エピローグ こんな夢みたいな景色を




「おはようございますお坊っちゃま」
「ああ、おはようセバス」

 背筋を伸ばす。だがベッドの上でじゃない、服を着替えカーテンを開け、陽の光を浴びながらだ。

「起きてらしたのですね」
「久々の休みだしね……ここのところ働き詰めだったから」

 あの旅から、もう半年が経った。季節は巡り、もっぱら天気の話題はいつ雪が降るのかという事ぐらい。

「ご立派になられまして……旦那様も奥様も、今のお坊っちゃまをご覧になればきっとお喜びになるでしょう」

 髭面のセバスがハンカチで目元を拭うが、自分でもそう思う。両親が喜ぶかどうかはわからないが、この半年間自分でも驚くぐらい仕事をした。まぁそろそろ軌道に乗ってきて、あとひと踏ん張りでまた前のような怠惰な日々が待っているからこそ出来たのだが。

「あとは伴侶を見つけていただきお世継ぎを残されていただければ、不肖セバス思い残す事は何もございませんな」
「それは……先伸ばしにさせてもらうよ。セバスには長生きして欲しいからね。とりあえず……今日は出かけるよ。自分の目であそこを見るのは久々だ」

 朝食を取らず上着を羽織る。休みの予定はずっと前から決まっていた。

「ええどうぞ、ゆっくり羽を伸ばして下さい」
「そういやセツナは?」

 少し気になる。ここしばらく俺を起こすのは、仕事の都合上セバスが殆どだった。というかセツナはあの旅以降、妙に俺と距離を取っているというか。会話も事務連絡みたいなものが二、三個ある程度だ。

「彼女も休暇ですね。年頃の婦女子らしく、買い物にでも行かれてるのではないですかね」
「じゃあ、久々に行くとしますか。ようやくクワイエット領に出来た名所」

 俺は笑う。自分でも不思議だが、外出するのは苦じゃなかった。

「エルサット自由市場に」




 勇者の剣回収と偽勇者の討伐を完了した俺に贈られたのは、魔王及びエルガイスト王からの報奨だった。何でも良い、というのは両者の主張。金銀財宝であれば末代まで遊んでもらえる金が手に入っただろうが、俺の頭にあったのは別の物だった。

 というわけで魔王からの褒美として、俺は魔界との交易を要求した。といってもクワイエット家が独占する類のものではなく、あくまで誰にでも開かれた市場として。そういう訳でこのエルサットには、正体を隠す魔族が商売を始める事となった。

 で、エルガイスト王からは金と人員。流石に都市のあちこちに魔族を集めるのは無理があったのと関税は徴収しておきたかったので、思い切って空いている土地を利用して市場を建設することにした。金は、実はまぁ足りなかったのでシンシアから借りた。

 というわけで出来上がったのが、エルサット自由市場である。表向きは世界中のあちこちから交易品が手に入る変わった市場、といったお題目だがここの店主の半分以上は魔族による店だ。珍しいものが手に入るという事もあって、今日もこの場所は大勢の人で賑わっている。うんうん、よく思いついたぞ俺。

 なんて自画自賛をしながら歩いていると、シンシアとその付き人の姿があった。魔族の食料品店を前にして、真剣な顔で食材をいくつか選んでいた。

「この果物を10ケースに……そちらの菓子を20箱。それから土産に持たせるには……そうね、そこの調味料をいくつか包んでもらえないかしら?」
「よっシンシア、精が出るな」
「あらキールじゃない。珍しいわねこんなところで、あんたにお金を貸して以来かしら?」

 シンシアに挨拶すれば、いつもの嫌味ったらしい返事が帰ってくる。だが指摘されたことが事実だったので俺は素直に頭を下げた。

「その節は大変お世話になりました」
「そうね、まぁ精々励みなさいな」

 彼女の仕事は至極単純、ここで仕入れたものを自分の領地や社交界で売り捌く事だった。基本的に魔族からの交易品はここでしか買えない以上、彼女のような存在はこの市場の評判を広めるのに必要不可欠だ。

「沢山買ってくれよな、そうすれば借りた金もすぐ返せるから」

 で、俺としてもシンシアに借りた金はさっさと返したいのでエルサット自由市場では商品の売上の一割が関税として徴収される。俺はそれを丸ごと借金の返済に当てているので、ある意味彼女は一割引で何でも買えるのだ。

「あらわたくしを誰だと思っているのかしら?」
「悪役令嬢」

 扇子で隠している筈の口元が、ニヤッと笑ったような気がした。

「そうそう、例の三人と下着泥棒から手紙来てたわよ。寛大な処置に感謝しますって」
「まあ、結果的にそうなっただけさ」

 肩を竦めてそう答える。偽勇者御一行は現在王都の刑務所に収監中だが、その罪状は窃盗と詐欺である。勇者を騙ったという大罪が単なる詐欺に格下げされたおかげで、きっと十年もしないで自由の身になれるだろう。短いとは言わないが、出所しても人生をやり直せるぐらいの年齢のはずだ。

