序章 異世界ミステリー
首都ノドル
数十年前、いち早く魔族に有効な魔法を大成させたノドル国は、周辺国だけでなく世界中を率いる大国へと進化した。特に首都ノドルは王家や代々続く貴族や地主、そして対外戦争で成り上がった家系が多く住む発展都市だった。人々はノドルでの煌びやかな生活にあこがれ、地方や外国からも移住者が後を絶たない。
しかし、光の裏には必ず影がある。
成り上がり損ねた市民は郊外に住みつき、そこで形成された町はスカル街と呼ばれるようになった。スカル街という名前は日常的に犯罪が繰り返される無法地帯となったことを皮肉にした呼び名である。やがて国王は城下町を囲むような壁が建てられ、スカル街からは壁の中を『城内』と呼び妬みと羨望の対象に変わっていった。
城内とスカル街の貧富の差は徐々に開いていき、国王もスカル街の統治はほとんど諦めていた。国民全員の戸籍を登録しているだけで、犯罪の取り締まりと治安を維持するための組織である衛兵はスカル街に一つしか支部が作られていない。
そのため、スカル街管轄の衛兵は昼夜問わずスカル街で行われた犯罪に対処するひつようがあった。最近別の部署から移った衛兵のトルバも連日で朝から殺人事件の現場へと向かった。
寮に連絡を受けてトルバは首からロケットを下げ、まだ新品の香りが抜けない衛兵の制服を身に纏う。そして支給された衛兵御用達の剣を腰に付けると、急いで現場へ向かうと、そこには既に先輩のストレインが待っていた。
年齢は30代過ぎくらいだが、ガタイの良さと無精ひげのせいで50台にも見えるような貫録を持っている。
「すみません、ストレインさん!」
先輩を待たせてしまったためトルバの表情には焦りがうかがえる。しかしストレインは「よう」と片手を上げるだけで怒りの感情は一切なかった。
新入りにとってこの過密スケジュールはついていけるはずがないと理解を示していることもあるが、人手が来たところでどうこうなる問題ではない。
「遺体搬送係は既に頼んである。お前は一般人がここに入ってこないように見張っておけ」
「分かりました!」
トルバは切り良く返事をし、もう集まりつつある野次馬を止めに行った。
ストレインは熱心なトルバを温かい目で見送る。
「……それにしても、また殺人か」
ため息をつき、城内の壁にもたれかかるようにして倒れている男の死体に近づく。頭から血を流しており、顔は血まみれでよく分からない。血は死体の着ているアロハシャツまでも真っ赤に染めている。
(トルバが張り切るのも無理はないが……かといって一つ一つの事件に力を入れすぎるとキリがないぞ、なんて言えるわけもないか)
殺人や強奪は日常的に起きる事件だが、現行犯でもない限り衛兵が犯人を見つけて捕まえるということはない。事件があっても報告書だけを書いて迷宮入りになる。
(人手も費用も道具も、何より衛兵のモチベーションがない。……まあ、そろったところで何も変わらないのかもしれんがな)
「あ、ちょっと! ダメですよ、勝手に入らないでください!」
トルバの必死な声のする方へ向き直る。トルバは足元まで伸びたコートを着た黒髪の男を必死に止めていた。
(だが、それもこいつの登場で変わっちまった)
ストレインはトルバに呼びかける。
「いいぞ。そいつは通しても構わない」
「え?」
トルバはストレインの声で手の力を緩めた。その隙をつくように男は人ごみを抜けた。その男の隣にはローブを着た金髪の少女がトコトコと後をついてきている。
「来たか、ハジメ」
「ハジメじゃなく、エースだ」
男は髪の毛を掻き上げながらストレインに告げた。
「心機一転して僕は名前をエースと改めた。煩わしいとは思うが、君も僕のことはエースと呼んでくれ」
「よくわからんが……まあそういうことなら努力しよう」
エースは180センチほどの高身長で、顔にはまだ幼さが残っている。真っ黒な髪の毛はまっすぐ伸びており、前髪の隙間から鋭い眼光が覗いていた。
その灰色の瞳は終始死体を観察している
「殺人事件だ。単なる追剥だろうが、お前の力なら何とか犯人が分かるかもしれない」
ストレインの言葉にエースは片眉を上げた。
「ストレイン。君の発言はすべて的を射ていないぞ」
エースはストレインに向かって指を三本突き出した。
「第一に、これは事件と呼べるほどの大層なものじゃない。第二に、これは追剥ではない。第三に、僕の力なら”何とか”ではなく確実に犯人を見つけることができる」
