最終章 ハサルシャムと真実
 
 翌日、フェレスとエースはバウンティセントラルにやってきていた。いつも露店が並んでいるバウンティセントラルの正面入り口には露店の代わりに多くの人だかりができている。
 二人は人だかりから少し離れた場所で待っていた。
 やがてバウンティセントラルから四頭の馬が大きな台車を引いて現れた。台車は神輿のように金や銀で装飾され、中心には結晶漬けにされたパレスが眠っていた。
「それにしても、よく城内の衛兵本部がこんな催し事を率先して行ってくれたわね」
「これもスカル街の住民たちを鎮めるためのパフォーマンスだと思えば納得だろ。結局パレスは本調子でないにも関わらず悪党と最後まで戦ったという誉を与えられたんだからな」
「事実とは違うけど、それで住民たちが納得するなら私たちが口出しすることではないわね」
 パレスを見送る市民たちは皆拍手で送っているが、中には涙を流しながらも必死に笑顔を作ろうとする人もいる。この街における勇者がいかに偉大な存在だったのかをエースは再認識した。
「ただフィールドの遺体が生前の姿を保っていないのは残念ね。フィールドだってこうして盛大なお葬式で見送られるべきだもの」
「それならおそらく大丈夫だろう」
 エースはフェレスト目を合わせるために首を少しだけかしげる。
「以前俺たちが捕まえたクワトロって男を覚えているだろ。自分の死体を偽造した男だ。彼にフィールドの遺体を偽造させることで形上の式をするつもりらしい」
「それホント?」
「噂だけどな」
「……またドラグマが嘘を流してるんじゃないの?」
 エースは鼻で笑った。
「あ、いたいた!」
 人ごみを抜け、エースの元へと二人の男女が駆け寄る。パレスのパーティーメンバーのリーアとウルクだ。
 エースとフェレスは思わず顔を背ける。以前会った時は二人とも変装をしており、パレスの元仲間として情報を聞き出していた。
「ちょっと、どうするの!」
 フェレスは小声でエースに訴える。こればかりはエースも予想していない展開だった。
「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。貴方たちが探偵だっていうことはもう知っていますから」
 ウルクは優しく二人に言葉をかけた。
「え?」
「ホラ、貴方たちブレイクダークの人たちをあっという間に倒したり、幹部の人と凄い喧嘩をしていたでしょ? 私たち、あの場所にいたのよ。気づかなかった?」
 ブレイクダークの手下たちを倒したときフェレスはいなかったが、どちらも観衆の一人一人に気を配る暇などなかった。
「……騙していたことは謝る。だが、ああでもしなければ実のある情報を得られなかったからだと理解してほしい」
「ホントそうよ。私たちパレスの元メンバーって聞いてすごく喜んでたんだからね!」
 そう言ったリーアは笑っていた。
「そうですね。騙されたことはちょっと怒っています」
(ちょっとなんだ……)
 フェレスはウルクの寛容さに驚き半分呆れていた。
「でも今回はお礼を言いに来たんですよ」
 ウルクは自分たちが首に掛けているペンダントと、水晶の中でパレスが首元からかけているペンダントを指さした。
「あれは僕たちのパーティーがつけていたエンブレムなんです。パレスの所持品として衛兵に押収されてしまったと思っていたんですが、貴方がパレスにかけてくれたんですよね」
「さっき衛兵の人に聞いたら最初からつけていたって言ったのよ。おかしいでしょ? パレスが水晶漬けにされた後でペンダントを渡したのに、これって誰かがわざわざ安置所にまで行ってペンダントを掛けてくれたのよ」
「正直衛兵がそんな気の利くようなことをしたとは思えないので、僕たちはおそらく、貴方じゃないかって考えたんです」
 エースは水晶を見ながら笑い声を漏らした。
「面白い発想力だ。君たちは賞金首より物書きを目指した方がいいんじゃないか?」
 フェレスはエースを呆れるように見上げた。リーアとウルクは顔を見合わせ、笑みを浮かべる。
「そうですね。じゃあパレスの英雄譚でも書きますよ」
 清々しく、爽やかにウルクは笑った。
 パレスを乗せた荷台はゆっくりと大通りの角へと差し掛かる。もう四人の位置からでは見ることはできない。
