パンツクエスト~うちのメイドのパンツが勇者に盗まれたと思ったらパンツを食べてスキルゲットしてました~

第1話 別に旅立ちたくなかった朝


 勇者特別支援法――その悪法に異を唱えるものなど居るはずもなかった。

 中身はこうだ。世界をめぐる勇者様は諸悪の根源たる魔王の討伐に励んでいるのだから、エルガイスト国民全員が少しずつ家財を持ち寄り支援してやろうじゃないかと。つまるところ勇者に薬草やら小銭やら盗まれたところで、目を瞑ってやろうじゃないかと。

 まあ税金の新しい形式みたいなものだと世間は納得せざるを得なかった。これに反対するということは、それこそ世界の命運より自分の財産を優先する器の小さな非国民だと主張するようなものだから、へそくりや帽子が勇者に盗まれてもせいぜいため息をつく程度でやり過ごしていたのだけれど。

「キール様、私のパンツが盗まれたので勇者を殺しに行きたいのですが」

 ――うちのメイドは違ったらしい。




「なあセツナ……とりあえず朝食用意してもらってもいい?」

 メイドの衝撃的な発言から十秒ほどして、正気に戻った俺はまだ目の前のテーブルに何も置かれていないことに気づいた。いつものような格好で背筋を伸ばし行儀よく立っているセツナ。黒く伸びた艶のある髪に凛とした表情、装飾らしきものがひとつもない白と黒のメイド服は彼女によく似合っている。でも手は何一つ動いていない、仕事なんて何一つしていなかった。

「いい訳あると思いますか、私のパンツが盗まれたんですよ」

 どうやら絶賛職務放棄中らしいので、とりあえず頷く俺。良い雇用主というのはいつだって従業員の話を聞くものだと父に教えられていて幸いだった。

「……とりあえず自分でコーヒー淹れるね」
「そうしてください」

 窓際に置かれたティーセットを使いコーヒーを用意する。いくら貴族といえど、これぐらいの事は自分で出来ないとな。

「飲む?」
「結構です」

 どうやらセツナは話し合いのテーブルに着席する気がないらしい。

「んでなにパンツ? 勇者に盗まれたの?」

 席に戻りコーヒーを啜りながら、本題に入る。

「ええ、昨日うちに来た時に。挨拶すらせず家を物色して帰ったのですが」
「ああ支援法……ま、貴族の家は狙い目だろうな。何盗まれたの?」

 ただでさえ普通の泥棒に入られやすい家なのに、国が認めた泥棒とあれば狙われない筈もなく。もっとも現金の類は銀行に預けているし高価なものはそんなにないので、泥棒的にはがっかりだろうが。

「今朝帳簿を確認したところ、常備薬と少し高いお酒とパンツです」
「ふーん」

 一つ、単純な解決策が頭に思い浮かぶ。というかもうこれしかないだろうというアイディアが脳裏に駆け巡る。

「別に……買い直せばよくない?」

 下着が盗まれて良い気持ちがしないのは当然だけど、我がクワイエット家の家計はパンツ一枚で傾く程ヤワじゃない。俺が貴族らしい遊びや付き合いをしない事もあって、並の貴族より預金には余裕があるのだ。

「良くないです! パンツですよパンツパンツパンツパンツ殺してでも取り返さないと!」

 机をバンバンと叩きながら、熱弁をふるうセツナ。誰だろうこんなメイド雇ってるの俺だった休みとか増やしてあげたほうがいいのかな。

「取り返すって言っても相手は勇者だろ? 雷落としたり山ぶっこわしたりする化け物って聞いてるけど」
「殺すのは……不可能だとしても。キール様の権力を最大限使えば何とかなるのではないでしょうか? ここの領主ですし」

 領主。貴族は貴族でも国王から賜った領地を代表するスーパー貴族。ちなみにここ特徴らしい特徴は無いけど生きて行く分には特に困らないことで有名な都市エルサットを擁するクワイエット領の領主は俺なんだけど。

「つまり……権力を傘にパンツ返せって俺が勇者に頼むの?」

 おうおう俺様がここの領主様だぞおい勇者うちのメイドのパンツを返してくれ。史上最も言いたくないセリフがつい頭によぎってしまう。

「現実的な妥協ラインですね」
「ですね、じゃなくてさぁ」

 コーヒーをもう一口。ですねじゃないよ本当どうなってるんだ彼女の頭は。

「だいたいどこにいるんだよ勇者、もう朝にはここを出てるんじゃないか? ほら、この街見る物ないし」

 冷静に考えれば、この街は旅の途中に寄ることはあっても旅の目的になるような場所ではない。勇者一行が昨日街についてその足で一通り物色して、宿屋に泊まって帰るのがセオリーだろうか。

「……わかりました、今日見つからなければ諦めます。その代り」

 セツナもそれはわかっていたのだろう。今日見つからなければ、という考えは俺が権力を盾にするのと同じぐらいの妥協ラインに思えた。

「どうせ大したお仕事なんてしてないんですから、今日一日付き合ってもらいますか?」

 大した仕事がないというのはその通りであった。領主としての権限を放棄したわけではないが、せいぜい俺のすることは領内の頭のいい人たちが考えた案にサインするだけ。両親が立派な制度を残してくれたおかげで、俺がすることは殆ど無い。

「ま、いいけど」

 コーヒーを飲み干す。今日のところは最近の領内の動向を探るということで。

「晩飯ぐらいは作ってくれよ」

 せめて晩飯ぐいらいは、まともな食事にありつけますようにと願いながら。







 街に出る。今日もエルサットの街は平々凡々で穏やかだ。さすが特徴がないのが特徴の街、人通りだってまばらだ。

 平凡な街。学園に通っていた三年間を除いて過ごしたこの場所は、そう呼ぶにふさわしい。石造りの道も建物も、この世界じゃありふれたものだった。豪華絢爛な劇場があるわけでもない、何でも揃う商会直営の百貨店が軒を連ねるわけでもない、剣闘士が己の誇りをかけて戦うわけでもない普通の街。

「で、心当たりは?」

 まあそんなことよりも、大事なのはこれからの事。

「ありませんが、旅の途中に立ち寄ったなら露店あたりに用があるかと。それか宿屋に聞いて回るのも良いですね」
「どっちも面倒臭そう」

 セツナの出した案を、頭の中の地図と照らし合わせてみる。結構歩くな、うん。ここ中央の噴水公園から東に歩いて露天街に顔を出して、こう知り合いでもそうでない人にも挨拶されれば大体昼になって、そのまま北に向かう途中で食事をとって宿屋を二軒回ってから南の三軒を聞き込みする、と。

 これ帰れるの夕方だね。

「他に良い案があるんですか?」
「そうだな」

 頭を掻いてあたりを見回す。こういう時、学園で同級生だったシンシアあたりなら山程いる使用人にやらせるのだろうが、うちの使用人はそんなにいない。人海戦術が使えないとなると少し痛いが、世の中には別の手法があるわけで。

「専門家に任せよう」

 占い有りマス。そんな紙をぶら下げている旅の占い師が、都合よく真っ黒なフードなんてかぶって真っ黒な水晶玉を覗いている。たまに旅芸人が小銭を稼ぐようなこの場所じゃ、そんなに珍しいものでもなかった。

「旅の占い師ですか? 当たるんですかねこういうの」
「絶対当たる! ……って書いてる」

 まぁ当たらぬも当たらぬもなんとやらだ。料金はせいぜい18クレ、コーヒー6杯分ぐらいなら試してみてもいいだろう。

「自分の小遣いから出して下さいね」

 ちなみに月の小遣いは300クレである。貴族としてどうかと思うが、案外これでどうにかなってるから恐ろしい。

「あの……探し人とか占ってもらえる?」

 ともかくこのまま手をこまねいているのも嫌だったので、占い師に声をかける。長く伸びた白い髪に、褐色の肌といった出で立ちはなんだろう異国の匂いがした。占いも当たりそうだ。

「明日の天気以外ならなんでも占う」

 まぁそれは別の人に聞くとして。

「じゃあさ、探して欲しい人いるんだけど……」
「誰? あなたとの関係は?」
「勇者を探してるんだ。関係は……」

 関係と言われると少し困る。被害者と加害者と言われればそうなのかも知れないが、おおっぴらに言いふらしても良いようなものでも無いような気がする。

「ファン?」
「いいやまさか、ちょっと貸してるものを返して欲しくて」
「そう」

 そっけない返事だったが、何かに納得したのか彼女は水晶玉に手をかざし始めた。

「なら、無料にしてあげる。どのみちわたしが占う予定だったから」

 お、小遣い浮いたぞこれは嬉しい。

「ふーん、関係者?」
「……間接的には」
「そういうのもあるんだ」

 それで会話が途切れる。勇者ってのはつくづく訳のわからない職業だなと思う。人のパンツを盗んだり占い師に狙われたりとどうやって生計立てているんだろうな。

「でた。この街の北の出入り口の近く……チッ、もう次の街に行く気か」
 
 聞こえて来る舌打ち。どうやらこいつも碌でもない理由で勇者に用があるらしい。普通舌打ちするか人類の英雄に……って俺も人のこと言えないか。

「その場所なら……走る感じか」

 北の出入り口、なるほどここから全力疾走して間に合うのかな。いや間に合わないんじゃない? そうだなうん間に合わない諦めようそれがいい。

「ところであなた……力は欲し」
「急ぎますよキール様」

 うちのメイドは間に合う方に賭けたらしい。強引に俺の腕を引っ張り粗末な椅子から引き剥がす。いやまだ占い師さんなんか喋ってるけどさ。もういいよね、お金いらないって言ったし。

「あ、ちょっとセツナ……悪い、占い師さん! 助かったよ!」
「いっちゃった」

 というわけで俺は走る。これは明日全身筋肉痛だろうなと確信しながら走り続ける。明日は一日休みにしよう。そうでも思わないとやってられないよね、こんな日ぐらいはさ。



「……あれですかね」
「さすが我がクワイエット臣民、なかなかミーハーだ」

 北の出入り口、賭けに勝ったのはセツナだったらしい。出立前の勇者様らしき男は、住民達にどこで売ってるのか色紙やら、無地のシャツに何か書くものを突き出されて笑っている。

 勇者。なるほど想像通りの出で立ちをしているから、街の人もすぐに気づいたのだろう。軽装の鎧に豪華な剣、青いマントに茶色の髪。それから爽やかな笑顔は、その肩書にふさわしいように思えた。

「あ、領主様」
「領主様、勇者様の激励にいらしたんですか?」
「いやいやキール様もサインほしいんでしょ多分」

 俺に気づいてほんの少しだけ騒ぐ臣民達だったが、俺はそれを片手で静止して領主らしく毅然とした態度で挑む事にした。

「あー……まぁなんだ、静まりたまえ臣民諸君」
「下手くそですねそういうの」

 一応ね、静かになったんだからそういう茶々を入れないでくれるかね身内一号。

「うるさいな……えーっと、あなたが勇者様ですか?」

 騒ぎの中心人物に向かって、まっすぐと手を伸ばす。年は俺より下だろうか、まだ少年の面影が残る青年は笑顔を向けてくれる。人はそんなに悪くないのだろう、なんて思っていたら。

「ちょっと、何よ私達の勇者に貴族様が何か用!?」
「貴族、信用できない……だいたい悪いやつ」
「剣のサビにされたくなければ……わかるな」

 突如湧いて出てきた勇者の取り巻き三人にファーストコンタクトが遮られる。気の強そうな女武道家っぽいのと、人付き合いが苦手そうな尼さんと、真面目そうな女剣士の三人だ。全員美人である、世の中は不公平だ。

「いやいやちょっと落ち着こうよ三人とも!」

 勇者がそういえば、渋々各々の武器をしまう女性陣。こういう男が政治家になったらみんなすんなり言うこと聞くんだろうなと思わなくもない。顔のいい男はいつだって得なのだ。

「えーっと、勇者やらしてもらっている……ラシックといいます」
「俺はその、ここら辺の領主やらせてもらってるキール=B=クワイエットです」

 ようやく握手する俺達。互いに浮かべる表情は苦笑いだが上出来だろう。ちなみに女子陣は互いに睨み合っている。三体一でも柄の悪さは負けてないぞセツナ、そこは負けて良いんだぞ別に。

「あー、その、せっかく家の近くを通ってもらって大したおもてなしも出来ず」

 いえいえこちらこそ、なんて何でも無い社交辞令を互いに交わす。そしてすぐ無言になるのは、当然お連れの女性の前で君メイドのパンツ盗んだでしょなんて聞けるはずもないので。

「少し……向こうで話せません?」

 とりあえず人混み離れたところを指差す。それぐらいの権力は俺にあったって良いだろうさ。






「可愛い子達に睨まれちゃってますね」
「いやその……腕が立つから選んだんです」

 北の出入り口から少し離れた、誰が置いたか古びたベンチに二人で腰を掛けながら勇者ラシックと会話を始める。本当かこいつ顔で選んだんじゃないのかと疑いながら。

「あ、いやまぁそんなことより」

 取り巻きの話はもう良い、そろそろ本題に入ってさっさと家でゆっくりしなきゃな。

「ここに、大した金額じゃないけど200クレあります。これをね、君の冒険に役立ててもらいたいなって」

 ポケットから財布を取り出し、現金をちらつかせる。これだから貴族様はと言われかねないようなやり口だが、今回の件についてはこれが正解だろう、うん。

「え、良いんですか!? いや中々援助とかしてもらえなくて困ってて……」

 200クレという金額は勇者一行にとって端金かと思われたが、意外と食いつきが良くて助かった。手を伸ばして来たので、ちらつかせたお金を遠ざける。

「交換条件」

 ラシックの表情が曇る。反応があるってことは交渉の余地があるってことと変わりない。どうやら思いの外早く家に帰れそうだ。小遣いはまぁ、必要経費としてセツナからもらうとしよう。

「……何でしょうか」
「酒とか薬は別に良いんだけど……その、何ていうかな」

 言って良いのかと疑問に思う。冷静に考えればパンツを盗まれた現場を見たわけでもないし、仮に盗まれたとしても別の人間かもしれないし、というかどんなパンツなのかすら知らない。

 いやでも、セツナが言ったんだから本当だろう。そこを疑うなんて、今更やる事でもないか。

「パンツ返してほしいなって」

 ラシックの表情が凍る。それから思い出したかのように、全身から汗を吹き出す。なんかそういう玩具みたいだな、なんて呑気な感想が思い浮かぶ。

「ええっと、キールさん……その事、他の誰かに言いましたか?」
「まさか。口の堅さには自身があるよ」
「そうですか、なら」

 違和感があった。小指の先ほどのそれに気づけたのは、彼の表情を注視していたからだろう。ほんの少しだけ目の色が変わったから、本能的に後ろに下がる。

「ここで……死ねぇ!」

 振り上げられたそれは、青く輝く軌跡を残す。鞘から引き抜かれた剣が、ベンチと俺の前髪を切った。

「ちょ、ちょっとま」

 何やってんだこの人いま死ねって言ったよねこれ俺に言ったのかなんで俺殺されるのパンツ返してもらおうとしただけでさ。

「君が死ねば完全犯罪だ!」

 いやセツナも知ってるけどとかいう屁理屈喋る前に死ぬなこれ俺何がパンツだよやっぱり買い直せば良かったじゃん200クレもあれば相当良いパンツ買えるよおかしいでしょこれで命張らなきゃならないだ。

 なんて最後の瞬間にしては間抜けすぎる独白に思考を奪われていたが、勇者の剣が俺を真っ二つにしなかった。子供でも知っている勇者の証明たる青い刃の剣は、そんな簡単な事も出来なかった。

「……死ぬのはお前だ、勇者ッ!」

 邪魔が入った。黒いマント黒い帽子、浅黒い肌に白い髪。鈍器のように水晶玉を振り下ろすが、かがんだラシックの剣に止められた。

「さっきの……占い師の人?」

 見覚えがあった。つい先程、勇者の居場所を教えてくれた女性。でも、なんでこんな所にいるのか。皆目見当もつかない。

「君は……誰だ? どうして僕の邪魔をする?」
「伝説とか運命とかって口にして、人の家族を殺そうとするサイコパスを邪魔するのに、理由って必要なもの?」
「……魔族か」

 睨み合う二人。そうかこれが因縁の対決か、あるんだなぁこういうの間近で見れると思ってなかったけど俺関係ないよね帰っていいかな?

「えっと、話がわからないんだけどパン」
「大丈夫ですかラシック様!」
「おのれ貴様ら、勇者を亡き者にしようなど……これだから貴族は!」
「ここで死ね」

 パンツの話が駆けつけてきた三人娘に遮られる。どう考えても俺被害者なんだけど目が悪いのかな、恋は盲目っていうけど見えない方がマシだよねこれ。

「いやその誤解だ。俺はちょっとお願いがあって」
「ふん、人間共が雁首揃えて……2対4のつもりかもしれないけど、実質2対2だってわからせてあげる」

 勝手に話を進める占い師。待てさっき魔族とか言われてたけど魔界の住人なんですかこの人どうなってるんだウチの入国審査はザルか何かかな。

「あの、俺こういう荒事とか慣れてないんですけど何勝手に頭数に入れて」
「なら1対2になって貰おう!」

 襲いかかるラシック。何してんだこの人、話を聞いてる聞いてないじゃない自分の頭で全てが自己完結してる。今度こそ死ぬなかな俺、なんて思っていたら幸運な事に横槍がまた入る。セツナがラシックに向けて、銀のナイフを投げつける。

 剣の柄に当たったそれが、見事刃の軌道を変えてくれた。足元に落ちる剣先、よく生きてるよね俺。

「ご無事ですか、キール様!」
「ああ、ありがとう……助かったけど」

 なんで当たり前のように食器忍ばせてるんだろうそれもナイフ怖いよこの人武器じゃないよそれ。

「私のパンツを……かえせぇっ!」
「おっと!」

 飛びかかり、今度はフライパンで殴りかかろうとする。今度なんかちゃんとした武器買ってあげようと思っていると、当然のように吹き飛ばされるセツナ。

「君があのパンツの持ち主か」
「だったらなんだって言うんですか」
「そうだね、敢えて言うなら」

 一瞬のことだった。セツナが体勢を整え顔を上げた瞬間、ラシックの姿は消えていた。

「期待外れだ」

 後ろから彼女の首元を小突く。たったそれだけのことで、彼女はいともたやすく気絶した。

「セツナ!」
「全く、どうして僕に勝てると思ったのか」

 叫んでも返事は来ない。帰ってきたのはため息混じりのラシックの声。勝てる勝てないの問題じゃない、勝負にすらなっていない。かたや世界を救う命運を背負った男、かたや地方領主とメイド。戦おうとすることがそもそもの間違いだった。

「ここで死体にするのは微妙かな……あ、大丈夫三人ともちゃんと後で殺すから」

 脅しなんて生易しいものじゃない。言葉にするのは単なる確認行為でやる事はもう決まっている。

 ――終わりだ。

 助けは来ない、奇跡もない、立ち上がる気力もない。ここが人生の終着点だと気付かされる。

 こんな感覚を覚えている。両親が死んだあの日、襲った絶望を覚えている。動かなかった体を、働かなかった頭を、ただ磨り減っていくだけの心を。

 それでも今ここにいるのは。

 彼女が、いたから。

「……あなた、力が欲しい?」

 聞こえてくる悪魔の囁き、断る理由はどこにもない。何でも良かった、どうでも良かった。手段なんて考慮しない、必要なのは結果だけ。

「ああ」

 頷けば悪魔が笑う。そうだ、何でも良いんだ。

 彼女を、セツナを救えるなら。

「話が早くて助かる。それなら」

 ポケットから取り出した黒い何かを、占い師は乱暴に俺に投げつけた。細い皮のベルトに何の衣装もないバックル。

「その首輪つけて、早く!」

 首に巻く。棘のようにそれは刺さり、蛇のように締め付ける。だが、一瞬。消えた痛みに興味はない。

「つけたぞ、次はどうすればいい!?」
「これ、食べて」

 もう一つ、彼女のポケットから放り投げられる。手に取って広げる。いいさなんだって食ってやる。

「……え?」

 食ってやらないこともないけど、確認だけさせてほしい。

「いや、これ野郎のパンツだよね」

 手のとったのはパンツ。トランクス的な奴。男物。よれてるしすれてる。あとちょっと、臭う。

「そうパパのパンツ。こっそり貰ってきた」

 何言ってんだこいつ。文脈が繋がらない、理解に頭が追いつかない。えーっと、力が欲しければ占い師のパパのパンツを食べてね、と。うん、酔っ払いの戯言の方がまともだ。

「食べるの、俺が、お前の親父のパンツを!?」
「話終わったかい? そろそろ死んでもらおうかな」
「いいから、さっさとパンツ食えスットコドッコイ!」

 顔を上げる。襲ってくる勇者と三人の戦士達。
 手元を見る。知らない人のパンツ。

「た」

 いや、でもな、これこのままだと俺死んじゃうんだよね。やってからの後悔とやらなかった後悔の天秤を、揺らしている暇はないから。

「食べれば良いんだろおおおおおおおっ!?」

 騙されたと思ってと、誰かが言った。でもこれ俺騙されてる。口の中に放り込んだ布を噛む、噛みしめる涙の味だ。吞み込めるのかなんて疑問は首輪が解決してくれた。熱くなった喉がそのパンツを飲み込んだ。

『パンツイーターシステム発動』

 脳内に声が木霊する、勇者の剣が眼前に迫る。俺はおかしくなったらしい、いやそりゃそうかパンツ食ったんだもんね。

 ああでも不思議なのは、死ぬ瞬間って本当にゆっくり景色が流れるんだなって事か。矢のように飛んできたと思った剣先は、もはや宙を舞う鳥の羽のような速度で進む。

 不意に、手を伸ばす。一矢報いたかったのか、意識がそうさせたのかわからない。

 それでも。

『レジェンドスキル、"魔王"を取得しました』

 俺の二本の指は、その剣を止めていた。

「え?」
「なんで……」

 間抜けな声を漏らす勇者と俺。今日初めて意見が合ったように思えた。

「いやなんで、俺こんなことできて」
「何でもいい、魔法使って!」

 占い師が叫ぶ。魔法。知ってるよそれ一部の天才が使える奴でしょ。

「あ、いやその」

 当然俺は一部の天才なんかじゃない。生まれはともかく一般人、魔法なんて見たことない。けど、まあ本で読んだ事はある。

「こ……こうかな?」

 空いている手を勇者にかざす。えいっなんて心の中で唱えた。

 爆発した。空間そのものが歪み、爆ぜた。

「なにこれぇ」

 眼の前の光景につい間抜けな感想を漏らす。花火だとか火薬だとか、そういう次元の問題じゃない。とにかく平々凡々な筈のこの街に似つかわしくない地獄の光景。

「くっ、なんて威力だ……!」
「めっちゃ引くわ」

 こわいわこんなもん人に向けるものじゃないだろ。

「さすがパパの魔法……勇者なんて相手じゃない」

 とにかく頭を巡るのは山のような疑問符。俺の体に何が起きたかとか君は誰とかここの工事いくらになるだろとか、重要度に関わらない雑事の数々。それを一瞬で理解する魔法は多分ないから、彼女に声をかけるしかない。

「あの、ちょっと説明とかもらっても」
「みんな、悔しいけど……ここは引こう」

 立ち去る勇者達だったが、占い師も深追いはしなかった。そうだそれでいいこれで全部解決したぞパンツはどこかへ買いに行こう。

「まあ、初めてにしては上出来の部類」
「褒めてくれるのは嬉しいけど」

 彼女は笑う。俺は笑えない。やっぱり頭が追いつかない。

「何が何だか、俺には……」

 そこで記憶が途切れる。急激な疲労感が強制的に睡眠を取らせる。整備途中の頭が合理的な結論を下す。

 これは夢だ。タチの悪い悪夢だと。






 朝、目が覚める。あくびをしてベッドから起き上がれば、当然のように彼女がいる。

「ああ、セツナおはよう」
「おはようございますキール様」

 背筋を伸ばす。寝間着のままベッドから離れ、窓際に腰をかける。

「夢を……見てたんだ」

 空は青く雲は白く、街の景色はいつも通り。

「楽しい夢ですか?」

 彼女の問いに俺は微笑む。

「セツナがパンツ盗まれたってキレて仕方なく勇者とかいうサイコパス野郎にお願いに行ったら訳のわからない占い師が出てきて親父のパンツ食えって言われて食ったら食ったですごい魔法使えるっていう愉快な夢だよ」

 言葉にする、これはひどい。どこをどうとってもひどい。

「……寝ぼけているみたいですね」
「ああ、うんそうだね……朝食はある?」

 その答えは鼻がもう知っていた。淹れたてのコーヒーの香りは、心地よくこの部屋に充満している。

「とりあえず朝のコーヒーと」

 カップを受け取り少し啜る。喉に染み込む適温が心地良い。ただ少し腹が減ったから、何かつまむものでもあれば良いな。

 察したのか、セツナが皿を差し出してくれた。相変わらず彼女は気が効く自慢のメイドだ。夢の中では少し違っていたけれど。

 外の景色を眺めながら、それを掴んで齧る。齧っちゃったよ。俺は馬鹿かな。

「ロールパンツです」

 それを皿に戻し、首筋に手をやる。もはや外す余地の消えた首輪がそこにまだあったから。

 冷めない悪夢の始まりだと、間抜けな俺はようやく気付いた。



◆◆◆今回の獲得スキル◆◆◆

レジェンドスキル:魔王
アーツ:地獄の種火 地獄の篝火 地獄の業火
    ミニバン ビッグバン YOUBAN
    落雷 豪雷 天雷
    気合ため 気力ため 生命力ため
    一撃 連撃 無限連撃
    回避 漫然回避 完全回避
第2話 颯爽登場悪役令嬢(前)


「レーヴェン様、ようやく目を覚ましましたよ」
「やっと起きたようね……あれしきのことで二日も寝込むなんて、これだからこっちの人間は」

 部屋に入ってくるなりいきなり悪態をつく占い師の少女。フードを取ったその顔は整っていて、金色の瞳がよく似合っていた。けど魔族なんだよねこの人何で屋敷にセツナは招いているのかな。

