を横に振った。
「それはないだろう。四日後にアイツは定期審判があるから城内に行く必要があるからな」
「定期審判? なんだそれは」
「俺がこの前休んだ時にがあっただろ? それと同じだ。俺たち衛兵は王家直轄の組織だからな。スパイが紛れ込んでいないか、謀反を企んでいないかを確かめるために半年に一回調査するために集められるんだ」
「その調査っていうのは?」
「神器を使う」
エースはストレインの顔を見て話を聞いているが、『神器』という単語にフェレスの肩が動いたのを見逃さなかった。
「『リブラストレア』という天秤があって、その天秤の力で真実を見極めることができるんだ。至高裁判官が俺たちに天秤をかざし、質問をする。その質問に嘘をつけば天秤は揺れる。……まあ実際に揺れたのを見たことはないからどうも言えないがな」
「嘘発見器ってことか……? それで、その正答率は?」
「100%だ。どんな訓練を積んだ人間であっても嘘をついていれば確実に天秤は揺らぐらしい」
エースは苦笑いをした。
「そんなのほとんど推理いらずじゃないか。容疑者を端から端まで質問すれば嘘を見抜けるんだろ?」
「確かにそうだが、スカル街で起きた犯罪を裁くために用いられることは滅多にない。強力な神器だけに何度も使えるわけじゃないからな。上層部の人間にとっては外で起きた犯罪なんてどうでもいいんだ。それよりも水面下で動いている不都合なことを防ぎたいんだよ」
ストレインは自虐気味に言った。ストレインはストレインなりに個人の理想と組織の目的との葛藤で苦しんでいるのだろう。
「だが滅多にないとはいえ、前例はあるんだろ?」
「それでも二十年くらい前の子ことだ。市民が興味を持っていて、尚且つ容疑者に決定的証拠がない場合にのみ天秤が使われるらしい。しかしこの事件が未解決のまま終わるようなら、容疑者を天秤を使う可能性はある」
「……この場合、その容疑者はスピンになるということか」
エースは黙ったまま思考を重ねる。
「どうしたの……?」
フェレスがエースの顔をのぞき込んだ。
「いや、何でもない」
「それより、お前たちはこれからどうするつもりだ?」
ストレインが尋ねた。
「フィールドの情報を調べるつもりだ。彼の経歴や魔法について知りたい」
「ならバウンティセントラルに行くといい。既に管理人にフィールドの資料を集めるよう要請しておいたから、お前が預かってくれ」
その口ぶりにエースは片眉を上げた。
「ストレインは来ないのか?」
「俺はこの手紙の主の家をすべて回るつもりだ。時間は掛かるかもしれないが、現状スピンが重要参考人であることに変わりは無いからな」
そう言うと、ストレインは財布からお札を取り出してエースに渡した。
「馬車を使っていくといい。スカル支部衛兵署で領収書を貰っておいてくれ」
「いいのか?」
「ああ。その代わり、有益な情報を頼むぞ」
エースは力強く頷き、フェレスト共に馬車へと乗り込んだ。
一定のリズムを刻みながら無機質な電子音が響き渡る。
『いけません! まだ意識が戻っていないんです!』
『そんなもの知るか!』
怒号を放っているのだろうが、その声もはっきりと聞き取れないほど耳と脳が機能を果たしていない。
『おい! 起きろ!』
目の前にスーツ姿の男が現れ、激しい剣幕で詰め寄る。
『起きろ! コムロハジメ!』
夢から急に覚めるようにエースは目を開けた。煤だらけの天井で見覚えはない。
重い身体で身体を起こすと、そこが『Crystal Magic』の二階だと分かる。こうして一度もベッドで寝たことがなかったからこれほど天井が汚れているとは知らなかった。
窓から差し込む太陽の光で朝だと言うことは分かる。
「ようやく起きたのね」
一階から毛布をもって上がってきたフェレスが上体を起こしていたエースに気づいた。
「フェレス……」
「まったく……。二日もずっと眠ったままで心配掛けないでよ。トルバとクリスタに感謝することね」
フェレスは呆れたように言った。
「……どうしてその二人の名前が出るんだ?」
