第7話 おいでませ魔王城

 タマの上に乗り、俺達はその高く聳える城を睨んだ。

「いよいよね、キール」
「ああ、そうだな……」

 シンシアの言葉に思わず頷く。曰くそこは地獄の入り口、曰くそこは悪魔の棲家。この世界の誰もが寝物語に聞かされる、諸悪の根源がそこにある。

「ここがわたくし達の」

 そこから下げられる数々の垂れ幕。『レーヴェン様おかえりなさい』『レーヴェンちゃんお疲れ様』『レーヴェンお嬢様万歳』『レーヴェンかわいい』等などで。

「今日の泊まるところだ!」

 緊張感の欠片もなかった。ただレーヴェンの横顔が満足そうで、それ以上何か喋る気力は失せてしまった。



 魔王城の門が開けば、鳴り響くファンファーレ。ずらっと並ぶ楽団に頭を垂れる使用人。

「レーヴェン様がお戻りになられたぞー!」

 拍手の波が俺達を包む。先陣を切るレーヴェンは鼻息を荒くして堂々と歩いていく。

「凄い出迎えだな」
「愛されてるから」

 その通りなのだろうと、出迎える人々の表情を見て実感する。トランペットを吹く楽士も紙吹雪を撒くメイドも、皆幸せそうな顔を浮かべている。

「なまら豪華です……本当に魔界のお姫様だったんですね」
「信じてなかった?」
「あ、いやそんな事は」
「冗談」

 人の壁を進んでいった先に、深々と頭を下げるメイドの格好をした老婆がいた。

「お待ちしておりましたお嬢様」
「ばあや、ただいま……パパは仕事?」
「ええ、ヴァイス様は現在執務中……のはずです。ご夕食は是非ご一緒したいとおっしゃっておりましたので、それまでお部屋でお休みになってはいかがでしょうか」

 淡々と冷たい声で彼女は魅力的な提案をしてくれた。タマに乗って移動していたせいで顔が非常にしょっぱいから、さっさと洗ってしまいたいのだ。

「みんなも泊めてあげたいんだけどいいかな?」
「既にご用意しております。ハイネお嬢様から改めてご連絡がありましたので」
「さすがばあや、話が早い」

 さすが先生、頼りになるな。

「さあ、皆様こちらです」

 というわけで、ばあやの案内に従って俺達はぞろぞろと列になって進み始めた。あたりを見回せば、なるほどシンシアの家どころかエルガイスト城が霞むぐらいの豪華さである。特筆すべきはその明るさだ、魔法ですらないのだろう真っ白い光る四角い箱がいくつも天井に貼り付けられていた。そう言えば先生の部屋にも似たようなものがついてたかな、なんて考えていた瞬間。

 両腕を屈強な男達に掴まれた。

「お前はこっちだ」
「え?」

 そして連行される俺。戸惑う俺をよそに女性陣がどんどんと遠くなる。助けてという声は届かず、そのままずるずると引き摺られる。俺、何か悪い事したのだろうか。






 連れて行かれた先が豪華スイートルームだった。ただちょっと扉が鉄格子でトイレ付きのワンルームでボロボロの毛布が床に敷いてあるだけのスイートルーム。うん、ここ牢屋だったわ。

「4182番、早く牢に入れ!」

 もはや名前も呼ばれなくなった俺は、その中に放り込まれる。

「ちがっ、俺は無じ」
「黙れえっ!」

 振り返って弁明をしようにも、重たい鉄の錠前の落ちる音が響いてしまった。その場に倒れこんで天井を見上げれば、蠅が明かりに群がっている。豪華な城にもこんな場所はあるんだなと思っていれば、物音が耳に入る。