「ええと占い師さん、名前は……レーヴェン? いい名前だね」
「パパがくれた自慢の名前」
「そっか」

 自慢げに笑う彼女、思わず俺も微笑んでしまう。そうかレーヴェンねいい名前だねそれがわかったらやることは一つだね。

「セツナ、レーヴェンがお帰りだぞ」

 帰れ。宿でも魔界でもどこでもいいから帰ってくれ。

「私の客でもあるのでそれは出来ません」

 だが断るセツナ。どうやらこの間からメイドの仕事の一切を放棄したらしい。服は一応メイド服を着ているが、詐欺だと思っていいだろう。メイド詐欺だ。

「せめて客間でいいよね? ここ俺の部屋だし」
「いいえ、キール様に関係がありますので」
「そっか」

 なるほどね、俺の悪夢は現実でレーヴェンはそれを押し付けた張本人でパンツを盗まれたセツナは俺に関係があるという。

 だから脱兎の如く布団に潜り込んだ俺。

「いやだもうあんな化け物と関わりたくない俺はここで無能領主として一生を終えるんだパンツ代は好きに使っていいからお客様に帰ってもらえ!」
「意気地なし」

 なんとでも言えこの偽占い師め。

「それよりキール様、今日のパンツを召し上がって下さい。ノルマなので」
「なんだよノルマって!」
「それはわたしが説明する」

 布団にくるまりながら顔だけ出す。納得の行く説明がされるとは思わないが、耳ぐらいは傾けたっていいだろう。

「あなたはパンツイーターの力を手に入れ……パパの魔王としての能力を手に入れた。ちなみにパンツイーターはパンツを食べると履いてた人の能力を手に入れられる禁断の道具」
「魔族の言葉はやめてくれ理解に苦しむ」

 いきなり意味がわからないが、レーヴェンは言葉を続ける。

「けど、魔王としての力は強すぎて今のあなたには使いこなせない。たかだか低級魔法を使った程度で気絶した。だからあなたは、これから強くならなければならない。そのためには数々のパンツを食べて強さを積み重ね、いずれは魔王としての力を使いこなし」

 そして彼女は拳を天高く掲げて叫ぶ。人の家で、人の寝室で。

「勇者を……倒す!」

 叫んだ。力強くこれはもう絶対にやってやるぞ的な鼻息なんて荒くして。

「やりましょうキール様、あのサイコパスをギャフンと言わせてやりましょう」

 同調するセツナ。ここはテロリストの決起集会場かどこかだろうか。違った俺の寝室だ。しかもなんだギャフンって。

「いや……俺やらないから。この首輪他の誰かに渡して頼んでもらってくれないかな。今外すから」

 とりあえず首輪に手をかける。あまり装飾品の類はつけないが外すぐらい簡単だろう。例えばほらここに金具みたいのがね、ないね。外せませんね。

「外せると思った?」
「どうしてこんな酷いことを」
「さっきも言った。わたしは勇者を倒したい」
「私はパンツを返してくれたらそれで」

 決起集会場に沈黙が続く。そうだ一旦冷静になろう、ここは仕方なく布団から脱出して飲みかけのコーヒーを飲み干そう。それから窓辺に腰を掛け、ナルシストみたいに髪をかきあげてみる。

「わかった、現実的な話をしよう……勇者を倒しに行くとして、どうやって追いかける?」
「うちの倉庫に馬車があります」
「それは知ってるけど……誰が扱うのさ」
「セバス執事長なら。あの方がいれば旅の殆どの困難はなんとかなるでしょう」

 自然とため息が漏れてしまう。当然セバスが旅に同行してくれるっていうなら、面倒な事は何一つ無い快適そのものの旅行になるだろうけど。

「俺もセバスもいなかったらここの領地終わりだよ……」

 彼には領主代行としての地位がある。仕事としては簡単だが、重要度しては高い。

「誰か雇えば?」
「あのさレーヴェン、魔王の娘がそんな簡単に人目に触れるのはどうかと思うんだけど」
「かしこい」

 君はそうでもないよね、と言いかけたが胸に留める。それが大人の対応だ。

「となると……方法は一つしかないですね」
「そうね、それが正解」

 二人は互いの顔を見て、うんうんと頷いた。どうやら俺が寝ている間に随分と仲良くなったらしい。

「どうした二人とも」

 そこからは早かった。レーヴェンが一気に俺の背後に周り、一瞬で羽交い締めにしてきた。そんな強いなら一人で勇者倒してくれと思わなくもない。

「あ、ちょっとレーヴェン離せ何をする!」
「キール様、薬だと思って我慢して下さい」

 そしてセツナ。俺が今朝食べなかったパンツをトングでつかみ、人の口に近づけてくる。

「いやまてそれパンツだから! 誰の」

 その答えに気づいてしまう。そしてその顔が思い浮かぶ。俺が生まれたときから世話を焼いてくれたセバスの顔を。学園に合格したときに泣いて喜んでいた顔を。俺が家でゴロゴロしてるとため息をついていた顔を。

 ――全部髭面のジジイだこれ。

「嫌だああああああああっ!」
『エピックスキル、"スーパー執事"を獲得しました』






「で、今勇者はどこにいるんですか?」
「今占う……」

 人にジジイのパンツを食わせた二人は、仲よさそうに水晶玉を覗き込んでいる。俺の寝室で。場所変える気はないらしい。

「ここ、隣のリーゼロッテ領ですね。良いですよね綺麗で娯楽施設も多くて。うちとは大違いで」

 お隣様のリーゼロッテか。確かにあそこは良いところだと素直に思う。豪華な建造物に数え切れないほどの商店、劇場に美術館に博物館と何でもござれ。ただまああそこを遊び尽くすには、俺の小遣いじゃ足りないのが玉に瑕だが。

「徒歩で二日ならおそらく着いたばかり……まだ間に合う」
「そういえば、キール様のご学友がいらしましたよね」
「ああシンシアね。リーゼロッテ家の三女の」

 そこでふと思いつく、思いついてしまったんだ。しばらく会っていない彼女の事を、学生時代轟かせた悪名を。

「よし行こうすぐに行こう! 折角だからシンシアにも事情を話して手伝ってもらおう! 大丈夫二人が頼めば簡単さ!」
「あやしい」
「何ですか突然」
「信頼できる仲間は多い方が良いよね?」

 そこで口を噤む二人。当然だ、シンシアがどんな人間かなんて知らないのだ。

「ようしそれじゃあ早速……リーゼロッテ家に出発だ!」

 彼女の事を思い出す。容姿端麗成績優秀、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は縦ロール。そんな彼女を前にして、男子諸君はこう呼んだ。

 ――悪役令嬢と。



 馬車を走らせる事数時間。昼食も取らずに延々と飛ばしていられたのは、セバスのパンツのおかげだと思うとやるせない。それでも俺達はなんとかリーゼロッテ家の門まで到着する事が出来た。明日腰痛だなこれ。

「ここがリーゼロッテ家ですか」
「ふっ、わたしの実家の方が大きい」
「さいですか」

 馬車から顔を出し、勝ち誇った顔を浮かべるレーヴェン。そりゃ魔王城はさぞ大きいんでしょうね、見たこともないし見たくもないけど。

 流石シンシアの実家ということもあり、門の前で待っているとすぐにメイドがやってきた。ちなみにセツナが着ているウチのとは大違い、フリフリでスカートが短いメイド服を着用していた。

「あの、すいません。シンシアさんにとりついで欲しいんですが……ご在宅です?」

 ポケットから財布を取り出しメイドに見せる。それだけで彼女は深々と頭を下げ、重い鉄の門を開いてくれた。

「顔パス?」
「家紋のおかげだよ」

 素朴なレーヴェンの疑問に答える。財布にあしらわれたクワイエット家の家紋は、これぐらいの事をやってのけるだけの効力はあるのだ。

 もっとも馬車を操っているのが、そこの家長だとメイドは思いもしないだろうが。



 豪華絢爛美辞麗句、世間一般が貴族の屋敷と想像する光景が俺たちの目の前に広がっていた。ずらっと並ぶ使用人に所狭しとかけられた肖像画、凝った作りの高級家具とどれをとっても俺の小遣いでは到底手出し出来ないもので溢れている。

 そして、シンシア=リーゼロッテ。空色の豪華なドレスに青い宝石の首飾り、なにより金髪縦ロール。もはや貴族以外何に見えるのかと疑わずにはいられない彼女は、扇子で口元なんか隠して。

「あら、久しぶりじゃないキール=B=クワイエット。一体どんな了見でその汚い土足で我が家に踏みいれ」

 そこで言葉が途切れる。彼女は俺の足元に視線を送って吐き捨てるように続けた。

「本当に汚いわね」
「馬車を扱うのって結構汚れるんだなって」

 そりゃ土埃上げる馬の後ろに何時間もいたのだから、汚れているのは当然だった。ただそれにしても、他人の家にお邪魔するにはあんまりな汚れ具合だった。

「……あなたなにやってんの? それにそこの二人は?」
「一人はうちのメイドで、もう一人は最近雇った占い師。ほら、災害とか予見できたら助かるだろ色々」
「ふーん……」

 シンシアの目は二人から離れない。服やアクセサリーの類を品定めするかのように、上から下まで視線を動かす。まぁ実際そのとおり何だけどさ。

「メイド長! そこの貴族としての品格を領地に忘れてきたボンクラに風呂の用意を! あとの二人は」

 彼女のところのメイドが俺の腕を掴み、乱暴に風呂場へと連行する。少しだけ振り返るとシンシアは、聖母像のような笑みをセツナとレーヴェンに向けていて。

「長旅疲れたでしょう? わたくしの部屋で……ティータイムにいたしましょうか」

 甘い言葉を囁いた。どちらかというと悪魔みたいに。






「いやーここの風呂でかくて気持ちいいな」

 いや本当に豪華だったわ。なんか獅子の像からお湯は出てくるし花びらとか浮いてるし石鹸のたぐいも良い匂いがした。いわゆる女の子の匂いだなうんこれが貴族の金の使い道って奴だろうな。

 で、だ。俺はシンシアの部屋へと向かっている。他の使用人に止められるかと思ったが、学生時代の友人のキール=B=クワイエットだと言えば簡単に一歩引いてくれた。ドアノブに手をかけ深呼吸。女の子の部屋に入るのは緊張する、って理由じゃない。シンシアの部屋に入るのが怖いのだ。

 ただ俺がそう仕向けたのだから責任ぐらいは取らないとな。

「キール様、この人!」
「ちょ、キール……こんな人だって聞いてない」

 俺が入ってくるなり、恨みのこもった視線を二人が向けてくる。そりゃそうだろう、彼女のベットに両手両足縛られて衣服もはだけているのだから。

「おーやってるやってる」

 ま、予想通りである。シンシアの部屋に美少女二人を打ち込んだらこうなるのは当然だ。

「んもー良いわ良いわ最高よその表情! 親切だと思った人に薬を盛られて縛られて恥ずかしいスケッチを描かれるメイドと占い師の表情! これはそそる! キール、あんたもたまには良いことするじゃない!」
「だろ」

 彼女は口以上に手を動かし、スケッチブックに鉛筆を走らせている。その目は充血し鼻息は荒い。どうやら卒業してもその厄介な趣味と性格は変わらなかったらしい。

「どういう、事ですか……!」
「こいつのあだ名、悪役令嬢って言うんだ」
「どういう意味ですか!」

 セツナが声を荒げるが、俺は適当な椅子に座り一息ついた。

「男子はそう言ってたわね。失礼な話よね、わたくしはただ美少女図鑑を完成させたいだけですのに」
「まあ説明するとだな」

 思い出すのは有りし日々の青春、なんて生易しいものじゃない。

「学園に入ってくる男子はみんな思春期だから、恋人できたらなーって思うんだけど」

 貴族の結婚は全てが自由恋愛と言えるほど簡単なものじゃない。ただそういう場所で甘酸っぱい日々を過ごした経験は、誰にだって憧れるものなのだ。

「学園内の可愛い子ってだいたいこいつの餌食になっててさ、ごめんなさい私身も心もシンシア様に捧げたのって具合に。まあ……俺の連れだからこれぐらいで済んでるけど、もっと直接的な被害というか」

 ただしそんな青春の日々に立ちはだかる、大きな壁が男子にはあった。それがシンシア=リーゼロッテ。大の美少女好きで趣味は美少女図鑑の作成。好きなだけならまだしも実力の方も備わっていたのが俺達男子の運の尽き、可愛い子に片っ端から声をかけては手篭めにしてを繰り返し、気づけば男子に靡くような可愛い女の子は一人も残っていなかった。

「ふふっ、筆の扱いには自信があってよ?」

 ウィンクしながら鉛筆を揺らすシンシア。こわい。

「とまあそんなこんなで、女のくせにとんでもない美少女ハーレムを作ってそれを卒業まで維持したから」

 卒業式なんかすごかった。もはや彼女のための式だったと言っても過言ではないほど豪勢だったのを今でもよく覚えている。上は先輩下は後輩はては街のパン屋さんまでハンカチを濡らしては絞り濡らしては絞りの地獄絵図。もはや校長の挨拶はすすり泣きの波にかき消され気絶者すら出る始末。

 とまぁそんな伝説を打ち立てた彼女を、俺達はやっぱりこう呼んだのだ。

「"悪役"だろ? 男からしたらさ」
「その発想はなかった」

 レーヴェンとセツナが頷く。どうやら納得してくれたようで。

「とりあえず少し寝るから、終わったら起こしてくれ」
「それは……明日の朝まで好きにして良いということかしら?」

 豪華なソファーに横になり、ゆっくりと目を閉じる。

「スケッチまでだよ」

 まぁパンツを食わされた礼はそれぐらいで十分だろう。馬車の操縦で疲れていたおかげで、俺はすんなりと眠りに落ちることが出来た。



「ほら、終わったわよキール」

 頬を叩く感触で目が覚める。目を開ければ満足そうな笑顔を浮かべたシンシアがいた。

「人間こわい……特に目が」
「全く、意匠返しにしては底意地の悪いものでしたね」

 あと横目で見れば目を真っ赤にした二人がいた。一応衣服は整っているから、そんなにひどいことはされていないだろう。そう信じたい。

 いやそれより気になるのは美少女図鑑だ。実は学生の時から何度か見せてもらっていたんだ、絵は本当にうまいんだよなシンシア。

「おっ出来たの見せて見せて」
「ダメっ!」

 飛んできた枕。駄目だそうで。

「で? わたくしにどんな用があるわけ? まさか美少女図鑑の協力だけって事はないでしょう」
「まあね」

 ソファーから起き上がり背筋を伸ばす。一応二人に対する仕返しという俺個人の望みは叶ったのだが、じゃあそれで帰りますとはいかないのが現実だ。

「それとも、そこの魔族の子が何か関係あるわけ?」
「やっぱりバレたか」
「白々しいわね……全く、これでわたくしも共犯者になったじゃない」

 魔族だからといって角が生えていたり耳が尖っていたりといった本のような特徴はない。それでもシンシアの美少女審美眼にかかれば、レーヴェンをそう判断できたのだろう。怖いな美少女図鑑。

「まあ、シンシアなら美少女には勝てないってわかってたから」
「いいわ、できる範囲でなら協力してあげるわ」

 彼女は椅子に腰を掛け、紅茶を音もなくすすりながらそう言ってくれた。さすが話のわかる女だ。

「勇者倒すの手伝って欲しい」

 ので答えたら、めちゃくちゃ紅茶吹いた。

「おいいきなり吹くな」
「あんた達、国家転覆でもしたいのかしら?」

 まぁ世間的な認識はそうだよねやっぱり。

「いや、俺としてはセツナのパンツ返って来ればいいんだけど。ほら、支援法あるだろ。それで盗まれて」
「つまりえーっと、パンツ盗まれたから勇者倒したいと」
「そういう事。かしこい」

 レーヴェンがそう言うと、シンシアは盛大なため息をついた。それから今度こそ吹かずに紅茶を啜る。

「……相手はあの勇者よ勇者。倒す倒さないの問題じゃないわよ」
「大丈夫、一回引き分けてる」
「あなたが戦って?」
「いやキールが。魔王の力を手に入れたから」

 もはや紅茶に手を付けなくなったシンシア。カップを持っていたその手は目頭を強く押さえている。

「あなたね、地方領主ですらギリギリのギリの器の男に魔王だなんて……皮肉にしてはなかなかセンスがよろしくてよ」
「いや本当なんだ。なんか汚くて美味しくないパンツ食べたら」
「わかったわかったわかったわよ……目の前にいるのが頭お花畑のイカした御一行だということは十二分に伝わったわ」
「かしこい。かなりイカしてる」
「今馬鹿にされてるからな俺達」

 得意げな顔のレーヴェンに一応解説をしてあげる。やっぱり独特な感性してるよなこの子魔族って皆そうなのだろうか。

「で、具体的にわたくしに何をさせたいのよ」
「勇者を……倒す!」

 拳を握り天高く掲げるレーヴェン。そうだね今朝もそう言ってたね。

「だからその作戦よ。まさか正面から突撃とか言わないでしょうね」
「あー……」
「そうですね……」

 言葉を詰まらせるレーヴェンとセツナ。沈黙が部屋を包んだから、近くにあった本棚に手を伸ばす。解決策が出たら呼んでもらおう。

「あ、この小説続き出てたんだ」
「こぅらこのキール=バカタレ=クワイエット!」
「あ痛い!」

 飛んできたのはシンシアの扇子。さすが金細工が施されているだけあって痛い。

「あんた曲がりなりにもわたくしと同じ学歴でありながらどれだけ無能なのかしら!? 強い敵と戦う時は戦略作戦戦術支援! 授業で習ったことは全部学園に忘れてきたようね! 無駄にこの世界から二人の美少女を消し去る気!?」
「忘れていけるほどの成績じゃなかったのは知ってるだろ!」
「それもそうね」

 納得してくれたシンシアが声の調子を戻す。

「仕方ないわね、今日一日だけ付き合ってあげるわ」

 諦めたように彼女は言う。もう今日の残りも少ないが、それにしても彼女の頭脳が味方になってくれるのはありがたい。

「何か良い案があるんでしょうか?」
「相手は少人数こちらも少人数、ただし相手は非常に強い。となると取れる手段は一つね」

 セツナの質問に、彼女は人差し指を一本立ててニヤリと笑う。さすが悪役、人のことを国家転覆とか言っておいてノリノリである。

「暗殺よ」
第2話 颯爽登場悪役令嬢(後)

 勇者の行き先を探るのに、街中をうろつくような労力を割く必要は無かった。

「ここが連中の泊まっている宿屋ですか……よくこんな短時間で見つけられたな」

 見上げるのは高級そうな宿屋。入り口には親衛隊みたいな格好をしたボーイが何人もいて、宿泊客が荷物を持つ前にわらわらと群がってくる。しかし本当に恐ろしいのは、こんな宿屋でもこの街じゃ安い部類だという事だろうか。

「何言ってんのよこの程度その辺のおばさま方の噂話聞けば一発じゃないの」
「おばさんこわっ」

 珍しくレーヴェンの意見に賛同する。俺もそうすればこんな偽占い師に関わらずに済んだのかと考えながらではあったが。

「で、忍び込んで倒すと」
「そうね四階らしいけど」

 俺の言葉にシンシアが補足してくれる。地面から数えて一、二、三、四、落ちたら死ぬような高さだなうん。

「……誰が?」
「そこの魔ぞ……占い師じゃないの?」
「わたし頭脳派。とても四階までは」

 頭脳派という言葉に引っかかる。レーヴェンの頭には今のところフードを乗せる台としての機能があると認識していたが、それ以外の使い道があったとは思わなかった。

「いえ、問題ありません。こんな事もあろうかと」
「まさか」

 この流れは覚えてるぞ。

「キール様が寝ていた二日間、私がなにもしてないとお思いですか? 話はレーヴェン様から伺っていたんですよ?」
「せめて美少女のパンツせめて美少女のパンツせめて美少女のパンツ」

 神様というのがいるならどうかせめて俺の口に入るのはまだ食べても良いなと思えるようなものでありますようにと願わずにはいられない。

「クワイエット領の刑務所で模範囚として過ごしている元伝説の殺し屋ホイコー老師のふんどしです」
「パンツですらない!」

 レーヴェンはやっぱり俺を羽交い締めにして、セツナはトングでフンドシを俺の口に突っ込んでくる。もう嫌だ涙が出てきた何が伝説だやってられない。

「良いから食えわがまま貴族。それに美少女なんてろくな能力ないからパンツ食べても無意味」

 いやそりゃそうかも知れないけどさ。

『パンツイーターシステム発動。レアスキル、"暗殺者"を入手しました』

 とりあえず白目になりながら飲み込んだら、頭の中に声が響いた。ああはいこれで終わりね良かった良かったまた涙の塩味だったよ。

「あなた方が滅茶苦茶過ぎて今後の付き合いに響きそうですわね」
「やりたくてやってる訳じゃない事だけは理解してくれ」
「そうね美少女のパンツは被りたいものね。食べたら無くなるし」

 シンシアの言葉は聞き流そう。他の二人もそうしてるしな。

「じゃ、行って殺ってきて」

 レーヴェンが顎で支持してくる。もちろん四階だ、これよじ登るのと暗殺者の能力って関係ないじゃないかという疑問を挟む間もなく。

「これ捕まったら庇ってくれるんだよね?」
「わがまま」
「相変わらず意気地なしですね」
「付き合うのは今日一日だけって約束だから」

 三者三様の答えが帰ってくる。全員俺の味方にはなってくれないという事実だけが突きつけられて、やっぱり涙が流れてしまう。今日は泣いてばっかりだな俺。

「この能力、使われても文句言うなよ」

 吐き捨てるように俺は言う。万が一この三人の枕元に立つ時に暗殺者の能力はきっと有用だろうから。



 四階までよじ登って気付いたことがある。何号室か聞いてなかったというどうしようもない事実にだ。とりあえず降りて相談でもしようかと思ったが、いきなり誰かが窓を開けたからさあ大変。

「あ、どうも」

 とりあえず頭を下げる。少女と呼ぶにふさわしい女の子が出てきた。純朴そうな、小動物のような表情で人懐っこい笑顔を浮かべてくれた。亜麻色の髪を後ろで縛り、衣服もこざっぱりとした印象だ。

「あ、ハイるーむさーびす……? の人ですか!?」
「えっ、あうんそうそれ」

 勝手に勘違いしてくれたので思わず頷く。良かった都合のいい勘違いをしてくれたらしい。

「はーっ、都会は窓から来るんですね」

 田舎の子なのだろう、四階から侵入しようとしてきた男に安堵のため息を漏らすのだから成人男性として少し不安になってしまう。

「あーっと、部屋間違えたようで」
「そ、そんなこと言わないでください! 実はなまら困ってるんです!」
「なまら、ね……入っていい?」
「あ、どうぞ」

 とりあえず四階に侵入成功。あれでももしかして四階に入るだけだったら普通に入り口から行けばよかったんじゃないかなこれ。

「実はその、ちょっと観光に来たんですけど荷物とお金が盗まれてて……」
「物騒なんだよねこの辺。ちゃんと戸締りはした?」

 彼女の部屋をぐるっと見回す。リュックサック一つに自衛用の剣らしきもの、それから水筒ぐらいだろうか。女の子の観光にしては荷物が少ないような気がしないでもないが、田舎から出るにはこれぐらいが丁度いいのだろう。

「じょっぴんかる癖がなくて」
「ん? まあうん駐在に連絡した方が良いかな……ちなみになに盗まれたの?」
「お金とパンツだべ」
「またパンツだべ……」

 頭を抱える、犯人が一瞬にして判明してしまった。どんだけパンツ好きなんだあの男その辺で売ってるじゃないか買ってくれよ。

「る、ルームサービスの人は犯人知ってるんですか!? 教えてくれたら取り返しに」
「まあ待ってくれ、実は俺はルームサービスの人じゃない。連続下着泥棒を捕まえに来た私立探偵なんだ」

 よくもまぁこんなデタラメを口にできるなと自分で関心してしまう。日頃ゴロゴロしながら小説を読んでいて幸いだった。

「な、な、生の探偵! 本で読んだことあったけど実在したとは!」

 ちょっと興奮気味になる田舎少女。探偵が空想の存在だと思える程度の田舎ってどの辺だろうかと不安になる。何で旅してるんだろうねこの子、観光にしては少し無茶な気もするけど。

「ああ、でも奴は武装してるし女三人も侍らせて旅してるスケベ野郎でもあるんだ。危ないから俺に任せて」
「そんなの探偵さんが危険だべ! 大丈夫、困ってる人の助けになりなさいってばっちゃが言ってた!」

 少し考える。巻き込んでしまって良いのかという人並みの良心があったからだ。ただ同時に、下でヘラヘラしてるであろう女三人と比較して、こんな子が手伝ってくれたらという人並みの欲望もある。

「なら手伝ってもらおうかな……でも危なくなったらすぐに逃げること」

 結果負けた。自分の欲望に負けてしまった。でも本当、危険な目には合わせられないな。

「了解!」
「ならよろしく、俺は……キールでいいよ」
「あ、あたしアイラです!」

 差し出された手を握り返す。何だろう久しぶりに素直な人間を見た気がする。

「じゃあよろしくアイラ。ただその前に一つお願いが」

 彼女は笑う。俺は人差し指を口に当てて、にっこり笑顔を作ってみせる。

「窓から入って来た事は、誰にも言わないでくれないかな」





「ここが泥棒さんの部屋なんですか?」
「多分ね」

 アイラの部屋をあとにして、四階のとある部屋の前にいる俺達。ちなみに彼女は大事そうに鞘をかぶせたままの剣を握り締めている。鈍器なら誰も怪我しなさそうだ、冒険の知恵だろうか。

「どうしてわかったんだべか……」
「四人で旅してるけど、あの感じだと全員同じ部屋だと思うんだよね。金もない上に女の子も満更そうでもなさそうだったからね。そして四階でベッドが四つも入りそうな部屋は」