「トルバが道路で眠る貴方を見つけて運んできたのよ。それで、この二日間ずっとクリスタがあなたを看病してくれていたわ」
フェレスはベッドの横で眠るクリスタを指さした。クリスタの両手は赤切れを起こしており、足元には水の入った桶にタオルがかけられている。
フェレスはクリスタに毛布をそっと掛ける。
「クリスタもアンタもずっとお互い避けるように過ごしているけど、クリスタはこうしてアンタのピンチに寄り添ってくれたのよ。アンタもちゃんと見合った行動を取りなさい」
「ああ。悪かったよ」
「悪かったって思ってるなら、まずはクリスタが起きるまで待つこと。事件が気になるのは分かるけど、私がことの顛末を教えてあげる」
「教えてあげるって……知っているのか?」
「ストレインやトルバに大まかなことを聞いてきたわ。詳しいことは明日にでも直接聞きなさい」
クリスタは椅子に座り、足を組む。
「まずはフィールドのことだけど、バウンティセントラルの路地裏で黒焦げになって殺されていたわ」
「それは知っている。僕はフィールドを見つけて、現場を立ち去ろうとしていた犯人を追いかけたんだ」
「なんだ。じゃあやっぱりアンタとフィールドは組んでいたのね」
「フィールドの合図で僕も現場に向かう予定だった。轟音とともに火事が起こっていたから見つけやすかったよ」
「火事? 路地裏にあったごみが燃えていたそうだからそれのことね。轟音は一つだけ?」
「そうだ」
「じゃあ犯人の魔法でしょうね。火属性か、雷属性だってあり得るわ」
エースは顎に手を当てて考える。
「あの轟音が落雷だとしたら雷を操る犯人の可能性が高い。それよりも気になるのはどうしてフィールドが何もできずに死んでしまったかということだ。ストレインはフィールドについて何か言っていなかったか?」
「フィールドはソロでの活動が多かったみたいだから魔法とか経歴については不明なのよ。また資料を集めるとは言っていたわ」
エースは頭を抱える。
「失敗したな。こんなことならフィールドを虫眼鏡で見ておけばよかった」
そのとき、「ううん……」という声とともにクリスタが起き上がった。
「あれ……毛布……」
寝ぼけながらもクリスタは毛布を取ると、目をこすりながらエースを見上げた。
「起きたか」
「え……」
クリスタは毛布を持ったま立ち上がり、後ずさりをする。そして毛布の裾を足で踏んでしまい、バランスを崩して後ろから倒れ込む。
「ちょっと、クリスタ大丈夫?!」
フェレスはクリスタに近寄る。
「え、え、エースさん……起きたんですか……?」
しかしクリスタはエースが目覚めたことに驚いていた。
「さっきな」
そういうと、エースはベッドから起き上がった。
「フェレス。僕の服はどこにある?」
「クローゼットに閉まったけど……。っていうかもう出かけるつもりなの?」
エースはクローゼットから服をつかむと、階段へと向かった。
「ちょっとエース!」
「クリスタが起きるまでは待つと約束したが、これ以上待つわけにはいかない。この数日で勇者が二人も殺されているんだぞ。事態は一刻を争う」
そしてエースは階段を降り、あっという間に二人の視界から消えていった。
「……やっぱり、私って嫌われているんですね」
クリスタは哀しげに呟いた。
「そんなことないわよ。アイツはただ誰に対してもああいう感じなのよ」
「そうなんですかね……」
フェレスの慰めに苦笑いで答える。
「……でも私、後悔はしていないんです」
「後悔?」
「エースさんにこうして宿を貸していることです。最初は強引に居候をしようとしたエースさんのことが大嫌いだったんですけど……」
「大嫌いだったんだ……」
しかしエースの態度を考えれば嫌われるのも仕方が無い。
「宿を貸したのもエースさんがテストに合格したからです。でもそのお陰でフェレスさんとこうしてお喋りできるようになって、私はとても嬉しいんです」
クリスタは満面の笑みをフェレスに向けた。
「そ、それは私だって……」
ゴニョゴニョと言葉を逃がすが、朱く染まった頬は嬉しさを隠し切れていなかった。
