第5話 夜の海、見つめ合う二人の美少女
揺れる馬車の中、虚ろな目をした彼女達がようやくその口を開く。
「知らなかったんです、私達も。あの人が……ラシックが勇者じゃなかったなんて」
「一生の不覚だ……弁解のしようがない」
「でも、悪い人じゃなかったと思う」
勇者の取り巻き三人娘は、俺達と同じ馬車に乗り合わせている。ただ違いがあるとすれば、三人の両手には手錠が嵌められている事だろうか。
――勇者、いや偽勇者ラシックはあの城から逃亡した。ただゆっくりと剣を仕舞い風のように消えてしまった。
残されたのは三人娘。茫然自失でいたところを、衛兵に囲まれて逮捕。本当はそのまま牢屋にでも放り込まれるのが筋なのだろうが、すぐに偽勇者が港町ユーベイで目撃されたとの噂があり同行させる事となった。
まだ調書が終わってないという理由が半分、偽勇者をおびき寄せる餌としての理由が半分。気持ちのいいものでは無いが、仕方ないと割り切れる自分もいた。
「それが人様のパンツを盗んだ言い訳になるんですか? あなたは善人にならパンツを盗まれてもいいと……いえでもこれは矛盾してますね、善人はそもそもパンツなんて盗みませんから」
セツナはようやく怒りの矛先を見つけられたようで喜んでいた。これが喜んでいるとわかるのは、多分俺ぐらいだと思うのだが。
「まあまあ落ち着けってセツナ」
「失礼しました」
ちなみに肝心のセツナのパンツだが、まだ見つかっていない。偽勇者の泊まっていた宿に向かったものの、遅かったのか荷物は全て回収されていたのだ。
「結果的には良かっただろ? こうやって偽勇者討伐の勅命を受けて、こんな事になったけどさ」
窓を開ければ、無数の馬車に囲まれている。俺とアイラが交代で動かしていたものではなく、軍用の立派な類のもの。もはや偽勇者ラシックを捕まえるという行為はメイド個人の思惑では無くなっていた。どこぞの悪法を悪用されたのだ、国の面子にかけて制裁しなければならない。
「あとは寝てれば軍が何とかしてくれるよ」
で、俺が当事者かつ地方領主だったせいか代表者として討伐の勅命を受ける事になってしまった。ただし前線で剣を振り回せという意味ではなく、この豪華な馬車で偉そうにふんぞり返っていろという意味だ。
「ダメ、キールちっとも良くない」
と思ったらレーヴェンに頬を抓られた。
「そもそも、わたしは家族のため勇者を倒しに来た。それが何? 今日まで追いかけて来たのはただの下着泥棒だったなんて」
彼女の気持ちがわからない、というわけでもない。何せここしばらく血眼になって追いかけていた男がしょうもない偽物だったのだ、腹をたてるのも無理はない事。だとしても。
「俺に責任はないと思うけど」
そう俺は悪くない、俺だって騙されていたんだから。
「まったく」
レーヴェンは窓を開けて、冷たい風を頬に受ける。そして珍しくその本心を、心の奥底から叫んだ。
「本物の勇者、でてこーーーーーい!」
返事なんてもちろん無い。港町から吹く潮風が、全部吹き飛ばしてくれたような気がした。まぁ、俺も本物の勇者がどこにいるのか少し気になるけどさ。
「ここが港町ユーベイね」
馬車を降りるなりシンシアがわかりきった事を言う。港町ユーベイは、エルガイスト王国最南端の都市である。港の名の通り海に面しており基本産業は漁業半分観光半分だが、町の人々の顔は暗い。かといって人が少ないわけではない、むしろ街中には鎧を来た軍人で溢れていた。
理由は単純、この街には魔獣討伐隊が駐留しているからだ。貰った資料によると数ヶ月程前にユーベイ近海に角の生えたクジラのような魔獣が出現。討伐隊が攻撃するも効果がなく、時折水面から顔を出しては周囲を見回す様子はまるで誰かを待っているよう、と書かれていたのだが。
「ってシンシアまだいたのか……別に付き合わなくても良かったんだぞ?」
そんなことより気になるのは、彼女がまだ俺たちの旅に同行していた事だろうか。偽勇者の討伐を頼まれたのは俺なので律儀にそんな事をする必要なんてどこにもないのだが。
「あら随分な言い草だこと……正義感じゃなくて打算よ打算。偽勇者討伐なんてお手柄、みすみす逃す手があって?」
扇子で口を隠しながら、そんな事を言い出すシンシア。成る程確かにそういう目線はあって然るべきなのだろうけど。
「それにあの三人、もう一押で落ちそうだし」
ただ付け加えられた一言について聞き流す事にした。
「となるとアイラは本当のとばっちりだな」
「いえ、あたしは色んなとこ見れて楽しいですし。それよりレーヴェンちゃんがずっと不機嫌なのが」
街につくなり思い切り頬をふくらませるレーヴェン、もはやそういう動物のようだと思えなくもない。
「なあレーヴェン、勇者探しは別の機会って事で、このまま手伝ってもらえるか?」
「報酬は二丁目のカフェのチョコパフェを要求する」
まぁその程度でこの不機嫌なお姫様が立ち直ってくれるなら助かるが、いやまて何でこいつは店の場所知っているんだ?
「二丁目って……レーヴェンこの街来たことあるの?」
「当然。だってこの街は」
鼻を鳴らして彼女は答える。お、少しだけ機嫌戻ったかななんて束の間。
「魔界に一番近いんだから」
またとんでもない発言を俺たちに残してくれましたとさ。
で、だ。
街についてはい宿屋で休んでから勇者もとい偽勇者探しましょうねといつものようには行かないのが今日の所。そりゃ魔獣討伐隊のいる街に来たんだから当然だよね。
というわけで俺達は、ここの討伐隊長のところへ挨拶に向かっていた。のだが、ここの隊長という人物だが。
「良いことキール、貴方今度こそ対応間違えないでよね」
「大丈夫緊張して来たから」
「そう良かった、あなたも人並みの感性があったみたいで」
彼についての情報を嫌という程聞かされていた。クソ真面目クソメガネクソ陰険などなど。どうしてそんなに詳しいかと言えば、友人の兄貴だから。で、俺の友人といえばもちろんフェリックスなわけで。
「失礼します……」
この国の第二王子、フェルバン=L=ガイストが待つ扉を汗で湿った拳で叩いた。
「誰だ?」
帰ってきたのは、氷塊のように冷たく重い声だった。なる程あの不真面目野郎が萎縮するには、当然のように思えた。
「陛下より偽勇者討伐の勅命を賜りました、キール=B=クワイエット並びにシンシア=リーゼロッテです」
「話は聞いている、中に入れ」
その言葉に従って、城の扉より重そうなそれを開く。そこにはソファに腰を下ろしメガネを光らせる、堅物そうな眼鏡の男が座っていた。
「お初にお目にかかります、シンシ」
「それは先程伺ったつもりだが」
スカートの裾を摘んで挨拶しようとしたところ、それを制止するフェルバン殿下。
「まあいいかけてくれ。フェルバン=L=ガイストだ。魔獣討伐の任を受けて半年程前から駐留軍の指揮を任されているが……説明は必要か?」
怖いなこの人、とりあえず許可も出たし座らせてもらおう。
「結構です、お気遣いに感謝します」
「道中の馬車にて、付け焼き刃ではありますが勉強させて頂きましたので」
予習しておいて良かったと心の底から思う。
「話が早くて助かる。あの愚弟の同窓と聞いて不安だったが、成る程友人を見る目は確かだったらしい」
メガネの位置を直しながら、そんな事を言う。
「もしかして褒められた?」
「それもかなり直接的にね」
小声で話し合う俺達。意外な言葉に思わず驚いたせいだろう。
「では早速だが、ここにいる間二人には私の補佐役という形を取らせてもらうが依存はないな? 何、他所の領地で君達が自由に動くための飾りと思ってくれて構わない」
「身に余る光栄ですわ、フェルバン殿下」
「我々も偽勇者を発見次第すぐに君達に知らせよう。共に不届き者に然るべき報いを受けさせようではないか」
そう言って彼は嵌めていた白い手袋を脱ぎ、右手を差し出してきた。褒め言葉よりも意外なそれに、俺達は一瞬たじろいでしまう。
「どうした?」
「あ、その……よろしくお願いします」
俺達は順に手を握り返し、深々と頭を下げる。それから踵を返し、執務室の出口へと歩いていく。