 推理とも呼べない推測を説明する。部屋の避難経路が壁にかけられていたおかげで出せた結論だ。

「はぁー……さすが探偵さん」

 で、鍵を開ける。ちなみに開け方は暗殺者の能力で何とかなった。盗賊の仕事だと思うがいまいちわからない能力である。

「お邪魔しますよっと」

 こっそりと部屋に入る。こう全体的に汚れているなというのが第一印象だ。適当に投げられている荷物にパンツに金。俺の領地じゃ大した物も無かっただろうが、ここなら中々の大金が稼げたのだろう。まぁだからといって田舎の少女から旅行資金とパンツを盗むのはどうかと思うが。

 そこでふと、目についたのは男物のパンツ。多分勇者のものだろう。

「一応……貰っておくか。アイツのパンツは役に立つだろ」

 とりあえずポケットに突っ込む。この発想が自分でも相当いかれてるような気がしたが、緊急事態だから仕方がない。

「あ、あたしの毛糸のパンツ! いやぁ見つかって良かったべ、ばっちゃが編んでくれたら……」

 アイリは暖かそうな毛糸のパンツを拾い、嬉しそうに微笑んでいる。平和な光景だなと思った、勇者の部屋じゃなかったらだが。さて、俺はセツナのパンツでも回収しとくかと思ったんだけど。

「どれだ?」

 冷静に考えて盗まれたパンツがどんなものなのか聞いてなかった。一個一個パンツを食べてメイドのスキルが出たのはそうなんだろうけど無くなるしなパンツ。どうするかなこれ。

「誰だっ!」

 と、思ったところで時間切れ。聞き覚えのある女性の声が部屋中に響いている。

「貴様は……この間の!」
「ゆるせない、ラシックの留守を狙うなんて卑怯者」
「ふん、泥棒なんていかにも貴族が考えそうな卑怯な手だわ!」

 勇者の取り巻き三人娘が、各々の武器を突きつけてそんな事を言う。俺はとりあえず両手を上げたが、正義感に燃えるアイリは武器を構えた。

「ど、泥棒はそっちだべ! あたしはパンツ返してもらいに来ただけ!」

 まったくもってその通りなのだが、ここで疑問に思うことが一つ。この部屋の状態を見るに、三人娘は勇者が下着泥棒だと知っている。それでも付き従うというのが疑問でしかなかった。

「なあ三人に聞きたいことがあるんだけど……なんで下着泥棒について行ってるんだ? 引かないか?」

 そう訪ねると、彼女達の表情が曇った。やはり思うところはあったのだろう。

「ラシック様は……ご病気なのです」
「そうだ! パンツでしか興奮しない、いやできないラシックを……いつかその、私達が」
「変態! 最後まで言わせないでよ!」

 何故か怒られる俺。悪くないよな本当ひどいよ。

「俺のせいじゃないって」
「何にしても覚悟してもらうわよ。ラシックの秘密を知ったからにはね」

 武闘家の娘が拳を突き出す。さて逃げる算段でも立てますかね。

「アイラ逃げれるか? その、ここ四階だけど」
「キールさんを置いては」
「外に仲間がいるんだ。窓さえ開けてくれたら何とかなる」

 勝算がある。絶対に勝てるという自信が俺にはあった。

「本当?」
「本当」

 目を見て答える。勇者がいない今なら、勝てる。

「……信じます!」
「覚悟!」

 アイラが窓へと逃げると同時に、武闘家の拳が飛んでくる。それをすんでのところで避ければ、風圧が頬をかすめた。

「さすが暗殺者、躱すのはお手の物!」
「何を!」

 避ける、避ける、避ける。他の二人が加勢しようにも狭すぎてどうにもならない。だから俺は武闘家の攻撃をただただ躱すだけで良かった。だけで良かったって、何とか老師どれだけ強かったんだ? まあ今は彼に感謝と出所を願おう。

「狭い室内なら俺の方が有利らしいね!」
「開けました、キールさん!」
「よしっ」

 拳を止める。そして大きく息を吸い、力の限り叫んでやった。

「シンシアーーーーーーッ! お前好みの美少女が三人もいるぞおおおおおおおっ!」

 聞こえるはずだ、わかるはずだ。彼女なら絶対にここに来てくれると。

「ふん、何を叫んで」
「よろしくってよ、キール=ボンクラ=クワイエット!」

 扇子で口を隠しもせず、よだれを垂らしたシンシアがやってきた。一体そのハイヒールでどうやって四階まで駆け上ってきたか知る由もなかったが、考えるだけ無駄だろう。

「また貴ぞ」
「ごめんあそばせ」

 剣を持った美少女の足を払い、そのまま右手でキャッチする。そのまま虫のように指先を這わせて、耳元に息を吹きかける。

「あら、あなた綺麗な顔立ちしてるわね……ふふっ、ちょっと触っただけで耳まで真っ赤」
「ひっ、ひゃぁい!」

 嬌声を上げるアサヒとかいう女剣士。さすがシンシア美少女相手じゃ最強だ。

「お前、アサヒを離せ!」
「あらアサヒちゃんって言うの、あなたの綺麗な瞳にピッタリだわ」
「くらえええ!」

 突撃する武闘家、だが無駄だった。シンシアは左手でそれをいなすと、彼女をぐっと抱き寄せた。

「あらご存知なかったかしら。わたくし手が二本ありますの」

 今度は直接的だった。下着の中に指を突っ込み、耳を甘噛みする。エロい、エロすぎる。さっきまで殺伐としていたはずの部屋は一気にピンク色に変わっている。

「んー、こっちの生意気そうなのも素敵ね……あ、あら珍しい生えてないのね。ふふっ、いいのよ個性だから恥ずかしがらなくて。お名前は?」
「リ、りぃん!?」
「アサヒちゃんにリンちゃんね。ごめんなさいね、両手がふさがってスケッチできないのよ。だから先に、味見の方をさせてもらおうかしら」

 二人の頬にキスをするシンシア。もうそれ食べてるだろって突っ込みはしないほうが良いだろう。なにせ彼女はこれから本当に突っ込む気なのだから。

「ふ、二人をはなして!」

 残っているシスターが、精一杯の力を振り絞り杖でシンシアを叩こうとする。だが無駄だ、彼女は三人同時に相手できないほどヤワじゃない。

「あらあらシスターちゃん? わたくしに足が生えてることに気付かなかったかしら? それとも両手がふさがった如きで何もできないとでも? 嫌ですわ猿じゃあるまいし」

 つま先を股間に突っ込み引き寄せると、そのまま膝小僧で股間を刺激し始める。さすが貴族のご令嬢、一瞬にして百合の花が咲き誇っている。

「レ、レモル……」
「覚えたわ、アサヒちゃんリンちゃんレモルちゃんね? 四人で仲良くお話ししません? そうすればもおっとお互いを好きになれますわ……それに気の利いたことに、ベッドも用意されてますし」
「よし、良いぞクソレズ!」
「誰がクソレズだボンクラァッ!」

 しまった言い過ぎたか。

「おほん、さぁ三人とも、私に身も心も任せて……」
「この隙に逃げよう……アイラ、アイラ!?」

 窓際にいたアイラに声をかけると、茹で上がったタコみたいに顔を真赤にしていた。どうやら刺激が強すぎたらしい。

「あっは、はいっ!? と、都会って凄いんだべ……」
「あれは都会の中でも特殊だから気にするな。とりあえず逃げて二時間後ぐらいに戻ってこよう」
「四時間よキール」

 舌なめずりして彼女が訂正する。怖いな近寄らないでおこう。

「……四時間後に」
「ただいま、なんだか騒がしいね」
「あやべ」

 出口の扉を開ければ、両手に食べ物やらを持った勇者と鉢合わせになった。どうやら四時間の予定は四秒も持たなかったという悲劇。

「間に合わなかったべ」
「貴様ら、この僕を追って」

 剣に手をかけるラシック、だめだこいつは強すぎる。

「どうするシンシア! 作戦失敗だぞ!」
「チッ、今いいとこなのに……なんとかしなさいよキール! 一度は何とかしたんでしょう!?」

 何とか。いやまぁ出来たけどさ、あれをやるにはあまりにリスクって言うのがだね。それでも、アイラは巻き込めないのは事実だ。だったら選んでいる場合じゃない。

「宿屋の人」

 手をかざす。今度は二日も寝込むなよと、自分の心に頼みながら。

「ごめんなさぁい!」

 勇者ごと宿屋を吹き飛ばす。せめてシンシアがここの修理代を、支払ってくれることを願いながら。






「何逃げて来てるのこの役立たず」
「どうして私のパンツがわからないんですか?」
「いやあの……ごめんなさい」

 シンシアの家に戻った俺は、女性陣に囲まれて正座していた。いやまぁ俺が悪いんだけど、君ら今日何もしてなかったよね本当。

「ま、今回は失敗でも次回があるわよ」

 当のシンシアと言えば、あっけらかんとした態度でそう答える。一番怒ってそうだったので、少し意外な応対だった。

「その時はシンシアいないだろ」
「いえ……私もついて行こうかしら」

 思わず耳を疑う。こんな珍道中にシンシアはついてくるというのか、どれだけ暇なんだ貴族の三女って。

「良いところでお預け喰らったからね。あの三人を手篭めにするまでついて行くわ」

 それはまた随分と頼もしい動機だことで。

「それで、そちらの方はいかがなさいますか?」

 セツナが顔を向けた先には、成り行きで連れてきていたアイリが座っていた。

「えっ、いや、あのあたしここに場違いったいうかなんかこんな豪華なお屋敷にお呼ばれしてなにか粗相とかしてないか不安ですあのあの」

 こんな場所に来たのは初めてだったのだろう、さっきから手を震わせて周囲を見回してばっかりだ。

「アイラは観光客なんだから、どうするもこうするもないだろ」
「あっ、いえ! 出来れば皆さんとご一緒できれば……でもお金もあんまりないしあたしみたいな田舎者が迷惑かなって」
「大丈夫この二人もわたしの実家から見ればあばら家みたいなもの」
「フォローか悪口どっちかにして?」

 レーヴェンの言葉に文句を言うが、彼女は笑顔を崩さない。本当厚かましくて参ってしまう。

「あら、そんな些細なこと気にするなら、旅の間わたくしの小間使いになって頂けないかしら? 家の使用人には刺激が強すぎるから連れて行きたくないのよね」
「あ、いいんべか!」
「ええ、よろしくねアイラ」

 一気に表情が明るくなったアイラ。お前それ騙されてるぞさっきまでの光景見てただろと言いたくなったけど、やめた。それは俺が大人だからだ。

「ところでキール、わたし雇われの占い師だけど」
「そう言えばそういう設定だったね」
「ん」

 レーヴェンが右手を差し出してくる。これはあれだね、遠回しじゃなく最短距離で金を要求してるんだろうね。そこでふと、思い出す。今日の戦利品が俺のポケットに詰まっていたという事に。

「……はいどうぞ」

 というわけで勇者のパンツを彼女に手渡す。思い切り睨んできたがここは見てみぬ振りをして。

「さーて、次の目的地はどこかなっと」

 ゆっくりと背筋を伸ばす。気絶しなかった今日の自分に、少しだけ自信をつけながら。


◆◆◆今回の獲得スキル◆◆◆

エピックスキル:スーパー執事
アーツ:馬車の心得 茶の心得 料理の心得 ひげの心得
    事務処理 残飯処理 ムダ毛処理
    スケジュール管理 シフト管理 金管理

レアスキル:暗殺者
アーツ:毒矢 ナイフの心得 急所狙い
    見切り 壁登り ピッキング 忍び足 報酬釣り上げ 
第3話 とある領地にて(前)



 アイラが仲間になって、非常に助かった事がある。

「キールさん、そろそろ交代しましょうか?」
「助かるアイラ。流石に一人だと辛くて」

 それは彼女が馬車を扱えるという事だった。リーゼロッテ領を後にしてはや二日、交代要員がいるだけで疲労の溜まり方が段違いだ。

「中で休んでいてください。寝ていても良いですよ?」
「それが出来れば良いんだけど」

 御者台を離れ、そのまま馬車の中に入る。シンシアもレーヴェンもセツナも、相変わらず優雅にティータイムを楽しんでいた。

「で、勇者に追いつくまであとどれ位?」
「まだ三日ぐらいかかる。なんか祠だかで移動したから追いつくのに時間かかる」

 レーヴェンの答えにため息が出る。何でもありだな勇者ってのは、こっちは汗水垂らして追いかけるしかないというのに。主に俺とアイラだけどさ。

「ねぇキール、なにか面白い話ないかしら」
「無いよ別に。クワイエット領は平和が売りなの」

 暇に耐えきれなくなったシンシアが、紅茶を啜りながら突然そんな事を尋ねてきた。ただ質問が悪かった、俺にしてみればそれは世間話ではなく難問だった。

「それにしても、シンシアはよく許可出たな。付き人もなしで同行なんて」

 というわけで、俺の方から質問をする事にした。ここ二日間、少しだけ気になっていた事についてだ。

「相変わらず間抜けなこと言うわねあなた。クワイエット家の家長とお出かけなんて、お父様泣いて大喜びよ」
「……何で?」

 そう聞き返すと、今度はシンシアがため息をつく番だった。シンシアの父親に泣いて大喜びされるってのがいまいち腑に落ちない。

「ねえセツナちゃん、どうしてこの男は貴族の素養というのがこうも無いのかしら? もしかして自分の置かれてる立場わかってないの?」
「お恥ずかしい限りです」
「良いことキール、あんたはクワイエット領主で独身で天涯孤独。それに嫁ぐってことは、丸々クワイエット家の実権を握れるような物なのよ? あんたを狙ってるの結構多いんだから少しは気をつけなさいよねハニートラップに美人局とか」
「まあ、学生の時はうすうす感じてたけど今もか。街で食事しても何も無いからそういうの終わったのかと」

 財産目当てだろうなって女の子に声をかけられたことは学生時代に多々あったのを思い出すが、まさかそれが継続してるとは。

「呆れた。庶民派は領民からの評判良いけど、貴族の鼻つまみ者だってのは肝に銘じなさいな。まあ……こういう出先で余計なトラブルを避けたければ身分を隠すことね。もっともあなたは貴族のフリの方が疲れるでしょうけど」
 
 ――なんて人に説教をしていたシンシアが、だ。



「ねぇねーキールーお酒ーお酒もう終わりなのー足りなくなくなーい?」

 その日の宿屋のスイートルームで、情けないぐらいに飲んだくれていた。

「うっわ酒くさ」

 様子を見に行ってみたらこのザマで、思わず鼻をつまんでしまう。ちなみに俺だけ下の階のシングルルームである。男一人、まぁ気楽でいいけどさ。

「こっちの飲み物も悪くない。良い味出してる」

 昼のうちに買っておいた酒はもう、女性四人に飲み干されている。シンシアは泥酔し飲んでは吐いてを繰り返すし、レーヴェンは瓶ごとラッパ飲みなんかしちゃって。

「そりゃお姫様のお口に合って良かったよ」
「ようやくわかってきたねキール。だからもう一本」

 足元に転がる酒の瓶は1ダースを超えていた。えっと一人頭ワイン三本? そんなに飲めないぞ俺。

「ごごごごめんなさいキキキキールしゃんあたし飲んでないのに匂いででで」
「アイラは座ってて良いよ」

 アイラはまだ子供なのか口はつけていないみたいだが、それにしても泥酔していることに変わりない。ともあれこれで一人頭四本、飲み過ぎだね君らね。

「この時間酒屋やってるかな」
「酒屋がやってないなら酒場で買ってくればいいじゃない? 瓶ごと」

 シンシアはカバンから財布を取り出すと、乱暴に俺に投げつけてきた。良家のお嬢様が聞いて呆れる、まだ場末の酔っぱらいのほうが行儀正しい。

「そりゃいい案だこと」
「キール様、ご一緒いたします」

 一人だけ一滴もこぼさず飲んでいたセツナがゆっくりと立ち上がる。のだけれど、今の彼女がそこまでする義理はない。

「いや良いよセツナ、扱いとしては休暇中だろ? いつも頼ってるからね、たまには羽根を伸ばせばいいさ」

 ふと周りを見回すと、羽を伸ばしすぎて親御さんが見たら泣いて悲しむ光景が広がっていた。

「堕落しない程度にだけど」
「いいえ主人を夜の街にほっぽり出すなどあとでセバス執事長にこっぴどく叱られてしまいます」

 まあセバスは怒るだろうけどさ。

「それに今回の旅は全て業務扱いで請求させていただきますのでご安心下さい」
「そりゃ安心だ」

 というわけで夜の街を、メイドと二人で歩くことになりましたとさ。






 フォルテ領スクランデルの街を歩く。エルサットと比較すると活気があるとは言い難いが、夜の街は屋台の明かりで賑やかだ。

「しかしこうやってセツナと知らない街を歩くのも不思議な感じだな」
「そうですか?」
「まぁ俺が領地から出ないってのもあるけどさ」

 異国情緒と言えるほどでもない。街は基本石造りで、ここエルガイスト王国の中じゃ特段珍しいものでもない。それでも彼女と歩く知らない街は、どこか遠い国にいるような感覚に襲われる。

「良い機会だと思いますよ、私は。見聞を広めるのも、領主として大事な仕事ですから」
「そうかな」
「そうです」

 もっとも俺は、感受性の豊かな方じゃない。ここを参考にしようとか、ここが改善点だとかそういうものを思いつけるほどの頭が無いのだ。多分領主に向いてないんだろう。

「セツナは……行ってみたい所はある? やっぱり里帰り?」

 自然とそんな言葉が口に出ていた。セツナはその名前の通りこの国の出身じゃないから。

「あまり……思い出らしいものもありませんので」
「そっか、なんかごめん」

 どこかその口調は、良い思い出がないように聞こえてしまった。

「簡単に使用人に頭を下げないで下さい。シンシア様ではありませんが、安く見られてしまいますから」
「なら……南の島とかどう?」
「良いですね、たまにはそういうの」

 思いつきの発言だったが、それは名案のように思えた。たまには全部を忘れて、波の音を聞いて太陽を眺めて冷たいビールでも飲んで。パンツのことも忘れられたら最高だろう。

「ならいつか、屋敷のみんなで行こうか」
「その時までには奥方を見つけていただきたいですけどね」

 言葉が詰まる。最近はそういう話もなかったが、領主として妻も子供もいないのは正直言って批判の的だ。というわけで何も喋らないでいたのだけれど。

「う、動くな!」

 闖入者が沈黙を破った。子供の震える声とナイフ。

「か、金を出せ! 有り金全部置いていけ!」

 怖くはなかった。突き出されたそれが命を失うリスクがある事を理解しているが、刺されるという恐怖はない。汚れた服を着た少年は、否応もなく貧困の二文字を想起させる。

「迂闊でした、路地に入ってしまったようです」
「ほ、本気だぞ!?」
「まあ冗談でナイフは出さないよね」

 本気だけど本気じゃない、金は欲しいが刺したくない。だから一番の解決方法は大人しく小遣いを渡して見逃してもらう事なんだろうけど。

 彼の腹の虫が鳴った。光り物よりも食べ物の方が似合いそうだ。

「腹減ってるのか?」
「うるさい!」

 次に俺の腹が鳴る。宿の晩飯はシンシアの趣味で豪勢なコースだったが、一日中馬車を走らせていた俺には足りなくて。

「……俺もだよ」



「いやあ、こういうのってなかなか食べる機会なくてね……美味いの?」

 ホットドッグという食べ物らしい。まぁソーセージと野菜をパンで挟んで調味料を上からぶっかけた食べ物なのだが、こうやって食べるのは初めてだった。

「食えばわかる」

 丸椅子と丸机に三人で腰を掛け、二人してかぶりつく。ちなみに特段夜食の必要のないセツナは、オレンジジュースを飲んでいた。

「それもそうだね」

 うん、味は悪くない。ソーセージと野菜とパンの調味料の味がするな、こう夜中に喰うと二倍ぐらいうまいな本当。

「キールさん、晩御飯足りなかったんですか?」

 キールさん。様じゃないのは、今俺達が置かれてる状況に配慮してくれたのだろう。何せ俺が貴族だと知れたら、子供の気が変わるかも知れないしね。

「ああ、そんな所」
「メイド連れてるくせにか」
「何を勘違いしているかわかりませんが、私達はさる良家のご息女の旅行に同行しているメイドと馬車の御者ですよ。明日の食料の買い出しに行こうとした所、女一人ではとついてきてもらったのです」

 いい返しだと素直に思う、何せ嘘が殆ど無い。こういう時本当のことを混ぜて喋るのは賢いやり方だ。

「こんな時間にか」
「お嬢様はワガママでね」

 これも本当。

「ふーん、金持ちの家来にも色々あるんだな」
「そういうあなたは強盗ですか? 色々あるのは察しますが、慣れていないならやめた方が良いですよ」
「うるさい!」

 ソーセージの食べかすが飛ぶ。少年はそれをつまんで口に入れると、ゆっくりと口を開く。

「金がいるんだよ」
「それはまあみんなそうだ」

 いらないって奴もいるが、そいつらは預金が腐るほどあるだけの話。つまり誰にでも金は必要。

「なら真っ当に稼ぐ事ですね。対価もなしに金銭を得ようなど」
「でも貴族はそうだろう!」
「まあ……フォルテ領主は評判良くないよな」

 少年の言う貴族は領主の事で良いだろう。領主以外にも貴族という身分はあるが、実質他の商売にかかりっきりなのが現状だ。

「お前の方は見所あるな」
「久々にそう言われたよ」

 頭の良さを褒められたのは読み書きを覚えた頃まで遡らなければならない、と自分史を紐解いてる内に完食する。ただ子供は半分ほど食べたところで、その手を止めてしまっていた。

「もう食べないんですか?」
「おれだけ食うわけにはいかないからな」
「全く……何人ですか?」
「どういう事?」
「大方子供だけで集まって暮らしているんでしょう。それで盗んだり強盗したり」

 ため息混じりにセツナが答える。今日の彼女はいつも以上に聡明なような気がした。

「……5人」

 まあそれぐらいなら足りるか。

「すいません店主さん、これと同じ物5つ包んで貰えますか?」
「キールさん甘やかすのは」
「いいよどうせシンシアの金だし」

 小声でそう答えると、セツナは微妙そうな顔をした。一応冗談のつもりだったが、ホットドッグ五人前の駄賃はもらっても良いような気がした。

「代わりに、もうするなよあんな事」

 一言だけ添えて差し出す。少年は一気に残りの食べ物を口に詰め込んで飲み込むと、睨みながら奪い取り。

「……バーカ! バカバーカ!」

 子供らしい逃げ台詞を口にして、そのまま路地へと消えていった。その後姿を二人でセツナと見送ってから、思い出したように俺は呟く。

「酒買って帰ろうか、セツナ」

 というか本当に思い出した。俺はあのワガママ貴族令嬢の使い走りという名目でここに立っているのだという事を。

「そうしましょうか、キール様」

 彼女はほんの少しだけ口元を緩めて答えてくれる。その理由はわからないが、ほんの少しだけ誇らしかったような気がした。






 翌朝馬に餌をやって動きやすい服を着てさあ行くぞ勇者を追う旅へ気合い入れて頑張るぞ、などと考えながら女性陣の部屋の扉を開けた自分が愚かしい。

「飲みすぎたわ……ねぇキール、全額払うからもう一泊するわいいわよねはいこれお金」
「戦略的休憩がひつよう。あと迎え酒」

 二日酔いが二人である。どうやら俺たちの冒険は今日もお休みで良いらしい。どうせなら帰りたいが、それは贅沢すぎるのだろう。

「怠惰ここに極まれりだな」
「あなたの買ってきた酒が強すぎたのよ、何よ度数60って!」
「それしかなかったんだよ……って誰もそのまま全部飲めなんて言ってないだろ」

 実を言えば嘘である。本当は10度程度の酒はいくつか酒場にあったのだが、その量を二人で運ぶのは文字通り骨が折れる作業だった。というわけで数本程度、割って飲んでもらえればと思い度数の一番高い酒を買って来たのだ。ちなみにその酒の瓶は空になって床に転がっている。

「あー大声出したら頭痛くなってきたわ……無理、寝る、おやすみなさい」
「飯でも食ってくるかな……セツナとアイラも行く?」

 布団に潜り込んでいる二人を尻目に、残りの二人に声をかける。一人だけ勝手に食事を済ませるってのはどうもね。

「ええ、行きましょうか馬車の御者のキールさん」
「わかった今日一日それな」

 無用なトラブルを防ぐため昨日の設定を引き継ぐのね了解しました。

「なんですかそれ?」
「今日の俺は庶民ってことで」

 襟をつまんでアイラに答えるが、彼女はいまいち納得しないような表情を浮かべていた。

「そういうのもあるんですね」
「いつも似たようなものでしょあなたは」

 布団の中から辛辣な言葉が聞こえてきたが、聞き流す事にした。俺はあんまり貴族らしくないですよ、どうせ。



「……あんまり朝って感じはしないな」

 街に出るが、第一印象はそんな感覚だった。朝ってのはもっと店の準備や職場へ急ぐ人々などで賑やかなものだと思っていたが、ここは少し違うらしい。

「フォルテ領主ってどのようなお方なんですか?」
「シンシアの所とは別の意味で、絵に描いたような貴族かな」

 セツナの質問に、思い出しながら答える。顔見知り程度の人物だが、その悪評が轟くには十分すぎる相手だった。

「つまり悪い人なんですね!」
「まぁ一般的にはそうだろうね。会合とかで会ったことはあるけど、ああいうのがいると思うと気が滅入るよ」

 金と女と権力。人間の欲求に忠実な支配者というのが、ここフォルテ領主のエドガー=L=フォルテに対する印象だった。

「どうにか……ならないんでしょうかね」

 大方ここの税金は、彼の私服を肥やすために重いのだろう。重税でも還元されているなら擁護の余地はあるが、ここはあまりなさそうだ。その証拠に人々の表情は暗く、足取りはひどく重い。大方昨日の屋台は観光客相手か脱税まがいの商売なのだろう。

「それは領民が決めること。自治権もあるし口を出すのは越権行為さ」

 どこかの折に嫌味を言う程度ならできる。が、ここの領地はこうこうこうでこうだからああしろと他の領主が言うのは政治的に問題がある。それはこのエルガイスト王国の成り立ちに関係がある。

 もともとこの王国は、小さな国の集合体だった。それぞれの領地にはそれぞれの特色があり、文化や風俗どころか、政治の形態ですら別物だった。例えば俺の領地であるクワイエット領は村社会の合議制から発達した直接民主主義だったが、ここフォルテ領やシンシアのとこのリーゼロッテ領は王政だった。建国王エルガイストに歯向かい直属の領主が配置されたような所もあるが、基本的には当時の代表の家系がそのまま領主として据えられたのだ。

 つまりまぁ長々と考え込んでしまったのだが、要するに色々面倒くさいのだ。

「すみません差し出がましい事を」
「いいさ、同僚だろ?」
「でしたね」
「ところで、朝ごはん何にしましょう?」

 アイラがここで本題に入ってくれた。まぁ今日は一日暇なので、ゆっくり決めても良いだろう。

「昨日のホットドッグだかは美味かったな」
「どんな食べ物ですか?」
「こうソーセージって豚肉の腸詰めと野菜を細長いパンに挟んで調味料をぶっかけた食べ物」
「なんか想像付きませんね……」
「キールさんの説明が悪いのかと。実物を見てもらった方が良いんでしょうけど」

 呆れた顔でセツナが答える。そう言われても食べ物を言葉だけで説明しろってのも無理があるよな。

「確かにね。昨日の屋台は……やってなさそうだね。似たような店があれば良いんだけど」

 周囲を見回してみるが、流石に昨夜のように屋台が並んでいるという都合のいい事はない。どこか食堂でもあれば良いのだが、朝一番に開いているような店は中々見つからない。

「ですが昨日の袋を持っている人ならいますね、ほらあそこ」

 セツナが指さした先には、昨日の店の紙袋を持った子供がいた。

「いや昨日の子供だろアレ」

 というか昨日ホットドッグをご相伴した本人そのものだった。

「ですね」
「お知り合いですか?」
「少しね。あの子供に聞いたらホットドッグ売ってる店教えてもらえるかな」

 アイラの質問に答えていると同時に思いつく。というわけで物陰に隠れている少年にこっそりと近づき、その肩を軽く叩いた。

「なあ少年、ちょっといいか?」
「うわ昨日の!」

 振り返るなり大声を上げる少年。と思ったら今度は自分の口を急いで手を塞いでから、また物陰に隠れて通りを歩く一人の女性に視線を送ってつぶやいた。

「……気付いてないよな」
「ストーカーですか悪い人ですか成敗しますか!」

 いきなり鞘ごと剣を構えながら物騒な事を言うアイラ。というか食事しに行くぞって言ってるのにどうして武器なんか持ってきてるんだろうか。

「違う! 昨日渡せなかったから、シーラにこれを届けようと……」

 手にあるのは昨日の袋。いや昨日のだよなそれ届けて喜ぶのかそれ以前に傷んでたりしないのか?

