ストレインは城内の衛兵本部の地下に建てられた巨大な聖堂で膝をついていた。
目隠しをした至高裁判官と呼ばれる女性がストレインの前に立ち、天秤を差し出す。
「汝、これより汝が述べる言葉はすべて真実であるとこの天秤に誓えるか?」
至高裁判官はストレインに尋ねる。
「はい、誓います」
ストレインは慎重に答える。
「では汝の名を告げよ」
「スカル支部のストレインでございます」
「汝は仕える主の名を告げよ」
「ノドル国、国王とその一族でございます」
その後もストレインは質問をされるが、つつがなく返答をしていく。その間、差し出された天秤は一切揺れることはなかった。
「最後に、汝は真の衛兵であると言い切れるか?」
その瞬間ストレインの頭には酒に飲んだくれた日々やエースとの出会いがよぎる。
「……はい。私はノドル国の誇る真の衛兵です」
やはり天秤が動くことはなかった。
「よろしい」
ストレインは膝をついてままさらに頭を深く下げ、聖堂の扉へと向かった。音を立てずに聖堂を出ると、目の前には車椅子に座った老人が笑いながら待っていた。
「此度もご足労だな、ストレイン」
「し、至高司令官殿!」
ストレインはすぐさま敬礼をする。
「ハッハッハ。そう畏まるな。最近じゃ国王までもワシに敬語でなんとも生きづらい時代になったものよ」
「有り難いお言葉ですが、本官は至高司令官殿に敬意を示して敬語を使わせていただきます」
「そうかそうか」
至高司令官は満足そうに嗤う。そして車椅子を動かし、ストレインに近づく。
「さて、ストレイン。ワシは今日、オヌシに聞きたいことがあって来たのだよ」
深く濁ったような瞳がストレインを見上げる。
「先日、オヌシがワシに送った密入国者の情報。黒髪に灰色の瞳をした若者のことだ。その方、対処はしたのか?」
ストレインは至高司令官がなぜエースのことを気にしているのか気になったが、まっすぐ前を向いたまま毅然として答えた。
「はい。彼は既に流刑に罰しました」
「……そうか」
至高司令官は車椅子を引き、ストレインは圧から解放された。
「時にストレイン、オヌシは魂というものを信じるか?」
「魂、ですか?」
なおも続く会話だが、至高司令官が突拍子もなく言った言葉にはすぐに理解が及ばなかった。
「いえ、本官はそのようなオカルト話は信じません」
「……なるほど。確かに魂というのは、今は無き科学の領域の話になる。信じろという方が無理な話だ」
至高司令官は独り言のように呟く。
「だがこの世界には確かに魂が存在している。身体をなくした魂は怨念として現世にとどまり続け、常に依り代を探しているのだよ。現世で好きに動くための自由な身体を……」
ストレインは譫言のように語る至高司令官に恐怖すら覚えたが、次の瞬間、また「ハッハッハ」と笑い声を上げた。
「まあ年寄りが取るに足らない奇譚を蒐集しているようなものだと思ってくれ。すまないな。オヌシには無駄な時間を取らせたよ」
「いえ、至高司令官殿が時間を割いてまで話していただき、身に余る光栄でございます!」
「なら良かったよ」
至高司令官はそのまま椅子を転がして聖堂の中へと入っていった。
ストレインは息が詰まるような間隔からようやく解放され、早くスカル街の空気が吸いたくなった。
エースとトルバは経費を使ってバウンティセントラルまで馬車で移動し、その時間は十数分程度だった。
バウンティセントラルではトルバの衛兵の制服は嫌というほど人目を惹き、同時に警戒をされているようだ。
「おい、いったいここで何をするんだよ?」
「まあ見ていろ」
警戒して動きが硬くなっているトルバをわき目にエースはブレイクダークのメンバーがたまっている酒屋の一角へと向かった。
「おい」
エースの一言でそれまで談笑していた屈強な男たちは酒を飲む手を止め、エースを鋭い目つきで睨みつけた。
「なんだよ。何か用か?」
「単刀直入に言う。お前たちのボスに合わせろ」
その言葉は酒の回った男たちの導線に一瞬で火を付けた。全員が立ち上がり、ゾロゾロとエースとトルバの周りを取り囲む。トルバでさえ身長は180センチほどあるのだが、男たちの身長はそれを大きく上回っていた。
「お前みたいなひよっ子がボスを気軽に呼ぶんじゃねえよ。それとも今ここで消されてえのか?」
衛兵がいるにもかかわらず、ブレイクダークのメンバーたちはかなり好戦的だ。
「失礼」
エースは男たちの目の前で堂々とポケットを漁り、マナグラスコープを取り出した。そして後ろのトルバから周りの男たちを順に観察していく。
トルバの周りには黒いマナが全身を覆っており、男たちはそれぞれ赤や緑といった様々な色をしている。だが男たちのマナの総量はトルバの3分の1程度しかない。
「やはり、全員が拳で語るタイプか」
エースはマナグラスコープをポケットに戻し、新ためて目のまえの男と向き直る。
「僕を殴るのは構わない。だが衛兵の彼だけは許してやってくれないか? 彼は僕に付いてい来ただけだし、何より寝不足なんだよ」
「は? おい、バカ! 何言ってんだよ!」
トルバはエースの腕を掴もうと手を伸ばすが、その腕は男たちの筋肉によって阻まれてしまう。一瞬にして男たちはエース一人を囲んでしまった。
「おい、やめろ! 乱闘は犯罪だぞ!」
しかしその声を男たちもエースも完全に無視している。
(くそっ! そいつらはお前が敵う相手じゃないだろ!)