「じゃあ、僕たちはこれで」
「ありがとうございました」
 二人は深々とお辞儀をして、パレスを追うように走って行った。
 フェレスはエースの裾を引っ張る。
「それで? 本当のところはどうなの?」
「……少し考えたんだよ。押収されてもペンダントはいずれあの二人の元に戻る。そのとき彼らは再びパレスの死を実感するだろうし、一つだけペンダントが誰の首にも掛けられないのはいかがなものかと思っただけだ。三人が同じエンパレスのブレムのペンダントをつけていたのはあの二人と出会ったときに気づいたからな」
 エースはリーアとウルクに会った後、衛兵署からパレスのペンダントをこっそり盗みだし、遺体を確認したついでに首から掛けておいたのだ。
「へえ~。アンタなりに結構考えてるじゃない」
「ただ衛兵には証拠品の扱いがお粗末だって言う必要があるな」
 そう言ってエースは踵を返し、バウンティセントラルを後にした。


 ノドル大聖堂は国王も礼拝に来るほど高名な寺院で、毎年城内の人たちも参加する行事も行っている。しかし神父の意向で寺院自体は城内ではなくスカル街に属していた。国王は何度も城壁を伸ばしてノドル大聖堂を城内に入れることを打診していたが、神父がそれを頑なに断ったのだ。
 理由は城内で豊かな生活を送っている人々よりもスカル街に生きる人々のほうが寺院を求めているとのことだった。
 そしてその神父のおかげでドラグマは今日もこうしてノドル大聖堂の霊園に足を運ぶことができている。
「隠居している身としては、ありがたいねえ。神父のような博愛主義の権力者が増えればこの国も安泰だろうに」
 カーレインもまた、ドラグマと共に霊園に訪れていた。
 元より二人とも普段から黒色をコーデにした服装をしているが、今日はフォーマットな喪に服したデザインの服を着ていた。カーレインは花束を持っており、ドラグマは後ろからカーレインに日傘をさしている。
 二人は霊園の端にある墓まで行った。そこには新しい墓石が置かれており、研磨された輝きを放っている。
「あら……随分とかっこよくなったわね」
 カーレインは膝をつき、花束を添えた。
「それに、名前も入りました」
 墓石には五人の名前が書かれている。
ドラグマは地面に膝をつき、その文字を指でなぞった。
「……安らかに眠ってくれ」
 二人は黙祷をする。街から外れた霊園は静かで、小鳥のさえずりがよく聞こえてくる。
 黙祷を終えたのを見計らい、二人のもとに足音が近づいてきた。
「名前は刻めたのか?」
 ドラグマが振り返ると、エースとフェレスがいた。
「ああ。これでコイツらもようやく弔えたよ」
 エースはドラグマの腕を見る。
「腕はもういいのか?」
「俺たちのパーティーには腕の立つ魔法使いが大勢いるからな。治癒魔法だって一級品だよ」
「よかったら貴方も見てもらいなさい。聞いたわよ、ドラグマに容赦なく殴り倒されたんだって?」
 エースは乾いた笑いで返す。
「それなら大丈夫だ。僕もドラグマの狙いが分かって倒された演技をしていただけだからな」
「言うじゃねえか。何なら今ここで再戦してもいいんだぜ」
 ドラグマは不敵に笑う。
「いいわね。ここなら負けた方はすぐに埋葬してくれるわよ」
 カーレインは冗談を良いながらパイプを咥え、ドラグマから日傘を受け取る。
「ドラグマ、私は神父と話をしてくるから貴方は探偵さんと少し話をしてなさい。それと探偵さん、貴方には心から感謝しているわ」
 エースはカーレインの差し出した手と固い握手を交わした。
「じゃあね、お嬢ちゃん」
 そしてフェレスの頭を軽く撫で、カーレインは教会の方へと向かった。
 フェレスは嫌そうに撫でられた頭を抑える。
「……エース。俺からも礼を言わせてくれ。お前のおかげで俺もボスも仲間にちゃんと別れを告げることができた。本当に、ありがとう」
「僕も君には感謝しているよ。君は殺したいほど恨んでいるはずのトルバを自ら断罪しなかった。ストレインやトルバ自身のことを考えると、君の判断は彼らの救いになったはずだ」
 ドラグマは首を横に振った。
「それは違う。俺は今でもアイツを殺さなかったことを後悔しているし、もし逆の判断をしても俺は後悔をしていただろう。相手のことなんてこれっぽっちも考えていなかったんだ」