「へぇ、なかなか綺麗な方ですね」
「はぁ、確かに綺麗な人だべ」
「おぅ、本当に美人だな」

 俺たちも少年の真似をして、壁から顔だけだして女の子を見てみる。確かに生活からくる服装のみすぼらしさはあるものの、顔立ちは整っていると言っても良い。整えるものを整えれば、良家の子女にも負けないだろう。

「ちょ、寄るなよ暑苦しい!」

 彼女はたまに振り返ったり周囲を見回したりと、散歩にしては随分と物々しい。

「どこかに向かってるのかな……知ってる?」
「わからないからこうやって後を付けてんだろ馬鹿かあんた」
「よくご存知ですね」

 行き先を尋ねただけでひどい言われようだ。

「行きましょう! あの様子、何だか悪い事の匂いがします!」
「何だその理論……まぁでも」

 鼻息を荒くするアイラをなだめてから、少しだけ考える。それは今日やるべき事であり、食事と睡眠ぐらいしか無い訳で。

「確かに良い暇つぶしか」

 興味本位で申し訳ないが、首を突っ込ませて貰うことにした。まあ女の子一人の尾行程度で、パンツを食わされるような事は無いだろうし。






 歩くこと小一時間、行き着いた先は大きな屋敷だったのだが。

「ここ、フォルテ領主の館ですね」

 セツナが訳知り顔でそんな事を言ったが、表札読んだだけなんだよな。

「なまらでかいですけど、リーゼロッテさんのとこよりは小さいですね」
「それ本人の前で言うなよ……小さい方はきっと怒るし、大きい方は図に乗るから」

 なんて物陰でやり取りをしていると、追いかけていたシーラという美人さんはそのまま屋敷の中へと入っていった。

 貧乏な美少女が一人で悪評轟く貴族のお屋敷に、ね。

「中入っちゃいましたね」
「……どうする少年待つか?」
「少年じゃねぇヘルマだ……いや、中に入って確かめる。どうせここの領主様だ、シーラにひどいことさせてるに決まってる」

 小さな拳を鳴らしながら、少年改めヘルマは歯ぎしりをしながらそう答えた。無謀な事だとは思うが、その気持ちは十分わかる。

「どうやって? まさか忍び込もうなんて考えてませんでしょうね。見つかれば殺されますよ?」
「それでも行く。大体あんたらには関係ないだろ」

 ヘルマの言うことは尤もだ。興味本位でのこのやってきた部外者の一団が俺達だ、ああだこうだと意見する筋合いは無い。それでもセツナは無表情を貫きながら言葉を続けた。

「いえもっと安全な方法があるので提案しようと思ってたところです」
「へぇどんな」

 意外な答えが帰ってきた。いや俺が身分を明かせば入れるだろうが、流石にそれじゃないよな。

「まずアイラさんがキールさんを取り押さえます。キールさんは動かないでください」
「こうだべか?」

 後ろに回ってアイラが俺を羽交い締めにする。あれ、これなんかレーヴェンにもやられたな。

「次にキールさん、口開けてください」

 そしてセツナは外出用の小さな鞄の中身を漁り始める。うん、これはもうあれですね。

「……嫌だ」

 拒否する。これならまだやあやあ我輩がクワイエット領主だぞ茶の一つも出さないのかねと威張り散らしたほうが余程楽だ。

「というと思ったので、ヘルマ君は彼の口を無理やりでもいいので空けてください」
「これでいいのか?」

 ヘルマは思い切り俺の顎を掴んで力の限り下ろす。

「ええ、大丈夫です。といわけでキールさん、うちの領の刑務所で人気者の詐欺師のパンツでございます」
「ほおひほ、ほんはおひほ?」

 その人女の人? と聞きたかったがうまく口が動かない。

「何言っているかわかりませんが、当然男性でございます。女性の方もいらっしゃいましたが、結婚詐欺師で汎用性に難がありまして」

 いや汎用性とか言われても、と反論しようとした口は男物のパンツに塞がれる。ここ数日思うのだが、俺は前世で悪い事でもしたのだろうかと思う。そうだ、今度はちゃんとした占い師に頼んでみよう。俺とパンツって前世で関係ありますかってさ。

『パンツイーターシステム発動、レアスキル”詐欺師”を入手しました』

 まあ、そうですと答えるような占い師は詐欺師だと思うけどね。



 口八丁手八丁という言葉があるが、応接間に案内されるのに必要なのは口だけだった。さすが詐欺師のスキル、口も舌も別の生き物なんじゃないかというぐらい随分華麗に動いてくれる。

 やあメイド長さんここのご主人にえっただの使用人まさかそんなご謙遜をそんなに聡明そうなのにああ申し遅れました私旅の商人でございましてこちらの領主様に是非買い取っていただきたい物が物を見せてくれですかそれはちょっとでもこれね、どうですかまあチップなんですがチップを惜しまぬぐらいに良いものなんですよ本当まあでも美人に払うお金を惜しいと思ったことありませんけどねはっはっはありがとう応接間で待ってますね、なんて歯の浮くような台詞が俺の頭で思いつくわけないのだから。

「どうぞこちらでお待ち下さい。旦那様がすぐにお見えになりますから」

 案内してくれたメイドがにこやかな顔を浮かべながら部屋を後にすると、俺達は皆一斉にため息をついた。

「はぁ……詐欺師ってこんな感じで信用得るんですね。なまらこわいっすね」

 アイラの言うことは最もである。言葉だけで鹿撃ち帽に色眼鏡を装備した俺が領主と面会出来るのだ、俺が暗殺者だったらどうするつもりだったんだろう彼女は。いや待てよそう言えば暗殺者でもあったな俺。

「便利なのは良いけどさ……なんか俺どんどん悪者になってない?」

 えーっと確か魔王にスーパー執事に暗殺者に詐欺師だっけか。うんどう考えても牢屋で大人しく過ごしてた方が良い人間だなこのままだと。

「キールさんが悪者……!? そんなあたしどうすれば」
「アイラさん、力は力です。問題はそれをどう扱うかではないでしょうか」

 そうは言っても俺の能力活かせそうなのって世界征服ぐらいだろこんなの。

「なぁあんたら……何なんだ? どこぞの金持ちの召使いじゃないのか?」
「その質問の答えは俺が聞きたいぐらいだよ……って良いのかヘルマ、シーラだかを探しに行かなくて」

 さて、彼にここで油を売っている暇はない。シーラという先程の美少女を探しに来たという一番の目標を些細な事で忘れられては困るからね。

「いやでも見つかったら殺されるんだろう?」
「便所の場所がどうとか言えば良いだろ、流石に迷子をすぐ殺しはしないよ。それにアイラも一緒に行ってもらうし」
「あたしですか?」
「ほっとけない性格でしょ?」
「もちろんです!」

 そう尋ねればアイラは笑う。人懐っこいそれを見て、初めて彼女の表情を見たような気がした。
第3話 とある領地にて(後)

「で、残された私達は何をするんですか?」

 応接間に残った俺とセツナはゆっくりと茶をすすっていたのだが、どうも彼女はそれに飽きてきたらしい。

「時間稼ぎ出来ればいいよ。お話みたいに悪徳貴族を成敗したい訳じゃないし」

 アイラとヘルマに油を売る暇が無いというなら、俺達はこれから一生懸命油を売らなければならないのだ。さてここからどうやって時間を引き延ばそうかと少し考える。まずは相手を褒めて世間話をして天気の話をして出された茶を褒めてあとは適当にかな、うん。考えることもスキルで済ませたら楽だが、それは贅沢が過ぎるか流石に。

「待たせたな流れの商人、何やら珍しいものを持っているらしいね?」

 帽子を取り頭を下げる。メガネは流石に取るわけには行かないな。

「ええそれはもう。エドガー様に相応しい数々の逸品をご用意させて頂きましたので」
「世辞は良い、物を見せろ」

 いきなり本題に入られても困る。落ち着いてまずは天気の話をしないとな。

「……今日はいい天気ですねまるであなたのここ」
「物」

 駄目だわ俺の作戦、口は詐欺師でも頭は役立たずだ。

「物、ですね」

 一応ポケットに手を突っ込んでみるが、ゴミしか入ってなかった。売るものね、あ、待てそう言えばセツナが何か鞄持ってたよな。

「セツナ君、鞄をこちらに」
「どうぞ」

 うむこれでよし。あとはこの中身を適当な理由を長々と説明してしのげばいい。というわけで鞄を開けたのだけれど。

「えーっとお……」

 とりあえず馬車の手綱を握る用の手袋を嵌め、一つだけ中の物を取り出す。

「まずこちらは、パンツです」

 机に置かれる一枚のパンツ。几帳面なセツナらしく、小さなタグが付けられている。チンピラって書いてあるけど、まぁいいだろう。

「そうだな」

 しかしこうあれだね、領主同士がチンピラのパンツを挟んで向かい合うってひどい光景だね。

「次に……パンツですね」

 よしもう一枚鞄から取り出すぞもちろんパンツだね。今度は高利貸しだ。

「その通りだ」
「そしてパンツに、パンツにパンツにパンツとパンツパンツパンツパンツでございます」

 えっとね、これがチンピラでこれもチンピラで泥棒と泥棒にね、泥棒とねチンピラと、ちょっと珍しいぞ武闘家とね、最後はやっぱりチンピラなんだよね。んーセツナちょっと刑務所から集め過ぎだねかぶってるよね一枚ぐらいで良いんじゃないかな?

「君は喧嘩を売りに来たのか?」

 ごもっともな意見だが、本当は油を売りに来たのだ。決してパンツではございませんが、それはそれとして。

「いえいえいえ、なんとこちら、単なるパンツではございません」

 詐欺師に口を任せれば、俺も驚くような言葉が出てくる。単なるパンツだよこれ。

「ほう?」
「なんとこちらの全てのパンツ、馬鹿には見えないパンツでございます」

 どんな魔法だそれ、しかもパンツって何に使うんだよ鎧とかなら役に立ちそうだけどさ。

「……何だと?」

 お、ちょっと食いついたぞ。

「あ、いやっそのこちらのパンツが見えるとはさすがエドガー様ですねえっ! 私めにはおぼろげに姿を捉える事が精一杯、こちらの小間使いには見えておりませんので!」

 集めた張本人だけどなこの人。

「本当か?」
「ほら、えーっと……この通り」

 とりあえずパンツを一枚つまんで、セツナの視界の前でひらひらさせる。なんと彼女は表情は崩さないそこにあたかもパンツなんて無いかのように! 

「耐えてくれセツナ、でも俺はこれの何倍も苦しいんだ」
「これは追加報酬が必要ですね……」

 小声で彼女に告げると、恨み言と歯ぎしりが帰ってくる。

「俺は誰からも何も貰えないけどな」

 せめて労いの言葉ぐらいは欲しいけどね、聞こえてくるのは無機質なゲットしましたとかいうふざけた声だけだからね。

「いかがですかこの馬鹿には見えないパンツ、いまならなんとたったの2万クレ」
「いやいらない」

 いらないのかよ興味津々だっったろさっきまで。

「面白いけど使い道ないし……」
「まぁ……そうですよね」

 知ってました。まぁ誰でも見れる普通のパンツだからね、いらないよねそりゃね。

「お邪魔しました、ではこれで」

 席を立つ。まだあの二人は帰ってきていないがここら辺が限界だろうか。連れの方は先に帰りましたよとかいう事で見逃してくれるだろうしね、多分だけど。

「もう帰るんですか?」
「仕方ないだろパンツしか無いんだよあと売るものなんて一つもないぞ」

 小声でそう答えれば、納得したような諦めたような曖昧な表情で彼女は立ち上がる。もちろん手袋なんかして、机に並べられた大量のパンツを回収しながら。

「いや待て商人……まだ一個あるぞ良いものが」

 だが領主に呼び止められる。だがその言葉に耳を疑わずには要られなかった。何せ俺の持っているもので売れそうなものといえば、調達したばかりの服飾品ぐらいだったからだ。

「この帽子と色眼鏡はちょっと」
「いるかそんなもの。私が欲しいのはだね」

 彼は笑う。不敵に、にこやかに、いやらしく。舌なめずりした唇が窓からの光を反射し、歪められた口元が自分は下衆ですと自己紹介する。だからそこから紡がれる言葉なんてものは。

「そこの小間使いだよ、商人くん」

 人を怒らせるには、十分すぎるものだった。






「彼女を、買いたいと」

 拳を握る。手のひらに伝わる痛みが、この男に殴りかからない程度の冷静さを与えてくれた。呼吸を整えてセツナの横顔を見れば、呆れたような表情をしていたから少しだけ心臓の音が小さくなった。

「一生とは言わん。そうだな一晩、いや二晩ほどだな。500クレ出そう、破格だろう?」
「ごめんなさいね、彼女は売り物じゃなくて」

 立ち去ろうとすると、控えていた使用人に行き手を阻まれた。思わずついた舌打ちは、静かな部屋によく響く。

「おいおい商人くん、金勘定が出来なくなったのかね? なあにたったの二日程度だ、君はここでゆっくりとしてればいい……それとも君を詐欺師という事にして、一生フォルテ領で過ごしてもらっても良いんだがね」

 殴りたい。その顔にありったけの拳を打ち込んで目も開けられなくしてやりたい。彼女への侮辱が許せない。 

「さあどうする商人くん? カネで解決できるだけ温情だと思うのだがね」

 拳をもう一度握り直す。そっちがそういう腹積もりなら、こちらは暴力で解決してやろうかと考えずにはいられない。図らずとも手に入れた力を使えば、それはあまりに容易い。

 だからもう、この男を。

「キールさん! やっぱりここの領主は悪人だったべ!」

 耳を貫くのは響き渡るアイラの大声。それから景気良く開かれた扉はその前を陣取っていた使用人を吹き飛ばした。その後ろから顔を出すのは、心配そうな顔のヘルマと目を赤くしたシーラの姿。

 何を考えていたんだ、俺は。

 目頭を強く押さえ、視界を消して冷静になる。いくらなんでも考えが極端過ぎるじゃないか、今のは。なまじ出来る事を理解しているから、こんな凡人には過ぎた考えが浮かび上がるのだ。

「ありがとうアイラ、でも俺達もそれに気付いたとこなんだ」
「あ、じゃあやっちゃいますか!」

 鞘がついたままの剣を構えて彼女が恐ろしい提案をしてくる。まあアイラという人がこういう考えの持ち主なのは、そういう環境で育ったからなのかなと推測できるけど。

「そうは言っても、暴力で解決するってのは……」
「ん、キール……いまキールと呼んだか小娘。待て商人、お前の顔に見覚えがあるぞ」

 まずい。この下衆領主俺に熱い視線を送ってきた。いやあ私にそういう趣味はありませんよと詐欺師らしい台詞が口を付きそうになったが、そんな悠長な言葉は不要だ。

「さーて帰るかみんな! 商売上がったりだ帰ろ帰ろ!」

 そう撤退だ。今ならドサクサに紛れてシーラを連れて帰れそうだしね扉塞いでた人は床で寝てるし良いこと尽くめだそうしよう。

「いや待て思い出せそうで思い出せないんだがどこかでお前を見たような」

 そこで下衆領主は言葉を止めた。恐る恐る振り返れば、開けっ放しの口がそこにあったから。

「アイラ、あいつはお前の思ってる通りの悪人だ」
「ですねっ!」

 小声で彼女にそう告げれば、元気いっぱいの言葉が返って来た。

 作戦変更である。けど、暴力で解決するのはどこか違うと思ったから。

「……やれ」
「はいっ!」

 たまたま居合わせて凶器持ってニコニコしてる旅の仲間の観光客にやんわりとお願いすることにしました。

「貴様もしかして……クワイエ」
「ちぇえええええすとおおおおおおおおおっ!」

 その先の言葉は聞こえない。振り下ろされた鞘はそのまま下衆領主の脳天に直撃し、意識をどこかへと吹き飛ばしてくれたからだ。ついでにここ数時間の記憶も吹き飛ばしてくれたらありがたいのだが、そこまでは高望みだろうか。



「ありがとうございます。私、お金が貰えるからって、その……」

 屋敷を後にするや否や、シーラが深々と頭を下げる。濁した言葉の先は、おおかたセツナと同じような扱いを受けたのだろうと理解できる。ただ二人の違いがあるとすれば、シーラにとってぶら下げられた人参の価値は高すぎたという事だ。

「体を売るという生き方に否定も肯定も出来ませんが、その日のうちに後悔するならやめたほうが懸命かと」
「ええ、そうですね本当に……ありがとうねヘルマも」
「お、オレは別にこれ届けに来ただけだから!」

 頭を撫でられたヘルマはその手を振り払い、小脇に抱えていた袋を突き出す。

「これ?」

 中を確認する俺達だったが、そこにあったのはもはやホットドッグとは呼べなくなったグチャグチャの食べ物である。流石にそれを渡すことはためらったのか、ヘルマは急いでそいつを頬張る。

「……なんでもない」

 飲み込むや否や出てきた言葉は、俺たちの今日一日の働きを無かったことにするようなとんでもない事だった。

「そういえば……まだ朝食を食べていませんでしたね。どこか良いお店知ってますか?」

 食べ物を見て思い出したのか、セツナが今日一番の目標を思い出してくれた。空を見上げれば太陽がもう昼食の時間すら過ぎたことを教えてくれた。

「ホットドッグの屋台でいいなら」
「じゃ、最初の予定通り行きましょうか!」

 アイラが笑顔を浮かべながら、シーラとヘルマの手を握る。

「えっ、私達もですか……?」
「もちろん!」
「じゃあ他の連中を連れてきてもいいか!?」
「当たり前じゃないですか! ね、キールさん!」

 そう笑顔で聞かれると、はいそうですと答えるしか無いような気がしてしまうのはなぜだろうか。

「……五人までだぞ」

 ため息混じりに答えれば、三人が笑顔で駆け出していく。きっとこんな街中をこんな光景で埋め尽くすことが、領主としての仕事なのかと柄にもなく考えてみたりする。

 んだけどさ。

「あの領主起きたら俺の事殺しに来そうだな……」

 めでたしめでたしとならないのは、心残りが一つあるから。内政干渉になるのかなこれ、なんて考えればどんどん悪い方へと突き進んで行きそうだったが。

「そちらについてはご心配なく。帰り際に裏帳簿を拝借して参りましたので、そちらを王都の諮問委員会に送れば解決かと」

 淡々とした口調でセツナが答える。さすがセツナ抜かりないけど怖いなおいやっぱりさっきの事で相当腹を立てていたのだろうか。まぁそれを確認する勇気は俺にはないけど。

「そっか、ありがとうこれで一安心か。折角だし褒美って程でもないけど、何か欲しいものとかある?」

 特別報酬というわけではないが、労働には対価を支払わないとね。

「そうですね」

 セツナは顎に手を当てて、少しだけ思案する。それから少し微笑んで、今回の顛末の報酬を要求してきた。

「ではホットドッグを一つ。本当は私もあれ、食べてみたかったんですから」

 俺達は歩き出す。こんな風に彼女と街を歩くのは、存外悪くないものだと思いながら。


◆◆◆今回の獲得スキル◆◆◆

レアスキル:詐欺師

アーツ:口八丁 手八丁 偽装の心得 偽名の心得 偽証の心得 
    度胸 愛嬌 オカマは最強
第4話 友と都と勇者の行方(前)

「われわれはかなり危機的状況にある」

 フォルテ領を後にして早二日。とある宿屋での夕食の席で、レーヴェンがそんな事を言いだした。食卓の中心にあるのは地図。矢印で勇者一行と俺たちの動向が示してあった。

「このままだと……勇者に追いつかない!」

 地図を見る。俺達はエルガイスト王国の南側を西から東に移動しているが、勇者一行は西から東に移動したかと思いきや一気に北上、そのまま南下している。

「そりゃ酒の飲み過ぎで一日無駄にしたからな」
「それは関係ない。祠とか便利なものを使う勇者一行がわるい」

 いや酒飲んで一日無駄にしたのは悪くないとでも言うのかこいつは。

「と言うわけで作戦変更よ、待ち伏せしてそこを叩く」

 意外なことに、次に口を開いたのはシンシアだった。いやでもそうか、こいつも飲みすぎたんだから当然だよな。

「待ち伏せと言っても、勇者が次にどこに行くかなんてわからないだろ」
「本当にあなたはお馬鹿さんねキール=ブザマ=クワイエット。あるじゃない、誰もが憧れる花の都が」

 シンシアはごく自然に人の頭の悪さに文句を言ってから、いつもの扇子で地図の一点を指した。なるほど確かにその場所は、この国で生きている以上寄らずにはいられない。武器も防具も娯楽も食事も、そこに勝る場所はなく。

「王都エルガイストよ」



 王都エルガイストはその名の通り、建国王エルガイストの名を冠するこのエルガイスト王国の首都である。はい何回エルガイストと言ったでしょう、と冗談になる程度にはここの国民にとって知らぬ者のいない街である。

 この国で手に入る全てのものは、王都に行けば手に入るという言葉すらある。ありとあらゆる食材をはじめ、冒険者向けの武器に防具に鍛冶屋といった物騒な店から、果ては子供が喜ぶ玩具にオシャレな洋服まで何でも揃うそれが王都。

「な、な、な、なまらでかいし人も馬車も多い……」

 大通りを歩きながらアイラが漏らした感想は、この街の印象を集約したものと言って過言ではない。どこを見ても人人人馬車人人馬車。そしてここに住む人のために建てられた住居は最低でも五階建てと、お上りさんが見上げずにはいられない建物が所狭しと並んでいる。

「久しぶりだな王都……セツナは来たことあったっけ?」
「長期休暇の際に友人と。一応土産は渡したと思っていたのですが」
「ああ、そう言えばあったね去年ぐらいに」

 何かお菓子のような物を茶菓子として出されたなというおぼろげな記憶が蘇る。ちなみにどうしても領主同士の集まりやらは王都で開催される事が多く、俺としてはそこまで物珍しいものでは無かったりする。

「友達と旅行かぁ……あたしもそういうのやってみたいなぁ」
「何を言うアイラ、わたしたちはもう友人。同じ瓶の酒を飲んだ仲」

 アイラがそんな言葉を漏らせば、レーヴェンがその肩に手を置いていた。

「レ、レーヴェンちゃん!」

 抱き合う二人、美しきかな女の友情。ちょっと嘘くさいような気がするのはレーヴェンの台詞のせいだろうが、そこを言及してはいけないのだろう。

「そういえばキール様はあまり友人との交流はなさそうですよね」
「今さらっと酷いこと言ったよねセツナ……まあ学生の時にはいたよ。こう見えて互いの胸ぐら掴んだりとかあったんだよ?」

 セツナの指摘どおり交友関係が広い方では無い俺だが、それでも友人と言われれば、思い出すのはあいつの顔だ。

「ああ彼のこと……四六時中一緒にいたわよね」
「寮で隣の部屋だったからね。今は王都にいるんじゃないかな」

 シンシアの言葉に補足を加える。寮でたまたま隣だった俺達だが、不思議と気が合い結局卒業まで一緒にいる事がほとんどだった。

「そこまで親しいご友人がいらっしゃるのであれば、勇者一行が来るまで時間もあるようですしご挨拶に伺ってはどうですか?」
「いやいいよ、向こうは忙しいだろうし」
「でもキールさん、友達は大事にしないと!」
「と言ってもなぁ、いきなり行ったら迷惑だろ」