「真面目で良い人だな」
「そうねフェリックスも見習うべきだわ」
小声で、いや安心していたせいだろう少し大きくなった声でシンシアと言葉を交わす。
「まぁでも」
そう、安心しすぎていたんだ。
「これで"女の子同士のイチャイチャ見守り隊"なんだよなぁ……」
自分の口が、驚くほど軽くなる位に。
「キール=B=クワイエット」
矢のように、真っ直ぐとフェルバン殿下の言葉が耳に届く。射抜かれたように背筋をぴんと伸ばしてしまう。
「あっはい!」
「貴様は残れ」
はい失言確定です。シンシアは扉をくぐりながら、ひらひらと右手を振ってくれた。あわよくばその指先で、骨を拾ってくれたらと願いながら。
「えっと、俺、いや私何かやってしまったでしょうか……」
「とぼけるな」
「はいごめんなさい!」
再び座らされる俺。だが今度は緊張でじゃない、恐怖で冷や汗が流れている。
「その名前、どこで聞いた?」
「えーっと……」
とぼけるな、と言われてもなおとぼける俺。他に出来ることなんて無いからだ。
「わからないなら教えてやろう」
ゆっくりと息を吸って吐く殿下。そして冷たく重い声で、その名前を口にする。
「女の子同士のイチャイチャ見守り隊だ」
「はい」
真面目な顔でそう言われると笑いそうになる。だがこれ笑ったら死刑だな、不敬罪になるのかな。
「はい、じゃないふざけているのかキール=B=クワイエット! 女の子同士のイチャイチャ見守り隊員以外は知らない女の子同士のイチャイチャ見守り隊の名前をどこで耳にしたのかと聞いている!」
机を叩きながら長いその名前を連呼する殿下。とりあえず心に誓ったのは、今度フェリックスに会ったら思い切りぶん殴ってやろうという事だった。
「た、たまたま街で」
「王都か?」
「はいそうです」
都合良く勘違いしてくれた殿下の口車に俺は乗る。
「くそっ、本部の連中め私が不在だからと気を緩めて……!」
「ひっ、ごめんなさい!」
また机を叩いたので、思わず仰け反ってしまう。真面目な話をしていたときの十倍ぐらい怖いぞこの人。
「ああ、いや君に非はない……だが選んでもらわなければならない事だけは確かだ」
「何をでしょうか」
「死か、入隊だ」
何その二択。
いや前者は何となく気付いていたけどさ、後者はどうしてなんだろうか。聞かなかったことにするとか忘れるとかさ、他にもっと色々あると思うんだけどね。
「ほ」
他にもっと、こう良い案が。
「本日より不肖キール=B=クワイエット、女の子同士のイチャイチャ見守り隊に入隊させていただきまぁす!」
俺の頭で思い付く筈もなく。
「……よしっ!」
もう一度差し出された右手を握り返せば、さらに左手が重ねられる。今度はずっと力強く。
気が緩みきった俺は、口を半開きにして殿下が斡旋してくれた宿屋へと戻った。
「ただいまーっと」
部屋の扉を開ければ、セツナとアイラがこうオシャレな軽食なんか食べながらカードで遊んでた。まぁいいや、怒る気力すらない。
「……生きてますね。シンシア様から一人だけ居残りを命じられたと伺いましたが」
「めっちゃ本渡された」
紙袋四つに詰められた参考書籍。もちろん今回の魔獣とも偽勇者とも関係ない女の子同士のイチャイチャの本だ。感想文の宿題もあるぞ。
「読んでも良いですか?」
「駄目絶対」
アイラが気楽な声でそう言うが、読んだらそれ死刑だからね。
「アイラ様、男性同士で貸し借りする本は卑猥な物と相場が決まっていますので触らないのが得策かと」
「え、え、えろ本!」
「それ殿下の前で言うなよ……」
まぁでも、エロ本だと思って遠ざけてくれた方が良いか。アイラ顔真っ赤だけど。
「ところでシンシアとレーヴェンは?」
「シンシア様は何かやることがあると……レーヴェン様はペットに餌をやるとかなんとか」
「猫ですかね」
「それはわかりませんが……魚屋に寄ると言ってましたね」
「猫!」
セツナの言葉に乗せられ、アイラが目を輝かせる。好きなのは十分伝わったぞ。
「レーヴェン様に何か用事でも?」
「いや、良いんだ。明日から偽勇者探しよろしくってだけだったから」
「でもちょっと心配ですよね、ずーっと暗い顔してましたもん」
「だったら」
様子見に行こうかな。そう言いかけた瞬間口が動かなくなってしまった。何故だろう、なんて疑問が浮かぶよりも早く窓から視線を感じてしまう。
「どうしました、キール様」
「いや、ちょっと外の風浴びたくて」
「帰ってきたばっかりなのにですか?」
「はは……何でだろうね」
窓を開ける。殿下がいた。ロープでぶら下がってるね。んで窓を閉めて、開けるね。いるね殿下。ロープでぶら下がってる。
「何でいるんですか殿下」
小声でそう尋ねれば、メガネの位置を直して答える。
「百合の波動を感じた」
この人やばいわ。
「キール様、どうなされました?」
「いや、あーカーテンだけは閉めないとなー!」
とりあえずカーテンを全力で閉めて、他の人から殿下が見えないようにしないと。窓の外からについては自己責任でいいよね。
「百合の波動を感じたぞキール隊員。今すぐそこの元気っ子にマイペース娘を励ましに行かせるんだ」
「別にアイラじゃなくても」
「百合の波動を」
「わかりました、今頼んでみます」
何だよ百合の波動ってとか言ってはいけない。今は人の宿の窓にロープでぶら下がって意味不明な言葉を発しているけどこの国の王族である。無下にすると死ぬ。もはや拷問である。
「えっとアイラ……悪いけどレーヴェン探しに行ってくれないかな」
「はい、行きます!」
「落ち込んでるから何か差し入れしろと言え」
「アイツ……やっぱり落ち込んでるみたいだからさ、暖かいものでも買ってやってくれないかな」
「珍しいですねキール様、そんな気の利いた台詞を言えるだなんて」
セツナの指摘で思わず冷や汗をかく。妙なところで勘が良くて困る。
「……そうかな」
「まぁ良いですけど」
「したっけ、あたし行ってきますねー」
「はーいいってらっしゃーい」
俺は手を降って、部屋を後にするアイラを見送る。さあてこれで窓にいるやばい人もね、いなくなってると思うんですけどね。
「何をしているキール隊員。出動だぞ」
「……サーイエッサー」
「あれ、キール様?」
耳に残るセツナの声だが返事なんて出来やしない。俺は窓から伸びた手に胸ぐらを捕まれ、夜の街へと放り出されていたのだから。
「あ、レーヴェンちゃん! こんなとこにいたんですか!」
「アイラ……どうしたのこんな時間に」
「それはこっちの台詞です、はいどうぞ」
星空が映る海を前にし、少女二人は石造りの岸壁に腰をかける。湯気が立ち込める紅茶を手渡し、二人は無言でそれを啜る。今は言葉は、発するだけ余計な物に思えたからだ。
「これより女の子同士のイチャイチャ見守り隊の活動である女の子同士のイチャイチャの見守りを開始する」
「サーイエッサー」
「オペラグラスだ、受け取れ」
適当な木箱を前にし、男二人は冷たい地面に腰を下ろす。オペラグラスを手渡し、二人は無言でそれを覗く。今は言葉は、発せれば殺されそうだと思えたからだ。
「元気出ました?」
「少し……うん少し」
「良かった、みんな心配してたんですよ」
見つめ合う二人と狭まる距離。そこにある空間に男子の入り込む余地はない。なお心配したのはみんなではない、彼女だけだ。ただそう言うのは恥ずかしいから、あくまでみんなと言ったのだ。
って横の人がブツブツつぶやいてる。怖い。
「……レーヴェンちゃんはやっぱり、勇者を倒したいんですか?」
「当然。そっちの都合で家族が狙われるなんて、黙っていられない」
「当然、ですよね」
「あ、それより猫! 野良ちゃんですか?」
「なるほど元気っ子はネコが好き、と」
唐突に紙を取り出しメモを取る殿下。もちろんオペラグラスから手を離さず、だ。膝と左手を駆使しちゃって無駄に器用ですね。
「猫……? 何の話?」
「えっと、セツナさんが魚屋さんでペットの餌を買ってるみたいな事を言ってて」
「タマなら飼ってる」
「タマちゃんって言うんですか! どんな子ですか?」