周りを見渡しても、他のパーティーの人たちは持て囃すだけで仲介に入ろうとする人は1人もいない。
「じゃあ、まずはオレからだ」
一番エースに突っかかっていた男が名乗りを上げ、拳を高く持ち上げる。
トルバは腰の剣を抜こうと掴むが、すでに男たちの拳はエースめがけて振り下ろされていた。激しい打撃音とともに思わずトルバは目を強く瞑る。
恐る恐る目を開けると、そこには地面にうつぶせで倒れている男とその上に立っているエースがいた。取り囲んでいた他の男たちは何が起こったのか理解できずに唖然としている。
「ほら、この男は自分から先鋒を名乗り上げたんだぞ? 君たちが次に続かないとこの男の一番槍が無駄になるじゃないか」
「う、」
男たちが拳を強く握る。
「うおおおおおお」という雄たけびと共に多方面からエースに殴打が繰り出される。
しかし彼らの拳の先にはもうエースの姿はなく、お互いの拳同士がぶつかり合った。
突き指や肩の関節が外れる音でその場は騒然となった。周りを見ているギャラリーも、この光景には目を疑うほかない。
エースは拳の隙間を縫うように躱し、取り囲まれた状況から逃げ出した。
「くそっ!」
まだ身体が動く男たちはそれでもエースに立ち向かう。
(右ストレート、重心がやや左に傾いている。機を狙って羽交い絞め、重心は後ろ)
1人1人の身体の動きを観察して次に繰り出す戦法や弱点を一瞬にして割り出す。
1人目は右側にかわし、右腕を掴んで関節を極める。そしてバランスを崩したところで金的を蹴り上げた。
(これでしばらくは悶えて動けないはずだ)
2人目は油断している隙に懐に潜り込み、服の襟をつかんで大外刈りを決める。頭を椅子にぶつけさせることで受け身を取らすことも許さない。
(脳震盪……と)
すると一番最初にうつぶせにさせた男が立ち上がった。鼻血が出ているが、そのせいかアドレナリンが出ているようだ。
さらに奥には突き指をした男と肩が外れた男が立ち直りかけている。
「小僧!」
鼻血の男がズシズシと両手を下げたまま立ち向かってくる。
(こちらの攻撃を待っているか……)
男とエースの距離がお互いの拳の射程範囲に入る。その瞬間、エースは傍らの椅子を掴みんで男の顔に叩きつけた。衝撃で椅子は壊れるが、男は膝が揺らいだだけで倒れることはなかった。
「タフだね」
エースは男の背中に回る。
その声で男は振り向き、怒り狂った右のストレートを放った。だが、すっかり頭に血が上った男には、敢えて声を出して場所を教えたのもエースの作戦であることなど気づくはずもなかった。
エースは左手で男の手首をつかみ、身体を半回転させる。男の身体は宙を舞い、立ち上がろうとしていた他の男たちに投げつけられた。エースの背負い投げが綺麗に決まったのだ。
「一本」
床には五人の屈強な男が戦闘不能で、1人の細身な若者が無傷で立っている。その異様な光景は見るものすべてを唖然とさせた。
トルバでさえも圧倒的勝利をもぎ取ったエースからは近寄りがたい雰囲気を感じ取っていた。
「……まったく。椅子を壊しやがって」
しかし、一人だけがエースの前に歩み寄った。スキンヘッドにサングラスをかけた男、バウンティセントラルの管理人だった。
管理人は壊れた椅子と床に伸びているブレイクダークの男たちに目を向ける。
「……まあ、今回だけは許してやるよ」
僅かに口角を上げ管理人はエースの肩をたたいた。
それは暗にエースに感謝している証だった。
「待て」
そのとき、施設内に威圧的な声が響き渡る。
突き抜けの二階の手すりに剣を持った赤髪で細身の男がエースを見下ろしていた。エースと目が合うと、男は手すりから一歩踏み出した。
勢いよく空中を落下したかと思うと、地面につく寸前にまるで地面から押し返されるように重力加速は打ち消された。
男は音もなく着地すると、その剣をエースに向けた。
「俺はブレイクダークの会員ナンバー001。公衆の面前で随分と派手にやってくれたな」
「こうやって目立たないと出てこないと思ったからな。素直にボスを呼べって言ったときに出てきてくれれば、こんなことにはならなかったんだ」
「なるほど。貴様の狙いは俺たちのボスに会うことか。……だが残念だな。俺はブレイクダークのボスではない」
男は腰を低く落として剣を構える。
「お前は俺たちのパーティーに喧嘩を売った。そのケジメはしっかりと取ってもらうぞ」
(まずいな……)
表情は余裕を保っていたが、エースは内心焦っていた。さっきの戦いは武器も魔法も使わない、ただの拳の殴り合いだ。しかし今目の前にいる男はおそらく剣にも魔法にも長けている。
「ということはボスのナンバーは000か? まったくややこしい数字にするから勘違いしてしまったよ」
エースは大仰に肩をすくめてみせる。
「しかし、それで納得した。君程度の実力でボスだなんて、ブレイクダークは意外とたいしたことないと思っていたところだよ」
「この俺が弱いとでもいいたいのか?」
「僕はそこまでは言っていない。……あれ、ひょっとして弱いって自覚があったのか?」
エースの煽りにトルバも管理人も息をのんだ。二人だけではない。バウンティセントラルにいる全員がエースの死を直感した。
それほど001は禍々しい猛者のオーラを放っていたのだ。
「……いいだろう。ならお前に俺の全力を見せつけてやるよ。そして死よりも深い恐怖に飲み込まれるがいい」
口を開き、呪文を唱える。
「『ラス――」
「そこまで!」
激しい怒号とともに、001の行動は止まった。
001は反射的に二階の手すりを見上げる。そこには深いハットをかぶった大柄な女性がパイプをふきながら立っていた。
「もういいだろう、ドラグマ。あんたがその技を使おうと思った時点であたしらの負けさ」
「しかし――」
「しかしもかかしもないよ!」
重い声でそう言い渡され、ドラグマの身体は小さく縮こまる。ハットの女性は穏やかな口調に戻る。
「さて……そこの紳士方。ウチのバカが失礼したね。管理人、悪いけど個室をもう少し使わせてもらうよ」
「好きにしな……」
管理人が答える。
女性はエースとトルバを手招きすると、二階の奥へと消えて行ってしまった。
「……付いてこい」
ドラグマは剣をおさめ、エースとは目も合わせずに二階へと続く階段へと歩いていく。
「おい……本当に行くのかよ?」
トルバは不安そうにエースに尋ねるが、エースはそれには答えずにまっすぐドラグマについていった。
「くそっ!」
トルバもエースの後についていく。
連れてこられた部屋は衛兵署の会議室よりも三倍ほど広かった。真ん中に椅子があり、その周りにクッション性のソファが並んでいる。
部屋の奥には先ほどのハットをかぶった女性がパイプをくわえて待っていた。
「座りなさい」
女性はパイプを咥えたまま二人に指示をする、ドラグマにも背中を押され、二人はソファに腰を下ろした。
「……申し遅れたわね。私がブレイクダークのリーダー、カーレインよ」
カーレインがふうと息を吐きながら名乗ると、部屋全体を甘い香りが包む。その香りの濃さにトルバが思わず咳き込んだ。
「あら、ごめんなさい。禁煙するためにお香を改良したパイプを使いだしたんだけどね。どうもこれが癖になっちゃって」
ホホホと笑いながら、カーレインは二人に近づく。その身長は190センチほどで、身体全体的にグラマラスだ。威圧も相まって体感では巨人のようにも感じられる。
「さて、あなたたちの名前も聞かせてもらおうかしら」
カーレインがソファに座ると、体重の違いなのか深くスプリングが軋んだ。
「あ……俺はトルバといいます。スカル支部の衛兵です」
「僕はエース。バウンティセントラルに名を連ねる探偵だ」
カーレインは緊張しているトルバと余裕の表情のエースの二人を交互に見る。
「そう。じゃあ話していいわよ。私に何か聞きたいことでもあったんでしょ?」
「え?」
トルバは思わず素っ頓狂に声を上げてしまうが、慌ててその口を抑える。
「なに? どうかした?」
まるで赤子を撫でるようにカーレインは尋ねる。
「いや……さっき、エースがあなたの手下を倒したことについては何も言わないのかと……」
「だって必要ないもの」
カーレインはふうと口から煙を吐く。
「心のこもっていない謝罪を受け取ってもそれはお菓子の入っていない菓子折りのようなものよ。それよりももっと建設的な会話をすべきだと思わない? そうでしょ、探偵さん」