 アイラが少し鼻息を荒くして言ってくれたが、やあ元気か遊びに来たよと言えるような相手ではない。

「いきなり来て嫌な顔する奴を友人とみなすかは考えた方がいい」
「はいはいそこまで、あんまりキールをいじめないこと。こればっかりは仕方ないのよ、彼の場合はね」

 両手を叩いてシンシアがこの話を切り上げようとする。が、無駄だ。猪突猛進観光客のアイラの鼻息が穏やかになるような事はなかった。

「いいえシンシアさん、ここはあたしが文句言いに行きます! どこにいるんですかその人!」
「……あそこよ」

 ため息混じりで彼女が指さしたその建物。この高い建物だらけの王都でどんな建造物よりも高くそびえ立つそれがある。

「お城ですね。お勤めなんですか?」
「住んでるのよ」
「あそこは王族の方以外は住めない場所では」
「セツナ、あなたの疑問はもっともだけど心して聞いてくれるかしら」

 セツナの当然の疑問に対して、とうとうシンシアはしびれを切らして彼女の両手を強く掴んだ。きっと彼女の人生において、性的ではない意味でそうするのは初めてなんじゃないだろうか。

「そこのアホ面ぶら下げてる男の親友はこの国の第三王子なの」

 その言葉は間違いじゃない。学生時代四六時中俺の横にいたのは、エルガイスト王国第三王子のフェリックス=L=ガイストその人なのである。

「キール様のご学友ということはやっぱり」

 セツナの問にシンシアが一瞬口ごもる。それでもきっとシンシアは、正確な情報を伝える事を決めたのだろう。

「ええ……アホよ!」

 このクソレズ、国家反逆罪とかで捕まらないのだろうか。






 ――学生時代にこんな事があった。

 俺の部屋でいつものようにお菓子やら飲み物やらを持ち込んできたフェリックスが口を開く。少しくせ毛の金髪に整った容姿高い身長で王族と来れば当然のようにモテモテだが、下手に女性に手を出せばそのまま政治問題になりかねないためこうして俺の部屋で暇をつぶすのが常であった。

「なあキール、二日後にこの学校の悪習とも呼ぶべき定期試験が行われるのだが……お前、勉強したか?」
「答えの分かってる質問をするあたり、フェリックスも俺と同じらしいな」
「違いない……だが安心しろ親友。オレはこの悪習を攻略する最強のアイテムを手に入れた……それがこれだ」

 わざとらしく髪を掻き上げてから、一枚の紙きれを突き出すフェリックス。

「随分薄い紙だな」
「最近出来た鼻をかむのに最適なティシュとかいう紙らしくてな。少し値は張ったがそれはいい……それよりもここに文字を書いてみろ」

 受け取り、適当に自分の名前を書いてみる。普通のものより随分と滲むがそれにしても薄いなこの紙。

「書いたぞ、だがこれが何になるんだ」
「そしてこれを……剥がす!」
「二枚になったな」

 薄い紙がさらに薄くなる。そして複写されるキールBクワイエットの文字列。

「つまり、だ。これでカンニングペーパーを作れば……一度に二枚作れるという訳だ!」
「何だと……!?」

 あの頃の俺達は、とにかく不真面目だった。いや今もそうではあるのだが、とにかく遊ぶことしか考えていない一般的な男子学生だったのだ。王族だろうが領主だろうが、そこに例外なんて無かった。

「奇しくも今回の試験は八科目、オレとお前で分担すれば……作業は半分で済む!」
「フェリックス、お前は天才か」
「やろうぜ親友……そしてこの悪習に反逆の狼煙を上げるんだ!」
「ああ……!」

 差し出された右手を握り返す。俺達は今度こそ、貴重な休日を補修で費やすまいと誓ったのであった。



 んで、試験当日どうなったかと言えば。

「フェリックス、俺の分は?」

 珍しく俺よりも早く教室にいたフェリックスに当然のように要求する。のだが、返ってきたのは気だるそうな返事で。

「ん? ああ、あのティシュって紙さ、その……使い切っちゃって」
「何だと」
「まあまて親友、お前にだけ教えてやる。あのティシュって紙な」

 フェリックスが俺の肩を優しく叩く。そして満面の笑みを浮かべて、俺にこう言ったのだ。

「シコるのに……最適だぞ!」

 仕方のないことだった。男子学生に薄くて手触りの良い紙を渡せば、やることはもうただ一つ。特に俺もフェリックスも、女性に変に手を出してしまえば将来まで決まってしまうような立場だったこともあり、それはもうスケベな本なんかは山程持っていたのだ。

「それはもう知ってんだよなぁ……」

 そう、仕方のないことなのだ。俺だって薄い紙を手渡せされれば、よしフェリックスが半分カンペ用意するから俺はやらなくてもいいなという思考回路になってしまう。

「は? いや待て、ということはあれかオレの分のカンペは」
「あるわけないだろ……だから貰いに来たんだろお前の分を」

 俺達は立ち上がり、互いの胸ぐらを掴んだ。自分がカンペを作らなかった事を棚に上げ、無言で互いの胸倉を掴む。

 教室の空気は別に張り詰めない。ああまたあの二人ねとため息しか聞こえてこない。結局俺達の扱いっていうのは、学校という特殊な環境のおかげでその程度のものであり。

「はい、皆さん試験を始めるので席について下さい」

 結局この時だって、二人仲良く補修を受ける羽目になりましたとさ。おしまい。





 なんて話をセツナにしたら、思い切りため息をつかれた。

「アホだアホだと思っていましたが、まさかキール様が王族の胸ぐらを掴むほどだとは夢にも思いませんでしたよ」
「いやまあサプライズだと思って」
「その単語は非常識って意味ではなかったかと」

 宿屋といっても5階建てでの随分豪華な宿屋のロビーの窓辺の席で、俺とセツナは雑談をしながら紅茶を飲んでいた。さてこちらがシンシアの財力で泊まる今日のお宿です、ではなく。レーヴェンのうさんくさい占いの結果出てきた本日の勇者が泊まるお宿なのである。

「ところで、シンシア様から合図があったようですが」

 外で待っているシンシアが窓ガラスをコツコツと叩く。

「じゃ、作戦開始という事で」

 作戦内容はこうだ。

 まずシンシアが宿の前で勇者一行の到着を俺達に知らせる。んでセツナが奥の階段まで歩いていき、控えているレーヴェンとアイラに知らせる。よく来たな勇者さあ死ねとレーヴェンがやろうとするので、当然勇者一行は逃げるか立ち向かおうとする。んで俺が後ろからバシーンとやるわけだ。やっぱり挟み撃ちは古今東西軍事行動の基本だよね。

「それにしても……その色眼鏡と帽子気に入ったんですか? 何だかんだでこの間バレたじゃないですか」
「大丈夫大丈夫、あいつらの目多分節穴だから」

 そしてセツナはゆっくりと席を立ち、レーヴェン達が待つ階段前へと向かった。俺も少しして席を立ち、それとなく出口方面へと向かったのだが。

「あ、この間の貴族」

 すれ違った瞬間に勇者ラシックが呟く。いや、あれおかしいな作戦とぜんぜん違うっていうかもしかして作戦俺のせいで失敗したんじゃないかこれ。

 いやでも、コイツら何か逃げ出そうとしてるからね。

「待て……勇者!」

 作戦失敗予定変更、結局ただの追いかけっこ。それでも俺は全速力で走り出す。だってこのまま取り逃がしたら、絶対に怒られるんだもん。



 人、人、人。アイラが感嘆したそれが、今は障害物でしか無い。スキルだかのおかげで身軽にはなっている俺だったが、人混みの中勇者を追いかけつつ駆け抜けるというのは相当愚かな行為だった。

「この、うちのメイドのパンツ返せっ!」
「君はしつこいって言われないか!?」
「引き際の良さに定評があったんだけどさ!」

 それでも両足の動きは止めない。そう俺にはセツナのパンツを回収するという重大な使命があるからだ。いや重大かこれ? って駄目だ考えるなとにかく急げ。

「ラシック、ここは私達に任せて!」

 途中、踵を返す三人の女。あの勇者の取り巻き共がひと目も憚らず武器を出せば、ようやく民衆が距離を取って俺達を囲んだ。

「あ、くそ逃げられた……!」

 勇者その人は人混みの中へと消えていった。本当はここで引き返したいところだが、そうさせてくれるほどこの三人官女は甘くないだろう。

「キールさん、あたし行ってきます!」
「いたのかアイラ、頼んだぞ!」

 いつの間にか追いついていたアイラが、そのまま人混みの中へと突っ込み勇者の行末を追い始める。

「ふっ、この間のようにはいかんぞ」

 剣を構える女剣士が、俺達がさも宿命のライバルみたいな関係だと言いたげな台詞を吐くが、それは俺じゃなくぜひシンシアに言って欲しい。だって俺あの時何もしてなかったし。宿屋ぶっ飛ばしただけですし。

「いや俺は悪くない、悪いのはあのシンシアだ」
「それ以上……言うなあっ!」

 顔を真赤にした三人が、各々の武器を持って襲いかかってくる。街のど真ん中で普通そんなことするかという疑問は届かないのだろう。そして自称普通の感覚の持ち主である俺としては。

「くそっ、ちょこまかと逃げて!」

 避ける逃げる躱す繰り返す。魔王の魔法でも使ってしまえば、この間の比じゃない被害が出る。俺がお話に出てくる剣の達人だとすれば、こう相手の手首をビシバシ叩いて修行が足りないなと得意げな顔を浮かべるのだろうが、残念なことにそういう剣豪みたいなおっさんのパンツは食べてないのだ。いや残念じゃないなうん。

「貴様ら、ここで何をしてる!」

 そうこうしているうちに、武装した衛兵たちがわんさかやって来た。さすが王都、治安の良さも一級品だ。

「チッ……逃げるよ、みんな!」

 武道家の子がそう言えば、それぞれバラバラに逃げ出す三人。どれを追いかければ良いんだと一瞬迷うが、それがいけなかったらしい。

「あ、おい待て!」

 突き出した右足だったが、思い切りくじいてしまう。そりゃそうだ、身の丈に合わない動きをしてたんだどうせ明日は筋肉痛。

「あーっと衛兵さん、お疲れ様です。えっと……話とか聞いてくれたりする?」

 とりあえずその場に座り込んで、衛兵に挨拶する。皆殆ど肌なんて見えない鎧を着て、槍や剣なんか俺に突き出している。だが俺は知っている、こういう場合笑顔で接すると大体悪いようにはしないという事を。

「ああ、牢屋でな」

 帰ってきたのは容赦のない言葉だった。おかしいなうちの領だったらこれだけでお茶ぐらい出ると思うんだけどな。

「いやちょっと待ってください普段はこういう事しない大人しい人なんです俺って」
「確かに、女の尻を追いかけるなんてお前らしくないじゃないか」
「自分でもそう思うけど、兵隊さんにわかってもらえるとは有り難いね」

 一人の衛兵が軽口を叩くから、思わず軽口を返してしまう。だが、何だどうしてこの男は俺の事情なんて物を知っているのか。

 と、顔に書いてあったらしい。

「バーカ、お前の事ならだいたいわかるっての」

 衛兵はフェイスガードを跳ね上げながら、笑い声混じりにそう答える。

「よう親友、元気にしてたか?」

 見飽きたはずの顔がある。その男を知っているから、俺も思わず口がほころぶ。

「ああ……久しぶりだなフェリックス」

 懐かしい名前を呼べば、心と体が軽くなる。どうやらこいつと過ごした日々は、そういう類の物だっらしい。






 取り調べは牢屋で、とならなかったのは偏にフェリックスの計らいだろう。結局旧友に連れて行かれたのは、街角のとある酒場だった。最もこの元不良は、勤務中に酒を煽るほど落ちぶれちゃいなかったが。

「ここ良いとこだろ? 先輩の知り合いの店でさ、個室だし道路からも人目につかないし……エルガイスト王家御用達のサボり場所って訳だな」

 適当なサンドイッチを食べながら、フェリックスが説明してくれる。かくいう俺は仕事もないので、とりあえずビールを飲んでいる。走ったせいで水分を失った体には、心地よく染み渡ってくれた。眼の前の男が何酒飲んでんだお前って顔で睨んでくる以外は本当に良いところだと思う。

「でなんだ、お前はついに家を追い出されたか」
「バーカ逆だよ、王族としての威厳を示すため軍隊に入れられてんだよ。二番目の兄貴なんて魔獣の討伐で遠征だぞやってられるかっての」

 軍隊。正式名称エルガイスト王国軍で、こいつの所属は王都衛兵隊といったところか。ちなみに俺の領にも似たような仕事をしている衛兵はいるが、そいつらはクワイエット衛兵隊と格も装備も給料も一段下がる。戦争などの非常時になると一時的に王国軍に編入されるといった仕組みになっているが、幸いなことに
クワイエット衛兵隊がそうなったことはない。

「同情するから諦めろよ」
「あーあ、お前はいいよな女の尻追いかけるぐらい暇でよ。あ、そうだお前んとこで雇ってくれないか? 文官とかでいいから」

 天井を仰ぎながらフェリックスがそう言う。こいつの学生時代の素行を見れば、鎧を着て歩いているよりそっちのほうが性に合ってる事は言うまでもないのだが。

「お前の家庭環境的に問題ないならな」
「ありまくりに決まってんだろ冗談だよ」

 軍人になって箔をつけたいというのに、クワイエット領なんて何もないとこで昼寝なんてサボりぐせと悪評以外につくものはないのだ。万が一家族が許したとしても、周りがそれを許さない。残念なことにこの男の人生はそういう物でしかなかった。

「で? なんで人の家の前で女の尻なんか追いかけてたんだよ」
「それには深い訳があってな」

 そこで俺はビールをもう一杯頼んで、ここ数日の出来事を懇切丁寧に説明することにした。そりゃこんな話なんて、素面で出来るものじゃないからね。



「うわお前それマジか! やっべ腹いてぇ何してんだよお前本当バカ丸出しだな!」

 滅茶苦茶笑われた。笑わせた、ならいいのだがもう迷うことなきぐらい笑われた。そりゃそうだ、メイドのパンツが盗まれたから勇者追いかけてたらパンツ食べれるようになってシンシアも合流して寄り道して変態領主を成敗して王都まで来ましたと説明すれば誰だってこうなるだろう。バカ丸出しという単語に全てが集約されたような気がしないでもないのだが。

「うるさいな……自分でもそう思うけどさ」

 自分でもそう思えるからタチが悪い。果たしてこの数日間、俺の頭が良かった事など一秒でもあっただろうか。

「いや、すまんな笑ってよ……で話を聞いて疑問に思うんだが一つ確認してもいいか?」

 突然フェリックスが神妙な面持ちで俺の顔をじっと睨む。少し頭を冷やして考えれば、勇者を追いかけているのは聞き捨てならない事ぐらいわかる。

「なんだよ」

 気を緩めすぎたかと反省し、表情を取り繕う。だがもう遅い、いつかシンシアも言ったが勇者を殺そうとするだなんて死罪になっても不思議ではない。

 生唾を飲み込む。

 これなら知らない衛兵に連れて行かれたほうがマシだったかと後悔しそうになる。

「……パンツくったことあるか?」

 が、こいつはやっぱりフェリックスだった。そう言い終えた瞬間に吹き出す、馬鹿で阿呆な俺の友人のままだった。

「聞いてりゃわかるだらそれぐらい」
「いやー笑った笑った、こんなに笑ったのら久しぶりだな」

 人が死ぬほど焦ったというのに、この男はヘラヘラ笑う。そう言えば俺が失敗したときはいつだって、一番近くで腹立つぐらいに笑ってたっけか。

「ま、そういう事なら協力してやらんでもないぞ。支援法だって下着泥棒のために作られた訳じゃないからな」
「本当か?」

 随分と簡単に色良い返事が帰ってきて拍子抜けしてしまう。仮にも国を上げて支援している人間に対して、あまりにも適当すぎやしないかと。

「親父に言っておくよ、アンタのお気に入りの勇者さんが町に来てるから顔出せってな。すぐに御触れでも出すだろうさ……その帰りに呼び止めてパンツ返してもらえばいいだろ、流石に城の中で暴れる輩じゃないだろうしな。殺す殺さないに関してはまぁ……出来れば事故とかに見せて国外でうまくやってくれ」

 フェリックスの案について少し考えると、なるほど理にかなっているように感じた。国王からこれからも頑張れよと激励された後に、地方領主の俺が笑顔でやってきて適当に寄付金でも渡してパンツと交換してもらう。ついでに口止めの念書でもつければ、とりあえずクワイエット領みたいな事は無いだろう。殺す殺さないに関しては、レーヴェン一人で頑張ってもらおう。

「そうしてくれると本当に助かるんだが……お前随分あっさりしてるな」
「正直勇者ってのは胡散臭くてな。身内が遠征に出たり、真面目に街を守ってる身からするとな」

 現場からの声としては、成る程言われてみれば納得できるものであった。

「真面目に、ね」

 もっとも発言する人間は、ついさっきまで仕事を辞めたいとぼやいていた男だったが。

「そうそう、真面目な衛兵のフェリックスくんは旧友にここの支払いを押し付けて見回りに戻るのでしたっと」

 伝票を俺の前に差し出してから、フェリックスが席を立つ。それから兜を被り直し、重そうな槍を掴む。

「いや、これぐらいは全然。それより助かるよフェリックス」
「いいさ別に、親友だろ?」

 そして彼は酒場を後にして街の雑踏に消えていく。残った酒を飲み干すが、随分と味気ない物に変わっていた。気が抜けたせいだなと思いながらも、本当の理由はわかっていた。






 一杯ひっかけたおかげで気分良く店を出ると、そこには肩で息をするアイラがいた。額には大粒の汗が流れ、健康的という言葉がよく似合う。

「あ、キールさん……ごめんなさい取り逃がしちゃいました」
「いや大丈夫、この馬鹿げた騒動は明日解決する事になったから」
「そうなんですか?」
「そうなんです」

 きょとんとした顔でアイラが聞いてきたので、胸を張って答える。詳細については全員がいるときにでも説明すれば良いだろうから。

「良かったぁ……ところであの、非常に言いづらいんですけど、その宿屋って……どっちでしたっけ?」

 つい先程張り込みをしていた宿屋ではなく、俺達が泊まる方の宿屋。馬車やら荷物やらを預けているのだが、ここからは少し遠い。

「そりゃそこの角を右に曲がって……」

 頭の中で地図を描いてみるが、2つ目の角の百貨店を左に曲がったところで止めた。

「いやアイラ、観光客なんだから観光しないと」

 何で普通に帰らせようとしてるんだ俺は。今はシンシアの小間使いではあるが、本当は観光客なのだ彼女は。しかも年頃の女の子だ、下着泥棒を追いかけるだけなんてあまりにも悲しすぎる。

「そうしたいのは山々なんですけど、迷子になっちゃいそうで」
「それもそうだな……だったら一緒に見て回ろうか? どうせ明日までやること無いし」

 背中を伸ばし、欠伸混じりにそう答えた。彼女を心配していないわけじゃないが、久々に王都を見て回るのは案外楽しそうに思えたからでもある。

「良いんですか? あ、でも他の方に一声かけてからのほうが……」
「良いの良いの。ここ数日俺達は馬車を走らせてたけど、他の連中は何もしてなかったし」

 帰ったら多分怒られるが、それぐらい良いだろう。ここまでの旅で一番目に焼き付いているのは、実はパンツでも勇者でもなく馬の尻なのだから。

「じゃあその……あたし、行ってみたいところがあって!」

 アイラは俺の手を掴み、ゆっくりと走り始める。酒も入って気分は上々、財布の中身はそれなりに。だから今日一日ぐらいは、遊び呆けても良いような気がしていた。まあいつも似たような物ではあるけど。



 年頃の女の子の観光に付き合うという意味を、公園のベンチでうなだれて初めて理解した。

「疲れた」

 この一言に尽きる。観光名所に行けば行列に並び屋台を見つければ行列に並びうーんアクセサリーはどうしようで5軒周り途中で見つけたレストランで並んで食べて食べて次の観光名所に。もはや似たような王都の景色に嫌気さえ差してしまう。

「あたし、何だか一生分遊んだような気がします……」

 一方アイラは目を輝かせてそんな事をいう。とりあえず今日わかったのは、彼女が底なしの体力を持っていることと、その原動力は胃袋だということだろう。

「食べた、じゃなくて?」
「キールさん? 女の子にそういう事言うの嫌われると思いますよ」
「そう? あそこのアイスクリームの屋台何か、アイラ食べたそうだなって思ったけど」

 公園の噴水の近くの屋台を指させば、彼女は頬を膨らませ恨めしそうな目を俺に向けてきた。

「それはその……食べたいですけどぉ?」

 どれだけ食うんだこの子という言葉は、嫌われたら困るので言わないでおこうか。

「はいどうぞ。ついでに何か冷たい飲み物頼むわ……」

 少し多めのお金をアイラに渡して、荒くなった呼吸を整える。ぼんやりと彼女を見れば、真剣な眼差しでアイスクリームの味をどうするか悩んでいた。それから俺の分の冷たそうな炭酸水を受け取って、店員にお辞儀をしてからこっちへ小走りで戻ってくる。

「はいどうぞ」
「はいどうも」
「お釣りは……」
「いいよそれぐらい。パシリにしたからね」
「返せって言っても返しませんよ?」

 1クレ程度だというのに、悪戯っぽく彼女は笑う。こういう素朴で素直な人っていうのは、もしかしたら人生で初めて関わるかも知れない。
 

「それでは、いただきまーす」

 それから彼女は一口かじり、子供のように足をバタつかせて幸せそうに顔をしかめる。俺もつられて炭酸水を飲み込むが、こっちは身悶えするほどの味はしなかった。

「キールさん、今日はありがとうございました」

 目を離した隙に完食したアイラが、今度は俺に頭を下げる。一々礼儀正しいねこの子。

「いや、俺も楽しかったよ。王都の観光なんてちゃんとしたこと無かったから」
「そうなんですか?」
「領主とか貴族の集まりで来たときはすぐ帰るからね」

 どうせ家に戻ってもやる事は無いのだが、どうも男一人で王都を満喫ってのは中々難しいのが実情だ。男性向けの店が無いわけじゃないが、立場上行くわけにはいかない。

「その……キールさんは領主様なんですよね?」
「そうだよ。そう見られた事はあんまりないけど」
「あ、いえそういうつもりじゃなくて!」

 失礼な発言と勘違いしたのか、慌ただしく両手を振るアイラ。それからオレンジ色が混じり始めた青空を見上げて呟く。

「えっと、何かこういいなぁ……って思って。あたしの生まれたところは、全然そんな所じゃなくて。この間の人よりもっと酷い、威張ったり怒鳴ったりそういう人なんです。無茶な事をやってそのツケを領民に支払わせるようなそんな人」

 目を細めて彼女はそう言う。彼女が具体的にどこ出身だとは聞かされていないが、国の北側でそういう類の領地の候補は2,3個あった。多分そういう場所の出身なのだろう、彼女は。

「あーあ、あたし何であんなところに生まれちゃったんだろ。キールさんのところが良かったなって」

 少しだけ悲しそうに笑うアイラ。そんな笑顔に絆されて、つい口が滑ってしまう。

「だったらそうすれば良いよ。警備隊の連中が職場に花が無いって嘆いたから」
「えっ、いやその流石に申し訳ないっていうか……」
「アイラが来てくれるんだったら、連中も喜ぶさ」

 エルサットの警備隊の連中の顔を思い出す。たまに詰め所に顔を出す事があるが、遊んでるか欠伸してるか迷子の道案内か落とし物を預かっている程度の仕事ぐらいしかしていないうちの連中。無邪気な彼女がそこにいたら、男所帯の彼らも良い所を見せようと真面目になってくれるかな、なんて期待して笑ってしまう。

「それにほら、武器は持参してるみたいだし」

 ここで今日一日気になっていた事を言葉にした。彼女の腰から下げている鞘に収まった片手剣は、観光には必要ないように思えていたからだ。

「あ、これはその……半分お守りみたいなものでして」
「その割には剣抜いた所見たこと無いけど」
「そっちのほうが良いと思いません? ちょっとえいっってやる程度で」
「それもそうだなぁ」

 彼女の言い草に妙に納得してしまう。確かに抜き身の刃物を振り回すより似合っているような気がしたからだ。

「えっと、その……今のあたしはキールさんのところでまだ働けないんですけど」

 彼女はまっすぐと俺の目を見て、真面目な顔をして言葉を続ける。

「いつかその時が来たら……お世話になってもいいですか?」
「アイラならいつでも歓迎するよ」

 右手を差し出せば、彼女が両手で握り返す。安心したような笑顔で彼女は何度も上下する。たまには自分も領主らしい事もできるのだと、少しだけ自画自賛する。

 そこで夕方の鐘が公園に鳴り響く。炭酸水を一気に飲み干し近くにあったゴミ箱にうまく入れば、盛大なゲップが出る。

「そろそろ帰ろうか。流石に怒られそうだ」
「……ですね」

 ベンチから立ち上がり二人で宿へと歩いていく。沈みかけた夕焼けが照らす王都を、今日初めて綺麗だなと思えた。






 翌朝俺達はフェリックスに会いに行った、というか城門の前に出向いていた。雁首揃えて行くような場所じゃ無いとは思うが、それぞれ事情があるのだから許してもらおう。

「流石に緊張するわね……エルガイスト城なんて、お兄様でも入った事があるかどうか」

 事の重大さを理解しているシンシアが、珍しく額に汗を書きながらそんな事を言う。

「まあでも、あの顔を見れば落ち着くだろ?」
「王子様の顔を見て落ち着くのは、貴族じゃあんたぐらいよ」

 ため息をつくシンシアだったが、城門前で欠伸をする顔を拝めばそんな事は無いような気がしてしまうのは何故だろうか。

「よぉ親友、予定より早かったじゃないか」
「おはようフェリックス……衛兵の仕事は?」
「休みもらったよ、実家にいる方が仕事っぽいけどな」

 王族らしい高そうな服を着たフェリックスが、窮屈そうな襟元を摘みながらそんな事を言い出す。もっともその気持はわからなくもないのだが。

「お久しぶりでございます、エルガイスト王国第三王子、フェリックス=L=ガイスト様」

 シンシアは貴族の令嬢らしく、スカートの裾を摘んで恭しい挨拶をする。なるほどこれがコイツに対する一般的な対応なのか。

「あのなぁシンシア、オレそういうの苦手だって知ってるだろ? キールみたいにしてくれないか」
「それでは……まぁ言わせてもらうけど、あなたはこういうのに慣れなきゃいけない立場なのよ? 自覚あるのかしら?」