「それでも結果は君のおかげだ。君はそれを誇っていい」
 エースの力強い説得にドラグマは鼻をこすって照れ笑いを浮かべる。
「それに聞いたわよ。今度からアンタとスピンがパーティーを組むんでしょ?」
「……知っていたのか。
スピンは今回の事件を契機に賞金首として復帰する覚悟ができたらしくてな。俺も派手に暴れてしまったせいで表舞台に立つ羽目になったから、この際一緒に組もうっていう話になったんだ」
「いいじゃない。スピンもアンタなら気兼ねなく高威力の魔法を使えるようになるでしょ」
 ドラグマは満足気に頷いた。
「そうなることを願っているよ」
「それもまた、君が導いた結果だよ」
 エースはドラグマに右手を差しだした。
「君のパーティーはあまりいい噂を聞かないが、君個人には感謝と敬意を示そう」
 ドラグマは差し伸ばされたエースの手を見て、鼻で笑うとその手を払った。
「俺を懐柔しようとしてもそうはいかない。お前と決着をつけない限り、お前と握手はしないことにするさ」
 そう言って拳を突き出した。エースも笑みを浮かべ、お互い拳をぶつける。
「じゃあ僕はいくよ。まだ寄るところがあるんでね」
 エースは別れを告げ、フェレスとともに踵を返して歩き出した。ドラグマは何も言わぬまま二人が去っていくのを見つめていた。
「……ちなみに、ドラグマとの戦いは本気じゃなかったの?」
「想像に任せるよ」
 フェレスはおかしそうに笑う。

 
「♪~、~」
 机に置いたギターを指で弾きながらストレインは鼻歌を歌っていた。しかし鼻歌にしてはトーンが低く、バラードのように哀しげだ。
「ご機嫌だな」
 振り返るとエースが扉の前に一人で立っていた。
「そう見えるか?」
 ストレインは胸ポケットから小さな酒瓶を取り出して喉に流し込んだ。顔も赤く火照っている。
 部屋の中は綺麗に掃除されており、荷物は木箱の中に纏められていた。その木箱には『トルバ』と書かれている。おそらくストレインが弾いていたギターもトルバの物なのだろう。
「禁酒は止めたのか」
「止めねえよ。酒飲みが休肝日を作るように、禁酒しててもどこかで飲酒日を作らなきゃいけないんだよ」
 そう言って酒瓶をエースに向けた。
「……やめとくよ。僕は未成年だ」
「そうか……。不憫なもんだな。辛いことがあっても気を紛らわせることができないなんてよ」
「若いうちから逃げるを選択肢に入れるようじゃロクな大人にはならないからな」
 ははは、と乾いた笑いでストレインは応えた。
「……俺は昔から逃げ続けたから何も言えねえな。確かに俺はロクな大人じゃない。部下一人止められなかった案山子みてえな男だよ」
 エースはその言葉を否定も肯定もしなかった。ストレインは胸中の吐露を続ける。
「トルバのことは昔から知っている。どこまでも熱く、必死な奴だったよ。誰よりもこの街を愛していた。あいつはこの街の……救世主になるはずだったんだ」
 ストレインの手から酒瓶が落ちる。残りわずかだった酒はマットに小さなシミを作った。
「なのにどうして……どうして人殺しなんてしちまったんだよ! どうして俺は気づけなかったんだよ! どうして俺は……!」
 皴の刻まれた目元から大粒の涙が零れ落ちた。一緒にストレインも崩れ落ち、膝をつく。
「……正直言うと、俺はお前を責めたい。……どうしてトルバが犯人だなんて言ったんだ。スピンを犯人にしておけば、万事うまくいったんじゃないのか?」
「……今のは聞かなかったことにしてやる。今のは酒の勢いで言った世迷言だ」
「違う。俺は素面だよ」
 エースは深いため息をついた。
「あいつは……自分がやったんじゃないって言っていた。頭の中で声がしたんだって。真犯人は別にいるはずなんだ。どこかに精神系の魔法を使える奴が……」
「もうあきらめろ」
 ストレインを見下ろし、はっきりと告げる。
「トルバにも葛藤はあったはずだ。だが彼は自首ではなく、犯人を偽装することを選んだ。その時点で彼は犯罪者だ。君たちが裁くべき悪だろ」
 ストレインは何も言うことはできず、強く歯を食いしばって床に拳をたたき付けた。
「……また事件が起きれば僕の元へ来い。君の頼みならどんな事件だって請け負ってやる」
