「っていうかさぁ、ちょっと小耳に挟んだんだけどぉ」
俺は上半身を鳥越さんに近づけて小声で言った。
女ってなんで噂話しとか、ここだけの話しとか好きなんだろうな?
まぁ、俺は退院が決まってる患者だから、鳥越さんもつい気が緩んで口も緩んじゃったんだろうけど。
「この病院、あの歌姫リナの父親の病院だって聞いたんだけどさぁ……」
「ど、ど、どこでそれを!?」
明らかに挙動不審になる鳥越ナース。
霧夜さんの言ってた事は本当か……。
「噂だよ噂。別に信じてないって」
そう言って笑い声を上げると、鳥越ナースはチラリと意味ありげな視線を投げてきた。
『話したい』
顔にそう書いてある。
「え? なになに? もしかして鳥越さん何か知ってたりする?」
「ここだけの秘密ですよ?」
「もちろん」
「実はこの病院、リナさんのお父さんの買い取られたんです」
「うっそ!!」
「シッ! 声が大きいですよ」
「あぁ、ごめんごめん。買い取られたって、なんで?」
「原因はこの病院の経営状態の悪化です。潰れる寸前に買い取ってもらってなんとか立ちなおす事ができたんです」
「へぇ~? でもそれじゃぁ病院のお偉いさんは大変なんじゃないの? 自分らの病院を乗っ取られたって感じなんじゃないの?」
「それが、元々ここの委員長とリナさんの父親が親友で、委員長の方が買い取ってくれって頼んだらしいんですよ」
ここまでは霧夜さんの話しと一致している。
問題は、ここからだ。
「歌姫リナの父親と親友だなんて、委員長って人すっごいじゃん」
「まぁそうなんですけどねぇ……」
そう言って、口を閉じてしまう鳥越ナース。
「なんか、問題でもあったの?」
「問題というか……」
言葉を濁らせて、チラチラと患者の行き来を気にし始める。
おい、俺は委員長の事を聞きだしたいんだよ!
ここで止まるんじゃねぇよ!
「実は委員長……」
「うんうん?」
「娘さんが亡くなってからやる気をなくしてしまって、それが原因で病院も傾いたんです」
娘が――?
「で、同じ娘を持つ物同士が寄り添ったというか……。そんな感じじゃないですか?」
「へぇ~……なるほど……」
「皮肉ですよね、親友同士が寄り添って、2人とも娘さんを亡くすなんて」
「あぁ……」
……え?
慌てて呼び止めようとしたけれど、逃げるようにして姿を消したのだった……。
「今、なんて?」
「え?」
「今、なんて言った?」
『2人とも娘さんを亡くすなんて』
そう聞こえたのは、俺だけか?
「あ……すみません、なんでもないです」
突然青くなり、ナースステーションの奥へ戻ろうとする鳥越ナース。
「あ、ちょっと!!」
「昨日はこれなくてゴメンね」
フェンスを隔てて、俯き下限な彼女の顔を覗きこむ。
「ずっと待ってました……」
小さく言うのは批判の声。
やっぱり、待ってたんだ。
「ごめんね。俺寝ちゃってて」
そう言って頭をかく。
「いいんです。患者さんは、寝るのも仕事だから……」
『いいんです』
といいながらも、リナのふくれっ面は直らない。
これじゃまるでデートをすっぽかして怒られる彼氏みたいだ。
や、でもそれが嫌というワケではなくて。
むしろそうなれたらどれだけ嬉しいか。
「ほんと、ごめんね」
機嫌の直らないお姫様に、どうしたものかと窓の外の月を見る。
すると。
俺の指先にちょんと触れる感覚があった。
見ると、フェンスの間から中指と人差し指だけ出して、俺の小指を可愛らしくつまんでいる。
「私こそ……ごめんなさい」
勝手に、あなたが来るって思い込んで待ってるなんて……。
そう言って、彼女は少し悲しそうに微笑んだ。
そんな表情には華があって、俺は彼女の手を握り締めた。
「俺も、本当はすごくここに来たかったんだ」
「本当ですか?」
「嘘ついてどうするの?」
そう言うと、リナは見る見るうちに笑顔へと変わっていく。
「リナちゃんってさ」
「はい?」
「相当分かりやすいよね」
笑いをかみ殺して言うと、彼女は一瞬何の事かとキョトンとしていたけれど、すぐにバカにされたと気づいたらしく、頬を目一杯ふくらませた。
「そういう素直なところが可愛いって事」
俺はそう言って、あろうことか歌姫リナに2度目にキスをしたんだ――。
☆☆☆
月明かりだけを頼りに、フェンス越しに愛を語るカップルなんて世の中にどれだけいるだろう?
閉鎖病棟へ続く渡り廊下という異質な場所で、これほどロマンチックに夜を過ごす男女なんて、きっと俺たちくらいなものだろう。
俺たちはフェンスの間から手を握り合い、灰色の壁に背を持たれかけ、コンクリートの上に座り込んで話をしていた。
「閉鎖病棟には他にどんな患者がいるの?」
「患者は私ともう1人の女の子だけなの。クウナちゃんって名前の子で、明るくて元気がいいの」
「2人しか患者はいないの?」
「そう。あとは白衣を着たお医者さんみたいな人ばかり」
「それじゃぁクウナちゃんもリナちゃんも、つまんないだろ」
「うん……。でも、今はナオキ君とこうやって会えるから……」
そう言って、ピンク色に頬を染める。
普通だったら、こんなタイミングで肩を抱き寄せたり抱きしめたりするんだろうな。
今の俺には握られた手をギュッと強く握り返す事くらいしか、できない。
「いつか……」
「え?」
「いつかリナがそこから出れたら」
君を、一番最初に抱きしめても、いいかな――?
リナは小さく頷いて、俺の肩に頭を預けるように、フェンスにもたれかかった――。