「ああ。まったく悪いと思っていない」
エースの飄々とした態度に扉の前に控えていたドラグマが剣に手を掛けるが、カーレインが片手をあげて制した。
「やめなさい。この個室だって管理人に無理を言っているんだから、もめ事は厳禁よ」
「……申し訳ありません」
ドラグマが下がったところでエースは前のめりになって手短に用件を話す。
「先日、勇者パレスが何者かによって殺された。死因は心臓を背後から刺されていたことによる出血死」
「ええ。有名な事件だもの、知っているわ」
「犯人の殺し方はかなり手慣れている。そこで僕たちは過去にも似たような事件がないか未解決の事件を調べ、50件ほどの事件が候補に挙がったんだ」
エースは懐から報告書の束を机の上に置いた。
「だがここにいる事件の被害者はすべてバウンティセントラルにも加盟しておらず、身寄りのいない人たちばかりだった」
「……それが、私にどう関係しているんだい?」
「犯人は勇者を殺すような人間だ。だから過去に殺された人がいるならその人たちも剣士のように戦闘に秀でている可能性が高い。だから僕は、この候補の中に非合法で剣士だった人間がいるのではないかと考えている」
トルバが驚いた表情でエースを見る。そんなことお構いなしにエースはカーレインに向かって話し続ける。
「管理人からブレイクダークの手法は聞いている。聞いたうえで、僕は君たちがバウンティセントラルに仲介手数料を取られることをよしとしない組織だとは思えないんだよ。
あるんだろ? 直接依頼者から受注して金をもらう裏の部隊が」
カーレインは机の上にパイプを置いた。
「まいったね。昔の話を掘り起こさせられちまうなんてさ」
そういうと、ネイルの入った指で報告書をつまみ上げた。そしてそれをドラグマのほうへと差し出す。
「教えてやりな。あんたなら死んだ人間のこともちゃんと覚えているでしょ」
「……はい」
ドラグマは束を受け取ると、カーレインと入れ替わりでソファに腰を下ろす。そして一枚一枚報告書を捲り、最終的に5枚の報告書が残った。
中には名前不明と表記された者もおり、それを見てドラグマは険しい顔をした。
「こいつらがお前の言うブレイクダークの裏部隊だったメンバーだ。ほかにも数人はメンバーがいたが、最後のリーダーが殺されてから直接依頼を受けるような真似はしていないよ」
「彼らの役職は?」
「剣士、もしくは闘士だ。お前の言うとおり、全員が戦いは得意だったよ」
エースは改めて報告書を確認する。
「ドラグマ、君はこの死体を確認したのか?」
「ブレイクダークのメンバーだと知られるわけにはいかないからな。遠目にしか見ていない」
「そうか……」
「だが死体を確認した諜報員の話では、全員が争った形跡もなく背後から一刺しされていたらしい」
トルバはエースの顔を見る。
「ってことは……」
「ああ、待ちかいない。同じ犯人だ」
エースは報告書の日付を確認する。どれも数か月おきに一回起きており、最後の事件から数えてパレスの死はほぼ一年のブランクが開いていた。
「ドラグマ、他にバウンティセントラルに加盟せず直接受注しているような組織はあるか?」
「ないな。そもそも組織がデカくないと依頼はこないし、そもそもこの街には俺たち以外の組織は存在しない」
「そうなると考えられるのはバウンティセントラルの人間以外に手を出したか、遺体を隠したか……いや、それだと連続性がないな」
「……それより、話はこれで終わりか?」
「そうだ。手間を取らせたな」
エースはソファから立ち上がる。
「トルバ、もう帰るぞ」
トルバは報告書をずっと見たままで、動く気配がなかった。まるで銅像のようにじっと報告書を眺めている。
「おい、トルバ?」
強めに肩を揺らすことでようやくトルバは反応した。
「……あぁ、すまない。先に出るよ」
首を振って手元の資料をまとめると、素っ気なくトルバは部屋から出て行った。
「ちょっと香の香りがキツかったかねえ」
カーレインは申し訳なさそうに言った。だがエースはトルバが二人に挨拶もなしに去っていくことが意外だった。
「おい、エース」
ドラグマがエースを呼び止める。
「本当にパレスを殺したのは俺たちの仲間を殺した犯人と同一犯なのか?」
「手口と動機が似ているからな。可能性は高い」
「動機? 何の動機だ?」
「パレスの死体には金目のものが残っていて、他に争った形跡もなかったから金目的や恨みという可能性は少ない。的確に心臓を貫き、相手の命だけを奪っていった。暗殺という可能性も考えたが、それなら自殺や事故に見せかけるはずだ」
「だから動機って何なんだよ。もったいぶらずに教えろ」
ドラグマがエースに詰め寄る。
「……考えられるのは、ただの殺人衝動だよ。それも強者のみを狙った殺人だ。僕も過去に似たような快楽殺人者を追い詰めたことがあるが、彼の望みは結局分かることはなかった。だが、彼は強者を見抜く力だけに長けており、その人間を殺すことだけを生きがいとしていた」
「じゃあアイツらは……ワケの分からねえ奴の快楽のために殺されたのかよ」
ドラグマは気分が悪くなったように頭を抑え、壁にもたれかかった。
「……僕も理不尽だと思うよ」
それは慰めの言葉か、ありのままの事実を言ったのか。
エースはカーレインにお辞儀をすると、トルバを追いかけて部屋から出て行った。
部屋に残ったドラグマの脳裏にはかつての旧友との会話が思いだされていた。
『目的は血だ。俺も同類だからよくわかる。弱者が死ぬのは自然の理だ。……だが、こいつの手口だけはどうも許容できない。闇討ちで、しかも一方的な攻撃だ』
『だとしても犯人を追うのは禁止だ。世間にばれるような行為ブレイクダークの規則に反する』
ドラグマは友人の肩に手をのせるが、友人はそれを払いのけた。
『なら俺はこの組織を抜けてでも犯人を見つけ出して、この手で殺してやる』
そう言って友人はドラグマの前から姿を消した。
次にその友人の姿を見たときは、野ざらしで雨に打たれながら衛兵に連れていかれていた。
遠目から見ても友人はあっさりと殺されていて、ドラグマはその亡骸に駆け寄ることも葬ることも出来なかった。
「なに、考えているんだい」
カーレインの声によってドラグマは回想から現実に引き戻される。
「いえ、俺は……」
カーレインはドラグマの抱えている葛藤に気づいていた。しかし、その葛藤の原因となっているのが自分自身だと言うことにも気づいていた。
(まったく……不器用な男だよ)
カーレインは芳醇な香りを吐くと共に、ドラグマに語りかける。
「ドラグマ――」
部屋を出たエースは階段下で座り込んでいるトルバのもとへと向かった。
「おい、大丈夫か?」
今度は最初から肩を揺らして尋ねる。しかしそれでもトルバの反応は薄かった。
「……大丈夫だ。気にするな」
力なくつぶやくと遙か遠くを見るような目になる。心ここにあらずといった様子だ。
さっきまでの騒動もあり、二人はバウンティセントラルにいる人たちから多くの視線が注がれている。下手に目立つわけにもいかず、エースはトルバの腕をつかんだ。
「ひとまず戻るぞ。情報は手に入れたからここにいる必要もない」
トルバもゆっくりと立ち上がり、出口へと向かうエースに付いていく。
そんな二人の前にフードをかぶった褐色の男がいきなり立ちはだかった。フードの奥から黄色の双眸がエースを見据える。。
「お前たちはパレスの犯人を捜しているんだろ」
男は低い声でそう尋ねた。
「そうだが……。君は?」
エースの問いに男はフードを外した。
オールバックにした黒髪に褐色の肌。そして額から頬まで続く白い刺青。それを見て、周囲のギャラリーが沸き立つ。
「おい、あれって……」「嘘だろ……」「本物?」
男は周囲の声には一切反応を見せず、エースから目を離さない。
「私はフィールド。流浪の剣士で、勇者の称号を持っている」
そう告げたフィールドにエースは観察の眼差しを向けた。
「勇者……か」
周りの反応を見ればフィールドが真実を言っていることがわかる。
「勇者が僕たちに何のようだ?」
「……実は、さっき個室での話し合いを盗み聞きさせてもらった。そのうえで提案をさせてくれ。この私が犯人を捕まえるための囮になろう」