 エースは踵を返して部屋から出て行った。後ろからは男の悲しげな怒号が響き渡るが、決して振り返ることはできない。
「可哀そうね」
 階段で座ったまま待っていたフェレスが独り言のようにつぶやいた。
「ストレインはアンタやトルバ、そして自分自身も許すことができない。かといって強く責めることもできない。全部仕方がないって諦めるほかないもの」
「……時間に解決してもらうしかないだろ」
「悲しいけどその通りね……。ちなみに名探偵さんからすれば、ストレインの精神系の魔法という見解はどうなの?」
「夢物語だな……。殺人の動機はトルバの内なる衝動だ。精神系の魔法が掛けられた痕跡がないことは虫眼鏡を見れば分かったよ」
 そして二人は帰路についた。
 

 獄中、トルバは地べたに座ったまままったく動かなかった。運ばれた食事にも手を付けず、ただただ裁判の日を待っている。裁判といっても最高裁判官から死刑を言い渡されるだけの国民へのショーのようなものだ。わざわざ天秤を使われるようなこともない。
 空腹で水も飲んでいないトルバの視界はすでに霞んでおり、過去を断片的に思い出していた。

 エースとともにブレイクダークのボスに会いに行き、ドラグマが30件の報告書から5つの事件を取り上げた。トルバは報告書の日付を見た瞬間、頭に嫌な考えがよぎった。
『なんだよ。もう気づいちまったのか』
 そして頭の中で誰かが囁いた。トルバの声ではない、誰かだった。
『まあこっちの世界に来てから二年近くたったからな。いずれバレるのは覚悟していたさ。それよりお前に言っておかなくちゃいけねえな。パレスとかいう勇者を殺したのも、その紙に書かれた五人を殺したのも、全部お前だぜ』

 ひとまずエースと別れ、トルバは衛兵署に戻った。
『だから全部お前が殺したんだよ。正確には俺がお前の身体を借りたわけだが、それでもお前が殺したことにかわりはないだろ?』
「……でも俺の意思じゃない。悪いのはお前だ。いいから俺の頭から出て行けよ……!」
『そうだな……。お前にもバレちまったし、俺の欲望に協力してくれたら出て行ってもいいぜ』
「欲望?」
『分かるだろ、人殺しだよ。相手が強い人間であればあるほどいい』
 トルバはカレンダーを見る。審判の日は一週間もない。
「分かった……。一週間で終わらせる。だからその時は記憶ごとどこかへ行ってくれ」
『ああ。約束だ』

『ハハッ! やるじゃねえか!』
 黒焦げになったフィールドの死体を見て頭の声は歓喜した。
「殺したぞ……もうこれで十分だろ」
『いいやまだだね。もっとふんぞり返った奴らをボコボコに屠り足りねえよ』
「お前……!」
 そこに足音が近づき、トルバは急いで逃げ出した。
「待て!」
 声だけでそれがエースだと気づいた。足音は徐々に近づき、もうすぐ後ろまで近づいてくる。
 しかし、さっきまで勢いよく走っていたエースは急に地面に倒れた。
『なんだコイツ?』
 トルバは足を止めてエースに駆け寄った。息はしているが、意識はないようだ。
『ちょうどいい。おいトルバ、ちょっと身体を借りるぞ。コイツは俺が殺してやる』
「待て! コイツは俺の知り合いだぞ!」
『だからなんだよ。コイツに顔を見られたかもしれないんだぞ?』
「……大丈夫だ。あの暗がりだと俺の顔は見ていない。それにコイツが気を取り戻すまでに偽の犯人をでっち上げるよ」

 トルバは家から逃げたスピンを追って街を散策していた。
『もういいだろトルバ。俺はあんなザコ殺してもどうしようもねえよ。それより最近黒い毛皮のコートを着た男が暴れまわってるそうだぜ。なあ、今度はそいつを殺そうぜ』
「そいつは後だ。とにかく今はスピンに罪を着せるしかない」
 切羽詰まりながらトルバは街中を走りまわる。
『まあどっちでもいいけどよ。どうせ捕まって困るのはお前なんだからな』
 眼には見えない存在にトルバは歯ぎしりをする。
「お前の罪を被ってたまるかよ。遺書を書かせた後スピンを殺し、その毛皮の男を殺す。そうしたら今度こそ俺の頭から出て行ってくれ」
『もちろん。これは約束だ』
 
 罪を問い詰められ、トルバは完全に脱力した。これまで毎日鍛えぬいた身体は重りのように邪魔で自分のものではないようだった。
「俺じゃないんだ。殺せって頭の中で声がしたんだよ……」