エースの発言にストレインはあきれることなく眉をひそめた。エースの発言は自身に満ち溢れているが、どうも納得できる内容ではない。
「……なら話を聞こう。どうしてお前はこれが事件じゃないと思うんだ?」
「簡単なことだ。この死体の彼は死んでなどいないからさ。誰も死んでいないなら事件ではない。したがって追剥というわけでもない」
ストレインは突拍子もない話に耳を疑った。
「馬鹿をいうな。実際にこうして死んでいるじゃないか」
「そうだな。では尋ねるが、ストレイン君。君はこの死体が誰か知っているか?」
「誰って……」
改めて死体の顔をのぞき込むが、やはりその顔に見覚えはなかった。
「有名人なのか? この死体は」
「全く……真剣に事件を解決したいなら情報収集くらいは怠らない方がいいぞ」
棘のある言葉にストレインはむっとするが、エースはそんなことは気にせずに隣にいる少女を見た。
「フェレス。君なら彼が誰か分かるんじゃないのか?」
フェレスと呼ばれた少女は地面に膝をついて死体をのぞき込む。
「おい、こんな小さな子に何をさせているんだ……?!」
「大丈夫。フェレスはそこらへんの子供とは違う」
「違う? そもそもどうして現場に連れてきているんだよ」
「まあ……僕の助手みたいなものさ」
後ろで大人たちが会話していることには全く気にせず、フェレスは死体の顔からつま先まで確認する。
「……クワトロね。このまえ酒場で大口の商売相手が見つかったって喜んでいた人よ」
「どうしてそう思った?」
「どうしてって……顔もそうだけど、やっぱりこのアロハシャツはクワトロのトレードマークのようなものだもの」
エースはストレインに向き直る。
「先日、ワトロは商売の前金で店にいた客全員に酒を奢るという大盤振る舞いをしていた。それも大量の札束を見せびらかしていたよ」
「ならなおさら追剝だろ。そのクワトロってやつが金目当てに殺されたんだ」
「そう考えるのがまさに狙い通りなんだよ。あれだけ目立っていればフェレスのように身元がすぐに特定されてしまう。そしてここ最近の行動を聞いて君が考えたように金銭目当ての殺人になって事件は解決するだろう」
エースは僅かに口角を上げた。
「ストレイン、この近くに高利貸はいくつくらいある?」
「借金取りか? ヤミを含めるなら5つくらいはあるはずだ」
「ならその店まで行って顧客リストを見せてもらうといい。狙い目は限度額が高く返済期限が短いものだ。おそらくクワトロの名前があるから証拠になるはずさ」
「証拠? 何の証拠だ」
「裏付けの証拠だよ」
エースは野次馬の方を一瞥すると、足元の死体を指さした。
「僕もさっきまでは名目上、これのことを死体と呼んだ。だが、正確には死体ではない」
「死体じゃないって……」
「死体じゃなく、ただの肉塊だ。……本当にこの世界は面白いよ。こんな突拍子もないことが日常的に起きるだなんてね」
ストレインはエースの言っていることが全く理解できなかった。
「この死体は偽物だよ。詳しくは解剖でも何でもしてくれたら分かるだろうけど、身体の構造がおかしい。傷口のわりに血の量が多すぎるし、身体の硬直具合が昨日の晩に殺されたレベルなんてものじゃない。筋肉の付き方や身体そのものが左右対称すぎる」
「じゃあなんだ? こいつは人じゃないのか?」
「人体の構成物を集めて練り上げた人形だよ。そしてこの人形を作ったのはクワトロ本人だろう。彼には自分の死を偽装するだけの理由がある」
ストレインは顎に手を当てて少し考えた。
「……それが、借金か」
「そうだ。死んだとなれば借金取りから追われるようなこともなくなる。借金を返す当てができたと言っていたのも嘘だろう。借金取りに返す予定だった金を犯人が持って行ったとなれば、借金取りはその犯人を追うはずだからな」
「だからって……いくら何でも死んだふりはないだろ。そんなことをしたらまともな生活も遅れなくなるぞ」
「……亡命ね」
フェレスの呟きにエースが肯定する。
「クワトロは商業の関係で海外との貿易に携わっていた。さらに外国語も話せるのなら、わざわざ借金のあるこの国に残る必要はないからな。死んだと思わせた方が亡命の成功率は高くなる」
「死体の偽装……。お前が事件ですらないと言ったのはこういうことか」
「ああ。誰も殺されていないし、死んでいない」
ストレインは眉間にしわを寄せた。
「亡命未遂か……。クワトロの貿易相手を探せば密入国ルートを見つけられるかもしれないが、今から間に合うか……?」
「その必要はないさ」