エースは片眉を上げる。
「そこまでするってことは、お前はパレスと仲が良かったのか?」
「まさか。アイツとは仲間ではなく、ライバルだ。
だが、何よりも勇者の立場である人間があっけなくやられたことに私は憤っている」
「囮といっても、犯人がお前を襲う保証はない。僕は何か月も君の正義感に付き合うことはできないぞ」
「君が言っていた犯人像が正しければ、今晩か明日の晩にもやって来るよ」
エースは部屋を出る最後にドラグマに説明したことを思い出す。エースは勘が鋭い方だが、盗み聞きされているとはまったく気づいていなかった。いや、エースだけでなくあの場にいたドラグマとカーレインさえ分かっていなかっただろう。
「犯人の目的は強いものを殺すことなんだろ? これまで殺された人間が勇者レベルに相当するなら、犯人は間違いなく私の命も狙うはずだ。それに――」
フィールドは周りを見る。
「普段から旅をしている私がこうして顔を出すだけで、この街全体に私のうわさは飛び交うだろう。二、三日後にはこの街を発つといえば犯人はこの機に私を殺しに来るしかない」
「……君を信頼する保証は?」
「こうして直接お前たちに話していること自体が保証だ。私は別に、独りで犯人を殺しても良いのだからな」
悠然とするフィールドはまさに勇者の風格だった。
ひとまずフィールドへの返事は保留し、エースとトルバは施設の端で話し合った。
「どうする? フィールドの言い分は確かに、犯人を捕まえるには効果的だといえる。だが、そもそも彼は信用できるのか?」
「……フィールドの評判は城内にも伝わっていたよ。少し過剰な思想の持ち主ではあるが、その正義感は本物だそうだ」
「正義感、ね……」
ありきたりでその場しのぎの方便をエースは嘲笑した。
「まあいい。そういうことなら彼の手を借りても問題はないだろう」
そしてちょうど四時を告げる鐘の音が響き渡る。
「もうこんな時間か……。僕はこのままフィールドと一緒に夜まで待ってみるよ。君はどうする?」
「俺は……」
トルバは目頭を押さえ、首を横に振った。
「さすがに少し疲れているみたいだから一度衛兵署に戻って仮眠をとるよ」
「そうか」
顔色も悪く、トルバはもう限界が近いのだろう。エースは足元がおぼつかないトルバを馬車に乗るまで付き添った。
馬車を見送った後、エースはフィールドのもとへと戻った。フィールドはバウンティセントラルの中央で堂々と短剣を研いでいる。
「話はついた。フィールド、君にはパレスを殺した犯人を捕まえる手助けをしてもらう」
フィールドは短剣を研ぐ手を止める。
「そうか。お前が話の分かる相手でよかったよ」
「管理人に頼んでバウンティセントラル周辺に人を寄り付かないようにさせてもらう。僕が近くにいると犯人が来ない可能性もあるから、離れたところで監視するつもりだ」
「別にそんなことはしなくていい。私はこの街中の人通りが少ない場所をひたすら練り歩く。そうすれば相手はいずれ私を見つけて襲ってくるはずだ」
フィールドは短剣を鞘に納めた。
「待ち伏せでは相手も警戒するかもしれない。それに、他の人を巻き添えにはできないからな」
言い分はもっともだった。しかしそれではエースは納得しない。
「だが、それでは君の噂をたてた意味がなくなる。勇者フィールドがバウンティセントラルにいるということを伝えなくてはいけないだろ」
「だったらこの施設付近の裏通りで待ち構える。君はこの施設で待ち、戦闘が始まったら応援に駆け付けるんだ」
「戦闘が始まったら? どうやってわかるんだ」
「私の魔法は大規模だからすぐに気づくはずだよ」
フィールドは立ち上がる。
「さて、こんなに君と話していては犯人に勘繰られるかもしれない。私は夜までに身体を温めておくよ。次に会うときは犯人を捕まえるときにしよう」
ずっと一方的にフィールドが提案しているが、エースの専門は謎解きで犯人を捕まえることではない。フィールドのやり方に同意してエースも夜まで待つことにした。
待ち続けること6時間。日はとっくに沈んでしまい、バウンティセントラルは管理人に頼んで閉店にしてもらっている。一時間前から雨が降り始めて夏とはいえ施設の中は少し肌寒くなっていた。
シャンデリアの光はすでに消されており、エースは机の上に置いた小さなロウソクを光源を頼りにじっとそのときを待っていた。。
「……!」
それまでゆらゆら揺れていた小さな灯だったが、急にその灯が大きく揺らぐ。
しかし揺れたのはロウソクではなく、エースの視界だった。ロウソクの線が二重にも三重にも増え、後ろの風景はグニャグニャに乱れる。
「こんな時に……」
エースは頭を押さえて歯を食いしばる。
「……ホラよ」
そのとき、目の前にホットケーキとコーヒーが差し出された。横を見ると管理人が無愛想に腕を組んで立っていた。
「モーニングしか出せねえが、ないよりマシだろ」
「……」
エースは差し出された食事を見たまま動かない。
「どうした? 食わないのか」
「いや……頂くよ。ありがとう」
管理人はフンと鼻を鳴らしてその場から立ち去って行った。
エースは差し出されたホットケーキと口に運ぶ。しっかりと咀嚼し、飲み込んだ後でコーヒーにも手を伸ばした。温かいコーヒーは肌寒さで固まっていたエースの身体をほぐしてくれた。
雨が降り続けてかなり時間がたったが、フィールドは傘もささずに路地裏の壁にもたれかかっていた。人間にとって雨は体温を奪うものだが、フィールドにとってはそれが戦いに大きく影響することはない。
何より、雨はフィールドにとって好条件だ。
周囲には使い魔を放ち、警戒は全く怠らない。使い魔は何度か人間を感知したが、殺人鬼の気配は全くなかった。
「……まさか私では力不足だとは言うまい。それとも、恐れをなしたのか?」
まだ見ぬ相手、そこにいない相手にフィールドは語りかけた。当然返事は帰ってこない。フィールドはそれでも一人で笑みを浮かべる。
その瞬間、背中に走る悪寒にフィールドは振り返った。一人で浮かべた笑みはより大きく、高揚感からあふれ出る破顔に変わった。
「お前だな……!」
フィールドは短剣を抜く。
同時刻、エースは巨大な破壊音とともにバウンティセントラルを飛び出していた。外に出ると、数百メートル離れた場所から黒煙と火の手が見える。地面は雨でぬかるんでいてちゃんと走れないが、エースは急いで火の手が上がる場所まで走り出す。
(フィールド……! やはりこれが狙いか!)
その魔法の規模は人間一人を容易く殺してしまうほどだった。
(僕に手を貸すと言ったのも公に犯人を殺す目的だった……! だから僕を現場から遠ざけたんだ!)
復讐が暗黙で許されているとはいえ、殺人は殺人だ。勇者の立場にいるフィールドならなおさら心証が悪くなる。その点、衛兵の手助けという体であれば代わりに犯人を裁いたということにもできる。
(勝手に殺させてたまるか……!)
しかし、エースは犯人の死によって事件が解決することなど望んでいなかった。
いくつも建物の角を曲がり、ようやく現場までたどり着いた。だがそこは既に火の海状態に変わっていた。
「フィールド!」
協力者の名前を呼びながら火の手をかいくぐる。すると、何か妙なものに足が躓いた。こける前にバランスを保ったが、足下に転がるそれを見て思わず絶句した。
「嘘だろ……」
そこには白銀の短剣を握った焼死体が転がっていた。真っ黒で誰かは分からないが、衣服や短剣には見覚えがある。
「フィールドか?」
焦げた服からはゴムの焦げた匂いがしている。
もっと詳しく見ようとかがみ込んだエースの視界に、建物の陰へと入る人影が写った。確信はなかったが、エースは反射的にその人影を追いかける。
「待て!」
やはり足元はぬかるんでいるが、それは相手も同じ。エースは力の限り全力で走った。既に現場まで走ってきた分、エースは雨の中の走り方に慣れており身体も温まっていた。
二人の距離は徐々に縮まり、エースは人影に向かって手を伸ばした。
その瞬間、先ほどよりも大きくエースの視界が揺らいだ。視界のすべてが暗転し、全身の力が一気に抜ける。
睡眠障害。
エースはこちらの世界に来てから二週間になるが、その間一度も寝ていなかった。336時間の脳の連続稼働に耐え切れず、エースの脳は電池切れを起こしたのだ。
(こんな時に……!)