「それに、エースさんが寝ている間に気づいたんです。私はエースさんが鳴らすあの鈴の音が好きなんですよ」
「鈴の音?」
「扉に備え付けた鈴です。この二日間あの鈴が鳴らないだけで、なんだかとても不安になりました」
フェレスはそこで階段の方を一瞬チラリと見た。
「……でも不思議ね。エースの鳴らす鈴の音が好きなんだ」
「はい。なんて言うんですかね。やっぱり……エースさんと祖父が似ているからかもしれません」
「あのメガネのお祖父さん?」
クリスタは頷いた。
「無愛想で自分勝手なところとか……それでもやっぱり尊敬しちゃうところも」
クリスタの上体は揺れはじめ、瞼も重そうになっている。
「大丈夫?」
「はい……それより今の話、エースさんには内緒ですよ……?」
「ええ、約束するわ」
フェレスは大きな欠伸をしたクリスタに肩を貸し、さっきまでエースが寝ていたベッドで横に寝させた。
心なしか、フェレスの顔は満足げに笑っていた。
「さて……」
フェレスはゆっくりと階段へと向かって歩き出す。
「事態は一刻を争うんじゃなかったんですか、探偵さん」
そう階段に座っているエースに尋ねた。
「……いつから気づいていたんだ?」
「鈴の音の話になった時よ。そういえば階段を降りていったのに鈴の音は聞えなかったからね」
「中々やるじゃないか」
エースは立ち上がり、今度こそ鈴の音を鳴らしながら店から出た。そのあとをフェレスが続く。
「それより身体は大丈夫なの?」
「大丈夫だ。一度倒れたなら次に僕が倒れるのはおよそ2週間後だ」
意味が分からないようで、フェレスは首をかしげる。
「どうしてそんなことがわかるのよ」
「僕の脳は最大で300時間ほど連続で起きていられることができるんだ。というか、逆に自発的に寝ることができない。その反動で僕はさっきみたいに二日ほど寝たきりになるんだよ」
「じゃあここ最近ずっとソファで寝ていたのは……」
「あれは寝ていない。そんなことも知らずに君は僕を監視していたのか?」
核心を突かれてフェレスは苦虫を嚙み潰したような顔になる。ハサルシャムに命令されてエースの監視をしているにもかかわらず、監視も忘れてクリスタの店の手伝いをしてあまつさえその時間でエースは倒れてしまった。そもそもこの二週間ほどでクリスタはハサルシャムに伝えられるほどの情報を得ていないのだ。
「悪かったわね、職務怠慢で。とりあえずアンタの行動は危なっかしいから今度から外を歩くときは絶対私も一緒について行くわ。魔法も使えないアンタを一人にするのは危険だもの」
「君は僕の保護者なのか」
「ただの監視対象よ」
そんないつもの会話をしていると、大通りの方からストレインの声が届いた。
「あれ? 今の声って……」
フェレスも気づいたようで、二人は衛兵署へと向かう道から外れて大通りの方へと向かった。
「おい! この金はなんだ!」
「さっき賭博で稼いだ金だよ! 嘘じゃない!」
ちょうど若者にストレインが調査しているところだった。若者は壁に両手をつき、ストレインが後ろからポケットや持ち物など身体検査をしている。
いつもと違う威圧感のある雰囲気にエースもフェレスも喋りかけられずにいると、ストレインのほうから二人に気づいた。手に持っていたお金を若者に返すと、穏やかな表情でエースのもとへと寄ってきた。
「やっとお目覚めか、名探偵」
肩をバンバンと叩いて再会を喜ぶ。
「迷惑かけてすまなかったな。それより今のは新手のカツアゲか?」
エースの冗談をストレインは豪快に笑い飛ばした。
「それはいいな。給料日前の小遣い稼ぎにはうってつけかもしれん……なんてな。なに、今のはただの職務質問のようなものさ。今の男はどうもソワソワした挙動をしていたから怪しいと思ったんだ」
「ただ大金をもって落ち着かなかっただけなのに強面の衛兵に絡まれるなんて、さっきの人も可哀そうね」
「お嬢ちゃんも相変わらずだな」
ストレインは大きな手でフェレスの頭をぐしゃぐしゃに撫でまわす。フェレスは嫌そうに暴れるが、ストレインは笑ったまままったく取り合わない。
「随分とご機嫌だな、ストレイン」