「こうしてれば多分来る」
そしてレーヴェンは脇においてあった木箱からサーモンを取り出し海へと放り投げ始めた。いやなんでサーモン海に返してるのせめて川に投げてあげてよ。
「鮭……サーモン……何かの隠喩か?」
「例えてないです殿下、サーモンはサーモンです」
俺の言葉は届かず、二人から視線を離さずに考え込む殿下。この人には何が見えているんだろう。
「ウミネコ! なんて落ちじゃないですよね」
「大丈夫、そろそろ来る」
そして、それは来た。飛び上がったそれは海水を押し上げ浮上する。思わずオペラグラスから手を離せば、そこにいたのはクジラだった。
「美しい水しぶきだ……世界が彼女達を祝福している」
「いやあれ」
殿下はオペラグラスから目を離さない。彼女達の表情をオペラグラスから見てればわからないかもしれないというか背景にしか見えないかもしれないけどさ。
「えーっと……この子がタマちゃん?」
クジラの巨体を擦るアイラに、得意げな顔をするレーヴェン。
「そう。わたしをここまで運んでくれた大事な子」
「じゃあこの子も家族なんだね」
「もちろん」
でもねこのクジラね、角が生えてるんですよね。討伐対象の魔物と瓜二つ何だよなぁ、っていうかレーヴェンが魔王の娘だから本物だよなぁ。
「殿下、あれって」
「わかるか隊員! あれはペットを通して私達って家族的な絆だよねという隠喩だ! そしてサーモンは胸に秘めた熱い想いはその中でも特別になりたいという少しだけピンク色の感情の……隠喩だ!」
隠喩じゃないです直視してください現実を。
「きゃっ!」
歓迎の証なのか、潮を吹く討伐対象のタマちゃん。小雨のようにふったそれは、二人の間に虹を作る。
「ふふっ、この子も嬉しいみたい」
「でも濡れちゃったね」
二人は笑う。俺は笑えない。何で討伐対象が身内のペットなんですかね王族が出張るぐらいの大事だからねいよいよ自分が嫌になる。
「濡れちゃった……だと……!」
「殿下!」
そして倒れるフェルバン殿下。その表情は幸せそのもの、余計なものなんて見てないぞと書いてある。
「殉職しちゃったよ」
明日の朝刊の見出しが決まったところで、俺は立ち上がる。出歯亀していた事については言わなくていいか。
「おーい女性陣、そろそろ帰るぞ」
「あ、キールさん」
「いたの?」
「いたんです……でこれ、どうする?」
これ、とは殿下の事ではなく角つきクジラの事である。幸い目撃者はいなさそうだが、いつまでもここに鎮座される訳にはいかない。
「どういう意味?」
「いや討伐対象の魔物ってこれのことだったから」
「これじゃないですタマちゃんですぅー」
アイラが口を尖らせて訂正する。はいはいタマちゃんタマちゃん可愛いですね。
「まぁそのタマちゃんね、少し隠してて貰えるかな……今は偽勇者に集中したいし」
「わかったけど、条件がある」
「サーモン?」
ため息をつくレーヴェン。現実のサーモンは不要なようだ。隠喩の方は明日の朝刊に書いてあるかな。
「二丁目のカフェのチョコパフェもう一つ」
そういえば言ってましたねそんな事を。
「その店って……まだやってる?」
「偽勇者ラシックがいたぞーーーーーーーーーーっ!」
翌朝、俺の耳に届いたのはセツナのいつもどおりの声ではなかった。怒号のような衛兵達の声に、鳴り響く鐘の音。もう少し布団の中でまどろんでいたかったが、うるさくてかなわない。
「うわぁ最悪の目覚め」
起き上がる。欠伸をして背筋を伸ばせば、いつものメイド服を来たセツナが立っていた。さすが朝早いけど鍵どうしたんだろう個室だよねここ。
「おはようございますキール様、着替えはご用意させて頂きましたので早速向かいましょう」
「他の人達は?」
「後で来てくれるそうです」
「そりゃ良かった」
着替えに袖を通しながら、窓を眺める。土煙を上げながら進む勇者に武装して追い回し続ける衛兵達。今からこの中に行くのか俺は。でも、こんな苦労も今日で最後だ。偽勇者一人対王国軍と俺達と来れば、解決するのは時間の問題。
「んじゃ、気合い入れていきますか」
宿屋を出て実感したのは、街中の慌ただしさ。
「こっちだ、いやそっちだ!」
「どっちだ!」
衛兵達の怒声と悲鳴、方方から上がる煙。被害額とか凄いんだろうなとつい考えてしまう程だ。
「大捕物って感じだね」
「何他人事みたいな感想を漏らしてるんですか」
「レーヴェンの占い使えないしな、追いかけるには限界があるよな」
気合を入れていたはずだが、現実的に考えれば別に気合を入れなくて良いことに気付いた俺。衛兵が捕まえたとこでやあやあ偽勇者くんパンツ返してって程度で良いだろうな、うん。
「それにほら、歩いてれば曲がり角でばったりとかあると思わない?」
「思いません」
そりゃ口から出まかせだからね、と補足しようとした瞬間。もっと言えば、曲がり角をよそ見しながら直進していた瞬間。
ぶつかった。何これ運命の出会いかなって思いたかったけど顔を上げればいたのが偽勇者ラシック。運命と言うか因縁の方が近い印象だね。
「が……起こるものは起こりましたね」
立ち上がって埃を払えば、俺を見るなり顔を歪ませる偽勇者。
「お前はっ……!」
「やあ偽勇者……戦おうとは言わない、とりあえずパンツ返してくれ」
両手を上げて提案するが、無理だった。いきなり剣を抜いて切りつけてくるラシック。もうその刃は、青く輝いてはいなかったが。
「そっちに理由はなくたって……こっちにはあるんだよぉ!」
「めっちゃ怒ってるぅ!」
「当然です、キール様のせいで英雄から犯罪者まで落ちたのですから」
「まぁ自業自得ってことで」
二人して物陰に隠れるが、当然のようにすぐ見つかる。ので走って逃げる俺達。
「ごちゃごちゃとぉっ! 死ね、死ね、死ねっ、死ねえええええっ!」
「もう弁解の余地のない犯罪者だなこいつ!」
剣を振り回して追いかけてくるが、その風圧やらで壊れ始める建物。そこはもう単なる犯罪なのだが、どちらかと言うと災害に思える。
「それより何で逃げるんですか頑張れば倒せるじゃないですか」
「一応考えてはいるぞ」
「といいますと」
セツナの質問に行動で答える。右、左でそこは真っ直ぐただ全力で走っていく。殿下に付き合わされたおかげで、この街の地理が頭にあった。
「この辺かなって」
後ろから斬りかかるラシックを避けて後ろを取る。それで当初の作戦通り、港まで誘導することができた。
「さあラシック逃げ場はないぞ」
三方は海残りは俺が塞いでいる。海に飛び込むなんて馬鹿な真似をされなければ、ここが決戦の地で間違いない。
「大人しく……パンツ返せっ!」
助走をつけて飛び掛る。しかしこれで奇妙な因縁も終わりかと思えば少しだけ寂しいような気がしてしまうのはなぜだろうか。たとえばほら、こう空中に浮いてるみたいな気分でさ。
「あれ」
背中を襲う衝撃に、思わず顔をしかめてしまう。投げ飛ばされたと気づいたのは、木箱の破片が頭に落ちてきてからだった。
「忘れてたのか? 僕は……強い」
「でしたね」
立ち上がって埃を払う。
「ダメダメですねキール様」
セツナがそんな事を言うので、思わず苦笑してしまう。やっぱりスキルだかを活用しなきゃ勝てない相手だよねこの人。
「少しは強くなったと思ったんだけどな」
「思い上がりですね」
「その言葉が一番痛いな」
さて、どうするか。俺の持っているスキル一覧はなんて確認する方法は無いので、確実性を取るなら魔王の魔法を使ってしまうことだろう。ここなら余計な建物もなさそうだ、と納得しかけたところで視界の隅に高そうな船を見つける。アレ壊したら高そうだなと思って二の足を踏みそうになるが、それでも俺は右手を構えた。
その時だった。
「ホーッホッホホ! 無様ねキール=バカタレ=クワイエット!」
「この高笑いは!」
聞こえてきたのはシンシアの悪趣味な笑い声。どこからだと頭を振れば、近づいて来る高そうな船。
「偽勇者ラシック、どうやらここが年貢の納め時のようね。このシンシア=リーゼロッテが昨日買っておいた軍艦ブラックリリィ号の前にひれ伏し……大人しくお縄につきなさい!」