エースは野次馬に向かって歩き出した。
「クワトロにとって気になるのはあの死体がクワトロ本人だと気づかれること。借金取りの耳に入る前に下手な行動をして見つかるわけにはいかない。加えて、リスクを考えると協力者を募るとは考えにくい」
鋭い眼光で野次馬の一人一人を観察していく。そしてフードを深くかぶった男に目が留まった。怪しげな雰囲気を醸し出していたわけではない。
エースと目が合ったフードの男は一目散に駆け出した。
「トルバ! あいつを捕まえろ!」
ストレインは大声で命令するが、トルバが走り出したころにはフードの男は20メートル以上離れていた。
「フェレス!」
「分かってるわよ!」
名前を呼ばれるよりも早く、フェレスは右手を逃げていく男に向けた。
「『エタエルク』!」
その叫びとともに地面から鎖が出現し、フードの男を縛り上げた。エースは男の元へと駆け寄り、フードを取る。
「クワトロだな?」
その顔は偽の死体の顔と全く同じだった。よく観察しなければ知り合いでもクワトロの死体だと勘違いしていただろう。
「くそっ! なんだよお前!」
クワトロは悪態にもエースはまったく取り合わず、地面に押さえつける。
「おいおい……」
駆け付けてきたストレインはクワトロの顔を見て驚いていた。
「あとは君の仕事だ。さっき言った通り近くの高利貸を調べて明確な証拠を見つけたまえ。ついでに密航を企んでいた相手も吐かせれば密入国ルートの一つも潰れるんじゃないか」
「すまないな……。それにしても、よくあの人ごみの中から見つけ出したな」
「偽物が完璧すぎたんだ。体格から身長まで同じだったからすぐに気づけたよ」
当たり前のようにエースは答えたが、クワトロは全身を覆う服を着ていたし死体は壁にもたれかかっていた。
(恐ろしいほどの観察眼だな)
ストレインはエースの才能に感服した。
「じゃあ事件は解決ということでいいか?」
クワトロをトルバに引き渡し、エースは一息ついた。
「ああ、協力感謝する。ハジ……いや、エースだったな」
エースは満足そうに笑い、フェレスを連れて街中へと去って行った。
「・・・・・・アイツら、何者ですか?」
トルバはエースの後姿を見て、ストレインに尋ねる。
「……探偵だよ。それも凄腕の」
首都ノドル
数十年前、いち早く魔族に有効な魔法を大成させたノドル国は、周辺国だけでなく世界中を率いる大国へと進化した。特に首都ノドルは王家や代々続く貴族や地主、そして対外戦争で成り上がった家系が多く住む発展都市だった。人々はノドルでの煌びやかな生活にあこがれ、地方や外国からも移住者が後を絶たない。
しかし、光の裏には必ず影がある。
成り上がり損ねた市民は郊外に住みつき、そこで形成された町はスカル街と呼ばれるようになった。スカル街という名前は日常的に犯罪が繰り返される無法地帯となったことを皮肉にした呼び名である。やがて国王は城下町を囲むような壁が建てられ、スカル街からは壁の中を『城内』と呼び妬みと羨望の対象に変わっていった。
城内とスカル街の貧富の差は徐々に開いていき、国王もスカル街の統治はほとんど諦めていた。国民全員の戸籍を登録しているだけで、犯罪の取り締まりと治安を維持するための組織である衛兵はスカル街に一つしか支部が作られていない。
そのため、スカル街管轄の衛兵は昼夜問わずスカル街で行われた犯罪に対処するひつようがあった。最近別の部署から移った衛兵のトルバも連日で朝から殺人事件の現場へと向かった。
寮に連絡を受けてトルバは首からロケットを下げ、まだ新品の香りが抜けない衛兵の制服を身に纏う。そして支給された衛兵御用達の剣を腰に付けると、急いで現場へ向かうと、そこには既に先輩のストレインが待っていた。
年齢は30代過ぎくらいだが、ガタイの良さと無精ひげのせいで50台にも見えるような貫録を持っている。
「すみません、ストレインさん!」
先輩を待たせてしまったためトルバの表情には焦りがうかがえる。しかしストレインは「よう」と片手を上げるだけで怒りの感情は一切なかった。
新入りにとってこの過密スケジュールはついていけるはずがないと理解を示していることもあるが、人手が来たところでどうこうなる問題ではない。
「遺体搬送係は既に頼んである。お前は一般人がここに入ってこないように見張っておけ」
「分かりました!」
トルバは切り良く返事をし、もう集まりつつある野次馬を止めに行った。
ストレインは熱心なトルバを温かい目で見送る。