 咳払いを交えてから、数年前に戻ったような態度でシンシアが説教する。対する王子様と言えば、記憶にある通りヘラヘラと笑っていた。

「いいのいいの、どうせ王位は一番上の兄貴が継ぐからな……ところでこちらの美人さん三人は?」

 珍しく気の利いた台詞を吐くフェリックスに応じて、それぞれが簡単な自己紹介を行った。ちなみに美人と言われての反応だが。

「クワイエット家メイドのセツナでございます」

 セツナは表情を崩さない。さすが筋金入りのメイド、ポーカーフェイスはお手の物だ。

「まお……占い師のレーヴェン」

 当然ですと言わんばかりの態度のレーヴェン。そうだね君この国の人じゃなかったね。

「えっと観光客で今はシンシアさんのお手伝いのアイラです」

 以外にもしっかりとした受け答えをしたアイラ。まぁ偉そうな具合で言えばシンシアの方が数段上だからな。

「オレはフェリックス……ってシンシアが言っちまってたな。まあ変に気を使わないでくれ」
「それでは失礼ながら、キール様のご学友として接しさせて頂きます」
「それが嬉しいかな」
「あ、えっと田舎者だから失礼とかあるかもしれませんが……」
「都会ではこういうフランクなのが流行ってるんだ」
「わかった」
「君理解早いな」

 三者三様の答えをしてから、フェリックスは城門前の兵士に合図を送った。鉄の門が開けば、これまた豪華な城の一端が目に入る。

「勇者が来るのは昼ぐらいって聞いたな、それまで時間があるな……応接間は使えないしオレの部屋でいいか?」
「お茶が出るならやぶさかじゃない」

 都会で流行中の態度で接するレーヴェンの頭にシンシアの拳骨が降りかかる。けれどさすが都会人、フェリックスはヘラヘラと笑って受け流す。

「それは怪しいな、ほら今のオレって」

 申し訳程度に腰からぶら下げた剣を指先で叩いて、フェリックスが口元を緩める。

「ただのお巡りさんだから」

 出てきた言葉はその服装に似つかわしくないものの、この男の口から出るには十分すぎる言葉だった。
第4話 友と都と勇者の行方(後)






 案内されたフェリックスの私室だったが、当然のようにお茶と茶菓子が用意されていた。さすが王族なんて思ったのはつかの間、机の上に置かれる別のもの。

「これが親父のパンツだろ、これが上司の兵士長のパンツでだな、これが行きつけの酒場のマスターのパンツで……あ、これ二番目の兄貴のパンツな」
「いらないから」

 ニヤニヤしながら机の上にパンツを並べる親友の姿なんて見たくなかった。

「キールよく見て全部有用」
「よく見たくねぇよ」

 というかそういう問題じゃないからねレーヴェン。

「王様のパンツなんて滅多にお目にかかれるものではないですよ」
「お目にかかりたい人はいないって」

 何セツナちょっとだけえっこれが王様のみたいな表情作ってるんじゃないよバレバレだよ。

「酒場のマスターは便利そうね」
「そりゃお前の飲みっぷりだとな」

 買いに行かせるのでは飽き足らず酒を作らせる気だなシンシア。

「えっと……兵士長とか強そうですよ!」
「強そうだけどさあ」

 あのねアイラ、こういう時は無理して喋らなくていいからね。

「いやフェリックス、それよりなんで全部男物のパンツなの? もっとこう……ないか?」

 男だしわかるだろ? って顔をするがフェリックスは眉一つ動かそうとしない。

「ないかって言われてもな、俺が女のパンツ握りしめて城の中ウロウロするわけにいかないだろ……ていうかこんな美人連れて旅してるんだから一枚づつぐらい食ってんだろ?」

 うんフェリックスの言葉はどっちも正しいけど周りの女性陣全員目を逸したぞ散々人にパンツ食え食えうるさい連中がだぞ。

「見てくれフェリックスこれが現実だ……俺は今まで女のパンツは一枚も食べてないと神に誓っていい」
「誓うなよ神様だって困るだろ」

 いきなりそんな正論言われても困る。

「というか……何でパンツ用意してんだよお前は」
「いや……見たいじゃん。お前がパンツ食うとこ」
「何でだよ」
「言わせんなよ恥ずかしい」
「何でだよ!」
「だって……面白そうだったから……」

 笑いをこらえてフェリックスが白状する。何が恥ずかしいだこの野郎どう考えても俺のほうが恥ずかしいわ。

「折角再会した親友の頼みも聞けないなんて、友情の意味について再確認したほうが良い」
「それにフェリックス様は王族ですからね、これはもう命を賭けてでも食べるべきでしょう」

 レーヴェンとセツナがとんでもない理由で俺を非難する。面白がってるだけだろこの二人もさ。

「はい親友の! ちょっといいとこ見てみたい!」

 突然フェリックスは手を景気よく叩き始める。何がいいとこだ何一つ良くないよこっちはしかも仲間だと思ってた女四人も一緒に手を叩いてるんじゃないよ頭叩いてやろうかこっちは。

「はいイッキ、イッキ、イッキ、イッキ」
「いや何だよ一気って食べる必要ないだろこれ」
「ノリ悪っ、親父に言ってお前んとこだけ税金増やすわ」
「やめろぉ!」

 都合のいいときだけ王族特権を持ち出そうとするフェリックスに思わず声を荒げてしまう。そんな事はしないやつだと言うことはもちろんわかった上だが、ここで俺がパンツ食べないと何か納得しない性格なのもわかってしまう。

 なので、妥協する。

「じゃあ……その、一枚だけな」
「どれにしますか?」
「いやもう全部嫌だから目瞑って選ぶわ」
「一応目隠ししますか?」
「……お願いします」

 そう答えるとセツナは適当なタオルを取り出し俺の両目を覆ってくれた。真っ黒になった視界のまま机の上に手を伸ばせば、右も左も布の感触。というかパンツ。

「絵面最悪だなこれ」

 呟くようにフェリックスが零す。自分でやらせているという事だけは一生忘れないで欲しい。何故なら俺はもう一生恨むことを決めているから。

「じゃ……これで」

 もう何でも良い、とりあえず真ん中らへんにあったパンツをつまむ。うーんこの肌触りはとかそういうのはない。もう早く終わらせたいどうせ全部外れみたいなものなのだから。

「なぁ親友……本当にそれで良いのか?」
「無駄に煽って楽しいかフェリックス」

 フェリックスの口から小さな笑い声が漏れる。はいはい楽しい楽しいですよね見てる方は。

「不本意ながら……いただきます」

 もう十分笑いものにされただろう、右手で掴んだそれを口に突っ込む。味はしないが、むしろしないほうが余計な事を考えなくて良いんじゃないかと思い始める自分がいた。頭もやられてきているようだ。

『パンツイーターシステム発動。レアスキル”女の子同士のイチャイチャ見守り隊”を獲得しました』

 なんだこのスキル、パンツの持ち主の方がやられてるとか想定外なんですけど。

「すげぇな……本当に食いやがった」
「いやそれよりもフェリックス……お前の身内、何かこじらせた奴がいるぞ」
「消去法で誰かわかるんだよな」

 その続きは聞かないでおいた。とりあえず目隠しを外して口直しの紅茶に手を伸ばせば、城の使用人が扉を叩いてきた。合図だったのか、フェリックスはよっこらせなんて年寄り臭い掛け声とともに立ち上がる。

「そろそろ謁見終わったみたいだな」
「じゃあパンツ返して貰いますか」

 紅茶を一口含んでから、俺も遅れて立ち上がる。

「わたくしも行ったほうが良いかしら?」
「いや俺だけでいいよ。小切手渡してパンツ貰って来るだけだから」

 シンシアが頼もしい事を言ってくれるが、雁首揃えて頼み込むような事じゃないからね。

「でしたら私も同行します。法外な額を記入されては困りますから」

 事情を察したセツナが立ち上がってくれる。アイラは少しだけオロオロしてたが、笑いかければ安心したように茶菓子に手を伸ばしてくれた。

「え、殺さないの……?」

 茶菓子を頬張りながらレーヴェンが物騒な事を言い出す。そりゃ君はそういう目的だけどさ。

「いやそれは別に今やらなくても……」
「わたしも行く。後ろから殴るぐらいなら出来る」
「って言ってますけど王子様」

 そう聞けば、欠伸を返すフェリックス。相変わらず気の抜けた顔をしていて、こっちの皮肉は意に介さない。

「まぁ、見学ぐらいは良いんじゃないか?」

 どうせ殺しはしないだろう、なんて高を括ったような事を言い出す。そうならないのがもちろん良いが、少しはこの男痛い目を見ればと思ってしまうのであった。





 王様との謁見を終えた勇者一行を城内の踊り場で待ち受けていた俺達。向こうがこっちに気づくよりも早く、フェリックスはわざとらしいお辞儀をした。

「これはこれは勇者ラシック様、お忙しい中我らが王に足を運んでいただけるとは恐縮の極みでございます。私は第三王子のフェリックス=L=ガイスト、以後お見知りおきを」
「え、ああ……どうもその、勇者ラシックですけども」

 応対する勇者だったが、俺の顔を見るなり一瞬で冷たい表情へと変わった。

「どうしてその人が?」
「お知り合い……でしたね。こっちは学生時代の悪友キール=B=クワイエットとメイドのセツナ、それから占い師のレーヴェンでございます。何やら勇者様の行動にえらく感動して、自分もなにかさせて欲しいとのことで連れてきた次第です」
「や、やあどうも……昨日ぶり」

 ここはこうね、都会の流行のフランクな感じで押し切ったけど駄目だね全員武器を突きつけてきたね。周りの兵隊とか見て見ぬふりしてるよ勝てないのわかるけど仕事して下さい死んでしまいます。

「いや、その喧嘩したい訳じゃないんだ本当。小切手を用意してあるんだ、ある程度の金額までなら応じるから、屋敷から貸出中の物を返して欲しくて」
「わたしはあなたを殺」
「黙っててお願いだから」

 それから少しの沈黙。以外な事に一番早く武器を収めたのは、一番俺を恨んでいそうな勇者だった。

「ラシック、そんな奴の話を聞かないで!」
「どうせ罠だ、王子を抱き込み我々を謀ろうとは卑劣な奴め」
「貴族、悪いやつ……皆知ってる」

 例の三人娘が藪から棒に余計な事を言う。

「キール様、随分嫌われましたね」
「自業自得じゃない自信はあるよ」

 ついでにセツナも余計な事を言うが、こっちは反論出来るだけマシか。

「まあまあ三人共……軍資金の申し出なら、ぜひ受けたいのが本音だろう?」

 ラシックがそう言えば、三人は黙り込む。そりゃ四人旅なんていくらあっても困らないだろうさ。

「けどその前に……フェリックス王子。失礼ながら、一つだけご確認してもよろしいでしょうか」

 勇者は恭しく膝を付き、フェリックスに頭を垂れる。

「あ、ああ何でも聞いてくれ」

 一方の王子様はもう王族らしい口調に耐えられなくなったのか、砕けた言葉で気楽に返す。そっちのほうが彼らしくて、少し安心してしまう自分がいた。

「我々勇者一行がこちらのキールさんより借り受けた物が何か、ご存知でし」
「パンツだろ? そこのセツナちゃんの」

 ――いや砕けすぎでしょ君。

「フェリックウウウウウウウウウウウウス!」
「あ、言っちゃ駄目だったのかこれ」

 何さらっと答えてんだよ何が言っちゃ駄目だったのかだよ駄目に決まってんだろ勇者が下着泥棒ですって問題じゃないなら何なんだよ脳みそまで砕けてんのかもう怒るよ。

「二人共死ねええええええええっ!」
「ちょああああっ!?」

 飛んでくる剣をなんとか避ける、というか風圧みたいなもので吹き飛ばされる俺達。さっきまで豪華だったはずのお城はすっかり風通しの良いデザインへと変貌していた。

「まったく、こうなることを予想するべき」
「ですね、後ろから殺したほうが良かったです」

 瓦礫から出るなり女性陣が物騒な事を言うが今はそんな事はどうでもいい。

「いやお前、俺が勇者が下着泥棒だって知ったから殺されかけたって言っただろ!」
「聞いてねぇよ勇者が下着泥棒だって知ってたけどそれが原因だとはなぁおい!」

 俺が胸ぐらをつかんで怒鳴れば、向こうも同じことをしてくる。

「下着泥棒下着泥棒……大声で叫ぶなあっ!」

 勇者が半狂乱で切りつけてきて、残り三人も目を血走らせて追撃してくる。何とか物陰に隠れた俺達だったが、こんな柱一発も持たないだろうと嫌な想像が掻き立てられる。

「おい親友さっきパンツ食っただろ、あれでお前何とかしろ」
「はあっ!? どうやって”女の子同士のイチャイチャ見守り隊”で戦うんだよ!」
「あのクソ兄貴使えねーなあっ!」

 何さらっと持ち主白状してるんだお前は。

「喧嘩してる暇はない……キール、なんとかして」
「いやお前ね、魔王の奴強力過ぎて城壊れるだろ」

 レーヴェンの言葉に冷静に返すが、彼女は不敵に笑うだけ。

「向こうが勇者のスキルを使うなら……こっちも勇者になればいい。これ返す、こんなこともあろうかとポケットに入れて持ち歩いていたことを褒めて欲しい」

 そして俺に手渡すのは、やっぱりね、パンツなんですね。でもこれをポケットに入れていたことは、褒めてやらないといけない気がした。

「……報酬はアイスクリームで我慢してくれ!」

 俺は柱から身を乗り出し、城の兵士が落とした剣を拾い上げる。そして左手には勇者のパンツ、もうどうにでもなれ。

「死ねえええええキイイイイイイイル!」
『パンツイーターシステム発動』

 飲み込めば体が動く。ラシックの剣戟が、先程は嘘のように遅く見える。

「ふん、訳の分からん力で剣まで扱えるようになったか!」

 右、左、上、右。全て弾く。次、炎の魔法剣。だったら同じものをぶつける。

「そんな、ラシックの技が相殺されていく……」

 武闘家の子解説どうも。同じ技量のおかげで、目の前の男はもう驚異では無くなっていた。もっとも明日は全身筋肉痛だろうが、この場を十分凌げればいい。次々と来る攻撃に、同じものをぶつけるだけの作業。

 けど。

 わかっている、スキル名は聞いてしまった。何とか隊なんてふざけた物じゃない、列記としたその名前を。

「なぁお前、もしかして」

 ラシックの大振りを弾き飛ばして、ゆっくりと口を開く。

 響き渡ったさっきの言葉が、頭の中で反芻される。間違いじゃない、この男の戦い方が嘘じゃないと教えてくれた。

『レアスキル「魔法剣士」を入手しました』

 あれは確かにそう言った。魔王と対になり得ない、少し珍しい程度の名前を。

「偽物……なのか?」

 俺の出した結論は、間違いなんかじゃないはずだ。




◆◆◆今回の獲得スキル◆◆◆

レアスキル:魔法剣士
アーツ:ファイアスラッシュ ウィンドエッジ 氷雪斬 紫電突 エンチャントソード

レアスキル:女の子同士のイチャイチャ見守り隊
アーツ:隠密 忍び足 熱い眼差し 地獄耳 オペラグラス常備 妄想
    女の子二人が手を恋人つなぎをしているのにこっちを向いている表紙の本ならどんな厚さでも破ける
第5話 夜の海、見つめ合う二人の美少女

 揺れる馬車の中、虚ろな目をした彼女達がようやくその口を開く。

「知らなかったんです、私達も。あの人が……ラシックが勇者じゃなかったなんて」
「一生の不覚だ……弁解のしようがない」
「でも、悪い人じゃなかったと思う」

 勇者の取り巻き三人娘は、俺達と同じ馬車に乗り合わせている。ただ違いがあるとすれば、三人の両手には手錠が嵌められている事だろうか。

 ――勇者、いや偽勇者ラシックはあの城から逃亡した。ただゆっくりと剣を仕舞い風のように消えてしまった。

 残されたのは三人娘。茫然自失でいたところを、衛兵に囲まれて逮捕。本当はそのまま牢屋にでも放り込まれるのが筋なのだろうが、すぐに偽勇者が港町ユーベイで目撃されたとの噂があり同行させる事となった。

 まだ調書が終わってないという理由が半分、偽勇者をおびき寄せる餌としての理由が半分。気持ちのいいものでは無いが、仕方ないと割り切れる自分もいた。

「それが人様のパンツを盗んだ言い訳になるんですか? あなたは善人にならパンツを盗まれてもいいと……いえでもこれは矛盾してますね、善人はそもそもパンツなんて盗みませんから」

 セツナはようやく怒りの矛先を見つけられたようで喜んでいた。これが喜んでいるとわかるのは、多分俺ぐらいだと思うのだが。

「まあまあ落ち着けってセツナ」
「失礼しました」

 ちなみに肝心のセツナのパンツだが、まだ見つかっていない。偽勇者の泊まっていた宿に向かったものの、遅かったのか荷物は全て回収されていたのだ。

「結果的には良かっただろ? こうやって偽勇者討伐の勅命を受けて、こんな事になったけどさ」

 窓を開ければ、無数の馬車に囲まれている。俺とアイラが交代で動かしていたものではなく、軍用の立派な類のもの。もはや偽勇者ラシックを捕まえるという行為はメイド個人の思惑では無くなっていた。どこぞの悪法を悪用されたのだ、国の面子にかけて制裁しなければならない。

「あとは寝てれば軍が何とかしてくれるよ」

 で、俺が当事者かつ地方領主だったせいか代表者として討伐の勅命を受ける事になってしまった。ただし前線で剣を振り回せという意味ではなく、この豪華な馬車で偉そうにふんぞり返っていろという意味だ。

「ダメ、キールちっとも良くない」

 と思ったらレーヴェンに頬を抓られた。

「そもそも、わたしは家族のため勇者を倒しに来た。それが何? 今日まで追いかけて来たのはただの下着泥棒だったなんて」

 彼女の気持ちがわからない、というわけでもない。何せここしばらく血眼になって追いかけていた男がしょうもない偽物だったのだ、腹をたてるのも無理はない事。だとしても。

「俺に責任はないと思うけど」

 そう俺は悪くない、俺だって騙されていたんだから。

「まったく」

 レーヴェンは窓を開けて、冷たい風を頬に受ける。そして珍しくその本心を、心の奥底から叫んだ。

「本物の勇者、でてこーーーーーい!」

 返事なんてもちろん無い。港町から吹く潮風が、全部吹き飛ばしてくれたような気がした。まぁ、俺も本物の勇者がどこにいるのか少し気になるけどさ。




「ここが港町ユーベイね」

 馬車を降りるなりシンシアがわかりきった事を言う。港町ユーベイは、エルガイスト王国最南端の都市である。港の名の通り海に面しており基本産業は漁業半分観光半分だが、町の人々の顔は暗い。かといって人が少ないわけではない、むしろ街中には鎧を来た軍人で溢れていた。

 理由は単純、この街には魔獣討伐隊が駐留しているからだ。貰った資料によると数ヶ月程前にユーベイ近海に角の生えたクジラのような魔獣が出現。討伐隊が攻撃するも効果がなく、時折水面から顔を出しては周囲を見回す様子はまるで誰かを待っているよう、と書かれていたのだが。

「ってシンシアまだいたのか……別に付き合わなくても良かったんだぞ?」

 そんなことより気になるのは、彼女がまだ俺たちの旅に同行していた事だろうか。偽勇者の討伐を頼まれたのは俺なので律儀にそんな事をする必要なんてどこにもないのだが。

「あら随分な言い草だこと……正義感じゃなくて打算よ打算。偽勇者討伐なんてお手柄、みすみす逃す手があって?」

 扇子で口を隠しながら、そんな事を言い出すシンシア。成る程確かにそういう目線はあって然るべきなのだろうけど。

「それにあの三人、もう一押で落ちそうだし」

 ただ付け加えられた一言について聞き流す事にした。

「となるとアイラは本当のとばっちりだな」
「いえ、あたしは色んなとこ見れて楽しいですし。それよりレーヴェンちゃんがずっと不機嫌なのが」

 街につくなり思い切り頬をふくらませるレーヴェン、もはやそういう動物のようだと思えなくもない。

「なあレーヴェン、勇者探しは別の機会って事で、このまま手伝ってもらえるか?」
「報酬は二丁目のカフェのチョコパフェを要求する」

 まぁその程度でこの不機嫌なお姫様が立ち直ってくれるなら助かるが、いやまて何でこいつは店の場所知っているんだ?

「二丁目って……レーヴェンこの街来たことあるの?」
「当然。だってこの街は」

 鼻を鳴らして彼女は答える。お、少しだけ機嫌戻ったかななんて束の間。

「魔界に一番近いんだから」

 またとんでもない発言を俺たちに残してくれましたとさ。





 で、だ。

 街についてはい宿屋で休んでから勇者もとい偽勇者探しましょうねといつものようには行かないのが今日の所。そりゃ魔獣討伐隊のいる街に来たんだから当然だよね。

 というわけで俺達は、ここの討伐隊長のところへ挨拶に向かっていた。のだが、ここの隊長という人物だが。

「良いことキール、貴方今度こそ対応間違えないでよね」
「大丈夫緊張して来たから」
「そう良かった、あなたも人並みの感性があったみたいで」

 彼についての情報を嫌という程聞かされていた。クソ真面目クソメガネクソ陰険などなど。どうしてそんなに詳しいかと言えば、友人の兄貴だから。で、俺の友人といえばもちろんフェリックスなわけで。

「失礼します……」

 この国の第二王子、フェルバン=L=ガイストが待つ扉を汗で湿った拳で叩いた。

「誰だ?」

 帰ってきたのは、氷塊のように冷たく重い声だった。なる程あの不真面目野郎が萎縮するには、当然のように思えた。

「陛下より偽勇者討伐の勅命を賜りました、キール=B=クワイエット並びにシンシア=リーゼロッテです」
「話は聞いている、中に入れ」

 その言葉に従って、城の扉より重そうなそれを開く。そこにはソファに腰を下ろしメガネを光らせる、堅物そうな眼鏡の男が座っていた。

「お初にお目にかかります、シンシ」
「それは先程伺ったつもりだが」

 スカートの裾を摘んで挨拶しようとしたところ、それを制止するフェルバン殿下。

「まあいいかけてくれ。フェルバン=L=ガイストだ。魔獣討伐の任を受けて半年程前から駐留軍の指揮を任されているが……説明は必要か?」

 怖いなこの人、とりあえず許可も出たし座らせてもらおう。

「結構です、お気遣いに感謝します」
「道中の馬車にて、付け焼き刃ではありますが勉強させて頂きましたので」

 予習しておいて良かったと心の底から思う。

「話が早くて助かる。あの愚弟の同窓と聞いて不安だったが、成る程友人を見る目は確かだったらしい」

 メガネの位置を直しながら、そんな事を言う。

「もしかして褒められた?」
「それもかなり直接的にね」

 小声で話し合う俺達。意外な言葉に思わず驚いたせいだろう。

「では早速だが、ここにいる間二人には私の補佐役という形を取らせてもらうが依存はないな? 何、他所の領地で君達が自由に動くための飾りと思ってくれて構わない」
「身に余る光栄ですわ、フェルバン殿下」
「我々も偽勇者を発見次第すぐに君達に知らせよう。共に不届き者に然るべき報いを受けさせようではないか」

 そう言って彼は嵌めていた白い手袋を脱ぎ、右手を差し出してきた。褒め言葉よりも意外なそれに、俺達は一瞬たじろいでしまう。

「どうした?」
「あ、その……よろしくお願いします」

 俺達は順に手を握り返し、深々と頭を下げる。それから踵を返し、執務室の出口へと歩いていく。

「真面目で良い人だな」
「そうねフェリックスも見習うべきだわ」

 小声で、いや安心していたせいだろう少し大きくなった声でシンシアと言葉を交わす。

「まぁでも」

 そう、安心しすぎていたんだ。

「これで"女の子同士のイチャイチャ見守り隊"なんだよなぁ……」

 自分の口が、驚くほど軽くなる位に。

「キール=B=クワイエット」

 矢のように、真っ直ぐとフェルバン殿下の言葉が耳に届く。射抜かれたように背筋をぴんと伸ばしてしまう。

「あっはい!」
「貴様は残れ」

 はい失言確定です。シンシアは扉をくぐりながら、ひらひらと右手を振ってくれた。あわよくばその指先で、骨を拾ってくれたらと願いながら。



「えっと、俺、いや私何かやってしまったでしょうか……」
「とぼけるな」
「はいごめんなさい!」

 再び座らされる俺。だが今度は緊張でじゃない、恐怖で冷や汗が流れている。

「その名前、どこで聞いた?」
「えーっと……」

 とぼけるな、と言われてもなおとぼける俺。他に出来ることなんて無いからだ。

「わからないなら教えてやろう」

 ゆっくりと息を吸って吐く殿下。そして冷たく重い声で、その名前を口にする。

「女の子同士のイチャイチャ見守り隊だ」
「はい」

 真面目な顔でそう言われると笑いそうになる。だがこれ笑ったら死刑だな、不敬罪になるのかな。

「はい、じゃないふざけているのかキール=B=クワイエット! 女の子同士のイチャイチャ見守り隊員以外は知らない女の子同士のイチャイチャ見守り隊の名前をどこで耳にしたのかと聞いている!」