 その告白も届くことはなく、その言葉でドラグマが怒りが爆発する。
『無駄だな。頭の中で声がする? 俺が言うのもなんだが、それは悪魔の照明のようなものだ。まあ俺は悪魔というよりも神に近い存在かもしれんがな』
(……)
 冗談めかした声にもトルバはもはや考えることを放棄していた。
『なんだ、つまんねえな』
 声がだんだん近づき、耳元で囁くようにトルバの脳は声によって浸食されていく。
『ちなみに頭から出ていくって話だがな。あれは嘘だ』
 その瞬間、トルバの身体と脳は完全に切り離された。
『俺は誰かの意思によってこの世界に魂だけで連れてこられた。そしてお前にとり憑いたんだ。だからこの身体から出ていく方法なんて俺は知らねえよ』
 絶望に突き落とす真実にも、もうトルバは動揺するだけの心を持っていなかった。
理想と努力を以って邁進した若き青年は既に絶望の深い闇の中に落ちてしまっている。
 トルバの身体は完全に魂だけの存在に奪われた。
「望むところだ」
 不気味に笑い、ドラグマの喉元に掴みかかった。



 エースとフェレスが『Crystal Magic』に戻るころにはもう日が沈んでいた。
 カランコロンと鈴を鳴らしながら店に入る。
「ひっ!」
 エースの姿を見ると、クリスタはすぐにカウンターの下に隠れる。そしてカウンターの下からクリスタ人形がひょっこり現れた。
「あら、帰って来たのね!」
「……相変わらずの名人芸だな」
 エースはカウンターに向かって歩き出す。クリスタは近づいてくる足音に内心ビクビクしながら人形を慌ただしく動かす。
「君には本当に迷惑をかけたし、君にはすごく感謝している」
 エースは人形の両手に小箱を握らせた。
「これは僕からの気持ちだ。受け取ってくれ」
「え?」
 クリスタ人形ごと手元に戻し、小箱の包みを開けた。中には液体に入った薄い丸いレンズが入っている。
「なにこれ?」
 未知のものにクリスタは手を伸ばして距離を取る。
「コンタクトレンズっていうものだ。それを直接目に入れることで眼鏡は必要なくなる」
「目に……直接?」
 クリスタの顔はだんだん青ざめていく。クリスタは小箱を閉じるとそれをクリスタ人形に持たせた。
「嬉しいけど、今回は気持ちだけで……」
 そしてクリスタ人形に小箱を返させる。
「……フェレス。手を貸せ」 
 その一言でフェレスがカウンターの下に回り、クリスタを引きずり出した。
「待って下さい! 人体実験は……! 人体実験だけは勘弁を……!」
 涙目になりながら必死に抵抗するが、フェレスはクリスタの両腕をがっしりと掴んで離さない。
「大丈夫だ。コンタクトレンズの歴史は長いし試作品で僕も試した。安全性は保障されている」
「ひいい……」
 必死に首を振って抵抗するクリスタ。
 エースは左手でクリスタの顎を抑えた。そして頬を撫でるように這い上がらせ、顔をしっかりと固定する。
「じっとしてろ」
 眼鏡をはずし、右手にコンタクトレンズを持った。左手でクリスタの目を開かせる。
 ゆっくりと、クリスタの片目にコンタクトを着けた。
「もう片方も付けるぞ」
 エースは左右の手を変える。
「……はい」
 エースの穏やかな口調と手のひらの体温によってクリスタも落ち着きだしたようだった。抵抗しなくなったクリスタにもう片方のコンタクトが付けられる。
「ほら、もう目を開けていいぞ」 
 クリスタはゆっくり眼を開けた。目の前のエースの顔がハッキリと映る。
「え……」
 クリスタは周りを見渡し、商品棚に並べられた薬品の名前と料金まで見ることができた。
「すごい……。本当に眼鏡なしで見れてる……!」
 幼い少女のようにまぶしい笑顔をエースに向けた。そしてバッチリとエースと目が合った。
 冷静になったのかクリスタの顔はトマトのように赤く染まっていく。
「ほら」
 エースはクリスタの視界を遮るようにクリスタ人形を差し出した。クリスタは人形を手につけ、人形で自分の顔を半分隠す。
「……ありがとう」
 人形と自分の口でエースに感謝を告げた。
「それと、お疲れ様です……」
 恥ずかしそうにしながらも、クリスタはエースの目を見て告げた。
(ああ、なるほど)
 そこでエースは納得した。