逃げ去っていく犯人に手を伸ばしながら、エースは地面に倒れこんで長い眠りについた。
目隠しをした至高裁判官と呼ばれる女性がストレインの前に立ち、天秤を差し出す。
「汝、これより汝が述べる言葉はすべて真実であるとこの天秤に誓えるか?」
至高裁判官はストレインに尋ねる。
「はい、誓います」
ストレインは慎重に答える。
「では汝の名を告げよ」
「スカル支部のストレインでございます」
「汝は仕える主の名を告げよ」
「ノドル国、国王とその一族でございます」
その後もストレインは質問をされるが、つつがなく返答をしていく。その間、差し出された天秤は一切揺れることはなかった。
「最後に、汝は真の衛兵であると言い切れるか?」
その瞬間ストレインの頭には酒に飲んだくれた日々やエースとの出会いがよぎる。
「……はい。私はノドル国の誇る真の衛兵です」
やはり天秤が動くことはなかった。
「よろしい」
ストレインは膝をついてままさらに頭を深く下げ、聖堂の扉へと向かった。音を立てずに聖堂を出ると、目の前には車椅子に座った老人が笑いながら待っていた。
「此度もご足労だな、ストレイン」
「し、至高司令官殿!」
ストレインはすぐさま敬礼をする。
「ハッハッハ。そう畏まるな。最近じゃ国王までもワシに敬語でなんとも生きづらい時代になったものよ」
「有り難いお言葉ですが、本官は至高司令官殿に敬意を示して敬語を使わせていただきます」
「そうかそうか」
至高司令官は満足そうに嗤う。そして車椅子を動かし、ストレインに近づく。
「さて、ストレイン。ワシは今日、オヌシに聞きたいことがあって来たのだよ」
深く濁ったような瞳がストレインを見上げる。
「先日、オヌシがワシに送った密入国者の情報。黒髪に灰色の瞳をした若者のことだ。その方、対処はしたのか?」
ストレインは至高司令官がなぜエースのことを気にしているのか気になったが、まっすぐ前を向いたまま毅然として答えた。
「はい。彼は既に流刑に罰しました」
「……そうか」
至高司令官は車椅子を引き、ストレインは圧から解放された。
「時にストレイン、オヌシは魂というものを信じるか?」
「魂、ですか?」
なおも続く会話だが、至高司令官が突拍子もなく言った言葉にはすぐに理解が及ばなかった。
「いえ、本官はそのようなオカルト話は信じません」
「……なるほど。確かに魂というのは、今は無き科学の領域の話になる。信じろという方が無理な話だ」
至高司令官は独り言のように呟く。
「だがこの世界には確かに魂が存在している。身体をなくした魂は怨念として現世にとどまり続け、常に依り代を探しているのだよ。現世で好きに動くための自由な身体を……」
ストレインは譫言のように語る至高司令官に恐怖すら覚えたが、次の瞬間、また「ハッハッハ」と笑い声を上げた。
「まあ年寄りが取るに足らない奇譚を蒐集しているようなものだと思ってくれ。すまないな。オヌシには無駄な時間を取らせたよ」
「いえ、至高司令官殿が時間を割いてまで話していただき、身に余る光栄でございます!」
「なら良かったよ」
至高司令官はそのまま椅子を転がして聖堂の中へと入っていった。
ストレインは息が詰まるような間隔からようやく解放され、早くスカル街の空気が吸いたくなった。
エースとトルバは経費を使ってバウンティセントラルまで馬車で移動し、その時間は十数分程度だった。
バウンティセントラルではトルバの衛兵の制服は嫌というほど人目を惹き、同時に警戒をされているようだ。
「おい、いったいここで何をするんだよ?」
「まあ見ていろ」
警戒して動きが硬くなっているトルバをわき目にエースはブレイクダークのメンバーがたまっている酒屋の一角へと向かった。
「おい」
エースの一言でそれまで談笑していた屈強な男たちは酒を飲む手を止め、エースを鋭い目つきで睨みつけた。
「なんだよ。何か用か?」
「単刀直入に言う。お前たちのボスに合わせろ」
その言葉は酒の回った男たちの導線に一瞬で火を付けた。全員が立ち上がり、ゾロゾロとエースとトルバの周りを取り囲む。トルバでさえ身長は180センチほどあるのだが、男たちの身長はそれを大きく上回っていた。
「お前みたいなひよっ子がボスを気軽に呼ぶんじゃねえよ。それとも今ここで消されてえのか?」
衛兵がいるにもかかわらず、ブレイクダークのメンバーたちはかなり好戦的だ。
「失礼」
エースは男たちの目の前で堂々とポケットを漁り、マナグラスコープを取り出した。そして後ろのトルバから周りの男たちを順に観察していく。
トルバの周りには黒いマナが全身を覆っており、男たちはそれぞれ赤や緑といった様々な色をしている。だが男たちのマナの総量はトルバの3分の1程度しかない。
「やはり、全員が拳で語るタイプか」
エースはマナグラスコープをポケットに戻し、新ためて目のまえの男と向き直る。
「僕を殴るのは構わない。だが衛兵の彼だけは許してやってくれないか? 彼は僕に付いてい来ただけだし、何より寝不足なんだよ」
「は? おい、バカ! 何言ってんだよ!」
トルバはエースの腕を掴もうと手を伸ばすが、その腕は男たちの筋肉によって阻まれてしまう。一瞬にして男たちはエース一人を囲んでしまった。
「おい、やめろ! 乱闘は犯罪だぞ!」
しかしその声を男たちもエースも完全に無視している。
(くそっ! そいつらはお前が敵う相手じゃないだろ!)