 机を叩きながら長いその名前を連呼する殿下。とりあえず心に誓ったのは、今度フェリックスに会ったら思い切りぶん殴ってやろうという事だった。

「た、たまたま街で」
「王都か?」
「はいそうです」

 都合良く勘違いしてくれた殿下の口車に俺は乗る。

「くそっ、本部の連中め私が不在だからと気を緩めて……!」
「ひっ、ごめんなさい!」

 また机を叩いたので、思わず仰け反ってしまう。真面目な話をしていたときの十倍ぐらい怖いぞこの人。

「ああ、いや君に非はない……だが選んでもらわなければならない事だけは確かだ」
「何をでしょうか」
「死か、入隊だ」

 何その二択。

 いや前者は何となく気付いていたけどさ、後者はどうしてなんだろうか。聞かなかったことにするとか忘れるとかさ、他にもっと色々あると思うんだけどね。

「ほ」

 他にもっと、こう良い案が。

「本日より不肖キール=B=クワイエット、女の子同士のイチャイチャ見守り隊に入隊させていただきまぁす!」

 俺の頭で思い付く筈もなく。

「……よしっ!」

 もう一度差し出された右手を握り返せば、さらに左手が重ねられる。今度はずっと力強く。






 気が緩みきった俺は、口を半開きにして殿下が斡旋してくれた宿屋へと戻った。

「ただいまーっと」

 部屋の扉を開ければ、セツナとアイラがこうオシャレな軽食なんか食べながらカードで遊んでた。まぁいいや、怒る気力すらない。

「……生きてますね。シンシア様から一人だけ居残りを命じられたと伺いましたが」
「めっちゃ本渡された」

 紙袋四つに詰められた参考書籍。もちろん今回の魔獣とも偽勇者とも関係ない女の子同士のイチャイチャの本だ。感想文の宿題もあるぞ。

「読んでも良いですか?」
「駄目絶対」

 アイラが気楽な声でそう言うが、読んだらそれ死刑だからね。

「アイラ様、男性同士で貸し借りする本は卑猥な物と相場が決まっていますので触らないのが得策かと」
「え、え、えろ本!」
「それ殿下の前で言うなよ……」

 まぁでも、エロ本だと思って遠ざけてくれた方が良いか。アイラ顔真っ赤だけど。

「ところでシンシアとレーヴェンは?」
「シンシア様は何かやることがあると……レーヴェン様はペットに餌をやるとかなんとか」
「猫ですかね」
「それはわかりませんが……魚屋に寄ると言ってましたね」
「猫!」

 セツナの言葉に乗せられ、アイラが目を輝かせる。好きなのは十分伝わったぞ。

「レーヴェン様に何か用事でも?」
「いや、良いんだ。明日から偽勇者探しよろしくってだけだったから」
「でもちょっと心配ですよね、ずーっと暗い顔してましたもん」
「だったら」

 様子見に行こうかな。そう言いかけた瞬間口が動かなくなってしまった。何故だろう、なんて疑問が浮かぶよりも早く窓から視線を感じてしまう。

「どうしました、キール様」
「いや、ちょっと外の風浴びたくて」
「帰ってきたばっかりなのにですか?」
「はは……何でだろうね」

 窓を開ける。殿下がいた。ロープでぶら下がってるね。んで窓を閉めて、開けるね。いるね殿下。ロープでぶら下がってる。

「何でいるんですか殿下」

 小声でそう尋ねれば、メガネの位置を直して答える。

「百合の波動を感じた」

 この人やばいわ。

「キール様、どうなされました?」
「いや、あーカーテンだけは閉めないとなー!」

 とりあえずカーテンを全力で閉めて、他の人から殿下が見えないようにしないと。窓の外からについては自己責任でいいよね。

「百合の波動を感じたぞキール隊員。今すぐそこの元気っ子にマイペース娘を励ましに行かせるんだ」
「別にアイラじゃなくても」
「百合の波動を」
「わかりました、今頼んでみます」

 何だよ百合の波動ってとか言ってはいけない。今は人の宿の窓にロープでぶら下がって意味不明な言葉を発しているけどこの国の王族である。無下にすると死ぬ。もはや拷問である。

「えっとアイラ……悪いけどレーヴェン探しに行ってくれないかな」
「はい、行きます!」
「落ち込んでるから何か差し入れしろと言え」
「アイツ……やっぱり落ち込んでるみたいだからさ、暖かいものでも買ってやってくれないかな」
「珍しいですねキール様、そんな気の利いた台詞を言えるだなんて」

 セツナの指摘で思わず冷や汗をかく。妙なところで勘が良くて困る。

「……そうかな」
「まぁ良いですけど」
「したっけ、あたし行ってきますねー」
「はーいいってらっしゃーい」

 俺は手を降って、部屋を後にするアイラを見送る。さあてこれで窓にいるやばい人もね、いなくなってると思うんですけどね。

「何をしているキール隊員。出動だぞ」
「……サーイエッサー」
「あれ、キール様?」

 耳に残るセツナの声だが返事なんて出来やしない。俺は窓から伸びた手に胸ぐらを捕まれ、夜の街へと放り出されていたのだから。



「あ、レーヴェンちゃん! こんなとこにいたんですか!」
「アイラ……どうしたのこんな時間に」
「それはこっちの台詞です、はいどうぞ」

 星空が映る海を前にし、少女二人は石造りの岸壁に腰をかける。湯気が立ち込める紅茶を手渡し、二人は無言でそれを啜る。今は言葉は、発するだけ余計な物に思えたからだ。

「これより女の子同士のイチャイチャ見守り隊の活動である女の子同士のイチャイチャの見守りを開始する」
「サーイエッサー」
「オペラグラスだ、受け取れ」

 適当な木箱を前にし、男二人は冷たい地面に腰を下ろす。オペラグラスを手渡し、二人は無言でそれを覗く。今は言葉は、発せれば殺されそうだと思えたからだ。

「元気出ました?」
「少し……うん少し」
「良かった、みんな心配してたんですよ」

 見つめ合う二人と狭まる距離。そこにある空間に男子の入り込む余地はない。なお心配したのはみんなではない、彼女だけだ。ただそう言うのは恥ずかしいから、あくまでみんなと言ったのだ。

 って横の人がブツブツつぶやいてる。怖い。

「……レーヴェンちゃんはやっぱり、勇者を倒したいんですか?」
「当然。そっちの都合で家族が狙われるなんて、黙っていられない」
「当然、ですよね」
「あ、それより猫! 野良ちゃんですか?」
「なるほど元気っ子はネコが好き、と」

 唐突に紙を取り出しメモを取る殿下。もちろんオペラグラスから手を離さず、だ。膝と左手を駆使しちゃって無駄に器用ですね。

「猫……? 何の話?」
「えっと、セツナさんが魚屋さんでペットの餌を買ってるみたいな事を言ってて」
「タマなら飼ってる」
「タマちゃんって言うんですか! どんな子ですか?」
「こうしてれば多分来る」

 そしてレーヴェンは脇においてあった木箱からサーモンを取り出し海へと放り投げ始めた。いやなんでサーモン海に返してるのせめて川に投げてあげてよ。

「鮭……サーモン……何かの隠喩か?」
「例えてないです殿下、サーモンはサーモンです」

 俺の言葉は届かず、二人から視線を離さずに考え込む殿下。この人には何が見えているんだろう。

「ウミネコ! なんて落ちじゃないですよね」
「大丈夫、そろそろ来る」

 そして、それは来た。飛び上がったそれは海水を押し上げ浮上する。思わずオペラグラスから手を離せば、そこにいたのはクジラだった。

「美しい水しぶきだ……世界が彼女達を祝福している」
「いやあれ」

 殿下はオペラグラスから目を離さない。彼女達の表情をオペラグラスから見てればわからないかもしれないというか背景にしか見えないかもしれないけどさ。

「えーっと……この子がタマちゃん?」

 クジラの巨体を擦るアイラに、得意げな顔をするレーヴェン。

「そう。わたしをここまで運んでくれた大事な子」
「じゃあこの子も家族なんだね」
「もちろん」

 でもねこのクジラね、角が生えてるんですよね。討伐対象の魔物と瓜二つ何だよなぁ、っていうかレーヴェンが魔王の娘だから本物だよなぁ。

「殿下、あれって」
「わかるか隊員! あれはペットを通して私達って家族的な絆だよねという隠喩だ! そしてサーモンは胸に秘めた熱い想いはその中でも特別になりたいという少しだけピンク色の感情の……隠喩だ!」

 隠喩じゃないです直視してください現実を。

「きゃっ!」

 歓迎の証なのか、潮を吹く討伐対象のタマちゃん。小雨のようにふったそれは、二人の間に虹を作る。

「ふふっ、この子も嬉しいみたい」
「でも濡れちゃったね」

 二人は笑う。俺は笑えない。何で討伐対象が身内のペットなんですかね王族が出張るぐらいの大事だからねいよいよ自分が嫌になる。

「濡れちゃった……だと……!」
「殿下!」

 そして倒れるフェルバン殿下。その表情は幸せそのもの、余計なものなんて見てないぞと書いてある。

「殉職しちゃったよ」

 明日の朝刊の見出しが決まったところで、俺は立ち上がる。出歯亀していた事については言わなくていいか。

「おーい女性陣、そろそろ帰るぞ」
「あ、キールさん」
「いたの?」
「いたんです……でこれ、どうする?」

 これ、とは殿下の事ではなく角つきクジラの事である。幸い目撃者はいなさそうだが、いつまでもここに鎮座される訳にはいかない。

「どういう意味?」
「いや討伐対象の魔物ってこれのことだったから」
「これじゃないですタマちゃんですぅー」

 アイラが口を尖らせて訂正する。はいはいタマちゃんタマちゃん可愛いですね。

「まぁそのタマちゃんね、少し隠してて貰えるかな……今は偽勇者に集中したいし」
「わかったけど、条件がある」
「サーモン?」

 ため息をつくレーヴェン。現実のサーモンは不要なようだ。隠喩の方は明日の朝刊に書いてあるかな。

「二丁目のカフェのチョコパフェもう一つ」

 そういえば言ってましたねそんな事を。

「その店って……まだやってる?」





「偽勇者ラシックがいたぞーーーーーーーーーーっ!」

 翌朝、俺の耳に届いたのはセツナのいつもどおりの声ではなかった。怒号のような衛兵達の声に、鳴り響く鐘の音。もう少し布団の中でまどろんでいたかったが、うるさくてかなわない。

「うわぁ最悪の目覚め」

 起き上がる。欠伸をして背筋を伸ばせば、いつものメイド服を来たセツナが立っていた。さすが朝早いけど鍵どうしたんだろう個室だよねここ。

「おはようございますキール様、着替えはご用意させて頂きましたので早速向かいましょう」
「他の人達は?」
「後で来てくれるそうです」
「そりゃ良かった」

 着替えに袖を通しながら、窓を眺める。土煙を上げながら進む勇者に武装して追い回し続ける衛兵達。今からこの中に行くのか俺は。でも、こんな苦労も今日で最後だ。偽勇者一人対王国軍と俺達と来れば、解決するのは時間の問題。

「んじゃ、気合い入れていきますか」



 宿屋を出て実感したのは、街中の慌ただしさ。

「こっちだ、いやそっちだ!」
「どっちだ!」

 衛兵達の怒声と悲鳴、方方から上がる煙。被害額とか凄いんだろうなとつい考えてしまう程だ。

「大捕物って感じだね」
「何他人事みたいな感想を漏らしてるんですか」
「レーヴェンの占い使えないしな、追いかけるには限界があるよな」

 気合を入れていたはずだが、現実的に考えれば別に気合を入れなくて良いことに気付いた俺。衛兵が捕まえたとこでやあやあ偽勇者くんパンツ返してって程度で良いだろうな、うん。

「それにほら、歩いてれば曲がり角でばったりとかあると思わない?」
「思いません」

 そりゃ口から出まかせだからね、と補足しようとした瞬間。もっと言えば、曲がり角をよそ見しながら直進していた瞬間。

 ぶつかった。何これ運命の出会いかなって思いたかったけど顔を上げればいたのが偽勇者ラシック。運命と言うか因縁の方が近い印象だね。

「が……起こるものは起こりましたね」

 立ち上がって埃を払えば、俺を見るなり顔を歪ませる偽勇者。

「お前はっ……!」
「やあ偽勇者……戦おうとは言わない、とりあえずパンツ返してくれ」

 両手を上げて提案するが、無理だった。いきなり剣を抜いて切りつけてくるラシック。もうその刃は、青く輝いてはいなかったが。

「そっちに理由はなくたって……こっちにはあるんだよぉ!」
「めっちゃ怒ってるぅ!」
「当然です、キール様のせいで英雄から犯罪者まで落ちたのですから」
「まぁ自業自得ってことで」

 二人して物陰に隠れるが、当然のようにすぐ見つかる。ので走って逃げる俺達。

「ごちゃごちゃとぉっ! 死ね、死ね、死ねっ、死ねえええええっ!」
「もう弁解の余地のない犯罪者だなこいつ!」

 剣を振り回して追いかけてくるが、その風圧やらで壊れ始める建物。そこはもう単なる犯罪なのだが、どちらかと言うと災害に思える。

「それより何で逃げるんですか頑張れば倒せるじゃないですか」
「一応考えてはいるぞ」
「といいますと」

 セツナの質問に行動で答える。右、左でそこは真っ直ぐただ全力で走っていく。殿下に付き合わされたおかげで、この街の地理が頭にあった。

「この辺かなって」

 後ろから斬りかかるラシックを避けて後ろを取る。それで当初の作戦通り、港まで誘導することができた。

「さあラシック逃げ場はないぞ」

 三方は海残りは俺が塞いでいる。海に飛び込むなんて馬鹿な真似をされなければ、ここが決戦の地で間違いない。

「大人しく……パンツ返せっ!」

 助走をつけて飛び掛る。しかしこれで奇妙な因縁も終わりかと思えば少しだけ寂しいような気がしてしまうのはなぜだろうか。たとえばほら、こう空中に浮いてるみたいな気分でさ。

「あれ」

 背中を襲う衝撃に、思わず顔をしかめてしまう。投げ飛ばされたと気づいたのは、木箱の破片が頭に落ちてきてからだった。

「忘れてたのか? 僕は……強い」
「でしたね」

 立ち上がって埃を払う。

「ダメダメですねキール様」

 セツナがそんな事を言うので、思わず苦笑してしまう。やっぱりスキルだかを活用しなきゃ勝てない相手だよねこの人。

「少しは強くなったと思ったんだけどな」
「思い上がりですね」
「その言葉が一番痛いな」

 さて、どうするか。俺の持っているスキル一覧はなんて確認する方法は無いので、確実性を取るなら魔王の魔法を使ってしまうことだろう。ここなら余計な建物もなさそうだ、と納得しかけたところで視界の隅に高そうな船を見つける。アレ壊したら高そうだなと思って二の足を踏みそうになるが、それでも俺は右手を構えた。

 その時だった。

「ホーッホッホホ! 無様ねキール=バカタレ=クワイエット!」
「この高笑いは!」

 聞こえてきたのはシンシアの悪趣味な笑い声。どこからだと頭を振れば、近づいて来る高そうな船。

「偽勇者ラシック、どうやらここが年貢の納め時のようね。このシンシア=リーゼロッテが昨日買っておいた軍艦ブラックリリィ号の前にひれ伏し……大人しくお縄につきなさい!」

 年貢を納めるのかお縄につくのかどっちなのか、そもそも真っ黒なのは誰かが徹夜で塗ったのか、それよりもアレいくらしたんだろうという当然の疑問の数々はさておき、その火力は圧巻だった。船の側面から見える、黒光りした8門の大砲は人一人を否応無く木っ端微塵にするだろう。

「誰が相手にするかそんなもの!」

 そりゃそうだろう、と思わず頷く。だが船上のシンシアは怯まない。ただその口元を小さくゆがませ、同じく船の上に鎮座する大きな布がかぶった箱のようなものに手をかける。

「フッフッフ……これを見てもまだそう言えるかしら?」

 勢いよく彼女は布を取り払う。そこにあったのは巨大な檻。ちょうど人間が三人ほど入るような、いや詰められたような。

「ラシック!」

 声を張り上げたのは、偽勇者に同行していた三人娘。皆悲痛な顔持ちで、ラシックに手を伸ばしている。

「リン、アサヒ、レモル……」

 それぞれの名前を彼は呟く。悔しいような、それでいて悲しいような表情で。この四人に何があったかなど知る由も無かったが、それでも信頼とか尊敬とかそういう類のものはあったのだろう。もしくはそれ以上のものが。

「こっちを向いたわね、砲撃開始ィイッ!」
「了解ですシンシア艦長!」
「死ね」

 だがそんな事情、シンシアには路傍の石以下の価値も無い。ちゃっかり船に乗っていたアイラとレーヴェンに号令を出せば、二人は大砲に火を入れる。

 というわけで砲撃開始、次々と飛んでくる鉄の砲弾が港を木っ端微塵にし始める。

「俺もいるんですけど!」

 悲痛な叫びは聞こえるはずも無く、俺は急いでセツナの手を取り物陰へと隠れた。

「悪役令嬢というかただの悪役ですね」
「あれは単なる悪人って言うんだ」

 砕ける港に飛び交う砲弾、鳴り響くは悪の笑い。これって誰が弁償するんだろうと少し頭が悩み始めたところで、別の声が聞こえてきた。

「ラシック! 私達は……あなたが偽物でも構わない!」

 船の上から、彼女たちは叫んでいた。砲弾の雨をよけ続ける、かつて勇者を騙った男に。

「お前との旅は楽しかった! だからまた!」
「犯罪者でも構わないから……一緒に行こう、ラシック!」

 砲弾の雨が止まる。流石のシンシアにも人間としての良心が残っていたのだろう。

「みんな」
「ホーッホッホ! 可愛いこと言う子達じゃないの!」

 だがそれは、悲しいかな俺の勘違いだった。さっき俺は言ったじゃないか、彼女はもう悪役などではなく悪人だと。

「もっとも」

 シンシアの白く均整の取れた指が、彼女達の頬をなぞった。そして彼女は妖しく笑う。それが自分の生きる道だ文句はあるかと誇るかのように。

「昨日の夜は……もっと可愛かったけれども」

 三人の顔が一気に赤くなる。待てなんだその恋する乙女みたいな眼差しはさっきまでのラシックへの悲痛な叫びはどうした剣士の子なんてドキドキしすぎて目も合わせてないぞ何が一緒に行こうだもうイッた後じゃないか。

「セツナ、あいつ外道だな」
「流石キール様、その通りでございます」

 二人して頷く。前世でどんな悪いことをすればこんな金も権力もある外道令嬢として生まれ変わるのだろうと思わずにはいられない。

 いやそれにしてもどうすんだろうこの空気、港はボロボロでシンシアは高笑いラシックの心はボロボロ誰かどうにかしてくれないかな。

「百合警察だ! イチャイチャ不敬罪で逮捕する!」
「やばい人来た」

 とか思ってたら殿下が来た。飛んできた。原理は不明だが空高く飛んできた殿下が太陽を背に受けながら、空中で五回転ぐらいして船に着地する。

「シンシア=リーゼロッテ、お前の悪行は弟から聞いている」
「で、殿下!? えっと、そのイチャイチャ不敬罪って」

 うろたえるシンシア。そりゃそうだよね、昨日あれだけ怖かったけど優しさもあったはずの人が違う意味での怖さだけを抱えてやってきたんだからね。

「キール隊員、説明!」
「出来ませんって!」

 しかもこうね、人にわけのわからない罪状の説明をさせようとするしね。

「日が浅すぎたか……まぁいい。貴様は女の子同士のイチャイチャ見守り隊の教義に反する愛のない肉体関係を結ぶ常習犯らしいではないか」

 眼鏡を輝かせながら、殿下は早口でそんな事を言い出した。俺なら知らんがなの一言で片付けそうなそれだったが、シンシアはスカートの裾を摘んで恭しく頭を下げる。

「殿下……畏れ多くも一つだけ述べさせて頂きます」
「かまわん続けろ」
「体から始まる……恋もあると!」

 冷たい潮風が、港に吹いたような気がした。まぁ三人娘の表情を見るなりあるかもしれないけどさ、もうやめてあげてよラシック死にそうだよ好きだったんだよきっと彼女たちが。

「そうなのかキール隊員!」
「知りませんって!」

 何でこう一々俺に聞くかなこの人は。

「ならばシンシア=リーゼロッテよ……そう豪語するなら昨日の晩の事をこの場で語ってみせろ」
「ご期待に添えるかどうかはわかりませんが……」

 三人娘は悲鳴を上げない。ただ顔も耳も真っ赤にしてうつむいているだけだった。

「まずこう、服の下に手を入れてパンツの紐をパチンと」
「パンツの紐を……パチン!」

 刺激が強すぎたのか、殿下が倒れる。まだ話が始まったばかりだが、刺激が強すぎたのだろう。

「殿下殉職しちゃったよ」

 二日連続で朝刊の見出しとか国民に大人気で良かったですね。

「その後は耳たぶに息を吹きかけてそれで……」

 だがシンシアは話をやめない。殿下はもう動かない。

「それ以上喋るなあああああああああっ!」

 だからその外道に切りかかったのは、当然のようにラシックだった。その剣をレーヴェンが持ち前の水晶玉で受け止めるが、そう長くは持たないだろう。

「とりあえず助けに行くか」

 俺たちは船に向かって走り出す。殿下みたいに謎の方法で飛び乗ったりはできないので、陸路だったり梯子だったりロープだったりを駆使してやっと到着。何とかついた船の上で、殿下は幸せそうに死んでいてラシックは鬼の形相で剣を振るっていた。果たしてここは地獄なのか天国なのかと疑問に思う。

「偽勇者泣いてますね、いい気味です」
「俺はちょっと同情するよ」

 鬼の目にもなんて言葉があるらしいが、少なくとも扇子で扇ぎながら下々のものに戦わせるシンシアの方がよほど鬼だと思うので、この言葉は間違いだろう。本当のそれには血も涙も無いのだから。

「死ねえええええ悪党があああああっ!」

 シンシアの喉元を狙った刃を、何とか両手で受け止める。どう考えても俺の体の限界を超えた動きだったので、明日は絶対筋肉痛だ。

「あら遅かったわねキール」
「次は助けないからな」

 これ以上助ければ、俺も鬼の仲間入りにしてしまうからだ。

「キール様、殿下はいかがしましょうか」
「とりあえず陸に下ろしてあげて」

 無言でセツナが頷き、殿下を荷物みたいに肩で担ぐ。王族だからねそれ。

「あ」

 なんて貴族らしく気の利いた言葉をかけようとした瞬間、セツナが何かに躓いた。木箱である。どこにでもあるなこの木箱、なんて思ったのも束の間。

「キール様、殿下が海に」

 セツナが転んでしまったせいで、担がれていた殿下が海に落ちた。大問題だが何となく殿下なら大丈夫のような気がした。そう思わなければ俺達は偽勇者討伐隊どころか王族殺しなのだから。しかも本物の。

「まあ殿下なら多分大丈夫だろう……それより箱の中身は?」

 それより落ちた木箱の中身が気になった。だってもうこの二日で嫌と言うほど見てるからね、船の上にあるそれの中身ぐらい気にしたっていいじゃないか。

「サーモン」
「何かの隠喩?」
「サーモンはサーモン」

 レーヴェンがそう答える。そっか、ぐうの音も出ないほどのサーモンなのかあの箱の中身は。

「そっか……ってことはさ」

 ということはだね、この海面を押し上げてくる巨体の正体はだね、餌の時間だと勘違いしてしまったね。

「タマアアアアアアアアアアアアッ!」

 浮上したタマの巨体が、シンシアの船にのしかかる。それだけでこの何とか号は真っ二つに割れてしまったわけで。

 運動神経の無い俺なんかは、成す術も無く海に放り出される事しか出来なかった。
第6話 思いがけない南の島で

――夢を見た。

 そう遠すぎはしない、少年時代の日の事を。

 カーテンを閉め切った部屋の隅でうずくまり、ただ毎日を過ごしていた。きっかけは両親の死だった。まだ10歳になったばかりの自分を残して、二人は事故で他界した。

 葬儀についての記憶はほとんどない。ただセバスが全てを粛々と取り仕切ってくれたことだけは、おぼろげに覚えている。それと棺に土をかぶせたときの、スコップの冷たさだけは妙に手に残っていた。

 泣かなかった。ありとあらゆる雑事を使用人に押し付け、俺は部屋から出なかった。そしてそれを、咎める者などいなかった。自動的に獲得してしまった領主という地位は、そうさせるには十分だった。

 今振り返れば、彼らは俺を心配してくれていたのだと思う。料理人のカイルは俺の好物を毎日用意し、庭師のマリアンヌは家に飾る花を、いつか好きだと漏らした青い花に変えてくれた。それでも俺はそんな事に目も向けず、ただ毎日を無為に過ごした。

 一種の冷静さが自分にあったのを覚えている。このままこうしていても、自分が困ることはないという考えがあった。このまま家を維持していくだけの金が、クワイエット家にはあったのだ。

 そんな生活が長く続かなかったのは、彼女のおかげだった。自分と同い年で、両親がどこか東の方で拾ったというセツナ。孤児という事情もあり住み込みで働いていた彼女が、その日俺の部屋に入った。

「キールさま、食事をお持ちしました」

 何のことはない、いつものメイドが休みだったというだけの話。たまたま手の空いていた彼女が、トレーに乗せて夕食を運んでくれたというだけの話。

「ああ、そこに置いて」

 消え入りそうな声でそう答えたのを覚えている。それが当時の自分にできる、精一杯だった事もだ。磨り減り、冷めた自分に出来るのはその程度の事だった。

「お言葉ですが、そこにはまだ昼食が置かれたままです」

 その通りだった。当時の自分は、せいぜいパンをひとつ食べればいいような毎日を送っていた。だが答える気力は無かった。面倒だったからだ。

「……食べてもいいですか?」

 その言葉に耳を疑った自分がいた。持ち帰れば許可などいらないというのに、わざわざそうした事が少しだけ不思議だったのだ。

「別に構わないけど」
「では私はこの残った昼食を頂きますので、キールさまは夕食をお召し上がりください」
「食欲無いから後で食べるよ」

 彼女の提案に嘘で答える。食べる気など始めから無かったからだ。すると彼女はため息をついてから、ゆっくりと俺に近づいてきた。

「立てますか?」
「どうだろう」
「仕方のない人ですね」

 そう言って彼女は、まだ小さな手を伸ばした。しばらく無言でそれを眺めていたが、セツナはゆっくりと口を開く。

「手を差し伸べるのは、持てる者の義務だそうです」

 その言葉は知っていた。

「それを握り返すのは、誰にでもある権利だと」

 続く言葉も覚えていた。

「私を拾って下さった時、旦那様と奥様はこうおっしゃいました」
「うん、二人の言葉だ」

 らしいな、と思った。両親は優しく立派な人だった事を、ようやく俺は思い出した。その瞬間に、二人の顔を次々と思い出していった。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり。記憶の中の二人はいつもそういう人だった。