「そうなんだよ、トルバがようやく犯人逮捕までこぎつけてな。もう事件は解決したも同然だ。これもお前が協力してくれたおかげだよ」
エースとフェレスはお互いの顔を見合わせた。
「おい、待て……事件って何の事件だ?」
「何って……勇者連続殺人事件に決まっているだろ。パレスとフィールドを殺した犯人をトルバが見つけたんだ」
エースが自分が寝ている間にまた別の世界に来たのかと思うほど脈絡のない展開だった。
「それで、その犯人っていうのは誰なんだ?」
「元バウンティセントラルで加入していたスピンという男だ。トルバはこれまでバウンティセントラルで受注された依頼をすべて調べて火属性の魔法を得意とする剣士を見つけたんだよ。スピンは勇者の称号は持っていないものの、実力は勇者に匹敵するらしい」
「火属性? なんで火属性なんだ?」
「なんでって……フィールドは身体を丸焦げにされて死んでいたんだ。周りの物も燃えていたらしいから火属性の魔法を使ったんだろ」
「違うわ!」
そこにフェレスが割って入る。
「エースは落雷の轟音を聞いたのよ! 犯人は火属性じゃなくて雷属性よ!」
ストレインは狼狽してエースを見る。
「本当なのか?」
エースは頷いた。
「まずいな……トルバはもうスピンを捕まえに行ったぞ」
「場所は?」
「スピンの自宅だ。ここからだとかなり遠いぞ」
言うが早いかエースは側を通った馬車を捕まえた。そのあとにストレインとフェレスが続く。
「料金は経費で頼んだ」
「……まったく。経費だって限りがあるんだぞ」
ストレインはお札を馬車の運転手に渡し、行き先を告げる。三人が乗った馬車はスピンの自宅に向かって走り出す。
「トルバはこの事件に人一倍熱意をかけている……。行き急いでるとは思ったが、やっぱり止めるべきだったか」
現場へ向かう車中でストレインは悔しそうに膝を打った。
「そういえばトルバは最近スカル支部に来たそうだけど、左遷されたわけじゃないの?」
フェレスが尋ねる。
「ここに来る衛兵はほとんどが左遷だが、トルバは自分から志願して移ったんだ。
アイツの母親がもともとこのスカル街に住んでいたんだが、とある貴族に見初められて妾になってな。そして生まれたのがトルバだ。母親はずっと前に病で命を落としてしまったが、トルバは母親が生まれ育ったこの街をより良く作り変えようとしている。だから城内にいる恋人と別れてまでこっちに異動したんだよ」
「……そうだったんだ」
「人一倍事件解決に挑んでいたのもそういうことか」
「そうだな。アイツはこっちに異動する前から何度かこの街には訪れていた。いわばアイツにとっては故郷も同然だ。そんなトルバにとって、こんな殺人が起こることは見逃せないんだろう」
ストレインは歯ぎしりをする。
「分かっていたなら、俺はあいつの暴走をもっとはやく止めておくべきだった」
後悔するストレインをよそに、エースは腕を組んで遠くを眺めた。城内からは時計塔の音が鳴り響く。
(……いや、まさかな)
頭の中に嫌な予感がよぎるが、エースは頭を振ってくだらない考えを振り払う。
(今はただ、トルバの暴走を止めるだけだ)
エースは激しく揺れる車体の中でガラにもなくトルバがスピンに対して早まった行動をしていないことを願っていた。
スピンの家は大通りに面した比較的大きな一軒家だった。ポストには大量の郵便物が入ったままになっており、家全体も汚れが目立っているなど手入れはされていないようだ。
「スピンは賞金首をやめてからずっとこの家に引きこもるようになったらしい」
ストレインが説明をしながら扉にノックをしようと拳を作る。その手をエースがつかんだ。
「待て」
エースはストレインの手を掴んだまま目の前の扉を指さした。正確にはわずかに開いた扉の隙間だ。
ストレインはエースの意図を察して静かに扉の隙間に手をかけた。家の奥からは誰かの話し声が聞こえるが、遠すぎて何を言っているのかが分からない。
「……トルバか?」
ちゃんと声を聴くためにストレインは玄関の扉を開いた。本人はゆっくりと開けたつもりだったが、建付けが悪かったのか扉は酷い金属音を鳴らした。