(こんな遅くまで店にいたのは、今の言葉を伝えるためか)
 エースは満足気に笑うと、小箱をクリスタに手渡した。
「毎日寝る前にその液体の中に入れるんだ。ずっと目につけていると痛くなるから、眼鏡の時とコンタクトレンズの時はちゃんと分けて使った方がいい」
「ええ」
「それじゃあ僕は部屋に戻るよ。フェレス、君は閉店を手伝ってやれ」
 そう言ってエースは階段を上った。
 フェレスは目をキラキラとさせクリスタに駆け寄った。
「クリスタすっごく可愛い! 前から思ってたけどやっぱりアナタってすごく綺麗な顔立ちよね」
「ちょっと……恥ずかしいです」
「でもこれでもうメガネを掛ける必要もなくなったわね」
「そのことだけど……」
 クリスタはカウンターの上のメガネを持ち上げた。
「やっぱりこのメガネを使っていくことにします。」
「え? どうして?」
「だって、これってフェレスさんが創ってくれたんだもの。私にとってはこれも大切なんです」
 フェレスは頬を染め、頷いた。
「そう……ありがとう」
 照れ隠しも何もなく、フェレスは初めて正直に感謝の言葉を告げた。


 
 フェレスはクリスタを見送ったあと、シャワーを浴びてから二階へ上がった。二階でエースは椅子に座り机に頬杖をついたまま、フェレスには背を向けていた。
「……ずっと考えていたんだ」
 エースはフェレスの足音を聞いて話を切り出した。
「この世界の理、僕をここに連れてきた方法……」
 フェレスは首を傾げる。
「エース? どうしたの急に?」
「だから答え合わせをしよう。ハサルシャム」
 その瞬間、フェレスの背中から翼が生えた。以前見たときよりも翼は大きく、白く輝いていた。
フェレスは目を閉じると、再びゆっくりと開く。
「……私の名前を呼んだか? コムロハジメ」
 その声はフェレスとは違う。聞いているだけで背筋が凍るような威圧感のある声だった。
「まさかフェレスの身体で喋れるとはな」
「フェレスはもとより私をモデルに作り上げた人形のようなものだからさ。貴方はそれを分からずに私の名を呼んだのか?」
「いいや。昨日のフェレスとの会話を聞く限り、君はフェレスの行動を盗み見ることができるようだったからな。それと初めてフェレスとであったとき、僕に攻撃してこようとしたフェレスは何かに気づいて魔法を使うのを止めた。だから君はフェレスの脳内に直接話しかけることができるんじゃないかと思ったまでさ」
「まさか昨日の会話が聞かれていたとは……。フェレスは本当に注意深さが足りない子だわ」
 フェレス改めハサルシャムはスタスタとエースの目の前を通り過ぎ、ベッドに腰を下ろした。
「あの箱は私と恙なく会話するための増幅器でしかない。私も暇なときはフェレスの身体を通してこの世界を見ているから、私と会話するための媒体はフェレスということになる。
そうすると、貴方の判断は正しかったな」
 ハサルシャムは妖艶に嗤った。
「じゃあ話を聞かせてもらえるかしら。貴方が考え抜いたというこの世界の理とやらを」
 ハサルシャムの挑発的な目を受け、エースは咳払いをした。
「まず気になったのはこの世界と僕がいた世界の類似点だ。世界地図を見る限り、人類が到達できていない土地を除いても地理関係は全く同じだった。このノドル国はイギリスで、地図の左にあった大陸はヨーロッパ大陸。他の大陸も似たような位置にあったよ」
「ふむ……それで?」
「そして話している言語も同じ。地理と言語、まったく別々の世界だとすればこの二つが全く同じ構成になることは天文学的数値よりもあり得ない可能性だ。
 そうなると、一つの結論が導き出される。この世界と僕がいた世界は同じものじゃないのか?」
 ハサルシャムは口元に手を当てて可笑しそうに目を細める。
「もちろん。同じとはいえ、僕の世界ではこの世界のように魔法が使えるわけではない。だが初めてフェレスと会った時、彼女は『どの世界も』と言っていた。まるで他にも世界があるかのような言い草だが、こう考えれば納得がいく。
今僕がいる世界はは並行世界の一つなんじゃないのか、とね」
 エースは続ける。
「並行世界、パラレルワールドはいわゆる可能性の世界だ。夕飯をパスタにするかシチューにするか。実際にパスタを選んだが、並行世界ではシチューを選んだ仮定の世界が展開されていく。いわゆる分岐点ごとに並行世界は生まれ、その違いを抱えたまま時間が進行していく。