 だからようやく、俺は涙を流した。もう二人はいないという現実と、いつでも思い出せる心があったから。

「今は私の方が元気ですから、どうぞ遠慮なく掴んでください」
「ありがとう、セツナ」

 袖で涙をぬぐい、その手を握り返した。暖かかった。彼女が今ここにいるという事実を、重なり合った体温が教えてくれた。

「……どういたしまして」

 彼女に手を引かれて、ゆっくりと歩き出す。

「ねぇ、キールさま。今すぐにとは言いませんが」

 まだうまく動かせないけど、いつかはずっと良くなるだろう。

「いつか誰かに手を差し伸べる、立派な人になってくださいね」

 笑顔の彼女が教えてくれた、目指すべき場所に向かって。ゆっくりでも、一歩づつと。






 握り締めていたそれを、天高く掲げてみた。昆布だった。なんだこれ。昆布か。

 下半身にかかる波、顔に貼り付く白い砂。起き上がれば、目の前に広がる青い海。見回せば、背の高い見たことも無い植物。

 いい天気だ。青い空白い雲、青い海に白い砂浜。本で読んだ南の島の景色が広がっていたから、ようやく俺は理解した。

「……遭難しちゃった」

 現状把握。

 まず、船の破片とかは漂着していないことから、どういうわけかここに流されたのは俺だけだろう。どうして人間だけこんな場所にいるのかという疑問はさておき、キール=B=クワイエットは遭難したのだ。

 次に頬をつねる。痛い、うん夢じゃない。天国には痛覚があるなら話は別だが、何とか命拾いしたらしい。

 それから、他の人はどうなったか。確かめようはひとつも無い。彼女に何かあったらと思うと目の前が暗くなるから、それは一旦頭の隅に追いやってしまうことにした。大丈夫、皆は無事だと言い聞かせる。それに船は港の近くで沈んだのだ、普通に考えればこんな南まで流される俺のほうが異常だと。

 最後に立ち上がる。やることは山ほどある。水と食料の確保、寝る場所、救難信号。だというのに俺の足りない頭じゃそのやり方が何一つ思いつかない。

「川とかあるのかな……」

 独り言をつぶやいて、ゆっくりと歩き出す。こんな時誰かがいたらと思ったが、こんな事に誰も巻き込まなくて良かったと心の底から安堵しながら。


 

 かなり歩いた、ような気がする。

 正確な時間がわからない上に照りつける太陽がまぶしくて、随分と疲れてしまったように感じた。途中拾った木を杖にして進んでいるが、川なんて見つからない。というかもしかして、川って山がないと存在してないんじゃないかと気づく。つまり徒労俺は疲労踏んだぜ二の足無駄足チェケラ。

 暑さでやられているようだ、おかしな思考が過ぎってしまう。それでも歩く。何でもいい、何かここから助かる手立てが、一つでも見つかるならと。

 その時だった。視界の端で砂浜を動く影を見つけた。そしてポケットの中に殿下からもらったオペラグラスが入っていたことも思い出せた。ありがとう殿下どうかご無事で。

 かける、見る、確認する。そして叫ぶ。

「人だああああああああっ!」

 無我夢中で走り出す。良かった助かったおなか減ったのど渇いた。どうやら背格好からして子供のようだけどそんなことはどうだっていい、恥も外聞もなく距離をつめる。

 うん、子供だ。南の島だからか日に焼けた褐色の肌に白い髪をツインテールになんかしちゃってる子供。ちなみに白衣なんて着てるぞお医者さんごっことか好きなのかな。

「うあわっ!?」

 彼女の悲鳴が聞こえた。その瞬間、落ちた。下に落ちる俺。こう、ストンという擬音が非常に良く似合う感じで落ちる。尻餅をついて見上げれば、真ん丸い窓のような穴から青空が見えていた。それから遅れて、少女が顔を出してくれた。

「ビックリしたから防犯落とし穴使っちゃっただろ……」
「王都で人を驚かせるのが流行ってて」

 渇いた口が思いのほか動いて冗談を繰り出す。どうやら人にあえた事で、驚くほど舞い上がっていたようだ。

「王都……なんだお前アナザーか」
「あなざー?」
「いやいい、こっちの話」

 聞きなれない単語を聞き返せば、彼女は首を左右に振る。

「んん? んーーー?」

 と思ったら、今度は俺を凝視してきた。その視線の先にあるのは俺の顔、ではなく。

「ちょっと這い上がってその首についてるの見せてみろ」

 レーヴェンに無理やりつけさせられた、パンツイーターの首輪だった。

「その前に一つ頼んでもいいでしょうか」
「ある程度ならな」

 だがそれより前に、やることがあった。そう子供にこれを見せるより、もっとずっと大事なことが。

「遭難しました助けてください!」

 頭を下げて頼み込む、遅れて聞こえてきたため息についで、放り投げられた一筋のロープが彼女からの答えだった。






 案内された先は彼女の家だった。ただそれが豪華と言っていいのか判断に困るところだ。机とか椅子とかはまぁ普通なのだが、部屋の中が何だかよくわからない物体であふれているからだ。白い箱とか黒い窓とか縦に開く光る本とか、何に使うんだろう一体。

「水飲むか?」
「頂きます!」

 そういえば彼女は白い箱の扉を開けて、瓶入りの水を放り投げてきた。それをつかめば柔らかく、そして想像以上に冷たかった。

「でだ、アナザー。その首についてるのはどこで手に入れた?」
「旅の占い師に付けろって言われて」
「その占い師、わたしを縦に伸ばしたような感じか」

 怪訝な顔で彼女はそんな事を聞いてくる。言われてみると確かに、雰囲気や目の色などレーヴェンに良く似ている。

「言われてみたら」
「レーヴェンのアホか……最近遊びに来ないと思ったらアナザーの国に行ってたのか。こいつらと直接的に関わらないって大原則を忘れたか」
「レーヴェンの事知ってるんですか?」
「ああ、妹だ」

 なるほど、あいつの姉だったのか。体型的にはこっちが妹のように見えなくも無いが、魔族にも色々あるんだろう。

「へぇー、お姉さんだったんですね」

 それにしてもこの水冷たくておいしいな、いやでもあれかレーヴェンの姉って事は親が一緒って事でそうなるとつまり目の前の子供は。

「ま、ま、ま、魔王の娘!」
「あってるけどハイネって名前があるからそっちにしてくれないかアナザーよ」

 思わず取り乱してしまったが、ハイネと名乗る彼女が冷静なおかげで思いのほかすぐに落ち着くことが出来た。どうやら年の功は伊達じゃないらしいが、それよりも気になる事が一つ。

「ハイネさん、そのアナザーって?」
「そのまんま、お前らの種族の事だよ」

 俺の顔を指差しながら、ハイネさんはそんな事を言う。

「人間の事?」
「わたしらもな」
「えっ、魔族じゃなくて?」

 俺達は人間で、魔界に住んでるそれっぽいのが魔族。そういうものだと今日まで教わってきたのだが。

「そんなファンタジーな呼び方すんな、こっちだって人間様だよ……ただちょっと地元が違うだけのな」

 どうやら魔族というのも人間らしい。ただ噂によると寿命がすごい長いとかみんな魔法を使えるとか色んな話があったはずなのだが。

「さっぱりわからないです」

 というわけで、理解することをあきらめた俺。多分この人は俺なんかより余程頭が良いのだから、話が合わないんだろうなうん。

「あーいいって気にすんな、どうせアナザーは記憶消して送り返すから明日には忘れてるからな。その首のもこっちのもんだから回収させてもらうけど良いよな?」
「記憶を消して……首輪を外す?」

 その言葉に思わず息を呑む。緊張で手のひらに汗が広がっているのが、感覚でわかってしまった。

「まあファンタジー魔族様にも都合って奴があるんだよ。その首輪を手に入れる前ぐらいまで記憶消すけど不都合ないな? あっても知らんが」
「こいつを手に入れる前……」

 思い出すのはこの旅の日々。色々な人と出会って、色々な事が起きた。だから俺は立ち上がる。

「おっと暴れるなよ、こいつはこう見えて人一人なら簡単に消し炭にできるアホみたいな武器だ。大人しく従った方が身の為だぞ?」

 彼女は俺に筒のようなものを向けてそんな事を言う。だが、それはどうでも良かった。

 だって、この旅の記憶が消えるのだ。レーヴェンと出会った事も、偽勇者を追いかけた事も、あのパンツの味も、パンツの匂いも、パンツの食感も、パンツの記憶もパンツパンツパンツパンツパンツ。

 ――願ったり叶ったりじゃないか。

「ハイネ先生、お願いします!」

 だから俺は土下座をする、ハイネさん、いやハイネ先生と呼ばせてください。どうかこの哀れな子羊を、絶望の淵から救って下さい。



 案内されたベッドに、手械足枷をはめられる俺。だが何も怖くは無い、目が覚めたら俺は屋敷のベッドから起き上がって朝食を取って散歩でもするんだ。そうだそうに違いない今日までは夢だったけどその前に一つだけ。

「その、記憶を消す前にお願いしても良いですかね」
「ある程度ならな」
「他にも漂流した人がいたら助けて欲しくて……乗ってた船がサーモンが好物のツノ付きのクジラみたいな魔物に襲われちゃって」

 そう答えると、ハイネ先生はため息をつく。

「なんだタマか。安心しろツノクジラはああ見えて救助用に品種改良してある。普通にしてりゃ生きてるよ」
「良かっ……いや俺は?」

 他の皆が無事なのは良いが、どうして俺だけ遭難なんて目に遭ったのか。その疑問が残ってしまった。

「定員オーバーだったかもしれんが、おそらく人間だと認識されてなかったんだろ。首輪のせいでな」
「どうしてですか?」
「記憶消すし別に説明しても良いか……それな、人に付けるものじゃないんだ」
「その通りなんですハイネ先生」

 さすが良くわかってらっしゃる。

「そいつは掃除機用のアタッチメントだ」
「わかる言葉でお願いします」

 そんな難しい専門用語じゃなくて患者にもわかる言葉でお願いします。

「アナザーの今の文明レベルで言うと……そうだな、何でも吸い込むゴミ箱の先端につける道具だ」
「ゴミ箱」

 声に出すとわかる、ひどいことをされたのだと。

「レーヴェンは知らなかっただろうけどな。ちなみにわたしらの種族が首に付けようとしてもプロテクトがかかってて無理だからな。根本的に遺伝子情報が違うアナザーだからいけたんだろ」
「へぇー」

 なるほどさっぱりわからない。

「わかってないな……まあいいや外すぞ?」
「何をすれば良いですか?」
「電源入ってると外せないからな。お前電源どこだ?」
「デンゲン」

 そう言ってハイネ先生は俺の体を手袋をはめた手でまさぐり始めたが。生まれてこの方でデンゲンなんて部位聞いたことが無い。

「そうだ電源」
「なんですかそれ?」
「押すと動かなくなるやつ」

 なるほどなるほど、俺は体のどこかにあるというデンゲンを押して動かなくならないとこの首輪が外れないと。ってことはだね、凡人の俺の出した結論はだね。

「……死ねってことですか?」
「おいおいアナザー勝手に早合点するな。電源さえ切れてくれれば良いんだから、つまりこうなってああなってそこがどうなってそれでだな」

 そんな考えを一笑してから、先生は何やら考え込む。そしてしばらく経ってから、俺の肩を叩いて言った。

「おいお前やっぱ死ね」
「無茶言わないでください」

 何だ死ねって白衣着た人間の言葉かよ。

「迂闊だった、まさかアナザーには電源がないなんて……他の対策が必要だ」
「魔族にはデンゲンあるんです?」
「アホかお前、あるわけ無いだろ」

 すっごい簡潔に馬鹿にされた。どうして自分には無いものが俺にはあると思ったのか不思議である。

「あ、首輪として気にならないよう可愛くデコるってのはどうだ? うん名案だなこれはちょっと待ってろ」
「デコ……」

 難しい言葉を言い残して、先生は近くの棚を漁り出した。それからすぐに先生は小さなピンク色の小箱を楽しそうに持ってきた。明けられた箱の中身は、宝石っぽいものや動物の絵みたいなもので埋め尽くされていて。

「どれがいいかな、キラキラシールだろ、プチジュエルに……おっ、みろよこのカエルちゃんめちゃレアなやつだぞ!」

 だいたいがピンク色の宝石っぽいやつだ。カエルちゃんも何だかかわいらしい絵柄なのだが、こう成人した男の首輪には似合わないような気がしたので。

「子供っぽいですね」

 思わず口が滑ってしまう。

「今……なんて言った?」

 震え始めるハイネ先生だったが、ツインテールでカエルのスリッパを履いている人をそう認識するなってのは難しいような。

「このわたしが……子供っぽいだとぉ!?」
「あ、もしかして気にしてたり……」
「まったくしてない!」

 顔を背けて腕を組む先生。その態度、拗ねた子供そのものである。

「どうやらわたしがお前のようなアナザーの何億倍も頭が良いことを証明してやる必要があるらしいな……!」
「いやそれは十分伝わってます」
「その首のを!」

 だが話を聞かない先生、俺の首根っこをつかんでこんな事を言い出したのだ。

「パワーアップしてやるよぉっ!」
「いやいいです」

 いらないですいいから外して記憶も消してください。

「うるせーっ!」

 威勢のいい掛け声とともに、先生の拳が俺の腹にめり込む。やっぱり子供の態度だけど、薄れ行く意識の中でそれを主張するのはあまりに無謀だと思えてしまった。






「目覚めろ……目覚めろアナザーよ」

 先生の声が聞こえた。というわけで元気に挨拶。

「あ、おはようございます先生」
「ふいんき!」

 注意された。何か違うのか怒られてしまった。

「先生のおかげで病気が!」
「ちがう」
「ふっ……死んだ両親が手招きしてたぜ」
「重い」
「こ、このからだをあふれるちからはーっ」

 そう答えるとハイネ先生は声を殺して笑い出す。どうやらこれが模範解答だったらしい。

「くっくっくっ……気づいたようだな、なかなか筋がいいぞアナザーよ」
「ありがとうございます」
「だからふいんき!」

 普通にお礼を言ったら怒られた。中々の理不尽である。

「こ、この天才めーおれのからだになにをしたー」
「……今のもう一回」
「おれのからだに」

 無言でビンタしてきた先生。まだ手枷足枷があるから何も出来ない。

「こ、この天才めー」
「くっくっくっ……わかってるようだなアナザーよ。気に入ったうちの妹と会話する権利をやろう」
「いやそれはもう普通に」
「あぁん!?」
「ひぃごめんなさい」

 ちょっと目が本気だった先生。会話する権利をもらわないと口を利いちゃいけないのかレーヴェンとは覚えておこう。

「まぁパンツイーターの二つの新機能について説明してやろう」
「二つも」

 そんなにいらない。

「まずはそうだな……パンツアナライザーだ」
「パンツアナライザー」
「文字通りパンツに備わるスキルを解析する事が出来る画期的な能力だ。これでパンツだけで持ち主がどんな人物か予想が立てられる訳だな」
「変態すぎる」

 パンツの解析なんてしたくなかった。

「そしてつぎは……パンツリベレーターだ」
「どうしてパンツ関連のパワーアップなんですか?」
「パンツリベレーターは相手をパンツから解放する事が出来る優れ物だ。ちなみにパンツは霧散する」
「すいません先生そんな風には聞こえません」

 パンツからの解放って何ですかそれより手枷と足枷から解放してください。

「こいつは解放されたパンツの持ち主と同じだけの身体能力を得ることが出来る。お前スキル持て余してただろ? これを強い奴に使えば同等以上に戦えるぞ」
「つよい」

 思わずつぶやいてしまう。これなら相手のパンツを霧散させた上に俺だけ強くなれるのか。これうまく使えばもうパンツなんて食べなくて良いんじゃないか。

「ただし3分間の時間制限付きだけどな。その後はまあ、相手の程度にもよるが基本全身筋肉痛だ」

 やっぱ使わないでおこう。

「ああ、あと間違っても自分のパンツには使うなよ。シミュレートしてみたらバグって初期化されるっぽいから。集めたスキルが全部パーだ」
「俺って自分のパンツ破壊するぐらい馬鹿に見えます?」
「見えてるから説明してんだろアホかアホだなアホだわお前」

 すっごい馬鹿にされた。そうか先生には俺が自分のパンツを霧散させるアホに見えるのか。

「まあその……ありがとうございました流石天才ハイネ先生です」

 それでもお礼を口にする。最後の言葉が効いたのか、先生はうれしそうに何度も頷いてくれた。ちょろい。

「うんうん、わかったようで何より」

 それにしても、先生もとい魔族の力には感心せずにはいられなかった。ハイネの水晶玉もそうだったが、どう考えても俺達との間に力の差がありすぎる。魔王討伐なんてお題目を掲げてはいるが、本気になった彼ら相手に戦う手段など、もしかして始めから。

「じゃ、記憶消すか!」
「待ってました!」

 とか小難しいことを考えていたら先生がうれしいことを言ってくれた。そうだ全部忘れよう何か首輪だけついてるけど特に生活には支障がなさそうだし全部忘れて家で寝よう。

 なんて考えていると、突然家の中に鐘の音が響き渡った。

「誰か来たな」
「結構お客さん多いんですか?」
「宅配業者が7割で妹が2割で残りは招かれざる客だ」

 まぁ先生人付き合いとか面倒くさがりそうですもんね。

「おねえちゃん遊びに来た」
「2割来た」

 勝手に扉を開けて、レーヴェンが入ってきた。ベッドの位置のおかげで、首を動かせばうれしそうなその表情が見て取れた。

「レーヴェンか久しぶりだな」

 ハイネ先生がそう答えると、レーヴェンはゆっくりと抱きついた。どうやら姉妹の仲は俺が想像しているよりずっと良いらしい。

「近く寄ったから……まてどうしてキールがここにいるの」

 と、俺に気づいたレーヴェンの目の色が変わる。敵意むき出しで睨んで来る、こわい。

「浜辺に落ちてた」
「そう」

 ゆっくりと台所に寄って、包丁を手に取ってから俺のそばに立つレーヴェン。

「じゃ、キール死んで」
「なんで! 何もしてないって!」
「パンツイーター強化しただろもう忘れたのか」
「それはしてもらいましたけどそういう意味じゃなくて!」
「しらばっくれてもダメ。おねえちゃんが可愛いからあの手この手でとりいって……あまつさえベッドに横たわってるなんて不潔すぎる」
「先生妹の目が悪いみたいです直してあげてください」
「お医者さんごっこまでして……!」

 してませんってば。

「まあ落ち着け二人とも、とりあえず事情聞きたいからその辺に座れ」

 ようやく仲裁に入ってくれた先生が、レーヴェンから包丁を受け取りソファーを指差す。良かった死ぬことはこれで無くなった。

「友達もいい?」
「ああ、もちろん」
「みんな、入って良いって」

 その言葉に従って、ぞろぞろと顔を出す旅の女性陣。まずはセツナの入場です。

「キール様、人が心配していたら幼女とお医者さんごっことはいよいよ貴族らしくいいご身分になられたようですね。感激しました」
「無表情で感激しないでくれる?」

 開口一番そんな事を言わないで下さい。はい次のアイラね。

「おじゃまします……とりあえずキールさん、セツナさんに謝ったほうがいいと思いますよ?」
「なんかごめんなさい」

 謝罪の言葉を口にする。セツナの顔に目線を向ければ、その瞼が少し腫れていたような気がした。気がしただけ。はい次のシンシアね。

「オーッホッホ、無様ねキー」
「ね、ねぇシンシア様……今日の髪型変じゃないかしら」

 横で髪の先をいじっている、元ラシックの取り巻きの武道家の少女も。

「ル=B=クワイエット! どこをほっつき歩いてるかと思っていたら幼女とS」
「シンシア……浜辺で綺麗な貝殻を拾ったんだが君に似合うと思うんだ」

 貝殻を手に持って恍惚の表情を浮かべる、元ラシックの取り巻きの剣士も。

「Mだなんて優雅な遊びを覚えたようね? 五分でいいか」
「シンシア姉さま、海、海いっしょにいこ」

 彼女の服の袖を引っ張りせがむ、元ラシックの取り巻きのシスターも。

「ら代わってくれないかしら!?」

 全員が全員でシンシアの台詞の邪魔をした。なんかもう全員メロメロじゃないか学生のときに良く見た光景で懐かしいわ。

「お前は色々清算してから入れ」
「三人ともステイ!」

 シンシアにそう言えば、彼女は号令を出した。そしてそのまま三人を外に放置し、家の扉をゆっくりと閉めた。

「これでいいわね」

 俺の知らない間に旅の仲間って言うかペットの雌犬が三人も増えたらしい。躾も十分なさってるようで何よりです。

「ま、アナザーどもも適当にかけてくれ。レーヴェンには……何があったか説明してもらうぞ」
「まかせて」

 胸を張って彼女が答える。それに不安しか覚えないのは、なぜだか多分俺だけのような気がした。






 レーヴェンが語った旅の顛末は、誇張と主観が入り混じったものだったが、おおむねはいそうですといえる程度のものだった。ちなみに手械と足枷は外してもらえた。

「という感じ」
「それはその、何というか」

 話を聞き終えたハイネ先生は、セツナが用意してくれた紅茶を飲み干し机に置いた。きっと呆れて物も言えないのだろう、何せ天才だからなこの人。

「頑張ったなぁ、レーヴェン!」

 あれぇ、思ってたのと違う。

「おねえちゃん!」

 抱き合う二人、むせび泣くレーヴェン。何とか手を伸ばしその頭をなでる先生。

「わたしは誇りに思う……お前みたいに健気で可愛くてアホな妹がこの宇宙にいることを!」
「頭も褒めてやれよ」
「良かったですね、レーヴェンちゃん……」
「泣く要素ある?」

 ハンカチで目頭を押さえるアイラ。何がどう良かったのか解説してほしい。

「で、とりあえず偽勇者もどこかに流れ着いただろうから捕まえてまた本物の勇者倒しに行きたい」

 レーヴェンが脇に置いていた水晶玉をハイネ先生に見せれば、彼女はうんうんと嬉しそうに頷いた。

「そうかそうか、おにぎり作るか?」
「ツナマヨを人数分作って」

 そこで、一瞬先生の手が止まる。だめだったのかツナマヨ。

「人数分って……このアナザーどものか?」
「もちろん」

 どうやらおにぎりの具の話ではなく、気にしているのは俺たちの処遇についてだったようだ。

「それは駄目だ。こいつらは記憶を消して送り返す」

 毅然とした声で答えるハイネ先生。その表情からはもう優しいお姉ちゃんの面影が消えていた。

「なんで」
「お前がこっそりやる分には何も言わんがな、わたしの目に止まったんだそういう訳にはいかないだろ……それにそこのアナザーは知り過ぎたからな」
「記憶消して良いんですよ先生」

 俺はそれで良いんだよレーヴェン。

「一応キールに雇われてるからそれは困る。本人は居なくても良いけど」
「セツナにこれからの事を頼んでも良いんだよレーヴェン」

 色々方法あるんだよレーヴェン。

「全く、お前は頑固だな」
「おねえちゃんには負ける」

 だが二人は笑い合う。鼻をすすり始めるアイラだったが待って何話し終わらせようとしてるの俺の記憶は消すんだよねそれって決定事項ですよね。

「ちょっと待ってろ」

 先生はその場から離れ、壁際に置いてあった黒い機械に手を伸ばした。何やら数字が刻まれており、上のバナナみたいな形のものを耳に当てる。

「ああ親父? ああうん、元気元気……それよりだな、レーヴェンが今から帰るからよろしく頼むぞ。ちょっとアナザーどもも一緒に行くから、処遇は話し合って決めてくれ」

 ああうん、ハイネ先生のお父上に連絡してるみたいですね方法はわからないけど。っていやそれ魔王だよね処遇って何死ぬ以外あるの。

「親父に頼んでみろ。まあレーヴェンには甘いからなんとかなるだろ」
「おねえちゃん大好き!」
「ああ、わたしもだよ」

 また抱き合う二人。やっぱり泣くアイラ、特に表情を変えないセツナ、若干ムラっとしてますみたいな顔してるシンシア。頼むからステイしとけ。

「あの、ハイネ先生!」
「どうしたアナザー」
「俺の記憶消すのは……」

 挙手して質問を投げかける。が、先生は両手を広げて首を捻るだけだった。

「親父の気分次第だな。ちなみにレーヴェンが男と旅してたとか知ったら、記憶じゃなくて存在ごと消されるかも……そうなったらウケるな」

 何も面白くないんですけど。

「レーヴェン、タマに俺を安全なとこまで運んでもらうようお願いできないか」
「実家タマで帰るから無理」
「そっか」

 さらば希望よ。

「さ、そうと決まれば行った行った可愛い妹とその他大勢。今のうちから媚でも売って命だけは助かるよう努力するんだな」
「権力って場所によって変わるんですね」

 アイラが席を立ちながらそんな言葉を漏らす。ここにきて大して何もしていなかったレーヴェンは、魔界のプリンセスという立場を存分に発揮し始めたのだ。

「じゃ、また遊びに来いよレーヴェ」

 女性陣が家を後にするが、一瞬先生の言葉が詰まった。その視線の先にあったのは、アイラが腰から下げたあの鞘から抜かれない剣だった。

「なあ、そこのアナザー……その剣」
「呼び止めますか?」

 先生の横に立って見送っていた俺は、そんな事を聞いてみる。

「いやいい、それよりお前うちに残っても記憶消してやらねーからな」
「最後の頼みの綱が」

 自然と居座って記憶を消してもらおう大作戦が失敗した俺の尻に、ハイネ先生の緩やかなローキックがお見舞いされる。仕方なしに歩き始めれば、先生の声が聞こえてきた。

「またなアナザー、生きてたら遊びに来て良いぞ。そっちの国の話も少しは興味があるからな」
「ええ、ハイネ先生もお元気で」

 そのまま家のドアを開ければ、南の島の景色が広がっている。青い空白い雲、青い海に白い砂浜。こんなバカンスみたいな場所で、次に俺たちが向かう先は。

「じゃあみんな……魔王城にレッツゴー」