年貢を納めるのかお縄につくのかどっちなのか、そもそも真っ黒なのは誰かが徹夜で塗ったのか、それよりもアレいくらしたんだろうという当然の疑問の数々はさておき、その火力は圧巻だった。船の側面から見える、黒光りした8門の大砲は人一人を否応無く木っ端微塵にするだろう。
「誰が相手にするかそんなもの!」
そりゃそうだろう、と思わず頷く。だが船上のシンシアは怯まない。ただその口元を小さくゆがませ、同じく船の上に鎮座する大きな布がかぶった箱のようなものに手をかける。
「フッフッフ……これを見てもまだそう言えるかしら?」
勢いよく彼女は布を取り払う。そこにあったのは巨大な檻。ちょうど人間が三人ほど入るような、いや詰められたような。
「ラシック!」
声を張り上げたのは、偽勇者に同行していた三人娘。皆悲痛な顔持ちで、ラシックに手を伸ばしている。
「リン、アサヒ、レモル……」
それぞれの名前を彼は呟く。悔しいような、それでいて悲しいような表情で。この四人に何があったかなど知る由も無かったが、それでも信頼とか尊敬とかそういう類のものはあったのだろう。もしくはそれ以上のものが。
「こっちを向いたわね、砲撃開始ィイッ!」
「了解ですシンシア艦長!」
「死ね」
だがそんな事情、シンシアには路傍の石以下の価値も無い。ちゃっかり船に乗っていたアイラとレーヴェンに号令を出せば、二人は大砲に火を入れる。
というわけで砲撃開始、次々と飛んでくる鉄の砲弾が港を木っ端微塵にし始める。
「俺もいるんですけど!」
悲痛な叫びは聞こえるはずも無く、俺は急いでセツナの手を取り物陰へと隠れた。
「悪役令嬢というかただの悪役ですね」
「あれは単なる悪人って言うんだ」
砕ける港に飛び交う砲弾、鳴り響くは悪の笑い。これって誰が弁償するんだろうと少し頭が悩み始めたところで、別の声が聞こえてきた。
「ラシック! 私達は……あなたが偽物でも構わない!」
船の上から、彼女たちは叫んでいた。砲弾の雨をよけ続ける、かつて勇者を騙った男に。
「お前との旅は楽しかった! だからまた!」
「犯罪者でも構わないから……一緒に行こう、ラシック!」
砲弾の雨が止まる。流石のシンシアにも人間としての良心が残っていたのだろう。
「みんな」
「ホーッホッホ! 可愛いこと言う子達じゃないの!」
だがそれは、悲しいかな俺の勘違いだった。さっき俺は言ったじゃないか、彼女はもう悪役などではなく悪人だと。
「もっとも」
シンシアの白く均整の取れた指が、彼女達の頬をなぞった。そして彼女は妖しく笑う。それが自分の生きる道だ文句はあるかと誇るかのように。
「昨日の夜は……もっと可愛かったけれども」
三人の顔が一気に赤くなる。待てなんだその恋する乙女みたいな眼差しはさっきまでのラシックへの悲痛な叫びはどうした剣士の子なんてドキドキしすぎて目も合わせてないぞ何が一緒に行こうだもうイッた後じゃないか。
「セツナ、あいつ外道だな」
「流石キール様、その通りでございます」
二人して頷く。前世でどんな悪いことをすればこんな金も権力もある外道令嬢として生まれ変わるのだろうと思わずにはいられない。
いやそれにしてもどうすんだろうこの空気、港はボロボロでシンシアは高笑いラシックの心はボロボロ誰かどうにかしてくれないかな。
「百合警察だ! イチャイチャ不敬罪で逮捕する!」
「やばい人来た」
とか思ってたら殿下が来た。飛んできた。原理は不明だが空高く飛んできた殿下が太陽を背に受けながら、空中で五回転ぐらいして船に着地する。
「シンシア=リーゼロッテ、お前の悪行は弟から聞いている」
「で、殿下!? えっと、そのイチャイチャ不敬罪って」
うろたえるシンシア。そりゃそうだよね、昨日あれだけ怖かったけど優しさもあったはずの人が違う意味での怖さだけを抱えてやってきたんだからね。
「キール隊員、説明!」
「出来ませんって!」
しかもこうね、人にわけのわからない罪状の説明をさせようとするしね。
「日が浅すぎたか……まぁいい。貴様は女の子同士のイチャイチャ見守り隊の教義に反する愛のない肉体関係を結ぶ常習犯らしいではないか」
眼鏡を輝かせながら、殿下は早口でそんな事を言い出した。俺なら知らんがなの一言で片付けそうなそれだったが、シンシアはスカートの裾を摘んで恭しく頭を下げる。
「殿下……畏れ多くも一つだけ述べさせて頂きます」
「かまわん続けろ」
「体から始まる……恋もあると!」
冷たい潮風が、港に吹いたような気がした。まぁ三人娘の表情を見るなりあるかもしれないけどさ、もうやめてあげてよラシック死にそうだよ好きだったんだよきっと彼女たちが。
「そうなのかキール隊員!」
「知りませんって!」
何でこう一々俺に聞くかなこの人は。
「ならばシンシア=リーゼロッテよ……そう豪語するなら昨日の晩の事をこの場で語ってみせろ」
「ご期待に添えるかどうかはわかりませんが……」
三人娘は悲鳴を上げない。ただ顔も耳も真っ赤にしてうつむいているだけだった。
「まずこう、服の下に手を入れてパンツの紐をパチンと」
「パンツの紐を……パチン!」
刺激が強すぎたのか、殿下が倒れる。まだ話が始まったばかりだが、刺激が強すぎたのだろう。
「殿下殉職しちゃったよ」
二日連続で朝刊の見出しとか国民に大人気で良かったですね。
「その後は耳たぶに息を吹きかけてそれで……」
だがシンシアは話をやめない。殿下はもう動かない。
「それ以上喋るなあああああああああっ!」
だからその外道に切りかかったのは、当然のようにラシックだった。その剣をレーヴェンが持ち前の水晶玉で受け止めるが、そう長くは持たないだろう。
「とりあえず助けに行くか」
俺たちは船に向かって走り出す。殿下みたいに謎の方法で飛び乗ったりはできないので、陸路だったり梯子だったりロープだったりを駆使してやっと到着。何とかついた船の上で、殿下は幸せそうに死んでいてラシックは鬼の形相で剣を振るっていた。果たしてここは地獄なのか天国なのかと疑問に思う。
「偽勇者泣いてますね、いい気味です」
「俺はちょっと同情するよ」
鬼の目にもなんて言葉があるらしいが、少なくとも扇子で扇ぎながら下々のものに戦わせるシンシアの方がよほど鬼だと思うので、この言葉は間違いだろう。本当のそれには血も涙も無いのだから。
「死ねえええええ悪党があああああっ!」
シンシアの喉元を狙った刃を、何とか両手で受け止める。どう考えても俺の体の限界を超えた動きだったので、明日は絶対筋肉痛だ。
「あら遅かったわねキール」
「次は助けないからな」
これ以上助ければ、俺も鬼の仲間入りにしてしまうからだ。
「キール様、殿下はいかがしましょうか」
「とりあえず陸に下ろしてあげて」
無言でセツナが頷き、殿下を荷物みたいに肩で担ぐ。王族だからねそれ。
「あ」
なんて貴族らしく気の利いた言葉をかけようとした瞬間、セツナが何かに躓いた。木箱である。どこにでもあるなこの木箱、なんて思ったのも束の間。
「キール様、殿下が海に」
セツナが転んでしまったせいで、担がれていた殿下が海に落ちた。大問題だが何となく殿下なら大丈夫のような気がした。そう思わなければ俺達は偽勇者討伐隊どころか王族殺しなのだから。しかも本物の。
「まあ殿下なら多分大丈夫だろう……それより箱の中身は?」
それより落ちた木箱の中身が気になった。だってもうこの二日で嫌と言うほど見てるからね、船の上にあるそれの中身ぐらい気にしたっていいじゃないか。
「サーモン」
「何かの隠喩?」
「サーモンはサーモン」
レーヴェンがそう答える。そっか、ぐうの音も出ないほどのサーモンなのかあの箱の中身は。
「そっか……ってことはさ」
ということはだね、この海面を押し上げてくる巨体の正体はだね、餌の時間だと勘違いしてしまったね。
「タマアアアアアアアアアアアアッ!」
浮上したタマの巨体が、シンシアの船にのしかかる。それだけでこの何とか号は真っ二つに割れてしまったわけで。
運動神経の無い俺なんかは、成す術も無く海に放り出される事しか出来なかった。