「よう新入り……こんなとこに打ち込まれるなんて余程悪さをしたらしいな。強盗か、いや身なりが良いから詐欺師か? どっちにしろ運がなかったな」

 先客がいたらしい、楽しそうな声が部屋の隅から聞こえてきた。

「何もしてない……」
「ハッハッハこいつはいい度胸だ! そんな台詞を吐く甘ちゃんが、こんなとこに来るかよ!」

 起き上がり、その先客の顔を見る。燃えるような赤い長髪を搔き上げながら、楽しそうに笑っていた。

「いい事を教えてやる新入り……ここは冷凍刑が確定した凶悪犯しか来れる場所じゃねーんだよ」
「レイトウ刑?」

 意外と親切なのか、彼はこの牢屋について教えてくれた。

「まさかそれも知らないって言うんじゃないだろうな」
「はい」

 が、何を言っているか理解できない。凍らせるのは何となく伝わるが、それと刑罰が結び付かない。

「何者だお前」

 流石に怪訝に思ったのか、彼は目を細めてそんな事を尋ねて来た。隠す必要などない俺は、正々堂々答える事に。

「キール=B=クワイエット、怠け者の地方領主です」
「クワイエットって……アナザーかお前」
「らしいです」

 男は笑う。楽しそうに何度も膝を叩きながら。

「おいおいおいおい魔王城に来た初めてのアナザーが牢屋行きとは笑わせてくれるじゃねぇか!」
「しかもあのクワイエット領か……」

 そこで彼の言葉が途切れる。それから少しの間考え込んでから出て来た言葉は。

「何もないよなあそこ」

 あの場所を良く知っているからこそ言い切れるものだった。

「何もないです、よくご存知ですね」
「仕事で行った事あるからな」
「え?」

 この人は魔族で、それの仕事でクワイエット領に。だめだ理解が追い付きそうもない。

「まぁこう見えて俺は公僕でな。今は訳あってこんな場所にいるが……まぁ俺の事はいいか。アナザーの文明の発達を調整する仕事してたんだよ」
「と言いますと」
「例えばそうだな……お前パンツ履いてるか?」
「当然ですよ何言ってるんですか」

 むしろ食べてすらいますよ、とは当然言わない。

「だがな、そいつは俺達魔族がお前らにくれてやったプレゼントの一つだ。そうだな、お前らが普通に進歩してその布切れに辿り着くには300年ぐらいかかるだろうな」
「えーっと、つまり」
「お前らの言葉で言う魔族ってのはな、陰ながらお前らを進歩させてんのさ。まあ外来種の俺達が迷惑料支払ってるとでも思ってくれ」

 頭を掻く。もっと頭の良い人なら彼の言葉を理解できるかもしれないが、少なくとも俺には無理だ。

「さっぱりわからないですけど、魔族が凄いってのはこの間思い知りました」

 ただ、凄いのは理解できた。例えばこの城の明るさ、ハイネ先生の持つ技術。どれも持ち帰れば一山当てられる程度の代物だ。

「素直だな、アナザー共は魔族憎しじゃなかったのか?」
「教えられたものと自分の目で見たものは違うなって」

 魔王を倒すという人類の命題は、子供ですら知っている。だがそれでも、魔王に関係があるレーヴェンやハイネ先生、それからこの城で見てきた人達を諸悪の根源とは思えない自分がいた。

「勇者の伝説ぐらい知ってるだろ? 応援しないのか?」
「青い刃を携えて勇者が魔王を討つって奴ですか?」
「それだな」

 彼が頷く。勇者特別支援法なんて無茶な法律が出来たのは、勇者の伝説を誰もが知っていたからだ。だからこそラシックは、魔法剣で剣を青くするだけで勇者の偽物になりきれた。今思えば杜撰だが、他に確かめようもないのが事実。

 だが、ここで考えが少しまとまる。仮に魔族が俺達の文明の発展を助ける手助けをしているとしよう。ならばなぜ、勇者の伝説等存在するのか。むしろ神に似た彼らを崇拝する伝説があって然るべきではないかと。

「もしかして、この伝説は魔族が作った……?」

 結論が口に出る、そうだこれなら筋が通る。初めから勇者の伝説は、魔族側の持つ何らかの事情を反映させた後付けの方便なのだ。

「正解だアナザー、いやキール=B=クワイエット」

 満足そうに男は笑うと、俺の名前を静かに呼んだ。

「順を追って話そうか。まず俺達は遠い昔、お前らの棲家に魔獣を放っちまったのさ。当時のアナザーには対抗する力なんか無くてな、このままじゃお前らは滅んじまう。つーわけで対抗出来る武器の精製法やら魔法やらその他諸々を教えて、間接的に助けたわけだな」
「迷惑料ってそういう事なんですね……直接助けなかった理由はあるんですか?」
「こっち側の事情だな。誰だってやらかしちまったらこっそり何とかしたいだろ?」