「っと、そろそろ次のお店に行かないと。御機嫌ようキール=B=クワイエット。少しは感謝してるわよ」

 山のような荷物を付き人達に持たせて、シンシアが食料品店を後にする。

「少し、か」

 俺は少し笑っていた。彼女のその控えめな言葉は、最大限の謝辞なのだから。

 とりあえず食料品店で見たこともない果物を一つ買い、行儀悪くかじりながら歩いていく。食べ物だけじゃない、機械や本に楽器に衣服。魔族の商人達がここで売るものは全て、この世界の誰もが目にしたことのないものばかりだ。最も彼らの事情は誰にも明かされず、まだ魔族は人類にとっての恐怖の対象のままなのだが。

 魔王様曰く、無駄な混乱を避けるためだとか。確かに昨日まで憎んでいた相手が実はなんて言われても誰も信じないだろう。それでもほんの少しだけ、いつかは分かり合えるような気がした。

「ようキール! 腹減ってないか!?」

 と、突如背中を叩く衝撃。振り返ればそこにはフォルテ領で出会った少年がそこにいた。

「おっとヘルマか……どうだ商売は上々か?」

 果物を頬張り飲み込めば、ヘルマがニコッと笑顔を浮かべる。商売。彼らは今この自由市場で、ささやかながらホットドッグの屋台を営んでいる。

「まあな、こっちに来たおかげでまともな暮らしが出来るようになったしな……しっかし手紙もらった時は驚いたな、あんたが貴族だったとは」

 と言っても、呼んだのは実は俺だった。魔族側の店が多いのは良いことだったが、人間のやる店が少なすぎたのだ。それに人が増えればそれだけ需要が増えるのだから、何としても商人を増やさなければならない。別にヘルマ達は商売をしていた訳じゃなかったが、それにしても一番最初に思いついたのは何故か彼らの顔だった。

「もう夜道で強盗なんてするなよ」
「それはもう約束しただろ?」

 ヘラヘラと笑ってから、ヘルマが横目で店を眺める。その先には看板娘兼店主のシーラがいるのだが、ヘルマの表情はどんどん曇り始めていた。

「むしろうちの店は今、警備上の問題を抱えてるっていうか」

 それはまぁ、一目瞭然だ。何せ彼女目当てに今日も、厄介な客がホットドッグを買いに来てるのだから。朝昼晩の一日三回も。

「シーラさん。ホットドッグ1つと百万クレの笑顔をください」
「えっ、えっとぉ……今ご用意しますね」
「待ちますともええ待ちますとも。このフェリックス、あなたの為なら何日でも何年でも!」

 というわけで、天を仰いで愛の言葉をささやくフェリックスの頭を叩く。街のおまわりさんを辞した彼は、こっちに来ておまわりさんに連行される側に変わってしまった。

「いってえっ!」
「おいフェリックス、お前にこの市場の監査役を頼んだのは、屋台を営業妨害させる為じゃないぞ」

 フェリックスだけではなく、王族はこの市場に多くの魔族がいると知っている。エルガイスト王と魔王の間で、密約がかわされたとか何とか。そういう政治的な事情にまで俺は首を突っ込んじゃいないが、フェリックスの監査役という立ち位置はとても妥当な物に思えた。

「あ、キールさんお久しぶりです!」
「なんだよ親友、今良いとこなんだよ邪魔すんなよ」

 で、そこまでは良かったんだがフェリックスがシーラに一目惚れしてしまったらしい。ハメを外しているだけだと最初は思っていたが、市場が出来てからの三ヶ月間毎日通い続けるその胆力はどうやら本物だ。まぁシーラの方も満更ではなさそうな顔をしているが。

「そうは見えなかったけどな」
「なんでお前がここに……まさか親友、今日からは親友じゃなくてライバルか!?」
「馬鹿だなお前」
「あそうだ丁度いい、兄貴から手紙預かってたんだよ。後で行こうと思ってたけど、今渡すわ」
「ああ殿下から」

 そう言ってポケットから一通の手紙を取り出し、俺に手渡してくれた。中にはフェルバン殿下らしい几帳面な字がびっしりと埋め尽くされていた。軽く目を通してみる。

『拝啓キール=B=クワイエット隊員。君の活躍は愚弟から聞き及んでいる。ユーベイの魔獣騒ぎで君を見失った時は心底心配していたのだが、それはもはや杞憂だったようだ。魔獣による被害はまだまだエルガイスト王国を脅かしているため暇が出来るのはまだ先だが、君の作った自由市場をいつか自分の足で歩いてみたいと思っている。噂によるとその市場では女の子同士のイチャイチャの本を取り扱っているようだ、君の使命はその本を領主という立場で徹底的に集めて家に持ち帰る事である。そしてあ、私がその本ほしかったのにという女の子同士が二人で手を取りそのまま見つめ合う。今度また一緒に買い物に行こうね、そう誓い合った二人の前に立ちはだか』