 だがこの世界では違いがあまりにも大きすぎる。魔法なんて突拍子もない現象が日常的に起こり、神や天使がこうして僕の目の前にいる。
 これでは並行世界ではなくもはや異世界だ。
……しかしよく考えると簡単だよ。この世界の分岐はずっと前に行われた。中世ヨーロッパで行われた科学と魔法の対立だ。そしてこの世界は魔法が常識として定着したんだろ」
 エースは机の上から一冊の本を取り上げた。
「クリスタは科学の復興を目指すとかも言っていたが、極めつけはこのスピンの家から借りてきた本だ。
題名はグリム童話。有名なグリム兄弟がドイツ各地の説話を集めた話だが、シンデレラのストーリーは魔女が機械仕掛けの人形に変わり、カボチャの馬車は空を飛ぶ鋼の車。白雪姫のストーリーは王子様の目覚めのキスから、王子様が白雪姫の毒を治すための素材を探す冒険譚に変わっている。
僕からすれば学園祭で考えられるようなありきたりな現代風オマージュだよ」
「ありきたりだなんて酷い話ね。この世界に生きる人たちはみんなあのストーリーが好きなのよ」
「科学が常識の僕からすれば陳腐に感じてしまうのは致し方ない。だがそれほどこの世界と僕がいた世界は共通意識に大きな乖離が発生している」
「……なるほどね。じゃあ並行世界があるとして、どうやって貴方がこの世界にやって来た方法を教えてくれるかしら?」
 ハサルシャムは挑発するようにエースを上目遣いで見つめる。
「並行世界については理論上での存在が認められていた。しかし存在が観測されない限り並行世界は存在しているとはいえない。観測できない理由は、膨大なエネルギーが必要とされるからだ」
「観測すらできないなら貴方みたいにこちらの世界に来ることはできないんじゃない?」
「とぼけるなよ。君が僕をここに連れてきた張本人のくせに」
 エースは足を組み、頬杖を突く。
「疑問を抱いたのは最初、僕がこの世界に来た時だ。服装はまったく汚れていないし、僕が服用した薬の効果も、僕が食べたものも胃の中には入っていなかった。そしてフェレスが言った、『人間を作れるのは神様だけ』という言葉。さらに僕がこの世界に来てからずっと感じていた違和感だ。
 そう、違和感としか言いようがない。髪の長さや筋肉量、脂肪。勘違いで済ましていいようなものだが、どうもこの身体は違うんだよ」
「……違う?」
「この身体は偽物だ。君が僕の身体を『創造』したんだろ」
 ハサルシャムはただ頬を少しだけ緩めて試すようにエースを見ている。
「精神なのか魂なのか呼称は分からない。だが僕の中身だけを元の世界からこっちの世界だけに連れて来たんだ。もちろん中身だけではどうしようもないから、君は僕の身体を複製した。それがこの身体だ」
 エースは自分の身体を指さす。
「……フェレスには諜報員は向いていないな。昨日の君たちの会話の中で、君はこう言っていた。『前の人間は失敗した』とな。
 前の人間とは、おそらく僕と同じように別の並行世界から連れてきた人間のことだ。失敗というのは僕のように複製した身体に馴染まなかったことだろう。そして、その人間は……トルバの身体にとり憑いた」
 ハサルシャムはそこで初めて表情を変えた。俯き、遠くを見るような瞳になった。
「そう……やっぱり、彼はそう簡単には消えなかったのね」
「……認めるんだな?」
「ええ」
 ハサルシャムはベッドに仰向けに倒れこんだ。そして眩しくないように手で灯りを遮る。
「貴方の言う通り、私は並行世界の人間の身体を複製して魂だけをこの世界に運んできたわ。連れてきたのは並外れたメンタルと特殊な感性を持った人間だけ。貴方は言うまでもなく、もう一人はモラルが欠落して殺人衝動に染まった人間だったのよ。でも彼には確かに敵性があった。
 失敗したのは私の『創造』で完全にコピーができなかったことが原因。身体は魂に耐えきれず灰に変わり、彼の魂はこの街のどこかへ消えて行ってしまったのよ。本当にあのミスは残念だったわ」
「残念……? 君が妙な実験をしたせいでトルバという若者が犠牲になったんだぞ……! 彼だけじゃない。一体その男のせいで何人の人間が死んだと思っている……!」