「誰だ!」
家の奥から大声で叫ぶ。その声は間違いなくトルバのものだ。
「俺だ、トルバ!」
ストレインが声のする方へと歩きながら答える。そのあとにエースとフェレスも続いた。廊下をまっすぐ進んだ両開きの扉の奥にトルバはいた。
「ストレインさん……! それにエースとフェレスも……」
三人を見て驚くトルバの右手には剣が握られていた。
「ひぃっ!」
怯えきった情けない声で三人は第三者の存在に気づいた。
その男はボサボサの髪の毛で服も薄汚れている。年は三十代ほどに見えるが、両目には涙を浮かべておりどうも頼りがいがない。
男を観察したのもつかの間、男はトルバが気を取られている隙にいきなり右の手のひらを突き出し、『エコムス』と唱えた。
手のひらから黒煙を魔法で作り出す。その場にいる全員が咳き込みながら口を覆った。視界も悪く、何が起きているのかもわからない。
真っ暗な中で建付けの悪い窓の開閉音とドタバタという慌ただしい足音だけが響き渡る。煙は窓が開くと同時に外へと排気されていった。
黒煙が消え視界が良好になると、さっきまでいたはずの男の姿はそこにはなかった。
「スピン!」
トルバは窓枠から身を乗り出して男の名を呼ぶが、返事は当然ない。
「俺、追います!」
ストレインにそう告げると、トルバも窓から外へと出た。
「待て、トルバ!」
ストレインの制止には耳も傾けていない。
「俺がトルバを止める‼ お前たちはここにいるんだ!」
エースとフェレスに指示をすると、ストレインも窓から出て行った。残された二人は呆然と立ち尽くしていた。
「……私たちは追わなくても良いの?」
フェレスは隣のエースを見上げる。
「ここはストレインに任せて大丈夫だろう。それよりもこの家を調べるべきだ」
そう言ってエースは虫眼鏡を取り出した。窓際に残った煙をのぞき込むと赤色のマナが残滓として残っている。
「火属性か。やはりさっきの男がフィールド殺しの疑いをかけられているスピンだな」
「フィールドだけじゃなくてパレスもでしょ」
「これは僕の疑いだ。落雷の轟音を聞いたといったが、可燃性の気体を圧縮してガス爆発を起こした音だったかもしれない。だが、少なくともスピンはパレスを殺した犯人ではない」
フェレスは眉を八の字にして疑問符を浮かべる。
「どうしてそんなことが分かるのよ」
「スピンが魔法を使った時の右の手のひらを見たか? 皮膚は薄く、タコも出来ていない。あれは剣を握っている手じゃないよ」
「でも、もう片方の手は見てないんでしょ?」
「パレスを殺した犯人は右手に剣を握っていた。遺体の状況がそれを物語っていたんだ」
あっけらかんと言うエースにフェレスは頬を膨らませて睨みつける。
「そのこと、私聞いていないんだけど……」
「言ってないからな」
フェレスのことなどまったく気にせずエースは部屋の中を歩き回る。フェレスは不満げに後をついていく。
「そりゃあ私はアンタの監視を任されているけど、私だってこの事件を解決したいと思っているの。情報を共有するくらいしなさいよ」
エースは足を止め、グルりと180度回転してフェレスを見る。
「なら早速、君には頼みたいことがある」
フェレスはエースにとって都合の良い助手にされていることに気づかないまま頷いた。
闇雲に走り回ったストレインは手あたり次第市民に聞き込みをしているトルバを見つけた。ストレインは息切れを起こしながらトルバのもとへと駆け寄る。
「おい……トルバ!」
トルバはストレインに気づき、話を聞いていた老人にお礼だけを言った。
「ストレインさん、スピンはセマト川方面に行ったようです」
「ちょっと……はぁ、落ち着けよ……」
「俺は上流を見るのでストレインさんは下流をお願いします」
「だから……トルバ……」
「このままスピンを野放しにしたらまた犠牲者が出てしまいます。ここで絶対に奴を捕まえましょう!」
「落ち着け……! トルバ!」
早口でまくし立てるトルバの腕をストレインが掴んだ。そしてようやくトルバもストレインの様子がおかしいことに気づいた。