周りを見渡しても、他のパーティーの人たちは持て囃すだけで仲介に入ろうとする人は1人もいない。
「じゃあ、まずはオレからだ」
一番エースに突っかかっていた男が名乗りを上げ、拳を高く持ち上げる。
トルバは腰の剣を抜こうと掴むが、すでに男たちの拳はエースめがけて振り下ろされていた。激しい打撃音とともに思わずトルバは目を強く瞑る。
恐る恐る目を開けると、そこには地面にうつぶせで倒れている男とその上に立っているエースがいた。取り囲んでいた他の男たちは何が起こったのか理解できずに唖然としている。
「ほら、この男は自分から先鋒を名乗り上げたんだぞ? 君たちが次に続かないとこの男の一番槍が無駄になるじゃないか」
「う、」
男たちが拳を強く握る。
「うおおおおおお」という雄たけびと共に多方面からエースに殴打が繰り出される。
しかし彼らの拳の先にはもうエースの姿はなく、お互いの拳同士がぶつかり合った。
突き指や肩の関節が外れる音でその場は騒然となった。周りを見ているギャラリーも、この光景には目を疑うほかない。
エースは拳の隙間を縫うように躱し、取り囲まれた状況から逃げ出した。
「くそっ!」
まだ身体が動く男たちはそれでもエースに立ち向かう。
(右ストレート、重心がやや左に傾いている。機を狙って羽交い絞め、重心は後ろ)
1人1人の身体の動きを観察して次に繰り出す戦法や弱点を一瞬にして割り出す。
1人目は右側にかわし、右腕を掴んで関節を極める。そしてバランスを崩したところで金的を蹴り上げた。
(これでしばらくは悶えて動けないはずだ)
2人目は油断している隙に懐に潜り込み、服の襟をつかんで大外刈りを決める。頭を椅子にぶつけさせることで受け身を取らすことも許さない。
(脳震盪……と)
すると一番最初にうつぶせにさせた男が立ち上がった。鼻血が出ているが、そのせいかアドレナリンが出ているようだ。
さらに奥には突き指をした男と肩が外れた男が立ち直りかけている。
「小僧!」
鼻血の男がズシズシと両手を下げたまま立ち向かってくる。
(こちらの攻撃を待っているか……)
男とエースの距離がお互いの拳の射程範囲に入る。その瞬間、エースは傍らの椅子を掴みんで男の顔に叩きつけた。衝撃で椅子は壊れるが、男は膝が揺らいだだけで倒れることはなかった。
「タフだね」
エースは男の背中に回る。
その声で男は振り向き、怒り狂った右のストレートを放った。だが、すっかり頭に血が上った男には、敢えて声を出して場所を教えたのもエースの作戦であることなど気づくはずもなかった。
エースは左手で男の手首をつかみ、身体を半回転させる。男の身体は宙を舞い、立ち上がろうとしていた他の男たちに投げつけられた。エースの背負い投げが綺麗に決まったのだ。
「一本」
床には五人の屈強な男が戦闘不能で、1人の細身な若者が無傷で立っている。その異様な光景は見るものすべてを唖然とさせた。
トルバでさえも圧倒的勝利をもぎ取ったエースからは近寄りがたい雰囲気を感じ取っていた。
「……まったく。椅子を壊しやがって」
しかし、一人だけがエースの前に歩み寄った。スキンヘッドにサングラスをかけた男、バウンティセントラルの管理人だった。
管理人は壊れた椅子と床に伸びているブレイクダークの男たちに目を向ける。
「……まあ、今回だけは許してやるよ」
僅かに口角を上げ管理人はエースの肩をたたいた。
それは暗にエースに感謝している証だった。
「待て」
そのとき、施設内に威圧的な声が響き渡る。
突き抜けの二階の手すりに剣を持った赤髪で細身の男がエースを見下ろしていた。エースと目が合うと、男は手すりから一歩踏み出した。
勢いよく空中を落下したかと思うと、地面につく寸前にまるで地面から押し返されるように重力加速は打ち消された。
男は音もなく着地すると、その剣をエースに向けた。
「俺はブレイクダークの会員ナンバー001。公衆の面前で随分と派手にやってくれたな」
「こうやって目立たないと出てこないと思ったからな。素直にボスを呼べって言ったときに出てきてくれれば、こんなことにはならなかったんだ」
「なるほど。貴様の狙いは俺たちのボスに会うことか。……だが残念だな。俺はブレイクダークのボスではない」
男は腰を低く落として剣を構える。
「お前は俺たちのパーティーに喧嘩を売った。そのケジメはしっかりと取ってもらうぞ」
(まずいな……)
表情は余裕を保っていたが、エースは内心焦っていた。さっきの戦いは武器も魔法も使わない、ただの拳の殴り合いだ。しかし今目の前にいる男はおそらく剣にも魔法にも長けている。
「ということはボスのナンバーは000か? まったくややこしい数字にするから勘違いしてしまったよ」
エースは大仰に肩をすくめてみせる。
「しかし、それで納得した。君程度の実力でボスだなんて、ブレイクダークは意外とたいしたことないと思っていたところだよ」
「この俺が弱いとでもいいたいのか?」
「僕はそこまでは言っていない。……あれ、ひょっとして弱いって自覚があったのか?」
エースの煽りにトルバも管理人も息をのんだ。二人だけではない。バウンティセントラルにいる全員がエースの死を直感した。
それほど001は禍々しい猛者のオーラを放っていたのだ。
「……いいだろう。ならお前に俺の全力を見せつけてやるよ。そして死よりも深い恐怖に飲み込まれるがいい」
口を開き、呪文を唱える。
「『ラス――」
「そこまで!」
激しい怒号とともに、001の行動は止まった。
001は反射的に二階の手すりを見上げる。そこには深いハットをかぶった大柄な女性がパイプをふきながら立っていた。
「もういいだろう、ドラグマ。あんたがその技を使おうと思った時点であたしらの負けさ」
「しかし――」
「しかしもかかしもないよ!」
重い声でそう言い渡され、ドラグマの身体は小さく縮こまる。ハットの女性は穏やかな口調に戻る。
「さて……そこの紳士方。ウチのバカが失礼したね。管理人、悪いけど個室をもう少し使わせてもらうよ」
「好きにしな……」
管理人が答える。
女性はエースとトルバを手招きすると、二階の奥へと消えて行ってしまった。
「……付いてこい」
ドラグマは剣をおさめ、エースとは目も合わせずに二階へと続く階段へと歩いていく。
「おい……本当に行くのかよ?」
トルバは不安そうにエースに尋ねるが、エースはそれには答えずにまっすぐドラグマについていった。
「くそっ!」
トルバもエースの後についていく。
連れてこられた部屋は衛兵署の会議室よりも三倍ほど広かった。真ん中に椅子があり、その周りにクッション性のソファが並んでいる。
部屋の奥には先ほどのハットをかぶった女性がパイプをくわえて待っていた。
「座りなさい」
女性はパイプを咥えたまま二人に指示をする、ドラグマにも背中を押され、二人はソファに腰を下ろした。
「……申し遅れたわね。私がブレイクダークのリーダー、カーレインよ」
カーレインがふうと息を吐きながら名乗ると、部屋全体を甘い香りが包む。その香りの濃さにトルバが思わず咳き込んだ。
「あら、ごめんなさい。禁煙するためにお香を改良したパイプを使いだしたんだけどね。どうもこれが癖になっちゃって」
ホホホと笑いながら、カーレインは二人に近づく。その身長は190センチほどで、身体全体的にグラマラスだ。威圧も相まって体感では巨人のようにも感じられる。
「さて、あなたたちの名前も聞かせてもらおうかしら」
カーレインがソファに座ると、体重の違いなのか深くスプリングが軋んだ。
「あ……俺はトルバといいます。スカル支部の衛兵です」
「僕はエース。バウンティセントラルに名を連ねる探偵だ」
カーレインは緊張しているトルバと余裕の表情のエースの二人を交互に見る。
「そう。じゃあ話していいわよ。私に何か聞きたいことでもあったんでしょ?」
「え?」
トルバは思わず素っ頓狂に声を上げてしまうが、慌ててその口を抑える。
「なに? どうかした?」
まるで赤子を撫でるようにカーレインは尋ねる。
「いや……さっき、エースがあなたの手下を倒したことについては何も言わないのかと……」
「だって必要ないもの」
カーレインはふうと口から煙を吐く。
「心のこもっていない謝罪を受け取ってもそれはお菓子の入っていない菓子折りのようなものよ。それよりももっと建設的な会話をすべきだと思わない? そうでしょ、探偵さん」