 その気持ちがわかるから、目の前にいるのが根本的に同じ生き物だと実感してしまう自分がいた。

「なら……どうして勇者って必要なんですか? 話聞く限り魔王討伐って無意味だと思うんですけど」
「身内の恥はまだあるんだよな」

 少しだけ舌を出し、男はまた髪を搔き上げる。

「青い刃ってのはな、俺達が遠い昔に作った最強の剣……いや兵器と言った方が良いな。万が一俺達がどうしようもなくなった時、全員まとめて自害するための殺戮兵器だ。そしてそれを使えるのは、伝説の戦士とその末裔のみ」

 まとめて自害するという言葉が引っかかるが、それでも俺は黙って男の話に耳を傾けていた。

「何だがまぁ、その伝説の戦士が持ち逃げした上にアナザーと駆け落ちしちまってな。色恋沙汰に首を突っ込むほど野暮じゃねぇが危ねぇモンはさっさと回収しちまいたいんだよ」
「じゃあ勇者は武器の運び屋って事ですか?」
「だな。ノコノコこの城に来てくれれば美味い飯と事情を話して返してもらいたいんだが……どうよお前なら信じると思うか?」
「多分信じませんね」

 フハハよく来たな勇者よその武器は危ないからこっちによこして美味しいご飯を食べて帰れ! うん十中八九罠だと思われる。

「だよなぁ、けど代案に困っててな。藁を掴む気持ちでサプライズだか試してみたが成る程悪くないな……アナザーを説得できるのはアナザーだけか」
「何の話ですか?」
「こっちの話だ気にすんな。そうそう、今の勇者の話は俺達の中でも秘密でな……知ってるのはせいぜい2、3人だから誰にも言うなよ?」
「具体的には?」
「お前さんと学者のハイネと」

 知ってる名前が出てきて安心した矢先、先程俺を牢屋に入れた男がやって来た。今度は銀のトレーにパンとスープ皿を乗せて。

「オラっ、4182番食事だ受け取れ!」

 地面に乱暴に置かれるそれはパンと具のないスープと、とてもじゃないけど美味そうには見えなかった。それでも胃に入れておこうかと手を伸ばした瞬間、同室の男が鉄格子に顔を近づけた。

「おいおい俺の飯も出してくれよ」

 なんて不躾なお願いだと思ったが、看守にはそう見えなかったらしい。青ざめた顔で腰から鍵を取り出し、急いでその扉を開けた。

「あっ、いえその申し訳ございません!」

 男は背筋を伸ばして、俺に顔を向ける。無邪気さと冷静さが同居する笑顔を浮かべて、ようやく自己紹介を始める。

「魔王の俺ぐらいだよ」

 さて、どんな事情かは知らないが。

 少なくとも今の俺は、殺されずに済んだようだ。





 結局俺の夕食は、パンとスープという質素な物ではなかった。俺達全員が座ってもまだ余裕がある長過ぎる机に置かれるのは、見たことも聞いたこともないようなご馳走の数々。アイラなんかは目を輝かせて両手に食器を持って頬張っている。美味いものを食い慣れている筈のシンシアですら目を丸くし、セツナは覚えるかのようにその味を何度も確かめていた。

