「知らないのか? リナちゃんのお兄さんのこと」
「リナの……お兄さん?」
兄弟がいたことさえ、俺は知らなかった。
「すっげぇシスコンな兄貴でさ、今までリナちゃんに近づいてきたタレントやモデルの男どもを片っ端からなぎ倒してきたらしいんだ」
シスコンの兄貴……?
「まさか、それもただのデマだろ?」
「いいや、これは真実! その証拠に今までリナちゃんのスクープも、浮いた話も一つもないんだよ」
「そりゃ芸能人だから気をつけてんじゃねぇの? 事務所がもみ消してるとかさ」
「ど~だかなぁ~?」
ヒロシはそう言い、「俺は絶対、兄貴の存在があるからだと思うね」といって、再び週刊誌に視線を落とした。
「シスコン兄貴……」
俺は小さく呟いて、なんとなく、寒気がして身震いしたのだった――。
☆☆☆
やけにリナ情報について詳しいヒロシが帰ったのは夕方近くになってからだった。
ヒロシがいようがいまいがおかまいなしに昼寝した俺。
だって、今日もそりゃぁもちろん、行く、だろ?
昨晩のリナの言葉を思い出す。
顔を真っ赤にして『それじゃ、また夜中』って言ったんだ。
『さようなら』じゃなくて、『また』って。
思い出しただけでも顔がにやける。
夜に近づくにつれて気分は盛り上がってくるのだけれど、昨日のように突然キスなんてしちゃいけない。
と、自分に言い聞かせる。
どんなに可愛くても。
どんなに触れたくても、我慢なんだ。
ある意味拷問のような仕打ちだけれど、あんな写真を撮られてしまった以上仕方が無い。
本当なら、今日は会わない方がいいのかもしれない。
でも……。
俺はすでにリナに会いに行く気満々だったのだった――。
俺がこっそりを松葉杖を準備している時、そいつは突然やってきた。
ほとんど物音を立てずに病室へ入ってきたそいつは、俺のベッドを覆っているカーテンを大きく開き、松葉杖で立っている俺を凝視してきたのだ。
「誰……?」
驚きで立ち尽くしたまま、俺はその男に訊ねていた。
男は、身長は俺と同じくらいだけれど、体格がものるごくいい。
ラグビー選手のような肩幅に、服の上からでもわかる盛り上がった胸。
それに加えて、眉間にシワのはいったいかつい顔。
「お前名前は?」
俺の質問に答える気はないらしく、一方的にそう聞いてくる。
「ナオキ……」
「来い」
名前を聞き出したと同時に腕を思いっきりひっぱられて、歩き出す。
松葉杖をつきながら精一杯男の歩調に合わせる俺。
「おい、あんた誰だよ」
そんな問いかけにも、男は答えない。
どこへ向かっているのかもわからないまま、ズンズンと突き進んでいく。
俺は、強すぎる男の手を振りほどく事もできず、半分涙目になりつつ、ついていくしかなかった……。
☆☆☆
そして、付いた先はといえば――。
屋上。
昼間は患者さんたちが洗濯物を干す場所としても使っているから、当然俺もここへ来た事はある。
が、夜にこんな大男と2人でくれば雰囲気も随分と違う。
「あの……」
俺は、恐る恐る声をかける。
さっきまで『おい、あんた』なんて言っていたのが嘘みたいだ。
「正直に答えろ」
男は振り向かないまま、背中せそう言ってきた。
「ナオキ、お前は昨日、リナと会ったのか?」
その言葉に俺は目を大きく見開く。
リナ――?
そして、思い出すのはヒロシの言葉と週刊誌の写真。
まさか、この人がリナのお兄さんで、この人が写真を撮った本人だとか……。
そんな事、ないよな?
「あの……あなたは?」
「質問に答えろ!!」
怒鳴られて、身がすくむ。
男なのに、情けねぇ~。
こんな姿絶対にリナには見せられねぇ。
「はい……会いました」
か細く答えると、男の肩が少しだけ下がったように見えた。
「そうか……」
呟きながら、振り替える男。
さっきまでの険しい顔ではなく、少しだけ眉を垂らしている。
「俺はあいつの兄貴だ」
うそ――!!
ギョッと目を見開き、唖然とする俺。
まさか、そんな、本当に?
この人が、リナの兄貴……!?
ボコられる。
絶対にボコられる!!
そう思い、少しずつ後ずさりしていく俺。
冷や汗が流れて、ノミのように小さな心臓が悲鳴をあげる。
「あ……の……」
『ごめんなさい!!』
そう言って頭を下げようとした時――。
「頼む!!」
と、リナのお兄さんが大きな体で土下座して来たのだ。
へ――…?
「リナを……あいつを、助けてやってくれ――!!」
☆☆☆
怒鳴られると身構えていた俺はそっと顔をあげて、土下座したままのお兄さんを見た。
その大きな肩は小刻みに震えていて、大きく呼吸を繰り返している。
「あの……?」
自体の成り行きが全く見えず、混乱する俺。
と、とりあえずここは頭を上げてもらうことが一番だよな。
そう思い、同じように膝をついてその肩にふれた。123
すると、眉をたらして目に涙の膜を張った状態でお兄さんが顔を上げたのだ。
その表情からは本気さがヒシヒシと伝わってくる。
「リナちゃんを助けるって……それ、どういう意味なんですか?」
「助けてくれるのか?」
「それは……状況次第ですけど……」
「ハッキリと、イエスかノーで答えろ!! あいつを助けてくれるのか!?」
さっきまで涙ぐんでいたはずなのに、今はもう俺の胸倉を掴んでいる。
かなり喜怒哀楽が激しくて扱いにくそうな相手だ。
「だ……断言はできませんが……助けます。助けたいと、思ってます!!」
胸倉を掴む手をギュッとにぎりかえして言う。
ここで断ったらこのまま屋上から放り投げられてしまいそうだ。
冷や汗が背中に伝い落ちた時、相手の力がフワッと緩んだ。
「ありがとう!!」
やっと解放されたのもつかの間、今度はたくましい二の腕にギューッと抱きしめられて、俺、窒息寸前。
「ぐ、ぐ……」
『苦しい』と訴えることもできずに青くなりかけていた時、突然体を離されて大きく酸素を吸い込む。
体中の血液が一気に流れ出す。
「自己紹介が遅れたな。俺の名前は霧夜(キリヤ)」
「は、はじめまして」