「ああ。まったく悪いと思っていない」
エースの飄々とした態度に扉の前に控えていたドラグマが剣に手を掛けるが、カーレインが片手をあげて制した。
「やめなさい。この個室だって管理人に無理を言っているんだから、もめ事は厳禁よ」
「……申し訳ありません」
ドラグマが下がったところでエースは前のめりになって手短に用件を話す。
「先日、勇者パレスが何者かによって殺された。死因は心臓を背後から刺されていたことによる出血死」
「ええ。有名な事件だもの、知っているわ」
「犯人の殺し方はかなり手慣れている。そこで僕たちは過去にも似たような事件がないか未解決の事件を調べ、50件ほどの事件が候補に挙がったんだ」
エースは懐から報告書の束を机の上に置いた。
「だがここにいる事件の被害者はすべてバウンティセントラルにも加盟しておらず、身寄りのいない人たちばかりだった」
「……それが、私にどう関係しているんだい?」
「犯人は勇者を殺すような人間だ。だから過去に殺された人がいるならその人たちも剣士のように戦闘に秀でている可能性が高い。だから僕は、この候補の中に非合法で剣士だった人間がいるのではないかと考えている」
トルバが驚いた表情でエースを見る。そんなことお構いなしにエースはカーレインに向かって話し続ける。
「管理人からブレイクダークの手法は聞いている。聞いたうえで、僕は君たちがバウンティセントラルに仲介手数料を取られることをよしとしない組織だとは思えないんだよ。
あるんだろ? 直接依頼者から受注して金をもらう裏の部隊が」
カーレインは机の上にパイプを置いた。
「まいったね。昔の話を掘り起こさせられちまうなんてさ」
そういうと、ネイルの入った指で報告書をつまみ上げた。そしてそれをドラグマのほうへと差し出す。
「教えてやりな。あんたなら死んだ人間のこともちゃんと覚えているでしょ」
「……はい」
ドラグマは束を受け取ると、カーレインと入れ替わりでソファに腰を下ろす。そして一枚一枚報告書を捲り、最終的に5枚の報告書が残った。
中には名前不明と表記された者もおり、それを見てドラグマは険しい顔をした。
「こいつらがお前の言うブレイクダークの裏部隊だったメンバーだ。ほかにも数人はメンバーがいたが、最後のリーダーが殺されてから直接依頼を受けるような真似はしていないよ」
「彼らの役職は?」
「剣士、もしくは闘士だ。お前の言うとおり、全員が戦いは得意だったよ」
エースは改めて報告書を確認する。
「ドラグマ、君はこの死体を確認したのか?」
「ブレイクダークのメンバーだと知られるわけにはいかないからな。遠目にしか見ていない」
「そうか……」
「だが死体を確認した諜報員の話では、全員が争った形跡もなく背後から一刺しされていたらしい」
トルバはエースの顔を見る。
「ってことは……」
「ああ、待ちかいない。同じ犯人だ」
エースは報告書の日付を確認する。どれも数か月おきに一回起きており、最後の事件から数えてパレスの死はほぼ一年のブランクが開いていた。
「ドラグマ、他にバウンティセントラルに加盟せず直接受注しているような組織はあるか?」
「ないな。そもそも組織がデカくないと依頼はこないし、そもそもこの街には俺たち以外の組織は存在しない」
「そうなると考えられるのはバウンティセントラルの人間以外に手を出したか、遺体を隠したか……いや、それだと連続性がないな」
「……それより、話はこれで終わりか?」
「そうだ。手間を取らせたな」
エースはソファから立ち上がる。
「トルバ、もう帰るぞ」
トルバは報告書をずっと見たままで、動く気配がなかった。まるで銅像のようにじっと報告書を眺めている。
「おい、トルバ?」
強めに肩を揺らすことでようやくトルバは反応した。
「……あぁ、すまない。先に出るよ」
首を振って手元の資料をまとめると、素っ気なくトルバは部屋から出て行った。
「ちょっと香の香りがキツかったかねえ」
カーレインは申し訳なさそうに言った。だがエースはトルバが二人に挨拶もなしに去っていくことが意外だった。
「おい、エース」
ドラグマがエースを呼び止める。
「本当にパレスを殺したのは俺たちの仲間を殺した犯人と同一犯なのか?」
「手口と動機が似ているからな。可能性は高い」
「動機? 何の動機だ?」
「パレスの死体には金目のものが残っていて、他に争った形跡もなかったから金目的や恨みという可能性は少ない。的確に心臓を貫き、相手の命だけを奪っていった。暗殺という可能性も考えたが、それなら自殺や事故に見せかけるはずだ」
「だから動機って何なんだよ。もったいぶらずに教えろ」
ドラグマがエースに詰め寄る。
「……考えられるのは、ただの殺人衝動だよ。それも強者のみを狙った殺人だ。僕も過去に似たような快楽殺人者を追い詰めたことがあるが、彼の望みは結局分かることはなかった。だが、彼は強者を見抜く力だけに長けており、その人間を殺すことだけを生きがいとしていた」
「じゃあアイツらは……ワケの分からねえ奴の快楽のために殺されたのかよ」
ドラグマは気分が悪くなったように頭を抑え、壁にもたれかかった。
「……僕も理不尽だと思うよ」
それは慰めの言葉か、ありのままの事実を言ったのか。
エースはカーレインにお辞儀をすると、トルバを追いかけて部屋から出て行った。
部屋に残ったドラグマの脳裏にはかつての旧友との会話が思いだされていた。
『目的は血だ。俺も同類だからよくわかる。弱者が死ぬのは自然の理だ。……だが、こいつの手口だけはどうも許容できない。闇討ちで、しかも一方的な攻撃だ』
『だとしても犯人を追うのは禁止だ。世間にばれるような行為ブレイクダークの規則に反する』
ドラグマは友人の肩に手をのせるが、友人はそれを払いのけた。
『なら俺はこの組織を抜けてでも犯人を見つけ出して、この手で殺してやる』
そう言って友人はドラグマの前から姿を消した。
次にその友人の姿を見たときは、野ざらしで雨に打たれながら衛兵に連れていかれていた。
遠目から見ても友人はあっさりと殺されていて、ドラグマはその亡骸に駆け寄ることも葬ることも出来なかった。
「なに、考えているんだい」
カーレインの声によってドラグマは回想から現実に引き戻される。
「いえ、俺は……」
カーレインはドラグマの抱えている葛藤に気づいていた。しかし、その葛藤の原因となっているのが自分自身だと言うことにも気づいていた。
(まったく……不器用な男だよ)
カーレインは芳醇な香りを吐くと共に、ドラグマに語りかける。
「ドラグマ――」
部屋を出たエースは階段下で座り込んでいるトルバのもとへと向かった。
「おい、大丈夫か?」
今度は最初から肩を揺らして尋ねる。しかしそれでもトルバの反応は薄かった。
「……大丈夫だ。気にするな」
力なくつぶやくと遙か遠くを見るような目になる。心ここにあらずといった様子だ。
さっきまでの騒動もあり、二人はバウンティセントラルにいる人たちから多くの視線が注がれている。下手に目立つわけにもいかず、エースはトルバの腕をつかんだ。
「ひとまず戻るぞ。情報は手に入れたからここにいる必要もない」
トルバもゆっくりと立ち上がり、出口へと向かうエースに付いていく。
そんな二人の前にフードをかぶった褐色の男がいきなり立ちはだかった。フードの奥から黄色の双眸がエースを見据える。。
「お前たちはパレスの犯人を捜しているんだろ」
男は低い声でそう尋ねた。
「そうだが……。君は?」
エースの問いに男はフードを外した。
オールバックにした黒髪に褐色の肌。そして額から頬まで続く白い刺青。それを見て、周囲のギャラリーが沸き立つ。
「おい、あれって……」「嘘だろ……」「本物?」
男は周囲の声には一切反応を見せず、エースから目を離さない。
「私はフィールド。流浪の剣士で、勇者の称号を持っている」
そう告げたフィールドにエースは観察の眼差しを向けた。
「勇者……か」
周りの反応を見ればフィールドが真実を言っていることがわかる。
「勇者が僕たちに何のようだ?」
「……実は、さっき個室での話し合いを盗み聞きさせてもらった。そのうえで提案をさせてくれ。この私が犯人を捕まえるための囮になろう」
エースは片眉を上げる。
「そこまでするってことは、お前はパレスと仲が良かったのか?」