 途中から殿下の自作小説だこれ。

「お元気そうで何よりだ」
「キールさん、良かったらこれどうぞ!」

 シーラは茶色い紙袋を、本来の客であるフェリックスを後回しにして差し出してくれた。中を見れば丸いパンのような物が、これまた包装紙にくるまれていた。それも五個。

「こんなに貰えないよ」
「新商品なんです。お友達の皆さんと是非」
「ちょ、シーラさん!? 俺毎日通ってるけどそんな話」
「せーのっ!」

 とうとうヘルマとその仲間の少年たちが、迷惑な客に集団でタックルをかますという実力行使に出た。元衛兵の面影もないフェリックスはそのまま無様に地面に倒れ、シーラではなく地面とキスする羽目になった。

「この……やったなガキども!」

 すぐにフェリックスは起き上がると、子供達と追いかけっこを始め出した。その元気がどこから来るのかは疑問だが、それにしても幸せそうなのは良かったと素直に思う。

「じゃあシーラ……遠慮なく受け取るよ」
「キールさん、その……ありがとうございました」
「こっちこそ」

 仰々しく頭を下げるシーラだったが、振り返らずに俺は歩く。身に余る物を貰ったのはこっちの方だ、いつまでも感謝される程でもない。

 といってもこの新商品を五個も食べれる自信のなかった俺は、知り合いの店へと向かうことにした。


 クワイエット領自由市場のど真ん中に、一際大きな建物がある。そのくせ店としてのスペースは非常に小さく、売っているものも何だか訳のわからない機械ばかり。看板にはジャンク屋と書いてあるが、その実ここはエルガイスト王国で一番の技術力を有している。

 なんせ店主があの人だ。

「ハイネ先生、いますかー?」

 どうせ店の方に言っても誰もいないのはわかっていたので、店の裏にある研究室の扉を開けた。先生は鼻の頭に油を付けながら、なにやら鉄の車輪が二つついた乗り物らしい何かを金属製の工具でいじっていた。

「なんだアナザーか、珍しいな顔を出すなんて」
「お世話になってますからね、はい差し入れです」

 ハイネ先生はあの南の島から、このエルサット自由市場へと引っ越しした。俺達人類、先生の言葉で言うアナザーには早すぎるであろう物を売らないため、市場に出回る商品を確認してくれている。あの青い刃のような代物を増やさないための、魔王様の提案だとか。

「お、ハンバーガーか。気が利いてるじゃないか好物なんだ」

 差し出した袋を開け、中にはいっているパンを見るなりそんな事を言い出す。見るとパンの間に肉と野菜が挟まっているサンドイッチの亜種みたいな食べ物だった。まぁそれよりも。

「何を作ってるんですか?」
「バイク」
「はぁ」

 また訳のわからない言葉を。

「魔法で動く超はやい馬みたいなもんだ。アナザーとの交易が始まったからな、今後はこの程度の技術革新で驚いてる暇はないぞ」
「どれぐらいですか?」
「ざっと馬100頭分だ」

 多すぎる、化物か何かかな。

「ごちそうさんアナザー、チーズが入っている方が好みだと店主に伝えといてくれ」

 すぐに平らげてしまった先生は、また作業へと戻っていった。あまり邪魔する訳にも行かないので、俺はもう一軒の知り合いの店へと足を伸ばした。まぁ、先生の店の隣なんだけど。

 占い有りマス。いつかどこかで見たような謳い文句を、彼女は今日もぶら下げる。客足はまばらだが、きっと小遣いぐらいは稼げているのだろう。

「今日のラッキーアイテムはハンバーガー」

 俺の顔を見るなり、鼻を鳴らしたレーヴェンがそんな事を言いだした。

「いい鼻してるな」

 つられて俺も匂いを嗅げば、成る程確かに食欲のそそる匂いが漂ってきた。 

「占ってく? 安くしとく」

 と、聞こえてきたのは腹の虫。と言っても俺じゃない、それどころかレーヴェンじゃない。

「そうだな、じゃあ」

 だからその音の持ち主は、レーヴェンの足元にうずくまって。

「最近うちの警備隊に入ったけど」

 持ち前のポニーテールを揺らして、クワイエット領警備隊の制服に身を包んだ。

「友達の店に入り浸ってばかりの人の居場所を占ってもらおうかな」

 アイラ以外にいなかった。

「あ、あははキールさん……バレてましたか」

 恥ずかしそうに立ち上がるアイラ。むしろどうしてバレないと思ったのか、問い詰めてやりたいぐらいだ。

「腹の虫大き過ぎ」
「もう、女の子にそれ言います?」
「それよりキールお勘定」
「いや、お前は占ってないだろ」

 と言っても無駄だ。レーヴェンは無言で右手を差し出し、占いの費用を請求していた。仕方がないのでその手に一つ、まだ袋に包まれたハンバーガーとかいう食べ物を載せてやる。