「あら、意外ね。貴方って案外善人の心を持ち合わせているんだ。てっきり、私と同じだと思ってた」
 身体は子供だというのに、ハサルシャムは妖艶に笑う。
「でもまだ魂が残っていうならそれも好都合だわ。彼の身体をもう一度複製して復活させてあげましょう」
「その必要はない」
 エースがハサルシャムに注射器を投げ渡した。
「僕が以前倒れた時、一瞬僕の魂とやらは元いた世界に帰っていた。向こうの世界の僕は病院のベッドでずっと寝ているようだった。
おそらく眠ることによって魂とこの複製された身体は分離されるんだろう。だから僕は魂だけの男がトルバの身体を乗っ取った瞬間を狙ってその薬を打った。僕が服用していた薬を強力にしたものだ。もうあの男の魂は元いた世界に戻ったさ」
「睡眠……。それは盲点だったわ」
 ハサルシャムは空っぽの注射器を手のひらでクルクルと回す。
「じゃあ、貴方はどうするの?」
「……何の話だ?」
「貴方は元の世界に戻る方法も手段も知っている。そんな偽物の身体の中にいるよりも、元の世界に戻ろうとは思わないのかしら」
 そう言って注射器を再びエースに投げ返した。
エースは受け取った注射器をじっと見つめ、握りつぶした。
「残るに決まっているだろ。この世界でやり残したことはまだたくさんある。……君にやられっぱなしで逃げるわけにもいかないからな。それに――」
「それに、向こうの世界には居場所がないから?」
 気が付けばハサルシャムはベッドから立ち上がり、エースの目の前まで来ていた。
「……可哀そうな話よね。それだけ才能があるのに活かす場所もなく、周りからはのけ者扱い」
 細い腕がエースの組まれた足を解き、そのままハサルシャムはエースの膝の上に対面で座った。
「でもこの世界ではそんなことはない。……私から逃げるわけにはいかない? 元いた世界から逃げているのはどこの誰かしら」
 甘美な香りと生暖かい吐息が五感を包む。エースの身体は完全に硬直していた。
「あら……可愛いところもあるじゃない」
 ハサルシャムの笑い声も耳元を撫でるようだった。
「じゃあ最後の質問。この世界でも魔法が存在できている理由は何?」
「……世界そのものが人間の観測によって構築されているとしたら納得できるはずだ。この世界で起きる出来事は何ものでも言葉に表されたモノに変わってしまう。科学と呼ばれれば科学として存在し、一方で魔法と呼ばれるなら魔法に変わってしまう」
 ハサルシャムはエースの首元に手をまわした。
「ざんねん」
 エースの頭を撫でながらそう言った。
「惜しいところまで行ったけど、それじゃあ正解は上げられないわ。……でも、貴方はやっぱり私の見込んだ相手よ」
 エースは何かを喋ろうと口を開くが、ハサルシャムの人差し指がそれをふさいだ。
「今日はここまで。いつか貴方が私の元まで来て、今度は私自身の身体でこうして触れ合える機会を楽しみしているわね」
 ハサルシャムは最後まで笑みを浮かべたままだった。
「さようなら、エース」
 そしてハサルシャムは力が抜けたようにエースにもたれかかった。
「……え?」
 フェレスが寝起きのような声で目を覚ました。
そしてすぐにエースと密着している状態に気づく。
「ちょっ……! 何してんのよこのロリコン!」
 いわれもない罪でフェレスの右ストレートがエースの頬を殴り倒す。エースは椅子ごと床に倒れ込んだ。
「変態! もう一緒の部屋で寝ないでよね!」
 フェレスはすぐにベッドの上で毛布をかぶった。
(これが狙いかよハサルシャム……)
 エースは頬を抑えながら椅子に座りなおした。
「おいおい。ちょっとは人の話を聞いたらどうだ?」
「誰がアンタの話しなんて!」
 フェレスは頑なにエースと顔を見合わせないつもりだった。
 エースはため息をついてフェレスを説得しようと椅子を近づける。
「少しくらい話を聞いてくれても良いだろ?」
 フェレスは毛布の隙間から顔を覗かせる。
「普段は自分から話そうとしないくせに、こういうときだけ都合の良いことをいうわけ?」
 エースは両手を挙げる。
「分かった。今度からは何かあったら君にも伝えるし、相談もするよ」
「本当に?」
 フェレスは訝しげにエースを見上げた。
「約束するよ。君は僕の相棒だ」