「どうしたんですか、ストレインさん」
ストレインは背筋をただし、まずは深呼吸をした。30代には厳しい動悸・息切れをひとまず落ち着ける。
「いいか、トルバ。冷静になって聞いてくれ。スピンのことだが、アイツは連続殺人犯ではないかもしれない」
トルバはストレインの正気を疑うような目線を向ける。
「どうしてですか? だってさっきまでは俺の考えが正しいって……」
そこまで言い、トルバは何かに気づいたように目を見開いた。
「まさか、エースが言ったんですか……?」
「……そうだ。エースはフィールドを殺したのは雷属性の魔法を使う人間だと言った。落雷の轟音を聞いたとも言っていたよ」
「そんなの、あいつの聞き間違いかもしれないじゃないですか! ストレインさんはエースに肩入れしすぎです。エースの言うことを全部信じるんですか? あいつだって神様じゃないんですよ」
トルバに詰められてストレインは思わず口ごもる。ストレインがエースに肩入れしていることは明らかで、それはストレイン自身も自覚していた。
エースは戸籍を偽っており、ストレインはそれを知っていながら黙認している。二人は一種の共犯関係があるといってもいい。しかしストレインはそのことをエースに言うわけにはいかなかった。
「……確たる証拠がなければ捕まえることはできない。これは衛兵としての規則だ。俺はエースに言いくるめられたわけではない」
ストレインはトルバの腕を掴んだまま歩き出した。
「どこに行くつもりですか」
「スピンの家だ。そこでエースも待っている」
トルバは抵抗する素振りも見せたが、ストレインの握力はそれを絶対に許さなかった。
二人は歩き続け、ようやくスピンの家に戻ってきた。道中でストレインはトルバに衛兵が何たるかを語り続け、スピンの家の扉を開けるまで止めることはなかった。そのため、すっかり空っぽになった郵便受けには気づくこともなくスピンの家に入る。
ストレインは家に入るとまっすぐさっき通った廊下を進む。両開き扉を開くと、椅子にもたれかかり悠々と本を読んでいるエースがいた。
さすがのストレインもこれには呆れかえる。
「おいエース。お前いったい何しているんだ」
ストレインはエースの読んでいる本をひったくる。さっきまでの口論を意識してエースにも厳しく当たっていたのだが、エースは全く気にしていないようだった。
「そこの本棚にあったから読んでいただけだ。それより、トルバは戻ってきたようだな」
トルバはそっぽを向いてエースと目を合わせようとしない。まるで出会ったばかりの頃のように二人には溝ができてしまったようだ。
「それよりもフェレスはどこに行ったんだ?」
ストレインは質問をしながらひったくった本を部屋の角にある本棚に戻した。本の背表紙には『グリム童話』と書かれている。
「おつかいを頼んだ。もう少しで帰ってくるだろう」
エースは背中越しにそう答え、目の前にいるトルバを見つめる。
「まずは感謝をさせてくれ。君が道路で倒れている僕を助けてくれたんだろ?」
「……ああ。今になってお前を助けたことを後悔しているよ」
棘のある言葉にもエースは笑って答える。
「助けなかったら助けなかったで君は後悔しただろうな。過去のしがらみに縛られるような君の幼い正義感では、自分の行動に正当性を持つことはできないさ」
「幼い……? この俺が?」
「未熟だよ。これ以上その未熟さで事件を引っかき回すなら、早く捜査から降りてくれないか」
トルバは一歩踏み出してエースの胸倉につかみかかる。
「事件の解決をお前に任せろって言いたいのか? 犯人を見つけておきながら捕まえられなかったお前が……?」
「僕の仕事は犯人を特定することだ。捕まえるのは衛兵の仕事だろ」
トルバの怒りをエースが煽り、場の雰囲気は一触即発になる。慌ててストレインがトルバをエースから引きはがす。
「やめるんだトルバ!」
ストレインの制止を受けながらもトルバは大声を張り上げる。
「お前の力は借りなくても犯人は特定した! あとはスピンを捕まえるだけで事件は解決する!」
