二章 天使と居候

 バウンティハンターのたまり場は賑わっている蚤の市の奥にあった。大通りの端にいくつも露天が並んでおり、外国からの輸入品や手作りの料理の匂いで溢れかえっている。
 道行く人々に声を掛けてここまで辿り着いたハジメだったが、鼻腔をくすぐる香りに耐えながら「Bounty Central」と書かれた看板の建物に入った。
 中には身体中に生傷を負った半裸の男たちや、派手な刺青を入れた女が昼間から酒を浴びるように飲んでいた。他にも甲冑を着た剣士や目深にハットをかぶった魔法使いがいる。彼らは酒ではなく、大きなボードに張られた掲示板を見ていた。
 ハジメは人込みを掻き分け、掲示板の隣の窓口にいるスキンヘッドの男の元へと歩いて行った。サングラスのような黒い色眼鏡を掛けており、カタギの人間には見えない。
「君がこの施設の管理人か?」
 管理人は片眉を上げてハジメを見ると、一枚の羊皮紙を差し出した。
「そこに名前を書いて出せ」
 そう短く命令する。
 その紙には契約書と書かれている。記入欄には名前と住所の枠しかない。
「この住所だが、僕はいま宿なしだから書かなくてもいいか?」
「……なら契約は無理だ」
 管理人は差し出した羊皮紙を取り上げた。
「ちょっと待ってくれ、いずれ金を得たらどこかに宿を取る。その金を得るために住所が必要なんだよ」
 管理人はサングラスの奥から睨み付けるようにハジメを見た。
「お前、密入国者か?」
 突然の質問にハジメは言葉を失う。
「……まあいい。どちらにせよ、住所不定者に登録はさせられねえ」
 サングラスを人差し指で押し上げると、椅子の背もたれにもたれかかった。
「どうしても職を得たいなら、あの集団に聞け」
 そして昼間から酒を飲んでいるガラの悪そうな連中を指さした。よく見ると周りの剣士たちも彼らのことは遠巻きに煙たそうに見ている。
「彼らは何なんだ。あまり好かれてはなさそうだが」
「ブレイクダークというクランパーティーだ」
 パーティーの名前にハジメは
(ネーミングセンスがイマイチだな) 
 と呆れかえる。
 全員が真っ黒な服を着てチームカラーを統一しているようだが、ドクロの指輪やネックレスと言った奇抜な装飾品のせいでダサさが隠しきれていない。しかし、それでもかなり多くのメンバーを抱えているようだ。
「あの集団に聞けというのはどういうことだ? 彼らもここでバウンティハンターをしているんだろ」
「あいつらはゴロツキだよ。だが手下になることを条件に、宿を貸してくれる」
 口数は少ないが、管理人の説明でハジメはおおよその見当がついた。ブレイクダークは密入国者や孤児を集め、宿を提供する代わりに仲間を増やしていったのだ。そして数の暴力でこの施設自体を牛耳っているのだろう。
 管理人の口ぶりからしても、周りからは好かれていないことが伺える。
(毒を以て毒を制すか……。世界が違ってもああいう輩はいるものだな)
 ハジメは諦めて首を横に振った。
「なら宿を見つけてまた来ることにするよ。彼らの手は借りないから安心しな」
 管理人は何も言わなかったが、フンと鼻を鳴らしてハジメを見送った。
 ハジメはバウンティセントラルを出て蚤の市を通る。濃度の高い食事の香りがハジメの腹の虫を騒がせるが、あいにくハジメにはこの世界で使える金も物々交換できる代物もない。
 宿を見つけるとは言ったものの、今のハジメには宿を見つけるほどの当てがない。ストレインに助けを求めることも考えたが、別の衛兵がハジメに戸籍がないことに気付かれても困る。
(衛兵に手を借りるのはリスキーだな……)
 ハジメは取り敢えず街中を歩き回ることにした。
 この世界に四季があるかどうかも分からないが、夜になるとハジメの着ている薄手のシャツだけでやり過ごせないことくらいは想像がつく。宿はともかく、寒さをしのげるような場所を見つける必要があった。
 表通りから裏通りまでくまなく散策し、地形を覚えながら寒さをしのげる場所を探す。
  そして、ハジメの視界に看板の外れた怪しげな店が飛び込んできた。看板には「Crystal Magic」と掠れた文字で書かれている。際立って気を引くようなものはないのだが、二階の堅く締め切った窓を見てハジメは店の中に入ることを決めた。
 カランコロンと扉に備え付けられた鈴の音を鳴らし、ハジメは店内に入る。
「…………………………え?」
 長い沈黙ののち、店の奥にいた黒縁メガネの女性は「いらっしゃいませ」とも言わずにただ驚きの表情をハジメに向けていた。
「え、うそ、お客さん……? 半年以上誰も来てなかったのに……しかも男の人……」
 白衣のような上着の袖で顔を隠したりと女性の狼狽する姿をハジメはただじっと観察していた。
(化粧無し、髪の手入れ無し、実家暮らしでそこそこ裕福な家庭のようだな)
 わちゃわちゃと慌てふためいたのち、女性は店の奥へと逃げ込んだ。ハジメがどうしようかと悩む間もなく、女性はすぐに奥から戻って来る。その手には手作りと思わしき人形が握られていた。
 女性はハジメと目も合わせずにカウンターの下に潜り込み、人形だけをカウンターの上に出す。
「こんにちわ! 私はクリスタっていうのよ!」
 人形の口をパクパクと動かしながらカウンターの下からそう名乗った。どうやらただの人形ではなく、パペット人形のようだ。
「……」
 ハジメは黙ってクリスタの奇行を見つめる。
「こんにちわ! 何か御用かしら!」
 先ほどまでの臆病な雰囲気とは違い、人が変わったように快活でハキハキと喋っている。