揺れる馬車の中、虚ろな目をした彼女達がようやくその口を開く。
「知らなかったんです、私達も。あの人が……ラシックが勇者じゃなかったなんて」
「一生の不覚だ……弁解のしようがない」
「でも、悪い人じゃなかったと思う」
勇者の取り巻き三人娘は、俺達と同じ馬車に乗り合わせている。ただ違いがあるとすれば、三人の両手には手錠が嵌められている事だろうか。
――勇者、いや偽勇者ラシックはあの城から逃亡した。ただゆっくりと剣を仕舞い風のように消えてしまった。
残されたのは三人娘。茫然自失でいたところを、衛兵に囲まれて逮捕。本当はそのまま牢屋にでも放り込まれるのが筋なのだろうが、すぐに偽勇者が港町ユーベイで目撃されたとの噂があり同行させる事となった。
まだ調書が終わってないという理由が半分、偽勇者をおびき寄せる餌としての理由が半分。気持ちのいいものでは無いが、仕方ないと割り切れる自分もいた。
「それが人様のパンツを盗んだ言い訳になるんですか? あなたは善人にならパンツを盗まれてもいいと……いえでもこれは矛盾してますね、善人はそもそもパンツなんて盗みませんから」
セツナはようやく怒りの矛先を見つけられたようで喜んでいた。これが喜んでいるとわかるのは、多分俺ぐらいだと思うのだが。
「まあまあ落ち着けってセツナ」
「失礼しました」
ちなみに肝心のセツナのパンツだが、まだ見つかっていない。偽勇者の泊まっていた宿に向かったものの、遅かったのか荷物は全て回収されていたのだ。
「結果的には良かっただろ? こうやって偽勇者討伐の勅命を受けて、こんな事になったけどさ」
窓を開ければ、無数の馬車に囲まれている。俺とアイラが交代で動かしていたものではなく、軍用の立派な類のもの。もはや偽勇者ラシックを捕まえるという行為はメイド個人の思惑では無くなっていた。どこぞの悪法を悪用されたのだ、国の面子にかけて制裁しなければならない。
「あとは寝てれば軍が何とかしてくれるよ」
で、俺が当事者かつ地方領主だったせいか代表者として討伐の勅命を受ける事になってしまった。ただし前線で剣を振り回せという意味ではなく、この豪華な馬車で偉そうにふんぞり返っていろという意味だ。
「ダメ、キールちっとも良くない」
と思ったらレーヴェンに頬を抓られた。
「そもそも、わたしは家族のため勇者を倒しに来た。それが何? 今日まで追いかけて来たのはただの下着泥棒だったなんて」
彼女の気持ちがわからない、というわけでもない。何せここしばらく血眼になって追いかけていた男がしょうもない偽物だったのだ、腹をたてるのも無理はない事。だとしても。
「俺に責任はないと思うけど」
そう俺は悪くない、俺だって騙されていたんだから。
「まったく」
レーヴェンは窓を開けて、冷たい風を頬に受ける。そして珍しくその本心を、心の奥底から叫んだ。
「本物の勇者、でてこーーーーーい!」
返事なんてもちろん無い。港町から吹く潮風が、全部吹き飛ばしてくれたような気がした。まぁ、俺も本物の勇者がどこにいるのか少し気になるけどさ。
「ここが港町ユーベイね」
馬車を降りるなりシンシアがわかりきった事を言う。港町ユーベイは、エルガイスト王国最南端の都市である。港の名の通り海に面しており基本産業は漁業半分観光半分だが、町の人々の顔は暗い。かといって人が少ないわけではない、むしろ街中には鎧を来た軍人で溢れていた。
理由は単純、この街には魔獣討伐隊が駐留しているからだ。貰った資料によると数ヶ月程前にユーベイ近海に角の生えたクジラのような魔獣が出現。討伐隊が攻撃するも効果がなく、時折水面から顔を出しては周囲を見回す様子はまるで誰かを待っているよう、と書かれていたのだが。
「ってシンシアまだいたのか……別に付き合わなくても良かったんだぞ?」
そんなことより気になるのは、彼女がまだ俺たちの旅に同行していた事だろうか。偽勇者の討伐を頼まれたのは俺なので律儀にそんな事をする必要なんてどこにもないのだが。
「あら随分な言い草だこと……正義感じゃなくて打算よ打算。偽勇者討伐なんてお手柄、みすみす逃す手があって?」
扇子で口を隠しながら、そんな事を言い出すシンシア。成る程確かにそういう目線はあって然るべきなのだろうけど。
「それにあの三人、もう一押で落ちそうだし」
ただ付け加えられた一言について聞き流す事にした。
「となるとアイラは本当のとばっちりだな」
「いえ、あたしは色んなとこ見れて楽しいですし。それよりレーヴェンちゃんがずっと不機嫌なのが」
街につくなり思い切り頬をふくらませるレーヴェン、もはやそういう動物のようだと思えなくもない。
「なあレーヴェン、勇者探しは別の機会って事で、このまま手伝ってもらえるか?」
「報酬は二丁目のカフェのチョコパフェを要求する」
まぁその程度でこの不機嫌なお姫様が立ち直ってくれるなら助かるが、いやまて何でこいつは店の場所知っているんだ?
「二丁目って……レーヴェンこの街来たことあるの?」
「当然。だってこの街は」
鼻を鳴らして彼女は答える。お、少しだけ機嫌戻ったかななんて束の間。
「魔界に一番近いんだから」
またとんでもない発言を俺たちに残してくれましたとさ。
で、だ。
街についてはい宿屋で休んでから勇者もとい偽勇者探しましょうねといつものようには行かないのが今日の所。そりゃ魔獣討伐隊のいる街に来たんだから当然だよね。
というわけで俺達は、ここの討伐隊長のところへ挨拶に向かっていた。のだが、ここの隊長という人物だが。
「良いことキール、貴方今度こそ対応間違えないでよね」
「大丈夫緊張して来たから」
「そう良かった、あなたも人並みの感性があったみたいで」
彼についての情報を嫌という程聞かされていた。クソ真面目クソメガネクソ陰険などなど。どうしてそんなに詳しいかと言えば、友人の兄貴だから。で、俺の友人といえばもちろんフェリックスなわけで。
「失礼します……」
この国の第二王子、フェルバン=L=ガイストが待つ扉を汗で湿った拳で叩いた。
「誰だ?」
帰ってきたのは、氷塊のように冷たく重い声だった。なる程あの不真面目野郎が萎縮するには、当然のように思えた。
「陛下より偽勇者討伐の勅命を賜りました、キール=B=クワイエット並びにシンシア=リーゼロッテです」
「話は聞いている、中に入れ」
その言葉に従って、城の扉より重そうなそれを開く。そこにはソファに腰を下ろしメガネを光らせる、堅物そうな眼鏡の男が座っていた。
「お初にお目にかかります、シンシ」
「それは先程伺ったつもりだが」
スカートの裾を摘んで挨拶しようとしたところ、それを制止するフェルバン殿下。
「まあいいかけてくれ。フェルバン=L=ガイストだ。魔獣討伐の任を受けて半年程前から駐留軍の指揮を任されているが……説明は必要か?」
怖いなこの人、とりあえず許可も出たし座らせてもらおう。
「結構です、お気遣いに感謝します」
「道中の馬車にて、付け焼き刃ではありますが勉強させて頂きましたので」
予習しておいて良かったと心の底から思う。
「話が早くて助かる。あの愚弟の同窓と聞いて不安だったが、成る程友人を見る目は確かだったらしい」
メガネの位置を直しながら、そんな事を言う。
「もしかして褒められた?」
「それもかなり直接的にね」
小声で話し合う俺達。意外な言葉に思わず驚いたせいだろう。
「では早速だが、ここにいる間二人には私の補佐役という形を取らせてもらうが依存はないな? 何、他所の領地で君達が自由に動くための飾りと思ってくれて構わない」
「身に余る光栄ですわ、フェルバン殿下」
「我々も偽勇者を発見次第すぐに君達に知らせよう。共に不届き者に然るべき報いを受けさせようではないか」
そう言って彼は嵌めていた白い手袋を脱ぎ、右手を差し出してきた。褒め言葉よりも意外なそれに、俺達は一瞬たじろいでしまう。
「どうした?」
「あ、その……よろしくお願いします」
俺達は順に手を握り返し、深々と頭を下げる。それから踵を返し、執務室の出口へと歩いていく。