「まさか。アイツとは仲間ではなく、ライバルだ。
だが、何よりも勇者の立場である人間があっけなくやられたことに私は憤っている」
「囮といっても、犯人がお前を襲う保証はない。僕は何か月も君の正義感に付き合うことはできないぞ」
「君が言っていた犯人像が正しければ、今晩か明日の晩にもやって来るよ」
エースは部屋を出る最後にドラグマに説明したことを思い出す。エースは勘が鋭い方だが、盗み聞きされているとはまったく気づいていなかった。いや、エースだけでなくあの場にいたドラグマとカーレインさえ分かっていなかっただろう。
「犯人の目的は強いものを殺すことなんだろ? これまで殺された人間が勇者レベルに相当するなら、犯人は間違いなく私の命も狙うはずだ。それに――」
フィールドは周りを見る。
「普段から旅をしている私がこうして顔を出すだけで、この街全体に私のうわさは飛び交うだろう。二、三日後にはこの街を発つといえば犯人はこの機に私を殺しに来るしかない」
「……君を信頼する保証は?」
「こうして直接お前たちに話していること自体が保証だ。私は別に、独りで犯人を殺しても良いのだからな」
悠然とするフィールドはまさに勇者の風格だった。
ひとまずフィールドへの返事は保留し、エースとトルバは施設の端で話し合った。
「どうする? フィールドの言い分は確かに、犯人を捕まえるには効果的だといえる。だが、そもそも彼は信用できるのか?」
「……フィールドの評判は城内にも伝わっていたよ。少し過剰な思想の持ち主ではあるが、その正義感は本物だそうだ」
「正義感、ね……」
ありきたりでその場しのぎの方便をエースは嘲笑した。
「まあいい。そういうことなら彼の手を借りても問題はないだろう」
そしてちょうど四時を告げる鐘の音が響き渡る。
「もうこんな時間か……。僕はこのままフィールドと一緒に夜まで待ってみるよ。君はどうする?」
「俺は……」
トルバは目頭を押さえ、首を横に振った。
「さすがに少し疲れているみたいだから一度衛兵署に戻って仮眠をとるよ」
「そうか」
顔色も悪く、トルバはもう限界が近いのだろう。エースは足元がおぼつかないトルバを馬車に乗るまで付き添った。
馬車を見送った後、エースはフィールドのもとへと戻った。フィールドはバウンティセントラルの中央で堂々と短剣を研いでいる。
「話はついた。フィールド、君にはパレスを殺した犯人を捕まえる手助けをしてもらう」
フィールドは短剣を研ぐ手を止める。
「そうか。お前が話の分かる相手でよかったよ」
「管理人に頼んでバウンティセントラル周辺に人を寄り付かないようにさせてもらう。僕が近くにいると犯人が来ない可能性もあるから、離れたところで監視するつもりだ」
「別にそんなことはしなくていい。私はこの街中の人通りが少ない場所をひたすら練り歩く。そうすれば相手はいずれ私を見つけて襲ってくるはずだ」
フィールドは短剣を鞘に納めた。
「待ち伏せでは相手も警戒するかもしれない。それに、他の人を巻き添えにはできないからな」
言い分はもっともだった。しかしそれではエースは納得しない。
「だが、それでは君の噂をたてた意味がなくなる。勇者フィールドがバウンティセントラルにいるということを伝えなくてはいけないだろ」
「だったらこの施設付近の裏通りで待ち構える。君はこの施設で待ち、戦闘が始まったら応援に駆け付けるんだ」
「戦闘が始まったら? どうやってわかるんだ」
「私の魔法は大規模だからすぐに気づくはずだよ」
フィールドは立ち上がる。
「さて、こんなに君と話していては犯人に勘繰られるかもしれない。私は夜までに身体を温めておくよ。次に会うときは犯人を捕まえるときにしよう」
ずっと一方的にフィールドが提案しているが、エースの専門は謎解きで犯人を捕まえることではない。フィールドのやり方に同意してエースも夜まで待つことにした。
待ち続けること6時間。日はとっくに沈んでしまい、バウンティセントラルは管理人に頼んで閉店にしてもらっている。一時間前から雨が降り始めて夏とはいえ施設の中は少し肌寒くなっていた。
シャンデリアの光はすでに消されており、エースは机の上に置いた小さなロウソクを光源を頼りにじっとそのときを待っていた。。
「……!」
それまでゆらゆら揺れていた小さな灯だったが、急にその灯が大きく揺らぐ。
しかし揺れたのはロウソクではなく、エースの視界だった。ロウソクの線が二重にも三重にも増え、後ろの風景はグニャグニャに乱れる。
「こんな時に……」
エースは頭を押さえて歯を食いしばる。
「……ホラよ」
そのとき、目の前にホットケーキとコーヒーが差し出された。横を見ると管理人が無愛想に腕を組んで立っていた。
「モーニングしか出せねえが、ないよりマシだろ」
「……」
エースは差し出された食事を見たまま動かない。
「どうした? 食わないのか」
「いや……頂くよ。ありがとう」
管理人はフンと鼻を鳴らしてその場から立ち去って行った。
エースは差し出されたホットケーキと口に運ぶ。しっかりと咀嚼し、飲み込んだ後でコーヒーにも手を伸ばした。温かいコーヒーは肌寒さで固まっていたエースの身体をほぐしてくれた。
雨が降り続けてかなり時間がたったが、フィールドは傘もささずに路地裏の壁にもたれかかっていた。人間にとって雨は体温を奪うものだが、フィールドにとってはそれが戦いに大きく影響することはない。
何より、雨はフィールドにとって好条件だ。
周囲には使い魔を放ち、警戒は全く怠らない。使い魔は何度か人間を感知したが、殺人鬼の気配は全くなかった。
「……まさか私では力不足だとは言うまい。それとも、恐れをなしたのか?」
まだ見ぬ相手、そこにいない相手にフィールドは語りかけた。当然返事は帰ってこない。フィールドはそれでも一人で笑みを浮かべる。
その瞬間、背中に走る悪寒にフィールドは振り返った。一人で浮かべた笑みはより大きく、高揚感からあふれ出る破顔に変わった。
「お前だな……!」
フィールドは短剣を抜く。
同時刻、エースは巨大な破壊音とともにバウンティセントラルを飛び出していた。外に出ると、数百メートル離れた場所から黒煙と火の手が見える。地面は雨でぬかるんでいてちゃんと走れないが、エースは急いで火の手が上がる場所まで走り出す。
(フィールド……! やはりこれが狙いか!)
その魔法の規模は人間一人を容易く殺してしまうほどだった。
(僕に手を貸すと言ったのも公に犯人を殺す目的だった……! だから僕を現場から遠ざけたんだ!)
復讐が暗黙で許されているとはいえ、殺人は殺人だ。勇者の立場にいるフィールドならなおさら心証が悪くなる。その点、衛兵の手助けという体であれば代わりに犯人を裁いたということにもできる。
(勝手に殺させてたまるか……!)
しかし、エースは犯人の死によって事件が解決することなど望んでいなかった。
いくつも建物の角を曲がり、ようやく現場までたどり着いた。だがそこは既に火の海状態に変わっていた。
「フィールド!」
協力者の名前を呼びながら火の手をかいくぐる。すると、何か妙なものに足が躓いた。こける前にバランスを保ったが、足下に転がるそれを見て思わず絶句した。
「嘘だろ……」
そこには白銀の短剣を握った焼死体が転がっていた。真っ黒で誰かは分からないが、衣服や短剣には見覚えがある。
「フィールドか?」
焦げた服からはゴムの焦げた匂いがしている。
もっと詳しく見ようとかがみ込んだエースの視界に、建物の陰へと入る人影が写った。確信はなかったが、エースは反射的にその人影を追いかける。
「待て!」
やはり足元はぬかるんでいるが、それは相手も同じ。エースは力の限り全力で走った。既に現場まで走ってきた分、エースは雨の中の走り方に慣れており身体も温まっていた。
二人の距離は徐々に縮まり、エースは人影に向かって手を伸ばした。
その瞬間、先ほどよりも大きくエースの視界が揺らいだ。視界のすべてが暗転し、全身の力が一気に抜ける。
睡眠障害。
エースはこちらの世界に来てから二週間になるが、その間一度も寝ていなかった。336時間の脳の連続稼働に耐え切れず、エースの脳は電池切れを起こしたのだ。
(こんな時に……!)
逃げ去っていく犯人に手を伸ばしながら、エースは地面に倒れこんで長い眠りについた。