「……それにしても、また殺人か」
ため息をつき、城内の壁にもたれかかるようにして倒れている男の死体に近づく。頭から血を流しており、顔は血まみれでよく分からない。血は死体の着ているアロハシャツまでも真っ赤に染めている。
(トルバが張り切るのも無理はないが……かといって一つ一つの事件に力を入れすぎるとキリがないぞ、なんて言えるわけもないか)
殺人や強奪は日常的に起きる事件だが、現行犯でもない限り衛兵が犯人を見つけて捕まえるということはない。事件があっても報告書だけを書いて迷宮入りになる。
(人手も費用も道具も、何より衛兵のモチベーションがない。……まあ、そろったところで何も変わらないのかもしれんがな)
「あ、ちょっと! ダメですよ、勝手に入らないでください!」
トルバの必死な声のする方へ向き直る。トルバは足元まで伸びたコートを着た黒髪の男を必死に止めていた。
(だが、それもこいつの登場で変わっちまった)
ストレインはトルバに呼びかける。
「いいぞ。そいつは通しても構わない」
「え?」
トルバはストレインの声で手の力を緩めた。その隙をつくように男は人ごみを抜けた。その男の隣にはローブを着た金髪の少女がトコトコと後をついてきている。
「来たか、ハジメ」
「ハジメじゃなく、エースだ」
男は髪の毛を掻き上げながらストレインに告げた。
「心機一転して僕は名前をエースと改めた。煩わしいとは思うが、君も僕のことはエースと呼んでくれ」
「よくわからんが……まあそういうことなら努力しよう」
エースは180センチほどの高身長で、顔にはまだ幼さが残っている。真っ黒な髪の毛はまっすぐ伸びており、前髪の隙間から鋭い眼光が覗いていた。
その灰色の瞳は終始死体を観察している
「殺人事件だ。単なる追剥だろうが、お前の力なら何とか犯人が分かるかもしれない」
ストレインの言葉にエースは片眉を上げた。
「ストレイン。君の発言はすべて的を射ていないぞ」
エースはストレインに向かって指を三本突き出した。
「第一に、これは事件と呼べるほどの大層なものじゃない。第二に、これは追剥ではない。第三に、僕の力なら”何とか”ではなく確実に犯人を見つけることができる」
エースの発言にストレインはあきれることなく眉をひそめた。エースの発言は自身に満ち溢れているが、どうも納得できる内容ではない。
「……なら話を聞こう。どうしてお前はこれが事件じゃないと思うんだ?」
「簡単なことだ。この死体の彼は死んでなどいないからさ。誰も死んでいないなら事件ではない。したがって追剥というわけでもない」
ストレインは突拍子もない話に耳を疑った。
「馬鹿をいうな。実際にこうして死んでいるじゃないか」
「そうだな。では尋ねるが、ストレイン君。君はこの死体が誰か知っているか?」
「誰って……」
改めて死体の顔をのぞき込むが、やはりその顔に見覚えはなかった。
「有名人なのか? この死体は」
「全く……真剣に事件を解決したいなら情報収集くらいは怠らない方がいいぞ」
棘のある言葉にストレインはむっとするが、エースはそんなことは気にせずに隣にいる少女を見た。
「フェレス。君なら彼が誰か分かるんじゃないのか?」
フェレスと呼ばれた少女は地面に膝をついて死体をのぞき込む。
「おい、こんな小さな子に何をさせているんだ……?!」
「大丈夫。フェレスはそこらへんの子供とは違う」
「違う? そもそもどうして現場に連れてきているんだよ」
「まあ……僕の助手みたいなものさ」
後ろで大人たちが会話していることには全く気にせず、フェレスは死体の顔からつま先まで確認する。
「……クワトロね。このまえ酒場で大口の商売相手が見つかったって喜んでいた人よ」
「どうしてそう思った?」
「どうしてって……顔もそうだけど、やっぱりこのアロハシャツはクワトロのトレードマークのようなものだもの」
エースはストレインに向き直る。
「先日、ワトロは商売の前金で店にいた客全員に酒を奢るという大盤振る舞いをしていた。それも大量の札束を見せびらかしていたよ」
「ならなおさら追剝だろ。そのクワトロってやつが金目当てに殺されたんだ」
「そう考えるのがまさに狙い通りなんだよ。あれだけ目立っていればフェレスのように身元がすぐに特定されてしまう。そしてここ最近の行動を聞いて君が考えたように金銭目当ての殺人になって事件は解決するだろう」
エースは僅かに口角を上げた。
「ストレイン、この近くに高利貸はいくつくらいある?」