「真面目で良い人だな」
「そうねフェリックスも見習うべきだわ」
小声で、いや安心していたせいだろう少し大きくなった声でシンシアと言葉を交わす。
「まぁでも」
そう、安心しすぎていたんだ。
「これで"女の子同士のイチャイチャ見守り隊"なんだよなぁ……」
自分の口が、驚くほど軽くなる位に。
「キール=B=クワイエット」
矢のように、真っ直ぐとフェルバン殿下の言葉が耳に届く。射抜かれたように背筋をぴんと伸ばしてしまう。
「あっはい!」
「貴様は残れ」
はい失言確定です。シンシアは扉をくぐりながら、ひらひらと右手を振ってくれた。あわよくばその指先で、骨を拾ってくれたらと願いながら。
「えっと、俺、いや私何かやってしまったでしょうか……」
「とぼけるな」
「はいごめんなさい!」
再び座らされる俺。だが今度は緊張でじゃない、恐怖で冷や汗が流れている。
「その名前、どこで聞いた?」
「えーっと……」
とぼけるな、と言われてもなおとぼける俺。他に出来ることなんて無いからだ。
「わからないなら教えてやろう」
ゆっくりと息を吸って吐く殿下。そして冷たく重い声で、その名前を口にする。
「女の子同士のイチャイチャ見守り隊だ」
「はい」
真面目な顔でそう言われると笑いそうになる。だがこれ笑ったら死刑だな、不敬罪になるのかな。
「はい、じゃないふざけているのかキール=B=クワイエット! 女の子同士のイチャイチャ見守り隊員以外は知らない女の子同士のイチャイチャ見守り隊の名前をどこで耳にしたのかと聞いている!」
机を叩きながら長いその名前を連呼する殿下。とりあえず心に誓ったのは、今度フェリックスに会ったら思い切りぶん殴ってやろうという事だった。
「た、たまたま街で」
「王都か?」
「はいそうです」
都合良く勘違いしてくれた殿下の口車に俺は乗る。
「くそっ、本部の連中め私が不在だからと気を緩めて……!」
「ひっ、ごめんなさい!」
また机を叩いたので、思わず仰け反ってしまう。真面目な話をしていたときの十倍ぐらい怖いぞこの人。
「ああ、いや君に非はない……だが選んでもらわなければならない事だけは確かだ」
「何をでしょうか」
「死か、入隊だ」
何その二択。
いや前者は何となく気付いていたけどさ、後者はどうしてなんだろうか。聞かなかったことにするとか忘れるとかさ、他にもっと色々あると思うんだけどね。
「ほ」
他にもっと、こう良い案が。
「本日より不肖キール=B=クワイエット、女の子同士のイチャイチャ見守り隊に入隊させていただきまぁす!」
俺の頭で思い付く筈もなく。
「……よしっ!」
もう一度差し出された右手を握り返せば、さらに左手が重ねられる。今度はずっと力強く。
気が緩みきった俺は、口を半開きにして殿下が斡旋してくれた宿屋へと戻った。
「ただいまーっと」
部屋の扉を開ければ、セツナとアイラがこうオシャレな軽食なんか食べながらカードで遊んでた。まぁいいや、怒る気力すらない。
「……生きてますね。シンシア様から一人だけ居残りを命じられたと伺いましたが」
「めっちゃ本渡された」
紙袋四つに詰められた参考書籍。もちろん今回の魔獣とも偽勇者とも関係ない女の子同士のイチャイチャの本だ。感想文の宿題もあるぞ。
「読んでも良いですか?」
「駄目絶対」
アイラが気楽な声でそう言うが、読んだらそれ死刑だからね。
「アイラ様、男性同士で貸し借りする本は卑猥な物と相場が決まっていますので触らないのが得策かと」
「え、え、えろ本!」
「それ殿下の前で言うなよ……」
まぁでも、エロ本だと思って遠ざけてくれた方が良いか。アイラ顔真っ赤だけど。
「ところでシンシアとレーヴェンは?」
「シンシア様は何かやることがあると……レーヴェン様はペットに餌をやるとかなんとか」
「猫ですかね」
「それはわかりませんが……魚屋に寄ると言ってましたね」
「猫!」
セツナの言葉に乗せられ、アイラが目を輝かせる。好きなのは十分伝わったぞ。
「レーヴェン様に何か用事でも?」
「いや、良いんだ。明日から偽勇者探しよろしくってだけだったから」
「でもちょっと心配ですよね、ずーっと暗い顔してましたもん」
「だったら」
様子見に行こうかな。そう言いかけた瞬間口が動かなくなってしまった。何故だろう、なんて疑問が浮かぶよりも早く窓から視線を感じてしまう。
「どうしました、キール様」
「いや、ちょっと外の風浴びたくて」
「帰ってきたばっかりなのにですか?」
「はは……何でだろうね」
窓を開ける。殿下がいた。ロープでぶら下がってるね。んで窓を閉めて、開けるね。いるね殿下。ロープでぶら下がってる。
「何でいるんですか殿下」
小声でそう尋ねれば、メガネの位置を直して答える。
「百合の波動を感じた」
この人やばいわ。
「キール様、どうなされました?」
「いや、あーカーテンだけは閉めないとなー!」
とりあえずカーテンを全力で閉めて、他の人から殿下が見えないようにしないと。窓の外からについては自己責任でいいよね。
「百合の波動を感じたぞキール隊員。今すぐそこの元気っ子にマイペース娘を励ましに行かせるんだ」
「別にアイラじゃなくても」
「百合の波動を」
「わかりました、今頼んでみます」
何だよ百合の波動ってとか言ってはいけない。今は人の宿の窓にロープでぶら下がって意味不明な言葉を発しているけどこの国の王族である。無下にすると死ぬ。もはや拷問である。
「えっとアイラ……悪いけどレーヴェン探しに行ってくれないかな」
「はい、行きます!」
「落ち込んでるから何か差し入れしろと言え」
「アイツ……やっぱり落ち込んでるみたいだからさ、暖かいものでも買ってやってくれないかな」
「珍しいですねキール様、そんな気の利いた台詞を言えるだなんて」
セツナの指摘で思わず冷や汗をかく。妙なところで勘が良くて困る。
「……そうかな」
「まぁ良いですけど」
「したっけ、あたし行ってきますねー」
「はーいいってらっしゃーい」
俺は手を降って、部屋を後にするアイラを見送る。さあてこれで窓にいるやばい人もね、いなくなってると思うんですけどね。
「何をしているキール隊員。出動だぞ」
「……サーイエッサー」
「あれ、キール様?」
耳に残るセツナの声だが返事なんて出来やしない。俺は窓から伸びた手に胸ぐらを捕まれ、夜の街へと放り出されていたのだから。
「あ、レーヴェンちゃん! こんなとこにいたんですか!」
「アイラ……どうしたのこんな時間に」
「それはこっちの台詞です、はいどうぞ」
星空が映る海を前にし、少女二人は石造りの岸壁に腰をかける。湯気が立ち込める紅茶を手渡し、二人は無言でそれを啜る。今は言葉は、発するだけ余計な物に思えたからだ。
「これより女の子同士のイチャイチャ見守り隊の活動である女の子同士のイチャイチャの見守りを開始する」
「サーイエッサー」
「オペラグラスだ、受け取れ」
適当な木箱を前にし、男二人は冷たい地面に腰を下ろす。オペラグラスを手渡し、二人は無言でそれを覗く。今は言葉は、発せれば殺されそうだと思えたからだ。
「元気出ました?」
「少し……うん少し」
「良かった、みんな心配してたんですよ」
見つめ合う二人と狭まる距離。そこにある空間に男子の入り込む余地はない。なお心配したのはみんなではない、彼女だけだ。ただそう言うのは恥ずかしいから、あくまでみんなと言ったのだ。
って横の人がブツブツつぶやいてる。怖い。
「……レーヴェンちゃんはやっぱり、勇者を倒したいんですか?」
「当然。そっちの都合で家族が狙われるなんて、黙っていられない」
「当然、ですよね」
「あ、それより猫! 野良ちゃんですか?」
「なるほど元気っ子はネコが好き、と」
唐突に紙を取り出しメモを取る殿下。もちろんオペラグラスから手を離さず、だ。膝と左手を駆使しちゃって無駄に器用ですね。
「猫……? 何の話?」
「えっと、セツナさんが魚屋さんでペットの餌を買ってるみたいな事を言ってて」
「タマなら飼ってる」
「タマちゃんって言うんですか! どんな子ですか?」
「こうしてれば多分来る」