「いやー笑った笑った! 女侍らせて旅に出てるって言うからどんな性豪かと思えば、なかなか聡い奴じゃねぇか!」

 上座に腰を掛ける魔王様は、酒を煽りながら腹を抱えて笑っている。そりゃ悪うございましたね、性豪なんて気の利いたものじゃなくて。

「パパ食事中」
「すいません」

 レーヴェンの言葉に頭を下げる魔王様。豪放な性格が鳴りを潜めるあたり娘には甘いようだ。

「でもどうして牢屋なんかに」
「ハイネから聞いてたんだよ、アナザーの都会で人を驚かせるのが流行ってるってな。違うのか?」
「はいその通りです」

 そう言えば俺そんな事言ってたな、自業自得だったんだなって。

「あとお前が来るまでサボってた」
「はい」

 どことなく親近感が湧く。どうやら恐怖と破壊の象徴は、思いの外人間臭かったらしい。

「あそこのうるせぇババアには言うなよ、おしめを替えてあげたから始まる説教がクソ長いんだ」
「わかりました」

 彼は隣に座る俺に耳打ちして、脇に立つ老婆を指差す。酒のせいもあってか、思わず頬が緩んでしまった。

「で、レーヴェンどうだったアナザーの国は。楽しかったか?」

 グラスの酒を飲み干して、魔王様は愛娘に笑顔でそう尋ねた。

「悪くなかった」
「そりゃ良かった」
「安心してパパ。偽勇者捕まえたら今度は本物倒しに行くから」

 頬張っていたご馳走を飲み込んで、レーヴェンが堂々とそう答える。そうか本物の勇者についての話を、彼女はまだ知らないのか。

「……言わなくて良いんですか」
「ありゃ歴代魔王だけの秘密だからな。ハイネはまぁ天才過ぎて別枠だ」
「なんでそんな大事なことを俺に?」
「そうだなぁ」

 笑顔で顎をさすりながら、魔王様は言葉を続ける。

「あーあ、どこかにこっちの事情も明るくて可愛い娘に手出ししないアナザーの良い人手伝ってくれないかな! そいつも付き添うなら俺としても安心なんだけどな!」

 そして俺に視線を向ける。この人計ったな。

「おやこんなところキールが」
「……ハメました?」
「何のこと?」

 ため息が出る。何の事はない、初めからこの男は俺に娘のお目付け役をやらせる予定だったのだ。だからこそあんな重要な事を教えてくれた。もちろん理由は娘が可愛すぎるからだ。

「ま、そういう訳だレーヴェン。勇者探しはキールと一緒なら構わないぞ」
「やった、パパ大好き」

 そう言われて満足したのか、魔王様が俺の肩を軽く叩く。

「まあタダとは言わないさ。報酬はまだ考えてないけどな」
「良かったですねキール様、エルガイスト王からも魔王からも勅命を頂いて」
「貧乏くじって言うんだよこういうのは」

 本家本元の王様からは偽勇者を倒してくれ、その裏側の王様からは本物の勇者を捕まえてくれ。ちなみに報酬については未定と言う名の予定である。これが不運じゃなくて何だと言うんだ。

 一気に手元の酒を飲み干し、改めて周囲を見回してみる。ここは地獄の一丁目、の筈なのだが随分と和気藹々としていた。この目に映る景色を誰に見せたって、魔王城だなんて思わないだろう。なんてぼんやりとしていると、アイラと目が合ってしまう。

「アイラどうした?」
「あ、いえ……優しい人って、結構どこにでもいるんだなって」

 その言葉を誰が指しているのか、酔った俺の頭にはわからない。それでもここにいる誰かの事なら、それで十分なような気がした。

「みんな気づいてないだけさ」
「そう、ですね」

 なんて話をしていると、顔を真赤にした魔王様が俺の肩を強く掴んできた。もげそうなぐらい痛い。

「そういやキール、お前パンツ食ったり霧散させたりして強くなるんだって? ハイネから聞いたぞ」
「いやまぁ、その通りです」

 否定できない自分が悲しい。

「しかも俺のパンツ食べてたらしいな。うまかったか?」
「涙の味でした」
「そりゃお粗末様でした」
「パパ食事中」
「すいません」

 いやお前が食わせたんだろレーヴェン、という言葉は飲み込む。いつか食べた、横にいるおっさんのパンツの味と共に。

「まあ飯食い終わったらちょっと付き合えよ。どうせ暇だろ」
「そうですけど……何かあるんですか?」

 そして彼はニヤリと笑う。あ、これ碌でもないなと直感が告げるがもう遅い。魔王城で魔王に逆らうなんて事は、地方領主の俺に出来るはずもない。それこそ出来る人間がこの世にいるとしたら、だ。