 ハジメはカウンターに近づき、カウンターの縁にいる人形を鷲掴みにした。人形の中のクリスタの細い手がジタバタと暴れる。
「や、やめてください……。お願いです私はこの人形を通さないと人と話せないんです人見知りなんですコミュ障なんです許してください!」
 あまりに必死な様子にハジメは呆れた。ゆっくりと手を離すと警戒されないように後ろに下がる。
「悪かったよ。おちょくられているだけかと疑っただけだ」
 クリスタは皺だらけになった人形をヨシヨシと撫でた後、再び人形をカウンターの上に出す。
「まったく失礼しちゃうわ! レディの身体を勝手に触るなんてどんな教育を受けてきたのかしら!」
「あいにく僕はまともに教育を受けたことがないんだよ」
 ハジメは適当に答えながら棚に並べられたフラスコや小瓶に詰められた薬品を見る。カウンターの上に目を移すと、そこにもビーカーに入れられた何かの薬液が入っていた。
「ここは薬屋か?」
 尋ねると、クリスタ人形が呆れたように肩をすくめて首を横に振った。何とも生意気な態度だが、ハジメは人形をむしり取る衝動を抑える。
「そんなことも知らずに入ってきたの? ここは単なる薬屋じゃなくて、研究施設よ。今は廃れた科学技術を取り戻すためのラボラトリ―! まあ、他所からはオカルト施設だって嫌われてるけどね……」
「科学? この世界では科学が無くなったのか?」
「何言ってるのよ。科学が世界を席巻していたのは15世紀よりも昔の話しよ。私はその科学を復興させるためにこうして実験を行っているの」
 ハジメは眉を顰め、カウンターに歩み寄る。
 近づいてくる足音にクリスタはカウンターの下で縮こまるが、足音はすぐに遠ざかっていった。おそるおそるクリスタが顔を出すと、ハジメはカウンターの上にあった薬品の入った容器を手に持っていた。
「何して…………」
 クリスタはハッと何かに気付き、慌ててカウンターの下に戻ると再び人形に代弁を任せる。
「ちょっと、何してるのよ!」
 クリスタの声など聞こえていないように、手で仰ぐようにして薬品の匂いを嗅ぐ。
「……やはり、アンモニア水か」
 鼻を突くような独特の刺激臭を間違えるはずもない。
「違うわよ! それは『エトーザ』の原液! アンモニアとかいう変な名前の液体じゃないわ」
「『エトーザ』?」
「そうよ。その煙を吸い込んだ人間は息ができなくなってしまうとても危険な代物なの。いいから早くその原液をカウンターに戻しなさい!」
 ハジメは言われたとおり容器をそっとカウンターに置く。
「っていうかあなた、この店にそんないちゃもんを付けに来たの?」
「ああ、そうだったな。僕はそんなことを言いに来たんじゃなかったよ」
 ハジメは店を見渡し、二階へと続く階段を見つけて指さす。
「この店は二階もあるんだろ? さっき外から窓を見たが、随分と開いていないようだったんだ」
「ほとんど物置として使ってるからね。使わなくなったいろんなものが置いてあるの」
「君はここに住んでいないのか?」
「私はちょっと離れた場所で両親と暮らしているわ。ちょっと……この会話何か関係あるの?」
「もちろんだ」 
 ハジメはクリスタに一歩近づく。
「ちょうど僕は宿を探していてね。どうだろう、家賃は払うから僕をこの店の二階に住まわせてくれないか」
「ええ……」
 そういったのはクリスタ人形ではなく、クリスタ本人だった。突拍子もない提案に思わず素が出てしまっている。
「君が望むならこの店の手伝いだってする。給料はなしでいい。夜は君が実家に帰ってしまうなら、戸締りだって不安だろう。それも僕がいれば安心だ」
 クリスタは見るからに押しに弱い女性だ。その性格を利用することに後ろめたさはあるが、この世界で生きるために必要なことだからと割り切っていた。
「じゃ、じゃあ……」
 クリスタはカウンターから目から上だけを覗かせる。
「あなたがこの店で働けるかを、テストします……。この紙に書いてるものを持ってきてください。そうすれば、あなたがここに住むことを許します」
 再びカウンターの下に隠れ、手元の紙にペンを走らせる。そしてクリスタ人形に持たせた羊皮紙をハジメに手渡した。
「……そうきたか」
 受け取った紙に書かれた名前はハジメが知るはずもないものだった。先ほどの『イゾート』のくだりでクリスタはハジメが魔法に詳しくないことを察していたのだろう。
(思ったよりも聡明だな。このテストで落として体良く断ろうという算段か)
 ハジメは紙を握って頷いた。
「分かった。いつまでに持ってくればいい?」
 ハジメの問いにクリスタ本人ではなく、クリスタ人形が答える。
「今日私がこの店を閉めるまでよ! いいこと、一秒でも送れたらテストは不合格だからね!」
 クリスタ人形の丸い手がハジメをビシッと指さす。
 人形でそれほど横柄な態度がとれるのならハッキリと断れるだろう、と思うハジメだったが、それをしないのはクリスタが心のどこかでこのテストに意味を持たせているのだ。
(このテストも絶対に解けないというわけでもなさそうだ)
時間内に全く知らないものを持ってくることは不可能に近いテストだが、ハジメには可能にするための手がかりがあった。
「分かったよ。店を閉まるのは何時頃だ?」
「日が沈むと同時にこの店を閉める予定だから、あと1時間と30分くらいね」
「90分か。なら君も、絶対に予定より早く店を閉めるんじゃないぞ」
「当たり前でしょ! 私はそんな不正はしません!」
 再びカランコロンと鈴の音を鳴らしながらハジメは店の外へと出た。