そしてレーヴェンは脇においてあった木箱からサーモンを取り出し海へと放り投げ始めた。いやなんでサーモン海に返してるのせめて川に投げてあげてよ。
「鮭……サーモン……何かの隠喩か?」
「例えてないです殿下、サーモンはサーモンです」
俺の言葉は届かず、二人から視線を離さずに考え込む殿下。この人には何が見えているんだろう。
「ウミネコ! なんて落ちじゃないですよね」
「大丈夫、そろそろ来る」
そして、それは来た。飛び上がったそれは海水を押し上げ浮上する。思わずオペラグラスから手を離せば、そこにいたのはクジラだった。
「美しい水しぶきだ……世界が彼女達を祝福している」
「いやあれ」
殿下はオペラグラスから目を離さない。彼女達の表情をオペラグラスから見てればわからないかもしれないというか背景にしか見えないかもしれないけどさ。
「えーっと……この子がタマちゃん?」
クジラの巨体を擦るアイラに、得意げな顔をするレーヴェン。
「そう。わたしをここまで運んでくれた大事な子」
「じゃあこの子も家族なんだね」
「もちろん」
でもねこのクジラね、角が生えてるんですよね。討伐対象の魔物と瓜二つ何だよなぁ、っていうかレーヴェンが魔王の娘だから本物だよなぁ。
「殿下、あれって」
「わかるか隊員! あれはペットを通して私達って家族的な絆だよねという隠喩だ! そしてサーモンは胸に秘めた熱い想いはその中でも特別になりたいという少しだけピンク色の感情の……隠喩だ!」
隠喩じゃないです直視してください現実を。
「きゃっ!」
歓迎の証なのか、潮を吹く討伐対象のタマちゃん。小雨のようにふったそれは、二人の間に虹を作る。
「ふふっ、この子も嬉しいみたい」
「でも濡れちゃったね」
二人は笑う。俺は笑えない。何で討伐対象が身内のペットなんですかね王族が出張るぐらいの大事だからねいよいよ自分が嫌になる。
「濡れちゃった……だと……!」
「殿下!」
そして倒れるフェルバン殿下。その表情は幸せそのもの、余計なものなんて見てないぞと書いてある。
「殉職しちゃったよ」
明日の朝刊の見出しが決まったところで、俺は立ち上がる。出歯亀していた事については言わなくていいか。
「おーい女性陣、そろそろ帰るぞ」
「あ、キールさん」
「いたの?」
「いたんです……でこれ、どうする?」
これ、とは殿下の事ではなく角つきクジラの事である。幸い目撃者はいなさそうだが、いつまでもここに鎮座される訳にはいかない。
「どういう意味?」
「いや討伐対象の魔物ってこれのことだったから」
「これじゃないですタマちゃんですぅー」
アイラが口を尖らせて訂正する。はいはいタマちゃんタマちゃん可愛いですね。
「まぁそのタマちゃんね、少し隠してて貰えるかな……今は偽勇者に集中したいし」
「わかったけど、条件がある」
「サーモン?」
ため息をつくレーヴェン。現実のサーモンは不要なようだ。隠喩の方は明日の朝刊に書いてあるかな。
「二丁目のカフェのチョコパフェもう一つ」
そういえば言ってましたねそんな事を。
「その店って……まだやってる?」
「偽勇者ラシックがいたぞーーーーーーーーーーっ!」
翌朝、俺の耳に届いたのはセツナのいつもどおりの声ではなかった。怒号のような衛兵達の声に、鳴り響く鐘の音。もう少し布団の中でまどろんでいたかったが、うるさくてかなわない。
「うわぁ最悪の目覚め」
起き上がる。欠伸をして背筋を伸ばせば、いつものメイド服を来たセツナが立っていた。さすが朝早いけど鍵どうしたんだろう個室だよねここ。
「おはようございますキール様、着替えはご用意させて頂きましたので早速向かいましょう」
「他の人達は?」
「後で来てくれるそうです」
「そりゃ良かった」
着替えに袖を通しながら、窓を眺める。土煙を上げながら進む勇者に武装して追い回し続ける衛兵達。今からこの中に行くのか俺は。でも、こんな苦労も今日で最後だ。偽勇者一人対王国軍と俺達と来れば、解決するのは時間の問題。
「んじゃ、気合い入れていきますか」
宿屋を出て実感したのは、街中の慌ただしさ。
「こっちだ、いやそっちだ!」
「どっちだ!」
衛兵達の怒声と悲鳴、方方から上がる煙。被害額とか凄いんだろうなとつい考えてしまう程だ。
「大捕物って感じだね」
「何他人事みたいな感想を漏らしてるんですか」
「レーヴェンの占い使えないしな、追いかけるには限界があるよな」
気合を入れていたはずだが、現実的に考えれば別に気合を入れなくて良いことに気付いた俺。衛兵が捕まえたとこでやあやあ偽勇者くんパンツ返してって程度で良いだろうな、うん。
「それにほら、歩いてれば曲がり角でばったりとかあると思わない?」
「思いません」
そりゃ口から出まかせだからね、と補足しようとした瞬間。もっと言えば、曲がり角をよそ見しながら直進していた瞬間。
ぶつかった。何これ運命の出会いかなって思いたかったけど顔を上げればいたのが偽勇者ラシック。運命と言うか因縁の方が近い印象だね。
「が……起こるものは起こりましたね」
立ち上がって埃を払えば、俺を見るなり顔を歪ませる偽勇者。
「お前はっ……!」
「やあ偽勇者……戦おうとは言わない、とりあえずパンツ返してくれ」
両手を上げて提案するが、無理だった。いきなり剣を抜いて切りつけてくるラシック。もうその刃は、青く輝いてはいなかったが。
「そっちに理由はなくたって……こっちにはあるんだよぉ!」
「めっちゃ怒ってるぅ!」
「当然です、キール様のせいで英雄から犯罪者まで落ちたのですから」
「まぁ自業自得ってことで」
二人して物陰に隠れるが、当然のようにすぐ見つかる。ので走って逃げる俺達。
「ごちゃごちゃとぉっ! 死ね、死ね、死ねっ、死ねえええええっ!」
「もう弁解の余地のない犯罪者だなこいつ!」
剣を振り回して追いかけてくるが、その風圧やらで壊れ始める建物。そこはもう単なる犯罪なのだが、どちらかと言うと災害に思える。
「それより何で逃げるんですか頑張れば倒せるじゃないですか」
「一応考えてはいるぞ」
「といいますと」
セツナの質問に行動で答える。右、左でそこは真っ直ぐただ全力で走っていく。殿下に付き合わされたおかげで、この街の地理が頭にあった。
「この辺かなって」
後ろから斬りかかるラシックを避けて後ろを取る。それで当初の作戦通り、港まで誘導することができた。
「さあラシック逃げ場はないぞ」
三方は海残りは俺が塞いでいる。海に飛び込むなんて馬鹿な真似をされなければ、ここが決戦の地で間違いない。
「大人しく……パンツ返せっ!」
助走をつけて飛び掛る。しかしこれで奇妙な因縁も終わりかと思えば少しだけ寂しいような気がしてしまうのはなぜだろうか。たとえばほら、こう空中に浮いてるみたいな気分でさ。
「あれ」
背中を襲う衝撃に、思わず顔をしかめてしまう。投げ飛ばされたと気づいたのは、木箱の破片が頭に落ちてきてからだった。
「忘れてたのか? 僕は……強い」
「でしたね」
立ち上がって埃を払う。
「ダメダメですねキール様」
セツナがそんな事を言うので、思わず苦笑してしまう。やっぱりスキルだかを活用しなきゃ勝てない相手だよねこの人。
「少しは強くなったと思ったんだけどな」
「思い上がりですね」
「その言葉が一番痛いな」
さて、どうするか。俺の持っているスキル一覧はなんて確認する方法は無いので、確実性を取るなら魔王の魔法を使ってしまうことだろう。ここなら余計な建物もなさそうだ、と納得しかけたところで視界の隅に高そうな船を見つける。アレ壊したら高そうだなと思って二の足を踏みそうになるが、それでも俺は右手を構えた。
その時だった。
「ホーッホッホホ! 無様ねキール=バカタレ=クワイエット!」
「この高笑いは!」
聞こえてきたのはシンシアの悪趣味な笑い声。どこからだと頭を振れば、近づいて来る高そうな船。
「偽勇者ラシック、どうやらここが年貢の納め時のようね。このシンシア=リーゼロッテが昨日買っておいた軍艦ブラックリリィ号の前にひれ伏し……大人しくお縄につきなさい!」