「もう一つ」

 もう一つ載せてやれば、それをレーヴェンがアイラに手渡す。仲が良いのは嬉しい事だが、現在俺の立場は完全にアイラの上司になってしまう訳で。

「それ食べたら仕事に戻れよ? 警備隊の仕事にさ」
「は、はい!」

 なんて言いながら、嬉しそうに頬張るアイラ。あの旅の後、故郷を訪れたかどうかは知らない。もしかしたらまだ勇者としてのしがらみが彼女を縛っているかも知れない。それでも今ここにいる彼女は、心底幸せそうに見えた。

「にしても2個余ったな」

 5個貰って3個配ったのだから当然だが、残りのハンバーガーは2個。小学生でもわかる算数だったが、配る相手が思いつかない。

「サービス。それ食べたい人占ってあげる」

 なんて俺の表情を読み取ったのか、口元をケチャップで汚したレーヴェンがそんな事を言ってくれた。

「横にいるアイラですってのは無しな」
「や、やだなぁそんなに食い意地張ってませんってば……」
「見えた。市場の出入り口のベンチに座ってる」

 何ともまぁ大雑把な占いである。何せ市場の出入り口のベンチには、大体誰かが座っているからだ。

「当たってるのそれ? そもそもレーヴェン、一番最初の占い間違えたじゃん」
「あれはしかたない。皆が勇者と思ってる人を探してたから」
「はいはい、じゃあ行ってみますよ」

 というわけで踵を返す。あんまりまだ見ぬ待ち人を待たせれば、このハンバーガーとやらも冷めてしまうだろうから。

「ねぇキール……占い、また何かあったら言って」
「その時はお願いするよ」

 俺はやっぱり振り返らないで、そのまま市場の出入り口へと向かった。



 今度のレーヴェンの占いは当たっていた。ベンチにぽつんと座る彼女は、いつものメイド服ではない、少し洒落た黒いコートに身を包みぼんやりと街を眺めていた。こっちには気付いていなかったから、こっそり彼女に忍び寄る。

「隣いい?」
「……お好きにどうぞ」

 一瞬驚いた顔を見せた彼女は、咳払い一つでいつもの冷静さを取り戻して落ち着いた答えをくれた。促されるままベンチに座れば、俺と彼女の間には一つの茶色い紙袋があった。ああそうだ、買い物に来てたんだよな確か。だから俺もハンバーガーの袋を置いた。似たり寄ったりのその二つが、何となく並んでいて欲しかった。

「なぁセツナ、何か俺の事避けてない?」

 折角なので、気になっていた事を聞いてみる。いい機会だよねうん、半年ぐらいまともに会話してないからね。

「何がですか?」
「いやその……パ」

 彼女は表情一つ変えない。けれどその呼吸は止まって、じんわりと汗が吹き出ていた。これはあれだね、この話を無かったことにしたほうが良さそうだね。

「パ、ハンバーガーってのを貰ったんだけど食べるか?」

 というわけで別の話題、困ったときの食べ物の話題。

「……頂きます。昼食がまだですので」

 彼女は紙袋からそれを取り出し、小さな口でかじりつく。俺も腹が減ったから、茶色いそれに手を伸ばす。

「人、多いね」
「そうですね」

 俺は手探りでハンバーガーを探り当てる。道行く人がこっちを見るから、軽く手なんか振ってみて。

「俺の顔も、少しは売れてきたかな」
「ここの領主ですしね……それよりキール様」
「何?」

 ハンバーガーにかじりつく。けれどその食感は、パンとは似つかわしくなくて。彼女の顔は真っ赤になって、俺はそれに視線を移して。

「それは今日買っておいた、私のパンツなのですが」

 ああ、うん。

 だから道行く人が見てたのか。そりゃそうだよな、パンツ片手に笑っているんだから、皆見るよね俺の事。全く間が抜けていると言うか、最後まで俺らしいと言うか。

「……ばかっ」

 消え入りそうな彼女の言葉が、何度も頭の中で響く。結局それを袋に戻して、俺はぼんやりと街を眺めた。


 クワイエット領には似つかわしくない、大勢の人が市場を行く。

 皆何かを持っていて、また何かを持っていなくて。善悪とか正義とか、はたまたは主義主張とか。

 そういう難しい事は俺の頭じゃわからないけど。



 ――こんな夢みたいな景色を、いつまでも彼女と眺めていたかった。