「食後の運動だよ」

 この世界のどこかにいる、正真正銘の勇者ぐらいだ。




 案内されたのは魔王城の中庭、といっても豪華な庭園というよりはただの広場という印象だ。

「よっしキール、どこからでもかかって来い」
「そんな馬鹿な」

 首を鳴らしながら挑戦的な台詞を吐く魔王様。いやなんだかかってこいって食後の運動とかそういうレベルじゃないでしょこれ。

「ほれ俺のパンツ二枚重ねてるから。霧散させたら同等なんだろ」
「試したことないですけどね」

 やっぱやめにしませんか、なんて言葉は出せない。食事までご馳走になっておいて、軽い運動に付き合わないというのは失礼極まりないというもの。

 まあ、命懸けだけどさ。

「……パンツリベレーター、発動!」

 とりあえず叫んでみる。そういや使い方聞いてなかったなと思ったが、魔王のパンツが光って粒になったので多分合っているのだろう。

『パンツリベレーターシステム発動、対象をパンツより解放します。身体能力を限定的にアップデートしました』

 手を握り、開く。体が軽くなったという都合のいい感覚は無いが、ハイネ先生を信じることにした。

「準備できまし」

 顔を上げる。拳が近づく。

「たあっ!?」

 避ければその風圧が前髪を少し散らす。

 いや、なにこの威力パンチしただけですよねこの人ってば。

「なるほど、流石ハイネの技術だな」

 間髪入れずに飛んでくる蹴り。それをいなし避けて初めて、自分が強くなったという事実を実感する。それと同時に目の前にいるのが、それ以上に強い生き物だとわかる。

「オラオラどうしたキール! そんなんじゃうちの娘の護衛は務まらねぇぞ!」

 拳、拳、足、肘、膝、拳、足。絶え間なく飛んでくるその攻撃を躱すだけで精一杯だ。

「死ぬっ、死ぬうっ!」
「その台詞はな」

 魔王が構えを変える、いやただ手をかざしただけ。それを使ったことがあるから理解してしまう。

「こういうのを……喰らってから言うんだな!」

 瞬間、爆発した。俺がクワイエット領で使ったものとは比較にならないそれが起こる。地面が抉れ大地が揺れ、視界が白く霞んでいく。

 あ、死んだな俺。走馬灯なんて景気のいい物を見る間もなく、無様に尻餅をついてしまう。

 なんて思っていたら、爆発は収束しそのまま綺麗に消えてしまった。魔王様はうつむいて、つまらなさそうにため息をついた。

「ま、付け焼き刃じゃこんなもんか」
「こんなもんって、誰か魔王様にいるんですか勝てる人」
「そりゃお前勇者だろ」

 何の臆面もなく魔王様が答える。意外だこんなに強いというのに。

「む、勘違いすんなよキール。腕力とか魔法とか……そういう物で戦えるなら俺は絶対に負けはしない。ただ青い刃だけはな、どうしても無理なんだよ」

 面倒臭そうな諦めるような、そんな表情で答えてくれる。そんなに凄いのか勇者の剣、こんな相手に勝てる方法見つからないぞ。