「借金取りか? ヤミを含めるなら5つくらいはあるはずだ」
「ならその店まで行って顧客リストを見せてもらうといい。狙い目は限度額が高く返済期限が短いものだ。おそらくクワトロの名前があるから証拠になるはずさ」
「証拠? 何の証拠だ」
「裏付けの証拠だよ」
エースは野次馬の方を一瞥すると、足元の死体を指さした。
「僕もさっきまでは名目上、これのことを死体と呼んだ。だが、正確には死体ではない」
「死体じゃないって……」
「死体じゃなく、ただの肉塊だ。……本当にこの世界は面白いよ。こんな突拍子もないことが日常的に起きるだなんてね」
ストレインはエースの言っていることが全く理解できなかった。
「この死体は偽物だよ。詳しくは解剖でも何でもしてくれたら分かるだろうけど、身体の構造がおかしい。傷口のわりに血の量が多すぎるし、身体の硬直具合が昨日の晩に殺されたレベルなんてものじゃない。筋肉の付き方や身体そのものが左右対称すぎる」
「じゃあなんだ? こいつは人じゃないのか?」
「人体の構成物を集めて練り上げた人形だよ。そしてこの人形を作ったのはクワトロ本人だろう。彼には自分の死を偽装するだけの理由がある」
ストレインは顎に手を当てて少し考えた。
「……それが、借金か」
「そうだ。死んだとなれば借金取りから追われるようなこともなくなる。借金を返す当てができたと言っていたのも嘘だろう。借金取りに返す予定だった金を犯人が持って行ったとなれば、借金取りはその犯人を追うはずだからな」
「だからって……いくら何でも死んだふりはないだろ。そんなことをしたらまともな生活も遅れなくなるぞ」
「……亡命ね」
フェレスの呟きにエースが肯定する。
「クワトロは商業の関係で海外との貿易に携わっていた。さらに外国語も話せるのなら、わざわざ借金のあるこの国に残る必要はないからな。死んだと思わせた方が亡命の成功率は高くなる」
「死体の偽装……。お前が事件ですらないと言ったのはこういうことか」
「ああ。誰も殺されていないし、死んでいない」
ストレインは眉間にしわを寄せた。
「亡命未遂か……。クワトロの貿易相手を探せば密入国ルートを見つけられるかもしれないが、今から間に合うか……?」
「その必要はないさ」
エースは野次馬に向かって歩き出した。
「クワトロにとって気になるのはあの死体がクワトロ本人だと気づかれること。借金取りの耳に入る前に下手な行動をして見つかるわけにはいかない。加えて、リスクを考えると協力者を募るとは考えにくい」
鋭い眼光で野次馬の一人一人を観察していく。そしてフードを深くかぶった男に目が留まった。怪しげな雰囲気を醸し出していたわけではない。
エースと目が合ったフードの男は一目散に駆け出した。
「トルバ! あいつを捕まえろ!」
ストレインは大声で命令するが、トルバが走り出したころにはフードの男は20メートル以上離れていた。
「フェレス!」
「分かってるわよ!」
名前を呼ばれるよりも早く、フェレスは右手を逃げていく男に向けた。
「『エタエルク』!」
その叫びとともに地面から鎖が出現し、フードの男を縛り上げた。エースは男の元へと駆け寄り、フードを取る。
「クワトロだな?」
その顔は偽の死体の顔と全く同じだった。よく観察しなければ知り合いでもクワトロの死体だと勘違いしていただろう。
「くそっ! なんだよお前!」
クワトロは悪態にもエースはまったく取り合わず、地面に押さえつける。
「おいおい……」
駆け付けてきたストレインはクワトロの顔を見て驚いていた。
「あとは君の仕事だ。さっき言った通り近くの高利貸を調べて明確な証拠を見つけたまえ。ついでに密航を企んでいた相手も吐かせれば密入国ルートの一つも潰れるんじゃないか」
「すまないな……。それにしても、よくあの人ごみの中から見つけ出したな」
「偽物が完璧すぎたんだ。体格から身長まで同じだったからすぐに気づけたよ」
当たり前のようにエースは答えたが、クワトロは全身を覆う服を着ていたし死体は壁にもたれかかっていた。
(恐ろしいほどの観察眼だな)
ストレインはエースの才能に感服した。
「じゃあ事件は解決ということでいいか?」
クワトロをトルバに引き渡し、エースは一息ついた。
「ああ、協力感謝する。ハジ……いや、エースだったな」
エースは満足そうに笑い、フェレスを連れて街中へと去って行った。
「・・・・・・アイツら、何者ですか?」
トルバはエースの後姿を見て、ストレインに尋ねる。
「……探偵だよ。それも凄腕の」