「ならどうやって捕まえるかだけでも教えてくれよ。そのあとでスピンが犯人でないことを教えてやる」
エースはバカにしようとしている。そう思ったトルバはムキになる。
「スピンは何も持たずにこの家を出た。いずれ金や食料が必要になって戻ってくるはずだ。俺たちは帰ったフリをしてのこのこ帰ってきたスピンを捕らえるだけだ」
「あー、それはダメだな」
エースはバカにしたようにあざ笑った。
エースは立ち上がって机の上に置いてある手紙の山から一枚の手紙を取り上げる。
「これはこの家の郵便受けに入っていた。中身はスピンの元・仲間や助けた人々からスピンを心配している内容だ」
手紙をストレインに手渡し、中身を確認させる。
「スピンはまだ指名手配がされていない。変な借金取りに追われているとでもいえば匿ってくれる友人も多くいるはずだ」
「……なら、片っ端からそいつらの家に行けばいい」
「だがこの手紙は直接投函したようだから相手の住所までは書いていない。一から全員の住所を調べるとなると、一週間以上かかるはずだ」
「一週間……」
トルバは顔を曇らせた。エースは追い打ちをかけるように話し続ける。
「君の杜撰なスピンの捕まえ方は聞いた。次は約束通り、スピンの無実を証明しよう」
再び手紙の山を指さす。
「この手紙によると、スピンは大火力の火炎魔法によってパーティーメンバーを巻き添えにしてしまったらしい。それでロクに魔法を使うことができなくなり、バウンティセントラルを去った。そんなスピンがフィールドを丸焦げにするほどの魔法を打てるとは思えない」
「だがさっきあいつは黒煙の魔法を使っていたぞ」
「簡単な魔法なら使えるみたいだ。さっきキッチンを見たが、マッチ棒といった火をおこす類のものは一切なかった。スピンは自身の魔法で火を起こしていたんだろう」
さらにエースは早口で続ける。
「キッチンといえばさっき食器を確認したが、どれも一人分の食器しかない。そのほかの日用消耗品もすべて一人分だ。彼はずっと一人で過ごしていて、暇なときはそこにある本をずっと読んで過ごしていたんだろう。ほとんどの本の最後に栞が挟んであったよ」
「……それがどうスピンの無実につながるんだよ」
「確実な証拠はもう少しで来るはずだ」
その言葉とともに、ちょうど玄関の扉が軋む音がした。軽快な足音とともにリビングの扉が開き、フェレスが顔を出した。
「あれ、戻ってきてたんだ」
ストレインとトルバを見て反応する。
「それより聞き込みはどうだった?」
エースの催促にフェレスは腰に手を当てて答える。
「アンタの予想通りよ。どうやらスピンは近くの小売店に食料や日用品を定期的にこの家に運ぶよう頼んでいたわ。料金は前払いで、運んできた商品は玄関の前に置くことになっているとも言っていたわ」
「やはりか。外履きの靴は棚の中で埃をかぶっていたし、外に来ていくような服もタンスの奥で眠っている。スピンはバウンティハンターをやめてから全く外に出ていない。そんな奴がいきなり外に出て連日人を殺すなんてどういう心変わりなんだ」
エースはトルバに訴えかける。
「だが、スピンは逃げたんだぞ。誰も殺していないのに衛兵から逃げるのはおかしいだろ」
「一年以上人と会っていない奴だぞ。怖くなって逃げだした可能性だってある」
トルバは歯を食いしばってエースを睨みつける。
「……どうしても、俺の推理を否定するのか」
「君が間違っているなら否定はするさ」
エースの瞳は揺るぎのない確固たる意志を見せつける。トルバはストレインを押しのけると、フェレスが開けた扉へと向かった。
「俺はスピンが犯人だと確信している。その証拠を見つければ、お前も納得しろよ」
振り返ることなくトルバはまっすぐ玄関へと進む。
「おい、待てよトルバ!」
ストレインが追いかける。トルバは振り返ることも無くストレインを拒絶する。
「……ストレインさんはエースと一緒に捜査したらいいじゃないですか。こっちは俺だけで大丈夫です」
そしてトルバは建付けの悪い扉とともに家から出て行った。
「くそっ……あのバカ」