「ま、そういう訳だキール。勇者とドンパチやる時はお前に頼むぜ」
「……冗談ですよね?」
「だったら良かったな」

 え何俺が戦うの勇者と聞いてないよそんなのと言いたいけれど、もう魔王様は広場を後にした後だったから。

「……食後は運動するもんじゃないな」

 誰に言う訳でもなく呟いて、ただその場に倒れ込む。星空でも眺めようにも、重くなった瞼がそうさせてくれなかった。





 瞼を開けば白い天井。起き上がればそこはベッド、椅子に座って果物の皮を剥くセツナの姿。

「おはようございますキール様」
「ああ、おはよう」

 魔王城のはずなのに、拍子抜けするくらいのいつもの光景。

「この旅でもセツナに起こされてばっかりだな」
「ご心配なく、その分お給料は頂きますから」

 そりゃ良かった、こっちも起こされ甲斐があるってものだ。

「結構寝てた?」
「二日ほど」
「身の丈に合わない事はやるものじゃないね」

 体を伸ばせば、節々に痛みが走る。魔王様と食後の運動だなんて、一介の地方領主がするには荷が重すぎたのだ。

「そうですね、少しは自分というものを省みてはいかがですか?」

 そう言ってセツナは、果物を切り分け皿の上に置いてくれた。ただそのオレンジ色の食べ物を、俺は見たことがなかった。

「どうぞ、こちらの果物だそうです……マンゴーとかいう」

 一つつまんで口に入れる。驚くほどの甘さが口いっぱいに広がった。

「美味いな」

 おまけに柔らかいと来ている。独特の風味はあるものの、いくらでも食べてしまいそうだ。

「持って帰ったら高く売れるんじゃないか?」
「こちらにあるものは概ね、そう思える物ばかりですよ。ミキサーなんて驚きましたよ、今までの手間を返して欲しいぐらいです」

 彼女の語るミキサーがどういう物かは知らないが、少なくとも悪態をつくぐらいには便利な物らしい。

「ところで他の人達は?」
「シンシア様はペットと一緒にお酒を嗜み」

 ああ爛れてそうだなあの四人。

「レーヴェン様は……アイラ様を連れてお城の中を案内していますよ」

 得意げな顔をしてアイラを連れ回すレーヴェンの姿は簡単に想像がつく光景だった。

 窓から外の景色を眺める。気の遠くなるような青い空、脳天気に浮かぶ白い雲。

「何というか……平和だな」
「そうですね」

 自然と漏れた声に対して、セツナが相槌を打ってくれる。敵地真っ只中だと言うのに、何とも呑気な二人である。

「そうでもないぞアナザーよ」

 と、いきなり部屋に入ってくるなりこの間聞いたばかりの声が響いた。

「ハイネ先生来てたんですか」

 相変わらずカエルのスリッパに白衣という出で立ちのハイネ先生が、ため息を突きながらベッドの脇に腰を下ろした。

「お前が倒れたって聞いてな、呼び出されたんだよ」
「そりゃ悪い事を」
「全くだ。なあメイドのアナザー、こいつの仲間全員連れて来てくれないか?」
「かしこまりました」