年貢を納めるのかお縄につくのかどっちなのか、そもそも真っ黒なのは誰かが徹夜で塗ったのか、それよりもアレいくらしたんだろうという当然の疑問の数々はさておき、その火力は圧巻だった。船の側面から見える、黒光りした8門の大砲は人一人を否応無く木っ端微塵にするだろう。
「誰が相手にするかそんなもの!」
そりゃそうだろう、と思わず頷く。だが船上のシンシアは怯まない。ただその口元を小さくゆがませ、同じく船の上に鎮座する大きな布がかぶった箱のようなものに手をかける。
「フッフッフ……これを見てもまだそう言えるかしら?」
勢いよく彼女は布を取り払う。そこにあったのは巨大な檻。ちょうど人間が三人ほど入るような、いや詰められたような。
「ラシック!」
声を張り上げたのは、偽勇者に同行していた三人娘。皆悲痛な顔持ちで、ラシックに手を伸ばしている。
「リン、アサヒ、レモル……」
それぞれの名前を彼は呟く。悔しいような、それでいて悲しいような表情で。この四人に何があったかなど知る由も無かったが、それでも信頼とか尊敬とかそういう類のものはあったのだろう。もしくはそれ以上のものが。
「こっちを向いたわね、砲撃開始ィイッ!」
「了解ですシンシア艦長!」
「死ね」
だがそんな事情、シンシアには路傍の石以下の価値も無い。ちゃっかり船に乗っていたアイラとレーヴェンに号令を出せば、二人は大砲に火を入れる。
というわけで砲撃開始、次々と飛んでくる鉄の砲弾が港を木っ端微塵にし始める。
「俺もいるんですけど!」
悲痛な叫びは聞こえるはずも無く、俺は急いでセツナの手を取り物陰へと隠れた。
「悪役令嬢というかただの悪役ですね」
「あれは単なる悪人って言うんだ」
砕ける港に飛び交う砲弾、鳴り響くは悪の笑い。これって誰が弁償するんだろうと少し頭が悩み始めたところで、別の声が聞こえてきた。
「ラシック! 私達は……あなたが偽物でも構わない!」
船の上から、彼女たちは叫んでいた。砲弾の雨をよけ続ける、かつて勇者を騙った男に。
「お前との旅は楽しかった! だからまた!」
「犯罪者でも構わないから……一緒に行こう、ラシック!」
砲弾の雨が止まる。流石のシンシアにも人間としての良心が残っていたのだろう。
「みんな」
「ホーッホッホ! 可愛いこと言う子達じゃないの!」
だがそれは、悲しいかな俺の勘違いだった。さっき俺は言ったじゃないか、彼女はもう悪役などではなく悪人だと。
「もっとも」
シンシアの白く均整の取れた指が、彼女達の頬をなぞった。そして彼女は妖しく笑う。それが自分の生きる道だ文句はあるかと誇るかのように。
「昨日の夜は……もっと可愛かったけれども」
三人の顔が一気に赤くなる。待てなんだその恋する乙女みたいな眼差しはさっきまでのラシックへの悲痛な叫びはどうした剣士の子なんてドキドキしすぎて目も合わせてないぞ何が一緒に行こうだもうイッた後じゃないか。
「セツナ、あいつ外道だな」
「流石キール様、その通りでございます」
二人して頷く。前世でどんな悪いことをすればこんな金も権力もある外道令嬢として生まれ変わるのだろうと思わずにはいられない。
いやそれにしてもどうすんだろうこの空気、港はボロボロでシンシアは高笑いラシックの心はボロボロ誰かどうにかしてくれないかな。
「百合警察だ! イチャイチャ不敬罪で逮捕する!」
「やばい人来た」
とか思ってたら殿下が来た。飛んできた。原理は不明だが空高く飛んできた殿下が太陽を背に受けながら、空中で五回転ぐらいして船に着地する。
「シンシア=リーゼロッテ、お前の悪行は弟から聞いている」
「で、殿下!? えっと、そのイチャイチャ不敬罪って」
うろたえるシンシア。そりゃそうだよね、昨日あれだけ怖かったけど優しさもあったはずの人が違う意味での怖さだけを抱えてやってきたんだからね。
「キール隊員、説明!」
「出来ませんって!」
しかもこうね、人にわけのわからない罪状の説明をさせようとするしね。
「日が浅すぎたか……まぁいい。貴様は女の子同士のイチャイチャ見守り隊の教義に反する愛のない肉体関係を結ぶ常習犯らしいではないか」
眼鏡を輝かせながら、殿下は早口でそんな事を言い出した。俺なら知らんがなの一言で片付けそうなそれだったが、シンシアはスカートの裾を摘んで恭しく頭を下げる。
「殿下……畏れ多くも一つだけ述べさせて頂きます」
「かまわん続けろ」
「体から始まる……恋もあると!」
冷たい潮風が、港に吹いたような気がした。まぁ三人娘の表情を見るなりあるかもしれないけどさ、もうやめてあげてよラシック死にそうだよ好きだったんだよきっと彼女たちが。
「そうなのかキール隊員!」
「知りませんって!」
何でこう一々俺に聞くかなこの人は。
「ならばシンシア=リーゼロッテよ……そう豪語するなら昨日の晩の事をこの場で語ってみせろ」
「ご期待に添えるかどうかはわかりませんが……」
三人娘は悲鳴を上げない。ただ顔も耳も真っ赤にしてうつむいているだけだった。
「まずこう、服の下に手を入れてパンツの紐をパチンと」
「パンツの紐を……パチン!」
刺激が強すぎたのか、殿下が倒れる。まだ話が始まったばかりだが、刺激が強すぎたのだろう。
「殿下殉職しちゃったよ」
二日連続で朝刊の見出しとか国民に大人気で良かったですね。
「その後は耳たぶに息を吹きかけてそれで……」
だがシンシアは話をやめない。殿下はもう動かない。
「それ以上喋るなあああああああああっ!」
だからその外道に切りかかったのは、当然のようにラシックだった。その剣をレーヴェンが持ち前の水晶玉で受け止めるが、そう長くは持たないだろう。
「とりあえず助けに行くか」
俺たちは船に向かって走り出す。殿下みたいに謎の方法で飛び乗ったりはできないので、陸路だったり梯子だったりロープだったりを駆使してやっと到着。何とかついた船の上で、殿下は幸せそうに死んでいてラシックは鬼の形相で剣を振るっていた。果たしてここは地獄なのか天国なのかと疑問に思う。
「偽勇者泣いてますね、いい気味です」
「俺はちょっと同情するよ」
鬼の目にもなんて言葉があるらしいが、少なくとも扇子で扇ぎながら下々のものに戦わせるシンシアの方がよほど鬼だと思うので、この言葉は間違いだろう。本当のそれには血も涙も無いのだから。
「死ねえええええ悪党があああああっ!」
シンシアの喉元を狙った刃を、何とか両手で受け止める。どう考えても俺の体の限界を超えた動きだったので、明日は絶対筋肉痛だ。
「あら遅かったわねキール」
「次は助けないからな」
これ以上助ければ、俺も鬼の仲間入りにしてしまうからだ。
「キール様、殿下はいかがしましょうか」
「とりあえず陸に下ろしてあげて」
無言でセツナが頷き、殿下を荷物みたいに肩で担ぐ。王族だからねそれ。
「あ」
なんて貴族らしく気の利いた言葉をかけようとした瞬間、セツナが何かに躓いた。木箱である。どこにでもあるなこの木箱、なんて思ったのも束の間。
「キール様、殿下が海に」
セツナが転んでしまったせいで、担がれていた殿下が海に落ちた。大問題だが何となく殿下なら大丈夫のような気がした。そう思わなければ俺達は偽勇者討伐隊どころか王族殺しなのだから。しかも本物の。
「まあ殿下なら多分大丈夫だろう……それより箱の中身は?」
それより落ちた木箱の中身が気になった。だってもうこの二日で嫌と言うほど見てるからね、船の上にあるそれの中身ぐらい気にしたっていいじゃないか。
「サーモン」
「何かの隠喩?」
「サーモンはサーモン」
レーヴェンがそう答える。そっか、ぐうの音も出ないほどのサーモンなのかあの箱の中身は。
「そっか……ってことはさ」
ということはだね、この海面を押し上げてくる巨体の正体はだね、餌の時間だと勘違いしてしまったね。
「タマアアアアアアアアアアアアッ!」
浮上したタマの巨体が、シンシアの船にのしかかる。それだけでこの何とか号は真っ二つに割れてしまったわけで。
運動神経の無い俺なんかは、成す術も無く海に放り出される事しか出来なかった。