ストレインは悔しそうに壁を叩いた。トルバが単独行動を取っていることに対して責任を感じているのだろう。
「そんなに気を張ることじゃないでしょ。トルバだってトルバなりに考えて行動しているんだから、上司であるアンタはどっしり構えて見守りなさい」
慰めるようにフェレスが言った。
「そうだな……。まさか小さな女の子に諭されるなんて、俺もまだまだだよ」
(本当は300歳の年増だけどな)
エースの毒づいた心の声を読んだかのようにフェレスが睨みつけた。その圧は無関係のストレインにも伝わるほどだが、肝心のエースは我関せずといった様子だ。
エースはストレインに尋ねる。
「僕が眠っている間、トルバはずっとあんな感じなのか?」
「いや、フィールドが殺された直後は休んでいたぞ。そのあとからはあんな感じでずっと捜査している。家にも帰らずにずっとだ」
「家に帰らずにって……衛兵署に泊まってるってこと?」
「そうだ。まあそもそもトルバは寮に泊まっているから衛兵署でも変わらないんだがな」
「……じゃあ、トルバはこれから一週間も家に帰らずに調査するつもりなのか」
ストレインは少し考えたのち、首を横に振った。
「それはないだろう。四日後にアイツは定期審判があるから城内に行く必要があるからな」
「定期審判? なんだそれは」
「俺がこの前休んだ時にがあっただろ? それと同じだ。俺たち衛兵は王家直轄の組織だからな。スパイが紛れ込んでいないか、謀反を企んでいないかを確かめるために半年に一回調査するために集められるんだ」
「その調査っていうのは?」
「神器を使う」
エースはストレインの顔を見て話を聞いているが、『神器』という単語にフェレスの肩が動いたのを見逃さなかった。
「『リブラストレア』という天秤があって、その天秤の力で真実を見極めることができるんだ。至高裁判官が俺たちに天秤をかざし、質問をする。その質問に嘘をつけば天秤は揺れる。……まあ実際に揺れたのを見たことはないからどうも言えないがな」
「嘘発見器ってことか……? それで、その正答率は?」
「100%だ。どんな訓練を積んだ人間であっても嘘をついていれば確実に天秤は揺らぐらしい」
エースは苦笑いをした。
「そんなのほとんど推理いらずじゃないか。容疑者を端から端まで質問すれば嘘を見抜けるんだろ?」
「確かにそうだが、スカル街で起きた犯罪を裁くために用いられることは滅多にない。強力な神器だけに何度も使えるわけじゃないからな。上層部の人間にとっては外で起きた犯罪なんてどうでもいいんだ。それよりも水面下で動いている不都合なことを防ぎたいんだよ」
ストレインは自虐気味に言った。ストレインはストレインなりに個人の理想と組織の目的との葛藤で苦しんでいるのだろう。
「だが滅多にないとはいえ、前例はあるんだろ?」
「それでも二十年くらい前の子ことだ。市民が興味を持っていて、尚且つ容疑者に決定的証拠がない場合にのみ天秤が使われるらしい。しかしこの事件が未解決のまま終わるようなら、容疑者を天秤を使う可能性はある」
「……この場合、その容疑者はスピンになるということか」
エースは黙ったまま思考を重ねる。
「どうしたの……?」
フェレスがエースの顔をのぞき込んだ。
「いや、何でもない」
「それより、お前たちはこれからどうするつもりだ?」
ストレインが尋ねた。
「フィールドの情報を調べるつもりだ。彼の経歴や魔法について知りたい」
「ならバウンティセントラルに行くといい。既に管理人にフィールドの資料を集めるよう要請しておいたから、お前が預かってくれ」
その口ぶりにエースは片眉を上げた。
「ストレインは来ないのか?」
「俺はこの手紙の主の家をすべて回るつもりだ。時間は掛かるかもしれないが、現状スピンが重要参考人であることに変わりは無いからな」
そう言うと、ストレインは財布からお札を取り出してエースに渡した。
「馬車を使っていくといい。スカル支部衛兵署で領収書を貰っておいてくれ」
「いいのか?」
「ああ。その代わり、有益な情報を頼むぞ」
エースは力強く頷き、フェレスト共に馬車へと乗り込んだ。