 セツナは席を立ち、残されたハイネ先生が皿の上のマンゴーを平らげる。

「何かあったんですか?」
「あのなぁ、少しは自分が何をしに来たか考えてから喋ってくれ」
「えーっと……偽勇者探し」
「そういう事」

 うんうんと先生が頷く。

「見つけたからな。さっさと捕まえに行くぞ」

 えっと声を漏らす前に、先生が俺の手を掴む。どうやら魔王城での楽しい療養は終わりを告げてしまったらしい。



 タマの背中に乗りながら、俺達は川を上っていく。筋肉痛が残る体には少し辛いが、命令なので仕方ない。

『おい聞こえるかアナザー』

 耳栓のような物からハイネ先生の声が聞こえてくる。この小さな物で城にいるハイネ先生と会話できるのが驚きだ。

「聞こえてますけど、これってどういう原理なんですか?」
『説明してもいいがな、理解出来ないぞどうせ』
「じゃあ良いです」

 何か凄い奴って事にしておこう、うん。これだけで世界の色々な物がひっくり返るぐらい凄い奴だ。

「ちょっとレーヴェン、スピード落として貰えないかしら」
「無理。急いでる」

 青い顔のシンシアが口を押さえながらレーヴェンに頼むが、どうやら彼女の願いは聞き入れられない。

「大丈夫ですかシンシア様、迎え酒はいかがですか?」
「せ、背中を擦ってやらないこともないぞ」
「シンシア姉さま袋ですどうぞ」

 各々心配するシンシアのペット達。いやなんで付いて来てるんだろうこの子達。

「ペットいる?」
「あの男に対する足止め程度にはなるかと」

 セツナが辛辣な言葉を吐く。そう言えば一応強いんだっけか彼女達、もう見る影なんて無いけどさ。

『おい旅芸人のアナザー共、いいからデバイスを注視しろ』
「でば……」
「はいこれ」

 レーヴェンが差し出すのは例の黒い水晶玉。覗けばそこには見下ろしたような地図と共に、点や印が刻まれている。

『そこの赤い丸がお前たちで、青いのが偽勇者だ』

 川を上っていく赤い丸、並行して森の中を進んでいく青い丸。そしてその後ろを、追い込むように赤い三角形がじりじりと進んでいく。

「赤い三角形は?」
『魔王軍だ。ま、このまま追い詰めていけば川上で挟み撃ち出来るってわけだな』
「魔王軍が倒せば良いんじゃないの?」

 赤い三角形の大きさは、おおよそ俺達の赤い丸の三倍程度。単純に俺達の三倍も人数がいるなら、人間一人訳ないだろう。

『馬鹿かお前、アナザー殺したら冷凍刑なのは常識だろお前がやれ』

 知らない常識だ。

「え、じゃあ魔王に殺されるっていうのは」
『冗談だ、アーッハッハハ!』

 ハイネ先生の笑い声が聞こえてきたので、耳栓を外して握りしめる。

「なあレーヴェン、お前の姉の嫌いな食べ物とか教えてくれるか」
「ゴーヤ」
「知らない食べ物だ」

 一応付け直す。今度ゴーヤとかいうのを見かけたら、先生に送りつけてやろうと誓いながら。

「……いよいよですね」

 アイラが剣を抱きながら、そんな言葉を呟いた。少しだけ聞きたいことがあったが、これが終わってからにしようか。

「飛ばすよ皆……!」

 加速するタマ、嘔吐するシンシア。振り下ろされそうになりながら、あの下着泥棒に向かって。






 川上にある開けた土地で、俺達は待ち伏せを開始した。泥まみれになりながらも進む勇者に、追いかけてくる鎧の兵団。

「あれが魔王軍か」

 ラシックが逃げながら魔王軍に攻撃を放つ。魔法剣を振りかざすが、それが全て弾かれる。

「強い」

 いやもうこれ俺達いらないだろ。殺せないって問題はあるかもしれないが、包囲して確保するぐらいは簡単なんじゃないかこれ。

『余計なこと考えてないで、さっさと捕まえに行けアナザー』

 尻を叩かれたような感覚に襲われながら、俺は広場へと身を乗り出した。しばらく腕を組んで待っていれば、ボロボロになった偽勇者がふらつきながらやって来た。

「やぁラシック……ここで会ったが何回目?」
「お前はっ……!」

 挨拶をすれば剣を構える偽勇者。だがすぐにそれを収め、糸が切れた人形のように座り込んだ。

「いや、もういい疲れた。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

 降参。

 この長過ぎる鬼ごっこの結末は、実に平和的なものだった。疲れなくてよかったが、とりあえず手頃な縄で彼の両手を縛り付けた。

「あれもお前の差し金か?」

 ラシックが顎で差すのは、完全武装の魔王軍。

「わたしの差し金」

 胸を張ってレーヴェンが答える。初めからこいつらを動員してくれたら、こんな事にはならなかったのにと心の隅で思ってしまう。

「そうか、なら初めから……勝ち目なんて無かったんだな」

 その意見に同意する、初めから俺達は勝ち目なんて無かったのだ。いやそれどころか試合すら向こうに組まれた八百長だ。いつかどこかで間抜けがしでかした、捜し物をするだけの。

「ところで、どうしてお前は勇者の振りなんてしたんだ?」
「僕はね……強かったんだ」

 素直な口調でラシックは語る。きっと本当の彼は、そういう性格だったのだろう。

「ただ、どれだけ強くても……ただ強いだけの魔法剣士。特別になりたかったんだよ。誰だってそうだろう? 金が、名誉が、女が欲しかったんだ。勇者って肩書きがあれば、全部手に入ると思ってた」
「けれど、もう何も無くなったな……金はもうなく名誉は地に落ち、彼女達は」

 元取り巻き三人が、物陰で嘔吐しているシンシアを甲斐甲斐しく世話している。もはや過去の男に目もくれず、新しいご主人様に嬉しそうに尻尾を振る。大丈夫かなこいつの心と思ったが、諦めたように笑っていた。

「まぁ、新しい恋も見つけたようだ」

 ちょっと恋というには歪なような気もするけどな。

「いいえあなたにはまだ持っている物があります」

 毅然とした態度で、ラシックに立ちふさがるセツナ。そして胸ぐらを掴んで、怖すぎる笑顔で言葉にした。

「それは私のパンツです」

 ああうん、そう言えばそれが本来の目的だったね。

「……あそこの鞄の中」

 ラシックが顎で差した先にある、ボロボロになった鞄。セツナはそれに飛びついて、中を改め始めていく。出るわ出るわパンツの山、これ全部こいつが盗んだのかすごい執念だ。

「何で下着泥棒なんか?」
「わからなくなったんだ。皆が僕を見ているのか、勇者って肩書きに群がっているのか……ほら下着は物を言わないだろう?」
「さっぱりわからん」
「変態の奇行はそんなものさ」

 ようやく一枚のパンツを見つけたセツナが、安堵のため息を漏らした。これにて一件落着、とならないのが悲しい所。

「ちょっと、二枚目のパンツはどこですか!」
「え、お前二枚も盗んでたの?」
「いや……」

 とぼけてなどいない、心底何のことかとわからない顔でラシックが呟く。セツナに睨まれて気合が入ったのか、ようやく思い出してくれたらしい。

「ああ、あれなら鞄の横のポケットの底の方」

 急いでポケットを改め、一枚の布を即座に掴んで自分のポケットに仕舞うセツナ。

「ありました、作戦終了ですキール様」

 これにて本当に一件落着。色々有りすぎたこの旅は、どうやらセツナの完全勝利で終わったようだ。

「じゃ、帰るか」

 いやもう疲れた、家を出てから何日経ったか数えるのすら面倒だ。今はあの快適な魔王城に戻って休んで、それから一旦家に帰って今度は本物の勇者探しか。

「え? もう終わり? わたくし何のために呼ばれたのかしら……」
「結果的にそうなっただけだろ」

 何はともあれ一件落着。拍子抜けするほどの幕引きに気が緩んでいるのは確からしい。

「しかし何だ、よくここまで逃げたね君」

 しかしラシックの逃避行には思わず感服する。どうせ降伏などするなら、もっと早くしても良かったはずだ。

「王都で脅されたからね……全力で逃げて最後まで勇者の振りをしろ、じゃないと殺すって」
「誰に」

 物騒なその言葉に、思わず目を見開いてしまう。

「本物の勇者に」
「……え?」

 何だそれ。偽勇者の振りを続けたのは、本物の勇者に脅されたから? いやでも、それは。

「だから君は追いかけてきたんじゃないのか? だって」

 ――本当は、わかっていたのかも知れない。言葉の端々で気付いていたのかも知れない。

 剣を抜かない彼女を不思議に思った時から。ハイネ先生が彼女の剣を気にした時から。

 先送りにしてしまった。後でどうとでもなるだなんて、甘い考えを抱いていたんだ。

「本物はそこにいるじゃないか」

 アイラが、その剣を引き抜いた。

 青く、蒼く。眩しいぐらいに輝く刃が姿を表す。

 一瞬の事だった。斬りつけられたレーヴェンが、血を吹き出しながら倒れ込む。

「ここに来て口を割るとは……使えない偽物だ」

 冷たい言葉を言い放つ。素直な彼女が言うはずもない、そんな台詞を吐き捨てる。

「目くらましになると思って泳がせていたけれど、もう十分か……魔王の居場所も全部手に入った」

 駆けつける魔王軍だったが、そんなものはただの一薙で吹き飛んでしまう。

「アイラ、何で」
「何でって……キールさん、おかしなことを聞きますね」

 彼女は笑う。口角を上げ目を細めただけの、ひどく歪な笑顔で笑う。

「だってあたし、勇者ですよ」

 出来る事はきっとあった。機会なんて山程あった。けれども俺は何も出来ずに、優しい彼女をただ泣かせることしか出来なかった。

「魔王を殺す以外に、何をするっていうんですか?」

 それがただ、歯がゆかった。